救世主、出陣
救世主、出陣
それから、翼に対する周りの扱いはさっきまでのものから百八十度変わった。髭面の男に恭しく案内され、宮殿の奥の部屋に案内され、翼はそこで夜を明かすことになった。
「……あの、」
「ん?」
「僕はこれからどうなるんでしょう……」
翌朝、天蓋付きのベッドで目覚めた翼は枕元に置かれた刀を見つめながら呟いた。今は鞘に納められているが、あの赤い宝石はその一部を覗かせて強い光を放っている。その光を目に入れないよう、直ぐに目を逸らした。
「どうなるって、こうなった以上、救世主として生きていくしかないでしょう」
ここには十分なスペースはあるが、相変わらずスピリィの姿は見えない。その声だけが答える。
「あの、ヴァイサルとかいうのと戦うんですか?でも、僕にはそんな力なんて……」
「いや、多分そうはならないわ」
「え?」
翼はずっと、勇者というのは自分が剣を振って敵を倒していくのだと思っていた。数少ないライトノベルの読書経験に基づいてイメージした結果だ。それを、スピリィはばっさりと切って捨てる。
「馬鹿ね、そんなわけないでしょう。そんなことをして大事な大事な救世主様を失ったら、取返しがつかないわ。だから、貴方に求められるのは精々出陣前の挨拶と突撃の号令くらいよ。肝心なのは、『自分たちには絶大な味方がいる』っていう意識なの。それさえあれば、人間は大抵のことは出来るわ。良くも悪くもね」
翼は、スピリィが最後に付け加えた一言が気になった。しかし、その意味を尋ねる前に部屋の荘重な扉が叩かれる。
「失礼致します」
そう言って入って来たのは、昨日の髭面の男だった。男はベッドの前まで進み、翼が起きていることに気づくと慌てて跪く。
「お目覚めであられましたか、我らがクリストよ」
「あ、はい……」
翼が三つのテストとクリアしてからというもの、その周りにいる人は全員彼に対して腰が低い。しかし、翼も翼で、そんな対応に慣れていない所為ですっかり腰が引けてしまっていた。
「それでしたら、朝餉を用意させましたので、どうぞお召し上がりください」
男が手を叩くと、まるで外で待機していたかのような素早さで二人の騎士が入って来た。二人とも小さなカートを押しており、その上には朝食が載っている。その内容は、フェミールが持ってきてくれていたものとはかけ離れている。どれもがただの料理ではなく、まるで美術品かのような壮麗な見た目をしていて、なにより量が多かった。どう考えても、平均的な成人男性が食べる量を優に超えている。
「……これ、多すぎない……?」
翼も同じところを見て慄いている。そこへスピリィのフォローが入った。
『ここの貴族の食事なんて、どれもこんな感じよ。端から完食することなんて考えられてないから、食べられそうなものだけ食べちゃいなさい』
そのアドバイスを受けて、翼は食べられそうなものにおずおずと手を伸ばす。その様子を確認した男は騎士を下がらせると、今度は直立不動の姿勢を取った。
「それでは我らがクリストよ、私からご報告させて頂くことがございますので、どうかお召し上がりながらお聞きください」
「ふぁい?」
「既にご存じであるかとは思いますが、現在我が国は異形のモノたちの脅威に晒されております。我ら一同、死力を尽くして対抗してはおりますが、完全に退けることは出来ていないのが現状でございます。それ故、ご来臨後間もなくにはなってしまいますが、我らがクリストには本日の戦の指揮を執って頂きたく存じます。貴方様の号令さえあれば、我らは必ずやあの邪なるモノどもを一掃することが出来ましょう。どうぞ、その偉大なるお力で、我らを助け給え」
「──あっ、ごふっ、ごほっ、ごほっ!」
またも跪いた男になにか言おうとした翼は、慌てた所為で盛大にむせた。しかし男はそんな翼の痴態には顔色一つ変えず、真剣な目で翼を見つめる。
「……どうか、我らにクリストのご加護を」
「…………」
「…………」
「……え、あ……はい……」
しばらくの睨み合いの末、結局翼は頷いた。ここで断れば昨日の魔女裁判に戻ってしまうであろうことを思い出したからだ。
「ありがとうございますっ!それでは、準備の方を整えて参りますので、しばしお待ち下さい」
男は声を弾ませて立ち上がると、早足で扉に向かう。
「あ。申し遅れました。私、貴方様の補佐を務めさせて頂きます、式部守のスケプトと申します」
そう言い残して、スケプトは外に消えていった。
それから間もなく、スケプトはまた数人の騎士を引き連れて戻って来た。今度は、大きな鎧を持っている。
「僭越ながら、我々の方で戦支度を整えさせて頂きました。この甲冑をお召しになって下さい」
「えっと……」
スケプトは、所々に赤や青の刺繍が施された純白の鎧を誇らしげに示すが、翼にはその着方すら分からない。彼もそのことに直ぐ気が付いたのだろう、控えた騎士に目配せをすると、自らも手伝って翼に鎧を着せた。
「まずは、こちらの御手をお上げください」
「こ、こうですか?」
「そうでございます。それでは……」
「痛っ」
「⁉大変失礼致しましたっ!」
「あ、いえ、大丈夫です……」
「次はこちらを……」
しばらくその慣れない作業に奮闘したのち、翼は無事甲冑を着こむことに成功した。
「おお……」
翼の鎧は、他の騎士たちが着ているものとは違って頭部は剥き出しになるものだった。真っ白な鎧から覗く翼の面持ちは、お世辞にも頼もしいものとは言えない。しかし、着付けを手伝った騎士たちとスケプトは恍惚の表情でそんな翼を見つめる。
「流石、我らがクリストよ……貴方様さえいらっしゃれば、きっと我々は勝利を収めることが出来ましょう」
『……ぷふっ』
スケプトがそんな歯の浮くような台詞を口にしたことで、とうとう耐えきれなくなったスピリィが噴き出す。翼は、どこにいるかも分からないスピリィを顔を真っ赤にして睨みつけた。
「これにて準備は完了でございます。これより発ちますので、どうぞこちらへ」
もちろん、スケプトはそんな茶番は知る由もない。どこまでも生真面目に、恭しく翼を部屋の外に誘った。
案内されたのは、昨日裁判が行われた広場だった。そこには例によって沢山の人が並んでいて、三つの箱の代わりに大きな馬車が置かれていた。
「戦場までは、私どもが責任をもってご案内致します。これにお乗りください」
騎士が荷台の扉を開け、翼に入るように促す。その大きさこそ違うけれど、あの病院から連れてこられたときに載せられていたのも馬車だったんだと、翼はここで気づいた。
「我らがクリストよ!」
翼が苦労しながら鎧の所為で重い足を荷台の入り口に掛けたとき、人混みの向こう側からよく通る声で呼びかけられる。
「?」
振り向くと、人の塊が綺麗に割れていて、その向こう側から朱色の男が歩み寄って来ていた。
「……戦に、赴かれるのですね」
男は感慨に浸っているかのような声でそう言うと、徐に跪き、翼の手甲に額を押し付けた。
「このレリー、この地に息づく全ての民に代表して、お願い申し上げます……どうか、我が国と民草を救い給え」
レリーはしばらくの間そうしていたが、やがて顔を上げると静かに簾の向こう側に戻って行った。それを見届けて、今度こそ翼は馬車に乗り込む。
「それでは、出発致します」
騎士の合図と共に、ゆっくりと馬車が動き出した。
この前のものと比べると遥かに大きい窓から外を見ると、広場に居並んだ全員が深くお辞儀をして見送っている。
『いよいよ出陣、って感じね』
同じ光景を彼女も見ていたのだろう、スピリィが楽しそうに呟いた。
宮殿を出てから再び馬車が止まるまでの時間は、あの村から宮殿に着くまでにかかった時間よりも遥かに長かった。その間ずっと慣れない鎧を着こんだ状態で馬車に揺られていた所為で、馬車を下りた頃には翼の腰は痛み、足は震えていた。
「到着致しました」
騎士に促され、翼は生まれたての子鹿のような足取りで馬車を下りる。
「それでは、まずはこちらへ。指揮官がお待ちです」
辺りは至る所に赤の天幕が張られ、その向こうから人の話す声、金属の擦れる音、馬の鳴き声などが途切れることなく聞こえている。騎士はそんな喧噪の中を迷いのない足取りで歩いて行った。
『へえ、これがこっちの本陣?なんとも貧弱な作りね。こんなの、ちょっとつつけば一瞬で全壊しそうだわ』
移動の時間を退屈に過ごしていたスピリィは初めて見る戦場に興味津々なようで、あちこちを見て回ってそんなコメントを残す。けれど、翼はそれには反応しなかった。疲れがどっと襲って来たからだ。しかし、もしこんなところで迷子にでもなったら、翼にはなにも出来ない。震える足に鞭打ってなんとかついていくのが精一杯だった。
「指揮官殿。我らがクリストが宮廷よりお越しになりました」
騎士は、天幕の一つに入って行った。翼もその後に続く。
「‼」
騎士の言葉に驚いた中の兵士たちが入り口を見るのと、翼がそこに顔を出すのは同時だった。朱色の鎧に身を包んだ大柄な男と翼の目が合う。
「……あ、」
「よくぞ、よくぞ来てくださいました‼」
男は、レリーが翼にそうしたのと全く同じ動きで翼の前に跪くと、腰から下げた剣を抜き、それを地面に突き立ててその柄に額を押し付けた。すかさず周りの騎士も同じ動きをし、天幕中が金属音に支配される。
「あ、あの、宜しく、お願いします……」
弱々しい翼の挨拶はその轟音にかき消され、なにごともなかったかのように立ち上がった朱色の騎士が話し出す。
「私、僭越ながら此度の戦の指揮を執らせて頂いておりますが、我らがクリストがこうして来て下さったからには、必ずや勝利を勝ち取って御覧に入れます!つきましては、是非ともその号令を、我らがクリストにかけて頂きたい」
「ご、号令?」
スピリィも同じことを言っていた。『貴方がするのは挨拶と号令くらいだ』と。しかし、号令と言っても、翼には日直として授業の始めと終わりにかけた経験しかない。まさか『きりーつ、れーい、ちゃくせーき』を言わされるわけではないだろう。
「はい。もう間もなく我が軍は出陣しますが、その前に、我らがクリストの御加護を兵士たちに授けて頂きたいのです。さすれば、我ら一同、より一層奮起し、必ずやあの忌々しきヴァイサルどもを根絶やしにすることが出来ましょう!」
「…………?」
そう説明されても、翼には具体的になにをさせたいのかがさっぱり分からない。自分は神様でもないし、分けられるような御加護?も持っていない。
翼が理解していないことを察したのだろう、すかさずスピリィがフォローに入る。
『要は、ここの軍に挨拶をして欲しいってことよ。ほら、貴方の学校でも、なにかにつけ校長が長い話をしてたでしょ?あんな感じよ』
そう言われて初めて、翼の中に具体的なイメージが湧いた。でも、
「……いやいやいや、無理ですよ。なにを話したらいいのかも分からないのに……」
『なに言ってるのよ。それが出来なかったら貴方がここに居る意味がないじゃない。救世主でうえでは必須の役割よ』
「…………」
『……分かったわ。なら、私がなんて言うかを考えてあげる。貴方は、私が言うことを大きな声で復唱すればいい。これならどう?』
「まあ、それなら……」
大勢の前で話すということ自体に抵抗があるけれど、これをしなければ救世主を名乗る意味がないというのも尤もだった。それに、自分で戦えと言われなかっただけマシと考えるべきなのかもしれない。そんな利益衡量の計算のあと、渋々ながら翼は頷いた。
「……分かりました」
「おお、ありがたい!それでは、早速向かいましょう。叩くなら、早いに越したことはありません」
朱色の騎士は翼の背中を押すように天幕を出る。そこには、いつの間に用意したのか二頭の馬が居た。一頭は底のない闇のような漆黒の馬、もう一頭は見てるこちらまで熱を帯びてしまいそうなほど鮮やかな赤毛の馬。騎士は黒色の馬にひらりと跨ると、呆けている翼に向かって赤毛の馬を指し示す。
「どうぞ、この馬にお乗り下さい。私自らが見繕った、最上級の良馬にございます」
「…………」
しかし、そう言われても翼は動かない。
『どうかしたの?早く乗りなさいよ』
「……あの、乗り方、分からなくて……」
『分からない?乗り方もなにも、跨るだけよ?』
「でも、多分乗って直ぐに転びます……」
『…………はあ』
翼にはスピリィの姿は見えないけれど、それでも眉間に手を当てため息を吐いている様がありありと想像できた。
『そういうことなら、落ちないように私が支えてあげるし、馬の操作もしてあげる。だから、まずは乗りなさい。話はそこからよ』
流石のスピリィも、翼を持ち上げて馬に乗せることは出来ない。そんなことをしたら、即座に怪しまれてしまうだろう。乗ったあとの不安も完全には拭えていないが、スピリィの言葉を信じて、翼は緊張の面持ちで鞍に手を掛ける。
「……んっ!」
自分が重い鎧を着ていることも考えて、翼はかなり力を入れたつもりだった。それでも足りなかったようで、中途半端に乗りあがった右足がずり落ちそうになる。
「────っ」
しかし、そうはならなかった。足と、そして背中が見えない糸に引っ張られているように動き、翼は無事騎乗することが出来た。
『あとは私がやってあげる。貴方は、とにかく真っ直ぐ座って、姿勢を崩さないで』
言われた通りにすると、翼の視界にはこれまで見たこともないほどの広い世界が広がった。その不思議な光景に足が震えたけれど、落馬することはなかった。
「それでは、向かいましょう」
燃えるような赤毛の馬に乗った純白の騎士を頼もしそうに見つめていた朱色の騎士は、先導して馬を歩かせる。翼には馬を進める技術も止める技術もなかったが、赤毛の馬は従順にその後をついて行った。
案内されたのは、天幕から少し離れたところにある小高い丘のような場所だった。どうやらここは軍の偵察拠点になっているようで、ここからは展開された軍が一望できる。
「我らがクリストよ、ここに居ります全員が、我が国と国民を守るため悪しきモノたちに勇猛果敢に立ち向かわんとする者たちです。どうか、彼らに勇気と栄光を与え給え」
朱色の騎士に促され、丘の縁に馬を進める。そこから一望できる限りの視界に、数えることも出来ないほどの数の軍勢が広がっていた。その一人一人の纏う鎧が反射した日の光が翼の目を突き刺し、彼は目を細める。
「皆の者!よく聞け!ただいまより、我々の窮状を救わんと御光臨なさった我らがクリストの御言葉がある!心して聞け!」
突然、朱色の騎士が喉も裂けんばかりに声を張り上げる。あまりの大きさに、その隣にいた翼の腰が完全に宙に飛び上がったが、おかげで全員に声が届いたらしい。地の底から響くような音をたて、銀色の光が向きを変える。
『出番よ、救世主様』
直ぐ背後から、スピリィの声が翼の耳に入る。
「……はい……」
『今から私が言うことを復唱すればいいわ。但し、出来る限り大きな声でね』
「ちゃんと届きますか……?」
『そこも私がどうにかするわ。じゃあ、いくわよ』
一拍置いて、言葉を紡ぎだす。
『我が子孫たちよ!私が、御剣命である!』
「わ、我が子孫たちよ!私が、御剣命である!」
無理に張り上げた翼の声は、大声を出し慣れていない所為で所々裏返ったが、きちんと声は届いたようだ。銀の大地を動揺が伝わっていくのが見えた。
『私は、私が我が血肉を注いで築き上げた我が国の危機を救うため、今一度こうして姿を現したものである!』
「私は、私が我が血肉を注いで築き上げた我が国の危機を救うため、今一度こうして姿を現したものである!」
『しかし、時は変わった。今となっては、私がこの国を築いたときのように、私一人の力で全てを成すことは不可能である!何故なら、ここにいる諸君、そしてその家族の努力により、日々栄え、発展し続けているからである!』
「しかし、時は変わった。今となっては、私がこの国を築いたときのように、私一人の力で全てを成すことは不可能である!何故なら、ここにいる諸君、そしてその家族の努力により、日々栄え、発展し続けているからである!」
「今や、この国は私一人の力では保つことも、守ることも出来ない。この国を救うことが出来るのは、ここにいる一人一人の、そして全員の力をおいて他にない!」
「私は、今ここに、我らが祖国の勝利と、永遠の繁栄を宣言しよう!そして、その礎となる諸君に、決してくすむことのない武勇と栄光を授ける!さあ、共に戦い、悪を挫き、我らの輝かしい未来を勝ち取ろうではないか‼」
翼はスピリィの台本をなんとか間違えずに言い切った。しかし、周囲からの反応はない。
なにかやらかしてしまったか。
しかし、一筋の冷や汗が翼の首筋を伝ったとき、間近で花火が炸裂したかのような爆音が彼を襲った。
──うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼
眼下の銀色が一斉に蠢き、叫び、その熱量は遠く離れているはずの翼の頬を打つ。
「聞いたか!我らが始祖の元に、我らの勝利は約束された!あとは実現するのみだ!」
沸き起こり続ける鬨の声に負けじと、朱色の騎士は更に声を張り上げて叫ぶ。腰の剣を抜き、天高く掲げると、勢いよく振り下ろした。
「全軍、出撃‼」
『……そうだ。私も、その刀を使えばよかったわね』
スピリィが今更のように呟いたが、その呟きはすっかり喉を潰した翼にしか届かない。
数多の軍勢は、止まることを知らない猛牛のように前進していた。