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5.海難法師の正体は勝巳?

 ようやく十字路に出た。

 足をとめ、どちらへ進むべきか考えている暇はない。

 とっさに消去法で決める。


 とすれば、北か南の道しかない。

 南へ行けば集落はなく、あるのは広大な畑に出るなかば迷路状に交差する農道だ。

 麻衣は子どものころ、この道沿いをかけっこして遊んだことがあるので、よく知っていた。少なくとも、いまは助けが欲しい。この道を行くべきではない。


 となると、北のサイクリングコースへ入り、羽伏浦公園方面をめざす方がましのような気がした。

 いずれにせよ、この先にも集落はない。ずっと向こうに若郷集落があったが、距離にして8km前後あるにちがいない。


 しかも最短ルートを通るには、平成新島へいせいにいじまトンネルをくぐらねばならなかった。全長2,800m超あり、そんな暗がりのなかを海難法師に追われたまま進むのは、考えただけでぞっとした。いくら長距離向きの元陸上選手とはいえ、しょせん田舎の高校の出にすぎなかったし、そもそもブランクもあった。スタミナも命さえもつとは思えなかった。


 ――それとも……。このままサイクリングコースを真っすぐ北へ走り、そのあと西に入れば!


 麻衣はとっさに頭を働かせた。

 滑走路沿いを引き返せないのなら、左へ行く道を曲がり、羽伏浦公園の方へいったん逃げるのだ。

 そのあと211号線に合流する。あの周辺はいくつもの道が分岐していた。ぐるっと回り道をして本村に帰る方法がいいのではないか?


 遠回りになるものの、次こそ警察署にかけ込めるはずだ。

 はっきり計測したことがないので、なんとも言えないが、ざっと3kmで済むのだろう。警察官が太刀打ちできる相手かどうか問題なのだが……。


 余力ならまだ充分残されていた。あと3kmぐらいなら、なんとかなるかもしれない。

 少なくとも若郷まで走ると思えば、いくらか賢明な判断に思えた。

 これでいくつかの失策を帳消しにできる。




 というわけで、麻衣は十字路を左に――つまり北へ――曲がった。

 この道はいましがた通ってきた道よりも、さすがサイクリングコースだけあって、きちんと整備されている。道幅も程よい広さで、段差のある歩道こそあれ、さっきみたいな中央分離帯はない。


 今晩の気温は8℃、湿度70%。西からの風向きで、風速10m/s。

 典型的な西ん風のまっただなかであった。

 西ん風――すなわち偏西風はジェット気流といわれ、上空10,000m前後で吹くはげしい西風のことである。新幹線並みの猛烈な風が吹き抜けることで知られる。

 さしもの体感温度は-6℃となっていた。




 タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ……。


 麻衣の歩幅の広いストライド走法。小気味よくコンクリート道路を蹴る、スニーカーの音だけが響く。

 道はこの先、やや蛇行しながら伸びていた。例の左折するまでの道のりは約750m。それまでなんとか持ちこたえなくてはならない。

 ただしネックなのは、街灯の類がいっさいないことだ。月明かりだけしか頼る術はない。


 道路の両側は、名も知れぬ灌木かんぼくが幹をくねらせて、びっしりと立っている。

 右側はまるっきり見通せないが、羽伏浦海岸が並行して南北に7kmも伸びており、波のうねりが聞こえた。


 頭上にはさえぎるものはない。

 遠く北の向こうに、阿土山あっちやまがシルエットとなって、夜空に浮かんでいた。

 麻衣はサイクリングコースに入ったとたん、意外にも海難法師が追跡をあきらめてくれるのではないかと祈ったが、やはりビタビタビタビタビタ……と、ピッチ走法でランニングする音が執拗についてくる。

 どうやら生易しい相手ではないようだ。


 荒れ狂う風向きにより、うしろから生臭い磯の臭いが風に乗ってきた。

 漁港でよく嗅ぐ、えたような磯臭さ。

 やはり、豊島 忠松に他ならないのか? 海で死んだだけに、特有の磯臭さを放っているのだろうか?

 むしょうにうしろをけてくる者の正体を見てやりたい欲求にかられる。それをねじ伏せるのは並大抵ではなかった。




 ――ああ、お父さん、お母さん! どうすればいいの? 力を貸して!


 ――麻衣! しっかりするの! ふり向いちゃダメ! きっとあの悪代官の亡霊よ!


 心のなかで叫ぶと、祖母の声が耳もとでこだました。


 ――おばあちゃん、助けて! これ以上走れない!


 ――走るの、麻衣。しっかり前だけ見て走りなさい! まだ力は残ってるはずでしょ! 代官に捕まるわよ!


 ――そんなこと言ったって……。あいつを引き離すことができない! いつまで持ちこたえればいいの?


 ――ツベコベ言わず腕を振って、脚を交互にあげなさい! 自分を信じるの!




「やってるって、精一杯!」


 麻衣は声に出して、祀子の声に反論した。 

 と、そのときだった。


『麻衣……。麻衣ぃ』


 背後で例のストーカーが、はっきりと呼んだのである。

 かすれた濁声だった。まるであの世に堕ちた亡者の怨嗟えんさのうめきに似ているではないか。

 麻衣の脳裏に嫌な考えがよぎった。

 追いかけてくるモノの正体は、成仏できない豊島 忠松ではなく――ひょっとして、同じく海で死んだ父ではないか?


 勝巳は浮かばれず、我が娘さえ区別もつかず、こうして生者に恨みをぶつけようとしているのだとしたら?

 麻衣はいても立ってもいられなくなった。

 もしそうなら、なんて残酷な仕打ちだろう!


 寛永5年に溺死させられた悪代官と同様、勝巳も漁船から転落し、たらふく潮水を飲んで溺れ死んだはずだ。

 亡骸は見つからなかった。見つからなかったのは、もしかしたら幸運なのかもしれない。美しい思い出だけを残して、父は消えた。


 にもかかわらず、腐敗性ガスでパンパンに膨らんだ勝巳が本当に追いかけているとしたら。

 頭髪は抜け落ち、顔の皮はずるむけになり、眼球が突出し、口から舌の突き出た形相で――それこそ奇怪なあかんべえ(、、、、、)をした形相で――、実の娘を尾けているとしたら――。




 ――そんなわけない! お父さんはいつでも私や、斎姉さんのことを大切にしてくれた。私たちの身に危険があったなら、身を投げ出してでも守ってくれた。そんな人が私を襲うわけがない!


 ――麻衣、しっかりしなさい。あいつはお父さんじゃない! 海からやってくるのは豊島 忠松に決まってるでしょ! あなたは言い付けを守らなかった。罰を与えるために追ってきたにちがいない! ルール違反したことは、いまさら取り消せないでしょ。だったら、どうにか頭を使って切り抜けるの!




 麻衣は祀子の声に急かされて、力をふり絞って全力で走った。

 海難法師の気配がうしろに遠ざかった。とはいえ、あきらめることなく、ぜいぜい言いながらついてくる。


 そうこうするうちに、両側の灌木林がとぎれた。

 海側に特徴的な白亜の建造物が見えてきた。ライトアップされているので、遠目にもはっきりとわかる。

 長方形と階段で構成されたモニュメントを思わせる造り――羽伏浦海岸へおりることのできるメインゲートハウスである。


 (ゲート)から白い砂浜まで、なだらかな段差が続いている。ちょうどこの下の海岸線沿いで、シーズンになるとサーフィンの大規模な大会が開催され、にぎわいを見せるのだ。

 ……が、麻衣にとって、いまはそれどころではない。


 道路を挟んで左にあるのが、手前が東屋あずまやの休憩所であり、奥の建物は公衆トイレだ。駐車スペースがあり、ベンチまで備え付けられている。一台の車も停まってはいない。

 横断歩道をすぎ、ついに丁字路にさしかかった。


 計画どおり行くしかない。

 麻衣はさらに北に続くサイクリングコースや、浜へおりるゲートには眼もくれず、左に曲がった。

 西へ続く道を、先ほどと変わらぬピッチで走る。

 幸いにして力を抜いた、ランニング程度でも追いつかれない。さしもの迷える豊島 忠松も生物学的にのっとって、ちゃんと疲労するものらしい。

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