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4.古い慣習

「古い慣習、か。参ったね」六十谷は苦笑いを浮かべ、後頭部をなでた。「よりによって、海難法師カンナンボーシが帰ってくる直前に、海で死んだとは縁起が悪すぎるんだ。きっと、豊島とよしま 忠松ただまつ引っ張られた(、、、、、、)にちげえねえ。やっこさんについて、あれほど嗅ぎまわるのはよせと忠告してたら、これだ」


「豊島 忠松って、江戸時代にじっさいにいた悪代官のことね。海で溺れ死んだっていう――おばあちゃんからよく教わった。その姿を見てしまっただけで、頭がおかしくなったり、眼がつぶれたり、もっとひどいと、命まで取られるとか、よく脅かされた――」


 麻衣は座布団に座った六十谷に、にじり寄った。


「悪代官か。我々のご先祖さまは、さぞかし苛められただろうからな。無理もあるまいが」




 そのときだった。

 玄関で誰かが入ってくる気配がした。

 廊下をこちらに向かってくる足音が続く。


 三人はとっさに口を閉ざした。

 毎年のごとく、やたらと西ん風が吹く24日に、海難法師の話をすること自体、タブーだったからだ。

 ほどなく仏間のふすまが開かれ、肌の浅黒い老人が顔を見せる。これも黒の和装姿。


「六十谷、ここにいたか。どうせおまえさんのことだ。豊島 忠松のことについて、あれこれ講釈垂れてたんだろ」


 眠ったような柔和な顔つきに、麻衣たちは緊張を解いた。

 真砂まさごという名の老人で、現役の漁師だった。今年で78になる。年のわりに背は曲がっていなく、さほど麻衣と背丈は変わらない。姉妹にとって顔なじみのご近所であり、数少ない心許せる相手だった。

 真砂は部屋に入ると、入り口であぐらをかいた。網元と将棋でも指すかのように向かい合う。

 新島一の網元ともあろう者が、この老人を前にしただけで、教師にいたずらが見つかった児童のように肩をすぼめた。


「てっきり盗み聞きされたかと思った。こりゃおれの出る幕もねえな。真砂じいこそ、おれ以上に島の伝承にくわしいお方だぜ」


「いい加減にしねえか、六十谷。どうせ、勝巳は豊島の亡霊に連れていかれたと吹き込んでたにちがいあるめえ。お嬢ちゃんたちに、いらぬ誤解を与えちまう。こんな席で言うのもいかがなものかと、おれは思うぜ」


 真砂は低い、しゃがれ声でいさめた。


「だけどよ、真砂じい」親分か組長としたなり(、、)をしているくせに、追従笑いを浮かべた。相手の方が年上であっても、一従業員にすぎない真砂には頭があがらないらしい。「いくら若いころに、おれと勝巳の間にトラブルがあったからって、おれがったみたいに決め付けられたんじゃ割に合わねえ。身の潔白を証明すべきじゃねえか。だからこうして、この子たちのもとにかけつけた」


「保身っていうんだ、そういうのは。やましいところがなけりゃ、この場は黙って出ていくべきってもんだ。家に帰って、あいつの冥福を祈ってやるんだな。どうせ家族葬だ」


「わかったよ。帰りゃいいんだろ、帰りゃ」と、六十谷は声を上ずらせると立ちあがった。「カッコ悪いところ見せちまったな。おまえたちに言いたいこともいろいろあるんだが、新島(ここ)にゃ、古くから守らなきゃならねえしきたり(、、、、)があるんでね。口にできない秘密もいっぱいあって、つい奥歯に物が挟まった言い方になっちまう」


 真砂は身体を伸ばして、そんな網元の尻を叩いて、話の腰を折った。


「おしゃべりがすぎるぞ。せいぜいお嬢ちゃんたちが落ちついてからにするこった。じきに和尚さんがお見えになるってのに」


「おうとも。退散するさ」


 と、六十谷は言うと、廊下へ出ていった。

 ちょうど玄関に袈裟けさ姿の僧侶が現れたところだった。

 網元は言葉を交わし、入れ替わり出ていった。


◆◆◆◆◆


 葬儀を終えてから、麻衣はカシミヤのセーターとパンツに着替えていた。

 窓の桟に腰かけ、片膝を抱えたまま、考えごとに耽っていた。

 勝巳が行方不明になってから1年。結局、遺体さえ見つからなかった。海難事故にあって、まさか生存していたケースはほとんどない。

 口さがない古老たちが噂するように、豊島 忠松の亡霊に魅入られ、船から転落したのかもしれない。


 いまとなっては死んだ者は取り返しようがない。

 ここに来て麻衣はようやく葬儀をすませ、踏ん切りがつけると思った。

 なのに、晴れ晴れとした気持ちにはなれない。

 CDの印刷面が知らず知らずのうちに傷ついているように、麻衣の心は理由もなく傷ついていた。


 勝巳は『親だまり』『子だまり』の夜に、なにを暴こうとしたのか?――その疑問が、麻衣の頭を占めていた。島の秘密に首を突っ込んだばかりに、安寧を奪われたにちがいないのだ。

 直接的に係わったわけではないにせよ、心底、海難法師が憎いと思った。


 豊島 忠松を恨んだところで筋ちがいかもしれない。麻衣にしてみれば、物忌みの晩に本当に海からやってくるのかかどうか、九割は信じていなかった。拳で相手を叩こうにも、霞めがけて怒りをぶつけるようなものではないか。


 毎年、内地にいようとも、その忌むべきキーワードを耳にするなり、眼にするだけで、父の非業の死を思い出してしまうだろう。

 だったら、心にかかったもやを取り払うべきだ。

 麻衣は知りたいと純粋に思った。知る権利があるはずだ。

 思い立ったら聞かない娘だった。それこそ父譲りの突っ走る面も引き継いでいた。


 待ちに待った念願の夜である。

 屋外に出れば、本当に来訪者(、、、)と出くわすというのか。

 勝巳はどう係わって命を落としたのか、口の利ける相手なら、むしろ問いつめたいと思った。

 

「こうなったら、いっそ確かめに行くべきよ。鉄は熱いうちに打てって奴。いまから出かけよう!」


 こうして斎には内緒で、麻衣は薄闇に包まれるころ、家を飛び出したのだった。


◆◆◆◆◆


 そして、かたきと出会えたわけである。

 麻衣のすぐ4メートルほどうしろに、あいつが湿った足音を響かせて追ってくる。

 例の喘息まじりの息づかいをしながら、カシミヤのセーターの裾をつかもうと手を伸ばしているにちがいない。


『はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……』

 

 もっとも、麻衣は人気ひとけのない路地で追いかけられはじめてからというもの、一度もふり向いて相手を確かめていなかった。

 なにせ、見れば死ぬという恐るべき相手。怖すぎて、追跡者の正体を見てやろうにも勇気が足りない。


 新島空港の滑走路伝いに旧道を走った。

 すっかり街灯はなく、月明かりだけが頼りである。ずっと中央分離帯に松の木が植え込まれ、見通しも利かない。

 東へ向けて一直線の道路をひたすら逃げた。


 このまま真っすぐ行けば、伏浦ぶしうらの海岸線に出るのは知っていた。

 『親だまり』の夜に、海が見える方へ出るのは危険すぎる。言い伝えによると、海難法師が赤い帆をかけたたらいに似た船でやってくるからと信じられているのだ。もっとも、相手はすぐ背後に来ているわけだが……。


 どうせ、このまま突き進んだところで海食崖かいしょくがいにぶつかる。

 下までおりるスロープはあるものの、たとえ浜に出たところでサーフィンを楽しんでいる酔狂な者もいまい。したがって助けは乞えない。

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