小話:ある朝の日常風景
真っ直ぐに射し込む朝の光。
近くの川から届く、水の流れる穏やかな音。
生き物たちが目覚める気配。
森での朝は、街とは違うものだ。
魔の森特有の禍々しさはあるが、それでも人工的な障害が無いために、自然を好む狩人にとっては好ましい。
ルーヴは庭に出て森の爽やかさを胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝の空気に身を浸していた。
すぐ側では、昨日狩ってきた獲物の素材を、サモトラが魔術で洗浄してくれている。
以前はルーヴがひとつひとつ手作業でしていたことだが、サモトラであれば魔術でまとめてやってしまえると言うので、お願いするようになった。
サモトラの洗浄は、杖のひと振りでざばんと水が出たり、ぽわっと光ったりといろいろな現象が起こるので、見ていて楽しい。
ルーヴが楽しんでいるのが分かっているのか、サモトラはたまにルーヴの方を見てにっこり微笑んでくれる。
「ルーヴ」
声をかけられてルーヴが振り向くと、朝日に照らされた羽を艶やかに光らせて魔鳥が立っていた。
その横には、魔術で操っているのか、ふわふわとブラシが浮いている。それが妙に平和的で、深い闇色の羽を持つ大きな魔鳥がなんだか可愛く見えた。
「ああ、毛づくろいする?」
「頼む」
嬉しそうに頷いて近寄って来たシュロを隣に座らせ、ルーヴは浮いていたブラシを受け取る。
立ち上がって頭の方からブラシを通すと、シュロは気持ちよさそうにぐるぐる唸った。
シュロは、毛づくろいが好きだ。
聞くところによると、魔鳥は群れをつくる習性があり、お互いに毛づくろいをし合うことで親しく交わる。毛づくろいには、仲間の絆を深めたり、愛情を伝えあったりする意味があるのだ。
その話を聞いてから、ルーヴはシュロに毛づくろいを乞われた時はいつも応えてやるようにしている。
(サモトラが言うには、シュロは私たちのことを群れだと認識しているみたい……)
シュロの群れを壊滅させたのはルーヴだが、その後新しい群れを作るのかと思っていたら、なんとルーヴたちを群れとしてしまったようなのだ。
魔獣は強いものが正義であり、従うのが定め。であれば、群れを圧倒したルーヴの下へ来るのは当然なのかもしれないと考え、ルーヴはシュロの認識を許容することにした。
それに、毛づくろいをしている時、シュロは本当に気持ちよさそうにしているし、羽が艶々していくのを見ているのも楽しい。加えて、ふかふかでとても手ざわりが良いのだ。
「気持ちよさそうだねー」
「ああ」
「ふかふか~」
「む。胸の部分は特に柔らかいのだ」
思わず抱き着いたりしてきゃっきゃとシュロにブラシをかけていると、ふと視線を感じてルーヴは顔を上げた。
すると、サモトラがじっと見ていた。
「どうしたの、サモトラ?」
「うらやましい……」
「ふふ、仲間に入りたいの?」
「とても」
「サモトラもシュロの羽を撫でたいのかな」
「いや、シュロではなく、」
最後のサモトラの呟きは小さくてルーヴにはよく聞こえなかったが、どうやらサモトラも仲間に入りたいらしいことは分かった。
「じゃあ、交代する?私が素材の洗浄をやろうか」
「いや、これは俺が任された仕事だから。最後までやろう。その代わり、終わったら労ってほしい」
サモトラとシュロも仲が良いことは知っているし、サモトラは相当に世話焼きなので、毛づくろいを代ろうかとルーヴは申し出たが、真面目な魔術師は作業を最後まで請け負うことを優先してくれた。
これは何かサモトラにご褒美を考えておかなければと、ルーヴは頷いて、ありがたくシュロの毛づくろいを再開した。
ブラシをかけながら、会話でも心をほぐしていく。
「シュロの羽は艶々だね」
「そうだろう」
高位の存在というのは、魅力的なものが多い。力のあるものとは、それだけ他の存在を惹き付けるものなのだろう。
そういう意味で、シュロの羽はとても目を惹く。
その闇のように深い暗色はとても人間の持てる色ではない。まさしく人外の、妖しく魅力的な色だった。
「この闇色が、とてもきれい」
「そうだろう」
自慢の羽を褒められて嬉しいらしく、シュロが羽を膨らませて丸くなる。
そうして大きなまん丸毛玉になったところを見てしまうと、人外の妖艶さがとたんに可愛らしいものになるが、それもまたシュロの魅力だなとルーヴは微笑ましく思った。
そのうちに、洗浄が終わったのか、サモトラが寄って来た。
「ルーヴ、俺も毛づくろいしてほしい」
「ふふ、毛づくろい?」
真面目な顔をして頷くサモトラがおかしくて、ルーヴは笑った。
つまりは、甘やかしてほしいということだろう。
「いつも素材の洗浄をしてくれてありがとう。お疲れさまということで、一緒にお昼寝しようか」
そう言って、ルーヴが膝の上をぽんぽんと叩いて示すと、サモトラは嬉しそうに寝転がって頭を乗せてきた。
ルーヴの膝の上に、サモトラの黒い髪が散らばる。さらりと撫でると、サモトラが猫のように目を細めてすり寄ってくる。
「いい色だねぇ」
ルーヴはサモトラの髪が好きだった。
他に、これほどきれいな色を持つ人間は見たことがない。
サモトラのこの色はシュロとは違って、人間らしい温度のある色だとルーヴは思う。
さらに、その瞳はもっと深い黒で、髪の色とともにルーヴのお気に入りだ。
「では、ルーヴは私に寄りかかるといい」
「ありがとう」
シュロがルーヴの後ろに寝そべって、背もたれになってくれた。
魔鳥が近くに居れば、あの恐ろしいにょろにょろが近付くことはないはずだが、こうして直接触れていれば、万が一にも現れることはないと安心できる。
ふかふかの羽に包まれて、ルーヴもまた、目を閉じる。
少し前まで、ルーヴはひとりで暮らしていたのに。
今は、サモトラとシュロが居る。
獰猛な魔獣の闊歩するこの魔の森で、これほど穏やかに過ごせると誰が思うだろうか。
ルーヴはなんだかおかしくなって、ふふふと笑ってしまった。その振動が伝わったらしいサモトラが目を開いて見上げてきたが、なんでもないよとその目に手を当てると、素直に昼寝に戻ってくれた。
昼の時間になって太陽の光が強くなるまで、三人は穏やかな昼寝を楽しんだ。