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代り映えしない夜

代り映えしない夜

 ここは、どこかの屋上だろうか。曇り空が近くに見える、灰色の建物の頂上に立っている。

「──どこに繋がってるのかな」

 ふと、どこからか声が聞こえた。誰だかは分からない。女子の声だ。

 声の主を探すために振り向こうとした瞬間、足元の感覚がなくなった。視界が急転して、建物の側面が残像を描きながら上に流れていく──落ちてる?

 直ぐに灰色の建物は見えなくなった。代わりに緑が視界を覆う。ガサガサと音がする度、背中になにかが擦れる感触が伝わる。どこかで鳥の鳴き声も聞こえた。

 それにしても、いつまで落ちているのだろう。もうずっと落ちっぱなしだ。

 そう思った瞬間、鮮明なイメージが脳裏に浮かんだ。

 苔むした地面がもの凄い速度で迫っている。

 落ちる!

「──うわあっ!」

 地面に叩きつけられたような気がして、翼は飛び起きた。しかし、今自分の目に映っているものがなにかを理解して、それが夢だと気づく。ここは、割り当てられた宮殿の部屋だ。そこの机に向かって座っていて、慣れないことをした疲れから眠ってしまったのだ。

『ちょっとなに?どうかしたの?』

 スピリィも驚いたのだろう、何も見えない虚空から声だけで尋ねる。

「あ……いや、なんでもないです……」

 いつの間にか唇の端から垂れていた涎を拭いながら、翼は考える。

 今の夢はなんだろう?どこからか──いや、多分あれは僕が通っていた中学校だ──落ちる夢だった。僕が落ちたときの夢?違う。森には落ちていないはず。

「…………?」

 しばらく考え込んでも、翼にはその答えは導けない。彼はそれ以上考えることを止めた。多少おかしいのは、夢にはよくあることだし、彼がこの夢の意味を知るのは、もう少し後でいい。

『それよりも、貴方、いつまでも寝てていいの?さっきから人を待たせてるわよ』

「え?」

 スピリィにそう言われて、翼は慌てて振り向く。果たしてそこにはスケプトが直立不動で立っていた。

「うわあっ!」

 ジャーキング現象よりも、知らぬ間に背後に人が居たことの方が翼にとっては驚きだった。失礼なほどに声を上げて飛び上がってしまったが、スケプトはそんなことには眉一つ動かさず、あくまでも恭しく一礼する。

「お目覚めになられましたか、我らがクリストよ」

「あ……はい、すみません……」

「構いません。あれほどのご活躍をなされたのです、お疲れになるのも尤もでございます」

「活躍……?」

 そう言われても、翼にはピンと来ない。それもそのはず、ゴーストライターにおんぶにだっこで一演説うった翼は、そのあと直ぐに天幕に戻され、緊張の糸が切れた所為と鎧が重い所為でずっと船を漕いでいたのだから。正直に言って、ここに戻って来て、馴染んだ学生服に着替え、机に突っ伏した経緯すら満足に思い出せないでいた。

「ええ。我らがクリストの御威光のおかげで、我が軍はヴァイサルに対し快勝を収めることが出来たのですから。これまで、負けない戦いは出来ても完全に打ち負かすことは難しかったことを鑑みれば、大躍進でございます。これも、ひとえに我らがクリストが兵士たちを鼓舞し、御加護を授けて下さったからに他なりません。陛下からも、篤くお礼を申し上げるよう仰せつかっております」

「それは……よかったです、ね……」

 スケプトの喜びように対して、翼の反応は冷たいままだ。彼には、未だに自分がなにをしてどんな結果をもたらしたのかが分からない。しかし、その温度差はスケプトには伝わらなかった。

「ところで、もう夜分遅いですが、夕餉はお召し上がりになりますか?」

「へ?」

 スケプトの口から出た夕餉という言葉に翼は違和感を覚えた。記憶が正しければ、彼は朝食は食べたが昼食は食べていない。昼餉の間違いではないのか。

『貴方、昼前にここに戻って来てからずっとそこで寝てたのよ』

 慌てて窓の外を確認すると、確かに外は暗い。これほどの間眠りこけたことのない翼からしたら信じがたいが、事実らしい。

 そうなると、あまりお腹は空いていないけど夕食は食べた方がいいだろう。流石に二食も抜いてしまうのはよくない。こういうところでは健康意識の高い翼はそう考えた。

「あ、じゃあ頂きます」

「畏まりました」

 スケプトが一つ手を鳴らすと、示し合わせていたかのようなタイミングの良さで扉が開く。朝と同じようにして夕食が並べられると、スケプトはお辞儀をして出ていった。

「お召し上がりになりましたら、外の者にお渡し下さい。また、参謀部はこの勝機を逃すべきではないとの意見で、明日も出陣するようです。その際には再び我らがクリストの御助力を頂くこととなりますので、どうぞごゆっくりお休みになって、英気を養われて下さい」

 扉が重々しい音を立てて閉まり、部屋には翼とスピリィの二人だけになる。翼はようやく肩の力が抜けた気がして、相も変わらず過剰なほどに豪勢な夕食をつつき始める。

「…………あの、スピリィさん」

「ん?」

 しばらく無言で魚の活け造りをつつきまわしていた翼が、ふと呟く。

「僕は、一体なにをしてるんでしょう」

「なにをって?どういうこと?」

「分からないんです。いきなりこんなところに放り出されて、振り回されて、気が付いたら救世主なんかになって。着たこともない鎧を着させられて、持ったこともない刀を持たされて、意味も分からないことを叫ばされて、それで褒められる。それなのに、僕はなにをしてるのかも、なにをさせられてるのかも、これからどうすればいいのかも分からない」

「…………」

「…………」

 お互いの間に沈黙が降りかかる。しかし、これは翼の本心だった。ここに至るまで彼にとっては怒涛の展開が続き、今日に至ってはなんだかよく分からないことをやらされ、そして崇められた。それが、こうして少し落ち着いて思い返してみるととても不思議なことに思えた。

 僕は、なにをやってるんだろう。なんでこんなことをやらされているんだろう。

「…………」

「…………」

 スピリィは直ぐには答えなかった。それでも、翼が魚を食べ終えた頃に口を開く。

「……私は、適任な人間を選んだつもりよ」

「?」

「逆に訊くわ。貴方は自分がなにをしているのか分からないようだけれど、なら貴方は、自分がなにをしているのか分かっていたことはあったのかしら?」

「……え?」

「私がここに呼ぶ前、貴方があの学校に通っていた頃のことよ。貴方は、あそこでなにか自発的に動いたことはあるの?やらされてる、じゃなくて、なにかをやったことはあった?」

「…………」

 思わぬ方向に話が転がって戸惑っていた翼だけれど、頭のどこかで彼女が言おうとしていることがなんなのか見当はついていた。

 クラスメートからいわれのない迫害を受けても特に抵抗はせず。

 彼らの圧に追いやられて辿り着いた図書室で仕方なしに本を読み。

 挙句の果てには、彼らと同じ世界で生きていくことすらからも逃げてきた。

 スピリィは、そのことを言っている。

「わざわざトラックをぶつけるようなことはせずに、飛び降りた貴方をこっちに引き入れたのも貴方が自ら捨てた命なら好きに使えるから。言ってしまえば、貴方がここに来てもなにも出来ないことも織り込み済みだったわ。だから私がついて、手取り足取り指示を出しているの。でも、別にそれ自体は、貴方があっちでしてきた……いや、させられてきたことと根本的にはなにも変わらないはずよ」

「…………」

「だから、安心しなさい。多少目に見える景色が変わっただけで、貴方自体は全くと言っていいほど変わっていない。やらされているのは、今も前も同じよ。貴方には、もともと変わるようなものなんてないんだから」

「…………」

 なにも言えなかった。しかし、別に悔しいとも、侮辱されたとも思わなかった。むしろそれもそうだな、と納得してしまった。

 だから、間を埋めるために別の質問をぶつけてみた。

「じゃあ、あのヴァイサルっていうのは、結局なんなんですか?」

 これに対するスピリィの答えは、とても短かった。

「……人ではないものよ」

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