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【見たら死ぬ!】海難法師を知略で撃退!【続・1月24日の夜は海を見てはいけない!】  作者: 尾妻 和宥


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7/10

7.ペルセウスの盾の効果

「鏡! 鏡なら!」


 もはや麻衣の走りは、泥田で藻掻いている速度にすぎなかった。

 すぐうしろに迫る海難法師カンナンボーシは、やろうと思えば彼女の肩をつかみ、ふり返らせることができるのに、わざとらしてゆっくり近づいてくるようだった。

 ただちに獲物を捕えるのが目的ではなく、獲物が恐怖におののき、パニックを起こしている姿を見て悦に入っているとでもいうのか?


 そうこうしているうちに、左側に生垣が続き、その向こうに一軒家が見えた。その民家も、例に洩れず雨戸が閉められ、灯りはいっさい見えない。まるで10年前から空き家になったような趣なのだ。

 道路の反対側には細い路地があり、この道とぶつかるようになっている。

 路地と合流する真正面に、丸いカーブミラーがこちらに向けて立っているのが見えた。


 ――チャンス! あれなら!


 気力をふり絞って、ラストスパートをかけた。

 次のダッシュこそ勝負だと本気で思った。

 死のストーカーとの差を広げ、丁字路まで走る。


 支柱につかまって、くるりと半回転し、豊島 忠松に向きなおったとき、反射的に眼をつむった。

 そのまま支柱にスニーカーを押し当て、2m近くよじ登った。あまりの恐れのなせる業か、麻衣は巧みに柱を登り、丸いミラーの縁にしがみついた。

 さらに懸垂する要領で、脚を持ちあげる。

 そのまま踏ん張ってこらえた。


 麻衣は丸いミラーの裏側に両足を突っ張ったまま、事の成り行きを見守った。あたかもペルセウスの盾の陰に隠れるかのように。

 海難法師はきっとこの鏡を見て、自身の姿と向かい合っているはずである。

 ところがなんの反応も示さない。少なくとも、そのすきに麻衣の足をつかんで、引きずりおろそうとしないだけ救いであったが……。


 むしょうに気になった。

 麻衣は薄目を開けたまま、ミラーに脚を曲げて突っ張り、尻を浮かせた状態で真下をのぞき込んだ。

 ストーカーの両脚が見えた。幸い、その上はミラーが死角になっている。

 やはり裸足だった。真っ黒な肌をしたたくましい足。男のものであろう。なぜか、その場に立ち尽くしている。


 汚れた真っ黒なすねから下の脚を見るにつけ、恐らく上半身はもっと醜い姿をしているにちがいない。見てはならないタブーがあるのも頷けると、麻衣は思った。


「やった? 効いた(、、、)かもしれない?」


 予想に反して、石化するか、さもなくばその場に倒れ込む気配はない。

 じれったくなったのは麻衣の方だった。

 相手はたじろぐ様子もない。

 はあはあはあと、荒い息づかいをくり返すだけで、一向に後ずさるそぶりすらない。


「ウソでしょ……。効かないの、この作戦は?」


 期待はずれの結果となった。てっきりメデューサの弱点のように、鏡が有効かと思いついたのに……。

 いつまでもカーブミラーにしがみついているわけにはいかない。手足がしびれてきて、耐えられなくなった。

 地面に落ち、尻餅をついた。とっさに眼は瞑ったのは、せめてものファインプレーか。

 お尻が割れるように痛い。麻衣はしばらくうめいた。


 すぐそばで仁王立ちしている海難法師の気配。

 麻衣は油断したと見せかけて、さっと立ちあがると、相手に背を見せ、ふたたび西の方角へ走り出した。

 全身にアドレナリンがかけめぐり、臀部の痛みもなんのその、命がけのランニングを再開した。

 一瞬たりとも海難法師の姿を見なかったことは褒めるべきだ。

 またもや相手はついてくる。


 ビタビタビタビタビタビタビタビタ……。


 いかにもしっかりした体幹の持ち主であるかを想像させた。マシンのような短いピッチの足音が一定しているのだ。

 ふり向くまでもない。まるでダチョウが疾走するように、頭も上下せず、脚の回転のみで追跡してくるのがわかる。


 ――ふりきれない!


 ――どうするの、麻衣! これじゃらちが明かない。もっと頭をひねりなさい! このままじゃ!


 ――どうするったって、勝ち目がないよ、おばあちゃん!


 ふくらはぎが痙攣けいれんし、太ももがあがらなくなってきた。

 息も絶え絶えになりながら、都道211号線と合流する道までがんばる。




 ――人間が戦って、どうにかできる相手ではないんだ! 


 ――どうすれば豊島 忠松はあきらめてくれるの? それともお経でも読んで慰める?


 麻衣はすすり泣きに近い息を洩らしながら懸命に走った。まるで間欠泉のように、苦い胆汁が突きあげてくるのを、必死でこらえた。

 そのとき、右カーブを超えると、ようやく211号線とぶつかる交差点が見えてきた。

 ここよりも街灯の数が多く、赤々と都道を照らしている。


 今夜の『親だまり』は、例年にないほど静まり返っている。車は一台たりとも走っていないとは……。

 反抗期真っ盛りの不良少年ぐらい出歩いていそうなものだが、老いも若きも行儀のいい島民を呪いたくなった。

 それとも毎年の24、25日は、こんなにも誰も彼もが規律を守るものなのか……。


 十字路に入る直前、またしても左手に民家らしきものが見えた。

 が、眼を凝らすと、それは倉庫跡らしい。窓は割れ、トタンの屋根は錆び、外壁もペンキでいたずら書きされている。とても人が住んでいるようには見えない。


 広い敷地には雑草が生い茂り、誰かが不法投棄したのか、訳の分からないゴミの山ができていた。

 そばには街灯が立ち、白い光を投げかけている。ガラクタの堆積が浮き彫りとなっている。

 麻衣は空になった肥料袋の束が捨てられてあるのを眼にした。




 ――あれなら使えるかも!


 ――鏡がダメなら、じかに豊島 忠松を説得するしかない!


 麻衣は道をはずれ、歩道を乗り越え、規制ロープをまたぎ敷地に入った。

 不法投棄されたゴミの山をめざす。

 若さのなせる業か、そのころにはあとを尾けてくる海難法師との差は広がっていた。わずかな余裕が生じていた。


 麻衣は肥料袋の束から一枚を手にした。

 すばやく袋の口を広げ、すっぽり頭からかぶった。ゴワゴワした低密度ポリエチレンの中は異臭がしたが、四の五の言っている場合ではない。


 袋は大きく、麻衣のおなかまで隠れるほどだった。完全に闇に閉ざされ、おちおち満足に歩くことすらできない。

 それでも、自身の足もとだけはなんとか見えるように袋の口をつかみ、この恰好で追跡者と向かい合った。




 すぐ眼の前に海難法師が立ち止まったのがわかる。

 例の足音がしなくなり、冷たい風に吹かれ、ざわざわとたくさんの薄紙がこすれるような摩擦音だけが聞こえたからだ。荒い息づかいだけがくり返された。


 いったいこの死のストーカーは、どんな恰好をしているのか? 烈しく想像力をかき立てる。

 そして濃密な磯の臭い。

 麻衣は袋をかぶったまま、乱れる呼吸を落ち着かせ、なんとか声を絞り出した。


「きっと、あなたは……いまだに……恨みを、抱えてるんでしょ。……豊島代官?」


 と、麻衣はまくし立てた。息が乱れ、口から踊り狂う心臓が飛び出しそうだ。

 ダメでもともとだった。


「島の人だって、必死だったと思うの……。当時の暮らしは貧しかったって……、おばあちゃんから聞いた。……いまだってそんなに変わんないのに……、江戸時代ならもっとひもじかったんじゃないかな。……なのに、年貢の取り立てをきつくしたら……、島の人たちは共倒れになっちゃう」

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