1.異形のストーカー
――見ちゃダメ! 見ちゃうと死んでしまうのよ!
――わかってるんだけど……。わかってるんだけど、ふり向きたい誘惑に負けそう!
――麻衣、よりによって今夜、外に出たのは自分に落ち度があるんじゃない。いまさら悔いても遅い。とにかく、逃げることだけ考えて!
――なに、アイツの威圧感。ふつうじゃない! いったい、私のうしろを追ってくる奴って、なんなの?
葦原 麻衣は、夜の都道211号線を走っていた。
ここは伊豆七島のひとつ、新島――。
右側には丈の高い植栽があって見えないが、少し向こうに新島空港の滑走路が並行して伸びていることを知っていた。2,300人の人口+観光客の数しかいない島の夜とはいえ、等間隔に街灯がならび、赤々とあたりを照らしていた。
麻衣は致命的な判断ミスを犯していた。
こんな異形のストーカーに追われているならば、211号線を西に走るべきだったのだ。すぐ道沿いに警視庁新島警察署があり、いくらでも助けを求められたのに……。
このまま東に逃げたところで、民家はほとんどなく、しまいには海岸線にぶつかる。そこから先、北と南にも集落はない。自ら窮地に陥ろうとしていた。
左は森になっており、木々が生い茂ったり、場所によっては藪が歩道にせり出している。むろんそちらへ足を踏み入れたら、ますます相手の思うつぼである。道路から逸れることはしなかったが……。
おかしい。
右側に点在する施設や民家は、ことごとく灯火が消えているのはどういうわけか。
今日は1月24日。毎年恒例の物忌みの夜である。新島のみならず伊豆七島では、今夜と、明日25日は特別の日ではあるのはたしかだ。しかしながら、言い付けを守らない人だっていないわけではないのに……。
走る麻衣に対して、5メートルほど背後に、異様な気配がつきまとう。
ふりきることができない。これでも高校時代、陸上部に所属していたのだ。短距離よりも長距離を得意としたのでスタミナには自信があった。
幸いスニーカーを履いていたのは正解だった。東京で暮らしているときはハイヒールばかりだったし、まさか父の葬儀に出席したときの恰好で、外に出なかっただけよしとするしかない。
24日の夜はあれほど外に出るなと、島の年寄りたちから口を酸っぱくして言われたものだ。
いまさらながら言い付けを守らなかったことを後悔せずにはいられない。
よもや海難法師が現れ、つけまわされるとは!
祖母、祀子の言っていたことは本当だったのだ!
◆◆◆◆◆
そもそも伊豆七島とは――?
相模湾口から南へ大島からはじまり、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島、八丈小島、青ヶ島の順に、ほぼ南北に連なっている。
さらに南下すれば、ベヨネース列岩、鳥島など多数の無人島や岩礁が点在していた。居住者のいる有人島は八丈小島、ベヨネース列岩、鳥島をのぞく9島であり、いずれも東京都に所属する。
このうち式根島、青ヶ島をのぞいた7島こそ伊豆七島と呼ばれ、伊豆諸島全域の俗称としても使われているのだ。
すべての島が新旧の火山から成り立ち、御蔵島のような古い火山島は浸食が進行し、島としては珍しく水が豊富ではある。
ところが一般的に、新しい火山島では水にめぐまれず、近年まで雨水に依存していたところが多い。太平洋の荒波によって海食崖が発達し、平野はかぎられているのが特徴的である。
葦原 麻衣の実家はまさにそのなかの1つ、新島であり、面積は27.83km2と、そこそこの広さだ。
東京から南へ約160Kmの太平洋上にあるこの島には、3つの温泉、海水浴やマリンスポーツ、磯遊びのできるいくつかのビーチがあり、観光業が盛んだ。とりわけサーファーにしてみれば絶好の波が来るとの評判で、島でサーフィンの国際大会が開かれるほどである。
サーファーが集うとなれば、さぞかし若者で賑わうと思いがちだが、それも波乗りに最適な5~6月、もしくは9~11月限定にすぎない。シーズン外は寂れた島だった。
内陸部に入ると、都内ではお目にかかれなくなった農村風景が広がっていた。いくらサーファーと海水浴、釣り目当ての観光客を相手にしているとはいえ、島の暮らしそのものは豊かとは言い難い。
集落は、最大のものが本村と、本村から車で10分のところにあるのが二番目に大きい若郷。くわえて、連絡船ですぐに渡れる式根島である。この式根島も、行政区では新島の一部となっていた。
人口わずか2,300人超ながら、ちゃんと小中高と学校はそろっているし、村役場・警察・消防・診療所の各施設もある。もっとも離島の例に洩れず、過疎化に歯止めがかからず、高齢化率は伊豆諸島でいちばん高いという。
交通機関は飛行場と港が設置され、アクセスするには船便かセスナ便のどちらかとなるわけだ。
伊豆諸島、および小笠原諸島などは、複雑な海底地形と黒潮の流れにより、日本有数の好漁場と知られ、漁業は地域の基幹産業となっていた。
◆◆◆◆◆
『はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……』
大げさなほどの息づかいがすぐうしろに迫る。
ストーカーの、吸うとかすかな喘息まじりの呼吸音がする。ざわざわとたくさんの薄紙がこすれ合うような音までが重なる。
いったい、どんな恰好をしているのか、気になって仕方がない。
そして濃密な磯の香り。オキアミみたいにぷんぷんした。ビタビタビタビタビタ……と、湿った足音で追ってくる。
麻衣は過去に、ストーカーに追われた被害経験があった。暴力こそふるわれはしなかったが。
高校卒業と同時に新島を出て東京で生活しはじめたとき、モデル顔負けの容姿をしていたのと、おっとりした性格もあって、見知らぬ男たちから誤解され、付きまとわれたのである。
しかしながら毅然たる態度で抗議すれば、大抵の男たちはあきらめてくれた。意外な麻衣のギャップに尻込みしたのかもしれない。ややもすると、あしらいの仕方次第では報復が怖いが……。
このストーカーはそんな小物レベルではない。
なにせその姿を直視しただけで気がおかしくなったり、もしくは失明したり、最悪の場合、命を落とすというのだから物騒すぎる。面と向かって、ぴしゃりと言ってやりたかったが、それすらできない相手とは強敵だ。
古来より島には、1月24日の『親だまり』と、25日の『子だまり』の夜は外出してはならない決まりごとがあった。外を出歩くのはおろか、とくに海の方角を見てはいけない古い言い伝えが根付いていた。
本土の人間には理解し難い風習だろう。もっとも最近は厳格なしきたりも緩み、行事も形骸化されているのが実情である。
むろん昔から、どこのコミュニティにも一定数、伝承を信じない者もいたし、観光客だってみんながみんな、真に受けるわけではない。この令和の時代に物忌みの行事とは、いささか時代錯誤もいいところである。まさかホテルや民宿に強制的に留まらせるわけにもいくまい。
新型コロナウイルスが流行している現在だってそうだ。ルール違反をする人間はどこにでもいた。
都道211号線、新島本道から旧道へはずれ、ひたすら西に走った。
いくら郊外とはいえ、言い付けを破った豪胆の者は誰もいないらしい。
行けども行けども、人っ子一人として見当たらない。
麻衣は二つ目の失策を犯していることに気づいた。
こんなときにかぎって、実家にスマホを置き忘れてきてしまったのである。そのせいで110番することもできない。たとえ警察が相手にしてくれなかったとしても、せめて地元の、腕っぷしの強い知り合いにでも救助を頼めたのに……。
もっとも、敵う相手かどうか、かなり怪しい。それほど追いかけてくるストーカーは尋常ではない雰囲気を醸していたのだ。