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始まりの村

始まりの村

「……ん。あれ……」

 風のようなものを頬に感じて、翼は目を覚ました。

「あら、おはよう」

「んえ?……あっ!」

「うわっ、ちょっとっ!」

 声のした方に無意識に目を向けると、緑色の女性が足元に腰かけてこちらを見ていた。これまでの日常から大きく離れた光景に、翼の過剰な危機意識が反応する。その人が昨日にも会った人だと気づく頃には、既に翼はベッドの上で飛び上がり、その拍子にスピリィを蹴飛ばしていた。ただ、その足にはなんの感触は伝わらず、空を蹴った。

「なによ、急に蹴らないでよ。せっかく起こしてあげたのに」

「す、すいません……でも、あれ?」

 確かに、翼の足はスピリィに当たった。それを彼女自身も分かっている。なのに、なんで感触がないんだろう。

「なんでって、そんなの私が貴方たちとは違うからに決まってるじゃない。一応同じようにすることも出来るけど、面倒だしいちいちそんなことしないもの」

 翼の疑問を察したスピリィが先回りして答えてくれる。そういえば、昨日は「スピリチュアル的ななにか」とか言っていたから、そういうことなのかもしれない。

「それにしても」

 スピリィは、腕を上に伸ばしてストレッチをしながら部屋を見回す。

「なんで貴方はこんな窓すらない部屋に居るの?これじゃまるで軟禁じゃない。おかげで入りにくくて仕方ないわ」

「それは僕にも分からないです……」

 言われてみれば、昼も夜もないこの部屋はかなり不気味だ。そして、スピリィがなにげなく出した軟禁という言葉が、翼の中で不安を呼び起こす。

「あの……」

「ん?」

「もしかしたら、僕が不審者扱いされているなんてことはありませんか……?ほら、昨日言ってた化け物だと思われてたり……」

「ああ、」

 スピリィは、そういえば、とでも言うように手を打った。

「場合によってはそれもあり得るかもね」

「え」

「でも、今の時点でそれはないわ。ここの人たちはまだそこまで危機感がないから。それよりはむしろ、」

 そこまで言って、スピリィは突然黙り込んだ。その目つきも鋭くなり、目だけで扉を見る。

 ただでさえ不安を煽られていたところにそんな不穏な動きをされてしまい、途端に翼もおろおろし始める。ただ、その原因は直ぐに分かった。

 扉が外側から開かれたのだ。

「あのー、起きてらっしゃいますか?」

 そんな台詞と共に部屋に入ってきたのは、昨日の少女だった。翼と目が合うとニコリと笑う。

「あ。おはようございま……通じないんだっけ」

『翼』

 いつの間にかすぐ隣に寄って来ていたスピリィが翼の肩を小突く。

『さっきの続きだけど、ここでよほど不審なことをしなければ疑われることはないわ。それに、翼がどう思われてるかはこの人たちに聞くのが一番早いから、少し話してみなさい。あ、因みに、今は私の姿も声もあの子には伝わってないから、そのつもりでね』

「……え?」

 見ず知らずのこの少女と話せと?唐突すぎるミッションに思わずスピリィを見返すと、彼女はウインクをしてもとの位置に戻ってしまった。

「えっと………朝食をお持ちしたんですけど……」

 少女は、気まずそうに手に持っていたお盆を差し出そうとする。

「あ、ありがとう、ございます」

 翼はそのお盆を反射的に受け取ろうとする。けれど、それは出来なかった。

「えっ⁉」

 想定外の反応に驚いた少女の肩が跳ね上がり、その拍子にお盆がひっくり返ってしまう。

「うわっ」

「きゃっ」

『あらら』

 お盆は床に落ち、その上に載っていたパンのようなものと小皿に入った液体が零れる。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 少女の反応は早かった。ペコペコと頭を下げながらも、どこからか取り出した布で床を拭く。翼が手伝った方がいいのかな、と考える頃には全ての処理は済んでいた。

「あのっ、直ぐに新しいものをお持ちしますのでっ。あ、でもその前に、」

 使い終えた布を瞬時にどこかに戻してしまうと、少女はお盆を拾い上げると一歩踏み込んできて、翼の顔を見つめる。

「話せるようになったんですか⁉私がなにを言ってるのか、分かりますか?」

「あ……はい、分かります、けど」

 いきなり詰められた距離の分のけぞりながらそう答えると、少女の目がパアッと輝いた。

「凄いっ。昨日は全く話せなかったのに!どうしてですか?」

「どうしてって……」

 それは、翼本人も知りたいことだった。彼自身、理解できるような説明は受けていない。チラッとスピリィの方を見ると、彼女は首を横に振っていた。

『私のことは言わなくていい。適当に誤魔化しておいて』

 適当にって、そんな適当な……。

「あー、ええと……」

 結局、翼にも上手い誤魔化し方は思い浮かばなかった。

「……スピリチュアル、的な?」

「そうなんですね!流石です!」

 しかし、こんな雑な答えにも少女は目を輝かせ、食事を取り換えてくると言って部屋を駆け出して行った。

 大きく音を立てて閉まる扉を見届けて、スピリィがしみじみと呟く。

「……随分と元気な娘ね」

「あの、なにかおかしくないですか?」

「おかしい?なにが?」

「なんというか……受け入れられすぎ、というか……」

 どうして、言葉が通じるようになっただけであれほどの反応をされるのか。特にあの雑な誤魔化しへの反応を見ていると、こちらがなにを言っても全肯定されてしまいそうな雰囲気があった。翼にとっては、そういう反応は嬉しいどころか不安要素になってしまう。

「あー……まあ、あれはあの娘の性格の問題もあるような気がするけど、ちゃんと理由もあるはずよ。それもこの後話してみればわかるでしょ」

 そんなことを話していると、またドタドタと足音が聞こえてくる。スピリィが口を噤み、翼が身構えた次の瞬間、けたたましい音と共に扉が開いた。

「お待たせしました!」

 お盆を持った少女が、満面の笑みで入って来る。そして今度は、何故か椅子を一脚持っていた。彼女はつかつかと翼の前にやって来て、落とさないように両手でしっかり持ったお盆を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ、さっきはすみませんでした。驚いちゃって」

 受け取ったお盆にはさっきと同じひと塊のパンのようなもの、シチューのような液体、そしてさっきはなかった赤い果物が載っていた。

「どうぞ、召し上がって下さい」

 未知のモノを口にするのには少し勇気が必要だったけれど、目の前でニコニコしている少女の手前、食べないわけにもいかなかった。多分自分の知っているものと大差ないだろうと当たりをつけて、まずはパンのようなものを手に取る。

 まずは一口……思った以上に、それはパンだった。

「あ、それなんですけど、そのスープに浸すともっとおいしいですよ。私の好きな食べ方なんです」

 早速少女の指示が飛んでくる。それに従って、もう一口……思った以上に、それはパンとシチューだった。味が殆ど同じだ。ただ一つ違いがあるとするなら、具の野菜が殆どないこと。それでも、味は完全にシチューのそれだった。

「どうですか?」

「あ、美味しいです」

「ほんとですか!」

 また少女の表情が輝く。太陽のように明るい娘だ。

 パンとシチューを食べ終えて、翼は最後に残った真っ赤な果物を手に取る。ぎょっとするほど鮮やかな色だ。どこかで聞いた警戒色という言葉が脳裏をよぎり、手が止まる。

『それも問題なく食べられるわ』

 すると、それまでは黙っていたスピリィが口添えする。

「それ、この村の近くの森で採れる果物なんです。美味しくて、とっても人気なんですよ!」

 二人の太鼓判に背中を押され、翼は林檎ほどもあるそれにかぶりつく。

「……苺だ」

「はい?」

「あ、ああいや、なんでもないです」

 少女には、苺という単語は通じなかった。しかしこれは、紛れもなく苺の味だ。苺よりも数倍大きい上に形も違うから、見た目からは想像もつかないが。

 翼はこれまで殆ど食事には興味がなかったが、意外なところで自分の知るものに触れることが出来たおかげで、この食事を嬉しく思った。その笑みを、味に満足したからと受け取ったのだろう、少女も笑った。

「どうでしたか?」

「美味しかったです……とても」

「はいっ」

 翼の感想に満足したらしい少女はいそいそとお盆を回収し──今度は持ってきた椅子に座った。

「?」

 これまでの傾向から部屋を出ていくと勝手に思っていた翼は、居座る意思を見せた少女に戸惑う。しかし少女の方はそんなことはなく、当たり前のように話し始める。

「あの、今更なんですけど、お名前を聞いてもいいですか?」

 ここで初めて翼は自分がこちらの人の名前を殆ど知らないことに気づいた。スピリィの言う通り話を聞くためには、これは必要だろう。

「えっと、僕は鶏翼翼と言います」

「え?……トリバネ?ツ、ツ……すいません、もう一回言ってくれませんか?」

「え」

 自分の名前って、そんなに難しかっただろうか。翼が訝しみながらももう一度名乗ろうとすると、スピリィが耳打ちする。

『ここでは、貴方たちみたいに苗字と名前という名付け方はしないの。だから、長すぎて聞き慣れないんだと思うわ。ツバサだけにしておいた方が伝わりやすいわよ、きっと』

 そういえば、このスピリィも、苗字だとか名前の区切りがない短いものだ。ここではそうなのかもしれない。そう思って、翼は素直に助言に従うことにする。

「ツバサです」

「ツバサさん、ですね。ちゃんと覚えました!私はフェミールと言います。見ての通りここの病院で働いてて、ツバサさんのお世話を担当させてもらってます。宜しくお願いします!」

「病院?ここって、病院なんですか?」

「え、そうですよ?だってツバサさん、急に空から降って来てお店に墜落するから……頭を怪我したり、大変だったんですよ。って、あれ?覚えてないんですか?」

「全く……」

 言われて頭に手をやると、確かに違和感のようなものがある。けれど、なんでこんなところに怪我をする羽目になったのかが分からない。

 もしかしたらとスピリィに目配せしてみると、どうやら彼女が犯人らしい。

『……そうよ。だって、いきなり病院のベッドに送るわけにもいかないじゃない、予約もしてないんだし。だから、落ちてくる貴方の勢いをそのままにこっちに引き入れたの。そしたら、貴方は墜落して……今に至るわ』

「…………」

 スピリィの存在を知らないフェミールの手前、翼はなにか言うことこそしなかったが、静かに非難の眼差しを向ける。

「そうでなくても、ツバサさんのことはなにも分からないんです。色々教えて下さいよ」

 フェミールは目をキラキラさせてツバサを頭からつま先まで観察する。普段そんなことをされ慣れていない翼には、少々気まずい。なんとか彼女の注意を他に逸らそうと、話題を考える。

「実は、僕もここのことがよく分からなくて……ここがどこなのかも、どうしてここにいるのかも」

「そうなんですか?私はてっきり、使命の為だと思ってたんですけど」

「使命?」

「皆言ってますよ。あの少年は、伝説にあった救世主に違いない、って」

 伝説。

 フェミールからその単語を聞いた瞬間、翼の中になにか引っかかるものがあった。ついこの前、似たような意味の言葉を聞かなかったか。英雄だとか、世界を救うだとか。

 そう、翼はつい昨日、スピリィからそのようなこと頼まれていた。はっとしてスピリィを見ると、彼女はサムズアップして見せた。つまりは、そういうことなのだろう。

「あの」

「はい?」

「その伝説って、どんな話なんですか?」

 尋ねると、フェミールはすらすとその内容を教えてくれた。この国には広く伝わった話なのだろう。

「この国は、一人の勇者によって建てられたんです。もともと、この辺りは人ならざる存在が占拠していたんですけど、それをその勇者──御剣王っていうんですけど、その方が追い払ってくれたんです。それからもう何百年も経ってるんですけど、実は御剣王の魂はまだこの国を見守っていて、この国がピンチに見舞われたとき、どこからともなく現れて私たちを助けてくれる。だから、私たちはどんなときにも諦めずに助け合って生きていかないといけない。そういうお話があるんです。この国の人なら皆知ってる、有名な話ですよ」

「そうなんですか……でも、それが僕の使命と、なんの関係があるんですか?」

 そんなことを訊きつつ、翼にはある程度この先が見えていた。しかし、それを確定するのが怖くて、わざわざ聞いてしまう。

「だって、ツバサさん、正体不明じゃないですか。誰も知らないのに、急にどこからともなく現れて。しかも、今まさに、御剣王が戦ったとされてる相手と戦争中なんです。こんなの、誰だって伝説の再来だって思いますよ!……あ、そうだ思い出した!ツバサさんに、そのことで大事な話があるんでした!」

 フェミールがあまりにも勢いよく立ち上がったせいで、座っていた椅子が倒れる。しかし彼女はそんなことにはお構いなしに、お盆を回収して足早に部屋をでようとする。

「ツバサさん、昨日私たちが三人でここに来たこと、覚えてますか?」

「あ、はい」

「あのときは上手く話せなかったですけど、村長はやっぱりツバサさんと話しがしたいと言っています。こうして話すことが出来るなら、今から昨日出来なかった話をしたいと思っているんですけど、いいですか?」

「分かりました……」

 昨日のことを思い出すと今でも苦しくなるけれど、しかしこれは避けては通れない道だ。そう覚悟を決めて頷くと、フェミールは笑顔で頷いた。

「ありがとうございます。もうすぐ来ると思うので、ここで待っていて下さい。本当は私ももうちょっとお話したいんですけど……それは、またあとでしましょうね!」

 果たしてそれから間もなく、フェミールは昨日の二人を伴って戻ってきた。

「フェミール。この方と話ができたというのは本当か?」

 老人は、まずフェミールに確認する。昨日の様子を思い出せば、警戒するのも無理もないことだった。

「はい、本当です。ついさっきまで私たちは話してましたし。そうですよね、ツバサさん?」

「え、あ、はい」

 フェミールの振りに即座に翼が答えたのを見て、老人とオーナが目を見合わせる。昨日はこちらの言葉が分かっていないばかりか、意味のある言葉を聞くことも出来なかったのに。その原理は分からないが、なにはともあれ話ができるというのは二人にとってはありがたいことだ。訊きたいこと、訊かなければならないことは色々ある。

 まずは、老人が口を開いた。

「まずは貴方のお名前をお聞きしたいのだが、ツバサ、というのが貴方の名前なのかな?」

「はい、ツバサと言います」

 ふうむ。老人は考え込む。これまで様々な地方、沢山の人を見てきたが、そのような名前は聞いたことがないばかりか、その響きにはなにか異質なものすら感じる。

「成程。しかし、不勉強で申し訳ないが、私はそのような名前も、そんな名前を付けるような地方があるとも聞いたことがない。どちらの出身かの?」

 うっ。今度は翼が考え込んでしまう番だった。出身を言うこと、それ自体はとても簡単だ。しかし、それをそのまま言って伝わるとは思えない。

 助けを求めて、隣のスピリィに目配せをすると、彼女は肩を竦めた。

『まあ、貴方の現住所を伝えても混乱するだけだろうから、いっそ記憶喪失ってことにでもしゃえば?下手な嘘をつくよりよっぽど楽よ』

 成程、彼女の言うことももっともだ。翼にはスケールの大きい嘘を吐き続けるほどの話術も度胸もない。翼は、そのアドバイスに従うことにした。

「えっと、それが……全く覚えてなくて……」

「覚えていない?」

「はい……すみません……」

「では、貴方のご両親は?」

「それは……それも、よく思い出せなくて……」

 これに関しては、翼にとっては半分嘘で半分本当だった。彼の記憶には母親の姿はあるが、父親の姿はどこにもなかった。

「なら、その服については?我々もくまなく調べたが、全く見たこともないのだが」

「これも……よく分かりません」

「そうか……」

 老人は、内心で頭を抱えてしまった。これでは、なにも分からないではないか。唯一分かったのは少年の呼び名だけで、どこから来たのか、どのような人間なのかが全く分からない。そもそも、豊富な彼の経験の中にも記憶を失った人に纏わるものはなく、こうして尋問をしている最中も扱いあぐねているというのが正直なところだった。

 しかし、彼はなにも掴んでいないというわけではなかった。質問に答える翼の仕草、答え方などから推測し得る限りの情報を掴んでいた。

 例えば、このツバサと名乗る少年が、全てを包み隠さずに話しているわけではないことはとうに見抜いている。彼は、一つの質問に答えようとする度に目が忙しなく泳ぐ。既に分かり切ったことを答えているというよりは、質問一つ一つに対して正答とは異なる解答を作っているようだ。ただ、その泳いだ目が特定の一点に向かいがちなのが気になるが、その理由までは分からなかった。

 また、周囲の人間はすっかり少年を救世主であると信じて疑わないが、彼はその真逆の可能性も捨ててはいない。つまり、この少年がヴァイサルであるという可能性。彼らも、人の形をとることが可能だという。この尋問は、その可能性を見極める為のものであったが、しかしその可能性は少しだけ薄くなっていた。

 というのも、少年の挙動が不審すぎる(、、、)のだ。彼の挙動からは不安を取り繕う、疑念を抱かせないという努力を一切感じない。内の不安がそのまま垂れ流しになっている。もし人を化かすことに長けたモノが、人を化かす為にこのようなことをするのならこんなことにはならないのではないか。また、殆どの記憶を失っているなどと、一際目立つような供述をする意義も薄い。それよりは、少年自身がこの状況に適応しきれておらず、その不安がその性格故に浮き彫りになっていると考えた方が自然である。勿論、断定は出来ないが。

 一先ずそう結論付け、彼は一旦口を閉ざした。そのあとはオーナが受け継ぐ。

「ツバサさんよ。次は俺からいいか」

 オーナから野太い声を掛けられ、翼の肩がビクンと跳ねる。ただ、既に意思疎通が出来ているフェミールが後ろでニコニコしているというのもあって、昨日よりは落ち着ていられる。少なくとも、オーナの方を向くことは出来た。

「お前さんは、空のなんもない所から俺の店に落っこちてきたんだが、なんでそんなことになったんだ?」

「えっと……それは……」

 先ほどの老人とは違って、この屈強な男に嘘を吐くのには相当の勇気が必要だった。そのせいで、不自然に黙り込んでしまう。しかし、まさか「飛び降り自殺中に、スピリチュアル的ななにかに捕まって連行されました」とも言えない。そんなことを言おうものなら、そっちの方がふざけていると思われてどやされそうだ。結局、曖昧に誤魔化すしかなかった。

「……その話は、フェミールさんから聞きました。でも、なんでそんなことになったのか、僕にもわけが分からなくて……」

「じゃあ、そうなる前はなにをしてたんだ?そのくらいなら分かるんじゃないか?」

 これに答えるのにも時間が掛かった。翼としてはこれも覚えていないで通したかったが、オーナに「そのくらいなら分かるだろう」と釘を刺されてしまったことで、その言い訳を使いにくくなってしまった。

 しかし、この答えには気をつけなくてはいけない。ここでの答え方次第では、必然的にここに来る前の状況についても説明することになり、記憶喪失設定に矛盾が生まれるかもしれないからだ。

『ねえ、いい案があるんだけど、教えてあげようか』

 さっきよりも数倍の時間をかけて悩んでいる翼を見かねたのか、すすすっと近寄ってきたスピリィがその耳元で囁く。

「……なんですか?」

『こういうのは、虚実織り交ぜるのが一番いいのよ。だから、「なにも覚えてないけど、なにかに呼ばれたような気がした」って答えなさい。これならあながち間違いじゃないし、いい感じに誤魔化せること間違いなしよ。私が保証してあげる』

 スピリィは、本当に抜け目がないというか、小賢しい。そんな意味深長な答え方をすれば、翼の救世主疑惑が強まるのは間違いない。しかも、この一見思惑が丸見えな罠を、翼が困り果てている状況で仕掛けた。彼の性格と足元を完全に見切ったタイミングだ。

 そして、翼はそのトラップに飛びついてしまった。自分が嘘を吐いているという罪悪感と、時間を掛ければ掛けるほどその嘘がばれてしまうという焦燥感に追い詰められた格好だ。

「実は、それも殆ど覚えてないんです。けど、なんとなく、なにかに呼ばれた気がして……気が付いたらここに居たんです。それしか、覚えてないんですっ」

「…………っ」

 果たして、その答えを聞いた三人は目を見開いた。しかし、その反応の意味に翼はまだ気づかない。

「……村長」

「ああ……」

 オーナと老人はお互いに顔を見合わせ、翼には聞こえないような声で話し合い始める。フェミールも、屈んでその会話を聞いていた。

 そんな様子を、翼は心底ハラハラしながら見つめる。度重なる虚偽申告とその罪悪感で、彼の状況は昨日と殆ど変わらないほどになっている。

 今にも嘘がばれるんじゃないか。責められるんじゃないか。怒られるんじゃないか。

 しかし、そんな翼の想像とは裏腹に、老人とオーナは彼になにも言わずに立ち上がった。

「取り敢えず、今日のところはこのくらいにしておこう。貴方も怪我をしたばかりですし、しばらくはここでお休みなさい。なにかあれば、フェミールに言って頂ければ」

 老人はそう言うと、オーナを引き連れて部屋を出ていった。その様子からは、翼の受け答えにどんな印象を持ったのかを推し量ることは出来ない。

「私も、ちょっと出ますね。でもすぐ戻って来るので、安心して下さい!」

 フェミールも二人の後に続いて、部屋の中は翼とスピリィだけになる。

 ……はあー……。

 翼が長く大きいため息を吐く。その息は震えている。

「……これでよかったのかなあ……」

「いいんじゃない?貴方にしては上出来よ」

 完全に意気消沈してしまっている翼とは対照的に、スピリィは上機嫌だ。

 これで、私たちの計画は順調に滑り出したことになる。

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