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サイバーレイン  作者: ばぼびぃ
4/26

スーンの瞳

  1


「ねえねえ、君」

 その女の人が現れたのは、大本駿が冬休みをフル活用してVSG3というVRゲームに入り浸って一週間ほど経ったころだった。

 駿がいつものように、草原のフィールドで座り込み、ひたすらじっとしていると、女の人が声をかけてきた。

「君が噂の仙人?」

 彼女はそう言って、駿を上から覗き込んだ。

「仙人?」

「そう。草原にただじっとしているおかしなプレイヤーがいて、仙人修行をしているとか、金持ちが暇つぶしにゲーム内で寝転んでいるとか、他にもいろいろ言われているわよ」

「金持ちではないよ」

「ふーん。噂の出始めたころを思えば、学生さんかしら?」

「そう。休みだから入り浸ってみた」

 駿の答えに、彼女は鈴が鳴るような笑い声を立てた。

「ねえ。対戦しない?」

 彼女が小首をかしげるように言った。

「やめとく」

「そう?噂通りなのね」

 彼女はそれ以上対戦を求めなかった。

「ギアのVRマシンが出てから、入り浸る人増えたわね。私も買った口だけど」

 そう言ってくすくすと笑った。

「ねえ。あなたが紅いコウガを倒したっていうのは、本当?」

「うん」

「まあ!すごいのね!」

「そう、かな?」

「すごいの。私なんて、勝ったことないもの」

 彼女はそう言って、駿の体をじっくりと見まわした。

「その額の傷、紅いコウガに?」

「うん。一度負けたから」

「なんか、格闘家っぽくていいかも。触ってもいい?」

 彼女の問いに、駿は一瞬躊躇した。受ける理由も、断る理由もない。だが、断れば、この奇麗な女性が機嫌を損ね、去っていくかもしれない。それはそれで嫌だと思えた。

「いいよ」

 すると彼女は白い手を差し伸べて、そっと額に触れた。指で傷跡をなぞっていく。

 駿は女性に触れられていると思うと、緊張した。同時に、なぜか、もっと触れてもらいたいとも思った。

「副官殿!」

 モモタロウの明るい声が聞こえた。上半身裸で浅黒い体をしている。見るからに引き締まった体だ。

「モモタロウ。副官呼ばわりするの、あなただけよ」

 彼女はそう応えながら、駿の傷から手を離した。

 駿は手が離れたことを残念に思い、邪魔をしたモモタロウを恨んだ。

「副官?」

 しかし、駿はモモタロウの呼びかけも気になっていたので、そのことを短く聞いた。

「彼女の名前、スーン・スールズ・クリッター。その元ネタが、銀英伝のスーン・スールズカリッターなんだよ」

「そう言われて分かる人も少ないわよ」

「おっと。十年近く前に三回目のアニメ化があったのに」

「アニメ?IT崩壊事件のころ?」

「あ、もうちょっと前かな」

 モモタロウは適当に言ったらしい。

「一番古いのは1980年代だっけ?」

「知らないわよ。私は小説派」

「あれが面白かったよ。次が2018年だったかな?で、その次が2036年」

「2036年?そのころ僕は小学生だよ。子供が見るようなアニメ?」

「大人が見るアニメ」

「じゃあ見てないと思う」

「もったいない」

 そう言うモモタロウと同様に、スーン・スールズ・クリッターも少し残念そうな顔をしていた。

「それにしても、モモタロウって、何歳なの?そんな古いアニメ知ってるなんて…」

 駿はモモタロウを二十代だと思っていたのだが、疑問に思った。

「二十五だよ」

「若いわね」

「このまんまだもの」

 モモタロウが自分の姿を指示した。

「え?自分そのものをキャラクターにしたの?」

 スーンが驚きの声を上げた。

「筋肉はここまでじゃないけどね」

 モモタロウは明け透けに言う。

「それでよく、そんな古いアニメ知ってるね」

 駿がもう一度言うと、モモタロウは誇るように笑った。

「タイの友人にマニアがいて、持っていたのを見せてもらった。色々見たよ」

 モモタロウがいくつかタイトルを上げていった。駿の知らないものがほとんどだ。

 スーンが咳払いをした。モモタロウはそれでタイトルを言い募るのを止めた。

「スペースオペラに出てくる、副官の名前をもじっているのよ」

 スーンが由来を説明した。

「田中芳樹って人の小説で、銀河英雄伝説ってタイトル。興味あったら読んでみて」

「え、あ、うん」

 駿は少々気のない返事だった。

「モモタロウはアニメ好きなんだね」

「日本のアニメ、最高!」

「それが日本に来た理由?」

「リアルタイムで見られるもの!」

 駿の問いに、モモタロウは逡巡することなく答えていった。

「呆れた。それで来日してくる人もいるのね」

 スーンはそう言いながらも笑っていた。

「おや?敵影発見!副官殿!作戦はいかがいたそう?」

「全然似てないわよ。作風が壊れるわ」

「ヤン提督!」

 モモタロウは訳の分からない叫び声を上げて走っていった。

「何だったの?」

 駿は茫然と見送った後、呟いた。

「気にしない方がいいと思うわ」

 スーンが駿の顔を覗き込んだ。

「ねえ」

「はい?」

 女性に覗き込まれると、駿の心臓が跳ね上がるような気がする。

「時々遊びによってもいいかしら?」

「え?」

「もしも君が紅いコウガと戦うことがあったら、見たいもの」

 駿は映像で見られるじゃないかと思ったが、言わなかった。だが、肯定もできない。紅いコウガともう一度戦いたいとは思えない。

 一度完膚なきまでに敗北を喫し、再戦を挑んだ。なぜか勝てると思っての行動だったのだが、一つ間違えば、負けていたのだ。連打が一つでも欠ければ、やはり負けていたはずだ。

 紅いコウガを倒した後でも、駿は勝った心地がしなかった。息も絶え絶えに、何とかしのいだ、くらいの印象だった。

 もう一度同じことをやれと言われても、できない。紅いコウガのようなイレギュラーは、相手にしないに越したことはない。

 駿が答えに悩んでいると、彼女は一人頷いて、また来るわと去っていった。

 彼女と入れ替わるように、別の女性が現れた。セーラー服姿のかわいらしい女性だ。桃子と言う名前だ。

 だが、中身は九十歳を超えた老人だ。

「少年!」

 桃子は開口一番、一喝した。片手を腰に当て、もう一方で駿を指差す。

「同じ入り浸るなら、家に来んか!」

「え?」

 桃子のプレイヤー、山科源次郎の家には、ボックスタイプのVRマシンとギアの両方がある。

 駿がギアを手に入れる前は、彼の家にお邪魔して遊ばせてもらっていた。だが、冬休みに入ってからは一度も訪れていない。

「ギアが手に入ったから、無理に行かなくても…」

「人情味のない奴じゃ」

「えー」

「寂しいのじゃ!お前も一人で引きこもっておっては、寂しかろう?」

「でも、ここで会える…」

「つべこべ言わんでよろしい!」

 桃子は可愛らしい女性の声でしゃべっている。ボイスチェンジャーを使っているからだ。その声で駄々をこねるように言われると、駿もまんざらではない気がしていた。

 ギアを持ち込んでプレイしても、自室でプレイしても同じだとは思いつつも、そこまで言うのなら行ってもいいと思えた。

 ただ、キャラクターとその声の通りの若い女性に言われたら、飛んでいったのに、とも思う。中身が老人と分かっているだけに、気持ちがすんなり動いてくれなかった。

「モモタロウは?」

 駿は返事をせず、別のことを聞いた。

「今日もうちに来ておるぞ。対戦に勤しんでおるようじゃ」

 先ほど駆け抜けていったモモタロウは、ゲームセンターからではなく、源次郎の家からログインしていたのだ。

「ご老公は?」

「わしはいつものように、気ままプレイじゃ。少年は仙人修行かの?」

 仙人と言われて、駿は一つ試したいことができていた。が、それは後でもいい。まずはVR世界に慣れて、自分が強くなれたと確信してからだ。

「そんなところ」

「どうじゃ?何か変わったかの?」

「うーん。草のにおいとか、土のにおいとか、風のにおいとか、後、温さ寒さを感じるようにはなってきたかな」

「ほほう。ステータスは見ておらんのか?」

「え、あ、うん。最近全く見てない。人のも見ないから、名前がすぐに分からなくて、困るけどね」

「ふむ。なかなか変わったことをしておるのぉ」

 桃子はふと思い立ったように、片足を少し持ち上げ、スカートの裾をつまんだ。

「こっちの修行もしておくかの?」

 以前、駿は桃子と対戦したことがある。その時、スカートの裾をめくってみせられ、緊急停止と言う失態を演じた。鼻血を出して、VRマシンが停止したのだ。

 以来、桃子は何かと色気を醸し出して、からかってくる。

「遠慮しておきます。また鼻血出たら大変」

 駿も多少慣れて、自虐ネタにしていた。

 桃子は大きな声で笑うと、手を振って去っていった。

「今度、来るのだぞ」

 一言いいおくことも忘れずに。



  2


 居住区の外壁付近に、一戸建ての民家がいくつも並んでいた。その中の一棟が、桃子のプレイヤーである山科源次郎の家だ。

 駿は改めて、周りを気にしてみた。

 物音ひとつ聞こえない。

 通りに人影がない。

 閑静な住宅街と言うよりは、まるでゴーストタウンようだ。だが、建物や道路は真新しい。

 あまりに静かすぎて、寂しいのかなと駿は思った。

 先日、源次郎は桃子の口で、寂しいと言った。

 それに、源次郎も駿と同様、一人暮らしだ。人恋しさもあるのかもしれない。

 駿も、父親の映像を見た後、しばらくは人恋しかった。ただ、VSGにログインすれば、誰かしら声をかけてくれたので、寂しさを紛らわせることができた。

 駿がチャイムを鳴らすと、小柄な老人が玄関を開けた。

「おお、よく来たな。ま、入れ」

 源次郎は嬉しそうに言うと、先に奥へ戻った。

 駿が家に上がり、廊下の先の部屋へ入ると、目の前にボックスタイプのVRマシンが鎮座していた。

「茶菓子もあるぞ」

 左手から声がかかった。

 部屋の左側に面した扉が開け放たれており、ダイニングがのぞいていた。源次郎がテーブルの脇に立ち、お茶を入れていた。

 駿がテーブルにつくと、大福とお茶が並んだ。

「遠慮せずに食え」

 源次郎はそう言って、隣の席に腰を下ろした。そして自分も湯飲みで茶をすする。

 駿は遠慮せずに大福にかぶりついた。中に大きなイチゴが入っている。イチゴの酸味と小豆の甘さが相まって、何とも言えない。

 渋いお茶すらも、おいしく感じた。

「いったらまだあるぞ」

「イチゴ大福、好きなの?」

「家内が好きでの。たまに買ってくる」

 源次郎の目がどこか遠くを見ていた。

 彼の妻はだいぶ前に他界している。代わりに、妻の若かりし頃をゲームのキャラクターに反映させ、源次郎自身が操っていた。

 彼はキャラクターだけではなく、お菓子も、妻を思って用意しているようだ。

 駿は遠慮せず、四つも食べた。お茶のおかげで、口の中が甘ったるくならずに済み、いくらでも食べられるかと思えた。

 源次郎は嬉しそうに、駿を眺めていた。

「今日はサクチャイは?」

「モモタロウは用事があると言っておったの。今日は来んじゃろう」

「それで寂しいと?」

「それもある」

 源次郎は素直に認めた。

「そう言えば、ご近所さんは?ご近所付き合いでもすれば、それなりに…」

「この辺りは誰も住んでおらんよ」

 源次郎の答えに、駿は驚いた。思わず口に含んだお茶をこぼしてしまった。

 源次郎が布巾を取ってきて、駿の体を拭き、テーブルを拭いた。

「でも、一千万人が…」

 駿の的を射ない言葉に、源次郎は的確な答えを返した。

「あれは最大許容人数じゃ。実際の入居は五百万人ほどじゃの。じゃから、空きスペースも多い」

 駿は驚いた。

「計算のできるものなら気付こう。例え十の都市があったとしても、半分ならば五千万人しか許容できない。あぶれるものが出ようと言うものじゃ」

「………」

「だからこその抽選じゃ。多少はやむを得んのじゃ。人は結婚し、子供を作る。新たに人が増えれば、許容人数に制限のある施設では、後々困ることになるのじゃ」

 源次郎はそう言って茶をすすった。

「この辺りは、結婚した夫婦ものが後々、越してこよう。が、今はまだ、おらん」

 都市の収容人数に関しては、以前からSNSで色々な噂が出ていた。全員を収容できると謳うのに、抽選であぶれた人や、自ら入居を拒んだ人がいた。この矛盾が、噂を生んだ。

 もともと半数しか入居させていないのであれば、十の都市で五千万人だ。これでは人口が減っていたとはいえ、収まりきらない。だからこそ、抽選だったのだ。

 この老人はもしかしたら、SNSの噂のうち、いくつかの答えを知っているのではないだろうか。駿は尋ねてみたかった。だが、その言葉を喉から先に出して、良いものだろうか。とんでもない陰謀に巻き込まれはしないだろうか。

 知ってはならない情報を、知ってしまったばかりに、おかしな組織に狙われるようなことが、あるかもしれない。

 映画の見過ぎで、杞憂だとは思うものの、はばかって言えなかった。

「しかしのう」

 源次郎が物悲しそうな顔をしていた。

「うるさいのも困りものじゃが、こうも静かじゃと、寂しいものじゃ」

 源次郎は駿の表情をうかがいつつ、続けた。

「一人暮らしをしておれば、思うところはあろう?こうして人と接するのも、必要なことじゃよ」

 源次郎は駿にお茶を勧めた。もういいと断ると、話を続けた。

「どうじゃ?ここで暮らしてみんか?」

 駿は言われたことを理解するのに、数秒を要した。いきなりの提案で、思考が追い付かない。

 駿が戸惑っていると、源次郎は詫びた。

「性急すぎたの。忘れてくれ」

 源次郎はそう言って立ち上がると、湯飲みを流しに運んだ。

 駿はその背中に声をかけた。

「今度の大会に参加すれば、人がいっぱいいるんじゃないの?」

 VSGの大会は、参加者の公平を期すため、マシンのスペックに差のないゲームセンターに集まって行う。

 一つのところに人が多く集まるということは、それだけ出会いも多いはずだ。源次郎と同年代はさすがにいないだろうが、茶飲み友達くらいはできるのではないか。

「大会には出る気がないの」

 源次郎の答えは意外だった。寂しいと言う割には、自分から人のいる場所を避けている。大会ですぐに負けるほど弱くもない。避ける理由が、駿には分からなかった。

「え?どうして?あんなに強いのに」

「わしはひっそりと遊んでいるだけでいいんじゃよ」

 寂しいと言ってみたり、ひっそりしていたいと言ってみたり、少々矛盾のある人だと、駿は思った。

「少年は出るのじゃろう?」

「そのつもり」

「あと半月かの。どうじゃ?行けそうかの?」

「うーん、まだ分からない」

「全国大会に出場して、対戦したい相手がおるのじゃったの?」

「うん。友達なんだけど、キャラ名教えてくれないし、全国大会にも行けないようじゃ、俺には勝てんとかって偉そうに言うから、ぶちのめしてやりたい!」

 駿が雄太の偉そうな態度を思い出しつつ言うと、源次郎が大きな声で笑った。

「若者はよいのぉ」

 そう言いながら、駿を隣の部屋へいざなった。

「では、そやつに勝つためにも、ゲームに興じるかの」

 源次郎が片目をつむってみせた。



  3


 その日は年越しでゲームに興じた。

 VSGの中に、街中のフィールドがある。ただの背景なので、各店を利用することはできないが、雰囲気は出ると、皆がそこに集まった。

 ウォン・フェイフォンも集団の中に紛れていた。近くにはモモタロウや桃子、丸い頭の騎士の玉吉、ダーククロー、スーンと言った知り合いが集まっている。

 スーンは出合って以来、ほぼ毎日、フェイフォンの様子を見に来ていた。知り合いの中で、モモタロウとスーンの二人が、まだ戦ったことのない相手だ。

 彼女は対戦を申し込むわけでもなく、ただ、やってきて、世間話をして終わるような仲だった。

 この集まりにも、当初はスーンがいなかった。が、スーンがフェイフォンを見つけると、満面の笑顔で手を振りながら駆け付けたのだった。

 フェイフォンとしても、美しい女性に笑顔を向けられ、悪い気はしない。

 玉吉には早速、どこで知り合っただとか、紹介しろなどと詰め寄られたが、適当に受け流した。

 周りに多くの人が集まっている。フェイフォンが今までに見たことがない人も多い。また、どこかで見かけた人も、そこかしこにいた。

 向こうのテーブルに腰かけている青年は、炎の使い手アグニだ。両手に炎を宿らせて戦う。

 侍のような集団がいた。その中に、ヤマトタケルの姿がある。

 銀色の鎧に身を包んだ集団がいた。ランスロットはその一団の中心にいる。

 少し離れたところで、壁に背を預けた女性がいた。太極拳を使うユウだ。フェイフォンは彼女に手も足も出ずに負けた。正確には、女性を攻撃できず、悩んでいる間に、瞬殺された。

 戦う気がないなら対戦を申し込むなと怒られた覚えがある。

 フェイフォンはユウに対していい印象は抱いていないものの、こうやって眺めてみると、美人だと思えた。

「あの子もいいよな」

 フェイフォンの視線に気づいた玉吉がにやにやと言った。

「知り合い?」

「んにゃ。負けたことならある!」

「力説することかい」

 フェイフォンはそう言った後、苦笑した。

「僕も負けたけどね」

 誰かがカウントダウンを始めた。

 次第に、周りの人々も同調する。

 指折り数え、空に手をつきだす。

 カウントダウンが終わった瞬間、

「ハッピーニューイヤー!」

「あけましておめでとう!」

 などと口々に叫び、飛び跳ねた。

 近くの人々と、知り合いであろうとなかろうと、かまわず、ハイタッチする。

 ひときわ大きな歓声が上がった。

 フラッシュモブを行っている一団があった。踊っていない人々は脇に避け、手拍子で参加した。

 フェイフォンも驚き、嬉しくなって、手拍子に参加した。

 モモタロウが駆けだし、フラッシュモブに、勝手に参加していた。

「派手に行こうぜ!」

 後ろで大きな声がしたかと思うと、炎がほとばしった。

 アグニが両手の間に炎をほとばしらせ、時折、空に向かって打ち出した。

 その炎に、氷の槍がぶつかり、粉となって降り注いだ。

 氷の槍を打ち出したのは、シルバーブロンドの美女だ。

 彼女も、紅いNPC討伐の折、見かけた。だが、フェイフォンは彼女の名前を知らなかった。

「グレーシャ!今日も素敵だ!」

 隣で玉吉が、シルバーブロンドの美女に向かって叫んでいた。

 グレーシャは玉吉に向かって、大仰にお辞儀してみせた。

「謹賀新年!」

 ヤマトタケルが近寄ってきた。

「日本のあいさつは、こうか?」

「いや、言わないし」

 玉吉が即座にツッコミを入れた。

「普通に、あけおめとか、ハッピーニューイヤーとかだね」

 フェイフォンも指摘する。

「謹賀新年は、はがきとか手紙じゃのう」

 桃子も言った。

「何だと!何か、日本らしい挨拶ないのか!」

「旧年は世話になった。新年もよろしく頼む。こういうのはどうじゃ?」

 桃子がまるで時代劇のように言う。

「略して、あけおめ!ことよろ!」

 玉吉がそう言って笑った。

 周りがにぎやかになり、皆、大きな声を出さないと聞こえない。

 次第に、皆が叫び合うようになっていた。

 フェイフォンは誰かに袖をひかれ、振り向くと、スーンの顔が目の前にあった。鼻が触れそうで、フェイフォンは周りの音が聞こえなくなっていた。スーンの吐息が聞こえそうだった。

 スーンは微笑み、フェイフォンの耳元へ口を寄せた。

「デートしましょ」

 フェイフォンの耳に、確かにそう聞こえた。だが、自分の耳を疑う。こんなきれいな人が僕を誘うはずがないと思えた。空耳に違いない。願望が浮かんだだけだ。

 スーンがフェイフォンの手を取り、引っ張った。なされるがままについて行くと、雑踏を抜け出し、海岸に出た。

 そこには人影がなく、静まり返っていた。

「まだ耳鳴りがするわ」

 スーンがそう言ってほほ笑んだ。

 そこはいつもの海岸とどこか違って見えた。それもそのはずだ。星明りに照らし出されただけなのだ。

 普段は、さんさんと照り付ける太陽がある。現実世界が昼だろうが夜だろうが、同じだ。それがどういう訳か、今は夜になっている。

 打ち寄せる波の音が、耳の奥に心地よく響いた。

 夜の砂浜は微かな風が通り抜け、心地の良い空間だ。風の中に磯の香りが紛れている。

 潮風が、ほてった体をくすぐる。この体の熱は、先ほどの熱気のためだけではない。

 フェイフォンは、なぜ自分が誘われたのか、不思議だった。だが、それはスーンに聞いてはならないような気がした。

 スーンが風にたなびく前髪を手で押さえて振り向いた。星明りでほのかに色付いて見えるその笑顔が、印象的だ。

 彼女が爪先で砂を蹴っている。そのしぐさが、フェイフォンの心をとらえて離さない。

「対戦ゲームなのに、こういうのも悪くないわね」

 スーンの笑顔がまぶしい。

「MMORPGでもなかなか味わえないわ」

「他のゲームもやってるの?」

 フェイフォンはやっと口を聞けた思いだ。声まで彼女に奪われたのかと心配していた。

「昔ね」

 スーンは短く答え、それ以上は語らなかった。

 二人で見つめ合うと、言葉は必要ないように思えた。ただそこに、彼女がいてくれるだけで、胸が躍った。

 波音が優しく二人を包み込んでいる。

「おいおい。こんなところでいちゃついてやがる」

 静寂を打ち破るように、粘りつくような声が響いた。

 振り向くと、すぐ目の前に、体格のいい男が立っていた。

 普段なら足音などで気づくのに、まるで気付けなかった。フェイフォンは驚き、思わず一歩下がっていた。

「何だこいつ…。ああ、その額の傷は、てめえか」

 男はそう言って、フェイフォンの顔を打とうとした。程よく力の抜けた素早いパンチだ。

 フェイフォンはとっさに仰け反るようにかわした。

「NPCには強いが、対戦はからっきしの弱虫だったな」

 男はそう言ってあざ笑う。

 フェイフォンはこの男と会った覚えはない。男は噂のフェイフォンを知って、すべてを知ったつもりで言っているのだ。

 男がもう一度パンチを放った。

 フェイフォンは体を横に向けてかわす。

「生意気な!」

 男は頭に血が上ったのか、右半身をやや後ろに引いて拳をあごの下に構えた。

 男が瞬時にフェイフォンの目の前に迫った。同時に左のパンチがフェイフォンの顔をとらえた。

 フェイフォンはすんでのところで頭を傾けてかわした。さらに男の左パンチが小刻みに迫る。後ろに下がって避けようとして、パンチが生き物のように追いかけてくる。

 フェイフォンはとっさに手で受け止め、難を逃れた。だが、男の攻撃は止まっていなかった。強烈な右フックが視界の端から飛び込んでくる。

 避けられない。フェイフォンはとっさに、男の胸と突き飛ばした。

 男がバランスを崩し、砂浜に片膝をついた。うめくような声とともに、顔を上げ、フェイフォンを睨みつけた。

 男が立ち上がりながら、下からすくい上げるように、右の拳を振り上げた。フェイフォンは後ろへ僅かに下がって避けた。その目の前に、何かが飛び込んだ。

 砂だと理解した時にはすでに遅かった。フェイフォンの目に砂が飛び込み、視界を奪った。

 砂の鳴る音が迫る。

 フェイフォンは焦っていなかった。瞬時に、映画のワンシーンが浮かび上がり、同じことを試そうと思えた。

 それはイップマンと言う古いカンフー映画だ。カンフーの達人イップマンがライバルと雌雄を決するとき、不運にも目を負傷してしまう。が、彼は耳を頼りに相手の攻撃をかわしてみせ、風圧を頼りに紙一重に避けた。さらには強烈な反撃を浴びせていた。

 暗闇の中に、男が踏みしめる砂の音が響いた。砂の音が男の足運びを浮かび上がらせる。闇の中に足跡が迫ってくるようだ。

 最後の一歩が深く踏みしめられた。

 空を切る音が迫る。

 肌に相手の気迫を感じるのか、男のパンチが迫る頬に、ピリピリと刺激が来る。

 ほんの一瞬の出来事なのだろう。しかし、フェイフォンには数秒の出来事のように思えた。

 頬の脇に圧を感じた瞬間に、フェイフォンが体を半身にして避けた。その頬を風がかすめる。

 風をとらえるように手を伸ばすと、男の手首があった。その男の腕の下を、空いた腕を横なぎに振った。

 手の甲に男の体が触れた。

 フェイフォンはつかんだ男の手首を引き寄せ、もう一方の拳で男の体を打った。

 さらにもう一発。二発。三発。

 男がうめいた。

 体の位置はおよそつかめた。フェイフォンは渾身の力をこめ、もう一発、拳を放った。

 すると、つかんでいた手首が抵抗を止め、下へ引っ張った。

「卑怯者め!手首をつかんで攻撃するとは!」

 男の蔑む声が聞こえた。

「砂で視界を奪うのは卑怯じゃないんだ?」

 フェイフォンが言い返す。が、返事はなかった。

「すごいわ!」

 フェイフォンには見えないが、KOの文字が浮かんだのだろう。それまで黙って成り行きを見ていたスーンが感激の声を上げていた。

「どうして相手の動きが分かったの?信じられない!」

 フェイフォンはまだ目を開けられなかった。が、つかんでいた男の手首が消えると、目の痛みも消えた。

 ゆっくりと目を開けると、スーンの嬉しそうな笑顔があった。

 フェイフォンははにかんだように笑い返すことしかできなかった。



  4


「あけましておめでとう!」

 ゲームを終了して現実に戻ると、部屋に集まった皆で言い合った。

 駿、サクチャイ、家主の源次郎の三人だ。

「いやー楽しかった!」

「モモタロウ踊ってたね」

「うん!あれはよかったよ」

 浮かれて話し込む駿たちを残し、源次郎は台所へ向かった。

「年越しそばでも食べるかの?」

「あ、いただきます!」

 サクチャイは即座に言っていた。大みそかの昼くらいからずっとVSGにログインしていたのだ。サクチャイも駿も、お腹が盛大に鳴り響いている。

「年越しそば?」

「え?シュン知らないの?」

「うん」

 駿が寂しそうに答えると、サクチャイが駿の肩を叩いた。

「日本の風習ね。そばを食べるね!」

「大みそかに食べるのが本来じゃがの」

 源次郎が台所に立って支度を始めた。

 食事の話をすると、お腹が抗議をするように鳴り響いた。待ちきれないと訴えている。

 源次郎が手を動かしながら、話した。

「そばは伸びるものじゃから、寿命を延ばし、家運を伸ばすじゃとか、健康にいいからなどと言う説もあるの」

「へー」

「そばは切れやすいから、一年の苦労や厄災を断ち切るとも言うの」

 源次郎の小話を聞きながら待っていると、海老の天ぷらを乗せたそばが出てきた。元々用意されていたらしい。予想以上に早く出てきた。

「おいしそう!」

 サクチャイはそう言って、さっそく箸でそばをつまみ、ずるずるとすすった。

 駿も見習って箸でつまむと、ちぎれてしまう。軽く引っ掛けるようにしてつかみ、何とか口に運んだ。

「ん!おいしい!」

 駿が言うと、サクチャイも同意した。

 源次郎もテーブルについて、自分のそばをすすった。

「エビ天に汁がしみこんで、またおいしいよ」

 サクチャイが感想を述べつつ、食べていく。

 駿も、そばがちぎれないように苦心はしたものの、あっという間に食べきっていた。

「五臓六腑に染み渡る!」

 サクチャイが訳の分からない表現をしていた。

「お粗末様じゃ」

 源次郎はにこやかにそう答えると、湯飲みにお茶を入れた。

「これからどうするかの」

「もう一回VSGに入る?」

 源次郎の問いに、駿が質問で返した。

「うーん。初詣もいいな」

 サクチャイはお茶をすすりつつ、そう言った。

「初詣?」

「今頃の若い者は、初詣も知らんのか」

 源次郎が呆れたように駿を見つめていた。

「年明けの三が日に、神社をお参りする日本の行事だよ」

「そうなんだ?僕は行ったことないや」

「初日の出もいいぞ」

「え?ご老公?ここで初日の出?」

 今度はサクチャイが尋ねる番だった。

「憩いのフロアで見るのじゃよ。ほら、天井は…」

「ああ、実際の空を映して…!」

 サクチャイが手を打って同意した。

 駿は相変わらず、取り残されている。気付いた源次郎が答えた。

「これも日本の古い風習じゃのう。一年で最初の日の出はめでたい縁起物とされておる」

「ここでは本物じゃないけどね。それでも見たいな」

 サクチャイは初詣も初日の出も行きたい様子だ。

「それなら、ここの天井でもいいんじゃないの?」

「少年よ。風情のないことを申すでない」

「風情って何?だいたい、ここで見ても憩いのフロアで見ても、同じ映像じゃないか」

「同じではないわ。日の出はのう。見る場所で変わるものじゃ」

 源次郎が力説する。

「海の向こうから登る太陽など、風情があるわい」

「海ないよ」

 源次郎が駿を睨みつけた。

「山間から登る太陽もいいの」

「山って見えたっけ?」

「………」

「シュン。年寄りいじめるのよくないよ」

「え、いじめてないよ。事実を確認してるだけ」

「シュンは分かっていないね。自然の景色の中で見る日の出に風情があるんだよ」

 サクチャイの言葉に、源次郎が頷いていた。

「そういうものなの?」

「そう言うものじゃ。建物の陰から見える日の出では味気ないのじゃ。モモタロウはよく分かっておるわい」

「でも、憩いのフロアでも、外壁があったりするし…」

「そこはそれ。程よい角度があるんじゃよ」


 三人は身支度を整えると、一つ上のフロアへ移動した。

 そこは明らかに下の居住区とは別物だった。基幹エレベーターの扉が開くと、木々が目に飛び込んだ。あちこちに植林がある。地面も起伏があるようで、右が高く、左が低いと言った違いがあった。

 動く歩道もない。

 駿は、ここの方が憩いのフロアよりも自然に囲まれているように思えた。

 夜なので、照明は極力火を落としている。ほのかな常夜灯だけでは、辺りをうかがい知ることができない。

 源次郎が説明してくれた。

 南側には下と同じように居住区が広がる。ただし、下よりも間取りは広い。東西には緑に囲まれた屋敷がある。

 目の前に、屋敷の垣根が黒く遮っていた。

 後ろでエレベーターが開いた。人の一団が降り立ち、一様に北を目指す。

 人々が通りすがりに、立ち止まっている駿たちに好奇の目を降り注いでいった。

 源次郎に促され、駿たちも北へ向かった。

 遠くに、何かがあるように見えた。黒い影がそびえ立っている。

 近づくにつれ、それが丘だと分かった。丘のふもとに、提灯を並べた華やかな空間があった。

「何あれ?お祭り?」

 駿の記憶に、提灯を並べた場所で符合するものは、祭りだった。

 小さなころ、両親と共に行った祭りを、覚えている。祭りで何をしたのかは覚えていないが、嬉しく、そして楽しい場所だったと記憶している。

 目の前の提灯を見ると、心躍る思いだ。

「あそこに神社があるのじゃ。参拝客用の照明じゃの」

 源次郎が身もふたもない説明をしても、駿は祭りの意識が消えず、そわそわしていた。

 だからこそ、異変に気付かなかった。

 このフロアに上がってから、サクチャイが一言も口を開いていない。初詣に行きたいと願った張本人が、はしゃいでいないはずはない。だが、人とすれ違うたびに、顔を下向けた。

 源次郎は気付いていた。歩くペースを落とし、サクチャイのすぐ前を歩く。そうすることで、サクチャイを自分の背後に隠していた。

 源次郎も小柄だが、サクチャイも小柄だ。とはいえ、サクチャイの方が一回り大きい。完全には隠し切れないので、やはり好奇の目にさらされた。

 提灯の明かりに近づけば近づくほど、サクチャイの浅黒い肌が確認でき、人の目を引き付けた。

 駿は早く行こうよと言わんばかりに二人へ振り向いた。口を開こうとして、異様な雰囲気に気付いた。

 周りを通り過ぎる人々の目が、恐ろしい。にらみつけるような目で、サクチャイを突き刺していた。

 どこかから影が湧き出て、サクチャイの左隣に並んだ。本名は聞いたことがないが、見知った青年だ。VSG内でダーククローと言うキャラクターを操っている。駿の対戦仲間だ。

 青年は特にサクチャイへ視線を向けるわけでもなく、ただ、左からの好奇の視線を遮るように歩いていた。

 駿も彼に倣うように、サクチャイの右側に並んだ。並ぶときに、源次郎や青年の口元がほころんだように見えた。

 駿はサクチャイを護衛する気分だった。重要人物を守るガーディアンだ。まるでVSG内にいるような気分になり、嬉しかった。

 同時に、サクチャイが好奇の目にさらされる理由を考え、答えに行きついていた。

 肌の色だ。顔の彫りも違う。

 好奇の目を向ける人々は、明らかに日本人だ。その中に異人が一人紛れているので、目立つのだ。

 通信教育では、日本は多様性を生かし、人種にとらわれず、より良い社会を築いていると習った。だが、現実は違うようだ。

「長年取りざたされてきたがの。何も変わっておらんよ」

 参拝を終え、人々の波から逃れた後、源次郎が呟いた。その言葉が、駿の心に響いた。

 駿は、サクチャイと何気なく接することができていただろうか。自分ではできていたと思う。

 いや、不十分だったかもしれない。サクチャイはモモタロウと言うニックネームを使っている。モモタロウと呼んでくれと言われているのに、駿はいまだに呼んだことがない。

 ゲーム内ではキャラクターの名前でもあるので、気にせずモモタロウと呼んでいたが、現実世界ではまだだ。

 駿は覚悟を決めた。恥ずかしく、顔が赤くなる。それでも思い切って言葉を発した。いきなりニックネームに変えて、怪しまれないだろうか。

「モモタロウは何をお願いしたの?」

 参拝の折、サクチャイは人より長く、手を合わせていた。

「いろいろだよ」

 サクチャイが白い歯を見せて笑った。モモタロウと呼んだことには特に反応を見せなかった。あるいは、その笑顔が、答えなのかもしれない。

「みんなの健康に、VSGで勝てますように、とか」

「わしの長生きは?」

「もちろんお願いしたよ!」

「そうかそうか」

 源次郎が満足そうに微笑んだ。

「あ、そう言えば、彼は?」

 いつの間にか、ダーククローのプレイヤーの青年がいなくなっていた。

「あの青年は何者じゃの?」

「ダーククローだよ」

「あやつが?」

 源次郎は眼を見開いて言った。

「見かけによらず、なかなかいい男じゃの」

「うん。彼はシュンの友達だもの!」

「名前知らないけどね」

「別に名前なぞ、どうでもいいじゃろう。ゲーム内でつながった縁じゃ」

「そだね。そういうのもありだね」



  5


 三人は憩いのフロアを目指した。ただ、時間はまだだいぶ早いので、駿の希望をとって、もう一つ上のフロアを覗いた。

「ここは裕福な人々が暮らすところじゃの」

「ご老公、詳しいね」

「まあの」

 二人が何やら語らっている横で、駿は暗がりに広がるフロアを見渡していた。ここは下の二つのフロアと違い、さらに暗い。周りに何があるのかまるで分らなかった。

 目の前に黒い垣根のようなものが見える程度だ。

「何も見えんじゃろう。建物もわずかしかないからの。ほとんどが庭園じゃ」

「意外と自然が多いんだね」

「そうじゃの」

「ここで初日の出は?」

 自然が多いなら、ここでも風情が出るのかもしれないと思い、駿は聞いてみた。

「お日様の下に、金持ちの広々とした庭と屋敷を見るのかの?」

 源次郎は止めてくれと嘆いた。

 基幹エレベーターに戻り、上から二つ目の、憩いの広場のフロアに向かった。

 憩いの広場のフロアには、遊歩道沿いに街灯があり、多少は見渡せた。こんな時間でも、僅かに人影が動いているように見える。

 源次郎の案内で、芝生を横切って北側へ向かった。

 しばらく行くと、意外と暗い場所に出た。遊歩道が傍になく、街灯の光が届かないのだ。

「ここらでよかろう」

 源次郎はそう言うと、掛け声とともに芝生へ腰を下ろした。

 源次郎を挟むように、サクチャイと駿も座る。

 暗い空に、瞬く光がちりばめられている。現実の空を寸分たがわず映し出されたモニターだ。その瞬くものは、星だ。月は見当たらない。

「星空が奇麗だよ」

 サクチャイも空を見上げていた。

「冬の空は、星の光が強いの。寒空に見上げる星々のなんと美しいことか」

 地下都市の中にいる駿には、その寒さが分からない。

「北斗七星!」

 サクチャイが北の空を指差した。

 駿も見分けることができた。サクチャイはほかにもいくつか星座を指差したが、駿にはどれがどれだか分からなかった。

 空の暗さが、薄らいだように見えた。

 星の光が徐々に弱くなっていく。

「あら」

 女性の声に、駿が視線を下ろすと、ポニーテールに黒ぶちメガネの少女がいた。駿の同級生で、河原優希だ。

 駿は彼女の名前をまだ覚えていたことに、安堵した。同時に、以前見かけた、太極拳の体操が脳裏に浮かんだ。

 彼女は美しく手足を動かし、優雅に、踊るように舞っていた。

「あけましておめでとう」

 彼女はそう呟くと、先客がいたのねと言った。

 駿も慌てて年始の挨拶を返した。

 サクチャイも源次郎も挨拶する。

「なんじゃ少年。隅に置けん奴じゃの」

「どう言う知り合いなの?」

 源次郎もサクチャイも、興味津々と言った面持ちだ。

「え?ただの同級生だよ」

 河原優希は少し離れた芝生の上に、一人で座った。

 駿は、彼女が何をしに来たのかと不思議に思った。しかし、彼女も駿たちと同じように東に向かって座っている。日の出を見に来たのだ。

 そう思って辺りを見渡すと、あちらこちらに、東に向かって座る人々がいた。

 東の空が白み始める。

 その明かりの下に、黒い影があった。遊歩道沿いにある林だ。

 林の陰から、日が昇ってくるのだろう。

 だが、日の出まではもう少し時間がかかりそうだ。

 今か今かと日の出を待っても、その歩みはじらすように遅かった。

 暇を持て余した駿は、ふと関係のない疑問を思い出した。

「ねえ。VSGのVSって何?Gはカーディアンズでしょ?」

 いきなりの、それも日の出と関係のない質問に、源次郎とサクチャイが駿の顔を見た。

 源次郎はすぐに視線を東へ戻した。

「バーサス!」

 サクチャイはそう言って、視線を戻した。

「ってのが一般的な解釈ね」

「公式見解は発表されておらんの」

「ガーディアンと戦うってこと?NPCがガーディアン?」

「そう言う解釈もあるの」

「僕らがガーディアンズ!ってのも言われてるよ」

「NPCがガーディアンなら、プレイヤーは侵略者だよね。ガーディアンは何を守っているんだろう?」

「そいつは、誰も見たことないの。なにせ、ラスボスのハウルを倒せた者がおらん」

「言っとくけど、僕も無理だったからね」

「ふーん。じゃあプレイヤーがガーディアンだとしたら、何を守るの?」

「それも不明じゃの」

「面白い説があるよ」

 サクチャイが切り出した。三人とも、明るさが増していく東を見つめたままだ。

「面白い説?」

「紅いNPCが周りに害を与えないよう、プレイヤーが守るって話」

「あれは運営の意図したキャラではなかったはずじゃが?」

「うん。バグだって噂もあるけど、運営がこっそり用意したイベントだって説もあるよ」

「それでペナルティが付くのかの?事実とすれば、運営はよほどいやらしい奴じゃの」

「紅いNPC…」

 駿は紅いコウガのことを思い出していた。一度負け、額に傷を残した。再戦し、死ぬ思いをしながらも、かろうじて勝ったのだ。

 あの紅いコウガから始める一連のNPC戦が、運営の隠された意図だと言うのか。それにしては、負けた時のペナルティが理不尽すぎる。永久的な能力値の減退が、意図したものだと言うのだろうか。

 駿が考えをめぐらせながら視線を動かすと、河原優希と目が合った。彼女は慌てるように東へ視線を戻した。

「あの紅いの、バグだってのが一番有力だと思うよ」

 サクチャイはそう答えると、東を指差した。

「いよいよだよ!」

 東の林の上に、ひときわ強い光が現れた。

 周りの空の色が薄れ、青くなる。黒さを吸い出され、星の光とともに消えていった。

 強烈な光が徐々に丸みを帯びていった。その縁が小刻みに震えている。太陽フレアが見えているかのようだ。ただのカゲロウなのだろうが、まるで生き物のようにうごめく。

 黒い林に光が差し、徐々に色づいていく。

 そこかしこに人がいた。駿たち以外にも大勢が、日の出を眺めていた。

 手を合わせている人々がいた。まぶしそうに眺め、微笑んでいる人々がいた。

 駿は自分がどういう表情をしているのか、分からなかった。

 太陽が、尻尾をちぎるように地平から登った。

 映像だからだろうか。それとも登ったばかりだからだろうか。まだ太陽を直視できた。

 徐々に、その光が増してきている。すぐに直視できなくなるだろう。

 これが地下都市でなければ、太陽の熱も感じられたのだろうか。寒すぎて感じられないのだろうか。駿には経験がなく、想像もできない。

 空を見上げると、青白い空が東から広がっていた。

 空の色が抜け、星が隠れる。

 西の空を見ると、ひときわ明るい星があった。

 白い靄がかかっていても、その星だけは存在感を隠し切れない。

 日の光を浴びた靄はますます色味を増した。辺りの物を構わずその中に包み隠してしまう。だが、星が一つだけ、隠しきれない。その星を目指すように、何かが飛んでいた。

 靄に紛れているので、目の錯覚だったのかもしれない。だが、駿には飛んでいるように見えた。

 駿はなぜか、鳥肌が立っていた。

 初日の出よりも、靄の中を飛ぶものと、ひときわ輝く星にひかれた。

 視界の悪い空を、それは目的地が分かっているかのように飛んでいる。自分の意志を貫いて、突き進むかのようだ。

 あの明るい星が、道標に違いない。

 靄のために、飛んでいるものが何かは分からなかった。それでも、駿の心をつかんで離さなかった。



  6


「おい外国人!」

 その声に驚いて駿が振り向くと、いつの間にか、サクチャイの傍に十人ほどの男が群れを成していた。

 十人は何かの仲間内なのだろう。皆二十代に見えた。

「てめぇがなにのうのうとしてやがる!」

「お前のせいで貴重な日本人が一人、入れなかったんだぞ!でかい顔するな!」

「大人しく国に帰れ!」

「おい、どうした?言葉も分からんのか?」

 男たちは口々に責め立てていた。

 サクチャイは下を向いている。エラの辺りが小刻みに動いている。

「言葉も分からん奴が、紛れ込んでんじゃねぇ!」

 一人がサクチャイを殴りつけた。だが、小柄でも体格のいいサクチャイは、びくともしない。

 殴った方が逆に手を押さえてわめいていた。

「何しやがんだ!」

 男たちが口々に叫び、サクチャイへ詰め寄った。

「やめなさい!」

 甲高い声に振り向くと、河原優希が肩を激しく上下させていた。

「日本人の恥じゃの」

 源次郎も立ち上がり、下からにらみつけていた。

「爺は黙ってろ!だいたいてめぇみたいなのが何でここにいるんだ!年寄りは外で朽ちろ!」

「女がしゃしゃり出るな!」

 一人が河原優希に詰め寄った。右手を振り上げ、迫っていく。

 駿は思わず走り出していた。

 河原優希の前にたどり着いたのと、男が殴りつけたのが、ほぼ同時だった。

 駿は少女の代わりに殴られ、芝生に転がった。口の中に何かが広がった。VSGよりもダメージは少ないのかもしれない。しかし、痛みはVSGで受けるものよりはるかに大きい。

 これが現実の痛みなのかと、思わずかみしめていた。

「おいおい!てめぇらどこのもんだ?俺のダチにてー出してんじゃねぇ!」

 別の声が聞こえ、目の前の、駿を殴った男が鈍い音とともに倒れた。

 駿が痛む頬を押さえて顔を上げると、別の三人組が現れていた。そのうちの体格のいい男が、拳を握り、指をぽきぽきと鳴らしていた。

 離れたところでも物音が激しくなっている。駿が殴られたことがきっかけとなり、サクチャイが反撃に出ていた。

 サクチャイは試合に勝ったことがないと言っていた。だが、それでもムエタイの経験者だ。そこらの無頼漢が寄ってたかっても、相手になるものではなかった。

 新たに現れた三人が駿に目配せすると、その乱闘の中へ駆け込んでいった。

「大丈夫かの?」

 源次郎が駿のそばに腰を下ろした。

 河原優希が駿の正面に腰を下ろし、問答無用で、駿の頬を確認した。

「大丈夫。口の中を切っただけ」

 駿はそう答えたものの、彼女の手から逃れる気にはなれなかった。彼女の指が冷えている。その感触が、駿の中に染み込んだ。

 河原優希はそっと駿の頬を撫でると立ち上がった。

「ありがとう」

 そう言って手を差し伸べた。駿がその手を取ると、立ち上がる手助けをしてくれた。

 まだ乱闘騒ぎは続いている。が、相手はすでに五人にまで減っていた。残りの五人は地面に転がっている。

 形勢が悪いと見た無頼漢たちが逃げ出そうとした。その行く手に大柄な男が立ちふさがった。避けて逃げようとする人々の前に、警備ドローンが一機ずつ、行く手をふさいでいった。

「管轄違いなんだがな」

 大男は頭をかきながら懐から手帳を出し、広げてみせた。

「警察だ。おとなしくしてもらおうか」

 大男の目の前の無頼漢が隙をついて逃げようとする。だが、大男は見かけによらず、俊敏だった。逃げ出す無頼漢の首根っこをつかむと、力任せに押し倒した。

 警備ドローンが駿たちの目の前にも現れた。居合わせた全員に、ドローンが一機ずつついている。地面に倒れている人々も例外ではない。

「大上の旦那」

 駿を助けた三人組の一人が、両手を広げて訴えた。

「またお前らか」

「いやいや、今回は人助けでさ。事情を聞いてもらえれば…」

 そう言って駿たちを指差していた。

「全員、IDを出してドローンに提示しろ」

 大上と呼ばれた大男はそう言うと、倒れている人々を一人ずつ回り、懐を検めた。端末を探し出し、IDを表示させてそれぞれの胸の上に置いた。

 大上はそれが終わると、サクチャイ、源次郎、駿の順でIDを確認した。そこで足を止める。

「大本…」

 駿のIDと、駿の顔をもう一度確認していた。が、それ以上は何も言わない。

 河原優希のIDを確認すると、無頼漢たちのIDを見て回った。

「さて、乱闘の原因は?」

 大上が誰へともなく尋ねると、無頼漢たちが口々に喚いた。

「やかましい!」

 大上の一括で、一気に静まる。

「わしが説明してもよいかの?」

 源次郎が手を上げた。

 大上が頷いた。手で指示を出すと、ドローンが無頼漢たちを一ヵ所に集めた。

 源次郎が説明を始めると、無頼漢たちが口々に文句を言い始める。

「次に許可なく口を開いたら、分かっているな?」

 大上が静かな声で告げると、男たちは黙った。

 源次郎の説明が終わると、大男はサクチャイが最初に殴られた左頬と、駿の左頬をそれぞれ確認した。

「事情は分かった。お前たちには一週間の自宅待機を命じる」

 男たちが口々に、片方の話だけを聞いて卑怯だと叫んだ。

 大上はドローンの一機に、映像を表示させた。男たちがサクチャイを取り囲むところから移っている。

 大上はすべてを見ていたのだ。それをあえて、事情を聞き、人々の反応を見た。彼はこれ以上言うことはないと、各ドローンに執行を命じた。

 各ドローンの下に投影された文章が表示される。その文章の中に、違反すれば都市からの追放処分に処すとある。

 さすがの無頼漢たちも声が小さくなり、ドローンに促されるまま、去っていった。彼らはすでにIDをドローンに表示している。今更逃げようがないことを悟っているのだ。

 倒れている仲間に肩を貸し、おとなしく去るかに見えた。

「覚えてやがれ!」

 誰かがうなるように言っていた。

「今の発言は?」

 大上が問うと、ドローンの一機が赤い光をともした。

「そいつのIDはく奪。及び隔離施設へ運べ。処分は追って沙汰されるだろう」

 大上が事務的に告げると、ドローンが発言者の体を拘束した。後に別のドローンがやってきて、彼を施設に運ぶことになる。

「さて」

 大上は残った人々を見渡した。

「お前たちと、サクチャイ・シングワンチャーも、お咎めなしとはいかんぞ」

 四人にも一週間の自宅待機を言い渡した。

「だんなぁ」

 三人組の一人、大柄な男が嘆いた。

「なんなら、お前は二週間にしてやろうか?」

「待ってくださいよ!それじゃ、大会に出られないでしょ」

「俺も大会は出たことがない。気にするな」

「殺生な!」

 大上はそれ以上答えなかった。代わりに、駿との関係を尋ねた。

「VSG仲間ですよ。だんな。何を隠そう、こいつこそ、あのウォン・フェイフォンなんすよ!」

 駿は大柄な男に見覚えがあった。彼は駿に危害を加えた側だ。

 ゲーム内にて三人がかりで駿を襲い、返り討ちにあった。その腹いせに、今度はゲームセンターの外で駿を待ち伏せし、裏路地に連れ込んで殴りつけたのだ。

 その時はダーククローのプレイヤーの青年が機転を利かし、助けてくれた。

 そんな三人組が、駿のことをダチと言っても、迷惑なだけだ。だが、今現在、助けてくれたのも事実だ。拒絶しては恩を仇で返すようになる。

 しかし、素直に礼を述べるのも気が引けたので、駿はだんまりを決め込んだ。

「ほー。君があの…」

 大上もVSGを知っているのか、感心したように駿を見ていた。

「砂を目に受けてなお、相手を倒したあの対戦も圧巻だった」

 駿は怪訝に思った。砂を目に受けた対戦なら、つい数時間前のものだ。その対戦を目撃したのは当事者と、スーンのみだ。それを部外者の大上が、なぜ知っているのだろうか。

 遠巻きに誰かが見ていたのだろうか。大上本人が見ていたのかもしれない。彼もVSGのプレイヤーなのだ。

 駿が怪訝そうに見返していたことに気付くと、大上は詫びた。

「非番の時、自分もVSGをやっていてな。出会えたら、対戦してもらいたい」

 大上がいかつい表情を崩し、にやけた顔で言った。

「オウガと言うキャラ名だ」

「オウガ?鉄拳の?」

 サクチャイが反応していた。

「おお、そう呼ぶやつもいるな」

「僕はモモタロウね!」

「なんと…!おお、確かに、そのままだな」

「オオガミ。オオガ。オウガ。そのままだね!」

 二人はどちらからともなく、握手を交わした。ゲーム内で旧知の間柄なのかもしれない。

「オウガにも大会に出てもらいたいな」

「今度は出るつもりだ。緊急の仕事が入らなければ」

「いいね!張り合いが出るよ!」

「え?出るの?だんなが出ると、俺らが勝ち進めないじゃないか」

 三人組が抗議の声を上げていた。

「モモタロウ、オウガ、ウォン・フェイフォン…」

 三人組の別の一人が指折り数えている。

「ユウに桃子…。後三枠しかないじゃないか!」

「桃子は大会に出ないぞ」

 源次郎が小さな声で呟いていた。近くにいた駿以外には誰も聞こえていない。

「ダーククローってのも最近頭角を現してるぞ」

 三人組の残りの一人も言った。

 三人が顔を見合わせた。俺らもライバルだ。手抜きなしだ。などと言い合っていた。

「おっと、話が逸れたな」

 大上は三人組のやり取りを無視すると、サクチャイと駿に、病院へ行くように告げた。費用は相手側に請求されるので気にする必要がないと言った。

 駿、源次郎、河原優希は処分なしと告げると、大上は引き上げていった。

 河原優希が駿に近づいた。もう一度礼を言い、大丈夫かと尋ねた。駿が大丈夫だと答えると、彼女は頭を下げて立ち去った。

 源次郎が駿の背を叩き、意味ありげにほほ笑んで見せた。



  7


 数日が経ち、頬の痛みもほぼ消えた。

 帰宅後、ひと眠りすると、頬が腫れ上がり、痛みに驚いた。慌てて病院に駆け込んだものの、大した処置はなかった。

 数日で腫れは治まると言う医者の言うとおりだった。

 駿は、医者は何もしないとぼやいていたが、痛みが引くと、コロッと忘れていた。ただ、痛みの感覚は残っており、VSGでダメージを受けた時などに思い出された。あれが実際の痛みなのだと、その都度かみしめた。

 大会が近くなったせいか、誰からも対戦を求められなくなっていた。ダーククローすら、ここ数日は対戦していない。

 ダーククローは、いつもなら、ログインすると必ず、最初に対戦していた。ところが、冬休みに入ってからは姿を隠している。どこかで秘策の修行でもしているのかもしれない。

 スーンは相変わらず、再々訪れた。

 彼女の鈴が鳴るような笑い声を聞くと、駿の胸は躍った。

 ふと、現実世界の河原優希を思い出した。彼女の指が頬に触れる。あの感触が忘れられない。

 スーンの指がフェイフォンの額に触れた、あの時の感触と、頬の感触が重なる。

 スーンと河原優希の二人に、駿はひかれていた。この二人が、もしも同一人物だったら、これほど駿にとって嬉しいことはない。

 スーンの中身は知らないのだ。有り得ない話ではなかった。あるいは、スーンの中身は源次郎のように男性の可能性もあるのだが。

 スーンと並んで海岸の岩場に行った。異性と一緒に歩くと、駿は心躍った。自分でも訳の分からないその感覚は、嫌ではなかった。むしろ、ずっと一緒に居たいと思う。

 岩場の上から手を伸ばし、スーンを引き上げた。柔らかく、冷たい手の感触が、駿の心臓を跳ね上げた。

 狭い足場の上で、スーンが間近に立っている。心地いいにおいが漂った。

 時折、波が岩にぶつかり、しぶきが舞い上がった。

「ねえ」

 スーンが振り向いた。笑顔がまぶしい。

 そのスーンの顔が急に曇った。

 悲鳴が聞こえる。スーンの視線の先のようだ。

 駿が振り向くと、プレイヤーらしき男が悲鳴を上げつつ、全力で向かってきていた。その男を、紅い色をしたNPCのコウガが追いかけていた。

 男は岩場に駆け上がり、駿たちの横を走り抜けた。足をとられ、転がっても、そのままもがくように走り去った。

 紅いコウガは岩場に登ると足を止めた。

「タゲを押し付けやがった…」

 駿が振り向いて、走り去った男を探したが、もういない。

 隣で短い悲鳴が上がった。

 紅いコウガが身構え、突きを繰り出した。突きの向かう先は、スーンだった。

 恐ろしくゆっくりと、突きが伸びた。

 コウガの目が、鋭く駿を突き刺した。足がすくんで身動きできない。

 このままではコウガの拳がスーンに当たってしまう。

 駿は左頬の痛みを思い出した。

 あの痛みを、彼女に負わせていいのか。

 ダメに決まっている。そう思うと、足が動いた。

 スーンを守らなければ。僕が、ウォン・フェイフォンが、彼女を守る。駿が、ウォン・フェイフォンが、そう思った。

 コウガの拳は、スーンに届かなかった。

 何も起きないことを不思議に思ったスーンが目を開けると、コウガの拳を、フェイフォンがつかんでいるのが見えた。

 フェイフォンは無造作に、コウガの突きを受け止めていた。

 フェイフォンが押し返すと、紅いコウガはフェイフォンに向かって突きを繰り出した。

 フェイフォンは隣の岩に飛び移って避けた。

 コウガが飛び上がり、フェイフォンを追う。空中から下に向かって、体重を乗せた拳を振り下ろした。

 フェイフォンは身軽に、また別の岩に飛び移った。

 コウガの拳が、先ほどまでフェイフォンが立っていた岩に当たる。岩に拳大の穴が開いた。

 フェイフォンは不思議に思っていた。

 以前、紅いコウガと対戦した時、とても苦労した覚えがある。実際に一度負けている。だが、先ほどコウガの拳を受け止めた感触は、あの時の力強さが微塵も感じられない。

 向かってくるコウガの目に、恐怖すら感じたのが、嘘のようだ。

 こんなに弱かったかと思いながら、フェイフォンはコウガが乗る岩に移った。

 コウガが腰を屈め、渾身の突きを出した。フェイフォンはその拳を、手のひらで受けた。

 自分の拳がピクリとも動かないことに驚いたのか、コウガが後ろに下がった。足を踏み外し、よろめく。

 フェイフォンは一歩踏み込むと、腕をしならせて、拳を打ち込んだ。コウガの胸に当たり、衝撃で体ごと後方へ飛んだ。

 紅いコウガが背中から岩に激突し、そのまま海へ落ちた。

 KOの文字が浮かぶ。

 以前は死に物狂いで何とか倒せた相手が、ただの一撃だ。

 フェイフォンは自分の拳を見つめ、驚いていた。

 どこからともなく、紅いフェルナンドが現れた。コウガと同じ空手の使い手だが、フェルナンドの方が強い。

 以前のフェイフォンは、戦うことすら諦めた。しかし、今度は戦えるように思えた。

 フェルナンドの鋭い視線に、気後れしてしまうものの、逃げずに岩の上で待ち受けた。

 フェルナンドがフェイフォンと同じ岩に飛び乗った。同時に横なぎの蹴り技が飛んでくる。

 フェイフォンはその蹴りを手で受けてみた。見事に止まり、フェイフォンは微動だにしなかった。

 フェルナンドが足を後ろに戻し、その腰の回転を利用して、左の拳を突き出した。片足だということもあって、コウガよりも軽い突きだった。フェイフォンは難なく受け止めると、押し戻した。

 やはり、たいしたことはない。フェイフォンはそう思うと、フェルナンドの突きの下側に潜り込み、鞭のようにしなる拳を打ち込んだ。

 フェルナンドはさすがに一撃と言う訳にはいかなかったが、そのまま連打を加えようと打ち出した途端に、後方へ弾け飛び、倒れて動かなくなった。

 KOの文字が浮かぶ。

 フェイフォンは上体を低くし、拳を打ち出していた体制のまま止まっていた。

 ゆっくりと上体を起こし、自分の拳と倒れたフェルナンドを眺めた。

 フェイフォンは自分でもまだ理解しきれていなかった。何が変わったのか、何が起こっているのか、半信半疑だ。

 だが、間違いなく、フェルナンドもこの拳で倒したのだ。

 次のNPC、ミーナが現れた。ミーナも紅い色をしている。

 ミーナはローブの裾をひるがえして後方へ下がると、手を突き出した。その手の正面から炎が起こり、フェイフォンを襲う。

 フェイフォンは隣の岩に飛び移ってかわした。

 ミーナの視線に気後れすることはなかった。しかし、今度は別の懸念がわく。ミーナは女性だ。フェイフォンは今まで、女性に攻撃できたためしがない。

 源次郎の操る桃子と対戦した時、柔らかい胸をかすめ、鼓動が跳ね上がったのを今も覚えている。あの感触も忘れられない。

 柔らかい女性の体の、どこを攻撃できると言うのだろうか。どこに触れても、問題がないのだろうか。フェイフォンには未だに答えが出せない難問だった。

 攻撃をためらっている間に、ミーナは魔法を次々と打ち出した。

 フェイフォンは足場の悪い岩場を飛び回ってかわし続けた。

 考えてもらちが明かないので、フェイフォンは思い切ってミーナの懐へ飛び込んだ。ミーナの手のひらがフェイフォンの眼前にある。

 フェイフォンはとっさにその手首をとって、捻った。すると飛び出した炎が、手のひらが示す方向へ飛び、ミーナ自身を焦がした。

「あ、ごめん」

 フェイフォンは思わず詫びていた。ミーナは返事の代わりに再び手のひらをフェイフォンに向けた。その手首もまた捻ると、同じように自分の魔法で自分自身にダメージを与えた。

 何度か繰り返すと、ミーナも倒れ、KOの文字が浮かんだ。

 砂浜の上に倒れたミーナを眺めた。

 今の戦い方が、果たしていいのか、フェイフォンには判断できない。女性と当たる度に、葛藤することになるかもしれない。

 深く考えている余裕はなかった。

 ミーナの体が消えると、西洋風の剣を携えたガーランドが現れた。彼も同様に紅い。

 フェイフォンは振り下ろされた剣を避けた。砂に足をとられ、すれすれだった。

 切っ先に戦慄するものの、連勝の高揚感が恐怖心をどこかへ押しやっていた。もっと戦いを楽しみたくなっていた。

 フェイフォンが砂地を蹴って後ろに下がると、ガーランドが左手を突き出した。光の矢が飛び出し、フェイフォンめがけて飛ぶ。

 フェイフォンが転がるように避けると、先ほどまで頭のあった空間を、光の矢が貫いた。転がった先にも光の矢が迫る。

 フェイフォンは前転でかわし、足が地についた途端に前へ飛んだ。

 横目でガーランドを確認すると、まだ動きが追い付いていないらしく、左手はフェイフォンの後ろの方に向いていた。

 フェイフォンは着地と同時にガーランドへ向かって飛び込んだ。砂が滑り、余分に歩数がかかる。

 ガーランドはそのすきを逃さず、フェイフォンを正面に迎え、片手剣を斜めに振り下ろした。

 フェイフォンは僅かに横へ飛び、再び戻りながら、刀身の側面を裏拳で打った。

 鈍い音が響き、刀身が折れる。

「嘘だろう!」

 誰かの叫び声が聞こえた。一瞬、ガーランドの声かとも思ったが、聞こえてきた方向は、後ろだった。

 フェイフォンは構わず、もう一歩踏み込むと、拳をガーランドの胸に打ち込んだ。ガーランドの胸鎧が大きくへこむ。

 ブレイクコンボ。

 フェイフォンが拳を打ち込むたびに、いつものコンボとは違う名前でカウントされていた。

 ガーランドが仰け反る。

 フェイフォンはさらに踏み込み、蹴りを連続で放った。

 ガーランドの体が後方へ弾け飛ぶと、KOの文字が浮かんだ。

「ブレイクコンボ…噂は本当だったのか…」

 後方で、別の声が聞こえた。

 振り向くと、侍姿のヤマトタケルと銀色の鎧に金髪のランスロットがいた。

 二人は武器を構えず、腕組みをして、傍観者を決め込んでいるようだ。

 フェイフォンは自分の力を実感しつつあった。思い描いたように、相手の武器も壊せた。こうなってくると、妙な高揚感に誘われ、戦いを続けたくなる。

 次のNPCはロンと言うカンフー使いだ。

 カンフー対決となれば、フェイフォンも熱くならざるを得ない。

 紅い服を着たロンと対峙する。

 砂地を同時に蹴って肉薄すると、互いに激しく拳を打ち合った。相手の拳を受け流し、もう一方で打ち込む。受け流されても次の攻撃に移る。

 前に進み、横に移動し、後ろに下がる。

 体の移動に合せて互いに攻防を繰り返した。

 手技だけでは攻めきれず、足技も加わっていく。

 ロンの蹴り上げを両手で防ぎ、前のめりになりながら、海老ぞりに足裏を突き出した。ロンは後ろに上体を反らしてかわした。

 波が揺れるように、フェイフォンの体が後ろに動き、ロンの体が前へ戻る。

 その合間にも、手足が行きかった。

 ロンの拳が目の前に迫った。その拳を追うように、汗の粒が飛んでいる。

 フェイフォンはロンの拳を下から打ち上げ、そのまま一歩踏み込んで肘を突き出した。肘はロンの胸をとらえた。瞬間、フェイフォンのコンボが始まる。

 至近距離で拳や肘をいくつも打ち込み、ロンの体が後方へ仰け反ると、腰を回して立ち蹴りの連打に移った。

 ロンの体が弾け飛ぶ。だが、手ごたえは、まだ終わっていないと感じた。フェイフォンは砂地を二度蹴って飛び上がるとロンに追いすがり、影が追い付かない蹴りを放った。

 着地と同時に、KOの文字が躍った。

 辺りから拍手が沸き起こった。

 ヤマトタケルやランスロット、スーンのほかにも、人が集まってきていた。その中に、セーラー服姿の桃子もいた。

 以前に紅いNPCが現れた時、祭りよろしく集まったメンツも見かける。

 炎の使い手、アグニ。氷使いの銀髪の女性、グレーシャ。カンフー使いの女性、ユウ。鉄の爪を使うダーククロー。丸い大きな頭が特徴の騎士、玉吉。フェイフォンが名前を知っているのはその程度だ。

 名前は知らないが、見覚えのある人々もいた。三人組の男たちもそうだ。彼らは謹慎中のはずだが、ログインしている。VRギアを持っているのだ。

 見たことのない人々の中で、忍者姿の男らしい人物が目についた。侍や騎士姿の人々も多い。

 いつの間にこれほど集まったのだろう。戦いに集中していて、気付かなかった。

 皆はどこかで紅いNPCが出たと聞きつけ、以前のように祭り気分で集まってきたのだろう。だが、誰もNPCに挑もうとはせず、傍観していた。

 次のNPCは銀色の鎧に身を包んだ女性剣士、ワルキューレだ。ワルキューレも紅い色に染まっていた。

 ワルキューレは空中を飛翔できるため、近距離戦しかできないフェイフォンにとって、相性は最悪だった。

 通常のNPC戦でさえ、フェイフォンはいまだにワルキューレに勝ったためしがない。

 フェイフォンは連戦連勝で、気分が高揚していた。何の解決策も見いだせていないが、ワルキューレにチャレンジしたくなっていた。

 幸い、見学者たちは誰も手を出さない。

 ワルキューレが空に飛びあがった。

 フェイフォンは正面にとらえるよう、向きを変えて待った。近づいてくれなければ、攻撃のしようがない。

 しかし、懸念もある。

 ワルキューレは女性だ。彼女が攻撃のために接近したとして、果たしてフェイフォンに反撃ができるだろうか。

 ミーナのように自滅させることは不可能だ。ワルキューレの使う片手剣の軌道を変えたところで、自傷させることはできない。

 だが、躊躇すれば、確実に剣を打ち込まれ、負ける。

 不意に、ワルキューレが飛び込んできた。片手剣を前に突き出し、飛翔してくる。

 フェイフォンが右に避けると、片手剣を振って刀身が追いかけてきた。砂地に背をつけるようにして、何とかかわした。

 立ち上がると、ワルキューレはすでに空の上だ。手の出しようがない。

「手を貸そうか?」

 アグニが両手の間に炎をほとばしらせ、言った。

「もう少しやらせて」

 フェイフォンは答えると、半身に身構えた。

 再びワルキューレが剣を突き出して飛び込んできた。

 フェイフォンは後ろへ飛び下がりながら、その刀身を両手で挟むように受けた。同時に体をひねり、ワルキューレの腕に蹴りを入れる。

 衝撃で、二人は離れた。

 辺りでひときわ大きな歓声が上がっていた。

 ワルキューレが三度空に舞う。

 腕、足ならば、攻撃できそうだ。背中にもできるなら、何とかなるかもしれない。フェイフォンは次の対策を練った。

 三度、ワルキューレが剣を突き出して迫った。

 フェイフォンは後方へ飛び上がり、片手の指と指でワルキューレの刀身を挟んだ。刀身の軌道を変えられないように押さえると、その上を飛び越えるように体をひねり、ワルキューレの背中を蹴った。

 背中にはあの柔らかいものがない。そして、苦痛にゆがむ顔も見なくて済む。背後からの攻撃は卑怯なのかもしれないが、これしか攻撃の手段を思いつかなかった。

 フェイフォンはそのまま攻撃を緩めず、背中に無影脚を叩きこみ、砂浜へ撃ちおろした。

 KOの文字が躍った。

 その文字は、今までよりも重く感じる。勝ったことのない相手に勝てた喜びは、フェイフォンの全身を突き抜けた。

 フェイフォンはいつの間にか、両手を突き上げていた。

 歓声とともに拍手が響く。

「とんでもない野郎だ!」

「剣を受け止めるとか、ありかよ!」

「いやいや、あの固い奴を、なんで素手で普通に倒せるんだよ!」

 あちらこちらで声が上がっていた。

 スーンと目が合った。

 彼女が嬉しそうに手を振っている。

 フェイフォンも小さく手を振って答えると、振り向いた。

 紅い色に染まった中年の男が立っていた。

 NPCのポレドだ。

 ポレドは自慢らしい口ひげを指でなぞると、口の端を上げて笑った。

 次の瞬間、どういうことか、ポレドが三人に増えている。その三人が一斉にフェイフォンへ襲い掛かった。

 右手の拳を払い、左手の拳を受け、正面を蹴った。払った感触も、受けた拳の重みもあった。だが、蹴り足には何も触れない。

 正面のポレドは消えていた。

 フェイフォンは左手の受け止めた拳を引き寄せ、拳を打ち込んだ。が、こちらも空を切ったのみで、ポレドは消えていた。

 背後で砂の鳴る音を聞いた。

 フェイフォンは前方へ転がって避けると、素早く立ち上がった。

 ポレドが意味ありげにほほ笑む。

 再びポレドが三人に増えた。

 どうやら、敵の攻撃は当たるが、こちらの攻撃は、実体以外無効のようだ。これが、幻惑のポレドと呼ばれる理由だろうと、フェイフォンは思った。

 ポレドと対峙している今、考えている余裕などない。迷えば、複数のポレドから攻撃を受け、瞬く間に負けてしまう。

 考えるよりも先に、手当たり次第でも、攻撃する方がよさそうだ。

 フェイフォンは意を決すると、思いつくままにポレドへ襲い掛かった。

 だが、運が悪いのか、一向に実体をとらえることができなかった。

 幻ならば、影がないなどの違いがあるのではないかと考えた。しかし、すべてのポレドに影があり、服装などの違いもなかった。

 いつの間にか、ポレドが五人いた。さすがに、一斉に襲い掛かられると厄介だ。フェイフォンは砂を蹴って移動し、囲まれないように心掛けた。

 ポレドは幻と実体を自由に入れ替えられるのではないかと疑った。ならば、すべてをほぼ同時に攻撃すればいいのではないか。

 フェイフォンは砂に足をとられながらも移動を続けた。

 ポレドが群がってくる。フェイフォンは巧みに後ろへ下がる。砂地に足をとられることも考慮し始め、足元の乱れが減った。

 フェイフォンはその一瞬を逃さなかった。逃げ続けるのを止め、前へ飛び込むと、拳を放った。手前のポレドから順に打ち付け、当たろうとも当たるまいとも構わず、前進した。

 ポレドの集団の中ほどまで進むと拳に手ごたえがあった。進む方向を修正してポレドの懐へ飛び込むと、拳の連打を、分厚い胸板に叩きこんだ。

 実態をとらえてしまえば、フェイフォンの独壇場だ。ポレドがダメージに耐えかねて下がるのに合わせ、前へ踏み込む。ポレドが倒れ掛かると、下から蹴り上げるようにして、蹴りの連打に切り替えた。

 ポレドが弾け飛んだ。だが、フェイフォンは攻撃を緩めない。必勝パターンはこれからだ。

 周りの傍観者たちも分かっているのだろう。ひときわ大きな歓声が上がっていた。

 フェイフォンは砂地を二度蹴って飛び上がると、空中のポレドへ追いすがり、両足を相手に向けて飛び込んだ。足の影が消え、蹴りの連打が入る。

 ポレドが地面に落ちるまで続けた。

 フェイフォンは一度着地すると、再び飛び上がり、倒れたポレドの上に足から落下して追い打ちをかけた。

 KOの文字が躍る。

 歓声と拍手が辺りを支配した。

 フェイフォンは言い知れぬ余韻を味わっていた。高揚感が、疲れを感じさせない。

 余韻に浸る時間は、僅かしかなかった。

 ポレドの体が消えると、アリシアが現れた。紅い色に染まっても、美しい女性だ。

 フェイフォンはアリシアと対峙するものの、足が止まってしまう。目の前にいるのは美しい女性だ。この女性はバリアとサイコキネシスを使う。攻防のバランスがいい。

 前回見かけたときに、モモタロウとユウの連携で崩していたのを見たが、果たしてフェイフォン一人でできるだろうか。相手が女性となると、正面から攻撃するのは気が引けた。バリアを打ち崩し、何とかして背後に回らなければならない。

 考えてみても、勝ち筋が見えない。

 考えている間に攻撃を受けていたようだ。激しい痛みを感じ、後方へ飛ばされていた。

 フェイフォンは空中で宙返りし、足から着地するとジグザグに飛んだ。着地地点を追うように、アリシアの攻撃が足跡を襲う。

 徐々に間合いを詰め、いざ拳の当たる距離に来たと思えても、手が出せなかった。バリアがあるのだから気にすることはない。だが、アリシアと目が合うと、できなかった。

 フェイフォンは横跳びに逃げた。

「何やってんだ!」

 観客からブーイングが上がっていた。



  8


 気が付くと、数人が飛び出していた。先頭はユウだ。ランスロット、ヤマトタケルも続いていた。

 前回はモモタロウがバリアを引き付けた。今回は誰もいない。

 フェイフォンは再びアリシアに迫った。

「あとは任せます!」

 無責任だが、自分では倒せないと判断した。アリシアと顔を合わせないようにして、バリアに拳を当て続けた。

 ユウがフェイフォンの背後をすべるように移動し、アリシアの側面から掌底を入れた。

 フェイフォンが飛び上がって下がる。

 入れ替わるようにランスロットとヤマトタケルが交互に斬り付けた。合間にユウも攻撃を続け、コンボをつなげていく。

 ヤマトタケルが袈裟懸けに斬りつけて終わった。

 最後は自分でも情けないものの、フェイフォンは今までにない達成感を味わっていた。

「単独で七人抜きとは恐れ入る」

 ランスロットがフェイフォンの肩を叩いて称賛した。

「ついに化けたな」

 ヤマトタケルも、反対の肩を叩いた。

「最後がだらしなかったわね」

 ユウはそう言うと、立ち去った。ただ、声色は明るい。

 観衆の反応もおおむね、歓迎だった。手厚い歓迎で、フェイフォンは方々叩かれ、集団から逃げだすまで続いた。

 現実へ戻ってからも、歓迎された。

 ログインしていなかったはずのモモタロウが、共同宿舎の食堂で駿を待ち構えており、まるで自分のことのように喜んでくれた。

 自宅謹慎中のモモタロウは、VRギアも所持していないので、ゲーム内のことは知らないはずだ。

 なぜ知っているのか尋ねると、モモタロウはカード型端末を操作して、とあるSNSを表示した。

 そこにはVSG関連の投稿がいくつもあった。中に、ウォン・フェイフォン特集まである。

 駿が戸惑うのも構わず、モモタロウがSNSを表示させる。すると、つい先ほどの紅いNPC戦が動画とともにアップされていた。

 モモタロウがこれもすごいよ、などと動画をいくつか再生させた。

 一つの動画が目についた。

 誰かの目線による映像だ。鬼気迫る表情の紅いコウガが迫ってくる。映像の主が目を閉じたのだろう。暗転した。

 何も起こらないので、再び目を開けると、目の前に手の甲があった。その向こうにコウガの拳が捕まっている。

 手の甲の主を見上げると、額に傷のある、ウォン・フェイフォンがそこにいた。

 この目線で見ることができたのは一人しかいない。その人物が、この動画をアップしているのだ。

 他の動画も続けて見ると、その人物は確かに、その辺りにいただろうと思えるアングルだった。

「少し前から、この特集記事があるよ。大人気だよ」

 モモタロウは嬉しそうだ。

 駿は戸惑った。何時もログインすると寄り添ってくる彼女が、このSNSを発信しているのだ。

 彼女とゲーム内でのデートは、駿をときめかせた。ただ一緒にいるだけで、嬉しかった。だが、彼女には目的があっての接触だったのだ。

 そう思うと、まるで好きな人にフラれたように、悲しくなった。胸が苦しくて仕方ない。せっかく買った食事も、半分以上残してしまった。

 訝るモモタロウを残して部屋へ戻ると、駿はVRギアを前にして悩んだ。

 彼女はなぜ、こんなことをしたのだろうか。さも気がありそうな接し方をしたのは、打算の上だったのだろうか。これから彼女と、どのように接すればいいのだろうか。

 何時間、そうしていただろうか。

 頭の中がモヤモヤして、考えがまとまらない。答えも見つかるはずがなかった。疑問ばかりが浮かんでもどかしい。

 駿は思い切って本人に問い質そうと、ギアを装着した。

 フェイフォンとしてログインしてみると、ほどなくして彼女は現れた。

「今日はまた来たのね」

 スーンはそう言って、嬉しそうに、フェイフォンの腕をとって、自分の腕に絡めた。

「嬉しい!」

 柔らかいものが二の腕に触れる。その感触で、フェイフォンは用意してきた質問のすべてを忘れた。

 問い質せない時点で、フェイフォンの負けが確定だ。これからもフェイフォンは、スーンにとっての特ダネに過ぎない。

 だが、あの笑顔と、腕に伝わる感触が、フェイフォンの思考を奪った。

 彼女はフェイフォンに出会うと、嬉しいと喜んでくれるのだ。それで十分ではないかと、思えていた。

作中に登場するスーン・スールズ・クリッターは、私が関わった別のものにて、久保田氏が作成したキャラクターです。

名前の類似から、田中芳樹氏の作品のオマージュとして利用しております。

久保田氏の意図しない性格、背景になっている可能性がありますので、苦情があれば、差し替える場合があります。

※2020年4月15日 久保田氏より承認をいただきました。ありがとうございます。

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