魔術師の幸福な日々
「暇だな…………」
サモトラはいつも暇を持て余していた。
魔術学校を出てからしばらくは王宮の魔術師をやっていたが、つまらなくなって辞めてしまった。
他の国に行ってみたりもしたが、長く興味の続くものは見付けられなかった。
そのうちに、魔術学校の同期だったロードスが魔術師長になったとかで、サモトラを相談役にスカウトしに来た。
魔術師長は実力さえあれば年齢に関係なく就任できるとはいえ、異例の若さであったためにさすがに周囲の反発が大きいらしい。可能な範囲で力を貸すだけで良いと言われ、同期のよしみで受けてやった。何度か声を掛けられ、気が向いた時だけ手伝ってやったりした。
それでもやはり、相変わらず暇だった。
ある日、サモトラの下に知り合いの魔鳥がやって来た。
「随分と弱っているようだが、どうした?」
「…………恐ろしい狩人に群れを襲撃されたのだ」
魔鳥は、休息をとるのに膨大な魔力が必要になったから、カードで勝ったらサモトラの魔力を寄こせと言う。負ければ魔鳥の目をくれてやると言われたが、特に欲しくはなかったし、この魔力が失われたら自分はどうなるのか興味がわいたので、わざと負けてみた。
そして、サモトラは魔力の大部分を失った。
魔力が無いと、何をするにも自分の力でする必要があった。
王宮までの帰路も転移で飛ぶことができないことに気付き、仕方なく歩いて帰った。
魔力を奪われたサモトラを見て、魔術師長は蒼白になっていた。いろいろ言っていたような気がするが、その日は久しぶりに長い距離を歩いて疲れていたので、無視して寝てしまった。
(不便だな…………)
始めは興味深く過ごしていたが、そのうちに不便さに我慢ができなくなってきた。
あれが欲しいと思っても、魔術で取り寄せることができないので取りに行く。邪魔な存在をわずらわしく感じても、魔術でさっと排除することもできなかった。
なにより、すぐに空腹になってしまうのだ。おそらく、身体が失った魔力の代わりに食事による供給で賄うようにしているのだろう。
暇ではなくなったかもしれないが、この状態はおもしろくなかった。
やはり魔力はあった方がいいと思ったので、魔鳥が住む魔の森へ魔力を取り戻しに出かけた。
そこで、思いもかけない出会いをした。
魔の森は人間の住めるところではないはずだが、なぜかそこに平然と居を構えている狩人。
魔力がほとんど無いのにべらぼうに強く、生活力も高い。魔力が無ければ何もできないサモトラとは雲泥の差だった。
魔術を使えない役立たずのサモトラをわざわざ捕獲して、美味しいものを与えて大事にしてくれる。
大きな衝撃を受け、心が激しく揺さぶられた。
この狩人に、もっと大事にされたいと思った。
そこで捕獲されたことを幸いに、せっかくの所有権を手放されないように何度も言葉にして繋がりを結んでおいた。ルーヴは狩人らしく欲しいものはなんでも狩ってしまい、興味のないものはあっさり手放してしまう。放り出されてはたまらないと、慌てて魔術を固めたのだ。
その甲斐あってか、ルーヴもサモトラの所有者としての自覚を持ってくれるようになった。
魔の森での生活が始まって、サモトラは暇だとは思わなくなった。
ルーヴの下に居ついてしばらくしたころ、魔獣たちから王の杖と呼ばれているらしいことをシュロから聞いた。
「魔術師だから、ということか?」
「そうだな、王の側に侍るものという意味だ。……ああ、一部の魔獣の間では、王の伴侶という意味を持つそうだが」
「伴侶…………」
数日後、ルーヴの髪色のような淡い緑の魔石を紡ぎ、杖を作り上げた。
サモトラは魔術の行使に杖を必要とはしないが、これであれば見る度に良い気分になるので持っていても悪くない。
「あれ、サモトラは杖を使うことにしたの?」
「魔獣たちから王の杖と呼ばれているらしいからな。作ってみた」
「なにそれ。魔術師だからかな?なんだか格好いい呼び名だね」
「ああ、気に入っている」
その意味を知らないで無邪気に笑うルーヴに、にっこりと笑い返す。
人間よりもはるかに多くの魔力を持つ魔獣たちがそう呼び、力のある魔術師であるサモトラがそれを認めて従う姿勢を示すことで、それもまた着実に魔術を固めていくのだ。
サモトラは自分の道具も作るが、一番好きなのはルーヴの道具を作ることだ。
最近のルーヴの身の回りのものは、どんどんサモトラ作で埋め尽くされている。
サモトラの作ったものに囲まれているところを見ると、ひどく充足感があるのだ。
今までそうしたいと思う対象がいなかったので気付かなかったのだが、実はサモトラは、随分と尽くす性格だったらしい。
ルーヴをひたすら甘やかしたいのだ。
始めの頃は、あまり出しゃばりすぎて忌避されたら嫌だなと思ったので、少し遠慮していたが、今は好きにさせてもらっている。それをルーヴが許してくれるからだ。
「ルーヴ、…………それはどうした?」
「うー、不意打ちで上から花粉をかけられた。頭にきて殲滅しちゃったから、狩りの成果もないし。髪がざらざらする…………」
「すぐに洗おう。ほら、こちらに来い」
「え、自分で洗えるよ」
「魔獣の粉だろう?魔術的な影響がないか、洗いながら見ておこう」
「えぇ、…………うーん、そうだね。魔術的なことは私には分からないしね。お願いしていい?」
「もちろんだ」
以前のルーヴであれば、髪など洗わせてはくれなかっただろう。魔術的な影響の有無は、洗った後にいくらでも確認できるのだ。
だが、サモトラが世話を焼いて甘やかしたいのだと意思表示をすれば、仕方ないなと笑ってそれを許して甘えてくれる。それは、甘やかしているのに、甘えさせてもらっているような、不思議な幸福感があった。
ここでの日々は、もうこのまま森を出たくないくらいに居心地が良い。
だが、このところ王都から度々連絡が来ていた。魔の森に暮らし始めたころは何度か顔を出していたのが、ここしばらくは途絶えているためだろう。
わずらわしいので魔術通信具を壊してしまおうかとも思ったが、そうすれば通信魔術の跡を辿って王都の魔術師がやって来るだろう。おそらく、それを可能とするのは魔術師長のロードスくらいだ。
ロードスをルーヴに会わせることを考えると、サモトラの胸の内に不快な感情が湧き起った。
(あいつは、見目は良いからな…………)
面倒だが、通信具を返しに王都へ向かうことにした。
ついでに、相談役の職も辞して来よう。そうすれば、サモトラはさっぱりと身軽になってルーヴの側に居られる。
色とりどりの華やかな壁画が描かれた見上げるほど高い天井に、精緻な彫刻が施された壮麗な柱。高温の乾いた気候にふさわしく、風の通り道を多くした造りながら豪奢な建物。
贅を尽くした宮殿のあちらこちらで囁かれる、くだらない噂話。
白を基調とした宮殿の中で影のように暗く不気味に映えるサモトラの髪を見て、驚いたように目を見張る人々。
久しぶりに訪れた王宮は、見た目は美しいが相変わらず退屈そうな場所だった。
魔術師長の執務室がある廊下を躊躇なく歩いて行く。後ろから焦ったように王宮の魔術師が追いかけて来るが、どうせサモトラを止められはしない。
「相談役様、困ります!魔術師長は現在、重要な執務中で、」
「ロードスはいるか」
執務室の扉を無造作に開ければ、そこでは学生時代の同期が執務机で書類をさばいていた。
背後の立派な窓からの光を受けて、その髪は天鵞絨のように赤く暗く艶めいている。俯いているせいで見えない瞳は、とろりとした金色だとサモトラは知っている。ほぼ黒の髪に黒の瞳というサモトラとは違う、華やかな配色をこの男は持つのだ。魔術学校の時分から、この男の周りで女が絶えたことはない。
(やはり、ルーヴに会わせたくはないな…………)
ロードスが顔を上げてサモトラを認識すると、視線で指示したらしく後ろについて来ていた魔術師が一礼して出て行った。
「……サモトラ。何度も呼び出したが、ようやく来たのか」
「俺はしばらく忙しいから、くだらないことで呼ぶなと言ったはずだが」
「どれもこれも、国の重要案件だ」
「まあ、もう関係ないか。おい、俺の魔術通信具を返すぞ。今日かぎりで相談役は辞めることにした。世話になって……はいないが、まあ達者でな」
用件を済ませれば留まる理由もないので、サモトラは踵を返した。
だが、立ち上がったロードスが慌てたように腕を掴んできた。
「ま、待て!いきなりなんだ!?」
「言った通りだが。俺の所有者ができたので、一緒に暮らすことにした。もう王都には戻らない」
「…………所有者とは、なんだ?」
「狩人に狩られた。狩られた獲物は、狩人のものなのだそうだ」
ルーヴの言葉を思い出して、サモトラは思わず口元をゆるませる。
その様子を見たロードスは、なぜか驚愕の表情を浮かべた。
「…………お前、笑えたのか。いや、そうじゃない。狩られたというのは、お前が負けたということか。以前に魔力を奪ったあの魔鳥か?」
「魔鳥ごときに俺が狩られることを許すはずがないだろう。俺の所有者は魔鳥も華麗に打ち負かしていたが」
「…………あの魔鳥は相当に高位の魔獣だったはずだが。くそっ、わけが分からん」
「お前に理解してもらおうとは思っていない」
もういいだろうと去ろうとするサモトラを、再びロードスが止める。
「待て、頼むから。…………辞職は、今すぐは無理だ。お前は俺直属の相談役としてあるが、実際は王宮の魔術師全てに関わることだ。さすがに影響が大きすぎる。しばらく猶予をくれ」
「む…………」
「そうだな、お前が見たがっていた、秘蔵の魔術書の閲覧許可を出そう。それでしばらく待て」
「持って帰ってもいいか」
「王宮外への持出しは許可されていないのだが…………いや、分かった。持って行っていいから。ただし、魔術通信具も持って帰って、こちらの連絡にはきちんと応答してくれ」
「俺の所有者との時間を邪魔しない時ならな」
魔術師長の執務室を出ると、なぜか外に集まっていた魔術師たちからわずらわしい視線を向けられて辟易する。
うっとうしいので、その場で転移してひとまず王宮の外に出た。
(そういえば、転移はしないようにしていたのだったか……)
王宮内での魔術の行使は厳密に制限されており、転移は許可されていない。だがそのための魔術を敷いたのはサモトラなので、もちろん抜け道を作ってある。ただそのことが知られると面倒なことになるので今までは王宮内で転移することはなかったのだが。
まあ、もう仕事は辞めて王宮に来ることは無いから構わないだろうと、気にしないことにした。
それからしばらくして、何度かロードスから通信が入った。
しかし、持ち出した魔術書をルーヴの隣で読んでいる時だったり、うたた寝をしてしまったルーヴを眺めている時だったりといつも間が悪いので通信を取らなかった。シュロとカードをしていた時は受けてやろうかと思ったが、ルーヴが見学していたのでやはり無視した。
そして今日、手が空いていたので通信回線を開いてみると、業を煮やしたロードスが魔の森の入り口まで来ているのだという。
相談役のサモトラが辞職することに対して、やはり王宮は難色を示しており、それに関して相談したいことがあるらしい。
ルーヴとの家があるこの場所まで招きたくはないので、魔の森の入り口まで出向くことにした。
魔の森の入り口へ行けば、確かにそこには暗い赤の髪をなびかせた男が立っていた。
魔の森が放つ禍々しい気配に、その暗く輝くような赤がどこか怪しく馴染んでいるように見えた。
自分の領域に入り込まれているようで、少し胸の奥がざわめく。
そのわずかな乱れを悟られないよう、努めて平坦な声を出した。
「おい、ここへは来るな」
「サモトラ、……本当に魔の森にいるんだな」
驚いたように呟くロードスに、何を今更と思う。
ふとそこで読み終わった魔術書を思い出し、早々に返しておこうと放り投げた。
「そうだ、これは返しておく」
「おい、大事にあつか、え…………」
不自然に途切れた言葉に眉をひそめたところで、ここにないはずの声が聞こえた。
「あ、本を貸してくれた友達だね?」
驚いて振り返ると、シュロに乗ったルーヴがこちらを見て笑っていた。
その様子に慌てて駆け寄り、手を貸してシュロから降ろす。
「ん?慌てなくても、シュロは私を落としたりしないよ?」
「いや、そういうことではなく……、それより、こんなところでどうした?」
「シュロが、人間の気配がするっていうから見に来たの。誰かが迷い込んだのかと思ったけれど、サモトラの友達だったのね」
「いや、友人ではないが…………」
そこで、背後でばさりと何かを落としたような音がした。せっかく返してやった魔術書を取り落としたらしいのを地面に放置したまま、ロードスが呆然と呟く。
「魔鳥に人間が…………」
魔鳥は獰猛な魔獣である。近付くだけで襲われるほどの魔獣の背に乗った人間は、その魔獣を従順に従えているようにしか見えないだろう。魔術師として興味がわかないわけがない。
思わずその視界を遮るようにルーヴの前に立つ。
さっさと話を終わらせてロードスを放り出そう。
「サモトラ、彼女は…………」
「いいか、興味を持つな。見るな。それより話とはなんだ?」
「…………ああ、相談役辞職の件だが、やはり王宮から許可が出なかった。なんとか続けてもらえないか?」
「無理だ。俺は忙しい」
後ろで、ルーヴとシュロがこそこそっと話しているのが聞こえる。
「ねえシュロ、相談役ってなにかな?」
「サモトラは王都に居たはずだ。あの髪色は確か王宮の魔術師長だから、おそらくサモトラは王宮の相談役をしていたのだろう」
「わ、お偉いさん?」
その会話が聞こえたらしいロードスが勝手に口を挟む。
「そうだ、俺は王宮で魔術師長の任をいただいている、ロードスという。サモトラには、魔術師長直属の相談役を引き受けてもらっている」
「え、サモトラは王都で働いているの?」
「いや、もう辞めた」
「まだ許可してないぞっ!」
叫んだロードスをサモトラの後ろからちらりと見やり、ルーヴが首を傾げる。
「うーん、サモトラに辞めてほしくないみたいだよ?」
「俺はルーヴと一緒に居る方がいい」
ルーヴは再びロードスに視線をやり、懇願するような表情を見て不憫そうに眉を下げる。
その二人のやり取りに、また胸がざわついてくる。
そもそもルーヴにロードスを会わせたくはなかったのに。
「今までも、たまに出かけていたのは王都の仕事をしていたのかな。じゃあ、これからも続けられるのじゃない?」
「ルーヴ…………」
ロードスの肩を持つような発言に、ぎょっとする。
非難するように眉を寄せ、ルーヴの頬に手を当てて親指で目元をなぞる。嫌がる素振りもなく、くすぐったそうに目を細める様子に、少しだけ心が落ち着く。
するとルーヴはサモトラの手に自分の手を重ねて、続けた。
「サモトラはせっかくすごい魔術師なんだから、必要としてくれるところでその才能を使った方がいいよ」
「…………ルーヴは俺を必要としてくれないのか?」
「ふふ。すごく必要だよ。だから、長い間留守にするのはだめ。あなたの所有者は私だということを忘れないで」
ルーヴが微笑むと、サモトラはしばらく黙った後に深く息を吐いた。
「…………もちろんだ、俺の王」
サモトラが折れたのを確認したルーヴは微笑みを深め、頬に当てたサモトラの手の平へ褒めるように口づけを落とした。
それで完全に陥落したサモトラは、そのまま脱力してルーヴにぎゅうぎゅう抱き着いた。
いい子だね、と言いながら撫でてくれる手のぬくもりを享受する。
「そういうわけで、たまになら構いませんが、あまり長く拘束するような仕事はやめてください」
「あ、ああ。承知した…………」
呆然としたロードスがあまりにもルーヴを見つめるので、むっとして体を起こし、強制的に転移をかけて王宮に放り込んでおいた。
その後、相談役を続けるにあたってのご褒美としてはまだ足りないとルーヴにねだったら、さらに甘やかして大事にしてくれた。横でシュロが呆れたように見ていたが、うらやましかったのだろう。
王都で魔術師長の相談役をしているサモトラは、ルーヴに必要ではないと思った。あの時に狩られたサモトラが、ルーヴにとっての全てだ。
だからサモトラは、王都に呼び出されるわずらわしい職を辞そうとした。余計なものを排除してすっきりしたかったのだが、ルーヴに言われては仕方ない。
「サモトラ、最近は出かけないね?」
「ああ、しばらくは呼ぶなと言ってある。俺は王の杖だから」
杖についた淡い緑の魔石を撫でるサモトラに、ルーヴが微笑む。以前はルーヴがその意味を知らないだろうと考えていたが、今はもしかしたら知っているのかもしれないとも思う。
ルーヴはサモトラの所有者にふさわしく、測り切れないところがあるのだ。
もう、暇だなと途方に暮れてしまうことはない。
むしろ毎日が忙しい。
ルーヴが所有者としての自覚を忘れないように、定期的にサモトラの手入れをしてもらわなければならないし。
シュロは放っておくとすぐにルーヴに懐いて行こうとするから、油断できない。
ルーヴに新しい武器を作れば褒めてくれるから、また何か考えよう。
一緒に狩りに行けば、狩りをするルーヴは格好いいし、獲物を集める様子は楽しそうで可愛い。
サモトラは、今がとても幸せだ。
完結後もたくさんの方にお読みいただいているようで、とても嬉しいです。ありがとうございます!少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
サモトラのルーヴへの思いが溢れすぎて思いがけず長くなってしまいました。二話に分けようかとも考えたのですが、今回は一話に収めました。読みにくかったら申し訳ありません。
次の作品を投稿するまでは、Twitter(torikaitai_yo)に上げる小ネタは魔の森の狩人になる予定です。しばらくしたら、まとめてこちらにも投稿します(数日分しかないので、おそらく小話付きで)ので、よろしければご覧ください。