狩人と魔術師の出会い
その日、ルーヴは魔の森に仕掛けた罠を巡回しているところだった。
魔獣は、ここ魔の森にしか生息しない種も多く、そのため採取できる素材も希少なものが少なくない。魔の森に来たばかりの頃はそのことが嬉しくて狩人としての務めに励んでいたのだが、積極的に向かって来ていたはずの魔獣がなぜか最近は逃げ出すようになってしまっていた。
だから直接狩る方が好きではあるものの、罠も仕掛けるようになったのだった。
何個目かの罠を確認しようとしたルーヴは、そこに魔獣ではなく男が捕らわれていることに気付き、立ち止まる。
フードの付いた濃い紫色のローブを羽織った男は、こちらには気付いていないようだ。人間の魔術師のように見えるが、ここでルーヴが狩りをするようになってから、今まで人間に出会ったことはない。魔の森の魔獣には、巧妙な擬態をして餌をおびき寄せるものもいる。
ルーヴは目を眇めて男を見つめ、おそらく人間ではないだろうという推測の下に一撃を加えることにした。
「えっ、弱すぎ…………」
何か刺激を与えれば揺らぐかと考え、鞘に収めたままの短刀を投げただけなのだが、男はあっさり昏倒してしまったようだ。
気を失った男の擬態が解ける様子はないし、そっと近寄ってみても魔獣の気配はしない。どうにも人間にしか見えなかった。
であればと、ルーヴは唖然としつつも慌てて罠を外してやった。
魔術仕掛けのこの罠は、捕まえたものを傷付けたりはしない。物理的にではなく、魔術的に拘束するものだ。だから対象の魔力が罠を上回ると逃げられてしまうという欠点があるが、その場合は自分が直接狩りに行きたいような獲物であるので、ルーヴとしてはこれで良いと思っている。やはり狩りとは、獲物と直接対峙してこそだろう。
無事に解放されて意識を取り戻した男は、サモトラと名乗った。
罠のことで責められる前にと、ルーヴは先手を打って謝っておく。
「ごめんなさい。まさか魔獣用の罠に人間がかかるとは思わなくて」
「いや、見事な罠だったな。……しかしどうして俺は寝ていたのだろうな」
しきりに首を傾げているサモトラは、どうやら意識を失った理由は理解していないようだったので、ルーヴはあえて説明せずにごまかしておくことにした。
「え、罠に仕掛けてあった果物につられたの……?」
「ああ、とても美味しそうだったので、つい。君は罠を仕掛けるのがうまいな」
「…………」
魔の森で落ちている果物につられる神経を疑ったが、本人は気にしていないようだ。
呆れた視線を向けると、サモトラは目元を染めながら、空腹だったからなと呟く。そこでルーヴが謝罪も込めて持っていたサンドイッチを与えると、とても感謝された。
はぐはぐと嬉しそうにサンドイッチを頬張る様を見守っていると、なぜだか愛玩動物を見ているようでルーヴは心が柔らかくなった。
だから少し心が傾いて、サモトラに助言を与えることにした。
「魔の森で、不用意なものに手を出さない方がいいよ。今回は私が仕掛けた害の無い罠だったけど、魔獣には、妙なものに擬態して餌を捕獲するような、なんだかよく分からない罠を仕掛けてくるものもいるからね。というか、魔獣ってよく分からないものが多いし」
「そうなのか」
「うん。例えば、歌う謎の葉っぱ生物とかね。どこかから渡した蔓に、小さな葉っぱが一列に並んで歌うの。しかも歌いながら、跳ねたりする。うっかり凝視していたら、その隙に本体の幹が枝を伸ばしてきて獲物を捕獲するっていう魔獣」
「……それは、つい見てしまいそうだな。さすが魔の森といったところか」
「私は初めて出会った時、すごく見ちゃった。本体に捕まってからすぐに逃げ出せたけど、あれは拘束した枝から樹液を出して獲物を溶かす感じだったから、たぶんすごく嫌な食べられ方だと思う」
魔の森の魔獣は、固有の種が多いためにその生態も様々だ。初見でその生態を見破るのは容易ではない。
また、魔の森全体に満ちる魔力の豊かさから、魔獣たちの危険度も高いのだった。ルーヴとしてはよく分からない不思議な魔獣たちを狩るのはとても楽しいが、その危険度からか、他にここで狩りをする人間はいないようだった。
この辺りはまだ魔の森の入り口付近で、木もまばらに生えていたりして明るく、森の奥と比較すればそれほど危険ではない。それでも、すぐそこの枝からぶら下がっている蔓のようなものは、素手で触れれば簡単に指が飛ぶくらいの切れ味であるし、サモトラの足下に咲いている赤い花は、摘もうとすれば目潰しの呪いを受ける魔術的なものだ。
そんな魔獣や植物たちの危険をいくつか教えて魔の森への注意喚起を行い、一息ついたところで、サモトラが魔の森にやって来た理由を尋ねた。
「奪われた魔力を取り返しに来たのだ」
サモトラはやはり魔術師で、奪われた自分の魔力がある場所は、だいたいの気配を感じ取ることができるらしい。
そう言われて、ルーヴはサモトラの髪に視線をやる。
さっぱりと短く切りそろえられたその髪は、ほぼ白と言えるほどの儚い灰白だ。
一般に、魔力を多く持つ者ほど、その髪色は暗く黒に近くなっていくと言われている。
ルーヴが青とも緑ともとれる淡い色を持っているのは、一般の平均よりも魔力が少ないからだ。そのルーヴよりも色が無いのだから、今のサモトラはほとんど魔力を持っていない状態であるのだろう。それは罠にかかっても自分で抜け出せなかったことからも分かる。
「この辺りなの?」
「いや、もっと奥の方だと思う」
「じゃあこのまま、森を進むつもりなのね……」
ルーヴは腕を組み、サモトラの頭から爪先までを視線で撫で下ろした。
サモトラには魔力を失ったことに対する焦りのようなものは全く見受けられず、ある意味では余裕があるようにも見える。
しかし、罠にかかっても抵抗する様子もなくのんびり佇んでいたこと、そもそも罠に仕掛けてあった果物に安易に手を出していることを考えると、余裕があるというよりはぽわっとしているだけなのかもしれない。
「なんだか気になる視線なのだが……」
困ったように眉を下げたサモトラの魔術師のローブを羽織った体は、背はそれなりに高いがすらっと細身だ。剣や槍のような殺傷力の高い武器も見える位置には身につけておらず、物理的な戦闘力が高そうには見えない。
どうにも魔の森を無事に進めるとは思えなかった。
このまま放り出せば、寝覚めの悪い思いをすることは間違いない。
「むむむ…………」
そしてサモトラは、罠を仕掛けたルーヴを責めるようなことは今まで一度も口にしていなかったし、謝罪を込めたサンドイッチにもきちんと礼を伝えてきた。そういった態度には好感が持てる。
そのことが、ルーヴの決断を後押しした。
「わかった。これも何かの縁だし、私が森を案内しましょう」
「ん?」
「私はここで狩人として活動してそれなりに長いから、大抵の場所は大丈夫よ」
腕を組んで自分を睨みつけていた人物が突然好意的な申し出をしてきたからか、サモトラは不思議そうに首を傾げた。が、しばらくルーヴを見つめた後、ひとつ頷き。
「では、よろしく頼む」
サモトラは何かしら納得したのかもしれないし、もしかすると何も考えていないのかもしれない。
やはり一人で行かせるのは心配だ、とルーヴは思った。