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魔の森の狩人  作者: 鳥飼泰
番外編
14/15

絵画の呪い

「ルーヴ、土産だ」

「ありがとう」


王都へ仕事に行くと、サモトラはいつもこうしてお土産をくれる。箱に書かれた文字から判断するに、今回はシュークリームのようだ。

だがルーヴが気になったのは、箱を差し出すサモトラの手の方だった。


「手袋をしているの? 珍しいね」

「ん、ああ。……ちょっと仕事で汚れたから、それが落ちるまでな」


箱を渡すとすぐに手を離したサモトラが、なんでもないように微笑む。ルーヴも狩りで手を汚すことはあるので、このときは特に気にしなかった。

ルーヴの手が汚れたときは、サモトラが魔術や魔術道具であっという間にきれいにしてくれる。ささいな汚れであれば、いつもの石鹸で事足りるくらいだ。その石鹸にはサモトラの魔術が込められていて、魔術的な汚れもある程度は落ちるらしい。

だからサモトラも、明日には汚れを落としてしまっているのだろうとルーヴは思っていた。



「あれ、まだ手袋?」

「ああ。ちょっと時間がかかりそうだ。頑固な汚れなんだ」


だが翌日、サモトラはまだ手袋をつけたままだった。黒い手袋はサモトラに似合っていたが、家の中でも外さないのは違和感がある。


「ふうん。落とすのが大変な汚れなの? シュロに手伝ってもらう?」

「いや、そのうちに落ちるから。たいしたものではない」

「でも手袋は外さないのね。なにか不調があるの?」

「なにも問題はないさ」


穏やかに微笑む様子に少し変だなと思いながらも、ぱっと見はサモトラに異常はなさそうなので、ルーヴはひとまず納得しておいた。



それから数日経ってもサモトラの両手は手袋に覆われたままで、さすがにおかしいとルーヴが不審に思い始めたころ。

庭で体を動かしていたルーヴに、シュロが寄って来て言った。


「ルーヴ。サモトラのあれは、どうにかした方がいいぞ」


どういうことだろうかと、ルーヴは目を瞬く。


「どこで拾ってきたのか知らないが、えらく古い呪いを受けている。あれはよくないものだ。放っておいたら命を削るだろう」

「えっ」


サモトラがなにか隠しているのは分かっていたが、まさかそこまでひどいものだとは思っていなかったルーヴは、ひどく驚いた。

もちろんすぐにサモトラを庭に呼び出し、問いただすことにした。



シュロを連れて仁王立ちするルーヴに、サモトラは呼び出された理由を察したようで、困ったように眉を下げた。


「ルーヴ……?」

「ちょっと、その手袋をとってみて」

「いや、それは…………」

「サモトラ」

「………………」


少し力を込めてルーヴが名前を呼べば、サモトラは渋々と手袋を外した。

その様子を、ルーヴとシュロがじっと見つめる。


「………………」

「………………」


露わになったサモトラの左手にはなにも異常はなかった。

だが、その右手は。


「……ここまで染まるほど放置していたのか、お前」


呆れたように言うシュロの横で、ルーヴは黙って眉をひそめた。

サモトラの右手は、指先から手首までがすっかり変色していたのだ。それは暗く濁った不吉な色で、明らかになにかに侵食されている状態だと分かる。


「……痛くはないの?」

「……その、少しだけ」

「………………不調はないって、言っていたのに」

「い、いや。あのときは痛みはなかったが、その、徐々に……。だが、大したことはなくて、」


慌てて弁解するサモトラを、ルーヴは黙って見つめた。

それから右手の状態をよく確かめようと手を伸ばせば、サモトラは、ぱっと手を引っ込めた。


「あ、……その、ルーヴは、触らない方がいい」


サモトラが気まずげに俯いて呟く。

その様子を見たルーヴは、シュロへ視線を向けた。


「触ったら、よくないの?」

「その呪いは触れてうつるようなものではない。状態が悪化することもないから、問題ないぞ」


シュロの言葉に頷いて、ルーヴはもう一度手を伸ばす。この件に関しては、サモトラの言うことに対する信用は低い。

サモトラの右手を、そっとすくい上げるように持つ。触れる瞬間、サモトラはびくりと大きく震えた。


「……痛い?」

「それほどは。だが…………気味が、悪いだろう?」


悲しそうに目を伏せるサモトラに、この右手を見て嫌悪されるのが嫌で隠していたのだなと、ルーヴは理解した。


「そんなこと、思わないよ」

「………………」

「見せてくれてありがとう。もう触らないから」


本人が嫌がるなら、もう触らない方が良いのだろうとルーヴが手を離せば、サモトラはなにを勘違いしたのか子供のように心細げな様子で訴えた。


「っ、ルーヴ。すまない。すぐに治すから。お願いだから、捨てないで…………」


泣きそうな顔でルーヴへ縋りつこうとしたサモトラは、はっと静止し、右手を握りしめて体を引いた。その頼りなげな様を見てしまったルーヴは胸が締めつけられるようで、考えるよりも先にサモトラを抱きしめていた。


「サモトラ!」

「ルーヴ、」

「捨てたりなんてしないよ。サモトラは私が狩った。だから、これからも私のものだよ」

「ルーヴ…………」


サモトラは呪いのかかっていない左手でぎゅうぎゅうとルーヴへ抱きついた。

シュロがやれやれとため息をつく横で、ルーヴはしばらくサモトラを抱きしめて慰めていた。



ようやくサモトラが落ち着き、三人で庭の大木の木陰に腰を下ろす。この木は、枝にシュロの巣が置けるほど大きく、その下はちょうどよい休憩場所になるのだ。

いつもであればルーヴを膝に乗せたりしたがるサモトラは、今日は少し距離を置いて隣に座っている。呪いを受けた体であることを気にしているのだろう。触れても問題ないとシュロが言うのだから、ルーヴは気にしないのだが。先ほどのことでまだ感情が不安定なようなので、今はそっとしておこうと、ルーヴは特に何も言わずに本題に入ることにした。


「それで、その呪いはどうしたの?」


さすがにもう隠すつもりはないのか、サモトラは素直に答えた。


「先日受けた仕事が、制作者の怨念が染み付いた古い絵画を処分するというものだった。その絵画の処分はできたが、……途中で呪いを受けてしまった」


サモトラが見つめる右手は、再び手袋がはめられている。もうルーヴに知られてしまってはいるが、見せないでいる方が落ち着くようだ。


「珍しいな、そのようなへまをするとは」

「まあ、ちょっと気が逸れてな……」


シュロの指摘に、サモトラは少し気まずそうに弁解した。自分でも失敗したと思っているのだろう。


「その、この右手をただ放置していたわけではない。今はまだ呪いの侵食を止められていないが、俺の体内の魔力で少しずつ消していくつもりだった」

「そんなことができるの?」


ルーヴはすぐにシュロへ確認した。信用度の低さに、サモトラが少し悲しそうな顔をしたが、この件に関しては自業自得だ。


「まあ、普通の人間には不可能だが、サモトラの魔力量ならできなくはないだろうな。単純な力業だから失敗することもない」


それなら安心かと、ルーヴがほっとしかけたところで。ただ、とシュロが続けた。


「ただ、その様子では相当に強い呪いのようだから、完全に消えるまでにはそれなりに痛みもあるし、いくらか命を削られる可能性があるだろう」

「えっ」


ルーヴが声を上げると、サモトラはばつが悪そうに目を逸らした。おそらくそのことも分かっていたのだ。

胸がむかむかとして、自然とルーヴの声が低くなる。


「サモトラ?」

「っ、す、すまない。その、少しくらいなら問題ないかと……。それに、時間をかけなければ削られる前に呪いを消してしまえるし、」


命を削ることを問題ないと言うサモトラに腹が立ったルーヴは、その両頬をぐいっと引っ張った。


「…………サモトラは私のものだったよね?」

「……っ、ああ。俺は君のものだ。ずっと君のものでいたい。捨てないでくれ」

「私のものを、勝手に削ることは許さないよ。それが本人であっても」

「………………すまない」


強い眼差しでルーヴが言いきれば、ようやく理解したのか、サモトラはしょんぼりと謝った。

それを確認したルーヴは頬から手を離し、よしよしと撫でておく。


「反省したら、もう二度としないでね?」

「ああ」


ルーヴとサモトラがふたりであれこれ言い合っている間、シュロはサモトラの右手をじっと見ていた。魔鳥には、手袋をしていてもその状態が見えているのかもしれない。

それに、シュロは長い年月を魔の森で生きる高位の魔鳥だ。人間にはない知識を豊富に蓄えている。


「…………絵画の呪いで染まったのであれば、清浄な水で洗い流すのがいいだろうな」

「清浄な水……」

「魔の森の奥に、湧水がひとつある。そこの水であれば効果がありそうだが」

「よし、じゃあそこへ行こうか」


解決策があるなら迷う理由はない。さっそく行こうかと立ち上がったルーヴに、サモトラが、もちろん自分も行くと言い出した。


「……サモトラは、右手が痛いでしょう? 大人しくしておいた方がいいよ」

「嫌だ。置いて行かないでくれ」


駄々をこねるサモトラに困り、ルーヴはシュロへ視線を向けた。サモトラも、訴えるようにシュロを見ている。


「……まあ、連れて行ってやれば良いのではないか? 今はまだそれほど痛みもないだろう。置いて行けば、勝手について来るぞ」


やれやれと言うように目を細めたシュロは、サモトラの希望を受け入れてやれと言う。確かに、この様子では置いて行っても勝手について来るだろう。

ルーヴが迷っていると、そこにサモトラも言葉を足してくる。


「呪いといっても、今は手が染まっているだけだ。わずかな痛みはあるが体調に問題はないし、魔術を扱うのにも支障はない」

「そうなの?」


もちろんルーヴはサモトラの言葉をそのままは信じず、シュロへ確認をとる。


「まあ、問題ないだろう」

「……うーん、じゃあ大丈夫なのかな。無理はしないのよ、サモトラ?」

「ああ。約束する」


嬉しそうに笑うサモトラに、仕方ないなあとルーヴも微笑んだ。

命を削る可能性がある呪いだと聞いたときは驚いたが、ひとまずはサモトラが元気そうなので、少しだけ安心した。




湧水付近は魔の森の特殊な魔力が濃いために迷いの森のようになっていて、シュロでさえも飛んで行くことはできないらしい。

そのため、途中からはシュロを道案内にして歩いて行くことになった。


こうして魔の森の奥の方まで来ると、鬱蒼と茂る木々のおかげで、辺りはずいぶんと暗い。

以前にサモトラと共にシュロを訪ねた場所よりも、さらに奥のようだ。


「ルーヴ、足下に気をつけろよ」

「うん、大丈夫だよ」


しばらく歩いていると、木の陰から出てきた魔獣に遭遇した。さすがにこの辺りの魔獣は、ルーヴを見てもすぐに逃げ出したりはしないようだ。


「うわあ…………」


魔獣の姿を見て、ルーヴは思わず声を上げた。

その魔獣はシュロよりも体はやや小さく、一般の大型の鳥ほどの大きさだった。上を向いた尾は長く、魔獣の動きに合わせてひらひらと優美に揺れている。

なによりルーヴの目に留まったのは、その美しい羽の色だ。全身が濃い青系統の色で、青や青紫、緑、黄緑と、様々な色を持っていた。暗い森の中で、まるで輝いているかのように鮮やかに映える。


きれいな魔獣だなとルーヴは思ったが、口には出さなかった。言えばシュロが気にするだろうと分かっていたからだ。

だが、ぼうっと見惚れるルーヴの様子から、シュロは鋭く察したらしかった。


「下がっていろ。これは私が相手をしよう」


いつもより好戦的なシュロが、前へ出る。

すると青い鳥型魔獣もシュロの戦う意志を感じとったのか、威嚇し始めた。

シュロが相当に強いことは知っているが、この鳥型魔獣の強さも未知数だ。どうなるのだろうかと、ルーヴはサモトラと並んでわくわくと見守る。


だが、勝負は一瞬でついた。


シュロが、ばさりと羽を広げて甲高く鳴いたのだ。突然のことにルーヴは少し驚いたが、不快な音ではなかった。ただ、びりびりと全身を震わせる、力のある音であることは分かった。

真正面からその音を受けた鳥型魔獣はみるみる弱り、劣勢を悟ったのかあっという間に逃げ出してしまった。


「あっけなかったな」

「シュロ、格好いいね!」

「む。そうか」


ルーヴが称賛すれば、シュロは羽を膨らませて丸くなった。目がきょろきょろと動いているので、照れているようだ。

よしよしと撫でてねぎらえば、ますます丸くなった。


そんなシュロを、サモトラがうらやましそうに見ているのにルーヴは気づいた。いつもであれば何かねだってきそうなところだが、今はやはり呪いに染まった右手と、おそらくルーヴに怒られたことも少し気にしているのだろう。

ルーヴが怒ったのは、不調を隠していたことであって、呪いにかかったことではないのに。

仕方がないなあと、ルーヴはサモトラの呪いを受けていない左手をとって、ぎゅっと握った。


「っ、ルーヴ?」

「ふふ。暗いから、ここからは手を繋いで行こうか」


ルーヴが微笑んで言えば、サモトラは繋がれた手をじっと見て、子供のように笑って頷いた。

それを見たシュロも、そうだな、そうしていろと笑った。


その後も、さすが魔の森の奥らしく何度か魔獣に遭遇したが、すべてシュロが片づけてくれた。

サモトラもあれこれ魔術で補助をしていたようだが、ルーヴは何もせずに見ているだけだった。その代わりに手を繋いだままでいてほしいと、サモトラに言われたからだ。



そうして、ようやく湧水の地に着いた。

ルーヴが想像していたよりもその水量は豊富で、そこは池のようになっていた。微かに水面がきらきらと光っているようにも見える。湧水の静かな水音と相まって、幻想的な光景だった。


「きれいな場所だね」

「そうだな。……とても澄んだ魔力を感じる」


ルーヴにはきれいな場所だとしか感じられないが、サモトラには、濁りのない良い魔力で満ちていると分かるらしい。


「サモトラ、ここだ」

「ああ」


サモトラはシュロが指し示した水の湧き出る場所へ近づき、手袋をはずした右手をそっと池に浸した。


それからサモトラがなにか魔術を編み上げる気配があった後、しばらくして、ぱきぱきと薄い膜が割れて剥がれ落ちるような音がした。

完全に音が止んだ後、サモトラがゆっくりと右手を引き揚げれば、もうすっかりきれいになっていた。


「わあ、よかったねサモトラ!」

「ああ、ルーヴ…………」


右手の呪いが消えたことを確認したサモトラは、すかさずルーヴに駆け寄って抱きついてきた。


「ようやく、君に触れられる…………」


背中に回した腕に込める力と吐き出す息の熱さから、サモトラの感情の大きさが伝わってくる。

思い返してみれば、呪いを受けたことをルーヴに知られたくなかったサモトラは、手袋をつけ始めてからはルーヴにまったく触れてはこなかったのだ。サモトラはこうしてルーヴに触れることが好きだから、それはとても悲しかったに違いない。

それに、こうして久しぶりに触れてみれば、ルーヴもそのぬくもりにほっとした。


「よしよし、今回は災難だったね。もう呪われたりしたら駄目だよ」

「気をつける」


ルーヴもその背中に腕を回して、いつものサモトラを存分に感じた。首筋に顔を埋めれば、満足げなため息が落とされた。


「やれやれだな」


その横で、シュロが安堵したように羽をばさりと鳴らす。


「シュロも、ありがとうね」

「ああ、……シュロ、ありがとう」

「群れの一員であるサモトラのためだからな、構わない」



家に帰って、ルーヴはサモトラと一緒に、今回の件で活躍したシュロの毛づくろいをした。ふたりがかりで丁寧に手入れされたシュロは大満足で、羽を膨らませてとても喜んだのだった。


「魔の森の狩人」の投稿開始からちょうど一年経ったので、記念の番外編でした。

また、同人誌も同じく4月3日に合わせて公開を始めました。本編3話と番外編7話に書き下ろし2話を加えています。紙版とPDF版でそれぞれおまけ付き。ご興味あれば、2021年4月2日の活動報告をご覧ください。

もしくは、直接BOOTHのページへどうぞ。

https://torikaitai.booth.pm/


いつもお読みいただき、ありがとうございます!

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