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サイバーレイン  作者: ばぼびぃ
9/26

花見

  1


 四月を迎えた。と言っても、地下都市では空調管理され、気温の変化を感じることはできない。

 天井に映し出された空の様子が、なんとなく違うように思えるだけだ。青く澄み渡った空に、力強く光を放つ太陽があった。

 桜の木や梅の木といった季節を知らせる樹木も、地下都市にはなかった。

 代わりに、いつもはCMを流しているスクリーンに、桜の映像が流れていた。

 大本駿が参加しているVRゲームでも、桜のイベントを開催しているらしい。

 駿は特に花見をするつもりはなかったが、サクチャイ・シングワンチャーに誘われ、VRにログインした。

 駿がウォン・フェイフォンとしてログインすると、VSG3が期間限定で用意したマップへ移動した。

 そこは桜が狂い咲きに咲き誇っていた。

 淡いピンクの花びらが舞い散る中、大勢の人が集まって、花見を楽しんでいた。

 ひときわ大きな歓声が起こった。

 フェイフォンが近づいてみると、バイパーが舞い散る花びら一枚一枚を撃ち落としていた。

 ラッシュも対抗して、鋭いジャブで、空中を舞う花びらを拾い集めた。

 フェイフォンが試しに目の前の花びらを打つと、拳圧に押され、花びらが舞い上がった。

 バイパーのように撃ちつけるのは難しそうだ。

 次につかもうとしてみたが、やはり手が起こす風で花びらが舞い、うまくいかない。

 隣でモモタロウもチャレンジしていたが、同じようにうまくいっていない。

 後ろで笑い声が聞こえた。

「力み過ぎよ」

 ユウが笑っていた。

 フェイフォンはユウと、目配せであいさつした。

 別の場所でにぎやかな声が上がっていた。

 振り向くと、その中心に、セーラー服姿の桃子がいた。手にはお酒のようなものが見える。

 桃子は、キャラクターは未成年だが、中身は老人だ。この場合、未成年扱いすべきなのだろうか。それとも成人とすべきなのだろうか。

 桃子の隣で、丸い大きな頭が揺れていた。玉吉だ。彼の手にも何か握られている。彼は中身も未成年だ。アルコールではないことを祈ろう。フェイフォンはそう考えて追及しないことにした。

 そもそも、ここはVRだ。仮想現実だ。本当にアルコールを飲んでいるわけではない。

 玉吉の顔が妙に赤かった。

 フェイフォンは見なかったことにした。

 見知った顔がちらほら見える。

 珍しく、鉄拳のオウガもいた。彼はフェイフォンを見つけると、手を上げてあいさつした。

 フェイフォンはお辞儀で答えた。

 レスマがやってきて、ユウを連れ去った。二人して何やら笑い合っていた。

 ローグが、ようと一声かけて通り過ぎた。

 北東京トーナメントで見かけた、カーバンクルがソラと話し込んでいた。あの二人は友達だったのかとフェイフォンは様子を見守ったものの、特に変わったところはなかった。

 宴会芸よろしく、炎が立ち上った。

 アグニだ。ほろ酔い気味に赤らめた顔で、何やら陽気に炎を打ち上げていた。

 その炎を、グレーシャが凍らせて遊んでいた。炎が凍ると、グレーシャがクスリと笑う。案外、グレーシャも酔っぱらっていたのかもしれない。

 他にも見慣れない人々が大勢、舞い散る花を肴に、飲めや歌えやの騒ぎを起こしていた。

「近頃は花見でいっぱいなんてできなかったからなぁ。ここは最高だ!」

 見たことのない男が上機嫌にそう言うと、周りの人々が一様に頷き、そうだそうだと叫んでいた。

 フェイフォンはどこか踏み込んではいけない場所、例えば大人の集まる飲み屋街にでも踏み込んだように思え、そわそわした。

 帰ろうかと思った矢先に、モモタロウが近づいてきた。

 モモタロウはどこで手に入れたのか、桜の枝を手にしていた。枝には満開の花びらがついている。

「どう?粋だろう?」

 モモタロウが片目をつむってみせた。

「粋かどうかは分からないけど」

 フェイフォンはどこで手に入れたのか尋ねた。

「向こうで手に入るよ。ほら、あそこ、人が集まっているところ」

 モモタロウの指差すあたりに人垣ができていた。

 イベントマップの記念品なのかもしれない。

 何の役にも立たないかもしれないが、記念品はもらっておこう。フェイフォンはそう思い、人垣の後ろに並んだ。

「フェイフォン」

 声に振り向くと、見上げた先に顔があった。オウガだ。彼はにこやかにフェイフォンを見下ろしている。

「もうすぐ全国大会だな」

 オウガは呟くように言った。

 フェイフォンは地方大会で九位だったので、全国大会には出場できない。出場できないのであまり興味を持っていなかった。

「最近どうもキナ臭くてな。あるいは参加できないかもしれない。その時はよろしく頼むぞ」

 オウガは何をよろしく頼むと言うのだろうか。フェイフォンは理解できなかった。それでもオウガはお構いなしで、要件は済んだと去っていった。

 列の前の方を眺めていると、モモタロウのように桜の枝をもらう人とそうでない人がいることが分かった。

 服や持ち物に桜の絵を印字してもらっている人もいるようだ。

 ある人は武器の柄に、桜の花びらを入れていた。

 フェイフォンは扇子を取り出した。檜の白木で作った扇で、飾も絵柄も何もない。ここに花びらの絵を入れてもらうのも、いいかもしれない。

 ユウとレスマが記念品を受け取ったらしく、フェイフォンの方へ戻ってきた。二人とも桜の花を模した髪飾りを持ち、互いの髪につけ合っていた。

「美しいものは美しい人に似合う」

 ローグが呟いていた。いつの間に後ろに来ていたのだろうか。

「君の想い人もなかなかだね」

 ローグはそう言ってウィンクしてみせた。

「え?想い人じゃないよ。ただの友達!」

「そうかい?じゃ、そういうことにしておこう」

 ローグはそう言うとレスマの許へ駆け寄り、何やら賛美していた。聞いているほうが、歯が浮きそうなセリフを並べ立てている。

 レスマは優雅にお辞儀すると、ローグの前を通り過ぎた。

 レスマがフェイフォンの横を通り過ぎた。確かに美しい人だが、どこか、触れると危険と思われるにおいが漂っていた。

「似合う?」

 ユウが小首をかしげていった。いつの間に目の前へ来たのだろうか。レスマとともに歩いていたのだから、近くにいて当然なのだが、フェイフォンはユウの接近に全く気付いていなかった。ローグとレスマの様子に気をとられ過ぎていたようだ。

 改めてユウを見ると、花飾りがワンポイントになって、可愛らしく見えた。

 フェイフォンは言葉が見つからず、激しく首を縦に振って答えた。

 ユウは噴き出すと、何それと言いながら、レスマを追っていった。

 不意に後ろから押された。

 後ろの人が、早く前へ進めとせかしていたのだ。

 フェイフォンは一言謝って、前を追った。

 フェイフォンの順番が回ってきた。

 正面に係の人らしい人物がいた。

 一通り説明を聞いた後、フェイフォンは檜扇を広げ、ここに舞い散る花びらを書き込めますかと聞いた。

 係の人はお安い御用と答え、檜扇の上に花びらをまいた。その花びらが檜扇に吸い込まれ、花びらの型が初めから彫り込まれていたような、跡が残った。

 もう一度広げてみると、白木の中に数枚の花びらが舞っている。

 フェイフォンは係の人に礼を述べると列から離れた。

 檜扇を広げ、そこここに舞い散る花びらと見比べてみる。悪くはないと思えた。

 フェイフォンは檜扇を手に当てて閉じると、知り合いを探した。なんとなく、自慢したい気分だった。



  2


 桜イベントは別に用意されていた。

 あらかた参加賞を配り終えたころ、アナウンスが鳴った。

 桜の養分を食らって枯らしてしまうモンスターが現れた。桜を守って戦ってくれという内容だった。

 対戦格闘ゲームなのに、珍しく、RPGのようなイベントで、皆驚いていた。そして変わった趣向に喜んだ。

 格闘ゲームなので、モンスターを倒してもレベルが上がるようなことはない。が、人外のものとの対戦が楽しめるとあって、格闘ファンたちの心をくすぐった。

 倒したモンスターがコインを落とすので、それを集めてアイテムと交換できる。

 フェイフォンは何が交換品にあるのか確認せず、モンスター退治に出かけた。というよりも、確認する間もなく、モモタロウに引っ張り出されたと言う方が正しかった。

「格闘ゲームだぜ?どうせ、コインの奪い合いもルールの内だろうさ」

 ラッシュが不敵に笑っていた。彼は襲われたいらしい。襲ってきた敵を返り討ちにするのを楽しみにしていた。

 ユウの姿を探すと、レスマとともに遊んでいるのが見えた。今回は一緒に遊べないようだ。少し残念な気もしたが、周りに見知った人も多く、一緒に遊んでいるようなものだ。

 これはこれで、楽しそうだ。

 フェイフォンはウキウキしながら、檜扇を片手に異形のモンスターを目指した。

 モンスターはどうやら、ガーゴイルと言われるものらしい。ただ、羽のあるもの、ないものと、個体差があった。身体は石でできているようだ。中には甲羅のようなものを付けた、防御力の高そうな個体もいた。

 ガーゴイルは皆、顔にくちばしのようなものがついていた。そのくちばしで桜の養分を吸い取るのだろうか。

 RPGに詳しそうなプレイヤーが、なんでガーゴイルなのだとか、ガーゴイルは桜なんて食わないし、などと言っているのが聞こえた。

 フェイフォンにとっては、ガーゴイルが桜を食べようが間違いであろうがどうでもいいことだった。モンスターが現れ、退治すればいい。そういうものと割り切っていた。

 目の前に迫ったガーゴイルを檜扇で撃ちつけた。

 通常の個体はたいして強くないようだ。この一撃で粉々に砕けた。砕けた後に、なぜかコインが残った。コインは自動的に手元へ飛んできた。

 手にしたコインは自動的に、イベント用に配られた袋へ納まった。袋は腰布に差し込んでぶら下げてある。

 目の前をコインが横切った。

 試しにそのコインをつかんでみると、奪えた。

 モモタロウがにらみつけている。コインの行き先はモモタロウだったのだ。

「ごめん、つい」

 フェイフォンは袋に入ったコインを取り出すと、モモタロウへ投げた。

「なるほど。いい方法だ」

 いつの間にか、ハヤトが傍にいた。彼はフェイフォンに礼を述べ、高速で駆け抜けた。入手者の許へ飛ぶコインの間に割り込み、奪っていく。

「フェイフォン!」

 苦情の声が届いた。

 フェイフォンがやっているわけではないので、怒られるいわれはないのだが、発案者として怒られているらしい。

 RPGに詳しそうだったプレイヤーたちも、いつの間にかモンスター退治に興じていた。

 次第にモンスターそっちのけでコインの奪い合いが始まった。

 そこかしこでバトルが始まるので、巻き込まれないように気を付けなければならなかった。

 徐々にモンスターの数が増えるのだが、プレイヤー同士の争いが激化し、モンスターが桜に迫っても気にも留めていなかった。

 桜の何本かがモンスターに養分を吸われ、枯れ果てた後、消えた。

 すると、あちこちで驚きの声が上がった。皆、自分の袋の中身を見て驚いている。

 フェイフォンも袋の中を覗いて驚いた。コインの枚数が減り、代わりに砂が入っているのだ。

 また別の桜がモンスターに食われ、消えた。

 すると、袋の中のコインがいくつか、砂に変わった。

 事情を理解したプレイヤーたちが慌てて桜を守ろうとするものの、モンスターも桜も数が多く、手が回らない。

 誰かが参加賞でもらった桜の枝を出し、頭上にかざしていた。

 モンスターがその桜の枝に集まる。枝を掲げたプレイヤーは集まったモンスターを一網打尽にやっつけていた。

 モモタロウはそれをまね、自分も枝を掲げてモンスターを呼び集めた。

 フェイフォンは手近な桜を守りつつ、モンスターを狩った。

 炎の竜巻が起こっていた。おそらくモモタロウだろう。

 遠くの方では炎の雨が降っている。守るべき桜まで燃やしそうな勢いは、アグニに違いない。

 凍り付いたガーゴイルが数体、空から落ちてきた。コインに変わり、シルバーブロンドの美女を目指して飛んでいった。

 フェイフォンは空中をつかんだ。先ほどまで空中だった場所に、ハヤトの手首があった。

 フェイフォンはハヤトの手からこぼれたコインを奪うと、ハヤトの蹴り足を避けて仰け反った。同時に蹴り上げると、ハヤトが後方へ飛び退いていた。

 ハヤトはしばらくフェイフォンを睨みつけていたものの、時間の無駄とばかりに他所へ向かった。

 小気味良い音が響くと思ったら、ラッシュがラッシュらしいことをやっていた。

 桜の枝を前に置き、集まってくるガーゴイルを次から次へと、テンポよく、一撃で葬っていた。

 派手な音がしたと思うと、オウガが数体のガーゴイルもろとも一撃で殴り飛ばしていた。

 遠くで暴風が起こり、ガーゴイルを何匹も吹き飛ばしていた。先日出会った愛らしい目をしたウィンディーの仕業だろう。

 フェイフォンの周りに数本の桜がある。その桜に無数のガーゴイルが迫っていた。普通に倒していったのでは到底守り切れない数だ。

 フェイフォンは気合を入れると走り出した。

 全てが止まって見える。桜の花びらも空中にとどまっていた。

 フェイフォンは素早く立ち振る舞った。桜の花びらを避け、ガーゴイルを順に一体ずつ殴りつけた。すべてを殴り、立ち止まって振り向くと、無数にいたガーゴイルが一斉に弾けて消えた。花びらは何もなかったかのように舞い落ちている。

 桜の木はお礼を述べるかのように、花びらを優雅に散らしていた。



  3


 ラッシュの周りにだけ、花びらが舞っていた。その花びらはどこからともなく現れている。

「何それ?」

「コインでもらった。エフェクト」

 フェイフォンの問いにラッシュはそう答えると、花びらをまき散らした。

「修行にもなるぜ」

 舞い散る花びらを一枚一枚、空中で拾い集めたり、鋭い拳で打ちつけたりして見せた。

「お前は何もらったんだ?」

「僕は桜マップ入場券」

 イベント終了後も、入場券一枚につき一人、このマップに入ることができる。何かに使えそうな気がして、コイン全てを入場券に換えていた。

「デートにはもってこいだな」

 ラッシュは深読みしてそう答えた。

 フェイフォンはそのつもりがなかったので、戸惑うものの、否定もしなかった。

 ふと見ると、桜模様の浴衣を着たユウがいた。レスマと色違いのお揃いだ。

 あんな交換品もあったんだと思う一方、普段と違うユウやレスマがまぶしかった。

 ローグも同じらしく、うっとりとレスマを眺めていた。その手には桜が描かれた小袋があった。その袋からほのかなにおいが漂っていた。多分、レスマに貢ぐのだろう。

 何かプレゼントするのも悪くないなと、フェイフォンは思った。思ったが、すでにコインは使い果たした。それに、誰にプレゼントすると言うのだろうか。

 ユウだろうか。それとも、今日はいまだに姿を見ていないスーンだろうか。意表をついて、桃子という手もある。思った瞬間に、それはないなと思った。

「ローグ。それ、何?」

「ん?これか?におい袋さ」

 ローグが小袋をフェイフォンの鼻先に掲げた。何かがにおっているのだが、フェイフォンにはそれが何のにおいか分からなかった。

「あの浴衣姿にこのにおい袋。いいじゃないの!」

 ローグは悦に入っていた。

 交換品で意外にも人気だったのは、頭の上に桜の枝を生やすものだった。

 見た目は異様なのだが、桜の枝を生やした人々が大喜びで闊歩している。

 他に見かける品は、桜の花びらを模したペンダントや指輪やブレスレットといったアクセサリーだ。

 大量の入場券を持っているのはフェイフォンくらいだ。選択を誤ったかとフェイフォンは思い悩んだものの、すでに時遅しだ。

 モモタロウはブレスレットにしたようだ。桃子とお揃いだった。

 玉吉は丸い大きな頭の上に、桜の枝を生やしていた。

 ラッシュが選んだエフェクトも人気があるようで、そこかしこに見受けられた。

 男の人が浴衣を着ていた。黒いシックなものに、ワンポイントで花びらの絵柄がある。フェイフォンはその浴衣もいいなと思った。

 浴衣も人気があるようだ。

「日本サーバーのイベントだろう?浴衣だろう?きっと夏に、花火イベントがあるぜ」

 誰かが先を見越していた。その人はちゃんと浴衣を選んでいる。

 浴衣を着て花火見学。ユウとお揃いに。そう思うと、フェイフォンは浴衣を選ばなかった自分が残念でならない。

 手には大量の、桜マップ入場券があるだけだ。少し空しくなって、ポケットに無理やり押し込んだ。

 気分を紛らわせようと、檜扇を広げて扇いだ。

 桜を生やしたハヤトが駆け抜けていった。バイパーまで桜を生やしていた。フェイフォンは思わず二度見して確認したほどだ。

 桜を生やした人々がはしゃぎまわっている。

 フェイフォンが仲間に入り損ね、茫然と見やっていると、後ろから声がかかった。

 髪飾りをつけ、浴衣を着たユウが、恥ずかしそうに見上げていた。袖を振って、どうかしらと感想を求めた。

 フェイフォンは素直に、奇麗だと答えた。答えて、なぜか恥ずかしくなった。

 フェイフォンの背中をローグが強かに打ちつけた。恥ずかしさがどこかに飛んでいき、助かった気がした。

 ユウの肩にレスマがもたれかかり、キャッキャッと黄色い声を上げていた。そのレスマから、微かにいいにおいが漂っている。

 横を見ると、ローグがウィンクしてみせた。

 レスマがふいに右手を差し出した。心得たようにローグが進み出て左腕を差し出す。レスマがローグの腕にそっと手を添えると、二人はゆっくりと桜並木に向かって歩いていった。

 フェイフォンが羨ましそうに眺めていると、ユウにわき腹をつつかれた。

「それで?フェイフォンは何をもらったの?」「え?あ、いや」

 交換品のことを聞かれているのは一目瞭然だ。フェイフォンは全て入場券に換えたとは言いだせず、しどろもどろにごまかした。

「ねえ。一緒に歩かない?」

 ごまかすためには誘う勇気も総動員した。

 ユウは小さく微笑み、喜んでと答えた。

 フェイフォンたちみんなで守った桜の木が、彼らに感謝を示すかのように、花びらを舞い散らせた。

 咲き誇る桜の下を、ユウのペースに合わせてゆっくりと歩く。時間もゆっくり流れているように感じた。

 モモタロウが桜の木にもたれかかり、にやにやとフェイフォンたちを見つめていた。

 見つめられると恥ずかしかった。視線を逸らすと、反対側で桃子があぐらをかいて座り、こちらもにやにやとフェイフォンを見やっていた。

「はしたないよ!」

 フェイフォンは恥ずかしさをごまかすためにも、桃子の態度にクレームを入れた。

 桃子は悪びれもせず、高笑いしていた。

 フェイフォンがまったくもうと呟きながら横を向くと、ユウが袖で口元を覆い、クスクスと笑っていた。その仕草がたまらなく可愛い。

 フェイフォンは心に刻み込もうと、ユウを見つめた。ユウはフェイフォンの視線に気付くと裾をさらに上げ、顔を隠した。

 そっと目を覗かせる。目が笑っているのが分かった。

 フェイフォンも微笑み返すと、再び歩き出した。



  4


 スーンが現れたのは、イベントが終了した後だった。

 お祭り気分は残っており、頭から桜を生やした人々がはしゃぎまわって異様な雰囲気だった。

 しかし、スーンは気にも留めず、上気した笑顔でフェイフォンの腕をとった。

「私、やったわ!」

 開口一番そう言う。どうしたのか尋ねても、もう一度同じことを言った。

「私、やったのよ!」

 スーンがフェイフォンの腕を強くひくので、思わず転びそうになった。

 目の前にスーンの顔がある。スーンも見つめ返していた。急に笑顔になったかと思うと、スーンはフェイフォンの額にキスをした。

 フェイフォンは驚いて尻餅をついていた。

 今、何をされたのだろうか。

 額に、温かく、そして柔らかい感触が残っている。唇の形に何かがついているのか、感触は一向に消えなかった。

 近くにユウもいたはずだが、フェイフォンの頭からはスーン以外、消えていた。

 スーンがフェイフォンの前にしゃがみこみ、手を取った。

「私やったわ!」

 スーンは再びそう言うと、握った手を激しく振った。

「何をやらかしたの!」

 怒気をはらんだ声がした。ユウだ。腰に手を当てている。腰から手を離せば、殴りかかるのではないかと思われるほど、腰の辺りの服を握りしめていた。

 ユウは我慢できずに手を出した。ただし、スーンにではなく、フェイフォンにである。フェイフォンの襟首をつかむと強引に引き寄せた。

 スーンがフェイフォンの腕をつかんで引き止めた。

「あら。私のフェイフォンに手を出さないでくださる?」

 スーンの声に、蔑むような響きがあった。

「はあ?何言っているのかしら?」

 ユウとスーンがフェイフォンを引っ張り合う。

 フェイフォンは何が何だかわからず、引かれるままに動いた。

 二人の綱引きはケリがつかなかった。

 スーンはフェイフォンの腕を引くと同時に身を投げ出し、その腕に巻きつくようにしてフェイフォンの前に立った。

「あなたのおかげよ」

「ちょっと、離れなさい!」

 ユウが抗議してもお構いなしだった。

 桃子がフェイフォンの背中に寄り掛かった。

「中々羨ましい奴じゃの」

「ちょっと!ご老公!ややこしくしないで!」

 ユウの矛先が桃子に向かったのをいいことに、スーンはフェイフォンを独占した。

「私、フェイフォンの活躍をSNSで発信していたの」

 スーンが喜々として語った。

 ニュースサイトの運営者から連絡が届き、今度一つのコーナーを担当してみないかと言われた。VRゲームの特集を行うので、ちょうどいい人材を探していたのだ。

 運営者がスーンのSNSを知り、大絶賛して、連絡してきたのだと言った。

「さっきまで打合せしていたのよ」

 すぐに会いに来られずにごめんねと、スーンは笑顔をあふれさせて言った。

 スーンは以前から、フェイフォンの戦いぶりを観察し、映像とともにSNSへアップしていた。VSGのプレイヤー内でも何かとうわさになっており、フェイフォンもそのことは知っていた。

 そのSNSが認められ、仕事として記事を書くに至ったと言う。それは確かに、喜ばしいことであった。

 フェイフォンは素直におめでとうと言い、スーンを祝福した。

 ユウも、スーンを睨みつけながらも、祝福した。そして離れなさいとも言う。

「フェイフォンはうまい飯のタネじゃの」

 桃子はそう言ってからかった。

「あなたにもあげないわよ」

 スーンは、フェイフォンが自分のものだと言わんばかりに、フェイフォンを引き寄せた。彼女は桃子も、フェイフォンの害虫とみているのだ。

 ユウは桃子の正体を知っている。なので、スーンの行動は滑稽に映ったものの、それでスーンの行動を許す気にはなれない。崩れかけた表情を引き締め、フェイフォンはあなたのものでもないわと戒めた。

 スーンは舌を出して答えると、フェイフォンの胸にもたれかかった。

「フェイフォンもこうされると、嬉しいでしょ?」

 スーンが鼻にかかった声で言う。

 フェイフォンは確かに嬉しかったが、同時に恥ずかしくもあった。こういう時の対処に困る。手が空中で固まっていた。手の置き場がないのだ。

 スーンから甘いにおいがした。そのにおいがフェイフォンの思考を奪う。同時に緊張を強いた。

 スーンの柔らかい感触が、フェイフォンの注意を奪った。スーンの温もりをもっと味わっていたい。なのに、罪を犯しているような感覚を伴った。

 ユウと目が合った。蔑むような目だ。

 フェイフォンは思わず、スーンの肩を押して身体を離していた。

「もう、うぶなのね」

 スーンは何を思ったのかそう言ってほほ笑んだ。それ以上は寄ってこなかったので、フェイフォンは助かった。

 助かってはいなかった。ユウの視線がフェイフォンの胸に突き刺さる。そう易々とはやめてもらえそうにない。これは現実で出会っても、同じ視線で、非難してくるに違いない。

 フェイフォンはその時は平謝りしようと決心した。が、彼女とは友達という間柄だ。とやかく言われることもない。そう思って見返すと、ユウの視線に射すくめられ、やはり謝ろうと思うのだった。



  5


 しばらく経っても、桜の木を頭に生やすのが流行し続けていた。よほど気に入ったらしく、皆嬉しそうに闊歩していた。

 頭に桜を生やしたバイパーに出会うと、彼は一瞬気まずそうに目を反らし、咳払いでごまかすと、一言挨拶を言いおいて逃げた。

 それでも桜をしまわないところを見ると、バイパーも気に入っているクチらしい。

 フェイフォンはバイパーとも一度手合わせをしてみたいと思うのだが、あの様子だと、桜に飽きるまで、対戦できそうにない。

 VSGの世界王者という肩書を持つバイパー。その頂がどれほど遠いのか確かめたい。それに、バイパーは蛇拳を使う。フェイフォンの憧れる本物のカンフー使いだ。ぜひとも戦ってみたい相手である。

 蛇が鎌首を持ち上げるような腕や手首の構えから、鋭く這いよる牙のような手刀。想像するだけで、ワクワクした。

 どれくらいであの桜に飽きてくれるだろうか。それまでは待ち焦がれるしかなかった。

「よう!」

 肩幅が異様に広いのに小柄な男性が、陽気に声をかけてきた。ラッシュだ。またいつものように、早朝のランニング前にログインしているのだろう。

 彼は現実世界でプロのボクサーだ。しかも数ヶ月前に世界チャンピオンの一人になった。彼の住んでいる辺りがどこかは知らないものの、日本が夕方の今、彼の住む辺りは早朝のはずだった。

 思い返してみると、桜イベントの時、彼は練習をさぼったのではないか。それでいいのだろうかと、他人事ながらも悩んでしまう。しかし、息抜きも必要なのだ。あのイベントの時はたまたま息抜きをしていただけに違いない。

 フェイフォンはおかしな詮索を止め、手を上げて答えた。

「なあ。フェイフォン。ちょいとトレーニングに付き合ってくれよ」

 彼はVSG内でもトレーニングを欠かさないらしい。あるいは、VSGをイメージトレーニング代わりにしているのかもしれなかった。

「別にいいよ」

「よし」

「どうするの?」

「フェイフォンはそこに腰を据えて立って、俺の攻撃をさばいてくれればいい」

「分った」

 二人は至近距離で向かい合った。

 ラッシュが腰を落とし、頭を振る。そして横から戻ってくるときに、拳を打ち出す。

 フェイフォンはその拳を檜扇で受け流した。

 反対側へ通り抜けたラッシュがパンチとともに戻ってくる。フェイフォンは左手で受け止めた。

 ラッシュはトレーニングというだけあって、本気ではない様子だ。フェイフォンでも受け止められる攻撃だった。だが、ラッシュの左右の動きが増すにつれ、威力も上がっていった。

 パンチの軌道も、上から下まで振り分けられ、どこを狙ってくるのか分からなくなっていった。油断すると重いパンチをもらってしまいそうだ。フェイフォンは次第にゆとりがなくなった。それでも檜扇と左手で防ぎ続けていた。

 ラッシュのウェービングと呼ばれるそれは、さらに加速していった。左右から迫るパンチも加速し、重さを増した。

 左からくるパンチを受け止めようとすると、それは幻だった。本物はフェイフォンの腕の下を潜り抜け、脇腹に命中していた。

 ラッシュの動きが止まった。

 自分の拳を眺め、フェイフォンの身体を見つめていた。

 フェイフォンはパンチを受けたにもかかわらず、ダメージを受けていなかった。パンチの衝撃で身体が揺らぐということもなかった。

 フェイフォンが笑ってみせると、ラッシュは何をしたんだと尋ねた。

「硬功って、気功の一つだよ。硬いでしょ」

「東洋の神秘ってやつか…」

「硬功を使って、この檜扇で受けているからね」

「その扇、重課金とのうわさのやつか」

「四十クレジットだよ、これ」

 ラッシュはおかしな声を上げ、ちょっと見せてみろと言った。フェイフォンが手渡すと、広げてみたり、力を加えてどれほどの硬さなのか確かめてみたりした。

「折れそうだな」

「折れるよ。簡単に」

 フェイフォンはラッシュから檜扇を受け取ると、そこに気を流し込んだ。そしてラッシュに向けて差し出す。

 ラッシュが先をつかんで曲げようとすると、今度は硬い手応えだった。

「不思議なことをやる」

 そう呟きながら、別のことを考えている様子だった。

「つまりは、その硬さを破る攻撃が必要か」

 ラッシュは再び腰を落とし、ウェービングを始めた。戻りざまに放つパンチに横回転が加わっていた。

 フェイフォンは初めのうち、簡単に受け流していたものの、次第にラッシュの回転にはじかれるようになった。防ぎきれなかったパンチがフェイフォンの胸を打った。

 硬功で防いだはずだが、それでも胸の奥に響くものがあった。

 今度はラッシュが微笑む番だった。

「何今の」

「コークスクリューってやつさ」

 ラッシュは一歩下がると、ゆっくりと拳を打ち出した。その拳を外側から内側に向かって捻る。

「通常のパンチより威力が出る。しかし、現実で組み合わせるには、相性が悪いな…」

 ラッシュはもう少し練習してみる価値はあるかもしれないと呟きながら去った。

 フェイフォンも参考になるものがあった。硬功に頼り切ると、重く響く攻撃を食らってしまうことがある。使いどころは考えるべきだと分かった。

「面白いことやってたな」

 声に振り向くと、ヤマトタケルが手を上げた。

「それって、こいつで斬っても防げるのか?」

 ヤマトタケルは言いながら、腰に差した刀の柄に手を置いた。

「どうかな。ちょっとしたものなら防げるだろうけど、ヤマトタケルみたいな達人技で来られたら、無理じゃないかな」

「おー。褒めてくれるな」

 ヤマトタケルはそう言うと、フェイフォンの肩を叩いた。

「で、まだ隠し玉があるんじゃないのか?」

「え?」

「フェイフォンは見るたびに変わったことをやるからな」

 ヤマトタケルは毎度楽しみにしているのだと言った。

「隠し玉なんてないよ」

 フェイフォンはそう答えたものの、考えているものはもう一つ、あるにはあった。まだ試したことはない。

 考えているものは、もちろん映画を参考にした技だ。

 硬功も映画を参考にした。硬功を使った武闘家を刃物で斬りつけても、服は切れても身体は一切傷つかない。同じようにできるかはまだ試していないものの、打撃には有効だと確認済みだ。

 硬功ができたので、今思い描いているものも間違いなくできると確信していた。それを隠し玉と言われれば、あるいはそうなのかもしれない。しかし、試すような相手もいないので、今はないものとしておいた。

「それで。最近どうだ?おかしなところはないか?」

 ヤマトタケルがフェイフォンの身体を気遣うような言い方をした。

「何もないけど?どうかしたの?」

「いや、ならいいんだ」

 ヤマトタケルはそう言って頭をかくと、またなと立ち去った。

 入れ替わるように桃子がやってきた。

「のう。そろそろこっちの修行もしておいた方がいいのじゃないかの?」

 桃子は開口一番そう言いながら、スカートの裾をわずかに引き上げた。

 SNS上で、今や敵なしとまで噂されるフェイフォンだが、実は致命的な弱点があった。

 フェイフォンは以前、桃子にスカートの裾をその先までめくられ、鼻血を出して強制終了になったことがある。お色気攻撃の免疫がなく、からきしに弱かったのだ。

 その弱点の克服を言い訳に、桃子はからかおうと言うのだ。出会う度にからかわれている。

 桜イベントの時、桃子があぐらをかいて座っていたのも、その目論見がちらりとあったに違いない。フェイフォンは早々に顔を背け、気持ちを隣にいるユウに向けていたので、事なきを得た。

「いい。やめておく」

 フェイフォンが冷たく言い放っても、桃子は意に介さなかった。

「そうかの?この豊満なボディーを堪能できるのじゃぞ?」

 そう言って胸の谷間を強調してみせた。

 フェイフォンは思わず見入ってしまう。見透かしたように、桃子はそっぽを向き、妙なしなを作ってみせた。

 これをやっているのが齢九十を超えた老人である。フェイフォンは呆れると同時に、桃子が本当に女性だったらよかったのにと、望まずにはいられなかった。

 しかし、目が離せないフェイフォンだ。以前に比べればだいぶ耐性がついたようにも思えた。

 桃子がフェイフォンの視線に気づき、にやにやと笑っていた。

 フェイフォンは慌てて視線を逸らし、桃子から逃げだした。

 背後から桃子の高笑いが響いていた。

 今日もしっかりからかわれたようだ。フェイフォンは走りながら、大きなため息を一つ漏らしていた。



  6


 フェイフォンはあてどなく、VSG内を移動していた。

 いつもなら、どこからともなくスーンがやってきて、フェイフォンの右腕に絡みつくのだが、最近は現れない日が度々あった。今日も見かけていない。

 どこかのニュースサイトに掲載する記事を書いているのかもしれない。彼女は彼女の生活をしているのだと、改めて感じさせられる。

 ゲームにどっぷりハマっていていいのかなと、フェイフォンは自問してみるものの、まだやりたいことがあるわけでもないし、高校生活もまだ一年と数ヶ月ある。大学に進学すれば、もっと猶予があるのだ。その間に考えればいいさと、気楽に考え流していた。

 どこまでも続く草原に出ると、NPCと戦っている初心者らしいプレイヤーを見かけた。

 動きがぎこちない。腰が引けたまま戦うプレイヤーの姿が笑いを誘った。

 フェイフォンはがんばれと一言声をかけて通り過ぎた。

 自分にもあんな時があったなと、昔を想い返した。といっても、まだ一年も経っていない。いつの間にか常連の中に紛れているが、フェイフォンもつい先日まで、初心者だったのだ。

 初めてNPCと戦ったのは、やはりこの草原だった。

 ログイン直後に転送されるマップは色々あるものの、確率的に、草原が圧倒的に高い。

 そのためか、草原では時々初心者らしいプレイヤーを見かけることがあった。そしてそう言った初心者を襲う、いわゆる初心者狩りと呼ばれる嫌らしいプレイヤーも、草原を張り込んでいた。

 フェイフォンも初心者狩りに遭い、運良く返り討ちにしたのだった。それが縁で、ダーククローと対戦友達になった。考えてみれば、襲ってきた相手と友達になったのだ。不思議な縁である。

 ダーククローのプレイヤーには一度助けられたことがある。フェイフォンが現実世界に戻り、帰宅しようとしたところ、三人組につかまって殴られた。その現場にダーククローのプレイヤーが駆けつけ、機転を利かせて助けてくれたのだ。

 ダーククローのプレイヤーの名前は知らない。少し影のある青年と分かっているだけだ。その青年はフェイフォンが持ち合わせていない勇気を兼ねそろえた人だ。フェイフォンは秘かに尊敬していた。

 そのダーククローはここ数ヶ月、フェイフォンを避けているようで、対戦していない。会話もかわしていなかった。

 桜イベントの時も、ダーククローを見かけなかった。もしかしたら参加していたのかもしれないが、彼はフェイフォンを避けているのか、見られないようにしていたのかもしれない。

 今度見かけたら、なぜ避けるのか問い詰めてやろうとフェイフォンは決意していた。

 考え事をしながら歩いていると、いつの間にか山の麓にいた。この辺りは木々が生い茂り、障害物の多い中での対戦ができる。

 森の中にはたまに開けた場所もある。そこで戦う人たちもいるのだが、フェイフォンはせっかくなら、森の中で戦ってみたいと思った。

 森を進むと少しずつ登りになっていき、木々がより一層生い茂った。

 しばらく登ると今度は逆に木々が減り、低木や雑草が目立つようになる。さらに登ると雑草と岩になり、次第にごつごつした岩ばかりになった。

 現実世界で同じ距離を登ろうとすれば、数時間要しただろう。だが、VSGの格闘家の身体をもってすれば、ものの数分だった。

 ここから先は急こう配の登山道が続く。道は左右に蛇行し、遅々として上へ進めない。

 フェイフォンは立ち止まると、一つ試してみる気になっていた。

 以前、上へジャンプして蛇行する道をショートカットしたことがあった。その時は道一本分上に飛んだ程度だった。

 今回は、それをどこまで上回れるのか、楽しみであった。

 試すことは気功の一種を使う。ヤマトタケルに隠し玉と言われて、内心思い当たったものがこれだ。

 軽功という。硬功が気功を利用して身体を硬くする技なら、軽功は気功を利用して身体を綿のように軽くする技だ。

 映画の映像を思い描き、自分の身体に置き換えて想像し、飛び上がった。

 飛んだつもりが、ほとんど飛べていなかった。着地は羽が落ちるように緩やかだった。

 身体は確かに軽くなっている。フェイフォンにその自覚はあった。軽功そのものは、思った通り簡単に実現できていた。ただ、硬功ほどは簡単に使いこなせるものでもなさそうだ。

 先ほどの失敗は、軽くなりすぎて、風の抵抗を受けて飛べなかったのではないか。掴んだ綿を思いっきり投げても、たいして飛ばないのと同じだ。

 フェイフォンは試しに体重がもう少しあるように調整できないか、挑戦してみた。

 先ほどよりは高く飛べたものの、風の抵抗を受けて失速した。まだ映画のように飛べてはいない。

 試しに軽功を使わずに、脚力のみで飛び上がってみると、今までより高く上がった。蛇行する道を二つほど飛び越せた。これでは軽功の意味がない。

 敵の攻撃を受け、軽功でダメージを受け流すなら、綿のような軽さでいい。おそらくほとんどダメージを受けずに済むだろう。

 だが、今は跳躍距離を伸ばしたい。軽すぎてはだめだ。そして重すぎても駄目だろう。

 フェイフォンはまだ何かが足りないのではないかと思えた。

 風の抵抗。そう、これを何とかできないと、意味がないのではないか。

 何か風よけを使う。といっても、大きなものを使う訳にもいかない。せっかく身体を軽くしても、重く大きなものを使っては本末転倒だ。

 風を切るような、流線型のものがいいのだろう。傘のようなものを使う。それは良いかもしれないと思えた。が、それを用意するには、課金の必要がある。檜扇を作ったように、設定しなくてはならない。

 檜扇で四十クレジットもかかったのだ。傘を作ると、同じかもっと必要なのではないか。そんなお金はどこにもなかった。

 待てよと思った。フェイフォンの記憶の中で、映画のワンシーンが再生された。主人公やヒロインが、剣を突き出して、軽やかに木の枝を蹴って飛んだ。木の枝はほとんど揺れないので、軽功を使っているのは確かだ。

 そうなのだ。無理に流線型を作らなくてもいいのかもしれない。剣のようなものを突き出し、空気の抵抗を突き破る。そこを起点に流線型の、抵抗の弱い部分ができるはずだ。

 フェイフォンは素晴らしいことを思いついたと思えた。だが、剣も持ち合わせていない。作るにも、課金が必要だ。

 全ては金。貧乏人は諦めるしかないのだ。

 夢の技の一歩手前で、フェイフォンは諦めるしかないと思うと、悔しかった。

 ここまで来て、はいそうですかと諦められるわけがない。フェイフォンは何かないかと身体をまさぐった。

 帯は長い布だ。これを濡らして、映画のワンシーンのように、棒状に振って使う。それもありに思えたが、水がない。

 ポケットにある大量のチケットは何の役にもたたない。

 ふと、指に硬いものが触れた。帯に挟んだ檜扇だ。

 檜扇は閉じていれば、剣の代わりにならないだろうか。代わりになりそうな気がして、フェイフォンの気分は一気に高まった。

 剣よりはだいぶ短いので、だめかもしれない。一抹の不安も残るが、これはもう試すしかなかった。

 フェイフォンは檜扇を握って向かう先に突き出した。その体制のまま、軽功を使って飛び上がった。

 今までより風の抵抗が少ないように感じた。感覚が間違っていないと証明するように、飛距離も伸びた。

 近づいてきた地面を軽くなでると、さらに飛べた。

 フェイフォンは嬉しくなった。これだこれだと呟いてもいた。映画で見た、軽功による跳躍は、まさにこの通りであった。映画を体験しているようで、心躍った。

 いつまでもやっていたいが、もう一つ試したいことがあった。

 軽功の度合いを調整し、風の抵抗に堪えることのできるすれすれの体重を残して跳躍する方法だ。脚力は元のままなので、軽くなった分、飛距離は伸びるはずだ。

 考えた通りの結果だった。先ほどとは違い、着地の時に地面を蹴る感触が強いことや浮遊感の違いはあるものの、これはこれで使い道がありそうだ。

 また、跳躍中に軽功を調整して体重を変えると、飛距離に影響が出た。何かと使い勝手は良さそうだ。かなり神経を使うが、軽功は奥が深く、面白そうであった。

 フェイフォンはもっと試したいと思ったが、いつの間にか、頂上の火口に到達していた。

 風を切って空を飛ぶのがこれほど楽しいとは思っていなかった。

 まだまだ飛んでいたいが、火口についたからには、別の挑戦をしてみたかった。今度は火口に飛び込んでみようと考えていた。軽功の調整や、檜扇を利用して落下する方向を調整すれば、溶岩湖を避けて陸地に着地できるのではないか。

 間違って溶岩湖に落ちれば焼け死ぬ結果となる。また、高所から飛び降りるので、地に足がつかない恐ろしさがある。

 無事で済まないかもしれないと思うと、なかなか踏み出せない。フェイフォンはしばらく、火口際に立って躊躇していた。

 最悪、壁際によって通路に着地すればいいと何度も考えるのだが、はるか彼方に見える、赤く煮えたぎったものに足がすくんだ。高さにも、身体が勝手に恐怖している。

 羽のように軽くなれば、この距離を落ちても、平気なはずだ。

 フェイフォンは生唾を飲み込んだ。

 溶岩湖からの熱気でのどが焼ける。いや、それは気のせいで、ただの緊張でのどが渇いているのだ。確かに溶岩湖の熱気はあるものの、火口は寒いくらいだ。

 一日中、火口際に立って中を眺めているわけにもいかない。フェイフォンは覚悟を決めると、飛び込んだ。

 溶岩湖が急速に接近した。

 フェイフォンは意識を集中しきれず、軽功の制御に手間取っていた。

 肌に伝わる熱気が増している。熱気が増すにつれ、より焦るようになった。焦れば焦るだけ、集中できない。

 どうにでもなれ。フェイフォンはやけくそになって目を閉じた。

 不意に、浮遊感が身体を包んだ。フェイフォンが慌てて目を開けると、赤く煮えたぎる溶岩湖からの熱気に乗って、少し上昇しているところだった。

 目の前に溶岩の気泡がある。膨らみ、はじける。

 間一髪だったのだ。運良く、軽功が発動していた。

 フェイフォンは上昇するのに任せ、溶岩湖から離れた。そして檜扇を広げて陸地に向かって流れるよう、風を起こした。

 足元が陸地の範囲に入ると、軽功を操作して体重を増加させ、ゆっくりと着地した。

 フェイフォンはそのまま崩れるように倒れ、転がって荒い息をしていた。緊張のあまり、呼吸を忘れていたのかもしれない。

 危なく溶岩湖に落ちるところだった。だが、思惑通りにできた。フェイフォンは達成できたことが嬉しく、自然と笑いがこぼれた。笑うことで、今まで感じていた恐怖を追い払おうとしていた。

 足が震え、しばらく立ち上がれそうにない。

 フェイフォンは寝ころんだまま、笑い続けた。



  7


 フェイフォンはやっと立ち上がれるようになると、せっかくここまで来たのだからと地底湖を目指した。

 地底湖の印象は意外と深く、ずっと気にかかっていた。かといって、訪ねていく用事もなかったので、足が向かなかった場所だ。

 そこにいた人々も印象的だが、まだどこか他人事めいた印象も強かった。現実世界でかかわったことのない人々だ。それに、身体の不自由さを経験したこともない。さらに、地底湖にいた人々は普通の人同然に遊んでいたのだ。現実世界で身体が不自由だとはとても想像できない。

 ヤマトタケルに案内され、彼らの説明を受けた時、少なからずショックを受け、事実か確かめたかったが、彼らは地下都市内に入居していないと言う事実が分かっただけで、彼らの苦労も生活実態も分からずじまいだった。

 分からないと、VSGで普通に遊んでいた姿が浮かび、それが現実の姿に思えてしまう。

 かといって、地底湖を再び訪れても、何の解決もできないだろう。現実の彼らに出会わない限り、正しく理解できないのではないか。そう分かっていても、いつか地底湖に行って確認してみたいと思っていた。

 そのいつかが、たまたま今日というだけだ。近くまで来たのだから、ちょうどいい。フェイフォンはそう考えて、奥へ向かった。

 先ほどの恐怖がまだ残っているようで、溶岩湖脇の細い道がやたらと怖い。

 反対側の壁にしがみつくようにして歩いていた。誰かに目撃されたら、なんだそのへっぴり腰はと、笑われたに違いない。

 笑われたってかまやしないやいと、フェイフォンはいきがってみても、足の震えは止まらない。

 ちょっと馬鹿な真似をしたかもと後悔していた。

 細い通路から横穴に入ると、やっとひと心地つけた。溶岩湖から離れるにつれて、足の震えも治まっていった。

 情けない奴め。フェイフォンは自分の足に文句を言ってみたが、動悸もやっと治まってきている。足だけではなく、鼓動も意に反した行動をとっていたのだ。

 不意に、違和感のある空間を抜けた。

 その瞬間に、殺気のようなものを感じてフェイフォンは屈んだ。その背の上を何かが鋭く抜けた。

 見上げると、侍姿の男が居合斬りよろしく斬りつけていた。殺気に気付かなければ、身体を真っ二つにされていたところだ。

「何だ。フェイフォンか」

 侍姿の男はヤマトタケルだった。刀を鞘に納めながら、すまんと謝った。

「変な輩がここに紛れ込むことがあるからな」

「そうやって排除しているの?」

 フェイフォンが立ち上がりながら尋ねた。

 ヤマトタケルは頷いた。

 現実の身体能力しか発揮できなくなったプレイヤーがいる。彼らは好奇の目にさらされ、一部の心ない人々によって狩られていた。彼らを守るために、この奥に地底湖が作られ、保護していた。

 ヤマトタケルは地底湖を作ったハッカー、あるいはその仲間なのだろう。彼はここの警備も兼ねているのだ。

 あの違和感のある空間は、警報装置の一種なのかもしれない。警報を察知したヤマトタケルは問答無用で斬りつけたのだ。

 フェイフォンはよく気付けたものだと、自分でも驚いた。運がよかったのかもしれない。

 ヤマトタケルはもう一度詫びると、二人して奥の地底湖を目指した。道すがら、彼は顔の前にSNSを表示させていた。

「お。火口から飛び降り自殺だと」

 呟くように言って、フェイフォンにも見せた。遠巻きの映像で、逡巡しながらも、最後に飛び降りる姿が映っていた。

「ま、ゲーム内で自殺も何もないな。面白おかしく記事に仕立てただけだ」

「それ、たぶん、僕」

「ほぁ?」

「いや、自殺なんかしてないよ」

「そりゃそうだろう」

 ヤマトタケルがフェイフォンの身体を嘗め回すように見た。フェイフォンはどこにも異常がないと、両手を広げて示した。

 冷静に考えれば、ゲームなので死に戻りがある。身体に異常が残るはずはなかった。

 いや、残るものがあった。あれは特殊なケースだ。NPCが紅い色をした異常状態を示すことがある。その紅いNPCに負けると、ペナルティとして能力値が下がる。

 フェイフォンも一度負けたことがあった。その代償として、額を縦に割る傷が今も残っていた。そしてHPの上限がわずかに減っているのである。

 しかし、それはあくまで特殊な例で、通常は死に戻れば身体の異常は全てリセットされるのだ。

 ヤマトタケルが見ていたのは、身体ではなかった。シンクロ率だった。また上がっているなと呟くので、フェイフォンも考えを巡らせて、気付けた。

「シンクロ率95パーセント…」

「変なことをするたびに、お前のシンクロ率は上がっていくな」

 ヤマトタケルは呆れたように言った。

「で、何そんな酔狂なことを。自殺を体験してみたかったのか?」

「そんなわけないでしょ。ちょっと技の試しをしていただけ。でも怖すぎた」

「何をやろうってんだ…」

 ヤマトタケルの問いに、フェイフォンは口ごもってごまかした。違うことを言って、話題を逸らそうともした。

「それ、スーンの記事かな?」

「違うだろう。想像で文章を足したような記事だ。突拍子もないことを書いて閲覧数を増やすだけの、ろくでもないやからだな」

 言いながらも、その記事を閲覧した張本人はあっけらかんとしている。

 無責任な記事と言いながらも、そのろくでもない記事を読んでいる。閲覧数を増やすことに貢献しているのだ。どっちもどっちに思えたが、フェイフォンは何も言わなかった。

「で、命綱なしのバンジージャンプは楽しかったか?」

「楽しいわけないでしょ。もう二度とやらないよ」

 フェイフォンがムキになって言うと、ヤマトタケルは大笑いしていた。

 地底湖が見えてくると、地底湖脇の平地で遊ぶ人たちの声や音が聞こえた。

 地底湖の天井はなぜか明るく、巨大な室内レジャー施設のようにも見えた。地底湖が、遊戯施設を備えたプールに変われば、まさにそのものだ。

 地底湖はかなり大きい。それと同程度の広場がある。この広場で、バスケやスケートボードなど、遊戯を楽しんでいた。

 今日もかなりの人数がいた。その全員が、車いすやベッドの上で生活していると思うと、フェイフォンは異世界に迷い込んだ気分だ。普通に遊びまわっている人々を見ると、にわかに信じがたかった。

 人込みからバスケットボールが飛び出した。人々が追いかけるものの、追いつけない。ボールの行き先は地底湖で、湖へ落ちることは簡単に予測された。

 フェイフォンは思わず駆け出していた。瞬く間に駆け寄り、跳躍すると、湖の上でボールに追いつき、陸地に向かって叩き返した。

 ボールが陸地に届いたことを見届けながら、フェイフォンは湖面に向かって落ちた。

 フェイフォンは檜扇を手にすると、それを水面に向かって突き刺した。檜扇の浮力が水面を押す。強い抵抗となって手に伝わった。フェイフォンの身体はその抵抗で難なく空中へ押し戻された。

 湖面から離れる瞬間に檜扇を軽く振って、押し戻される方向を調整した。空中で体勢を入れ替え、飛びだした陸地へ舞い戻った。

 皆がフェイフォンを見つめていた。一様に目を見開いて、口をあんぐりと開けていた。

 フェイフォンがはじき返したボールが彼らの足元を転がっていた。

「何だそりゃ!」

 ヤマトタケルが叫び声を上げた。それが合図であったかのように、皆が驚きの声を上げた。



  8


 フェイフォンは曲芸師さながらに歓迎された。

 フェイフォン自身も拍手喝さいを浴びるのが楽しくなり、軽功や硬功を駆使して人々を湧かせた。

 軽功と檜扇を駆使して地底湖の上を飛び回った。これには皆、驚愕と歓声で迎えてくれた。

 ただのカンフーの演武でも拍手がもらえる。もったいぶって演武をしていると、ヤマトタケルが抜刀して斬りかかってきた。本気ではないのは一目瞭然だが、油断すれば斬りつけられる。そういう斬撃を軽やかにかわしながら演武を続けると、より一層拍手が沸き起こった。

 人々は自分の遊びを放り出し、輪を作ってフェイフォンのすることを熱心に観察した。

 ヤマトタケルの斬撃を飛んでかわすと、峰の部分に着地してみせた。ヤマトタケルも面白くなっているらしく、フェイフォンの反応に驚きながら刀を振るっていた。こう振るうとどういう反応を示すのか、楽しみで仕方ないと言った様子だ。

 空中に逃れたフェイフォンの着地に合わせて斬りかかる。が、フェイフォンは軽功でタイミングをずらしたり、檜扇でひと扇ぎして着地点をずらしたりしてかわした。

 硬功を使って檜扇で刀を受け流してみた。興が乗って、真剣白刃取りまでしてみせると、大歓声が迎えてくれた。

 フェイフォンはヤマトタケルと二人で、観客にお辞儀をして回った。

 拍手がやまない。

 人々が皆笑顔で拍手し続けていた。

 帽子でも差し出せば、コインが投げ込まれたのではないか。

「ここのやつらは娯楽が不足していてね」

 ヤマトタケルが耳元で言った。かなり大きな声で言わないと聞き取れない。ありがとうと言いながら、居合斬りを放った。

 フェイフォンは斬撃を宙返りでかわした。

 また拍手に熱がこもる。

 ヤマトタケルが何かを手にして言っていたが、よく聞き取れない。紙切れを手にしているようだ。フェイフォンの方を指差し、ズボンのポケットを指差し、手の紙切れを差し出した。

 フェイフォンが自分のポケットを見てみると、紙がはみ出している。残りをつまみだした。桜マップの入場券だ。

 フェイフォンは入場券を見て、良いことを思いついたと思えた。役に立たない紙切れをどうしようかと考えて、忘れていたが、どうやら役に立ちそうだ。

 ヤマトタケルに近づいて紙の束を渡した。

「みんなに配って。そのチケットを使って」

 フェイフォンが大きな声で言うと、ヤマトタケルはチケットをまじまじと見た。チケットに使用方法が書かれている。

「ここでも使える?」

 フェイフォンはふと疑問に思って尋ねた。

「大丈夫だ」

 ヤマトタケルは請け負い、微笑んだ。

「おい!みんな!」

 大声を張り出し、両手を掲げた。

 拍手や歓声が止んでいき、人々がヤマトタケルに注目した。

「桜を見に行きたいか!」

「桜?」

「花見?行きたい!」

 どこからかそう言った声が上がった。桜ですぐに花見と考えるのは、日本人に違いない。

「花見ってなんだ?」

「花が咲き誇って、花吹雪が舞うんだ!見ものだよ!」

「車椅子じゃ、直接はいけないものな」

「邪魔者扱いされる」

 苦笑が沸き起こっていた。

「誰も邪魔しないぜ」

「よし、行こう!」

「行こう行こう!」

 口々に叫び始めた。

「こいつを受け取って使ってくれ!特設マップに飛べる!」

 ヤマトタケルがチケットを配り始めると、我先にと皆が押し寄せた。

「押すなバカ!」

 怒声まで紛れる。

「たっぷりあるから、皆行けると思うよ」

 フェイフォンが説明しても状況は変わらなかった。全員が日本人なら、それでも行儀よく列を作ったのかもしれないが、統率の取れない集団はまるで狂気にかられたようだ。

 いつの間にかヤマトタケルが群集の中に飲み込まれ、大量のチケットが宙を舞っていた。宙に舞ったチケットを我先にと掴みにかかる。奪い合いにも見えたが、皆笑顔で、どちらかといえばお祭り騒ぎだった。

 ヤマトタケルを押し倒したのも、この騒ぎも、わざとやったのかもしれない。どちらにしろ、フェイフォンは騒ぎの中心にいなくてよかったと胸をなでおろした。

 チケットを手にした人が使用しているのだろう。気が付くと人の数が減っていた。

 残った人たちは落ち着いて、落ちたチケットを拾い、使用して特設マップへ移動した。

「ちきしょうどもめ!」

 ヤマトタケルが恨めしげに叫んでも、空しく響くだけだった。

 フェイフォンはまだ残っているチケットを拾い集めると、ヤマトタケルの手を取って立たせた。そしてその手にチケットを渡す。

「すごかったね」

 フェイフォンは笑いごとだが、ヤマトタケルは踏みつけられただけに、怒り心頭だった。

「見境なくしやがって!」

 ぶつくさと恨み言を重ねていた。

「きっと向こうでも大騒ぎだ」

 フェイフォンがおかしそうに言うと、ヤマトタケルも同意した。

「俺は寝たきりにも車いす生活にもなったことがないからな。あそこまで娯楽に飢えるとは…」

 ヤマトタケルはそう言いながら、フェイフォンの手を握った。

「君は素晴らしいことをした。感謝する」

「そんな。たいしたことはしてないよ」

 フェイフォンの言葉に、ヤマトタケルは苦笑した。

「物事の価値観は人それぞれ違う。いずれそのことが分かるときが来るだろう」

 予言めいたことを言うと、ありがたく使わせてもらうと言いおいて、彼も桜マップへ移動していった。

 フェイフォンは一人残り、余韻を味わった。たいしたことをしたつもりはないものの、感謝されるのは嬉しかった。

 自分の演武を喜んで見てくれた人々の笑顔を、一生忘れないだろう。

 気まぐれで地底湖に訪れた。その決断が間違っていなかったと思え、嬉しかった。

 そして今頃向こうでは、どんちゃん騒ぎで収拾がつかなくなっているのではないかと思えた。

 ヤマトタケルは文句を言いながらも、お酒やつまみといった小道具を取りそろえ、彼らを楽しませるのだ。

 花見で騒ぐのは日本人だけかもしれない。だが、あの様子だ。日本人以外も雰囲気に合わせ、騒ぐに違いない。

 おそらく想像の通りだろう。それは良いことだと、思えた。

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