小話:ずっと前から狩人のもの
Twitter(@torikaitai_yo)で上げた小ネタから派生した小話。
夜の静かな空気に包まれた、魔の森。
もちろん、魔の森に棲む生物は夜行性のものもいるから、それなりに騒がしくもあるが、ルーヴの家の周りはそのかぎりではない。
サモトラが家の周囲に魔術で結界を張っているし、シュロも何かしているらしい。ルーヴの忌避する蛇だけでなく、そこらの魔獣では近寄ることもできないくらいになっている。
庭の切り株に腰かけたサモトラは、ひとりで月を見上げていた。
夜空に浮かぶのは、欠けのない満ちた月。潤沢な月の魔力が満ちている夜だ。
サモトラのような魔術師は、月の光を浴びることで月の魔力が得られる。このような満月の夜、魔術師たちは月光浴をすることが多い。
サモトラはそれほど熱心に月光浴をする方ではないが、今日はなんとなく、月を見上げていたい気分だった。
ささやかに髪を揺らす秋風の心地よさに、サモトラが静かに月光浴をしていると、突然後ろから衝撃があった。
「……っ、ルーヴ? どうした」
「えへへ、サモトラを狩っちゃった!」
相変わらずサモトラの警戒網を潜り抜けてくるルーヴに驚いて振り返る。
後ろから腕を回し、背中にぴたりとくっついてサモトラを捕獲したルーヴが、顔を肩に乗せてきた。
すぐ横にきたその顔は、少し赤い。
「……ルーヴ、酒を飲んだのか?」
「んー、うん。ちょっと飲んだかもしれない。でもそんなには飲んでいないよ」
その頬に手を当てると、外気のせいもあるのか火照っている。この感じはおそらくそれなりに飲んだものだろうが、それで気分がよくなって外に出てきたのか。
ルーヴは酔うとご機嫌になる人間だ。それよりさらに飲めば、かくりと寝てしまうので、害の無い酔っ払いだった。
「ふふ」
「ご機嫌だな」
「私が狩ったから、サモトラは私のもの!」
にこにこと楽しそうに笑いながら、ルーヴが言う。
酔っ払いの言葉とはいえ、不意打ちに、サモトラはぴくりと肩を揺らした。ルーヴに所有を示されるのはひどく気分が良く、顔が自然とにやける。
「……俺は、ずいぶんと前から君のものだ。忘れたのか?」
ルーヴはきょとんとして目を瞬き、それから嬉しそうに笑った。
「そういえばそうだったね!」
初めて会ったときに狩られてから、サモトラはずっとルーヴのものだ。それはこれからも変わらない。サモトラがそう望んでいるし、ルーヴもサモトラが必要だと言ってくれるから。
目を細めてルーヴを見たサモトラは、その細い体がずいぶんと薄着であることに気づいた。
「上着を着ていないな。ほら、風邪をひくといけないから、前に来い」
上着もなく外に出てきたらしい酔っ払いの腕を掴み、サモトラの足の間に座らせる。その体を温めるように腹へ腕を回して囲えば、ルーヴは大人しく寄りかかってきた。
素直に体を預けてくるのが愛しくて、サモトラは後ろからルーヴの頬を撫ぜた。酔いを乗せたその頬は、少し熱い。
「ふふ、くすぐったい」
「うん、…………」
ひとしきりその柔らかさを楽しんだところで、ふとルーヴが尋ねてきた。
「サモトラ、月を見ていたの?」
「……ああ、今日は満月だからな」
「きれいだね」
「ああ」
先ほどまではサモトラにそれほど感動は無かったが、ルーヴに言われると確かにそうだなと思えた。
それからしばらく、ふたりは共に月を見て過ごした。
夜風が冷えてきても、サモトラが魔術で周囲の温度を調整すればルーヴに寒い思いをさせることはない。
だから本当はこうしてルーヴを抱きしめておく必要はないのだが、サモトラが触れていたいので、これでいい。
そのうちにだんだんとルーヴの口数が少なくなり、頭が揺れ始めた。
頃合いかと、サモトラは声をかける。
「そろそろ家に入ろう」
「……そうだね」
返ってきたのは、明らかに眠りかけている声。
「ルーヴ、このまま寝るのか? 部屋まで送ろうか」
「んー、……お風呂、はいる」
「いや、酔っているときはやめた方がいいだろう」
「むー。さっぱりしたい」
どうやら、酔いと眠気でぐずりだしたらしい。
ルーヴがこういった無防備な姿を見せてくれるのも、共に過ごす時間を積み重ねてサモトラとの絆が深まったからだ。
そう考えれば笑みがこぼれ、サモトラは少し悪戯をしかけてみたくなった。
「そんなに風呂に入りたいなら、俺と入るか? ひとりでは心配だからな」
するとルーヴは眠たげな顔を上げてサモトラを見つめ、にっこりと笑った。
べしりっ
「…………痛い」
「おいたは駄目だよ」
それなりの力で額を打たれ、サモトラは涙目になる。こういうときのルーヴは、手加減をしない。
「……心配して言っただけなのに」
「んー、よこしまな空気を感じたから」
あれだけ無防備だったのに、ルーヴの危機察知能力は侮れない。これも狩人としての資質なのかもしれないが、もう少し流されてくれてもいいのではないかと、サモトラは小さく息を吐いた。
「…………まだ早いということか」
「んー?」
「いや、なんでもない」
だが、やはり酔ったルーヴをひとりで風呂に入れることはできないので、サモトラが魔術で体をさっぱりさせてしまうことにした。
取り出した杖をひと振りすれば、ルーヴと、ついでにサモトラ自身もすっきりさっぱりだ。
「わ、なんだかさっぱりした?」
「ああ、魔術で洗浄しておいた。これでもう寝られる」
すると気持ちよかったらしいルーヴが、さらにご機嫌にきゃらきゃらと笑った。
「すごいねー。さすがサモトラだねー」
今日はずいぶんと上機嫌だ。これはもしかすると、相当に飲んでいるのかもしれない。酔っ払いの言う、それほど飲んでいないという言葉は信用できない。
早々に寝かせた方がいいだろうと、サモトラがその手を取って部屋へ連れて行こうとすると、ルーヴが抱き着いてきた。
「ふふふ、そんなサモトラは、私のものだものねー」
「…………ああ、そうだ。君のものだ」
ごろごろと猫のように懐いてくる温かい体を抱きとめて、サモトラは少しだけ欲を出した。
「…………君のものなのだから、一緒に寝てもいいだろう?」
「ん? んー、いいよ。一緒に寝ようか!」
今度の提案は無事に受け入れられた。
だが多くを望むとまた狩人の勘を働かせたルーヴに追い出されそうだと思い、サモトラはその夜は純真な気持ちで眠りについた。