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英雄譚・開幕

英雄譚・開幕

「ほら、いつまで寝てるの。早く起きなさい」

「んんー……」

 翼は、揺さぶられる感覚に耐えかねて目を開ける。スピリィが彼の上に屈みこんでいた。

「どうかしたんですか……?」

「なにかあるみたいよ。外が騒がしいわ」

 スピリィはそう言って扉の方を見る。

 翼は昨晩遅くまで文庫本の翻訳作業をしていた所為で、完全に寝不足状態だった。しかし、その言葉とただならぬ雰囲気に目が覚めた。必要もないのにゆっくりとベッドを下り、忍び足で扉に近づく。

 成程、確かに昨日とは様子が違う。はっきりとは聞こえないが、人が動き回っているような音がする。それに混ざって話し声のようなものも聞こえた。

「……なにがあったんだろう」

「知らないわ。けど、貴方絡みなんじゃないかしら」

「え?」

 何気ないその一言が気になって聞き返した次の瞬間、外の様子が変わった。

 音が、複数人の足音のような音が近づいてくる。

 翼が反射的に扉から離れた瞬間、扉が勢いよく開かれた。

「ツバサ殿はおられるか!」

 最初は、例によってフェミールが入ってきたのかと思った。しかし、ドカドカと入ってきたのは銀色の人たちだった。その人数は三人。全員が洋館に置いてありそうな鎧を身にまとい、その顔すら見ることは出来ない。

「え……え?」

 想定外に押し入ってきた気迫に呑まれ、翼は完全に固まってしまった。一方、騎士たちはそんなことは気にも留めずに目の前の少年を見分する。

「ふむ。貴殿がツバサ殿であるな。我らが王より、貴殿に召集命令が下っている。一緒に来てもらおう」

 言うなり、二人の騎士が翼の腕を掴んで引っ張る。あっけにとられていた翼は、鍛えられた二人の力に成す術もなく引きずられる。

「え、ちょっ、なんなんですか?」

「それは後で説明がある。今はとにかく来てもらう」

 有無を言わせない力で階段を引きずり降ろされる。下には人だかりが出来ていて、その中には見覚えのある顔もあった。もちろん、フェミールもそこに居る。

 翼は、一体どういうことなのか彼女に訊こうとした。

 しかし、彼女の諦めと寂しさが混ざった笑顔に戸惑っている隙に、声を掛けられないほどに距離を開けられてしまう。

 外には、見慣れない箱のようなものがあった。騎士は翼をその中に放り込むと、開けられないように封をして、箱に括りつけられた車に乗り込む。

 箱が動き出す。

 ことここに至っても、翼はなにが起きているのか理解出来ていなかった。

 一方、その頭の中では、時々テレビで観たことのある犯人が連行される様子を思い浮かべていた。

 

「……痛っ」

「大丈夫?」

「いや、さっきからずっと腰が曲がりっぱなしで……あれ?スピリィさん、どこ?」

 箱の中は本当に狭かった。狭くて、暗い。辛うじて光が差し込む穴はあっても、小さすぎてそこから外の様子を覗くことは出来ない。そんな空間だからこそ、スピリィがこの箱の中に居ないことは直ぐに分かった。それなのに、声だけはしっかり聞こえている。

「いや、ちゃんといるわよ。ただ、こんなに狭いとあのままの姿だと間違いなく不便でしょ。これからは当分こんな感じになると思うわ」

「成程……」

 それからしばらくごそごそし続けて、翼はようやく安定した姿勢を取ることが出来た。体育座りになって、外の様子に神経を集中させる。頼りになるのは聴覚と触覚だけだ。

 この箱は、ずっと揺れ続けながら移動している。その揺れ方には一定の規則性があるけれど、速度はそんなにない。そのせいか、電車のような大きい音はしない。その分、外の物音や人の声がよく聞こえた。

 翼はしばらく頑張ってみたけれど、分かったのはこれくらいだった。となると、残されたアテは一つしかない。

「スピリィさん。なにが起こってるんですか?」

「護送中よ」

 答えは直ぐに返ってきた。

「護送?」

「そう。この国の王が貴方のことが気になって、取り調べの為に貴方を連れて来させてるの」

「取り調べって……僕が、他所から来たから?」

「よく分かってるじゃない。その通りよ。あの村の人たちも言っていた通り、貴方はここの人から見たら異質なの。加えて、今この国は戦争中よ。それも、異形のモノと。貴方が疑われるのは当然でしょ」

「それじゃあ……」

 翼の中を嫌な想像が駆け巡る。最近読んだ教科書には、魔女狩りと火あぶりについて書いてあった。不審なことをした者、不審と見做された者は魔女裁判の後に火あぶり……。

 翼の顔色が真っ青になったのを暗闇の中でも察したのか、スピリィが補足する。

「安心しなさい。あの娘も言ってた通り、貴方には救世主の疑いも掛かってる。むしろ、そっちの疑いの方が強いくらいだから、貴方の想像ほど酷いことにはならないわ」

 それでも、翼の顔色は晴れない。聞かされた疑いのどちらも、彼にとってはありがたいものではなかったからだ。

「でも……僕は救世主なんかじゃ……そんなこと、出来るわけ……」

「ああ、そんなことも言ってたわね。でも、どちらかになるしかないわよ。この世界にとっては異質な貴方には、もともと二つの道しかないの。排除すべき異物になるか、天から舞い降りたピンチヒッターになるか」

 そして、前者を選べば火あぶりの刑に処され、後者を選べば英雄となる。

 このとき始めて、翼はスピリィの「なるようになる」という言葉の真意に気づいた。ここに来た瞬間から、通る道は決まっていたのだと。

 自分の置かれた状況と、これからの顛末が明確にイメージ出来てしまうと、途端に胃が痛みだした。

 これからどうなってしまうのか。

 どうすればいいのか。

 その答えは明らかだ。


 それからどのくらい時間が経ったのか、ずっと腹痛と戦っていた翼には分からない。唐突に箱の揺れが収まったかと思うと、箱の一部が取り外される。

「眩しっ」

 目を庇うように突き出した手を、硬く冷たいものが掴む。

「こちらへ」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、騎士の動きは唐突で強引だ。翼はつんのめりながらも、なんとかついていく。

 どうやら、翼が降ろされたのはなにかの建物の敷地内らしい。両脇を延々と伸びていく朱と白の塀を見ながら、朱色の門を潜っていく。一つ、二つ、三つ……五つの門を潜ったところで騎士は足を止めた。

「…………っ」

 そこは一際広い広場のようになっていて、その奥に巨大な朱色の建物が建っていた。手前には太い柱が立ち並び、その奥の一段高くなった場所には見たこともない服装の人が何人も居並んでいる。その更に奥には簾のようなものが掛かっていて、そこにも誰かが居る気配がするがその姿は見えない。

「お連れしました」

 翼を連れてきた三人の騎士は揃って気を付けの姿勢をとり、声を張り上げる。

「確認した。下がってよいぞ」

 壇上の一人がそう声を掛けると、騎士たちは後ろに下がった。翼一人が広場の真ん中に取り残される格好になる。

「…………?」

 わけも分からないままに放り出された翼は、どうすればいいのかとそわそわし始めた。

『じっとしてなさい』

 そんな彼に、すかさず声が釘を刺す。

『あの建物の一番奥に居るのがここの王で、その手前に居るのはその部下ね。今からここで、貴方が敵か味方か見極めるつもりよ』

「見極めるって、僕はどうすれば……」

『なにか訊かれたら、村で答えたときと同じように答えなさい。なにかするように言われたら、出来るだけ従いなさい。ここで下手に反抗したら、その時点で首を刎ねられるわよ』

「あー、貴殿が、ツバサという者だな?」

 壇上の一人が広場に降りてくる。翼に近づき、その顔と体を嘗め回すように眺めている。

『ほら、答えなさい。黙ってても印象が悪くなるだけよ』

「は、はい、そうです……」

「ふーむ……」

 筆が作れてしまいそうなほどに蓄えられた髭をしごきながら、男は手元の紙に目を落とす。

「報告によると、貴殿は殆どのことを覚えていないということだが、それは真か?」

「はい……」

「出身は?」

「覚えてません……」

「貴殿を産んだ、或いは育てた者は?」

「分かりません……」

「では、どのようにして育った?これまで、どこでなにをしていた?」

「それも、全く思い出せなくて……」

「…………」

 男は険しい顔で黙り込んでしまう。その様子を見つめる翼も、慣れない嘘を吐き続けている所為で心臓が破裂しそうなほど緊張している。

「……貴殿は先ほどから分からないとしか言っていないが、それでは説明がつかないことが多すぎるのだ。人は生まれたときから一人で育つ道理はないし、これほどまでに育っておきながらそこまで育てた者の記憶が全くないというのもおかしい。それならばなぜツバサという名前はあるのだ?誰が名付けた?」

「えっと……」

「そう言えば、貴殿は目が覚めた当初は話すことも出来なかったらしいな。次の朝には話せるようになったというが、どこで言葉を覚えた?誰に教わった?」

「……それは、」

「また、貴殿は空から突然現れたというが、これはどういうことだ?崖から落ちたとかではなく、なにもなかったところから不意に現れた?どうやってそのようなことをしたのだ?何故?」

「それに、その服はなんだ?どれだけ調べても、その服の名前どころか、似たものすら見つからない。自分で作ったのか?それともどこかで手に入れたのか?そうだというなら、どこだ?」

「…………」

 間髪入れずに質問を投げつけ続ける男の様子から、翼は嫌なものを感じ取っていた。

 この男、そもそも翼に答えさせるつもりがない。質問をしているようで、その答えをしるつもりはそこまでないのだろう。この男がしようとしているのは、謎を解くことではなく、矛盾を指摘することで翼の間違い、悪を証明しようとしている。あのクラスメートたちと似たやり口だった。

 このままではいけない。魔女認定されてしまう。それでも、そうと分かっていてもなんと言い返せばいいのかは翼には分からなかった。それが分っていたら、そもそもここに来ていない。

 翼のそんな状況を、スピリィも察した。

『翼。こう言いなさい』

 どこからともなく聞こえてくる内容を、翼はなにも考えずに復唱する。

「僕がどこで生まれて、誰に育てられて、なにをしていたのか、うっすらと思い出すことは出来るんです。『誰かが僕を産んで』『誰かが僕を育てて』『どこかで生きていた』ことは覚えているんです。でも、それを具体的に思い出すことが出来ないだけなんです」

「…………」

 男は紙から目を上げて翼を凝視する。翼もなるべくその目を見返そうとするも、否応なく目が泳ぐのは止められなかった。

「……了解した。当人はこう述べておられるが、どうされるかな?」

 男は翼から目を逸らし、宮殿を振り向くとそこに居並ぶ人たちに呼びかける。

「本人の話だけでは埒が明かん。やはり儀式によって証明してもらうしかないだろう」

 並んだ中の一人がそう言うと、周りの数人も賛成を示すように頷いた。

「まあ、そうでしょうな。……ではツバサ殿」

 男が塀沿いに控えた騎士たちに目配せすると、騎士たちは走ってどこかに向かう。

「今から、貴殿が偽りを述べていないこと、ヴァイサルでないことを現実に示して貰う」

『ヴァイサルっていうのは、ここでの魔物の呼び名よ』

 すかさずスピリィの補足説明が入った。

 すると、二人の元へ数人の騎士がやって来て、運んでいた三つの箱を並べて置く。男の指示で、まずは一番右の箱が開けられる。

 そこに入っていたのは、金属でできた大きな桶のようなものだった。その桶は空ではなく、透明の液体で満たされている。

「ではツバサ殿、これに手を入れてもらえるかな」

「手?」

 一体、なにをしようというのだろう。なるべく従えとは言われても、安易に突っ込んでいい液体なのだろうか。

『大丈夫よ。これはただの塩水だから』

 スピリィにそう太鼓判を押して貰って、ようやく翼は手を差し出すことが出来た。あふれんばかりの液体がなるべく零れないよう、慎重に手を浸す。

 手首まで液体に浸かったが、翼の手は何事もなかったかのように液体の中を漂っている。

「…………っ」

 男や宮殿から息を呑む気配が伝わってきた。

「結構。それでは、次に行こう」

 今度は真ん中の箱が開けられる。さっきと比べるとずっと小ぶりなその箱には、一枚の紙が入っていた。

「では、その紙を取り上げて両手で擦ってみて頂こう」

『……はあ』

 翼は、見たところ普通の紙だったので言われた通りにしようと思っていたが、スピリィが突然大きなため息を吐いたので、慌てて伸ばした手を止める。

「?」

『……この紙で言われた通りにすれば、貴方の手は間違いなく傷だらけになるわよ』

「!」

 さっきの液体がただの塩水だったから、すっかり油断していた。しかし、もう一度紙をよく見てみても、なにか黒い字が書いてあること以外は、いたって普通の長方形の紙だ。

『そう見えても、その表面は鑢みたいになってるの。これで擦ろうものなら、貴方の手なんて簡単に削り取られるわ。と言っても、これはそこの男が触っても同じ結果になるでしょうけどね』

 え。

 声にならない声が漏れた。それじゃ、潔白の証明にならないじゃないか。

『もともと、こんなのじゃ証明になんかならないわよ、馬鹿馬鹿しい。強いて言うなら、特別な力を授かっているかのテストってところね。ちょっと待ってなさい』

「どうされた?早く手に取ってごらんなさい」

『……いいわよ。言われた通りにしなさい』

 スピリィの号令が出ても、翼にはなにが変わったのかまるで分らない。しかし、男に促されて仕方なく手に取る。小さな紙きれを取り上げて、両手で挟んで擦り合わせる。

 紙を箱に戻した翼の手は、変わらず綺麗なままだった。

「……なんと、」

 先ほどよりも大きな動揺が宮殿に広がる。翼自身も驚いていた。

『しょうがないから、お望み通り特別な力を一時的に掛けてあげたわ。貴方だって、こんなつまらないものの為に怪我したくはないでしょう?』

 それはその通りだ。内心でスピリィにお礼を言っておく。

 男も思わぬ事態にあっけにとられていたようだが、しばらくして気を取り直した。

「……こほん。成程。では、次が最後になりますな」

 左端の箱が開けられる。そこには、一振りの刀が入っていた。特に目立つ点はない、普通の刀だが、柄の部分に大きな赤い宝石が埋め込まれている。ぎらぎらしたその輝きに目を突き刺されているような気がして、翼は思わず目を背けてしまった。

「これは、我らが祖、御剣王が手にしていたと伝わる刀である。貴殿には、これを手に取って頂きたい」

 男から言い渡された指示はそれだけだった。それでも、さっきのことがあるので翼は直ぐには手を触れなかった。

『…………』

 しかし、スピリィは何も言わない。それを問題がないからだと受け取った翼は、横たわる刀の柄に手を伸ばす。

「…………」

「…………」

『…………』

 …………。

 遥か昔に握られて以来誰の掌にも収まらなかった柄に、翼の真っ白な手がかかる。

 誰もが息を呑んで見守る中、刀はなにも言わずにその手に収まった。

「重い……あの、これで、いいんですか……?」

 翼は慣れない手つきで刀を抱え上げると、男の様子を伺う。しかし、男はもう翼を見てはいなかった。後ろの宮殿の、簾で覆われた最奥部を見ている。それはこの男だけでなく、この場にいる全員が同じ方向を見ていた。

 今度はなにがあるんだろう。

 翼もそれにならってそちらを見た途端、音を立てて簾が跳ね上がった。

「陛下⁉」

 その影から飛び出した人影は居並ぶ人たちには目もくれず、真っ直ぐに翼の方に進んでいく。

「……え?」

 次の瞬間には、朱色の束帯を身にまとい、金の冠を頂いた男が翼の前に跪いていた。

「……貴公のご来臨に、我ら一同、心より感謝致します。どうぞ、この国に迫る邪なるモノどもを、その御威光にて退け給え」

「え、あ、いや……」

「皆の者!」

 翼がなにか言う隙すら与えず、朱色の男は立ち上がると居並ぶ全員に向き直って叫んだ。

「この方こそ、我らが切望しお方、クリストにあらせられるぞ!」

 その宣言と共に、その場に居た全員がひれ伏す。あの強引な騎士たちも、懐疑的な髭面の男も、その顔が見えなくなるほど深くこうべを垂れた。

「ああ、我らが始祖よ、偉大なるクリストよ、どうか、どうか我らを救い給え……」

 朱色の男は縋るようにそう呟くと、皆と同じ姿勢を取った。

「え……え?」

『良かったわね』

 戸惑う翼に、スピリィが耳打ちする。

『無事、英雄に成れたみたいよ。おめでとう。さしずめ、貴方はジャンヌ・ダルクってところかしらね』

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