第五章:歪んだ安息日
―1―
明人の喘息も出ていないし体調も良さそうな事から
僕はお母さんに許可をもらって明人と金倉を散策する事になった。
根岸線、横須賀線を乗り継いで金倉駅に到着する。
朝早くに出たと言ってもやはり紅葉まっさかりの日曜日の金倉。
思っていた以上の人出だ。
「で?明人は何をみて回りたいの?」
僕がポケットタイプのガイド本をぱらぱらめくって言った。
「僕、八幡宮は行った事があるからそれ以外がいいな。
どこかそんなに混んでなくて穴場なところ、お兄ちゃんなら毎日金倉来てるから
知らない?」
「そうだなぁ…ええと…」
ぱらりとページをめくったところで手が止まる。
見覚えのある寺の写真があったからだ。
「ん?なになに?」
明人がガイド本を覗き込む。
「あ、竹寺だってー!お抹茶飲めるみたいだよ!!僕行って見たーい!!」
明人がはしゃいで見せたが僕は内心心臓がどきどきしていて
呼吸が浅くなっていた。
浄国寺…
そう…このお寺の先には…
僕が昨日出かけていた、あの羽鳥邸があるのだ。
「ほら!お兄ちゃん!バス来てるよー!!」
明人は興奮気味にバスロータリーの方へ歩いていくと
今入って来たばかりのバスを指差した。
「あ!アキ、待って!!一人で勝手にいかないでよ!!」
慌てて弟の後を追った。
―2-
バスはなんとか座れるほどの混み具合だった。
一番後ろのロングシートに二人腰を下ろして座る。
そうだな…確かに…バスの移動は賢明かもしれない。
明人をあまり長時間歩かせて体に負担を掛けさせたくなかったからだ。
でも…これから向かう場所への不安は、あった。
お寺から先、足を延ばしてあの洋館に行ってみようか?
入口を見るだけでも?
もし、もし車が止まっていたのなら
誰かが居るって事であって…
昨日のあの、よくわからない悪夢は終わっているという事になる…
そう…
羽鳥先輩がベッドで仰向けに横たわって人形のように固まっていた状態が
解消されているに違いない、
そうであってほしいと僕は小さく祈っていた。
「おにーちゃん、さっきからブツブツ何呟いてるのぉ~?」
「え?」
「お兄ちゃんって独り言多いよね?面白い!」
「あ…いや…そんなつもりは…。
で?そのお寺でお抹茶がいただけるって?
明人お抹茶頂いたことあったっけ?」
話を逸らして見せた。
やがてバスは浄国寺の最寄りのバス停に停車した。
明人はぴょんぴょんと上機嫌そうにはねながら先を行った。
昨日歩いたばかりの道を再び次の日に辿る事になるとは…。
なんとも複雑な気持ちでいっぱいだった。
境内に歩を進め受付で入場券を購入し
さらに中へと入ると
「わぁ!!」と明人と同時にため息を漏らした。
そこには竹林が広がっていたのだ。
朝の柔らかな光を受け青い竹林は優しく僕らを出迎えてくれた。
すかさず明人は自分のスマホを取り出すと
竹林をパシャパシャと写真を撮って歩いた。
「ほら、明人!足元気を付けて?
お抹茶こっちで頂けるって!」
「あ、はーい!!」
受付で購入していたお抹茶の券を渡し、席に案内される。
竹林を正面に見渡しながらお抹茶がいただけるように席が長い横椅子型になっていた。
温かいお抹茶と干菓子が乗ったお盆がやってきた。
「わーい!美味しそう!いただきまーす!!」
明人は嬉しそうにまずはお干菓子を口に放り込んだ。
その様子を見届け
僕も温かいお抹茶の入った器を両手に持ち、一口啜った。
思ったよりも苦くなくてとても飲みやすい。
ザワザワザワザワッ…
竹林の枝が風に揺れた…
ああ…何だろう…
なんだか、とても、
心が、
落ち着く…
昨日今日と心がとてもあわただしくて
一体自分がどこにいるのか、何をしているのか
大切なものを見失いそうになっていたけれど、
きっと「今」が現実でなんだ…。
隣に居る明人も間違いなく生きていて
これは、夢ではない。
夢じゃ、ないんだ。
なんだろう…
心が凄くほぐされるって言うか…
癒される…
なんとなく…
泣きそう…。
「どうしたの?」
僕が目をウルウルさせていると明人が顔を覗き込んできた。
「おにーちゃん、なんか変だよ?昨日から…。
もしかして具合悪いの?」
いつもは明人の方が病人なのに
今回は逆に僕の方が明人に心配されてばかりだ。
なんだか、情けない。
「ううん、なんでもないよ。
よし!次は…ちょっとお兄ちゃんに付き合ってくれる?」
「うん、いいよ!」
お寺を後にすると
僕らはバス停には戻らず
さらに奥へと歩を進めていく。
「?この先何があるの?普通の住宅街みたいだけど?」
明人が少し不安そうになって聞いてきた。
「お兄ちゃんも少し不安なんだけどね、だけど今は明人が居るから無敵!」
「うん?」
何もわからず小首を傾けた明人であった。
やがて、見えてきたその館に僕は息をのんだ。
間違いない。
昨日と同じ館がそこにはあった。
が、今朝は入口の門が閉まっている。
門の格子の隙間から中を覗き込んでみたが
車は昨日と同じく、ない。
人の気配、ナシか…
「おにーちゃん、ここどこ?誰かのお家?」
「う、うん。ちょっとね。
でも、もういいんだ。
帰ろう」
そういって踵を返そうとしてなんとなく見た表札の文字にハッとして
思わず体が硬直してしまった。
え?
ええ???
僕の異変に気付き明人はいぶかし気な表情を作って見せた
「…お兄ちゃん???」
「いや…だって…」
表札の名前が…
“羽鳥”ではないのだ。
え?
もう一度目を凝らしてみた
“水澤”とある。
「…みず…さ、わ???」
「誰?」
すかさず明人が聞いてきたが
それは僕だって聞きたい事だった。
な…なんで表札が“羽鳥”じゃないんだ?!
昨日は確かに“羽鳥”だったはず。
それがたった一日で変わってしまうなんて…ありえない!!
「おにーちゃん、もう行こうよぉ~!」
すっかり退屈した明人が僕の腕を引っ張ったので
仕方がなく僕もバス停の方へと戻り出したが
心は後ろを向いたままだ。
誰?
水澤って、誰?
聞き覚えのない苗字…。
では、一体羽鳥先輩はどこへ?
どうなってしまったというのだろう…。
全く意味が解らない。
バス停に着くとすぐに金倉行きのバスがやってきたので
乗り込んだが
僕は車窓に張り付いたまま
元羽鳥邸に続く道を見つめたままだった。
「ねー…お兄ちゃーん。
どうしたの?
なんか、ずっと変!
昨日も変だったけど、今日はもっと変だよ?」
「うん?いや…なんでもないよ…なんでも…」
「さっきのお家誰のお家だったの?」
「え?ああ…知り合いがあの辺に住んでいたはずなんだけど
表札が知らない苗字だったから…お兄ちゃんの勘違いだったみたい」
「なーんだ。」
そういって明人は次はどこへ行こうとガイドブックのページをぱらぱらとめくった。
―2-
明人の希望で八幡宮前で降り
若宮大路を駅に向かって歩こうという事になった。
人出も先ほどよりさらに増えてきて歩きづらくなっていた。
ここより細い小町通りに行ったらもっと混んでいるだろう。
「あ!見てお兄ちゃん!!鳩サブレーのお店だ!!
中見て行こうよ!!」
「うん」
ガイドブックを見るとここがあの鳩サブレ―で有名な豊島屋の本店になるらしい。
中に入るとたくさんの観光客でごったがえしていた。
商品ケースを見るのも一苦労だ。
「わ~!カワイイ!!」
明人が目を付けたのは小さな鳩の形をした落雁だった。
「おにーちゃん!これ買って!!」
「いいよ。」
店員さんに声をかけてお会計を済まし商品を受けとる。
「さ、明人…。
あれ?アキ?」
人が多すぎて明人を見失ってしまったらしい。
「アキ?
…明人?」
仕方がなく探して回る。
流石に店からは出ていないだろう。
しかしなかなか明人の姿を見つけることは出来なかった。
おっかしいな…
次第に焦り出す。
と、
商品ケースの前に立つ少年に目が行った。
バックの形をした鳩サブレ―の入った箱を店員から受け取り
幸せそうな表情をしている、
明人。
え?
明人、お金なんて持ってたっけ?
「アキ!」
なんとかそこまでたどり着くが
思わず足が止まる。
異変に気付いたからだ。
ねずみ色のパーカーに黒のスラックス…
え?
明人じゃない…
明人は今朝お母さん手編みのセーターにジーパンだったはず…
…まさか!!
するとパーカーに黒ズボンの少年は
こちらに気づき、一瞬僕と目が合った
が
何事もなかったかのように
店の外へと出て行ってしまった
「……紫苑君…?」
「おにーちゃん!!」
腕をガシッとつかまれハッとする。
「あ、明人!どこ行ってたの!?探してたんだよ!!」
「向こうにカワイイグッズがあったから見てたの。」
「もういいよ、ほらお菓子買ったから!
とりあえずここから出よう!」
「うん」
店の外に出ると二人でふーっと思わずため息をついてしまった。
「ここは鎌倉巡りの定番スポットだからね。
流石に混んでるなぁ~」
「うふふ!その鳩の落雁食べるの楽しみ!!」
明人は嬉しそうに僕の腕にしがみついて見せた。
「さて…
いい時間になってきたしお昼ご飯食べれるところ探そうか?」
「うん!」
―3-
さほど混んでいなかったファストフード店を選んだのは正解だった。
観光客が入ってこないからだ。
おかげでゆったりと食事することが出来た。
金倉ならでは!というのはなかったけれど僕らは
これで満足だ。
最寄りの本郷坂駅へ着いたのは午後1時になろうかとしていた。
あまり密度は高くなかったが
明人は大満足だと言って喜んでくれたので良しとしよう。
それに僕にだって大収穫だと言っていいほどのものが得られた。
あとで入間に連絡しよう。
最寄り駅からは徒歩15分ほどだったが
明人が電車の中で眠ってしまって
駅から自宅まで歩くのがしんどそうだったので
タクシーを使って帰った。
帰宅するとすぐに明人は
リビングのソファに横になって眠ってしまった。
よほど疲れたのだろう。
普段電車で移動なんて滅多に明人はしないし。
僕は明人が寝息を立てて気持ちよさそうに眠ったのを見届けてから自室へと向かった。
階段の踊り場のステンドグラスからキラキラしたカラフルな光が漏れている。
穏やかな午後だった。
部屋に入りドアを閉めると
スマホを開いた。
するとLINEメッセージを1件受信していた。
入間からだ。
昨夜打ったメッセージへの返事だった。
「射川、今日はお疲れ様。
指輪が石化?なんだろう、それ。
とりあえず俺の周りでは変化なし!
月曜日会おう!」
そうか…入間の周りでは変化、なし…か…
そうだ!
今日あった事メッセージした方がいいよね?
早速僕はメッセージを打ち込む
「今日明人と金倉散策に行くついでに
羽鳥先輩の家の前に言ったら表札が羽鳥から「水澤」に変わってた。
一体どういう事だろう?
それから
豊島屋で紫苑君と思われる人物と遭遇したよ!
一瞬目が合ったけど向こうは気にせず行っちゃった。
なんだったんだろうね。
明日話そう。」
メッセージを送信すると
ふーっとため息を一つ付いた。
明日は一体何が起こるのだろう?
今日も何気に盛りだくさん色々なことが起こったような気がするが…
明日はこれ以上にたくさんの事を得られそうな気がしていた。