課金プレイ
1
ウォン・フェイフォンは手にした扇子を広げた。
檜の白木を並べ、手元を鋲で止めてある。開いた側は白い糸が一本、横につながっており、白木一つ一つがバラバラにならないように止めていた。
手に押し当てるようにして閉じた。
右手の親指を押し当てて開く。
フェイフォンは悪くないと思った。
これを作るのに、数日かかってしまった。
作ると言っても、VSG3というゲーム内の課金サイトで、檜扇の設定をしただけだ。
フェイフォンは当初、木でできた骨組みに紙を張っただけのシンプルな扇子を設定するつもりだったのだが、ネットサーフィンして扇子の種類を見ているうちに、檜扇が気に入った。
そこでVSGの武器作成エディットで、檜扇を参考に作り上げた。
予算は四十クレジットだ。
格闘ゲームVSG3の北東京トーナメントで九位に入った時の賞金だ。
現実のお金にすると四千円だ。この額では、たいしたものが作れるはずもなかった。
ネットサーフィンして見つけた檜扇も、四千円では半分にも満たない。
それでも試しに作成してみた。
絵柄も装飾も何もない状態で、百クレジットになった。
作ったものの扱いは、武器になる。百クレジットの扇子に、攻撃力が存在していたのだ。
フェイフォンは攻撃力を最低に設定した。また、武器の耐久力も最低にした。これで試算してみると、四十クレジットとなった。
即決である。
フェイフォンは武器として扇子を欲したわけではなかった。どちらかと言えば防具としての使い方を想定しているので、耐久力がないのは致命的ではあるものの、その対処方法も考えついていた。
これからその対処方法が実際にできるのか試す。思い通りにできなければ、この扇子はただの飾りになってしまう。貴重な四十クレジットを無駄遣いしたことになるのは、ショックが大きい。
ただ、ただの飾りに成り下がったとしても、使い道はありそうだ。
フェイフォンが手にしている檜扇は長さが四十五センチある。通常より大きい。
これだけ大きな扇子を広げると、後ろに死角ができる。相手の視線を遮る道具としては有効なのだ。
目の前にNPCのコウガが立っていた。
コウガの突きを檜扇で受けると、簡単に折れ、突きの勢いも殺すことができなかった。
フェイフォンは草を蹴って飛び退くと、さらに後ろへ走った。
コウガと追いかけっこをすること数分。手元に檜扇が戻ってきた。折れた武器は時間の経過で復活する。ゲームゆえの効果だ。
フェイフォンは立ち止まり、コウガの突きを待った。今度はその突きを横から檜扇で打った。
やはり檜扇が折れ、コウガの突きの軌道をわずかに逸らせただけだった。
フェイフォンは再び走って逃げ、檜扇の復活を待った。
三度、コウガの突きを迎え撃った。今度は檜扇を使って受け流そうとしてみた。だが、結果は同じだった。
四度目のチャレンジは、すぐには行わなかった。
フェイフォンがこれから試そうとすることは、映画で見たものや、漫画やアニメからの知識だ。
今までのカンフーや技術は全て、映画を参考にし、できると思ってチャレンジすると、思った通りにできた。なので、今回もできると信じていた。
試すのは気功だ。その中でも硬功と呼ばれるものだ。
体の中を循環する気の流れを制御し、何ものよりも固くする術だ。
カンフー映画にドラゴン太極拳と言うものがある。登場人物のひとりが、気合とともに構えると、刃物すらその肉体に傷をつけることができなくなる。
その応用で、手にした物にも、同じ効果を発揮させればいいのだ。
フェイフォンがいとも簡単に思うのは理由があった。シンクロ率が九十パーセントを超えたあたりから、体の中の気の流れを意識できるようになっていたのだ。
気の流れを、手にした檜扇にまで広げる。檜扇の先端まで流れ、再び手の中に流れ込む。
思った通り、気の循環に取り込むことができた。
後はこの気を硬功へと昇華させる。
コウガの突きが目の前に迫っていた。スローモーションのように迫ってくる拳を、フェイフォンは檜扇で受け流した。
コウガの突きが横に逸れた。檜扇は折れていない。
成功である。
フェイフォンはそのまま素早くコウガに迫り、閉じたままの檜扇でコウガの肩を打った。
力いっぱい打ち込むと折れそうに感じたが、軽く打つ程度では問題なさそうだ。
フェイフォンはコウガの目の前で檜扇を広げ、視界を奪った。檜扇を閉じると同時に拳を打ち込んで倒した。
思い描いたとおりにできた。フェイフォンは得心すると、次のチャレンジに移った。
二人目のNPCのミーナで、実験できる。
ミーナは出現するとすかさず下がった。草原なので簡単に距離をとり、魔法攻撃できる。
フェイフォンは追いかけず、魔法が飛んでくるのを待った。飛んできた魔法を閉じた檜扇で撃ちつけた。
手応えから、思い描いたとおり、受け流すのは可能だと分かった。正面から受け止められるのは、相手の威力次第のようだ。ミーナ程度であれば問題はない。
気の流れを制御して、檜扇を身体の一部にしてある。しかし、檜扇で魔法を防いでもダメージを受けることはなかった。
フェイフォンは思っていた通りの結果に満足していた。檜扇を広げ、見つめる。手に当てて閉じると、笑みがこぼれた。
2
ウォン・フェイフォンから大本駿に戻ると、小柄で浅黒い肌をしたサクチャイ・シングワンチャーが待ち構えていた。
「シュン!また噂になってるよ!」
「え?なにが?」
「フェイフォンが課金して超強力武器を作ったって」
サクチャイはそう言って自分のカード型端末に表示させたSNSを見せた。
そこにはウォン・フェイフォンが扇子でNPCを倒す様子が動画とともにアップされていた。解説では、一見扇子に見えて、NPCの攻撃を受けて壊れないことから、特殊な能力を持たせた武器に違いないと推測していた。
この記事はゲーム内でスーン・スールズ・クリッターと名乗る女性によるものだ。彼女はいつの間に見ていたのだろうか。
記事の中に、扇子が壊れるシーンはなかった。ということは、気功を使い始めた後から目撃されていたのだ。
「あの扇子、攻撃力も耐久力も1だよ」
「じゃあなんであの映像になるの」
「あれは…気功を使ったの」
「気功?」
サクチャイは小首をかしげた後、叫んだ。
「アニメのあれね!気功砲!」
何やら手を突き出していた。
「あー。たぶん、それ」
駿は知らないアニメのようだったが、サクチャイが手のひらから何かを飛ばすようなしぐさをしているので、同じものだと考えた。
「気の流れで扇子も身体の一部のように覆って、硬くしたんだ」
「そんなこともできるのね…」
サクチャイは呟くと、修行してくると言いおいてVRギアを装着した。
「茶の用意ができておるぞ。忙しい奴じゃのう」
山科源次郎はサクチャイがゲームに戻ったのを見て、嘆いた。
駿はマットから立ち上がると隣の部屋へ移動した。
テーブルの上にお茶と大福がある。
今日の大福には黒いものがいくつも付いていた。
「豆大福じゃ」
源次郎の説明は一言で終わった。
黒い豆がぶつぶつとついており、やや歪に見える大福だ。
駿は思い切ってかぶりついた。甘さと、塩味がある。豆の硬い食感と、あんこと餅の柔らかい食感。甘さと塩味。入り乱れて、喧嘩することがない。相乗効果のようにおいしかった。
駿の小型ノート型PCから着信音が鳴った。
お茶をすすりつつ、モニターを開いてみると、河原優希からメールが届いていた。
優希は駿と同じ通信教育を受けている学友で、VSG内でも友人になった。
優希のメールの内容は、サクチャイの言ったことと同じだった。ただ、いったいいくらつぎ込んだのかしらと苦言も差し挟んであった。
駿はサクチャイに説明したとおりのことと、トーナメントの賞金で買ったことを書いて送信した。
すぐに返信が届いた。
「今度見せてね」
一言だけだが、駿は何となく嬉しくなった。
「デートの約束でも取り付けたかの?」
源次郎が茶をすすりつつ、駿をからかうように言った。
「違うよ。ほら、ユウだよ。僕が新しい武器を作ったから、見せてって」
「ほう。それはわしも見せてもらおうかの」
「いいよ」
駿は再びゲームに戻ることになった。その前に、豆大福を二つほどたいらげた。
フェイフォンとしてログインすると、すぐに人が集まってきた。
源次郎が操る桃子。彼女は源次郎の亡き妻の若かりし頃をモデルにしているらしい。声もボイスチェンジャーを使って、可愛らしくなっている。
優希の操るカンフー使い、ユウもすぐに現れた。優希もユウも、凛々しい顔が美しい。
サクチャイそっくりのモモタロウは、もちろんサクチャイが操っている。彼も現れると、フェイフォンの檜扇をしげしげと眺めていた。
丸い大きな頭の玉吉が現れた。彼も学友で、渡辺一志が操っている。玉吉は騎士なので、剣を持っている。
「それ、試し斬りしていい?」
「いいけど簡単に斬れると思うよ」
フェイフォンが答えると、本当に斬り付けて檜扇を真っ二つにしていた。
「なんで!」
斬っておいて、驚く玉吉であった。
「あの映像はトリックか?」
侍姿のヤマトタケルと金髪で銀色の鎧をまとったランスロットがいた。
「気功だよ」
「東洋の神秘かよ!」
ヤマトタケルもランスロットも、気功と言うものの存在は知っていたようだ。
「実践してみせて」
ユウに頼まれて、フェイフォンは復活した檜扇を構えた。
気を巡らせて頷くと、玉吉が再び斬りつけた。
今度は斬れなかった。とはいえ、玉吉の力に押されて受けきれてはいない。
どよめきが起こっていた。
「ただの木製だろう?」
「そうだよ」
「まさしく東洋の神秘!」
ヤマトタケルがアンビリーバボーと叫んでいた。
「また一段、強くなったようじゃの」
桃子がフェイフォンの背を叩いた。
「そ、そうかな?」
「私の手の届かないところにはいかないでね?」
いつの間にか、スーンがフェイフォンの隣にいた。潤んだ目で、見上げられると、胸が締め付けられた。
「い、行かないよ」
ユウがにらみつけているように見えたが、それよりも、スーンの瞳に引き付けられていた。
「気と言うものか…。我々もそれを身につけることができれば、数段強くなれそうだ」
ランスロットは興味津々といった風で、フェイフォンと檜扇を見つめていた。
「気を飛ばして攻撃もできるよ」
モモタロウが手のひらを突き出していた。
ユウがあたりの空気を集めるように手を回し、そのまま突き出した。突き出した先にいたフェイフォンが何かに吹き飛ばされた。
「できちゃった?」
ユウが自分の手を見て戸惑っていた。
周りから驚きの声が上がる。
「これは負けてられないよ!」
モモタロウは何かを決意したのか、修行してくると言いおいて去った。
倒れているフェイフォンを気遣う人はいなかった。
フェイフォンがふてくされて転がっていると、ユウが再び手を回してフェイフォンを見つめていた。
フェイフォンは慌てて立ち上がると、横跳びに逃げた。
「僕で実験するな!」
「いいじゃない。フェイフォンくらいじゃないとこれの威力も使い勝手も確かめられないもの!」
ユウが喜々としてフェイフォンを追い回していた。
いつもフェイフォンの傍にいるスーンも、危険を察知してか、遠巻きに見学していた。
「巻き込まれないうちに避難するかの」
桃子の落ち着いた物言いに、ヤマトタケルとランスロットが頷き、静かに去っていった。
ユウの気功波がフェイフォンの足元を抉った。フェイフォンは逃げ続けた。草や砂が舞い上がる中を逃げ回った。
この実験は、ユウの気が晴れるまで、続くことになる。
3
夜明けはまだ遅い。もうすぐ六時になるのだが、空はやっと紫色に染まり始めたところだった。
最近、駿は日の出前に憩いのフロアへ上がることが多くなっていた。
そこに行けば、優希が体操の太極拳を行っている。優雅なあの動きは、見ていて飽きない。太極拳だからなのか、それとも演じ手が優希だからなのだろうか。
優希が手と手の間の空間をつかむように、空間を混ぜこねるような動きをする。その動きは先日のユウのそれと同じだった。
さんざん気功波を打ち付けて、ユウにしては珍しく、大きな笑い声をあげていた。
だが、現実では気功波など出せるはずもない。出せるはずはないのだが、駿の腰が引けてしまった。
優希が口元を押さえて笑っていた。
駿は気分を害し、ふてくされて背を向けた。
「おはよ」
優希の明るい声が聞こえた。その声だけで、駿は優希の悪ふざけを許してしまう。優希の声には何か特別な、魔法のようなものが含まれているのかもしれない。
「おはよう」
駿はそれでも、ふてくされたふりを続けてぶっきらぼうに答えた。
「駿くんのおかげで、私も強くなれそうだわ」
優希の声が明るい。明るさに惹かれるように振り向くと、優希の笑顔が目に留まった。額の汗をタオルで拭っていた。
赤く火照った頬。汗に濡れた額。柔らかそうな唇。並びのいい白い歯。駿を優しく見つめる瞳。
駿は、その一つ一つに動揺した。だが、それは心地いいものでもあった。癖になって、何かと見に来るようになったほどだ。
「駿くんも一緒にやる?」
「止めとく。僕は河原さんみたいに運動神経良くないし」
優希が口を真一文字に閉じた。
駿は何か怒らせるようなことを言ったか、慌てて考えた。だが、思い当たらない。
「ねえ」
「うん」
「そろそろ、その呼び方、改めてくれない?」
「え?」
「私の名前、知っているのでしょ?」
「え、あ、うん」
優希は、自分は駿のことを名前で呼ぶのだから、駿にも名前で呼んで欲しいと言っているのだ。はっきりと言葉では言わないものの、彼女の目がはっきりとそう告げている。
しかし、駿にとって、異性の名前を呼ぶのは抵抗があった。とんでもない緊張を伴うものだった。
名前で呼ぶと、二人の関係が壊れはしないだろうか。ただの友達なのだから、気にするほどのことかと、誰かに言われそうな気もするが、駿にとっては一大事だ。
優希の目が、催促していた。顔がどんどん近づいてくる。
彼女の汗のにおいがしたように思えた。彼女の熱気が駿に触れたように感じた。
彼女のにおいが駿の思考のすべてを奪った。
目と鼻の先に、彼女の顔がある。
駿の唇が、自分の意思に反して、震えていた。
必死の思いで彼女の名前を口にした。いや、うまく発音できていなかったようだ。
駿は唇をなめて湿らせると、もう一度呼んだ。
「優希」
か細い声だった。なのに、彼女は満面の笑顔を浮かべていた。
その笑顔に、駿は酔いしれた。頭の芯が熱くなり、何も考えられなかった。
優希の顔が離れた。残念でならない。
優希は駿の気持ちを知ってか知らずか、さらに離れた。
「着替えてくるわ」
優希はそう言うと、最寄りの建物へ向かった。そこは更衣室とシャワー室までついている。
空が明るくなっていた。
駿は星の残り火を眺めていた。靄がかかったようになっており、ひときわ明るい星しか見えていなかった。その明かりも次第に見えにくくなって、白く染まっていった。白いものが舞っているようにも見えた。
地下都市なので、朝の冷え込みはない。季節から考えると、この時間は防寒具なしでは過ごせない気温だろう。
地下都市の空調は素晴らしい。適度な気温で維持されており、暑くも寒くもない。
天井の映像は実際の空を映し出している。見ただけで寒そうな空だ。もしかしたら、外は、どこからか風に運ばれてきた雪が舞っているのかもしれなかった。
「お待たせ」
優希の声に振り向いた。
髪は乾かして整えたのだろう。それでも潤いが増して見える。顔は上気して赤い。
先日、VSGの中で温泉に入った。その後の上気したユウの顔と、今の優希の顔が重なって見えた。
駿は胸が締め付けられた。どうしてそうなるのか、自分でも分からない。しかし、優希を見つめることで、胸が締め付けられるということは理解できた。
この苦しみは、頭の感覚をマヒさせる。駿は変なものが分泌されているのではないかと、頭を振ってみた。
「どうかしたの?」
「な、なんでもない」
「そう?」
優希はそれ以上聞かず、微笑んだ。
「夜が明けたわね」
「河原さんは…」
優希が咳払いした。
「えっと、優希、さんは…」
「優希」
「う。優希は」
駿は再び緊張して、何を聞こうとしていたのか、忘れてしまった。
「なあに、駿」
「………」
「あまり見つめるものじゃなくてよ」
「あ、ごめん、その、つい」
優希は口元に手を当てて笑った。
「いいわ。悪い気はしないもの」
優希は恥じらうように笑うと、歩きましょうと言った。
二人が受ける通信教育が始まるまで、まだ時間がある。時間をつぶすために、二人で歩く。
だが、時間つぶしが目的なのだろうか。二人の時間を作るのが目的だろうか。駿には分からなくなっていた。
優希と憩いのフロアを歩くのは、嬉しかった。何か特別なことをしているわけではないのに、この静かな時間の流れが心地よかった。
優希がもし、スーンだったら、腕を組んで歩いただろう。駿は淡い期待を抱いてしまう。
だが、優希は辺りの景色を見たり、後ろ向きに歩いて駿を見つめたりするだけだ。身体を接するようなことはなかった。
駿は接触がないことは残念だが、優希が時折見せる笑顔を、見逃したくなかった。
「また見つめてる。私に何かついているのかしら?」
優希がそう言って笑った。
彼女が笑っていてくれるなら、いつまでも見つめていたかった。
「もう、恥ずかしいからやめて」
優希が背を向けて顔を隠した。それでもちらちらと後ろを流し見ていた。
目が合うと、再び前を向く。
言葉もなく、目だけでやり取りする。気恥ずかしくもあったが、それが心地よかった。
噴水にたどり着いた。
噴水と言っても、水は流れていない。光の当たり具合で水が流れているように見えるというものだ。
駿はいつも、この噴水の縁に座って、通信教育の講義を受けていた。最近はその隣に優希が座っていることが多い。
今日も二人で並んで座った。
講義が始まるには、まだ時間がある。
こういう時は大抵VSGの話題で盛り上がった。
今日も、VSG内で行った風光明媚な場所が話題になる。
「他の国の名所もめぐってみたいね」
駿が何とはなしに言う。
「一緒に行きましょうね」
優希もさらりと言っていた。
二人の話題に、身体の不自由な人々のことが上がった。VSGの地底湖で出会ったマイキーたちだ。
彼らのように身体に異常のある人がこの北東京という地下都市にもいるのかと話した。
「私、気になって病院を巡ってみたのだけど、どこにもいないのよ」
「探したの?」
「そう。学校で習って気になったので見舞いたいと病院を回ったのだけど、どこにも身体の不自由な人は入院していないの」
「どこかに専用の施設があるとか?」
「それもないみたい」
「聞いたんだ」
優希が頷いた。彼女はやることに抜かりがない。見た目通りの優等生だった。
「探す当てがなくなっちゃった。どこかに事情通とか、物事を知っている、そうね、お年寄りとかいるといいのだけれど」
「そう言えば、年寄りも見かけないよね」
「そうなのよ」
「あ」
駿は思わず変な声を上げていた。年寄りを一人知っていたのだ。
「桃子の中身が年寄りでした」
「そう言えば、そんなこと言っていたわね」
「会ってみる?」
優希は僅かに考えたが、すぐに頷いた。
「じゃあ、今日も行くから、優希も一緒に行こう」
4
「おや?今日は可愛らしい子がおるの。駿のこれか?」
駿、優希、サクチャイの三人を迎えた源次郎はいやらしい笑みを浮かべ、小指を立ててみせた。
「ち、違う!」
駿は小指の意味は分からなかったものの、源次郎の思わせぶりな笑みで、下世話な内容と理解し、否定した。
「このお爺さんが桃子?」
優希は騙されているのではないかと訝っていた。
「いかにも。わしが桃子じゃ」
源次郎は高笑いしていた。
「亡くした奥さんの若い頃がモデルなんだって」
「詐欺だよね。このギャップは」
駿が説明し、サクチャイは驚きだよと言った。
「それで、嬢ちゃんは?」
源次郎の問いに、優希が名乗った。
「ゲーム内ではユウです」
「おお!そうか!嬢ちゃんが」
源次郎はよく来たと、迎え入れた。
今日のお菓子は緑色をしていた。
「草餅かしら?」
「ヨモギ大福じゃよ」
「え?何が違うの?」
「草餅は団子の延長じゃの。ヨモギ大福は餅じゃ」
説明を受けても違いを理解できない。
「似たようなものじゃ。それほど気にすることもあるまい」
源次郎はそう言って、食え食えと勧めた。
ヨモギのおかげか、あっさりとした甘みで、なかなかおいしい。
「焼いて食べてもうまいぞ」
「え?大福を焼くの?」
「そうじゃ。江戸時代は焼いて食べさせたそうじゃ。当時は砂糖が貴重品だったからの」
源次郎のうんちくに頷きながら、駿は三個ほどたいらげた。
「いっぱい食べるのね」
優希が驚いている。そういう彼女も、二つ目を食べていた。
サクチャイは一つをお茶で流し込むと、先に始めると言って隣の部屋に行った。
「ここでVSGのプレイをしているの?」
「そうだよ。マットまであったでしょ」
「ボックスが目立っていたわね」
「わしのVR歴は長いからの。VSGのベータ版からプレイしておるぞ」
顔のしわ同様、ゲーム歴にも年季が入っていた。
「さすがに嬢ちゃんがプレイするなら、別の部屋を用意せんとのぉ」
「どうして?」
「馬鹿者!うら若い女の子を男どもの傍で寝かせられるか!」
源次郎にしては珍しい一喝であった。
駿が戸惑っていると、源次郎が説明してくれた。
過去にフルダイブ型VRマシンが登場した時、身体の感覚がないことをいいことに、いたずらをする不埒な行いが横行した。
もしもの間違いがあってはいけないので、別の部屋を用意し、鍵をかけることを勧めると言った。
駿は優希の顔をまともに見られなくなった。いたずらなどする気は毛頭ない。ないのだが、彼女に疑われていないか、不安になる。
「ゲームはまたの機会に。お爺さんに聞きたいことがありまして」
優希は顔を背ける駿に一瞥をくれた後、いたって平静に用件を述べた。
「ああ。身体の不自由な人か…」
「何かご存じですか?」
「彼らは昔ながらの病院や施設に入ったままじゃの。建設された地下都市に入居した者はおらんはずじゃ」
源次郎はそう言った後、言いなおした。
「少なくとも、この北東京には、の話じゃ」
「それでは、人々は昔のままの生活をしていると?」
「そうじゃ。都市に入れなかった人々の暮らしは、以前と何ら変わっておらんよ」
源次郎の説明に、優希は驚きの色を隠さなかった。駿も横で聞いていて、驚いていた。以前に見たSNSの噂話が真実味を帯びてくる。
地下都市に入れなかった人々、入居を拒んだ人々が大勢いると言うものだった。しかし、地下都市は十個存在し、各都市が一千万人収容できると言う。それだけで全人口をカバーできたはずなのだ。
前に、源次郎が、各都市は許容人数の半分程度しか入居させていないと言っていた。駿はその話を聞き流していた。
源次郎が語る内容は衝撃的だった。
身体の不自由な人々など、身体や精神に異常があるとされた人々は初めから入居の資格がなかった。
二十年ほど前、LGBT、LGBTQIAと言って話題になった性的マイノリティがある。現在も解決できていないのだが、日本政府はこれを秘密裏に排除した。地下都市に入る権利は抽選としながら、性的マイノリティの人々は初めから外れるように仕組んでいたのだ。
これはあくまで推察に過ぎない。
公的見解では、偶然だと言う。
だが、一人も入居できなかった事実が、すべてを物語っている。
同じように、障碍者や病気や事故で身体に損傷をきたした人々も、誰一人として入居できなかった。
純粋な抽選で入居を決めた場合、男女比など不均衡が起こる。そうなれば、種の保存の観点から、絶滅を危惧しなくてはならない。
そこで、種の保存の観点から、健全な若い男女を中心に入居させた。
「待って。じゃあ、なぜお爺さんはここに?」
優希が話の腰を折ってまで質問した。
「この都市の建設にかかわった会社の中に、わしの会社があったのじゃ。わしはそのコネで、ある意味、不法に入ったにすぎんのじゃよ」
政府は多様性を謳う。故に、老若男女、人種にもこだわらず、入居させる必要があった。だが、許容人数に限りがある以上、制限も必要だった。日本人の存続を重視せざるを得ないのだ。
そこで、各都市に、僅かばかりのイレギュラーを入居させた。それが源次郎であり、サクチャイなのだ。
そういう意味では、障碍者や性的マイノリティも入居させなければつじつまが合わない。
政府は種の保存と多様性を切り離し、あくまで種の保存を優先させる政策をとったのだと、源次郎は語った。
駿はあまりの話に衝撃を受けていた。
「待って。でもおかしいわ。IT崩壊事件の後、総人口は八千万人と言われていたのよ。地下都市が十もあるのだから、すべて収容可能だったのでは?」
優希の顔が青かった。それでも駿とは違い、頭が回転している様子だ。
「全員収容して、子供が生まれたら、許容人数を超えてしまうじゃろう」
源次郎は各都市、半分程度しか収容していないと答えた。
「まだなにかあるのね?」
優希は源次郎の顔色を読み、追及していた。
「これは極秘事項じゃ。人には決して漏らすでないぞ」
源次郎はそう言いおいて、一段と低い声で言った。
「わしの知る限り、日本の地下都市は四つしかないのじゃ」
SNS上では実しやかに噂されていた情報ではある。しかし、それを裏付ける証拠はなかった。その証拠を、この老人は握っているのだろうか。
「この北東京という地下都市の建設に、いったい何年かかったと思うかの?」
源次郎の質問に、優希が授業で習った通りを答えた。
「五年」
源次郎は首を横に振った。
「十年?」
「二十年?」
優希が年数を増やしていっても、源次郎は一向に首を縦に振らなかった。
「ここに限って言えば、着工は1980年じゃよ」
「え?60…数年?」
「そうじゃ」
元々の建設理由は、政府要人を隔離する核シェルターだった。世間には非公開で、建設を続けていた。
1999年には一部の世界滅亡論に押され、急ピッチに作業を進められた。だが、2000年を超えると核シェルターの需要が薄れ、秘密裏の予算を確保することができなくなり、一時中断された。
2010年代から、天災による災害が勃発し、その避難所の候補として工事が見直され、作業が再開した。
復興の名目で集められたお金の一部が、地下都市建設に回された。
そして未曽有のウイルス災害も経て、隔離施設の需要が増した。
消費税の増税は、このような都市建設に充てる費用を確保するためだったとも言われている。国防費の一部も、都市に回されていた。
「地熱を利用したエネルギーも、この都市に限れば、嘘じゃの」
再三にわたる計画の変更で、北東京都市はいびつな形になっていた。
電力供給は旧来の原子力に頼っている。これは当初の計画通りだ。
地熱利用は後に追加され、運用はされているものの、生み出されたエネルギーは電線を通って別の場所に送られている。
居住区が最下層なのも、計画変更によるしわ寄せだった。だが、後から建設の始まった他の都市も、基本的には居住区を下層に作っている。モデルとなった北東京の影響だった。
東海地下都市は1996年に着工。
中国地下都市は2015年着工。
海上のニュー東京は2036年に着工し、本当に五年で完成させた。
東北都市は2000年に着工したものの、東日本大震災により頓挫した。以降、予算の問題もあって、再開されることはなかった。
2020年以降、天災や海水面の上昇により、新たな計画を実行に移すだけの余裕はなかった。そこで工事の続いていた三都市の完成を急いだ。
IT崩壊事件後、焦った政府は、政府要人を隔離する海上都市を突如として計画し、当時の技術の粋を極め、五年という短期間で完成させた。
政府はこの海上都市一つをとって、すべて同じように作り上げたと発表していた。日本の技術力の高さを、世界に誇ったものだ。
「こんな国家プロジェクトを秘密裏に行っておったからの。公にするにはモデルケースが必要じゃった。そのためのニュー東京なのじゃ」
源次郎の語った内容を理解するには、あまりに時間がなかった。あまりに余裕がなかった。
駿はただただ驚き、話を半分以上は聞き流していた。
優希は質問を返すほどしっかりと聞いていたものの、後半は駿と同様に黙り込んでいた。
その日はゲームどころではなくなり、駿と優希はならんで帰った。
「よいか、このことは人に言う出ないぞ」
見送りに出た源次郎が、いつになく真剣な表情で言った。
駿も優希も言葉が出ず、首を縦に振り続けた。
帰りの道すがら、言葉もない。
源次郎の語った内容を証明するものは、存在しないと言っていた。
駿や優希が調べようと思っても、証拠や資料がないのだ。裏付けすることは不可能だ。なので、老人のたわごとと切り捨てることも可能だった。
しかし、切り捨てられない何かが、源次郎の雰囲気にあった。
駿も優希も、数日、頭を悩ませることとなる。
5
駿は知恵熱に侵されそうになり、考えることを止めた。何も考えず、ゲームで発散しようと、VSGにログインした。
ウォン・フェイフォンになる。
フェイフォンは今や有名人で、ログインすると対戦を求める人に声をかけられた。
たいていは弱く、あっさりと終わった。
中には、暴言を吐いていく輩もいた。
「チート野郎!」
大勢を占めた暴言は、これである。
フェイフォンの一撃で倒れた人々が、あり得ない火力だと言い募った。
檜扇を使うと、
「重課金プレイヤー」
などと罵られた。
自分の尺度で測れないものは、不正者や重課金に当たるのだろう。
フェイフォンは対戦するのも気疲れするので、次第に逃げるようになった。
すると今度は弱虫だとか臆病者だとか罵られた。
ユウも、フェイフォン同様、気晴らしにログインし、同じように対戦申し込みから逃げだしていた。
互いに複雑な笑みをかわして、ひと気のないところへ逃げ込んだ。
対戦申し込みはうんざりするが、ユウとともに行動することは、喜ばしいことだった。
ある時、逃げ込んだ先で別の対戦申し込み者につかまった。
鎧に身を包んだ魔法剣士風の男だ。
逃げ場がなく、やむなく対戦を受けた。
いつものように一撃で終わり、暴言を吐かれるだろうと覚悟を決めていたが、一撃入れてみて驚いた。ダメージがないのである。
正確には僅かしか削れなかった。
フェイフォンはおかしいと思い、近くの壁を拳で打ってみると、拳大の穴をうがった。
「かのウォン・フェイフォンも、課金者には勝てないな」
対戦相手が他人事のように解説して笑っていた。
フェイフォンにとっても、硬い相手は歓迎だった。最近は一撃で終わってしまうので、物足りなかったのだ。暴言を浴び続けた憂さ晴らしもしたかった。
相手の切っ先を寸前でかわし、鞭のようにしなる拳を打ち込んだ。拳の連打を打ち込み、一歩踏み込んで片足蹴りの連打に持ち込む。
相手の身体が後方に飛ばされる。
フェイフォンはすかさず追いすがり、影の追い付かない蹴りの連打を浴びせた。
勝負はそれで決まった。
「くそっ!チート野郎め!」
対戦者は暴言を忘れずに残していった。
「気にすることないわ。でも、久しぶりにその連打を見たわ。スカッとするわね。それ」
ユウが笑顔ととともに、フェイフォンを称賛してくれた。
今はそれで十分なのかもしれない。
ユウの笑顔をもっと見たいと、フェイフォンは思案した。簡単に思いつくのは、特有マップ巡りだ。
ユウもいいわねと受けたので、さっそく探し始めた。
世界地図で探せるような名所のいくつかは、ゲームの中にも存在するということが分かった。対戦を申し込んでこない人を見かけると、そういう場所を知らないか尋ね歩いた。
知っている人が見つかると、案内してもらった。
万里の長城というらしい。石造りの通路が延々と続いていた。元々砦だと言うが、建物の上にいると、長い人工の道があるだけだ。
ただ、スケールは大きい。
パリのエッフェル塔にもたどり着いた。
フェイフォンはこれのどこがいいのか見当もつかなかったが、ユウは喜んでいた。
旅してまわるにつれ、同行する人も増えた。
最初に現れたのは、やはりスーンだった。二人きりが終わるので、ユウが不機嫌になったものの、フェイフォンは両手に花で、浮かれていた。
桃子やモモタロウも加わった。
玉吉がいつの間にか紛れ込んでいた。
ヤマトタケルが現れると、おもしろいことをやっているなと、加わった。そして、西部劇を思わせる町へと案内してくれた。
そこで乗馬体験までできたので、皆で馬に乗って遊んだ。
ランスロットが現れると、イギリスの名所に案内してくれた。
ストーンヘンジは不思議なところだった。巨大な岩の柱と天井がある。なぜこのようなものができたのか、見当もつかないが、どこか神秘的な雰囲気が漂っていた。
マン島。鋭く切り立った岩山が点在し、その間を草が緑に染めている。映画のワンシーンに出てきそうな光景だった。
エディンバラ城もあった。岩山の上に建つ、砦を持った建造物だが、城というよりは巨大な屋敷と言った雰囲気だ。
中には入らなかったものの、石造りの建物は外敵の侵入を拒むように鎮座していた。
途中からラッシュも加わった。
フェイフォンとはあまり接点のない人々も集まった。
炎の使い手のアグニ。氷の使い手でシルバーブロンドの美女、グレーシャ。二人はラッシュの友人だった。ただ、アグニは国が違うようで、ゲーム内だけの付き合いらしい。
レスマという女性が現れた。彼女はユウの対戦友達だった。
レスマを追いかけるように、ローグが現れた。彼はレスマを口説いているらしい。
レスマもローグも、フェイフォンが全く見たことのない相手だった。
いつの間にか、忍者が一人紛れていた。陰と名乗る。桃子の知り合いだった。彼も、フェイフォンが見かけたことのない相手だった。が、陰はフェイフォンを見かけていたようで、雄姿を拝見していると、丁寧にお辞儀をしていた。
バイパーとウィンディーが現れた。
バイパーは中華風の格好で、蛇拳使いだと言う。そして前回のチャンピオンだと、モモタロウが悔しそうに言った。
ウィンディーは大きな愛らしい目をした女性だ。彼女のその目で見つめられたら、大抵の男性は頼みごとを断れないだろう。
スーンとユウがすかさず間に入り、フェイフォンに近づかせなかった。
この前の北東京トーナメントで見かけたソラも、面白そうだねと一行に加わった。彼は遠足か何かについてくるような感覚で、はしゃいでいた。
これだけの人数になると、遠巻きに見物する人々もいた。有名人も多数含まれているのだから当然と言えば当然だった。
さすがにこの集団に分け入って対戦を申し込める猛者はいなかった。
フェイフォンはユウと接する時間が減って残念に思ったが、大所帯で観光旅行している気分で楽しかった。
6
レスマの案内で韓国を巡った。
キョンボックンという古い宮殿の、池に浮かぶ楼閣が美しい。この美しい楼閣をバックに、対戦するのは、乙な物なのかもしれなかった。
ローグが負けじとイタリアを案内した。
今は水没したヴェネツィア。歩くより船で移動した方がよさそうな町並みで、時計塔や寺院があった。
テアトログレコ。青空を天井に、斜面を客席に、背景に青い海を臨む、劇場だ。
イタリアと言えば古代文明の栄えた場所なので、歴史でも習った。フェイフォンは歴史の一部を垣間見たように思え、心躍った。
バイパーは中国人で、母国の素晴らしい景色を紹介した。
中でも、武陵源が印象的だ。大自然の中に石柱が立ち並ぶさまは、圧巻だ。石柱の高さは二百メートルを超えると言う。VSG内にあるのだから、ここもバトルフィールドには違いないのだが、この武陵源での戦いは想像することもできなかった。
フェイフォンが接することのなかった人々と出会い、彼らの故郷を訪問した。
モモタロウの故郷は目が痛くなるような色彩の建物が多かった。
それでも、モモタロウのことを少し知れたように思え、嬉しかった。
VRの世界だからこそ、短時間で色々なところを回れた。現実なら、費用も時間も莫大にかかっただろう。
このような観光巡りまでできるVSGというゲームが、ただの格闘ゲームとは思えなくなっていた。
VSGに出会えたからこそ、VRでの旅行を楽しめた。VSGに出会えたからこそ、ユウや、モモタロウや、桃子に出会えた。ゲーム内だけの付き合いも、増えてきている。
もう、VSGを始める前の、一人の世界には戻れそうもない。
フェイフォンは周りの人々と出会えたことを嬉しく思った。そしてこのVSGへのきっかけを与えてくれた雄太に、まだゲーム内の名前すら分からない学友に、感謝したい気持ちでいっぱいだった。
雄太に、次こそはちゃんとフェイフォンの名前を教えようと決意するのだった。
フェイフォンが物思いにふけっていると、周りが騒がしくなっていた。
「うわ。面倒な奴らが来てやがる」
ヤマトタケルがぼやいていた。
フェイフォンを含めて十七人いる集団を囲むように、迫ってくる人々がいた。皆一様に派手な出で立ちをしている。人数は六人と、少数ではある。
「ウォン・フェイフォンはどいつだ!」
全身黒い鎧に身を包んだ人物が呼ばわっていた。
「お前、何かやったのか?」
「何も身に覚えがないんだけど」
ヤマトタケルの問いに答えた。黒い鎧の人物など、今初めて見たくらいだ。
「あれは重課金プレイヤーの集まりだな」
ランスロットが抜刀しながら答えた。
「ちょっと前に課金プレイヤーを一人、倒していたわね」
ユウが答えた。フェイフォンはそれでも思い出せず、そんなことあったかなと呟いていた。
「仲間の仇討ちね」
モモタロウが臨戦態勢をとっていた。
「邪魔だ!」
外から迫る人々は、フェイフォンを探している割には、間にいる人々にかまわず斬りかかっていた。
斬りかかる相手が悪い。
フェイフォンが初見の人々も、それぞれ名の知れたプレイヤーらしく、斬撃を避けて反撃していた。
ところが、誰も相手にダメージを与えられない。皆飛び下がって間合いを取った。
入り乱れた戦いとなる。
フェイフォンたち十七人に対し、課金プレイヤーらしき人々は六人だ。
都合三対一になるのだが、課金プレイヤーは一人としてダメージを受け付けなかった。
「おいおい、こいつらダメージ通らないぞ!」
肉弾戦メインの人々がけん制し、魔法系の人々が攻撃した。それでもダメージが入らない。
「どうなってるの、これ!」
誰かが叫んでいた。
フェイフォンも手近な相手を打ち付けてみたものの、強烈な手応えに反して、ダメージはなかった。そのまま連打に持ち込んでみても、ダメージを受けていない相手はかまわず反撃に出てきた。
後退して次の手を考えようにも、打つ手が見当たらなかった。
「どうすればいいの?」
誰かが戦いながら、対処方法を、誰ともなく尋ねていた。
「百コンボ超えさせるか、スクエア以上の同時ヒットからのコンボか、ブレイク発生まで叩くか、だな」
ヤマトタケルが目の前の相手を斬り付けながら答えた。彼の斬撃をもってしても、相手にダメージを与えられない。
「言われて実践できる内容かよ!」
アグニが炎を飛ばしながらぼやいた。
「協力プレイでも、百つなぐのは至難でしょ。スクエアなんてそうそう出せるものでもないわ!」
レスマが火、水、土、風、それぞれの魔法を立て続けに放っていた。
「スクエアって何?」
根本的なことを聞くのは、フェイフォンだった。
皆が一斉に、そんなことも知らないのかと嘆いていた。
戦いながらも会話する余裕があるのは、それだけ彼らが熟練していることもあるが、課金プレイヤーの油断も大きく貢献していた。彼らはダメージを受け付けないことに自信を持っており、反撃を狙った行動が多かった。
「百コンボ超えた唯一の人が、そういうの知らないの?」
グレーシャが不思議そうにフェイフォンを見ていた。
「そう言えば、奴はまだまだ初心者のレベルじゃったの」
桃子が相手の攻撃を避けながら答えた。
「信じられねぇな…」
ローグが相手の隙をついて急所に短刀を突き込むものの、刺さらなかった。
スーンはできるだけ攻撃されない場所に移動しつつ、皆の様子を観察していた。SNSの絶好なネタが転がり込んだと、喜んでいるのだ。
玉吉が一人に突っ込み、頭を軸に回転しながら斬りつけた。しかし、ダメージはない。
玉吉が反撃を受けないように、陰が横から支援していた。
モモタロウが次から次へと課金プレイヤーたちを蹴って走り抜けた。
ユウが一人を捕まえて投げ飛ばす。が、やはりダメージはない。
ラッシュが相手の背後から攻撃を仕掛け、左右の連打を放った。ダメージはないものの、ヒット数はカウントされていく。しかし、相手もじっと受け続けてはくれない。振り向きざまの横なぎを受けて、ラッシュは転がるように逃れた。
バイパーが、相手の腕を這うような動きを見せ、指先で急所を突いたが、これもダメージはない。
ウィンディーがバイパーの相手を吹き飛ばした。
数人で協力してコンボをつなげようにも、反撃や相手の仲間の攻撃によって妨害され、うまくいかなかった。
「スクエアって何?」
フェイフォンはもう一度聞いていた。
「理論上のコンボで、まだ誰も見たことがないんだが」
「同時に二つの攻撃を当てて始まるコンボがスクエア。三つならキューブという」
ヤマトタケルの言葉を、ランスロットが続けた。二人は攻撃も連携して行っており、息はぴったりだった。
「同時にって、例えば両手で同時に突くとか?」
フェイフォンはいいながらも、両手で相手の胸を打ってみた。しかし、一しかカウントされていない。
「ま、噂でしかない方法だな」
ヤマトタケルが冷静に答えていた。
「ハヤトならできたかもしれないけどね」
モモタロウがいない人物を上げていた。
「ないものねだりはしないこと!」
ユウが相手の攻撃を避け、反撃を行いながら言っていた。
「あるものと言えば、フェイフォンの百コンボ越えだな」
誰かの言葉に、皆がフェイフォンを期待の眼差しで見ていた。
「え?百コンボ超えると何かあるの?」
フェイフォン一人が理解できていない様子だった。
「それもお前が実際にやってみせるまで、噂でしかなかったんだぜ」
「君が以前百コンボ超えた時のデータを映像分析して実証されたことだ」
「百コンボ超えるとダメージが倍化され、相手の防御力は半減される」
ヤマトタケルとランスロットが交互に言った。
二人の様子を見ていると、まるで緊張感がない。相手にダメージを与えられないことを除けば、取るに足りない相手なのだ。
7
フェイフォンは一人の相手に的を絞った。
周りの人々がそれと察し、敵の仲間を近づかせないように援護し、巻き込まれないように離れた。
フェイフォンは無造作に敵に突っ込むと、振り下ろされた剣をかいくぐって懐に飛び込んだ。
拳を数発打ち込む。
敵が強引に斬り下ろしてくるのを避け、敵の側面に拳を入れた。
ダメージはないものの、ヒットカウントは加算されていた。
フェイフォンはカウントが途切れないように攻撃を続けた。
敵の攻撃を避け、拳を数発撃ちつけては移動した。敵の身体を中心にして円を描く。
ヤマトタケルたちが言うように、百コンボを目指すつもりだったが、ふと試したいことが浮かんだ。
もっと早く動いて、拳を打ち込む。
することは単純だが、その動きを、フェイフォンの知る最速の男、ハヤト並みまで早める。
ハヤトほど早く移動できるか不安だが、とにかくやってみる気持ちになっていた。
高速で移動し、拳を打ち込むことも忘れない。
敵は動きに翻弄され、攻撃もままならない。たまりかねて横なぎの一撃を放った。
フェイフォンはその剣を飛び上がって避けると、敵の顔に蹴りをお見舞いした。
着地し、再び移動しながら拳を当てた。
敵を打つ音が、次第に間隔を狭めていった。
不意に、敵の上に表示されているヒットカウントに変化が現れた。Square comboとあった。
その表示に変わった途端、敵にダメージが通り始めた。ダメージが通り、敵が仰け反るまで連打を浴びせれば、もう反撃の心配はない。
フェイフォンは一気にたたみかけにかかった。
敵が仰け反るまで拳の連打を、ライフル銃のフルオートのように浴びせた。
次第に敵の身体が後方へ流れた。勢いに押され、後退っているのだ。
フェイフォンは踏み込んで拳を放った。
敵の身体が仰け反った。
フェイフォンは間髪入れず踏み込み、立ち蹴りの連打に入った。敵の後退に合わせて一歩踏み込み、足を入れ替えて連打を続けた。
敵の身体が弾け飛んだ。
だが、フェイフォンはまだ攻め手を緩めない。地を蹴って追いすがると、影の追い付かない蹴りの連打を浴びせた。
敵が地面に落ちるまで続け、敵の身体を蹴って宙返りをして着地した。
その瞬間、大歓声が沸き起こる。
ヒットカウントが二百を超えていた。しかもそれに、スクエアの文字がついている。
前人未到のカウントに、同じく未踏のスクエアである。
観客が狂喜乱舞してはやし立てた。
フェイフォンと共に戦っていた人々も、続けと勢いづいた。
ユウがいつの間にか足元に陰陽太極図を描いていた。その図の中に敵が入った途端に、ユウの姿が消えた。
姿が現れたと思うと、ユウの体が三つに分かれている。三人のユウが同時に三つの掌底を放った。
Cube comboのカウントが始まる。
三人のユウのうち二人が消え、一人が残った。そのユウが優雅に動き、連打を浴びせていた。一撃一撃に、回転が加わっている。
カウントはそれほど伸びなかったものの、一撃一撃の威力が高かった。
敵はなす術もなく、陰陽太極図の中心に倒れた。
ヤマトタケルが今までにない速さで駆けた。
右から斜め下に斬り、そこから反対に身体を運びながら横なぎに斬り、飛び上がるようにもう一度斬った。
一連の動作は一瞬のことで、ヤマトタケルが駆け抜けたと思うと、敵の上に光の線が三本残っただけに見えた。三本の線はどうやら、斬撃の後らしい。
ヤマトタケルもキューブコンボを達成していた。
後に続くように、ランスロットも三本の光る線を残して駆け抜けた。
敵はゆっくりと倒れ、動かない。
「僕も続くぞ!」
モモタロウの全身から炎がほとばしっていた。
砂埃を巻き起こし、敵を中心にした竜巻が起こる。その竜巻から炎をまとった膝が三つ飛んだ。
モモタロウもキューブコンボを発動させていた。発動してしまえば、モモタロウの独壇場だ。肘打ち、蹴り上げ、飛び膝蹴り。まるで踊るような、多彩な動きで敵に連打を浴びせた。
敵は炎の膝蹴りの連打を浴びて、燃え盛り、地に落ちて動かなくなった。
ブレイクコンボの表示があった。
バイパーがどうやったのか、発動させていた。敵に蛇のごとく絡みつき、粘り強く打ち付けた結果かもしれない。
獲物を捕らえた蛇の動きはとらえどころがなく、無数の牙を浴びせていた。対抗意識があったのか、それとも彼は元々それだけの実力があったのか。おそらくは後者だろう。世界王者の貫禄を見せつけ、百コンボを超えて敵を倒していた。
残る敵は、黒い鎧をまとった男だけだ。
黒鎧の男は周りの攻撃をものともせず、フェイフォンを目指した。
二人が対峙すると、周りが離れ、遠巻きに観戦した。
「おうおう!チートの代表者!」
黒鎧の男が呼ばわった。
フェイフォンは辺りを見渡した。
「貴様!愚弄するか!」
黒鎧の男の怒声に振り向き、首をかしげた。どうやら彼は、フェイフォンに呼び掛けているらしい。だが、フェイフォンはチートの代表者になった覚えはない。そもそも、チートが何かも、今一つ分かっていなかった。
「チートとはな、キャラクターのデータを不正に書き換えて、俺つえーって叫ぶやつさ」
いつの間にかヤマトタケルが横に来ており、真顔でふざけたことを言った。
「そうだ!貴様のようなやつのことだ!」
黒鎧の男の言葉を受けて、フェイフォンはヤマトタケルを指差した。
ヤマトタケルはおどけてみせ、指先をランスロットに向けた。が、冗談が通じないとみて、すぐに横へずらした。観客の上を指でなぞり、一周すると、黒鎧の男を示した。
確かに、あり得ない硬さを誇り、強者ぶっている。条件に当てはまるようにフェイフォンは思え、思わず吹き出していた。
「貴様!このタヂカラオを愚弄するか!」
黒鎧の男が背丈よりも長く、横幅のある剣を振り回した。
ヤマトタケルもフェイフォンも下がってかわす。
「だってなぁ。どう見てもお前さんの方がチートだろ」
ヤマトタケルはその後、聞こえない小声で、チートの意味が違っているが、と付け加えていた。タヂカラオの尺度に合わせれば、間違っていないとの解釈なのだろう。
「貴様ら!調子に乗るな!我らが粛清してくれるわ!」
「我ら?もうお前ひとりしか残っていないぞ?」
ヤマトタケルはタヂカラオを怒らせようとでもしているのだろうか。
「返す返す無礼な奴め!いいだろう。貴様から成敗してくれる!」
案の定、タヂカラオは逆上し、ヤマトタケルに襲い掛かった。
「ちょっと待った!」
割って入ったのはモモタロウだった。
「誰がそいつと戦うかって話だよね?僕やりたい!」
何をどう解釈すればそうなるのか分からない。だが、呼応するかのように、いったん傍観を決め込んだ面々が集まってきて、自分がやると言い張った。
タヂカラオを無視して言い合いを始める始末だった。
名乗り出ていないのは玉吉とスーン、桃子くらいだ。
ユウまでフェイフォンの傍に来ていた。
「え?君もやりたいの?」
「そりゃ、まあね」
ユウが照れ臭そうに笑っていた。
「これでも格闘ファンですもの」
「お前らのおかげで攻略方法が見えているからな。みんな試してみたいんだよ」
ヤマトタケルはあれだけたきつけておいて、しれっとフェイフォンの横で傍観していた。
「それに、あの課金集団には前から嫌な目にあわされていた連中だ。憂さ晴らししたいのさ」
「フェイフォンもこの前、課金プレイヤーらしい人に挑まれていたものね」
「そう言えば、そうだったかな」
とはいえ、フェイフォンはまだ嫌な目にはあっていなかった。
目の前の話し合いは収拾がつかなくなっていた。
8
緊張感がかけらもない。
フェイフォン自身も、緊張の糸が切れていた。
すぐ近くに戦いを挑んできたタヂカラオがいると言うのに、平然と話し合いを続けていた。
「それにしても、あの人、いったいいくらお金つぎ込んだのかな?」
「そうさな」
ヤマトタケルが顎に手を当て、値踏みするようにタヂカラオを眺めていた。
「百万。いや、一千万越えかもな」
フェイフォンは思わず叫び声をあげていた。
周りが一斉にフェイフォンを見た。
「あ、ごめん、続けて」
フェイフォンが頭を下げると、皆はやる順番をどうやって決めるか、などと話し合いに戻った。
「単位は?」
ユウも驚いた顔をしていたものの、冷静に聞いていた。
「さあな。名前からしたら日本か?なら、円だろうよ」
「名前?」
「タヂカラオって、日本神話かしら?」
「だと思うぜ」
「でもヤマトタケルのような例もあるじゃない」
「確かに」
タヂカラオは一対一を所望していたのか、意外と律義に待っていた。だが、怒りとともに待ちきれなくなり、大きな剣を両手で持って振り回した。
話し合いが中断され、皆一斉に飛び散った。
その剣が途中で止まる。
フェイフォンが白刃取りで押さえていた。
その隣でユウが身構えていたものの、剣が止まったことを受けて後ろに下がった。
タヂカラオが剣を押しても引いてもびくともしない。
タヂカラオが罵っていた。
「なるほど。課金強化は武器防具だね。力はそれほどでもないや」
フェイフォンは呟くように言うと、辺りを見渡した。
皆が離れて行く。
「仕方ない。今回は譲ってやるよ」
誰かの声が聞こえた。
「さっさと負けちまえ!」
そうすれば次は自分が出ると言いたげなヤジも飛んでいた。
「せめて応援してくれない?」
フェイフォンが困惑した表情で訴えると、ヤジが増すだけだった。
フェイフォンは外野を無視するように心掛けた。
「貴様…!力自慢の我を捕まえて、それほどでもないだと?」
タヂカラオが渾身の力を込めて剣を押した。
フェイフォンは剣を下から蹴り上げるとその足で踏み込んだ。
タヂカラオの無防備なわき腹に、鎧の上から掌底を打ち込んだ。
タヂカラオがもんどりうって倒れた。
「なんと!」
「なにしやがった!」
観客が驚きの声を上げていた。
「あれは…私の技ね…そうか!衝撃を鎧ではなく、中に届くように打ったのね!」
「その通りだ」
ユウの自問に、バイパーが答えていた。
「解説求む!」
ヤマトタケルが詰め寄っていた。
「踏み出しから足首で捻り、回転を生み出して、それを腰に、腰から肩に、そして掌底につなげるの」
「すると全身の力が掌底一転に集中される。それを鎧ではなく、中に伝わるように打ち込んだ」
ユウとバイパーが説明した。
「まさしく達人の領域だ」
バイパーが好敵手の出現に喜び勇んでいた。
タヂカラオが立ち上がり、雄たけびとともにフェイフォンに斬りかかった。地面を抉り、砂埃が舞う。
だが、フェイフォンはすでにそこにいなかった。
フェイフォンは素早く、タヂカラオの周りを駆けながら、拳で打ちつけた。ただし、それは時間にして、瞬きよりも短かった。
スクエア、キューブと変化した。
フェイフォンはまだまだ早くできるように思えた。思った通りに、どこまでも加速し、変幻自在の攻撃ができた。
ここで突きを、そして蹴りを。
何かがおかしい。
すでに蹴り終え、次の攻撃に備えようと考えていたのに、足が今、前にせり出していた。
思いと実際の攻撃にずれがある。
フェイフォンは思わず立ち止まっていた。
今の違和感は何だったのだろうか。フェイフォンは自分の身体を見渡した。しかし、今は異常がない。思い通りに手足を動かせた。
振り向くと、タヂカラオがもんどりうって倒れ、KOの文字が浮かんでいた。
辺りから歓声が沸き起こった。
戸惑うフェイフォンを、ユウが心配そうに見ていた。ヤマトタケルとランスロットは深刻そうな顔をしていた。
玉吉が駆け寄ってきて、フェイフォンを空中へ放り投げた。モモタロウやアグニもやってきて、フェイフォンを胴上げする。
空中に投げ出されると、フェイフォンも考え事をしている余裕はなくなった。
勝利を祝してくれる人々の輪に飲み込まれ、フェイフォンは先ほどの違和感を忘れた。
勝利の美酒に酔いしれ、頭の芯がマヒしていった。