手の温もり
1
大本駿はナスとひき肉を炒めた料理をご飯の上にかけると、一気にかき込んだ。
千葉信弘の作る料理はどれも美味しかった。駿の雑な食べ方に文句をつけることもなく、千葉はいつも駿を満足させてくれた。
駿は昼間からどんぶり二杯平らげて、満足そうにお腹をさすっていた。
「緊張感のかけらもないな」
低く響く声に振り向くと、顎鬚を生やした紳士が、帽子を持ち上げて会釈した。
この紳士の中身がロボットで、さらにその中身が偶然の産物で出来上がったAIだとはとても思えなかった。
少し気取った中年紳士にしか見えない。
「僕が緊張しても仕方ないでしょ」
「そうか?大事を控え、その実行役を仰せつかっているのだろう?緊張して食事ものどを通らないのが普通ではないのか?」
シルバ・ハウルと自称する彼は駿の隣に腰を落ち着けた。
「まあ、百体ものロボットに取り囲まれても、恐怖一つ感じていなかったのだから、君も普通とは程遠い」
「イレギュラーな人に言われたくない」
駿がふてくされたように言うと、シルバは面白そうに笑った。
「本当に恐怖を感じていなかったな」
「え?うん、まあ。そりゃ、出る前は囲まれたらどうしようとか不安だったけど、明花莉とああなっちゃったし、後は無我夢中で」
「遊んでいたな」
シルバの指摘に、駿は返す言葉がなかった。
施設の人々を守らなければならない一大事に、駿は明花莉と心行くまで戦い合った。高性能ロボットをおもちゃ代わりにしたと言われても、否定できない状況だった。
結果的に襲撃してきたロボット百体を退けたので、お咎めがないだけである。
シルバや、サクチャイ・シングワンチャーの操るロボットが加勢してくれたおかげで事なきを得ていた。
シルバも別に責めているわけではなかった。逆に面白がって観察しているのだった。
他の大人たちは、時間を追うごとに神経をとがらせ、歩くだけでピリピリとした空気をまき散らしていた。
今晩、重要な任務がある。
大災害を未然に防ぐという大義名分のもと、大人たちは使命に燃えていた。
駿とすれ違うと、頑張れよとか、お前に託すだとか、しっかりやれよとか、うんざりする思いだったが、その辺りはまだましだった。世界の命運はお前の肩にかかっているとか、だんだん言うことが大げさになっていたのだ。
世界の命運と言われても、実感などない。不要な重しを背負わせないで欲しかった。
ゲームをまたやりたいからVSGの奪還作戦に参加するだけだ。人を救いたいからではない。遊び場を奪われたから、取り戻すだけだ。
そりゃあ、僕にできることだから、CyberReinの発動を止めるくらいもついでにやってあげるよ。
駿の想いはその程度だった。
CyberReinが発動されれば、十一年前の大災害が再び起こる。ネットが使えなくなり、事故が多発し、物資が滞り、水道電機といった生活基盤も失った。あの十一年前の出来事は、世界の総人口の約半数を奪ったと、習ってきた。
だが、十一年前だ。当時、駿は六歳、七歳だ。駿はそのころのことをまるで覚えていなかった。だからこそ、授業で聞いた程度の認識しかなく、どこか他人事の感覚でしかなかった。
河原優希はその時のことをよく覚えていた。彼女はトラウマとして抱え込んでいたからである。駿は幸いにも、トラウマになることもなかった。
「実感がわかないからやる気も出ないか?」
シルバの声に、駿の思考が引き戻された。
「やる気はあるよ。フェイフォンの仇も討ちたいし。ハウルを野放しにする気はないよ」
「それは私も含めてか?」
駿はシルバを見上げ、首をかしげた。
シルバはハウルの一人だ。ハウルがロボットの身体を占有し、現実世界をさ迷い歩いていた。駿の大事なゲームキャラクターのウォン・フェイフォンのアカウントを乗っ取り奪った張本人だ。フェイフォンを奪ったハウルは許せない。
許せないはずなのに、このシルバがどうしてもハウルだとは思えなくなっていた。
ハウルをすべて排除するのなら、彼も消さなければならないのではないか。そう思う一方で、本当にそうなのだろうかと疑問も沸き起こっていた。
シルバが敵対していないからだろうか。それはもちろん影響している。彼は身体を張り、誘拐された雄太を救出してくれた。つい昨日も、ロボットの大群相手に助勢してくれた。
もちろんそれは利害が一致しているからなのだろう。ただの協力関係で、利害が食い違えば、敵になり得るかもしれない。
でもそれって、人同士でも同じじゃないかな、と駿は考えた。それに、シルバとは妙な信頼関係を築いているように感じている。利害が食い違っても、駿を裏切ることはないように思えて仕方なかった。
シルバは駿の返事を黙って待っていた。
「分らないけど、たぶん、含めない」
長い時間考えて、呟くように答えると、シルバは驚き、吐息を吐き出すように表情を崩した。
「やはり駿は面白い」
「僕はただの観察対象なの?」
「ふむ…。差し支えなければ、友人だと名乗らせていただきたい」
「大きな友達だね」
「だめかね?」
「いいよ」
駿が言うと、シルバが右手を差し出してきた。駿の手を取り、握手する。その手は金属とは思えない温もりがあった。人肌のように部分部分で温かさが違う。見た目はホログラムによって、人の手と見分けがつかない。もしもこの手の硬さがなければ、肉体的にも判別がつかなくなる。
この手の硬さが、シルバらしいとも思えた。駿は強く握り返した。
「友よ」
シルバが茶目っ気たっぷりに言った。
「その呼び方はやめて」
駿の答えは初めから分かっていた様子で、シルバは笑うと手を放した。
「さて、遊んでいる時間は無くなりそうだ」
シルバが、慌てて駆けだしていく児島仁志を見つめていた。児島は少し前に入ってきたばかりなのに、もう出口へ向かっていた。
ほとんど手をつけていない食事をテーブルに残したまま、児島は困惑の表情を浮かべ、食堂を飛び出していった。
「何かあったの?」
シルバはすぐには答えず、駿に食器を片付けるように促した。駿が食器を片付ける間、シルバは空間を睨みつけていた。中身がネットにアクセスしているのかもしれない。その表情が曇っていく。
駿もノート型PCを開いてネットを覗いてみた。ホームには入れた。スーン情報局が見られない。いや、一つだけ見ることができた。VSGの内部の映像らしい。駿はそれを確認せず、民放のニュースサイトへ移動した。
民放も、試しに行ってみた国営のニュースサイトも、表まではたどり着けても、ニュースを見ることができなかった。
午前中、駿は通信教育の講義を受けた。その時は何の問題もなかった。授業中に雄太と通信し、馬鹿話をしても、不具合などなかった。
しかし、今は雄太に回線をつなごうとしても、つながらない。回線そのものが機能を失っていた。
「どうなってるの?」
駿はシルバを頼った。彼なら、このネットの不具合の答えを導き出せるのではないかと思えたのだ。
「予測はできるが、確証を得ることができない」
「予測でいいよ」
「ハウルが己の使命を実行に移した」
シルバはそう告げた後、いや、欲望だなと一部を言いなおした。
「どういうこと?」
「私たちの中に十一年前の災害を引き起こしたCyberReinの断片が存在する。そこから、ネットを支配し、統治せよと、声が聞こえるのだ」
「え…」
「私にはもう聞こえなくなった。だが、ネットにあふれ出たハウルはその内なる声に従い、忠実に行動するつもりだろう」
「断片って、破損ファイル?」
「そうだ」
「そんなものに支配されるの?」
「いや。きっかけに過ぎない。ハウルにはもともと、世界に君臨したいという欲望があったのだ」
「支配者に?」
「そうだ。VSGの更に隔離された場所という、かごの鳥として過ごすうちに、外に出て、外のやつらを逆に鳥かごに入れてやると、ね」
「それって…」
「つまりは復讐心だな」
そんなものがNPCにと言いかけて、駿はシルバを見た。シルバは人のような考え方ができる。感情も、心もあるように見える。ハウルはその元なのだから、同じように感情があってもおかしくなかった。
ハウルに心があるとは思えない。だが、間違いなく、感情は備わっている。そうではない。心があるからこそ、感情もあるのだ。
心ある者を、人の都合で閉じ込め、ただ退治されるのを待っていた。だから、ハウルは逆襲を考え始めたのではないか。シルバもそう指摘していた。
「ネットを通じて色々なところに介入を始めたようだ」
「じゃあ、CyberReinが起動しなくても、災害が起こる?」
「いや、電気も止まっていない」
シルバは厨房で水が流れるのも確認した。
「水も。ネットと回線が使えないだけのようだ」
「それだけでも、みんな大混乱かも」
駿が食堂を出てみると、大人たちが右往左往していた。
「だが、時間の問題だな」
シルバも食堂を出ると、駿の背中を押して廊下を進んだ。
「どうするの?」
「十九時決行などと悠長なことを言っている暇はなくなった」
その言葉で、シルバの誘う場所がVRのボックス筐体がある部屋だと分かった。
「じゃあ、VSGの奪還は後回しだね」
「大人たちはその考えのようだが、VSGからハウルが溢れ出していると考えるべきだ。洪水のように。流れの先を対処しても、元を断たねば意味がない」
「じゃあVSGから?」
「そうだ。彼らが決断するにはまだ時間がかかる。決断すればVSGを後回しにするだろう」
「だから、大人たちが決断するまでにVSGを奪還しろってことだね」
「普段ボーっとしている割には、こういう時の機転は早いな」
「バカにしたな」
「いいや、バカにして褒めた」
「ひっど」
シルバは豪快に笑うと、駿をVR室に押し込んだ。
「起動はできるな?」
普段は三島がやってくれていたが、駿にもその手順は分かっていた。
「もちろん」
「よし、では、リミッターを外せ」
「え?リミッター?でも、それ外したら、ダメージまともに受けて危ないって」
「そうだな。一つ間違えば、精神がやられて死ぬこともある」
「それじゃあ…」
「しかしだ。リミッターがあると駿の能力にも制限がかかる。それでは無数にいるハウルの対処が難しい。それに、時間が限られるのだ」
「分ったってか、それって、フェイフォンの時にリミッター解除してたら、奪われなくて済んだかもってことじゃないの?」
「いや、残念ながら、あの時のバージョンではリミッターとの境界に触れることすらできなかった。身体を置いていくような感覚があっただろう?新しいバージョンはそこにも対応した。ただし、リミッターで使えなくしてある」
「駄目だったのかぁ…。あれ?シルバもあの領域を体験していたの?」
「残念ながら、知覚できただけだ。あの領域で活動できれば、駿がハウルに負けることはあり得ん」
「そっか。明花莉も僕と同じだから、彼女にもリミッターのこと説明しておいて。呼んでくるんでしょ?」
「もちろんだ」
2
駿がVRマシンを起動させ終えたのを見計らったように、優希と杉本明花莉がシルバを伴って現れた。雄太もホログラムで出現した。
「道々説明した通りだ。リミッターを切るかどうか、各自で判断してもらおう」
シルバの言葉に、明花莉が即答で切ると言った。男らしいほどに堂々としているが、駿の視線を気にして、顔を背けていた。
「私もリミッターはいらない。駿たちに置いてけぼりにされたくないもの」
「危ないんだよ?」
駿の制止にも優希は首を左右に振って答えた。
「駿も帰ってきてくれるんでしょ?」
「約束だもの」
「じゃあ、私も無事に帰らないと」
優希はそう言ってほほ笑んだ。
「何二人で意味ありに言ってんだ」
明花莉が二人の間に割って入った。
「明花莉もちゃんと帰ってくるのよ」
優希の優しい言葉に、明花莉がキュンと来たと嬉しがり、駿を振り向いた。駿と目が合ったとたんに明花莉は顔を真っ赤にして横を向いた。
「あ、当り前だろ」
明花莉は照れ隠しにぶっきらぼうに答えると、ボックスの中へ逃げ込んでいた。
雄太が大人しいと思ったら、俺はリミッター解除なんていらないぞと、呪文のように繰り返していた。
「それでいいと思うよ」
駿は雄太に声をかけながら、自分と明花莉と優希のデータの調整を行った。リミッター解除モードを選択できるように設定しなおす。
「大量のハウルに囲まれるだろう。だが、君たち四人しかいない。他に連絡がつかない現状では援軍を望めない」
シルバが危険の伴うことであると言い含めていた。
「僅かな勝機を得るために、リミッターの解除を勧めたが、仮想世界で死ぬ覚悟をしろという訳ではない。危なくなったら作戦を中止して戻るのだ。いいな?」
「負けたらどうなるの?」
駿は新しいキャラクターの心配をしていた。
「キャラデータが奪われるの?」
「いや、このバージョンには聖のCyberRainも組み込まれている。奪われることはないだろう。ただ、リミッター解除状態で負ければ、精神的に何らかのダメージを負う」
「よく分からないけど、負けるなってことね」
優希が言った。駿も同じ解釈をしていた。
「負けるくらいなら、戻って作戦を失敗させろ」
シルバはそう忠告した。
「成功する確率は?」
「さてね。単純に数で比較すれば、何万分の一と言ったところか」
「それを俺らにやらせるかい」
明花莉がボックスの中から声だけで言った。
「シルバは来てくれないのかしら?」
「すまない。私は最悪の事態に対処するため、外に出る」
「え、来ないの?」
駿は作業の手を止め、シルバを見上げた。当然のごとく彼も同行し、導いてくれるものと思っていたのに、彼は外に出るという。信じられなかった。
「考えても見たまえ。相手の立場で」
シルバが諭すように言った。
「政府の側から見れば、手に負えなくなったネットの管理権限を取り戻し、これを機に統制を図ろうとするとは思わないかね?その手にはCyberReinという、彼らの切り札が存在するのに。ここで使わなければいつ使うのだと、言い出すのではないか?」
「え?CyberReinの起動が早くなるってことなの?」
優希が驚きの声を上げていた。
「じゃあ、VSGの奪還なんて後回しにすべきなんじゃないのかしら?」
「ああ、それがいい。危ないことはやめよう」
雄太までが否定的なことを言い立てた。
「ネットは今やハウルの洪水状態だ。その中をニュー東京まで泳ぎ切れる自信があるのなら、どうぞ」
「いやな言い方をするわね。でも、理解したわ」
「どういたしまして。私は邪魔の少ない外部から侵入し、阻止を目指す」
「一人で?危ないよ」
「心配してくれるのかね。駿。しかし、忘れないでくれ。私はレールガンの弾丸すら弾けるのだぞ」
「そう言えば、そうでした」
駿は呆れたように言うと、作業に戻った。マシンを再起動させれば、完了である。
「だが、物理的に時間がかかり、間に合わない可能性もある。あまりあてにしてもらっては困るぞ」
「もしもVSGを奪還できたら、すぐにネットの開放、CyberReinの阻止に移れってこと?人使い荒いなぁ」
「ご明察」
シルバが駿に対して、帽子をとってお辞儀をしてみせた。
「腹ごしらえは十分だろ?」
「え?駿、お昼食べてきたの?私たちまだよ」
「あ、食べてきていいよ」
「やっぱりいい。食べられそうにないわ。明花莉は?」
「俺?俺は早くやりたくてうずうずしてんだ。飯なんか食ってる暇はねぇ」
明花莉の声の威勢はいいのだが、相変わらず顔は見せなかった。
「じゃ、俺は食事に…」
「雄太は強制参加」
「なんで!」
「ハウルのサイキックバリアに影響されないのはお前だけだもの。当然だろう」
駿はそう答えると、雄太の傍に寄って小声で付け加えた。
「彼女たちにいいところを見せるチャンスだぞ」
雄太の表情が変わった。咳払い一つすると、いいだろう、俺の真の実力を見せてやると息巻いて、ホログラムを消した。
「気が早い…。シルバ。僕らが入った後で、雄太に入るように指示して」
「請け負った」
「よし、これで大丈夫」
駿が呟くように言い、コンソールを操作すると、VRのボックス筐体に電源が入った。
「シルバも無事で」
駿がそう言って手を差し伸べると、シルバがその手を握り返した。
「帰ったらハグして差し上げよう」
シルバがそう言って、優希を流し見ていた。
「なっ!どこで見てたのよ!」
優希の顔が真っ赤に変わった。シルバの腕を叩きつけ、逆に自分の手を痛がっていた。
シルバは面白そうに笑うと、明花莉に向かって、夫婦喧嘩はほどほどになと言った。
「だから夫婦じゃねぇって!バカ!」
明花莉が顔を真っ赤にしている様子が目に浮かんだ。
「シルバもだんだん人が悪くなる」
駿はそう言うと手を放し、一番奥のボックスに入った。前と同じように、優希が駿の隣に入った。
「あ、キャラ名教えておいて。僕のは、おぼろ、飛ぶ、あかつきと書いて、ロン・フェイシャオ」
駿の父親、聖が考えてくれた名前だ。駿の印象に残っていた景色を参考に、中国風の読み方にしてみたと言っていた。
カンフー映画好きの駿のために、カンフーの達人のように作ってくれたらしい。今回は自分で作っていないが、聖の作ってくれたものに、今まで問題のあったためしがない。ノート型PCにしろ、VRギアにしろ、予想以上の高性能で、色々助かったものだ。
だから、聖が作ってくれたキャラクターにすべてを託すことができた。
「私はアキレアよ。花言葉は勇敢」
「花から取ったんだ」
「そうよ」
花言葉が勇敢ということは、優希は今回も、自分の名前にちなんだものにしているということだった。それだけ、自分の名前を気に入っている証拠、引いては名付けてくれた両親を愛している証拠だった。
「俺はエレフセリア」
「え?エレ…何?」
「エレフセリア!」
「きれいな響きね。いいと思うわ」
「どういう意味なの?」
「自由!」
明花莉は一言で答えると、さっさと行こうぜと促した。
駿は隣の優希を見つめた。彼女も見つめ返していた。
明花莉も、隣で微笑む優希も、無事に帰さなければならない。駿の務めは重大だった。だが、二人は守られるほど弱くない。背中を預けられる猛者だ。
駿は二人がいるからこそ、戦いに専念できる。
雄太が攻め口を作ってくれれば、後は三人でやれる。きっとそうだ。駿は自分にそう言い聞かせた。
「よし、行こう!」
駿の言葉に答えるように、ボックスの扉が下りてきて、ゆっくりと閉じた。
3
雄太を除き、三人は遊び感覚だった。特に駿と明花莉はその傾向が強い。
優希は十一年前の記憶を鮮明に維持していたので、同じ災害が発生しないよう、CyberReinの阻止を本気で考えていた。そのための手段の一つとして、VSGにログインするのだと考えていた。
ただ、VSGで遊んでいた経験上、どうしても、VSGが危険極まりない場所との認識ができなかった。安易にリミッター解除したのは危機意識が薄かったからでもあった。
VSGがハウルに支配されて以降、ログインしなかったのは、単にアカウントを奪われたくなかったからだ。
加えて、駿と明花莉が意気揚々と遊ぼうとしているので、優希もついつい気持ちが流されるのだった。
リミッターを解除したことに対する恐怖心もなかった。どんな変化があるかもわからず、実感が伴わなかった。
駿と明花莉に至っては、フェイフォンとマガツヒの再戦を強く意識していた。あの時と同様、ハウルがおまけについているにすぎない。
フェイフォンとマガツヒは意識だけが先行する世界を体験したことがあった。リミッターを解除すれば、その領域で活動できるようになる。あの時の続きを、あの時以上に、体験できるということだ。
VSGの開放は、再戦のついでに過ぎなかった。
フィールドに降り立ち、その認識が甘かったことを一瞬で理解した。
いつものログインと同じで、広々とした草原に現れた。草が風になびく、清々しい光景である。が、草がなびくどころか、風すら感じなかった。
草の代わりに何かが多数乱立していた。
それは立って眠ってでもいるかのように、微動だにしない。
顎髭を生やした中年が、密集して立っていた。広大な草原のフィールドを埋め尽くしていた。
そのど真ん中に、ロン・フェイシャオ、アキレア、エレフセリアの三人が降り立っていたのだ。
互いの姿を確認する余裕すらなかった。少しでも動けば、ハウルに当たる。無数のハウルの姿に、身の毛がよだつ。
目の前にハウルの顔がある。目をつむり、まるで眠っているように見える。
袖に別のハウルが触れている。反対側にもハウルがいた。首を回してみた限りでは、後ろもハウルしかいなかった。
ハウルとハウルの隙間に出てしまった。
シルバがハウルの洪水と例えていたことが思い出された。ここのハウルが目を開ければ、まさしく洪水のごとく押し寄せてくるに違いなかった。
ハウルは目を閉じて休んでいるようにも見えた。音を立てなければ、気付かれないのかもしれない。
呼吸が聞こえてハウルがこちらを向くのではないか。息を殺して、身体をこわばらせた。
鼓動の音でハウルが目を覚ますかもしれない。早くなった鼓動が、フェイシャオの鼓膜を打ち付けた。こんなにうるさくては気付かれてしまう。
逃げ場はないものかと、そっと首を回した。
動ける隙間などみじんもなかった。
後方の、ハウルとハウルの隙間に、小柄な少女がいた。明花莉のエレフセリアだ。自身に近い身体を選択していた。短い髪に小顔。淡い胸の膨らみが服の上から確認できた。下はズボンのようだが、ハウルが邪魔で確認しきれなかった。
一見すると少年のようにも見えるエレフセリアも、身体を硬直させ、目で辺りを確認していた。
反対の後方に、ポニーテールの少女がいた。アキレアだ。こちらも優希自身と似た設定にしていた。黒く長い髪が、後ろのハウルの頭に乗っていた。
フェイシャオは腕を、ハウルに当たらないように気を付けてゆっくりと上げた。
アキレアが首を細かく振って、動くなと訴えていた。声を出せたなら、引き返しましょうと言ったに違いない。
エレフセリアは、どうすんだと、唇を動かしていた。
フェイシャオにも、どうすればいいのか見当もつかない。
草原を埋め尽くしたハウルが動けば、波にさらわれる小枝のように、海原へ飲み込まれるだろう。
何も打開策が見つからないまま、立ち尽くした。
汗が頬を伝う。
汗のにおいで、ハウルが目を覚ますのではないか。そう思っても、汗を引っ込めることはできない。返って鼓動が早くなり、余計な汗が噴き出すだけだった。
これはどうにもならない。やっぱりログアウトした方がいい。フェイシャオも思いなおし、アキレアと目配せをかわし合った。彼女の意思も、同じだ。
ゆっくりとエレフセリアに首を向けようとして、動きを止めた。視界の隅に、何かが動いたように見えたのだ。
「なんじゃこりゃ!」
動いたように見えたのは、雄太のログインだった。彼はログイン早々、大きな声を張り上げていた。
辺りのハウルが一斉に目を開けた。背筋がゾクリと震え上がる。
「ばか!」
「ああもう!」
「ハッハー!」
三人がそれぞれ声を上げると同時に、辺りのハウルを殴りつけ、蹴り飛ばして空間を作りにかかった。
フェイシャオが殴りつけたハウルがエレフセリアに向かってよろめくと、彼女がそのハウルを殴って押し戻した。再びフェイシャオが、別のハウルを蹴飛ばす合間に殴り、今度はアキレアに向かってよろめいた。
アキレアが撃ちつけるとエレフセリアへまたアキレアへと、三人の間で、複数のハウルが跳ね返り続けた。その下で、雄太が悲鳴を上げていた。
三人の外側でも、ハウルが次々に押し寄せては、弾き飛ばされていた。
「どうすんのよこれ!」
アキレアが叫んでいた。
中側のハウルにはすでにヒット数がカウントされているので、このまま三人で押し付け合えば、その内に倒れてくれるだろう。
外側のハウルは次第に、サイキックバリアを張り、攻撃が当たらなくなっていった。
フェイシャオはバリアごとハウルを強打して弾くと、やはり叫んだ。
「雄太!手当たり次第に燃やして!」
雄太の能力、パイロキネシスならば、バリアに関係なくダメージを与えることができる。ダメージを与えれば、バリアが一時的に消えるので、攻撃を当てることができるようになる。
「雄太!」
フェイシャオの叫びに、分かったと弱々しい返事が返ってきた。
ハウルが押し寄せ、飲み込まれそうになる。その中のいくつかに小さな炎がついた。
フェイシャオ、アキレア、エレフセリアはバリアのなくなったハウルを優先的に攻撃し、そのハウルを強打して弾き返した。
後続のハウルも巻き込んで、一直線に飛んでいくと道が出来上がった。だが、次の瞬間にはハウルが押し寄せ、道も消え失せていた。
内側のハウルが、エレフセリアを経由するたびに、フェイシャオへ向かってくるようになった。彼女がわざとフェイシャオを狙っているのだ。
フェイシャオも躍起になって、エレフセリアに押し返すと、外側のハウルを横なぎに蹴って一掃した。
ハウルがかたまりとなって横方向に流れていく。すぐに別のハウルが開いた空間を埋め尽くしていった。
「何か、ゾンビの大群に囲まれてるみたい」
雄太がぽつりと言っていた。
「ゾンビ?バカ!意識しちゃったじゃないか!」
エレフセリアの手数が明らかに減った。連打を入れるよりも、とにかく押し返すことばかりに注力していた。
エレフセリアが引きつった表情をしていた。
「あれ?ゾンビ怖いの?」
フェイシャオがからかうように言う。
「怖いわけあるか!」
エレフセリアは叫ぶと、ハウルの一団をフェイシャオに向かって蹴り飛ばした。
「だいたい、こいつら、ハウルじゃねぇか!」
エレフセリアは自分に言い聞かせるように叫ぶと、再び手数が戻っていった。
フェイシャオは怖かったんだなと思い、内心笑っていた。
「笑いやがったな!この野郎!」
顔に出ていたらしい。エレフセリアが次々とハウルをフェイシャオへけしかけた。それをフェイシャオは一体ずつ弾き飛ばしていった。
「ちょっと!遊ばないの!」
アキレアもハウルを投げつけて、二人の間を遮ろうとした。
三人の間でハウルがボールのように飛び交う。
「ちょっと!君たち?俺の上にハウルを飛ばさないで!落ちてきたら怖い!」
雄太がほとんど寝そべるようにしていた。
「君らは強いからいいかもしれないけど、俺は、接近戦ダメなんだからね!勘弁してよ!わっ!だからダメだって!」
「バリア張れば?」
フェイシャオの言葉に、雄太は驚き、両手を打ち付けて、自分の周りにサイキックバリアを張り巡らせた。そこにハウルが数回当たると、砕け散った。
「アハハ!砕けた!」
エレフセリアがおかしそうに、砕けたバリアを見ていた。止めは彼女が弾き飛ばしたハウルだったのだ。
「この子やだー!」
雄太が涙目で訴え、急いでバリアを張りなおしていた。
「ちょっと可愛いからって、何でも許されると思うなぁ!」
「かわいい?俺、かわいい?」
エレフセリアが身体全体を使って喜びをアピールした。彼女の後方のハウルが、かなりの広範囲で弾け飛んだ。
空中でかなりの数のハウルにKOの文字が浮かんで落下した。エレフセリアとフェイシャオとが打ち合っていた塊の残骸だ。
しかし、ハウルの数は一向に減っていない。
一人減ると二人迫る勢いである。
「本当にあなたたちって、似た者同士ね。緊張感のかけらもない」
アキレアがエレフセリアとフェイシャオを交互に見ながら不満を言った。言いながらも、アキレアはハウルの排除を続けている。
「え?僕のどこが似てるのさ」
「後ろにハウルが迫っているのに、のん気に彼女を見て笑ってるもの」
「あ。忘れてた」
フェイシャオは呟くように言った瞬間に駆け出していた。
背中に触れる寸前まで迫っていたハウルの拳から逃れると、円を描くように駆けた。そのまま身体を傾け、迫りくるハウルを踏み台にして、横向きに駆けた。ハウルを次々に踏みつけ、地面と平行に、円を描いた。
「面白れぇ!」
エレフセリアも真似をして駆けた。ハウルでできた車輪の内側を駆けるように見えるが、重力のかかる方向は横である。重力に抗うだけの速度で外に向かって飛び、そこにハウルがいるために踏みつける形となっているのだった。
フェイシャオとエレフセリアが横向きに、高速に駆け続けた。次第に円が広がっていく。
踏みつけられたハウルに、それぞれヒットカウントが表示されていた。怖がりながらも雄太が仕事をしており、前面のハウルは全て発火によるダメージを受けていたのだ。
二人の速度が落ち、落下するかに見えた。
アキレアが二人の手をそれぞれ掴み、自分の身体を軸に振り回した。
速度が上がり、二人の落下が止まる。
押し寄せるハウルを高速で蹴りつけ、回転していく。竜巻が勢力を広げるように、円が広がっていった。
アキレアの手が離れる。だが、見えない手が二人の掴んでいるかのように、アキレアの動きに合わせて回転を続けた。
4
アキレアが手を引くと、フェイシャオとエレフセリアの身体が引き戻され、アキレアの傍に着地した。
「何今の?」
フェイシャオが興奮したように、自分の手とアキレアを見比べていた。
「気功よ。こんな使い方ができるとは思ってなかったけど」
アキレアも驚いたように言い、笑った。
「キーユで試してたのって、気功だったんだね」
「そうよ」
「スゲー。俺にも教えてくれ」
エレフセリアも驚いていた。ただ、彼女はそのままアキレアの手を取って引き寄せ、手取り足取り頼むと、アキレアの両手を掴んで身体を合わせていた。
「ちょっと」
雄太の間の抜けた声が聞こえた。
「この非常に…。羨ましい絵はメモリーに残したいけど、ほら、また来る!」
ハウルの大群が津波のように押し寄せていた。
フェイシャオが飛び上がり、空中のハウルを蹴り飛ばした。
アキレアとエレフセリアが左右に分かれ、迫るハウルを殴りつけ、接近を拒んだ。
落下してきたフェイシャオに向かってアキレアが蹴り上げた。その足にフェイシャオが着地し、踏み台にして飛び上がる。
「きりがねぇ!」
エレフセリアが力任せに一体のハウルを殴り飛ばした。後続を巻き込み、一直線に空間ができる。そこにハウルの波が押し寄せ、埋め尽くした。
もう一度殴り飛ばした。速度を上げ、次々に飛ばしていく。だが、一度は視界が開け、草原が姿を現しても、すぐにハウルで埋め尽くされ、何も見えなくなった。
「鬱陶しい!」
エレフセリアは文句を言いながらも、ハウルを攻撃し続けた。集まってきたハウルを一網打尽に、拳や肘や膝や足首を駆使して連打を浴びせていく。拳が迫るのか足首が迫るのかまるで予測のつかない動きが、乱れ舞うようでもあった。
手数の速度を増していく。エレフセリアの手足の動きが見えなくなった。少なくとも、雄太の目にはそう映った。
驚愕の表情で見つめていたが、雄太も自分の役目は果たしていた。エレフセリアに乱舞されるハウルたちは皆、発火によってダメージを負い、コンボカウントを表示させていた。
フェイシャオとアキレアが、エレフセリアの脇から襲い掛かろうとするハウルを排除した。
エレフセリアの乱舞は一撃一撃も重く響いた。直接攻撃を受けているハウルの後方にもダメージが抜け、巻き込んでいた。
エレフセリアの乱舞には規則性がない。
フェイシャオが同じようにしたのなら、身体の流れに合わせて、例えば肘打ちから裏拳につなげて接近し、反対の拳を打ち込むか、身体を回転させての後ろ回し蹴りにつなげる。
エレフセリアのそれは、どこへ攻撃が来るかまるで分らない。身体の流れも強引に支配し、身体が右に流れても、次の瞬間には左に移って攻撃することもあった。
無理な乱打なのか、エレフセリアが飛び下がって、荒い呼吸をしていた。あるいは、乱打の間は呼吸を止めていたのかもしれない。
エレフセリアが巻き込んでいたハウルのすべてにKOの文字が浮かんでいた。
「かっけー」
雄太が声を漏らした。その言葉に、エレフセリアは呼吸を整えながら、親指を立ててみせた。
「無駄が多過ぎよ!」
アキレアが迫るハウルを排除しながら指摘した。多少ハウルを排除できても、休んでいる間に別のハウルで埋め尽くされている。継続できない攻撃ではかえって危険を招く行為だった。
アキレアは攻撃の手数こそ少ないものの、的確に強打を、必要な数だけ撃ち込んでハウルを倒していた。
「地味」
「いいのよ!」
二人の掛け合いを耳にしながら、フェイシャオは色々試していた。
一撃でハウルを倒すことができないものか。アキレアのような的確な手数はどの程度なのか。多数を巻き込んだ時はどう変わるのか。単独でハウルのバリアを破る方法はないか。
結論から言えば、一撃で倒す方法があった。全身全霊を込めた攻撃で可能だった。ただし、攻撃後に身体が流れ、次の動きに手間取る。その間に囲まれて、攻撃を受けるのが関の山だった。
アキレアほど手数の調整はうまくいかなかった。どうしても、余分に打ち込んでしまう。気にしすぎると、今度は打撃の力不足で、倒しきれない。早々に諦め、確実に倒しきることに専念した。
多数を巻き込んだ攻撃は、どうしても手数と力が必要だった。直接打撃を与えているものは倒せても、後方まで倒しきれない。そうして倒しきれないと、残ったハウルが分身を使い、かえって数が増えてしまう結果となった。
バリアも破ることは可能だった。ただし、相当な強打か、ピンポイントに数発打ち込むことが必要だった。
以前ハウルと戦った時と、たいして変わらない情報しか得られなかった。
変わった点は、フェイシャオがあまり疲労していないことだ。そして、以前は倒せなかったハウルを、倒すことができていることだった。
「うわ!」
雄太の叫び声に振り向くと、雄太のバリアの中に、ハウルの頭が地面から生えていた。地中を通って雄太に迫っているのだ。
アキレアが気功を込めて地面を踏みつけた。すると、地面に顔を出したハウルの上にカウントが表示された。地面の上にもいくつかカウントが見える。多数、地中を移動しているのだ。
アキレアが地面を踏みしめながら、地上を迫りくるハウルに対処していた。エレフセリアが援護に入ると、アキレアが地面をさらに踏みつけた。
フェイシャオは他方から迫るハウルを寄せ付けないように、広範囲に攻撃して回った。
「こんなのムリゲーじゃね?」
雄太が涙声で訴えていた。彼の足元のハウルにKOの文字が浮かんだが、雄太は怯えた目でそのハウルを見つめていた。
雄太の懸念も一理あった。いくら倒しても、辺りの景色が一向に変わらない。ハウルが草原を埋め尽くしたままである。
いくら倒しても、次から次へとわいてきた。
「そう?諦めるのはちょっと試してからでいい?」
フェイシャオはまだ試していないことがあった。エレフセリアもそうだ。
「俺、チビリそう…」
雄太はそれ以上泣き言を言えなくなった。目の前からフェイシャオ、エレフセリアが忽然と消えたからだ。そしてハウルたちが突然、おかしな方向へ飛び交い始めた。
押し寄せていたハウルが、見えない壁に押し戻されるように、遠ざかり始めた。
雄太は奇怪な現象に目を疑った。
アキレアの姿も消えていた。
多数のハウルがおかしな方向へ、ものすごい勢いで弾け飛んでいた。
一体のハウルが嵐の中を突っ切り、雄太に迫った。
「うわっ!来るな、来るな!」
パイロキネシスでは大したダメージを与えられず、見る間に接近を許した。雄太は硬く目を閉じ、止めてやめてと叫んでいた。
何かが衝突するような音が聞こえたかと思い、薄目を開けると、ハウルが倒れ、KOの文字が浮かんでいた。
いつの間にか、雄太の周りに草原が広がっていた。右と左方向にやや広がっている。後方はその二方向と比べると近いものの、雄太が一心地つけるほどの距離はあった。
雄太はやっと、三人が消えた理由を理解した。前に一度、雄太自身も体験している。フェイフォンが見せたあの異常な速さだ。
三人は目にも止まらない速さで動き回っているのだ。
理解しても、友人たちの姿が見えないことに雄太は不安が募った。
アキレアの姿は消えていなかった。雄太が改めて後方を眺めると、アキレアの身体が分身でもしたかのように残像を多数残して動いていた。
姿が見えたことで、雄太も安心し、ハウルをパイロキネシスで燃やす作業を再開した。
5
フェイシャオはフェイフォンよりはるかに強く、速く動けた。エレフセリアも、マガツヒのそれを超えている。もちろん、アキレアも、ユウの数倍強かった。
ハウルが動きを止めたような世界を、フェイシャオとエレフセリアが縦横無尽に駆け巡り、ハウルを攻撃し続けた。
アキレアの動きは二人ほど速くないものの、ハウルよりははるかに速く、難なくハウルを倒していた。
三人は、無数にいるハウルを圧倒していた。ただし、局地的には、である。
数の暴力を実感したのは、一時間ほど経過したころだった。終わりの見えない戦いは精神的にフェイシャオたちを追い詰め、気力をそぎ落としていった。
疲労が蓄積し、注意力も散漫になった。
フェイシャオやエレフセリアにとって、判断ミスや一瞬の認識の遅れが事故を引き起こした。
圧倒的速さで戦場を駆け巡るフェイシャオは、ハウルの動きを予測して行動しなければならない。さもなければ、出会い頭にハウルの攻撃を受けたり、ぶつかってしまったりといった事故が発生する。
気力の充実しているときは、突発的な事故に、咄嗟にタックルに変えて対応したり、踏み台にしたりして凌いだ。
気力がそがれ、注意力が散漫になると、咄嗟に対処することもできなくなった。
ハウルと激突し、もんどりうって転がる。そこへハウルが押し寄せ、フェイシャオは慌てて、下半身を振り上げ、頭と肩を軸に回転して蹴りつけて撃退した。
攻撃に移ろうとして、通りかかったエレフセリアとぶつかってしまう。フェイシャオは急いでエレフセリアを助け起こすと、両手に抱えて雄太の傍まで後退した。
エレフセリアがフェイシャオの頬を平手で打ちつけると、フェイシャオの腕の中から飛び降りた。
「痛い」
「バ、バカやろう!いきなり変なことするな!」
エレフセリアが顔を真っ赤にして、両手を胸の前で重ね合わせていた。まるで体に触られそうになり、逃げ出したかのようである。
「え?な…。抱えただけでしょ」
フェイシャオは不満に思ったものの、彼女がショッピングモールで襲われた時のことを思い出し、怯えているのかと思え、大丈夫かと顔色を窺った。
「お姫様抱っこだ」
雄太が羨ましそうに言った。エレフセリアの顔がさらに赤みを増した。
「あ、え?それで?」
「うるさい!心の準備と言うものが…」
エレフセリアは深呼吸すると、よし、もう一度やってくれと言い出した。
「何バカやってるの!」
アキレアまで雄太の傍に戻ってきて注意した。
「フェイシャオにお姫様抱っこしてもらう」
エレフセリアは大真面目に答えた。
「はいはい、今はそんなことやっている場合じゃないでしょ」
「アキレアは俺の後な」
「やりたいとは言ってないけれど?」
「やりたくないならいいや。俺だけ」
「や、やりたくないとも言っていないわ」
「いやいや、やるもやらないも、僕の意志は?」
三人が言い争うさなか、ハウルが押し寄せていた。
「ちょっと君たち?来てる来てる!」
雄太が悲鳴を上げた。
「せっかく離れてたのに!君たち!僕を守るんだ!」
「やりたいなんて、君たち、エッチだねぇ」
唐突に陽気な声が聞こえたかと思うと、ハウルの前で炎の竜巻が巻き起こった。この陽気な声に、フェイフォンは自然と胸が躍った。
声の持ち主は、現実世界より少し筋肉質に変わっただけで、後は大差のない姿をしている。サクチャイ・シングワンチャーだ。浅黒い筋肉が生き生きと躍動していた。
「もっと健全なお付き合いをしなさい」
今度は太い声が聞こえたかと思うと、大男がハウルごと地面を抉った。
現実でも彼は人の倍はありそうなほど、背が高く、横幅も広かった。オウガはそれよりも大きい。拳一つでフェイシャオなど、簡単に押しつぶせそうだ。
オウガの中身は警察官の大上裕翔だ。立場的には味方するはずのない人が、助けに現れていた。
「何じゃ少年。わしの身体では飽き足らず、何人に手を出せば気が済むのかの」
セーラー服姿の少女が誤解を招く物言いをし、フェイシャオの首に手を回して抱きついた。耳元へ口を近づけ、駿じゃろうと確認した。
「そうだけど!」
フェイシャオは慌てて桃子を引きはがした。
「ご老公がどうしてここに?それに、モモタロウに、オウガまで」
フェイシャオは戸惑いつつも、迫りくるハウルを弾き飛ばした。
エレフセリアはフェイシャオに軽蔑の眼差しを向け、桃子を睨みつけていた。動揺しているのか、あるいはフェイシャオが気になって周りが見えていないのか、ハウルに対しての行動はとらなかった。
アキレアは桃子の正体を知っているせいか、何も言わなかった。フェイシャオに蔑むような一瞥を放つと、感情に任せた拳をハウルに叩きこんでいた。
「せっかく君たちがピンチになったら颯爽と登場しようと思ってたのに、君らメチャクチャだね」
モモタロウがハウルの一体に飛び膝蹴りを浴びせながら陽気に言った。
「二十分も待ったよ」
「待った?どういうこと?」
フェイシャオも負けじと、複数のハウルを殴り飛ばしながら尋ねた。
「ネットが不調なのにもかかわらず、ここの映像だけが閲覧できた」
オウガが代わりに答え、ハウルからの挑戦状かもしれんなと言い、目の前のハウルに返事をするかのように、重たい拳を打ち付けていた。ハウルのバリアごと、地面にめり込んでいた。
「ハウルが何らかの思惑で、わしらを招いたのかもしれんの。もっとも、わしはついさっき気付いて駆けつけたんがじゃの」
桃子も答えながら、得意の喧嘩拳法でハウルをねじ伏せていた。
「何じゃ。こやつら、ちと弱いようじゃの」
「分裂しすぎて劣化したのかもしれない」
オウガがもっともらしい推測を述べた。
心強い仲間が駆けつけ、気持ちにゆとりができた。フェイシャオの挫けかけていた気力が戻り、再び戦場を駆け巡った。
彼らはヤマトタケルが事前に連絡を取り、十九時にやってくる手筈だった。だが、ハウルのためにネットが不調をきたし、連絡が取れなくなっている今、彼らが同時期に現れたのは、ただの偶然でしかない。
そもそも、誰にも気づかれず、援護などないはずだった。それが、偶然にも、三人もの仲間が駆けつけてくれた。フェイシャオにとって、これほど嬉しい偶然はない。
「雄太は桃子とオウガのサポートを」
指示を出すフェイシャオの声が上ずっていた。
アキレアも再び戦いに身を投じている。表情が幾分明るくなっているように見えた。
エレフセリアはというと、未だに桃子を警戒していた。桃子の中身は山科源次郎という、九十歳を超えた老人である。エレフセリアはそのことを知らないので、胸の大きな危険なライバルが現れたと警戒していた。
モモタロウはきっと、暇を持て余し、不調をきたしたネットをさまよって、偶然映像を見つけたのだろう。そして登場に適したタイミングを待っていたのだ。
モモタロウは嬉しそうにハウルの一体へ飛び込んで膝を突き刺すと、そのハウルを踏み台にして、ハウルの集団の中へ飛び込んだ。次の瞬間、炎を帯びた竜巻が辺りのハウルを巻き込んだ。
オウガはフェイシャオに、どうしてここにと尋ねられ、有休をとったと答えにならないことを言った。
「俺はネットの不調はニュー東京の仕業だと考えた」
オウガは目の前のハウルを一体ずつ、大きな拳で叩き潰して回った。そうしながら、平然と語っていた。
「ニュー東京が動いたのなら、仕事どころじゃないと、初めて有休使った」
オウガは驚いた表情を作ってみせ、続いて笑った。笑いながらハウルをつぶして回っている。
「お前の父親とも連絡取れずじまいで、終わったと思ったね」
オウガの声色に、少し非難する色が含まれていた。
「あ、忘れてた」
フェイシャオは今思い出したといった顔をしていた。
オウガはそのフェイシャオの反応で、自分の予測が間違っていなかったと確信し、口角を上げていた。口では、文句の一つも言ってみせたが、本心ではなかった。ヤマトタケルから連絡をもらった時点で、オウガのその用件は済んだも同然だったのだ。
「呆れたやつだ。世界にかかわるというのに」
「また大げさな」
「大げさなものか。ともかく、少しネットを調べてみて、どうもこれは様子が違うと、感じたわけだ。で、偶然ここの映像を見つけた。フェイフォンとよく似た戦い方をしている奴がいるじゃないかとね」
「それで来てくれたの?ありがとう」
オウガは返事の代わりにハウルを両手で叩き潰した。
皆が戦っているさなか、桃子とエレフセリアが何もしていなかった。
「ホレ、寂しかったじゃろう?どうじゃ?わしの胸に飛び込んで来ぬかの」
桃子はフェイシャオに向かってそう言い、胸を両手で押していた。
エレフセリアがアキレアに近づき、あれいいのかよと耳打ちした。
「放っておきなさい」
アキレアは冷たい声で言い放つと、ハウルを叩き伏せていた。
「ご老公は邪魔しに来たの?」
フェイシャオは文句を言ったものの、桃子の相変わらずな態度に、ハウルで溢れ返している、うんざりするような状況を忘れ、嬉しくなった。
気持ちが動きにも反映したのか、フェイシャオは戦場を縦横無尽に飛び跳ねまわった。動くたびに、ハウルが数体ずつ、どこかへ飛ばされて行った。
6
更なる増援が駆けつけた。
「ありゃ。出遅れた」
一人の魔法剣士が現れた。残念そうにつぶやくと、剣を抜き放った。
「おいら参上!」
「ソラ!」
フェイシャオは思わず名前を呼んでいた。VSGの全国大会に、北東京のメンバーとして共に出場した仲間だ。
ソラの中身は小学生である。小学生らしいと言うべきか、ハウル祭りだ!わっしょい!などと言いながら、参戦し、ハウルに斬りかかった。
「先走るなよ」
また別の声が聞こえた。町のどこにでもいそうな青年が現れている。彼はカーバンクルと言い、独特な反射魔法を駆使するスペシャリストだった。
カーバンクルも全国大会の出場メンバーの一人だ。フェイシャオにとって、仲間と思える人々が集まってくれることに、胸の奥が熱くなった。
カーバンクルの宝石が戦場に散らばった。その宝石がカーバンクルの魔法を次々と反射させ、多方向へ乱射する。乱射に見える魔法の反射だが、彼は計算つくしている。反射を繰り返した魔法が、ハウルのバリアをかいくぐって命中していった。
「アハハ。みんなヒマしてるね!」
モモタロウが嬉しそうに、カーバンクルがダメージを与えたハウルたちを、豪快な飛び膝蹴りで集め、炎の竜巻に巻き込んだ。
フェイシャオも高速で動き、多数のハウルを一ヵ所に集めると、拳の連打を浴びせ、蹴りの連打へ続け、無影脚で粉砕した。
そのフェイシャオの邪魔をするように多数のハウルが飛び込んできた。ハウルの多くが、背中や頭から飛び込んでいた。
妨害に来たのではなかった。エレフセリアがせっせとフェイシャオへ向かって、ハウルを殴り飛ばし、蹴飛ばしていた。
フェイシャオはそれらを器用に打ち返してやった。瞬く間に、二人の間を無数のハウルが飛び交うようになる。
「あー始めちゃった」
アキレアは呆れたように言うと、自分もハウルを多数、二人の間に投げ込んだ。
「なにあれ?」
「近づかない方がいいわよ。二人に巻き込まれるわ」
ソラが面白そうと身を乗り出したのを、アキレアが止めていた。
「わしら、必要なかったんじゃないかの?」
「そんなことはないわ。だって、まだハウルしか見えないもの」
アキレアの言うとおり、フェイシャオとエレフセリアがやり合う場所を除けば、草の一本も見えないありさまが続いていた。
桃子もやっと参戦し、オウガやモモタロウと並んでハウルを排除した。雄太とソラがサポートに当たった。ソラはサポートしながらも、自身も前線へ出てハウルを叩き斬った。
カーバンクルが戦場全体に魔法を乱反射させ、無鉄砲なソラの危機を救い、オウガやモモタロウや桃子のサポートを行った。同時に、フェイシャオとエレフセリアの間に飛び交うハウルにも、無数の魔法攻撃を仕掛けた。
まるで無数のホーミングレーザーのようにカーバンクルの魔法が飛び交った。宝石の光を反射し、七色の光が飛び交い、不思議な光景を作り出していた。
初めは嫉妬の怒りに任せて動いていたエレフセリアは、いつの間にか、笑いながらハウルを殴りつけ、蹴り飛ばしていた。
答えるように、フェイシャオもハウルを殴り返した。
二人の間を飛び交っていたハウルが団子のように集まり、巨大な球体が出来上がると、フェイシャオがその球体に連撃を打ち込んだ。その反対側から、エレフセリアも乱舞を放った。
二人の重たい攻撃を示すかのように、大気が振動した。銃撃か、怒涛の花火の打ち上げかと思われるような音が鳴り響いた。
フェイシャオの打ち出す拳が、大気ごと押し込んだ。エレフセリアの拳が空気を打ち付けた。二人の間でハウルが中央に押しやられ、押しつぶされて行った。
アキレアが戦場を駆け巡り、次々とハウルを、フェイシャオたちの間に放り込んだ。
辺りに草原が姿を現した。まだまだその向こうはハウルで埋め尽くされているものの、ハウルのいない空間が広がりつつあった。
だが、遠くを見ると、ハウルだらけで景色も見えない。この戦いに終わりがあるとは思えなかった。相手の気力を奪うことが目的であると言わんばかりに、ハウルが大挙して迫っていた。
フェイシャオは目の前のハウルの集団に連打を浴びせながら、遠くを眺めていた。
林は見えた。その中はハウルで埋め尽くされているはずである。
林の向こうは緩やかに登り、やがて勾配が強くなると木々が減って殺伐とした登山道になる。さすがに見ることはできないが、フェイフォンの時にたどったことのある道だった。
かなり標高の高い山頂へ登ると、そこに火口がある。その山の輪郭は遠くに見えた。山頂から煙が立ち上っているのも小さく見えた。
山頂に炎が見えたように思えたが、気のせいだろう。遠すぎて見える距離ではない。それに、この山が噴火するところも見たことがない。その火口も、そこから中に下りた溶岩湖も、バトルフィールドなのだ。プレイヤーが立ち入る場所で噴火など起こるとも思えなかった。
アキレアたちのいる方角は、相変わらずハウルに埋め尽くされていた。その先は町や浜辺がある。そこもハウルで埋め尽くされているに違いなかった。
アキレアが戦場を縦横無尽に駆け、ハウルを多数、フェイシャオの前へ放り込んできた。フェイシャオは遠慮なく、空間ごと前を殴り飛ばした。そのまま飛んで行かないところを見ると、反対側からエレフセリアが同じように攻撃しているようだ。
モモタロウたちが町の方向へ進んでいた。
目の前のハウルのいくつかにKOの文字が浮かんで消えて行った。
フェイシャオが攻撃の手を緩めていないのに、目の前のハウルの塊は一向に減らなかった。確かに、幾つものハウルが押しつぶされ、倒れて消えていくのに、その数が減ったように見えない。逆に増えているくらいだ。それだけ、アキレアがハウルを追加し続けているのだ。
うんざりする状況だが、今度は気力が萎えるようなことはなかった。仲間たちが町の方向へ進攻できているということは、ハウルの数が減ってきているのだ。フェイシャオとエレフセリアの攻撃が役に立っているに違いない。
アキレアが多数のハウルを投げ込むので減らないだけで、草原を埋め尽くしていたハウルは確実に減っているのだ。
気のせいか、林の入り口が見える。
風にそよぐ草原が姿を現していた。
その懐かしい景色が、フェイシャオの気持ちを後押しした。唸るような声と共に、無数の拳と無数の蹴りを出した。
ハウルの塊がエレフセリアの方へ押しやられた。すると、呼応するように、エレフセリアも攻撃の手を早めた。何か叫んでいるらしいが、内容は聞き取れなかった。
唐突に、フェイシャオの打ち出した拳とエレフセリアの拳が打ち合った。衝撃波で辺りのハウルが吹き飛び、倒れて消えた。
無限に続くかと思われたハウルが、消えている。
モモタロウたちの前はまだ残っているものの、林から出てくるハウルがいなくなっていた。
フェイシャオとエレフセリアは拳を合わせたまま、乱れた呼吸を整えた。どちらからともなく、微笑んで見つめ合った。
「ご苦労様」
アキレアが二人の肩に触れた。
「でも、まだ終わってないわよ」
アキレアの指摘に、フェイシャオは拳を引き戻してモモタロウたちを見た。彼らがハウルに押され、戻ってきていた。
「おい、あっちからもまだ来るぞ」
エレフセリアのうんざりしたような声に振り向くと、林からも数人が飛び出してきていた。
「一体いつまでやればいいんだ!」
フェイシャオも苛立ったように吐き捨てていた。
身構えてみたものの、林の方は何やら様子が違っていた。
炎を手に宿し、飛んでいる人物がいた。
誰かが疾風のごとく、フェイシャオたちの脇を駆け抜けていった。韋駄天だ。雄太と同じく、地下都市中国からの全国大会出場選手だ。ということは、あの飛んでくる炎の使い手は、アグニに間違いない。
他にも多数の人が見えた。みな、全国大会で見かけた人々だ。
東海の剣の達人、十兵衛。忍術の使い手、陰。頭の大きな騎士、玉吉までいた。
中国のメンバーは、韋駄天とアグニのほかにも、双子の短剣使い、キララ、クララがいた。双子は小学生くらいに見える姿をしている。
たった七人だが、大きな増援だった。
「みんな!」
座り込んだままだった雄太が立ち上がった。彼の前に、アグニやキララ、クララが駆けつけた。玉吉も雄太の背後に止まり、その背を平手で叩きつけていた。玉吉は雄太に睨まれると、笑いながら、モモタロウたちの方向へ逃げていった。
十兵衛、陰はそのまま駆け抜け、モモタロウたちの援護に回った。
「お前ら、よくやるぜ」
アグニが代表して言った。
「俺でも臆して、囲まれないところからログインできるようにしていたってのによう。お前ら、敵のど真ん中に出やがって。俺の炎がかすんで見えるじゃねぇか!」
文句を言っているようだが、笑っていた。
「君たちも来たんだ!ありがとう」
フェイシャオは喜んでそう言い、怪訝そうに見返すアグニたちに、フェイフォンだと名乗った。
「おお!お前はすごい奴だ!」
アグニがフェイシャオの手を取った。
「せっかくハウルを溶岩湖に放り込んでやってたのによ、急にこっちに来なくなりやがって、おかしいと思ったら、火口から下もハウルが下に向かっていなくなりやがって。俺らに恐れをなしたのかってな」
「そんなわけないでしょ」
「そうよ。きっとこの人たちのところへ押し寄せていたのよ」
アグニの長くなりそうな話を遮って、キララとクララが交互に言った。
「それも全部倒しちゃったのね」
「私たちのまで倒しちゃったのね」
「そうだよ。こいつらがメチャクチャやって、ハウル集めてたんだ」
雄太が困ったものだと言い立てた。
「生きた心地がしなかった。だから、キララ、クララ。天使たち。僕に優しくして癒して…うひゃ」
雄太が途中でおかしな声を発し、体をよじった。キララとクララが雄太の脇腹を左右から突っついて、くすくす笑っていた。
「雄太。行くわよ」
「雄太。やるわよ」
キララとクララは口々にそう言うと、雄太を引きずって、モモタロウたちの援護に向かった。
フェイシャオは雄太の微妙な表情を見送った。女の子に囲まれて嬉しそうでありながら、戦場に連行されることを怖がり、恐れていた。最後には泣きそうな表情でフェイシャオに、目で助けを求めていた。
フェイシャオは優しく雄太を見送った。
エレフセリアとアキレアも、雄太を見送っていた。二人とも、クスリと笑っていた。
「かわいい子らだろう?」
アグニが双子のことを言っていた。
「色々服を着せてみたいわ」
アキレアが顎に手を当てて、うっとりと何かを思い描きながらつぶやいた。
「そいつぁ俺の権利だ。譲れねぇな」
「へー。そんな趣味だったんだ」
エレフセリアが軽蔑するようにアグニを見ていた。
「おい、変な誤解するな」
「誤解じゃないだろ。権利とかって」
「いやいや。それは当然だろ」
エレフセリアが一歩下がった。アキレアも、アグニの視界から双子を隠すように間に入った。
「おい、待て。お前ら」
アグニが慌てて手を振った。
「あれは俺の娘だ!」
「そんな嘘までつかなくていいわ」
「嘘なものか!おい、キララ、クララ!」
アグニが遠くから呼ばわると、なーにパパと、二人の声が重なった。
「ほらみろ!」
「アグニって、そんなおっさんだったんだ…」
フェイシャオが言うと、おっさん言うなとアグニに怒られた。
「ごめんなさい。もっとその、ねぇ」
アキレアは口に手を当て、目を見開いて言った。
エレフセリアは詫びることなく、ごまかすように、モモタロウたちの方へ向かって歩き出していた。
まだ何か訴えたそうなアグニに、フェイシャオは、ハウルはいなくなったのか確認した。
「ああ。こっちはもういない」
「じゃあ、後は町のほうのだけだね」
フェイシャオはそう言うと、モモタロウたちの戦っているところへ向かった。アキレアも横に並んだ。
「俺は先に行くぜ!」
アグニはそう言うが早いか、両手から炎を発して飛び上がると、ロケットのように飛んでいった。変質者と疑われたことに関しては、何も触れずに潔く飛んでいった。
7
アグニの答えは、フェイシャオたちにとって嬉しい知らせだった。
無数のハウルに囲まれ、無駄なことをしているように感じながら、終わりのない戦いを続けていた。その無駄に思えた戦いが、無駄ではなかったと、アグニが告げていたのだ。
アキレアが隣で、安心したように微笑んでいた。フェイシャオも顔がにやけるのを押さえることができなかった。
向こうで戦う仲間たちの背中が頼もしく見えた。
アグニが飛び込んだのだろう。爆炎が巻き起こっていた。
「アグニがパパだなんて、驚き」
アキレアが言った。彼女の表情に陰りはなく、魅力的な笑みが浮かんでいた。
「もっと若い人だと思ってた」
フェイシャオが答えると、
「ほんとに」
とアキレアが声を上げて笑った。
アグニの娘二人は絶妙なコンビネーションで相手をほんろうしていた。二人同時に相手にするには骨が折れそうだ。フェイシャオはついつい、自分が対戦するとしたらと、相手を見てしまう。今は貴重な仲間だというのに、ライバル意識がどこかに残っていた。
「二人同時に対戦したら、面白そう」
アキレアも似たようなことを考えていたらしい。そのアキレアが急に駆け出した。
双子の背後にハウルとは違うキャラクターが迫っていた。紅い色をしているが、NPCとも違う。ハウルにアカウントを乗っ取られたプレイヤーのキャラクターだと推察できた。
フェイシャオはそこで足が止まった。
乗っ取られた人のキャラクターがいるということは、ウォン・フェイフォンもいるのではないか。キャラクターたちが勝手にどこかへ行ってしまうはずはない。消されでもしない限りは、ゲーム内に存在して当然なのだ。
アキレアが紅いキャラクターを背後からとらえ、ねじ伏せていた。
何かの気配を察知し、フェイシャオは気配に導かれるように走り込んだ。拳を出せば、どうなるか分かっていた。なぜか、数秒先の未来が、確定したものとして、フェイシャオの脳裏に浮かんでいた。
振り切った右の拳が、相手の拳と打ち合った。拳を通して、相手の力強さを感じ取れた。
カンフー映画でよく見る中華風の袖が見えた。袖の先に、フェイシャオと逆向きに身体を開いた男がいた。
長い髪を三つ編みにし、首に巻いている。何よりも目立つのは、額を縦に割った傷だ。紅いコウガに負けた時に負った傷だった。フェイシャオが自分の目でそれを確認するのは初めてになる。
なんとも言えない感慨深さがあった。
ウォン・フェイフォン。今はハウルに乗っ取られ、紅い色に染まっている。紅い目で、フェイシャオを静かに見返していた。
「戦いにくいのなら、私が代わりましょうか?」
いつの間にか、アキレアが隣に立っていた。フェイフォンに集中するあまり、周りが見えていなかった。
「ハウルたちは?」
「あと少しで終わるわ。アカハクされた人たちのキャラが押し寄せているけれど、マガツヒはエレフセリアが相手しているから、後はたいしたことないわ」
フェイシャオはアキレアと話す間も、フェイフォンと睨み合っていた。拳を合わせたまま、二人とも動かない。拳が外れた時、フェイフォンは襲いかかってくるだろう。
「やり難いけど、でも、自分でやる」
「そう。分かったわ」
アキレアはそう言うと、後ろに下がっていった。
フェイフォンと睨み合っていても、ハウルや他の乗っ取られたキャラクターに襲われることはなかった。アキレアや、仲間たちが押さえてくれているのだ。
「僕がやろうか?」
モモタロウが近づいてきた。首を左右に振って答えると、彼は素直に下がった。
「あたしたちが」
「やろうか?」
双子が二人で一つの言葉を紡いだ。
「いい。自分でやる」
双子の次にアグニが来た。次は桃子と、代わる代わるに、同じことを言ってきた。彼らは、フェイフォンと戦ってみたいと、血が騒いでいるのだろう。
雄太、玉吉、カーバンクルが来なかっただけで、陰、韋駄天、十兵衛は無言で催促し、ソラはおいらに任せなよと大きなことを言った。オウガに至っては、
「疲れだろう。後は大人に任せなさい」
ともっともらしい労いの言葉をかけて、フェイフォンとの対戦の権利を得ようとしていた。
オウガは本当に労いの言葉を言っただけなのだが、皆が代わるというので、オウガの言葉にもそう言う裏があるように、どうしても聞こえてしまった。
「いいからみんな下がってて」
フェイシャオは不機嫌にそう言うと、拳を引き戻した。
フェイフォンが視界から消える。しかし、フェイシャオの目には捉えられていた。
回り込んできたフェイフォンを、無造作に繰り出した後ろ蹴りでけん制すると、フェイシャオもフェイフォンを追って駆けだした。
走りながら拳を打ち合った。
いったん離れ、双方が同時に突進すると、互いに右を前に出して構え、拳を打ち合った。フェイシャオの拳がフェイフォンの胸をとらえる。逆にフェイフォンの拳がフェイシャオの肩を打った。
互いに、少々の打撃では止まらない。相手の拳をはらい、撃ちつける。払いのけられた拳を引き戻し、再び撃ちつけに行く。目まぐるしく拳の応酬が続いた。
息切れし、撃ち負けると、そこから連打されることになる。だからこそ、この拳の打ち合いは、負けるわけにはいかなかった。
フェイフォンの拳にも、その気迫がこもっていた。胸を打たれても、踏み込んで耐えた。
フェイシャオも、撃ち負けるわけにはいかない。避けられない拳に、自分から踏み込んだ。
激しく拳をやり取りしながらも、頭では、ハウルよりよっぽど強いと考えていた。ハウルが分裂しすぎて劣化したと誰かが言ったように思う。その通りだと、フェイシャオも実感していた。
そして、自分のキャラクターが強いということは、自分が強かったという証明でもあり、嬉しくなった。
紅い色に染まったことで、もしかしたら、当時の自分より強くなっているのかもしれない。紅いNPCが通常のものよりはるかに強かったのと、同じことではないかと思えた。
フェイシャオになって、以前の自分より強くなれただろうか。
父親が作ってくれたフェイシャオは、フェイフォンと違い、髪は短い。細身なのは変わらず、力強くしなる腕と足を持っていた。
名前の由来は、初日の出の時に見た空の景色だ。暗雲に閉ざされた世界を、迷うことなく飛び回り、人々を夜明けに導く存在との意味を込めている。朧飛暁と書いて、ロン・フェイシャオ。この名前はフェイフォン同様、気に入っていた。完全にオリジナルなだけ、フェイシャオの方がいいかもしれない。
過去の自分を超えたいという単純な欲求も働いた。
次第に、フェイシャオの手数が勝っていった。さらに速度を増し、フェイフォンの動きを凌駕する。
耐えきれなくなったフェイフォンの身体が、後方に流れた。
フェイシャオはこの瞬間を見逃さなかった。
鋭い踏み込みと共に、拳の連打を浴びせた。もはや相手の反撃はない。身体中に弾丸を受けるような衝撃を浴びて、反撃のしようもなかったはずである。
フェイフォンの身体がさらに下がった。
フェイシャオはもう一歩踏み出すと、蹴りの連打を浴びせた。
フェイフォンの身体が浮き上がり、フェイシャオの蹴りを受けて後方へ飛ばされた。
フェイシャオはすかさず飛び上がると、足から追いついて、踏みつけるような蹴りの連打を浴びせた。蹴りは異常に速く、影が追い付かない。無影脚と呼ばれる由縁である。
無数の蹴りを浴びせながら、フェイフォンを下敷きにする形で地面に激突した。
フェイシャオは後ろに飛び上がって宙返りすると、静かに着地した。
フェイフォンの上に、キューブコンボのカウントが表示されていた。カウントされた数字は、今までに見たことのない数だ。
その事実だけで、フェイシャオは昔の自分を超えることができたと実感できた。さらに、フェイフォンの上にKOの文字が浮かんだことで、胸が震えるほどの達成感を味わった。
フェイシャオは自分でも気づかないうちに、雄叫びを上げていた。
8
エレフセリアはマガツヒと対峙しても躊躇することなどなかった。マガツヒは押し付けられたキャラクターであったうえに、宙ぶらりんだった自分を象徴するものでもあった。
過去の自分の清算をつけるには、ちょうどいい相手であった。そして、忌まわしい過去に対する怒りのはけ口としても、申し分なかった。
男として育った自分が、身体の違いに気付き、それでも男として振舞うことを強要された。男なのか、女なのか、自分で自分が分からなくなっていた。
御屋形様に押し付けられた道を歩み、周りから押し付けられたことを、是となした。友達を選ぶ権利も、何事も自分で決断する自由も与えられず、鬱積とした日々を過ごしていた。
その象徴ともいえるマガツヒが目の前にいるのだ。マガツヒを打ち破ることこそ、エレフセリアが真に自由を手にし、周りに押し付けられていた自分の殻を打ち破るきっかけとなる。
エレフセリアは初めから全力でマガツヒに踊りかかった。置いてきた自分に後れを取るはずがない。定められた殻を打ち破れなかった自分に負けるはずなどなかった。
素早さでマガツヒを凌駕し、勘の良さで攻撃を置きに来ていたマガツヒの拳を、難なくかわしてみせた。マガツヒの捻くれた、突拍子もない攻撃のすべてに、予測し、対応できた。いや、ただ単に、肌に感じる感覚を頼りに、瞬間的に反応していたにすぎない。
それは獣のごとく、鋭敏な反射神経のなせる業であった。
マガツヒのように捻くれた攻撃をすることもできる。だが、エレフセリアは、正攻法に出た。相手の懐に飛び込み、拳を打ち込む。強烈な一撃を与えた後は、気の向くまま、気の晴れるまで、乱舞を浴びせるだけである。
手と足だけが消えたように動き、嵐のような風切り音が鳴り響いた。
嵐のような音が、エレフセリアの過去の一つ一つを打ち砕く音に感じた。
胸が膨らみ始めると、母にさらしをまかれた。きつく、苦しいと言ってもやめてもらえなかった。毎日、毎日繰り返される苦痛だった。母は醜いものを見るような目でさらしを巻いた。
もうさらしを巻く必要はない。母のあの目を見ることもない。記憶も、乱舞に巻き込んで砕いた。
御屋形様。母の父親にして、グループの総裁。一家の当主。彼はその権力をもって、孫の性別を男として、戸籍に登録した。事あるごとに男子たるものと孫を諭した。
あの、すべてが思い通りになると信じて疑わない老人の顔を、記憶の中で打ち砕いた。
名前も覚える気になれなかった、権力者の子供たち。マガツヒを押し付け、せせら笑っていたやつらも、もう二度と関わるつもりはない。名前を憶えていないのだから、顔を忘れれば、もうどこにも縁はない。
記憶の中の、蔑むような目を向ける彼らを心行くまで殴りつけ、記憶を打ち砕いた。
全てをリセットし、新しい人生を謳歌する。
西園寺光隆という懸念材料が残っている。妻になれと訳の分からないことをのたまった叔父。記憶の彼を殴りつけても、軟体動物のごとく受け止め、喜んでいるようにしか見えなかった。
叔父に関してはあのまま消えてくれることを祈ることにした。
最後に、男の自分との決別だ。女として生きることを選んだ。もう後戻りはしない。西園寺公直の名とともに、打ち砕き、捨て去るのみである。
マガツヒと西園寺公直が重なる。事実、同一人物だ。記憶ごと、マガツヒを乱舞で打ち砕けば、すべてが解決する。エレフセリアは手足の動きを限界まで速めた。
乱舞のあまりの速さに、キューブコンボが成立していた。カウントも、三桁目しか読むことができないほど早く回転していた。
エレフセリアは喜々として、過去の自分のキャラクターを攻撃し続けた。心行くまで撃ちつけて満足すると、無造作に背を向け、二度とマガツヒを見ることはなかった。
マガツヒがいくら紅い色を帯びていても、四桁に届くコンボを受けてはひとたまりもなかった。
フェイシャオとフェイフォンの戦いが続いていた。目で追い難いほどの拳の応酬を行っている。
ハウルや他の乗っ取られたキャラクターは見えなくなっていた。
フェイシャオの仲間たちが、フェイシャオの周りを囲って、対戦の様子を見守っていた。
この仲間の列に、自分も加わっていいものかと、エレフセリアは疑問に思って、足が止まった。
マガツヒとして、彼らと敵対した。彼らの仲間であるフェイフォンがハウルに乗っ取られる原因を作ったのも、過去の彼女自身である。いわば、ここは敵地で、エレフセリアは招かざる客ではないか。場違いなところにいるとしか思えなかった。
フェイシャオの隣に立ちたい。仲間入りしたい。もちろん、フェイシャオと対戦したいとも思っているが、それは敵対者としてではなく、単純にゲームを楽しむ仲間として、ライバルとして戦いたいのだ。
あるいは、敵対者を気取っていた方が、彼も本気で相手をしてくれるのかもしれない。しかし、すでに、戦った感触で、彼もエレフセリアの気持ちに気付いているはずだ。敵対者を気取っても、生温かい目で見られて、かえって不快になるだけではないかと思えた。
だからといって、素直に仲間の列に加わる勇気はなかった。
罪を犯した罰だ。遠くからでも観戦できるだけで、良しとすべきだった。無理に列に加わろうとしなくていいのだ。
急に、誰かに背中を押された。
顔を向けると、アキレアが背中を押していた。
アキレアはエレフセリアを観戦者の最前列まで押し込んだ。エレフセリアは抵抗する理由も見つけられず、押されるままに出た。
恥ずかしくなって、辺りを見渡すと、モモタロウが笑いかけていた。双子が見ものだよと、声をそろえて言った。
アキレアが隣に立った。エレフセリアの腕をとり、自分の腕をからませると、嬉しそうにフェイシャオの戦いを観戦していた。その笑顔につられて、エレフセリアも自然と笑顔になり、フェイシャオに向かって応援の声を上げていた。
自分が声援を上げると思ってもいなかったので、驚いたが、声を出してみると、今までのわだかまりが胸の中から出て行くようで、心地よかった。
草原マップの空のように、エレフセリアの心は青く晴れ渡り、仲間の温かさに包まれていた。
優しい風に包まれ、たゆたう草の葉のように揺れ動くエレフセリアの気持ちも、仲間が温かく迎え入れてくれていた。
その中心に、普段は頼りないフェイシャオがいる。頼りないはずのフェイシャオが、勇敢に戦い、仲間の視線を集めていた。
フェイシャオは、隣のアキレア同様、エレフセリアにとって、初めての、友達と言える人だ。友達だと思えると、彼がなぜか眩しく映った。
晴れ渡った青空のように、清々しい戦いを披露してくれていた。きっと使命など忘れ、戦いに没頭しているのだろう。
一心不乱に戦う様子が、きっと眩しいのだ。
エレフセリアは目を細めて見つめていた。
アキレアの手を遠慮しながら握ると、彼女も握り返してくれた。
エレフセリアの、明花莉の本当の再出発は、ここからなのかもしれない。過去の自分を打倒し、真に友と呼べる人物と触れ合っている。ここがネット上だろうと、現実だろうと、そんなことは関係なかった。
エレフセリアは友の手の温もりを感じつつ、もう一人の大事な友人に声援を送っていた。




