地球最期の艦隊
「敵艦隊の射程距離内まであと70分!」
地球連邦防衛艦隊旗艦のブリッジ内に、索敵担当の若い女性士官の澄んだ声が響き渡った。
司令席に座った提督は、片手であごをさすりながら、正面のモニターをじっと見つめている。モニターには、戦略シミュレーターの解析結果が表示されており、敵撃破数の欄には3、味方残存数の欄には0の数字が表示されている。12時間以上前から、考え得る限りのありとあらゆる隊形、加減速度、武器発射時期等を組み合わせた戦術を入力しているが、この数字以上に高い戦果を出すことができなかった。
総勢約20000人の将兵を乗せた54隻の戦闘艦から成る、地球人類に残された最後の艦隊。それを犠牲にしてもたった3隻の敵艦しか道連れにできないとは・・・。
深いため息をついた提督を見て、横にいた副官がしわがれ声で話しかけた。
「提督、やはり3以上の数字は出んかね」
7歳年下の提督に対し、副官はいつも敬語を使わなかった。
「彼我の射程距離の差が大きすぎる。可能な限り密集し全開加速で接近しても、こちらの射程距離内に入るまでに約70%の艦が戦闘不能になる計算だ」
「待ちかねていないで、今から加速を開始してはどうかね」
「副官、私は自分の任務を、人類を1秒でも長く存続させることだと理解している」
「多分そうでしょうな。ま、提督はあんただ。しかし、よりにもよって、人類がカニどもに滅ぼされるとはな」
副官は、吐き捨てるように言って、自分のモニターへと顔を向けた。
3年前、人類の調査船が、その惑星に降り立ったのは全くの偶然であった。数億年前に干上がった川の模様がアルファベットのFによく似ていたことが艦長の関心を引き、「ちょっと降りてみよう」の一言で寄り道することになったのである。惑星自体に何らの有用性はなかったが、調査船のセンサーが、Fの字の中心部付近に強い金属反応を探知した。それは直径が1メートルほどの完全な球形をした鉄であった。自然界において完全な球形が形成される可能性は極めて低い。しかも、鉄は100%安定した単一の鉄原子で構成されていた。この組成は自然界では絶対にあり得ないものである。
人類は、初めてエイリアンの組成物と対面したのであった。
人類史上に残るであろう大発見に、艦長や調査員たちは大はしゃぎで鉄球を調査船の貨物室に運び込んだ。エイリアンのセンサーが鉄球の移動を関知し、ハイパースペース送信で信号を発したことを調査船のクルーは誰も知ることはなかった。
調査船は3日間その惑星周辺に留まり、惑星のデータ収集を行った。データ収集が終わり、地球に向けてハイパースペース航行に入る直前、エイリアンの巨大な戦艦がハイパースペースから現れ、一撃で調査船を真っ二つにした。鉄球は回収されて元の位置に戻され、調査船とクルーは両方ともバラバラに解体されて分析された。
半年後、人類の最も外縁部に位置する植民星系が、数千隻のエイリアン戦闘艦隊に襲撃され連絡を絶った。地球連邦は、大慌てで戦闘艦の製造を開始したが、艦隊を編成するいとまもないうちに次の星系にエイリアン艦隊が現れた。しかし、今回エイリアン艦はビーム兵器や反陽子ミサイルといった強力は兵器は使用せず、人類の居住惑星に向かって数百個のポッドを射出した。ポッドは、大気圏内に入ると分解して内部のガスを放散した。10時間後、惑星上の生き物のうち、人類だけが仮死状態となり、悠々と降着したエイリアンのシャトル内に運び込まれた。連れ去られた住民たちのその後については、想像するしかなかった。
宇宙服に身を包んだエイリアンの姿が自動カメラによって録画され、超高速通信で地球に送信された。宇宙服はどこも不透過で中のエイリアンの姿は見えなかったが、平べったい体躯と細い4本足、4本の手、2本の触覚からは、人類とは似ても似つかない存在であることが明らかであった。
3番目の星系にエイリアン艦隊が現れたとき、人類は丸腰ではなかった。新たに建造された戦闘艦約1000隻、それに一般の輸送船や客船に武装を施した改造船約3500隻が迎え撃った。エイリアン艦隊と人類艦隊との艦船数はほぼ同じ。エイリアン艦のビーム砲、反陽子ミサイル、プラズマ砲といった兵器に対し、人類艦はレーザー砲、核ミサイル、劣化ウラン弾レールガンで応戦した。
その戦闘で最後の人類艦が破壊されたとき、エイリアン艦隊は92%が残存していた。
そしてまた、その星系の人類居住惑星にポッドが投下された。
植民星系は一つずつ占領されていき、その最終的な目的地が地球であることは明白であった。人類は所々で敵を迎え撃ったが、科学レベルの差は明らかであり、地球艦隊は全滅と撤退を操り返した。
全くの偶然からエイリアンの偵察艦が人類艦隊の直近にワープアウトして来なかったら、エイリアン艦隊襲撃の理由と連れ去られた住民のその後は、永遠の謎となっていたことだろう。人類は、戦闘艦3隻と引き替えに、大破したエイリアン艦と生きたエイリアン3匹を捕獲したのである。
エイリアンはどこから見ても巨大なカニであった。事実、彼らは甲殻類のような先祖から進化した、脊椎を持たない無脊椎動物であった。
通訳装置を通して彼らから得た情報は驚くべき内容のものであった。
最初の調査船が降着した惑星は、エイリアン種族にとって「聖なる印しのある聖なる星」であり、置かれていた鉄球は「神との契印」であった。Fの模様は、上下を逆さまにすると、彼らが崇拝する神のシンボルであり、初めて発見されたときからこの惑星は不可侵とされ、以後崇拝の象徴となった。そして、彼らの教典の一節には「聖なる場所、神との契印を破る異教徒がいれば、これを根絶やしにせよ」との一文があったのだ。
教王を総司令とするエイリアン艦隊は、異教徒討伐のために発進した。最初の星系はこれといった抵抗もなく、あっさりと沈黙した。降り立ったエイリアンたちは、そこら中に散らばっている人類の死体を見た。それは、彼らが主食とする、猿によく似た脊椎動物の刺身を連想させた。テスターで調べると、人類の肉に毒性がないことがわかり、冒険心に富んだエイリアンの何匹かが試しに口に入れてみた。味といい、歯ごたえといい、猿のそれとは比較にならないほど美味だった。さらに何匹かのエイリアンが、拾った人肉を煮たり、焼いたり、フライにして調理した。どの料理も最高だった。
2番目の星系を襲撃しときには、エイリアン艦隊の兵員全員が人肉の虜になっていた。仮死状態で積み込まれた住民を、エイリアン兵は我先にと奪い合って口に入れた。生きたままの生が一番旨いという結論が出た。士官の何人かが、繁殖用に残しておけと命じたにもかかわらず、航行中に全て食い尽くされてしまった。
この話をした後、捕虜のエイリアンは調べ官に向かってこう言ったという。
「じき、我らが聖なる艦隊が来る。可能な限りお前たちは生きたまま捕獲される。お前たちを食べるのが楽しみでたまらない」
「敵艦隊の射程距離内まであと60分!」
提督は、もう一度作戦のおさらいを始めた。フットボール型の密集隊形のまま、敵艦隊の射程距離に入る間際に全速航行に入り、一直線に敵艦隊中央に突入する。こちらの兵器が使用可能になるまでに、何とか艦隊の40%が生き残っていれば、敵艦を10隻近くは屠れるのだが・・・。
提督は、ちらと地球上にいる妻と子供たちを思い出した。今頃は、家のテレビで我々の艦隊と敵艦隊とが対峙する映像を見ていることだろう。
地球連邦政府は、圧倒的多数の可決により、防衛艦隊全滅後の人類集団自決を決めていた。一部の反対はあったものの、生きながらカニどもに喰われることを考えればその前に自殺すべきだとの意見に圧倒された。政府は、世界中の人類1人ずつに、純度の高い硫化水素ガス入りのボンベを配布した。ボンベには、無線関知型のロックがかかっており、地球防衛艦隊が全滅し最後の希望が途絶えた後、ロックを解除する電波が世界中に送信される予定となっていた。
提督は、若い母親が幼い自分のこどもの顔にボンベを向けてから、ついでそれを自分の口にくわえる場面を想像した。そして、エイリアンのガスが大気中に蔓延し、人気の無くなった町中を、宇宙服に身を包んだ陸軍兵士が突撃銃を持って歩き回り、ボンベを吸うことを拒否し仮死状態となっている住民を見つけ次第、頭をレーザーで撃ち抜く光景を見た。その兵士自身、エイリアンのシャトルが降りてきたときには、自分で自分の頭を撃ち抜くのである・・・。
そこで提督は、夢想からはっと我に返り、予定の時間がきたことを知った。
「通信士官、全艦隊に連絡」
「了解、マイク接続します」
提督は、ブリッジにいる士官全員を見回してから、目の前のマイクに向かって語り始めた。
「地球連邦防衛艦隊の将兵諸君、事態は君たちも知ってのとおりだ。夢や希望にすがるのはやめよう。現実をありのまま受け止めよう。我々の命は、あと1時間かそこらで終わる。そして350万年続いた人類の歴史も終わる。しかし、最後の瞬間まで自分に課せられた使命を果たせ。持てる能力の限界以上を発揮しろ! そして我ら偉大なる人類の力と意志をカニどもに示し、カニどもの歴史に永遠に語り継がれる恐怖感をやつらに植え付けてやれ! 神がともにあらんことを!」
ブッリジ内の士官はもちろん、全艦の艦内で大歓声が上がり、それは巨大な戦闘艦を揺るがすほどに感じられた。ある者は腕を振り上げて雄叫びを上げ、ある者は近くの者と抱き合い、ある者は涙を流しながら神に祈った。
「敵艦隊の射程距離内まであと50分!」
この声の女性士官は幾つだろうと、提督は思った。人類はエイリアンとの戦争など全く予想しておらず、宇宙空間で戦闘のできる艦船など1隻も無かった。当然宇宙軍も存在せず、開戦初期の将兵は全員連邦空軍、陸軍からの転用であった。そして、その後の戦闘で将兵は消耗を重ね、転用組の士官で生き残っている者はほとんどいない。新たに任官されてくる士官たちは、大学出たての20代前半の者たちばかりだ。
「通信士官」
「はい、提督」
「地球との通信ビーム接続に支障はあるか」
「現在、接続に物理的な障害・妨害ともにありません」
「よろしい。ではビームに民間回線を割り込ませろ。今から10分間、全艦の将兵に個人通話を許可する。」
ブリッジに再び歓声が上がった。みな一斉に個人セルラーの電源を入れ、自分が想う一番大切な人に電話を入れた。10分間とはいっても、月軌道より遠くに離れた位置では電波の到達時間のラグが大きく、実質はその半分程度しかなかった。
副官が、提督をにらみつけるようにして言った。
「戦闘行動中の私用通信は軍規違反ですぞ。当然知っているとは思うが」
「もちろん知っているとも副官殿。戦闘終了後、もし君と私が生きていたら、私を告発して軍法会議にかけてくれてかまわん」
そういうと提督はにっこりと笑って見せた。副官は、フンと鼻を鳴らし、自分の端末で告発文を入力し始めた。
「敵艦隊の射程距離内まであと40分!」
電話を終わったばかりの索敵士官の声は、かなり上擦っており、直前まで泣いていたことが明らかだった。
提督は、再びあごをさすりながら言った。
「索敵士官、敵情報告をせよ」
「了解、現在敵艦隊の艦数は1620。隊形は、展開したほぼ球形。速度M550。加減速、方位偏向ともゼロです」
「艦数比率はちょうど1対30だな」
提督はそう独り言を言ってくちびるを噛んだ。同数でさえ全く勝ち目のない敵に、30分の1の数で挑まなくてはならない。艦隊将兵から地球上の人々まで、まともな精神状態の者は誰1人としてこの戦闘に勝てるとは思っていない。しかし、提督は、死ぬ間際の人々に、1隻でも多くの敵艦が爆発して消え去る様子を見せたかった。その方法があるならば、どんな犠牲でも払ったであろう。人類絶滅を前にして、犠牲も何もあったものではないが。
人並みはずれた強い精神力を持つ提督にあっても、現状における精神的抑圧感は過大なものがあった。
「もう結末などどうでもいいからおれを解放してくれ!」
そう叫んで腰の銃で自分の頭を撃ち抜きたかった。
「だが、もしそうしたら、おれの代わりに指揮を執るのは誰だ」
そう自問したとき、自殺の考えは吹き飛んだ。あの馬鹿副官に人類最後の艦隊指揮を任せるなど、あの世でご先祖様に申し訳が立たない。
「敵艦隊の射程距離内まであと30分!」
「全艦戦闘準備!」
提督のこの命令で、全ての艦載兵器のセーフティーロックが解除され、艦のエネルギーは兵装最優先モードに切り替わった。砲術配置員は担当武器の発射制御席に着き、主動力炉配置員はメインエンジンの制御室に入り、工兵は艦のあちこちにある待機室で艦が破壊された際の応急措置に備えた。
「地球司令部より緊急入電!」
通信士官の緊張した声がブリッジに響いた。
提督は、突入時の艦隊隊形の最終調整で頭がいっぱいであった。
「内容を要約し、要点を報告せよ」
これは異例の命令であった。本来司令部からの緊急電は、提督が直に原文を読まなくてはならないものである。だが、若い通信士官は、柔軟に対応し、通信文を読み上げた。
「至急連絡第4報。鹵獲した敵偵察艦に搭載のコンピュータ解析が終了。ハードは地球より概ね3世代先行。計算速度は地球最速の3990倍・・・」
「概要は必要ない。結論だけでいい」
提督にしてはめずらしく、ぶっきらぼうにそう言った。ここまできて敵艦のコンピュータデータなどどうでもよかったからだ。
「失礼しました。結論、敵戦略・移動・攻撃・防衛プログラムにバグ発見」
提督は、モニターから顔を上げ、通信士官に顔を向けた。
「バグ内容の詳細を報告せよ」
「敵艦が共通して搭載するコンピュータのプログラムに重大なバグを発見。敵艦が艦の内外に装備する重力・電気・光学・素粒子等いずれかのセンサーが『通常空間内を超光速で移動するもの』を認識した場合、OSがシステムダウンし、艦は制御不能に陥る」
提督は、モニターから目を離し、しばらく考え込んでから聞いた。
「制御不能になる時間はどれくらいだ」
「非常に複雑なOSであり、また稼働中の再起動は全く考慮されていないようで、完全復帰には最低で45分かかるものと予想されます」
「くだらん。全くもってくだらん。司令部も技術部もバカしかいないのか。通常空間内を光速より速く移動できるものなどないことは、10世紀以上も前の中世に、何とかっていうベロ出し科学者が言ってるくらいではないか」
副官のしゃがれ声が2人の会話に割って入った。ブリッジに居並ぶ士官たちが、提督と副官、それに通信士官との顔を見比べた。
提督は、副官の発言を無視し、シミュレーターに幾つかの数値を入力しながら言った。
「索敵士官、敵艦隊の動きに変化はあるか」
「ありません」
「今後変化を探知したらすぐ報告しろ」
「了解」
「兵装士官、各艦搭載の主レーザー砲塔で一番遅いものの回転速度はどれくらいだ」
「はい、商船改造型が搭載しているもので、秒速700度です」
「わかった。それだけあれば充分だ」
提督は、質問を続けながら次々とシミュレータに数値を入力した。
「敵艦隊の射程距離内まであと20分!」
「全艦、回頭! 旗艦に続け!」
提督が初めて怒鳴り声を上げた。
「操艦士官、月の陰の側に向かって全速航行開始!」
提督の命令で、防衛艦隊の全艦が一斉に艦首をほぼ反対側に向け、地球に戻る形で、月に向かって加速を開始した。
「操艦士官、敵艦隊が攻撃可能距離まで接近したとき、我々からも敵艦隊からも月の陰の部分が最大になる位置を計算し、そこに全艦を誘導せよ」
妙な命令に操艦士官は戸惑ったが、必死になって計算を始めた。
「兵装士官、全艦の主レーザー砲を旗艦のそれと完全に同期させることは可能か」
「はい、密集隊形を維持し、通信ラグが最小であれば問題ありません」
「よし、全艦の主レーザー砲を旗艦と同期せよ。旗艦の主レーザー砲コントロールをこちらに寄こせ」
「いったい何をしようとしてるのかね」
さきほどから何がなんだかわからないふうの顔をしていた副官が言った。しかし、提督は、副官の発言を完全に無視し、じっとモニター画面に見入ったままであった。
「敵艦隊、加速開始! 方位偏向! こちらの動きに合わせて追尾行動を開始しました!」
索敵士官が、命令に忠実に敵艦隊の動きの変化を報告した。
「操艦士官、索敵士官、ともに連携して艦を誘導しろ。黒い月が最大になる場所だ」
「敵艦隊の射程距離内まであと10分!」
提督は、司令席のモニターに映った月の画像をじっと見つめながら、主レーザー砲と直結されたジョイスティックをあちらこちらに動かした。
「いったい何をしようとしてるのか、さっきから聞いているんだがな」
明らかに不機嫌な様子を隠さず、副官が聞いた。
「悪いが少し黙っていてくれたまえ」
提督は、それだけ言ってジョイスティックの動きの調整に集中した。
「敵艦隊の射程距離内まであと05分!」
「レーザー砲発射」
提督は、そう言ってからジョイスティックの発射トリガーを押し、スティックを素早く右から左、左から右にと傾けた。防衛艦隊の全艦から発射された極度に収束された強力なレーザーの束が、月の表面わずか直径10メートルの範囲内に集中して照射された。照射された月面は、太陽と反対側の陰の部分であったため、明るく白く輝いて光を反射させ、ジョイスティックの動きに合わせて右に左に光点を移動した。
「く、狂ってる。月にレーザーで落書きするとは、提督、どういう作戦ですかな?」
副官の濁声がブリッジに響いた。
提督は、黙ったまま、モニターを見ながらジョイスティックの動きを早めていった。
副官が怒鳴った。
「連邦軍規第60条に基づき命ずる。本官は、提督が精神錯乱によって作戦遂行不可状態になったものと見なし、提督の指揮権を剥奪し、その権を一時的に引き継ぐものとする。警備兵!」
ブリッジ内にいた、2人の完全装備警備兵が前に出た。
「前提督を拘束し、営巣に監禁しろ。抵抗した場合は射殺して構わん」
2人の警備兵は、互いに顔を見合わせた。
「何をしとる! これは命令だ! 従わないならお前らも監禁だぞ!」
渋々ながら、警備兵は銃を向けて提督に近づいた。提督は、我関せずで、熱心にジョイスティックを右に左に動かしている。
「提督、申し訳ありませんが、両手を上げて立ってもらえませんか」
「警備兵! そんな言い方でどうする! さっさと連れて行け!」
怒った副官の声がブリッジに反響する。
「今から俺が指揮官だ! 操艦士官、全艦を敵艦隊に向けて回頭。全速航行で敵艦隊のまっただ中に突入せよ」
そのとき、通信士官が声を張り上げた。
「敵艦隊から全てのエネルギー放射停止!」
次いで索敵士官の声が響く。
「全敵艦、運動停止、慣性運動に移行!」
提督は、ようやくジョイスティックを操る手の動きを止めた。
「警備兵、副官を反逆罪で営巣に入れておいてくれ。抵抗した場合は捕虜のカニに喰わせて構わん」
今度は、警備兵は喜んで副官の逮捕に当たった。両脇を警備兵に捕まれ運ばれながら、副官は怒鳴った。
「なぜだ? なぜ月に落書きして敵艦隊が止まった?」
「アインシュタイン博士が1100年前に提唱されたとおり、物質も波も通常空間において光速を超えることはできない。だが、擬似的になら光速を超えたように思わせる方法が一つだけある。それは強力な光で、反射を得られる遠い空間を照らし、光源を素早く移動させることなのだよ。レーザー砲先端部の運動速度は時速数十キロ程度でも、数十万キロメートル離れた月面では光速を超える。カニどもの光学センサーが繊細であればあるほど、その光を関知する可能性があると思ってそこにかけたわけだ」
副官は、ただでさえ大きな口をあんぐりと開けたまま、ブリッジの外に運ばれて行った。
「操艦士官、前副官の命令を続行せよ」
ここで提督は、注目しているブリッジの若い士官たちに笑顔をみせてから言った。
「全艦に告ぐ。射程距離に入り次第各個撃破に移れ。神は我々を選ばれたのだ!」