囚われの君
1
「拉致されたのは雄太だ」
帽子の端をつかみ、シルバ・ハウルは悔いるように告げた。
「私がいながら、すまない」
「待って…。理解が追い付かない」
キックは戸惑った。キックに、現実世界で雄太と同名の友人がいる。同じ通信教育を受けている学友だ。そして偶然にも、彼は地下都市中国に住んでいる。
その雄太と同名の、AIが存在していたと、シルバは告げていた。そのAIが誘拐されたのだという。
「それが何で、僕と関係あるの?僕に言うってことは、え?どういうこと?」
「もううすうすは感づいているのだろう」
シルバは考える時間を与えるように間を置いた。奥の石碑のようなものに近づくと、中から光る球を取り出した。それをキックに投げてよこした。
「気づくも何も!」
「少年の友人だと聞いたのだが」
「待って。彼は現実に…」
キーユが驚きで目を見開き、否定しようと口を開いた。
「同じ授業を受けていた」
シルバが言葉をつないだ。
「そうよ!」
「実際に会ったことは?回線上であれば、なんとでもできる」
「そんな馬鹿な…。だって、雄太だよ?」
キックが呟くように言った。
雄太は河原優希に憧れ、紹介しろと迫ったり、杉本明花莉の姿を見て、紹介を迫ったりしていた。AIなら、現実の異性を求めたりしないはずだ。
「そうよ。駿の友達で、私も会っているのよ」
キーユは動揺していた。口にしないようにしていたキックの中身である大本駿の名を口にしていた。
駿は警察より指名手配されている。ネット上とはいえ、彼の名が出れば、警察関係者にマークされる恐れがあるのにもかかわらず、キーユは動揺のあまり、失念していた。
「しかし、現実に会ってはいないのだろう?」
「でもでも」
キーユがうろたえていた。
「そうだ!あいつとはゲームの中でも会ったよ。シルバも会ってる!」
「ん?ああ、あの雄太か。同名のキャラクターと、姿も同じだったか?これまた面白い人材だ」
シルバはそう言って笑った。
「AIが自分と同じアバターを作って操っていたとは…。こいつは笑える」
「雄太を馬鹿にするな!」
キックは自分も雄太のことを笑った事実を忘れ、友人を笑うシルバに腹を立てた。
「すまない」
シルバは素直に詫びると、表面上は笑いを治めた。目は笑っているし、僅かに唇の端がヒクついていた。
「その雄太がAIだって?」
「そうだ。小神保教授が長年研究していた。AIを人と同じように年月をかけて、人と同じ学業をさせて育てた。姿は年齢とともに少しずつ変えていったそうだ。小神保教授はVRで雄太と接し、雄太はそこが現実だと信じて生活していたと聞く」
「そんな」
キックとキーユが声をそろえた。
「ああ、彼から伝言を預かっている」
シルバは思い出したと、雄太の言葉を告げた。
「この前のは誰かちゃんと教えろ、だそうだ」
シルバがキック一人を見つめている。キックに対する伝言のようだ。
キックは呆れた。間違いなく、雄太だ。この期に及んで、この前画面に移り込んだ明花莉のことを気にしているのだ。
「そんな伝言残して誘拐されるって…。らしいっちゃらしい」
キックはシルバの言葉を信じるつもりになっていた。さらわれたのは友人の雄太で、彼がAIだという、理解しがたい事態であっても、だ。
「それにしても、なんでシルバが雄太を助けようと?」
「それについては、詫びねばならん。私が傍にいた時に拉致されてしまった。私がいながら、みすみすさらわれたことを詫びる」
シルバはそう言って言葉をつづけた。
「人を学ぶ一環で、AIの最先端技術を学びたかった。そこで小神保教授を訪ね、奇跡の産物といえる雄太と接した。彼はまさに奇跡だ。おっとすまない。本題はそれではなかったな。以前に私とAIの人権について語ったことがあったな。そうだ。私はAIを人と同等と見ている。その雄太が拉致されたとあっては、捨て置けん。それも、目の前でだ。許せん。故に助けると決めた。それに、雄太は少年の友人だというではないか。少年も同じ気持ちだと信じ、少年を探してここに来た」
シルバが静かにキックの表情を見つめていた。
雄太には借りが多くある。つい先日も、駿が受講し損ねた講義のまとめや課題の写しを送ってくれた。父親が行方不明になって沈んでいた駿に、最初に友人となって元気づけてくれたのも、雄太だった。VSGに誘ってくれたのも雄太だ。
VSGに出会わなければ、優希と友人になることはなかった。サクチャイ・シングワンチャーや山科源次郎と親しくなることもなかった。グレン・ザ・ラッシュ・ハワードと接することもなかったし、彼のファンになることもなかった。
ゲーム内で多くの友人ができた。彼らと知り合ったのも、すべて誘ってくれた雄太のおかげといえた。あくまできっかけで、ゲームセンターに連れて行ってくれたのはサクチャイではあったが。そのサクチャイも、雄太にVSGを紹介され、食堂で調べていなければ、接することがなかったのだ。
VSGで出会ったからこそ、中村誠は駿の逃亡を手助けし、一夜の宿を提供してくれた。VSGの縁があったからこそ、警察の大上裕翔は駿の逃亡を手助けしてくれた。
VSGで山科源次郎と親しくなったからこそ、シナの葉に山型の家紋が入った上着をもらえ、その家紋を見た山辺組の社長が助けてくれた。
数々の出来事の発端は、雄太から始まっている。彼が直接おこなったことは少ないが、彼のおかげである。その雄太を見捨てるようなことをすれば、駿は友情を裏切るどころか、人としての義理を欠くことになる。
考えれば考えるほど、胸の奥が苦しくなった。
小難しいことは関係なかった。駿の胸の奥に、初めから答えはあったのだ。胸の奥の声が、助けると告げていた。
駿はキックとして、手伝うと告げた。
「ならば話が早い。すぐに支度を」
「どこへ助けに行くの?」
「ニュー東京のサーバーだ。入るのも、出るのも一苦労する。そこで人手が必要なのだ」
「待って」
キーユが静かに言い放った。
「止めても行くよ」
キックの決意は固かった。キーユに止められる前に宣言していた。
「止めないわよ。行かなかったら逆に見限るところだったわ」
キーユはそう言うと、前に進み出た。
「私も行くわ」
「歓迎する」
シルバが頭を下げた。
キーユがマガツヒを見上げた。
「俺には関係ない」
マガツヒはニュー東京から逃げてきた。それなのに、わざわざニュー東京のサーバーに戻るような真似はしたくなかった。現実に戻ることは違っていても、マガツヒには同じことに思えたのだった。
マガツヒが苦しそうな顔をしていた。決断を恥じていると理解したキックは、それでいいと言って、手にしていた球をマガツヒに渡した。
「それを持って帰って任務を終わらせて」
帰る理由があれば、マガツヒも悔いる必要はないに違いない。
マガツヒは弱々しい笑みを浮かべると、球を受け取って戻っていった。
シルバは最大の戦力が欠けることに失望の色を現すことはなかった。ただ、黙って見送った。人には人それぞれの事情と信念があると理解していた。
「このメンバーで何とかなるかしら?」
キーユが破れた服の胸元を縛りながら言った。
「君たち二人がどこまで真価を発揮するか次第だ」
シルバが軽口のように、脅し文句を言っていた。
キックとキーユは互いの顔を見合わせ合い、苦笑していた。
2
ニュー東京の入り口は巨大な門だった。扉が大きく、かなりの重量があるように見えた。
「これ、壊すの?」
キックが言うと、シルバは笑った。
「それじゃ相手に入るって知らせるようなものでしょ」
キーユが呆れ顔で言った。
「ごめん」
キックは恥じ入るように呟いた。
「中々魅力的な提案だ。心惹かれる」
シルバがそう言って巨大な扉に手を当てた。もしかして本当に扉を壊すのかと疑ったが、彼はすぐに扉伝いに横へ移動を始めた。
『扉の左端まで行って』
キックの頭の中に、杉本亮の声が聞こえた。キーユにも同じものが聞こえており、キックの顔を見て頷いていた。
「こっち」
キックとキーユが先に立って進んだ。シルバが後に続いた。
『扉の端、下の方を触ってごらん』
亮の言葉通りに触れると、腹ばいになってやっと通れるほどの穴のような入り口が開いた。
「支援者がいるようだ。感謝する」
シルバが事態を察し、誰へともなく言った。その言葉は監視をしている亮にも届いていた。
「私から行こう」
シルバは躊躇なく腹ばいになると、穴に頭から入り込んだ。
キックとキーユが見守る中、シルバの身体が徐々に穴に入っていく。お尻を器用に動かしていた。
「私の尻が魅力的だからといって、いたずらしないでくれ」
穴の向こうから、シルバが妙なことを言った。
「す、するわけないでしょ」
幾分動揺したような声でキーユが反論していた。
「なによ」
キーユを見つめていたキックにも、キーユが睨みつけていた。
「なにも」
キックは危険を察知し、余計なことは言わないようにした。
シルバが向こう側に出たようだ。いいぞと声がかかった。
キックはレディーファーストでキーユに先を促した。だが、彼女は警戒する目でキックを見つめ、動かなかった。手がお尻に当てられている。
「お先に」
キックは余計なことを言わず、腹ばいになって穴に入った。
穴は一メートルほどあった。扉がそれだけの厚みがあるということだ。あるいはもっと厚いのかもしれない。この穴はショートカットされている可能性もあった。
キックは深く考えず、進んだ。穴の向こう側へ頭が出ると、シルバが引っ張り出してくれた。扉の反対側は、広い空間だった。
情報統制されなければ、この扉が開け放たれ、多くの情報がここを行きかっていたのかもしれない。空間はかなりの情報量が流れても平気なように、大きく作られていた。
巨大なトンネルといった雰囲気だ。
キーユがシルバに引き出されていた。穴から出た彼女は埃でも払うように身体をはたいていた。
三人は無言で頷き合うと、トンネルを奥へ向かって歩き出した。
「それで、どうするの?」
キックが小声で尋ねた。辺りに誰かの耳があっては困ると思えた。
「まずはアクセスできる場所を探す」
シルバは無造作に歩いていると見せかけて、帽子の下から左右に目を配っていた。
「それで雄太を探せるんだね?」
「そうだ。そして、かく乱と救出に分かれる」
「かく乱?」
キーユがオウム返しに聞いた。
「別動隊が騒ぎを起こしている間に、救出隊が対象を救い出し、脱出する」
「ふうん。簡単ね」
キーユが肩をすくめてみせた。
「ここにはおあつらえ向きなものが有る。ロボットが無数に」
「ロボットかぁ。操ってみたいな」
「少年には悪いが、ロボットは私に譲っていただこう」
「えー僕だってロボットやりたい。ロボットで暴れてみたい」
「救出には少年を外せないのでね」
雄太を救出するのだから、彼が警戒しない人選が必要だった。その適任者は、友人の駿ことキックしかいなかった。
駿はロボットに未練を感じつつも、友人のためだと割り切ることにした。
「それなら、私も救出でいいかしら?」
「もちろん」
シルバが当然だと答えた。
キーユが同行してくれるのなら、これほど心強いことはない。キックは満面の笑みを浮かべ、キーユに手を差し出した。
「何?」
「いや、同じ目的で行動するから、絆をね」
キックがしどろもどろに言った。雰囲気を作ろうと手を出したのに、そんな目で見ないでよとキックは手を引っ込めた。
トンネルの中で異変があった。
何かが空中を、それも無数に漂っていた。宝石のようにキラキラ輝いているものもあった。
「奇麗…」
キーユがうっとりと見上げていた。
「何これ?」
キックはそれが何なのかが気になって、誰ともなく尋ねた。
「情報やプログラムの断片だ」
シルバには心当たりがあったようだ。
『破棄し損ねた情報の断片や、悪意あるプログラムとして消しきれなかったものだよ』
亮が頭の中で答えていた。
「すると、これが集まって…」
キックはそこで言葉を切った。シルバを見つめている。
「そうだ。私はこれらが集まって偶然できた産物だ」
シルバはキックの言わんとするところを察し、静かに答えた。
「杉本亮氏が開発したVSGに隔離され、集まって出来上がった」
『その中からさらに偶然の産物で、そのシルバが出来上がったようですね』
亮も補足するように呟いていた。
『あ、そこの左の壁を調べて』
亮の言葉に、キックとキーユの足が止まった。シルバが訝しそうに振り向いた。
「支援者か?」
「そう」
キックは短く答え、頷くと、左の壁に近づいた。何の変哲もない壁だ。見た目に違いはないので、とにかく触れてみることにした。
『もう少し左。そう、その辺りを押して』
亮の声に従うと、壁が音もなく奥へ滑り込んだ。
『そこの奥にサブシステムがある。探し物はそこでするといい』
キックは亮の言葉をシルバに伝えた。
「非常にありがたい」
シルバは喜々として壁に空いた穴に飛び込んだ。
穴の先は、どこかの指令室のような雰囲気だった。
壁にモニターがいくつも表示され、その下にコンソールがある。部屋はそれだけの小さなものだった。
「メンテナンス用のアクセスポイントのようだな」
コンソールをじっくりと眺めていたシルバが言った。
「非常におあつらえ向きだ」
悪巧みする表情になっていた。悪人面がよく似合う。それでいて、目に愛嬌があるあたりが、シルバらいいのかもしれない。キックはそんなシルバに親しみを覚えていた。
シルバがコンソールを操ると、モニターの映像が細かく切り替わっていった。
映像の中に、西園寺光隆の姿があった。一瞬のことだったが、キックの目には捉えられていた。光隆がロボットの傍に立ち、何かの作業を行っていた。美形の青年は自信に満ちた表情で作業を見張っていた。
ハウルが映った。
ハウルが次々に現れては、ロボットの中に導かれていた。
このロボット群は、情報統括及び国民保護法案と言うものが施行されると、日本の全国各地に配備されるものだ。国民を有害なものから守るためのロボットだ。同時に、有害な情報を発信する人物を、このロボットが捕らえる。
このロボットが配備されると、指名手配犯の駿はロボットに追い回され、捕らえられる運命にある。だからといって、駿に何ができるわけでもなかった。キックとして、雄太を救出することで精いっぱいだった。
それでちょうどいいのかもしれない。だいそれたことができると、返って事が大きくなる。駿は別に人々を開放に導きたいわけではない。ロボットで統治されるなら、別にそれでよかった。自分に害さえなければ、である。
小さなことだけれど、友人の一人くらいは助けたい。ただそれだけだった。いつか、シルバにヒーローは駿に譲ると言われたことがあるが、別にヒーローになりたいわけではない。男の子なので、ヒーローは好きだが、なりたいとは思っていなかった。
いや、なりたいと思うことがあった。優希のヒーローならどうだろう。明花莉のヒーローならば。彼女たちのヒーローなら、なりたかった。
キーユになった優希は、駿の気持ちに気付かず、モニターを見つめていた。そもそも、キーユは助けられる女の子ではなく、共に戦う心強い仲間なのだ。守りたいと言ったら、怒られるに違いなかった。
シルバの仕事は早かった。モニターの一つに雄太が映し出された。その下のモニターに、現在地からのルートが示された。
「これを覚えるのね」
キーユがルートを指でなぞっていた。キックも覚えようとするのだが、上のモニターに映し出された、雄太の怯えた表情が気になって頭に入らなかった。早く救い出してあげないと、雄太がかわいそうだ。
雄太は自分がAIだということを隠しながら、駿と接していたのかと思うと、腹立たしかった。しかし、だからといって誘拐されていいはずもなかった。
誘拐されて心細いのは雄太だ。その彼を救う手段が、駿にはある。キックとして、助けに、と考えて、駿は一つの問題点に気付いた。雄太はキックを知らない。助けに行ったところで、戸惑うのではないか。怯えて逃げまとうのかもしれない。
VSGで雄太と戦った時、怯えたふりをして駿の油断を誘うようなそぶりがあった。本人はふりではなく、本当に怯えていたようだが、怯える必要のないほど、雄太は強かった。天敵といえるほどの能力だった。
思い出すと腹が立った。今回もまた、怯えるに違いない。
構うものか。
駿は有無を言わさず、殴りつけてでもかっさらうつもりになっていた。
キックとして、雄太を救出する。ただそれだけのことだ。何も問題ない。
「しっかりなさい」
上の空のキックの様子に気付いたキーユが、キックの脇腹を小突いた。
「ごめん」
ルートがまるで頭に入っていなかった。
「いいわ。覚えた」
「こちらもロボットを発見した。私はここからアクセスし、かく乱する。騒ぎが起これば変化がある」
「それを合図に救出するのね」
「その通り」
「任せて」
まごまごしているキックを置き去りにして、キーユとシルバは準備と覚悟を済ませていた。
「健闘を祈る」
シルバが差し出した拳に、キーユが拳を合わせた。二人はそれぞれの作業に取り掛かろうとした。キックにはどちらも拳を差し出さなかった。
「あれ?僕には?」
「足手まといにならないでよ」
キーユは冷たく言い放つと、ついてくるように頭を振った。
シルバが面白そうにキックを見やっていた。
3
キーユが頼もしかった。複雑に入り組む道を、キーユは躊躇することなく歩んだ。キックはその後をはぐれないようについて行くだけでよかった。
ほどなくして、雄太が隔離されている場所に、キーユは迷わずたどり付いた。そこで騒ぎが起こるのを待ち、飛び込めばよかった。
だが、ことはそれほど単純ではなかった。壁から顔を覗かせて隔離場所の入り口を見ると、そこにハウルがいるのである。
キーユが慌てて首を引っ込め、座り込んでしまったので、キックもそっと覗き見て、引っ込んだ。
キーユがキックを見上げ、首を左右に振っていた。
ハウル相手では、勝ち目がない。諦めるしかないのかもしれないと思えた。そう思いながら、キックはもう一度覗き見た。
ハウルの背後に扉がある。あの扉の先に、雄太が隔離されているはずだ。
キックは顔を引っ込めて、キーユの傍に跪いた。そっと耳打ちした。キーユが顔を上げ、キックを見つめていた。その目が、本気かと訴えていた。
キックは頷いた。
立ち上がると、身体をほぐした。休息をとったので、身体は自由に動く。疲労感もなくなっていた。だが、先ほどのハウルとのダメージはまだ残っており、新たにハウルと戦って勝つだけの余力はない。それはキーユも同じだった。
キーユの唇が、無謀よと動いた。キックが眉毛を動かしてみせ、準備運動を続けると、彼女も観念したように立ち上がり、身体をほぐした。唇は、知らないわよと動いていた。
考えている猶予はなかった。景色が赤く染まり、警報が鳴り響いた。これが、シルバの言っていた変化だ。彼がロボットを操って暴れているのだろう。
キックとキーユが顔を見合わせた。キックが頷いて身体を低く構えると、キーユも不承不承ながら、頷いて身構えた。
キックが指を三本立て、一本ずつ折り曲げていった。
二本。
一本。
拳を握りしめた。
キックが低い姿勢のまま駆けだした。決意に答えるように、キックの身体が軽くなっていた。後ろにキーユが続いているはずだ。キックはキーユを信じて、ハウル目指して走り込んだ。
ハウルが侵入者に気付き、身構えた。キックはかまわず、最大限に加速すると、ハウルに向かって飛んだ。足を前へ突き出し、空を切ってハウルに突き刺さるかと思えた。
さすがのハウルもダメージを負うと認識したのか、横に飛び退いてかわした。キックは微笑んだ。苦労することなく、目的を達成できる。突き出した足の目標は、ハウルではなく、その背後の扉だったのだ。
ハウルに止められた場合のことは、もう考えなくていい。足が折れてもいい。すべての力を、扉にぶつけ、破壊さえできれば、それでよかった。後先を考えなくてよくなったためか、キックの速度がさらに増していた。
キックが光の軌道を描きながら、扉に飛び蹴りを当てた。
激しい振動と、粉塵が舞い上がった。何かが粉々に砕け、舞い上がっていた。
粉塵が治まるのを待つ必要はなかった。キックにははっきりと、扉を破壊した感触が足に残っていた。手を振って、扉の中を指し示した。そうしておいて、キックは迫りくるハウルに対峙した。
キックの背後をキーユが走り抜けていく。
キックが足を振り上げてハウルを迎え撃った。足は折れていない。ダメージも負っていなかった。それどころか、今までにない速度で振り回せた。
ただハウルを攻撃しているだけなのに、身体に僅かなダメージがある。限界を超えた動きをしているせいだった。長くは続かない攻め方だった。おかげで、ハウルを単独で抑え込むことに成功していた。
「だ、誰?」
雄太の怯えた声が聞こえた。
「助けに来たの。ほら、立ちなさい」
キーユの声も聞こえた。
キックは蹴りの連打を続け、ハウルをけん制し続けた。
「あ、ありがとう。奇麗なおへそだね」
雄太の声が上ずっていた。
「ばかなこと言ってないで立ちなさい」
「ごめん、立てない」
キーユの嘆く声が聞こえた。雄太は驚きすぎて腰が抜けているのかもしれない。世話の焼けるやつだと思いながら、キックは目の前のハウルの足を蹴り、体勢を崩させた。たたみかけて蹴り飛ばす。
普段なら、このまま飛び込んで攻め続けるところだが、アバターの体力の限界がある。今はできるだけ長い時間戦わなければならない。キックは攻め込まず、ハウルが戻ってくるまで、悠然と待った。
戻ってきたハウルに蹴り込み、弾き飛ばすと、また待った。ハウルのサイキックバリアに攻撃は防がれているが、弾き返せたので問題はなかった。
キーユが雄太を肩に抱えて出てきた。そのままキックの背後を駆け抜けていく。
打合せ通りだった。ここまであっさりと進むとは思っていなかった。考えた以上に単純に進んだのは、キックが異常な戦闘力を発揮したためだ。ために、ハウルを攻撃するたびに、身体にダメージが蓄積された。
諸刃の剣とはこのことだなと、キックは内心ほくそ笑んだ。しかし、この事態は望むところである。キック一人が犠牲になって、雄太とキーユが逃げ切れるのならば、何の問題もなかった。
ハウルを一人で押さえると言った以上、キックは必要な時間を稼ぐまで、やりきる覚悟だった。その覚悟が、異常な戦闘力を呼び覚ましていた。
フェイフォンに匹敵するほどの戦闘力を、キックで発揮できたことは嬉しい限りだ。自分の身体も傷つけるので、フェイフォンほどは活躍できない。それでも、今はこれで十分だった。
「貴様の奮闘に敬意を表し、我の力を見せよう」
ハウルが立ち上がり、呟いていた。分身するつもりだと、キックは理解した。勝ち目はなくなる。だが、まだ時間を稼がなければならない。
キーユがシルバと連絡を取り、外に逃げ出すまでの時間が必要だ。
「覚悟を決めた相手は、手強いぞ」
キックは自分に言い聞かせるように言った。
「そのようだ」
「存分に楽しませてもらおう」
「我らを相手にして」
「どこまで持つか」
「楽しみなことだ」
ハウルの声が、五つ聞こえた。
ハウルの分身は、相手の人数に合わせて増えるのではないかと考えていたが、どうやら、違ったようだ。あるいは、相手が一人だからこそ、違う人数になったのかもしれない。
キックは思わず苦笑した。
危機的状況にありながら、ハウルのパターンを解析しようとしていた自分に呆れた。気を取り直すと、身構えた。
キーユは打合せ通りに逃げた。戻ってキックの手助けをしたかった。何度も戻ろうと考えたが、肩の上の荷物が、その行動を躊躇させた。
せっかく助けた雄太を連れてハウルの前に戻るのは、愚の骨頂だ。せめて彼を安全なところまで連れ出してからでなければ、ここまでの努力が水の泡だ。キックの献身が無駄になることは、避けなければならない。
キックは、駿は時々、無謀とも言える行動をとる。それはいつも、人を助けるときだ。そしてそういう時は、信じられない結果を引き起こしてきた。
スーンを助けるために、視界を奪われながらも戦ったフェイフォンの映像を見たことがある。同じくスーンを守って、紅いNPCに挑んだ映像も見た。途中から自分も現場で見た。
初日の出を見に行って、ガラの悪い人たちにからまれた時、駿は弱いくせに、優希を、身体を呈して守った。
重課金プレイヤーが暴れた時も、スクエアコンボやキューブコンボという未発見のコンボを生み出し、窮地を脱した。
ダーククローがアマテラスたちにいたぶられたのを見て、駿はアマテラスを信じられない方法で、一撃のもとに葬った。
そのアマテラスが集団で逆襲に来ても、フェイフォンは人々の追い付けない速さで動き、彼らを退けた。
ハウルでさえ、退ける勢いだった。マガツヒが妨害しなければ、おそらく勝てていたのではないか。ハウルが分身し、手に負えなくなると、フェイフォンは仲間を逃がして一人残った。その結果、駿はフェイフォンを失い、失意に暮れていた。
その彼が、再びアバターを失う覚悟を決めたのだ。下手に手を出せば、かえって迷惑をかけることになる。キーユではなく、ユウならば、役立つ手助けもできただろうが、キーユでは、邪魔をした挙句、無駄にアバターを失うことになると分かっていた。
キーユはふと、疑問を抱いた。失うと言えば、あのマガツヒもフェイフォン同様、失われたのではなかったのか。確か、奪われたフェイフォンとマガツヒが先頭に立って、プレイヤー狩りを行い、アカウントを奪って回っていた。ハウルの手先になっていたのだ。
では、先ほど現れたマガツヒは何なのだろうか。無事に戻ったら、明花莉に確認してみなければならないと思えた。
キーユはサブシステムのコントロールルームに戻ると、シルバに報告を入れた。
『承知した。君たちは先に逃げろ』
「キックが残ってハウルと戦っているの」
『そうか』
シルバの言葉が途切れた。
『だが、助けることはできない。済まない』
「いいえ。いいの。あなたも無事に逃げて。でないと、彼の覚悟が浮かばれないわ」
『今少し暴れたら逃げるとしよう。雄太君。後日、面会を願う』
シルバはそう言って、通信を切った。
雄太はキーユのむき出しの背中からの曲線に集中しており、シルバの言葉を聞いていなかった。
4
優希は無事にレジスタンスの本部へ帰還した。雄太はレジスタンスが用意したサーバーで保護した。
三島がすぐに小神保に連絡を取って、今後の方針を相談していた。決まるまでは、レジスタンスで保護することになった。
優希は駿の帰還を心配して、ボックス筐体の外で、彼が戻るのを待った。
誰かの帰りを待つのは、心細かった。帰らない相手を待つよりはよほどましだとは思うものの、帰るかどうか分からないのは、不安を増長させた。
優希の両親はもう帰らない。両親のように駿も戻らなかったら、私はどうしたらいいの。優希は嫌な考えだと、頭を振った。
優希の両親は、IT崩壊事件の時に亡くなった。帰らないのではなく、帰ることができなくなった。二人が事故に遭って亡くなったと知るまで、優希は心細く不安な日々を過ごした。
同じ心細く不安な感情が、今、優希の胸を締め付けていた。
駿なら戻ってくる。そう信じている一方で、もしかしたら、駿がキックのままどこかに隔離され、ログアウトできなくなっていたとしたらと、不安も抱いていた。
ハウルにとらえられ、アバターごとハウルに支配さえたら、駿はいったいどうなるのだろうか。肉体をハウルに奪われるのだろうか。それとも何の反応も示さない肉体だけが残るのだろうか。
お父さんとお母さんのように、駿も帰ってこない。そう主張するかのように、VRのボックス筐体は固く閉ざしていた。
優希は両手を胸の前で合わせ、祈るような気持ちになっていた。
お願い、戻って。待ち続けるなんて嫌。優希は両親を待ちわびた時の気持ちが押し寄せてくるのを感じていた。
気持ちが押さえられない。
視界がぼやけた。
あふれ始めた気持ちを必死に抑えた。口を押え、嗚咽を漏らさないように我慢した。
何かが動いているようだが、涙が視界を遮ってよく見えなかった。
目の前に何かが現れた。駿が戻らないと、三島か明花莉の父親が告げるのかもしれない。
「いや」
優希はうめいていた。
「ただいま」
その声が、温かく響いた。
優希は思わず息を飲み込んでいた。
「ごめん、そんなに心配してくれたんだ。ほら、泣かないで」
駿が、戸惑ったように言っていた。ぼやけて見えないが、あたふたしている様子が目に浮かんだ。ばか。黙って抱きしめてくれればいいのよ。優希は不満を頭の中で呟いた。
「ばか」
嗚咽紛れに言うと、優希は駿の胸に額を押し当てた。
「待たせ過ぎよ」
駿が戻ってきたと分かると、抑えが利かなくなった。涙があふれ、止まらない。優希は駿の胸にしがみつき、泣きじゃくった。
お父さんとお母さんにも、こうしたかった。二人は帰ってこず、できなかった。
駿は戻ってくれてよかった。
優希は駿と両親を重ねてしまい、自分の感情の抑制もできなくなった。
胸の中で泣きじゃくる優希に、駿は戸惑い、両手のやり場に困って上げ下げしているだけだった。
優希にも、駿が戸惑って手を泳がせていることが分かった。そのことがおかしかった。泣きじゃくりながら、笑った。嗚咽なのか笑い声なのか、区別はできなかった。
この人は、変な度胸というか、勢いがあるくせに、こういう時はだらしないんだから。優希はそんなことを思いながら、泣き笑った。
三島が冷やかしていくのが聞こえた。
でも、かまわなかった。駿は帰ったのだ。それでよかった。優希が安心すると、涙はさらにあふれた。
時間をおいて、少し冷静になると、優希は恥ずかしくなった。アバターが負けたところで、戻ってこないはずはないのだ。何をばかげたことを考えて心配していたのだろう。
優希は駿の胸にしがみついていた。涙が引っ込むにつれて、顔は赤みを増した。恥ずかしくて顔を上げられない。
なんて大げさなと、駿に呆れられているのかもしれない。顔を合わせることができない。優希は余計に駿の胸にしがみつき、逃げ場のないこの状況に戸惑い始めた。
とにかく逃げよう。
優希はそう決意すると、おかえりと言いながら、力を込めて駿を押し返した。そして駿を見ず、逃げ出した。
彼がどう思ったか分からないが、確認するには恥ずかしすぎる。とにかく部屋へ逃げ帰ることだけを考えた。
部屋に飛び込んで一息ついたのも、つかの間だった。明花莉が部屋にいて、様子のおかしい優希に、どうしたと声をかけてきたのだ。
「顔が赤いぜ」
明花莉が優希のあごをつまみ、引き寄せた。彼女の背が高かったら、持ち上げられていたのだろうが、彼女は優希より低い。逆に下へ向けられた格好になった。
「泣いたのか?」
「よして」
優希は毅然と、明花莉の手を払いのけた。明花莉は放っておくと、何をしでかすか分かったものではない。
「駿に泣かされたのか?」
「違うわ。ちょっと昔のことを思い出したの」
優希は明花莉に導かれ、ベッドの端に腰を下ろした。彼女も隣に座る。
「全部吐き出しちまいな」
明花莉は全てを聞いてやると、優希を見守っていた。その様子が滑稽で、優希は噴き出していた。
「わざとらしいわよ」
「え?マジ?決まったと思ったのに」
「まったくもう」
優希が笑うと、つられたように明花莉も笑った。ひとしきり笑い合うと、落ち着いた。火が出るほど熱かった顔も落ち着いてきた。明花莉が笑わせてくれたおかげだ。優希は素直に、礼を述べた。
「ありがと」
明花莉が優希の顔を引き寄せた。
「それはダメ」
優希は即座に明花莉の手をはらった。
「ケチ」
「言いがかりはよして」
優希は言うと、明花莉に対して腹が立った。
「だいたい明花莉は駿のことが好きになったから女の子になったんじゃないの?私にちょっかい出してる場合じゃないでしょ」
「それとこれは別」
「それとも、駿に嫌われるようなことをしたから、私に乗り換えようっていうのかしら?」
「な、何のことかな?」
「そんなんじゃ嬉しくないわよ」
優希は明花莉の目をじっと見つめた。
「私や、駿に話すことがあるでしょ。私が聞いてあげる。私で先に練習なさい」
「おや?俺が駿と仲直りして、いい関係になってもいいのか?」
「ばか言わないの。それはそれ、これはこれよ」
明花莉はずるいなと言いながらも、言い難そうに口を開いた。
優希が質問を挟むことで明花莉の口は緩んだ。
「さっきのマガツヒは?あれって、ハウルに奪われたんじゃなかったの?」
「フェイフォンと一緒にね。マガツヒにはバックアップがあったんだ。それを使った」
「やっぱり明花莉がマガツヒなのね」
「怒らないでくれ。俺は、あいつらに使われていただけだ」
「でも、あの事態を招いたのは、明花莉自身よ」
「分ってる」
「明花莉もアマテラスの仲間なの?」
「いや。あいつの名前も覚えてない。御屋形様に言われて付き合った。親の既得権益にぶら下がってる連中さ」
「じゃあなんであいつらの言うことなんて聞いたの」
「家のために。それでいいと思っていた」
明花莉は辛そうにそう言うと、今は家なんてどうでもよくなったと呟いた。
「さっき、何で駿に襲い掛かったの?」
「彼の正体を確認するため、だな」
キックの動きとフェイフォンが重なって見えたので、実際に戦ってそのことを確認しようとしたと、明花莉は言った。
「そういうのは言葉で聞いてもいいじゃないの」
「そう、かも…」
「明花莉も衝動的に動く時があるのね」
優希は呆れたようにそう言い、笑った。
「俺のこと、許してくれるのか?」
「許すかどうかは、今後しないね。VSGを台無しにしたのだもの」
明花莉が上目遣いで優希を見つめ、唸った。
「それで、駿にはどういうつもり?」
「言わないつもりだった。本気で対戦し合ったら、理解してもらえそうな気がして」
「何それ。マンガの読み過ぎじゃないかしら?それと、駿はキックも失ったはずだから、しばらく対戦できないわよ」
「何ですと!」
明花莉が立ち上がっていた。
「どうするの?」
「駿のところへ行って慰めてくる」
「喧嘩を売ったのに?」
「え?俺、そんなことした?」
「したわね。謝るのが先」
「でも、駿はまた落ち込んでるんだろう?今度は俺が慰めて…」
優希の視線を受け、明花莉の言葉は尻すぼみに小さくなり、途切れた。
「俺って、今、やばい?」
「まずいわね」
「ど、どうしよう!駿に嫌われたくない!」
優希は自分の隣を手で示すと、明花莉に座るように促した。
「作戦会議と行きましょうか」
5
世上は急変していった。
公共放送で、ニュー東京のロボット整備工場が何者かにハッキングされ、破壊されたと報じた。その犯人は逃亡中の大本駿の可能性があると告げていた。
そのニュースにからんで、ロボット整備など、ニュー東京の極秘事項に多大なエネルギーが消費されていると、こちらは民放で報じられた。北東京、東海、中国の三都市から、地熱エネルギーのすべてをニュー東京に送り、ロボット作製などの事業に使われていたというのである。
エネルギー事情に苦しむ地域があり、そこに暮らす人々がエネルギーの無駄遣いを責め立て、人々の生活にエネルギーを回すように訴えを起こした。
あちこちで集会が開かれ、警察が取り締まる事態になると、大きな事件が立て続けに起きた。
初めの事件に、他が連鎖的に続いたとも言える。
初めの事件は、北東京で起こった。ニュー東京への電力供給が何者かによって止められたのだ。そして、北東京に送られていたエネルギーの供給も遮断され、北東京は名実ともに、独自エネルギーで稼働するようになった。
事件の数日後、電力遮断の犯人が山科源次郎だと、公共放送が報じた。源次郎は処置を行った後に行方をくらませているという。
政府は山科源次郎を非難したが、建築業界では別の見方が起こった。そして、エネルギー事情に悩む地域では、山科源次郎の行動を英雄視する動きまであった。
そして、次の事件が起こった。
東海でもニュー東京へのエネルギーの供給が遮断され、独立稼働を始めた。東海を建設した会社が、最後の工事を完了させたと報告した。いつまでも未完のままでは、維持費と管理にかかわる人員にひっ迫すると、今回の決断をしたという。
当然、政府は反発したが、建設業を中心に支持する声が沸き起こった。この流れは、山科源次郎が作ったと言えた。弱小建設会社の山科源次郎が成し遂げた偉業は、業界では有名で、彼の行動はそれだけの影響力を生むまでに、名前と偉業が知れ渡っていた。
当然のごとく、中国もエネルギー供給を遮断し、独自稼働を始めたと、所属の岡山県に報告された。
これにより、ニュー東京は独自の海流発電のみの稼働となった。
ロボットの配備に影響が出る恐れがあると、公共放送が伝えた。同時に、統制の取れなくなった状況を打破するには、一週間後に迫った情報統括及び国民保護法案の施行が必至であると伝えていた。
事態を引き起こした山科源次郎はというと、渡辺恒昭を頼って北東京を脱出すると、軽井沢へ向かった。そこに住む、旧友の渡辺平四郎の元へ転がり込んだ。
「まだ生きておったか」
「さっさとくたばっちまいな」
二人は顔を合わせた途端に、言い争うかに見えた。だが、言葉とは裏腹に、二人は抱擁し合った。背の高い平四郎と、小さな源次郎のデコボココンビは、数十年ぶりの再会を祝い合った。
二人は桃子という女性を奪い合ったライバルでもあったので、ことあるごとに言い合いになる。だが、それは気心知れた気安いやりとりでもあった。
警察は源次郎の行方を追いかねた。源次郎は世間では英雄視されていたので、誰も警察に協力しなかったのだ。中には権力に媚を売るものも出たが、源次郎を守ろうとかく乱する動きも強まり、確保にはいたらなかった。密告と虚偽の情報が入り乱れ、捜査を混乱させられ、行き詰まった。
大上裕翔は逆に面白がって、警察内部から様子を見ていたほどである。大上は公然と、本部のやり方は間違っていると批判し、煙たがられる存在になっていた。ともすれば政治批判も臆さずに言ってのけるので、警察内部でも大上を腫れもの扱いするようになっていた。
世界のニュースでも、日本の状況が報道されていた。人権を無視した法案を可決し、支配しようとする日本政府に対し、世界各国が遺憾の意を表していた。
そして、虐げられていた日本国民も立ち上がり始めたと、山科源次郎の件を取り上げていた。いくつかの国は、源次郎が国外逃亡するのなら、受け入れする準備ができているとまで表明していた。
そんな中、異彩を放つニュースソースがあった。スーン情報局である。
スーンは逃亡犯の大本駿が山科源次郎の弟子だと報じた。駿は師匠の代わりに、体制に挑んだのだという。政府に疎まれた駿は濡れ衣を着せされ、指名手配犯にされた。彼にかけられた罪状のほとんどが無実であると言い切った。
ただ、ロボット整備工場襲撃に関しては、大本駿が関わっている可能性があると報じた。この襲撃事件は、日本政府が拉致した友人を救出するために、大本駿たちが暗躍したのだとスーンは断じた。
スーンは次に、大本駿がVSGで使っていたウォン・フェイフォンを紹介し、次に、ニュー東京のサーバーを襲撃したキックを紹介した。
スーンはフェイフォンとキックの動きをよく見比べるように、視聴者に訴えた。二人の動きに、酷似する特徴がどこそこにあると、幾つもあげつらった。この証拠映像から、襲撃犯のキックとフェイフォンが同一人物だと断じた。
スーン情報局の、VSGファン向けのニュースはもっと無責任に、憶測を並べ立てた。キーユとユウの同一性を訴えた。二人の映像を並べて解説まで行った。それが妙に的確で、恐ろしくもあった。
VSGが混乱に陥る原因を作ったマガツヒが、なぜかキックとキーユを助けた様子も報じた。ハウルまで入り乱れて、どこかの国の恋愛ドラマよろしく入り乱れていると告げた。
ハウルについて報じたのは、スーン情報局のみだった。ゲームのNPCだったハウルが、セキュリティーとして、政府に利用されている現実を指摘し、キックやキーユ、ライトが戦ったことを報じた。
さらに、配備予定のロボットにもハウルがAIとして搭載されると報じた。
六月も終わろうとしているある日、優希と駿がスーン情報局を見て、話し合っていた。
「この人、一体どこからこんな情報や映像を手に入れているのかしら?」
優希が訝っていた。
「それ、僕も不思議」
駿も同様だったが、この答えは意外なところから転がり込んだ。
「ああ、あれ?あれは俺が流した」
たまたま通信してきたヤマトタケルに、スーン情報局の不思議を駿が語って聞かせると、彼はあっさりと自白した。
「え…僕らの情報を売ってるの?」
「売ってない。さらしてる」
「余計悪い!」
「いいじゃないか。面白いから」
青い瞳をゆがめて笑っていた。
「で、何の用?」
「だから、ヒジリを出せこの野郎。時間がない」
ヤマトタケルはそう言うと、緊急を要する問題だと迫った。
駿は腹いせに回線を切ってもよかったが、彼の表情がそれを許さなかった。仕方なく、回線を開いたまま、父親の部屋を訪ねた。
「父さん。彼が話をしたいって。急ぎの用らしいよ」
駿は部屋に入ると、そう言ってノート型PCを父親に差し出した。
ヤマトタケルが歓喜して聖と会話するのかと思っていたら、彼は押し黙っていた。緊張しているらしい。
「私に何か?」
聖が言うと、ヤマトタケルはやっと口を閉ざしていたことを思い出し、重たい唇を動かし始めた。
「お初にお目にかかり、光栄です」
押し黙っていたのがうそのように、挨拶の言葉を思いつく限りまくし立てていた。彼は聖の視線に気づくまで挨拶を続けた。咳払いを一つすると、本題に入った。
「その昔、日本政府がウェブを破壊したのは知っています」
ヤマトタケルはそう前置きをした。父親の顔が一瞬で曇るのを、駿は見逃さなかった。
「その件はどうでもよくて、よくはないか。単刀直入に言えば、日本政府が同じことをやろうとしています」
「何だと!」
聖が叫び、立ち上がっていた。
「ばかな。あれはあの時破壊され、残っていないはず」
「やはりご存じなかった。竹内英輝が開発を続けていました。彼は今度こそ大丈夫だと思っているようですが…」
ヤマトタケルはそう言いながら、キーボードを操作し、一つのファイルを送ってきた。そのファイルを開き、呪文のような文字の羅列を、聖が流し見た。
「ばかな…根本的な部分に何も手を加えていない…」
「でしょ。これなら、あなたのサイバーレインバージョンワンの方がましだ」
「同じだ」
聖が暗い声て呟いてた。
「しかし、あなたのそれは、すでにバージョンスリーですよね」
「なぜそのことを」
「VSGに秘かに組み込んでいましたよね」
ヤマトタケルは自分の読みが正しいと、聖の反応で確かめた。
「日本政府があの欠陥品を使う前に、止めなければ、十一年前の大惨事が再びですよ」
聖はヤマトタケルの言葉を聞きながら、届いたファイルをもう一度見直していた。
「それに、ハウルの増殖を止めないと、同じことになるでしょう」
聖がうなり声をあげている。駿が心配になり、近づくと、聖は無意識なのか、駿を抱き寄せた。駿は見ずに、ファイルを凝視し続けていた。
「これは使わせてはならない」
「そうです。しかし、相手は隔離都市の内部。物理的な阻止は難しいでしょう」
ヤマトタケルはそう言うと、青い瞳を駿に向けた。
「この前のように、内部から行くしかない。でもそのためにはハウルを何とかしなければなりません」
「ハウルの対処方法は完成したが、急を要しすぎる。人手がまるで足りない」
聖が駿を覗き込んでいた。
「足りないが…。駿。お前に渡すものが有る。それを使って、世界を救って欲しい」
聖はとんでもないことを、真顔で告げていた。
6
「もしかして、VSGのバージョンアップを?」
モニターの向こうで、ヤマトタケルが腰を浮かせていた。
「そうだ。VSGとサイバーレインのバージョンフォーを完成させた」
「それでハウルに対抗できると?」
「駿ならば」
「他に対抗できそうな人は?」
「VSGのランカーであれば、あるいは」
「でしたら、ニューバージョンを俺に送ってください。きっちりランカーにお届けしますよ。それで人手が集まる」
「海外の君たちにはかかわりのないことだ」
「何を言いやがる。いえ、失礼。再びウェブが破壊されれば、全世界が影響を被るのです。俺たちにもかかわりあります」
聖は僅かに言い淀んだが、すまないと答えた。テーブルの疑似キーボードを操作すると一つのプログラムを駿のPCを通じて、通信相手に送った。
「確かに受け取りました。決行の日時が決まったら知らせてください。それまでにこちらも人を集めておきますよ」
ヤマトタケルはそう言うと、通信を切った。
聖が駿の頭をなでた。
「駿」
聖は何かを言いかけて、止めた。
「やはり皆に知らせる必要があるか。駿。すまないが、皆を食堂へ集めてくれ」
駿には事態の成り行きが今一つ理解できていなかったが、いつにもなく深刻そうな聖の言葉に従った。
野沢美郁、児島仁志は指令室にいた。聖から話があると伝えると、二人はすぐに食堂へ向かった。二人は聖が語るのを待ちわびていたのだ。
三島和彦、曽我部力也、清水天翔の三人はラボにいた。小学生の天翔は自分のドローンの調整を、三島に手伝わせていた。
曽我部は以前入手したロボット二体の稼働テストを行っていた。
天翔がドローンをロボットの周りに接近させると、曽我部がうるさいハエをよこさないでと、甲高い声を張り上げていた。
駿が用件を伝えると、曽我部が代表して分かったわと答えた。だが、誰も動こうとはしなかった。
酒井航、柊守美、矢野莉紅の三人は、レジスタンス活動の実行部隊で、今日もどこかへ出はらっていた。
杉本亮は宛がわれた自室でモニターに向かっていた。彼は用件を聞くと、分かりましたと、作業を終わらせて部屋を出た。
駿よりやや背の低い亮が愛嬌のある笑みを駿に向けていた。えらの張った顔が、明花莉と似ていた。
「娘と仲良くしてやってくださいね」
亮は一言そう言うと、食堂へ向かった。彼も、駿と明花莉の、ここ最近の微妙な関係に気付いていたのかもしれない。
駿は最後に、後回しにしてきた、優希と明花莉の部屋を訪ねた。優希と顔を合わせるのは何も問題ないのだが、同室の明花莉と顔を合わせるのは、未だに気まずい。
明花莉が何を考えているのかまるで分らなかった。VRで、いきなり襲い掛かってみたり、マガツヒという縁起でもないキャラクターを持ち出してみたり。それでいて、彼女は一切の説明を拒み、駿を避けていた。
駿も、避けられて面白いはずがない。明花莉が顔を背けるのなら、こっちも見ないようにしてやると、意固地になっていた。
その前までは、うっとうしいほど、駿の背中にまとわりついてきた小柄な明花莉が、ここ最近は駿に触れることすらない。
明花莉の温もりを背中に感じることができないのは、駿の心に寂しさを誘い込んだ。だからといって、駿からひっついてくれとは口が裂けても言えない。そんな恥ずかしいことを言えるはずもない。
そもそも明花莉が避けるから悪いんだ。明花莉が折れるまで知ったことか。そう考えて、駿はさらに意固地になるのだった。
「よし」
駿は声を出すことで自分に行動を促した。
呼び出しに答えたのは、幸いにも優希だった。駿は安堵しつつ、聖の用件を伝えた。
「支度していく」
優希はそう答えただけで、扉は開けなかった。
優希の顔が見られなかったのは残念だが、明花莉と顔を合わせずに済んだので、安堵もしていた。
駿は憂いを引きずって食堂へ向かった。
食堂に着くと、児島と野沢が奥に陣取って何かを打ち合わせしていた。その傍に、曽我部と三島がいた。天翔がいないところを見ると、彼は逃げたのだろう。僕には関係ないとか、小学生に難しい話をするなとか言ったに違いない。
天翔が興味のあることにしかかかわろうとしないことは、駿も承知していた。VRで対戦ができるようになっとき、廊下で見かけた天翔を誘ってみたが、そっけなくあしらわれた。後でそのことを、食事の時に居合わせた曽我部に尋ねたら、いつもそんなものよと教えてくれたものだ。
天翔の興味の対象は、ドローンだけらしい。そのためか、ドローンの知識と操作技術は大人も顔負けであった。今も、ラボにこもってドローンをいじっているに違いなかった。
先に食堂へ向かったはずの亮が、駿の後から現れた。亮は聖と連れ立って入ってくると、聖を促すようにして、児島たちの前へ行った。
駿は聖の隣の席を確保した。
正面に座っていた野沢が、何か頼みましょうかと、優しい目を駿に向けていた。食べ物か飲み物が必要なら、食堂で仕込み作業をしている千葉信弘に頼んでくれるのだろう。
駿が遠慮して断るのと、優希たちが食堂に入ってくるのが同時だった。駿は何気ない様子を装って、優希と明花莉を眺めた。
優希が明花莉の背中を押して、彼女の耳元に何かを告げていた。そして、駿の隣に明花莉を座らせ、優希は明花莉の隣に腰を下ろした。
駿は隣に空気の壁ができたように感じて緊張した。振り向いてはいけないように思え、横眼のぼやける視界で明花莉たちの様子をチラ見しただけで、視線を泳がせた。
「ほら、ちゃんと言いなさい」
優希が明花莉に耳打ちしていた。その声は駿に聞こえなかった。
明花莉は優希に促され、口を開け、駿を見つめていたが、声が出なかった。やっと出せそうになった時、野沢がそれでと強い口調で言ったものだから、明花莉は声を飲み込んで押し黙ってしまった。
野沢の言葉は、聖に促したものだった。聖が暗い表情を上げた。また口を閉ざし、部屋へ逃げかえるのかもしれない。
亮の手が聖の背中をさすっていた。それで落ち着きを取り戻したのか、聖は一度下を向き、再び顔を上げた時は、陰りのある表情の中に、目の輝きがあった。
駿はそっと、聖の手に自分の手を重ねた。父親が駿を見て驚き、そしてゆっくりと微笑んだ。
「IT崩壊事件が再び起きようとしている」
聖は重大事から告げた。
児島と野沢が驚きの声を上げていた。
優希が顔を引きつらせているのが見えた。
「ちょっと待て。あの事件は発生原因が特定されていない。にもかかわらず、同じことが起きるとなぜ分かる?」
児島が疑問をぶつけた。
「すまない」
聖が唐突に謝り、頭を垂れた。
「あれの発生原因は政府がもみ消しました」
聖の代わりに、亮が答えた。亮は聖が口を閉ざし、歯を食いしばっていることに気付いたのか、代わりに説明を続けた。
十数年前、聖が政府の援助を受けて、一つのプログラムを開発した。当時、亮ともう一人の助手が付き、開発にかかわった。ネット世界に浸透し、自浄作用を生み出して、ウイルスやバグに対抗することを目的にしたプログラムだった。聖はその理想を名前に込め、CyberRainとした。
一度は完成にこぎつけたものの、聖が重大な欠陥に気付き、プログラムの運用を見合わせた。
ところが、政府は運用を強く要求した。
当時の亮はこのプログラムは完璧だと信じて疑わなかった。そのために、政府の要求に応じたもう一人の助手、竹内英輝の誘いに乗った。
亮と竹内は政府に赴き、CyberRainの説明を行った。政府が用意した学部会では、自浄作用では生温いとの意見が大勢を占めた。そして、とある議員の発言から、プログラムの名前が一字変わった。
CyberReinと改名されたプログラムに、学部会の要望を組み込んだ。ネットの有象無象の情報を管理し、統括するプログラムとして、趣を新たにした。この改変に、亮と竹内が尽力した。
二人には聖から、再三の警告が届いていたが、聞き入れなかった。
「お前は聞き入れたじゃないか」
聖が亮の説明に文句をつけた。
「聞き入れたわけではなかったのですよ。先生」
亮は答えると、説明を続けた。
プログラムの趣旨が変わっていることに疑問を抱いていた亮は、竹内よりも冷静だったのかもしれない。CyberReinにも欠陥があることに気付き、その欠陥を補うプログラムを開発した。それがVSGの原型であるViartualSecurityGuardだった。
CyberReinの最初の稼働テストは何の問題も起きなかった。
VSGも問題なく稼働したが、VSGの開発にかかわった若者が、これ、擬人化して格闘ゲームにしたら、処理をいちいち行わなくても、プレイヤーにやってもらえるのではと言い出したことが発端で、VSガーディアンズが完成したのだった。
「余談だったね」
亮は苦笑すると、自らの罪の告白の核心部分に進んだ。罪を告白しているのに、彼は淡々と語っていた。
CyberReinの稼働テストを繰り返し、ついに本格稼働を迎えた。それが十一年前のことである。プログラムを稼働して一時間後に、突如として異変が起こった。
ありとあらゆる回線が遮断された。ネット、通信、衛星回線までもが遮断された。ネットに依存していた社会は、瞬時に機能を停止し、混乱と事故が蔓延した。
日本では俗にIT崩壊事件と呼ばれる大惨事は、ここから始まったと、亮は静かに告げた。
「私だ。私があんなものを作ってしまったからあんなことに」
「先生のせいではありません。あれは、僕や、竹内の責任です。先生が自責の念に悩まされることはありません」
二人がやりとりする中、椅子が大きな音を立てて倒れた。皆が一斉に振り向いた先に、優希が立ち上がり、両手で口を押えていた。その目が、怒りと、悲しみと、恐れと、複雑に絡み合って揺れ動いていた。
「優希!」
駿が立ち上がるのと、優希が後ろに駆け出すのが同時だった。駿との間に明花莉が座っており、すぐに追いかけることができなかった。明花莉もただ呆然と、優希を見送っていた。
優希は食堂を飛び出していった。
「そっとしておきましょう。彼女もきっと、あの大災害で近しい人を亡くしているのだと思うわ」
野沢が分かったようなことを口にしていた。その野沢も、顔が青ざめていた。彼女自身も、夫と子供を失った辛い記憶がよみがえり、優希のように逃げだしたい心境だったのかもしれない。だが、彼女の立場として、逃げるわけにはいかなかった。
「まだ話は終わっていないわね」
感情を押し殺す声は、凄みを帯びていた。その声に押さえつけられ、残りの人々は椅子に座りなおした。
7
父親がこの話を口にできなかった理由を、駿は理解できた。聖は自分のせいで、最愛の妻を失ったと思っているのだ。その自責の念で、顔を曇らせ、打ちひしがれていたのだ。
口にしてしまえば、罪を認めることになる。妻をその手にかけたと認めることになる。たとえ間接的にではあっても、事実は変わらないのだから。
駿は両親の仲が良かったことを覚えていた。小さかったころの記憶はほとんど残っていない。それでも、仲睦まじくしていた様子を、今も思い浮かべることができた。
父さんが母さんを殺した。駿は頭の中でそう考えてみて、しっくりこないと感じた。
亮の話を聞いていて、聖は止めようとしていたではないか。危険性を警告していたではないか。ならば、父さんに罪はない。自分を責める必要はどこにもない。
駿は聖の手を強く握りしめた。
「父さんは悪くないよ」
「そうです。先生は悪くない」
「聞く限り、責任はごり押しした政府にあるようだ」
児島もそう言って立ち上がると、聖の肩を軽く叩いた。そして座りなおすと、話の続きを促した。
「事はそれだけで終わっていないのだろう?」
「はい。終わっていません」
亮は答えると話を続けた。
政府は事件の核心部分をすべて機密扱いにして隠ぺいした。政府にとって、都合のいい事態が発生していたので、黙認論が支流となったのだ。
IT崩壊事件でネット上のデータの大半が喪失した。その中に、政府が抱え、頭を悩ませていた国債のデータもあった。多額の国債がデータを失い、宙に浮いた。政府はデータが喪失したとの一点張りで、その債務から逃げた。多額の借財が、帳消しとなったのだから、政府としては願ったりかなったりであった。
さらに、事件後の事後処理で多額の費用が必要になったことも影響していた。国債、つまり借金がうやむやにできれば、再建のための資金確保が非常に楽になる。
政府は念には念を入れ、このころから、情報統制を秘かに始めていた。人々が知らなければ、非難されることはないのだ。
当時、データを失ったことで、多くの投資家や銀行が破産の憂き目に遭っていた。人々の目をそちらに向け、政府が救済策を打ち出すことで、裏の事情をひた隠しにした。
「何かあるとは思っていたが、それが事実ならば、とんでもないことだ」
児島がうなるように言った。話の腰を折ったことに気付くと、続けてと手を差し伸べた。
VSガーディアンズにも問題が発生していた。VSGには、CyberReinが処理できなかった破損ファイルなど、ネット上のチリを集める機能があった。
この集まったチリの中に、どうやら、CyberReinの残骸があった模様だ。そこにウイルスやバグや他の破損ファイル、そしてAIまで取り込んで、ハウルが生まれた。
ハウルはプレイヤーが倒すことができないほどの力を得て、さらにはVSGから出ようともくろんだ。
そこで聖の協力を得て、VSG内にハウル専用の隔離スペースを作り、そこから出られないようにしていた。
「それはゲーム内の高々NPCでしょ?」
曽我部が、そこまで警戒する必要があったのかしらと言った。
「さいたまスーパーアリーナで暴れた銀色のロボットに入っていたのがハウル」
駿が答えた。
「情報拠点の防衛にもハウルとやらが出ていたな」
三島も言った。
「ハウルはCyberReinの理念を実現しようとしているのかもしれません」
亮が答えた。
全ての情報を管理統括することが、ハウルの目的ではないかと言う。
「高々NPCにそんなことできて?誰かが操っているだけでしょ?」
「いや、奴は自分の意志で行動している」
聖が顔を上げていた。
「ハウルがネット上に蔓延すれば、例えば、友人との通信を傍受され、都合の悪い事柄が内容に含まれただけで回線を遮断されることになる。その判断は全てハウルが行う」
「それは嫌ね」
「それだけならまだしも、ネットや回線の接続の有無も、ハウルの判断にゆだねられるようになる。ハウルがネットで蔓延すれば、奴が人を支配する立場になるだろう」
「ネットに依存した社会では、そうなるわね」
「生命維持装置まで、ネットで管理できる時代だからな」
野沢と児島が同意の意味を込めて言った。
「AIにそこまでできるのかしら?」
曽我部の問いに答えたのは、雄太だった。
「できるんじゃないの。俺がAIなら。てか、俺、本当にAIなの?」
駿が声の方を見ると、ホログラムの雄太が後ろにいた。
「いつの間に」
駿の問いに答えず、雄太は答えなかった。
「な、マジで俺、AIなの?うそだろ?てか駿、てめえ、その子誰だよ」
「黙って」
駿はうんざりして言った。雄太は聖や亮の告白にあまり関心がない様子だった。彼の関心は明花莉に向けられていた。
「黙ってもらえるかしら?」
野沢のきつい声に、雄太は声を裏返して返事をすると、口を閉じた。
「彼はまた特殊な例だ。が、ハウルもまた特殊な部類だ」
聖はそう言った。
「そこまではまあ、理解したことにして」
児島が額に手を当てて言った。
「IT崩壊事件が再び起こるというのはどういう意味だ?」
「政府は情報統括を諦めていなかった」
「竹内英輝も諦めませんでした」
聖と亮がそれぞれ答えた。二人は頷き合うと、亮がその後を引き継いだ。
竹内英輝は事件後、さらなる研究をつづけ、独自にプログラムを新たに作り上げた。それを、今度の法案の施行に合わせて実行するつもりだと言う。
「プログラムを偶然入手して、ざっと目を通したが、同じ欠陥があった」
聖が締めくくった。
「ということは、何だ」
児島は額に手を当てたまま、しばし考えこんだ。そして手を下ろすと、聖と亮を見比べた。
「そのプログラムを起動すれば、十一年前と同じ事態が発生するというのか?それは確実なのか?」
「まったく同じかどうかは、正直分からない。しかし、同じ欠陥をはらんでいることを加味すれば、十分にあり得る」
「割合で言うと?」
「八割」
聖は即答した。
「軽い被害で終わることを含めれば、九割は超えますよ」
亮も自分の予想を付け加えた。
「つまり、何らかの事故、事件は起きるということだな」
児島の念押しに、聖と亮が頷いた。それを見た児島はもう一度額に手を当てて考え込んだ。
訪れた沈黙の中、千葉の調理する音が響き渡った。この音がなければ、緊張に押しつぶされたのではないかと思うほど、空気が張り詰めていた。
調理場でライトが点灯した。反応して千葉がオーブンから料理を取り出していた。魚の焼けたにおいと香辛料の香ばしいにおいが、さらに緊張をほぐしてくれた。
児島が手を下ろした。
「我々は二つのことをなさねばならないということか?」
児島が指を一本立てた。
「ニュー東京へ侵入し、件のプログラムの起動を阻止すること」
さらに指をもう一本立てた。
「ネット上からハウルを排除すること」
聖と亮が深々と頷いた。
「どちらも難題だな」
「そうね。まず、ニュー東京に侵入なんてできないわ」
野沢もあごに手を当てて考え込んでいた。
「それはこの前みたいに、ネット上から侵入すればいいんじゃないか?」
三島がさも簡単そうに告げた。
「この前?」
児島が何のことかと尋ねた。
「坊主が後ろの小僧を連れてきたときのこと」
「オンラインでか。それで止められるのか?」
児島は三島ではなく、聖と亮に目を向けていた。
「理論上は可能かと」
「で、VSGに取り込んでしまえば、何とかなると思います」
「しかし、竹内をどうにかしなければ、また同じことを繰り返すのではないか?」
聖が自問するように疑問を呈した。
「いっそのこと、ニュー東京との回線を全部切って、物理的に隔離してしまうとか」
曽我部が物騒な提案を冗談めかして言った。
「案外いいかもしれないわね」
なぜか野沢が乗り気になり、曽我部が逆に驚いていた。
「え、いいの?そんなことしでかして」
「まあ、最後の手段として、考慮しておこう」
児島も意外と乗り気らしい。が、竹内の対処は後回しにし、次の課題を持ち出した。
「それで、ハウルの方の対処方法は?」
「それは、この子に活躍してもらわなければならない」
聖が即座に答え、駿の握る手を握り返していた。駿を見つめ、微笑んでいる。顔の陰りは残っているものの、どこか落ち着きが戻った表情だった。
「僕は何をすればいいの?」
駿が行動することで、聖の憂いを晴らすことができるのなら、喜んで行動するつもりだった。
「二つある。一つはVSGをハウルから解放すること。一つはネットに出てきたハウルをすべて駆逐すること」
「どっちも難しそう…せめてフェイフォンが使えたら…」
フェイフォンが使えたとしても、一人では無理な相談だと駿は思った。ただ、フェイフォンどころか、キックも失ってしまったのだ。駿にVSGに挑むことはできなかった。
「VSGの最新バージョンに対応したキャラクターをすでに用意した」
駿の表情を呼んだように、聖が言った。
「この前聞いた駿の体験と、好きなカンフー映画の主人公を参考に造った。気に入ってもらえるといいんだが」
「後でVRに行ってみましょう」
親子の会話に、亮が一言付け加えた。
「分った。でも、僕一人ではどうにもならないと思うよ」
「ここでVSGの経験者は?」
聖の問いに、明花莉が手を上げた。後ろで雄太も手を上げていた。
「でも、俺、ハウルなんて無理だ」
手を上げておいて、雄太は怖気づいたことを言った。
「雄太の能力はハウルに有効だから、強制参加」
駿が言い放つと、雄太は頭を抱えて嘆いていた。
「君は?」
聖が明花莉に尋ねた。
「俺は…」
明花莉はハウルを蔓延させる原因を作った張本人だ。その自責の念もあって、決断できずにいた。また、ハウルが蔓延しようと、関係ないじゃないかとも、思えていたことが影響していた。
「僕らは罪深い一族です。僕は罪滅ぼしの意味も込めてVSGを作った。でも、僕では対処できない」
亮が娘に向かって言った。
「俺に押し付けるようなこと言うなよ。親らしいことしたこともないくせに責任だけ押し付けるな」
明花莉は言い連ねるうちに語気が荒くなっていった。
「無理強いはしない。VRとはいえ、そこで感じる恐怖は本物だ。それに、軽減されるとはいえ、痛みも感じる。あまりに強烈な痛みを味わえば、身体に影響を及ぼさないとも言い切れない」
「え、父さん、それ本当?危ないってこと?」
「リミッターをかけてあるから大丈夫ですよ」
亮が安心してと言った。
「他にプレイヤーは?」
「優希」
父親の問いに、息子が短く答えた。
「優希?」
「さっき出て行った女の子。あの子も強いから、できれば参加して欲しい」
駿は彼女が参加してくれれば、心強いと思った。優希ならば、背中を預けられる。
「どうかしら。過去の感情がよみがえって動揺していたようだから、まともにできるかしら」
野沢がそう言って首を左右に振っていた。
「今のところ、僕と雄太の二人だけ?さすがに無理」
駿はそう言って、隣を見た。明花莉と一瞬目が合ったものの、彼女がすぐに目をそらしていた。
8
明花莉は当初、駿に一言謝り、事情を説明するつもりだった。例え分かってもらえなくても、誠心誠意説明し、詫びた方がいいと優希に説得されて、そのつもりになっていた。
ところが、駿の顔を見た途端に、言葉が出て来なくなった。それでも優希に促されて声をかけようとしたものの、野沢の一言で気持ちごと胃の中に落ち込んで消化不良を起こしていた。
駿の助けになるのなら、自分もVSGで一緒に戦いたいと思う一方で、自分にはそんな資格はないとも思えた。
駿の操るウォン・フェイフォンに、ハウルを連れて襲い掛かったのは明花莉だったのだ。フェイフォンを失わせたのは、明花莉の責任なのだ。
駿をひどい目に合わせた自分が、どの面下げて共に歩くことが出来ようか。明花莉はそう考えて、自分の過去を呪った。
VRの中で、駿と本気で戦い合えば、あるいはわかり合えるかもしれないと淡い期待を抱いたものの、VRにログインすることも怖くなった。
その一方で、駿と本気で戦い合うために、新しいキャラクターの構想はすでに練ってあった。昔のキャラクターでもなく、ライトでもなく、マガツヒでもないそのキャラクターで、駿と対等に戦ってみたかった。
だが、事態はそのような悠長なことを許してくれないらしい。
それが明花莉と駿の運命なのかもしれない。
明花莉がそう感じたのは、大きな振動音の後、緊急を告げる通信が児島に入ったからである。
『こちら柊!本部が包囲された!』
映像は乱れていて、何が映り込んでいるのかよく分からなかった。
『RD‐21SRと思われるロボットが約百体!』
「柊!どこにいる!」
『自分らは本部の傍まで戻りましたが、これでは帰還できません』
「三人とも無事か?」
『問題ありません』
「分った。身の安全を優先しろ」
児島は簡単な指示を与えると、曽我部に説明を求めた。
「あたしが持ち帰ったのがRD‐11Pよ。それをさらに量産化に向けてコストダウンしたものが21SRね」
「竜宮童子、か」
「そう。今度の法案の施行で配備されるのが21SRになるわ」
「性能は?」
「現在警察に配備されているロボットより高性能ね」
曽我部は何ミリの弾丸まで耐えられるだとか、毎秒何メートル走ることができるだとか、稼働時間は何時間と細かく報告していた。
「こちらの兵器は?」
「たいしたものはないわね。天翔ちゃんのドローン。もちろん武装できるわ。後は先日入手したあたしの秘蔵っ子が二人」
「RD‐11pか。21SRとの差は?」
「こちらは実戦を想定した、まさに軍事仕様なの。よっぽと強いわよ。中身次第だけど」
「つまり、その二体のロボットがこちらの切り札という訳だ」
「そうね。でも、誰が私の子にダイブするのかしら?」
「条件は?」
「運動神経がいいとか、格闘技に精通しているとか、武器の扱いに通じてるとか」
「条件に当てはまるのは柊に酒井に矢野か。全員外だ」
児島が嘆いた。施設を包囲されているのならば、ここを放棄して逃げ出すことも叶わない。今ある人員で何とか対処しなければならないのだが、兵器はあっても扱える者がいないとなると、八方ふさがりである。
児島自身や野沢には戦闘能力など皆無だった。三島や曽我部もそうだ。曽我部は多少扱える可能性があるが、戦えるかは怪しかった。
大本聖に杉本亮は、もちろん戦闘向きではないうえに、デジタル的な対処をこの二人に頼まなければならない。外部から施設にアクセスされそうになった時に必要だ。
料理人の千葉信弘では、耳が聞こえない時点で候補から外れた。
後に残るのは、子供たちだ。子供に頼る案件ではなかった。児島はそこまで考え抜くと、もう一度嘆いた。
「必ずしもその条件は必須ではないと思いますよ」
亮が意見を述べた。
「どういうことだ?」
児島はワラにもすがる思いで、聞き返した。
「VRを介して行えば、実際に身体を動かして操るわけではないので、思考が柔軟であれば、思い通りに操ることが可能です」
「思考制御というやつだ。フリーリーや、農業、工業の分野でも利用されている」
聖が亮の補足を行った。
「よく分からんが、それなら私にも扱えるということか」
「扱えますが、たぶん役に立たないでしょう」
亮がにべもなく言ってのけた。
「思考制御なら、ここに達人がいるな」
三島がにやけた顔で、駿を見ていた。ナノマシンを思考制御で操っていたことを指しているのだ。
「VSGの経験者、それも上位者ならば、何の問題もない」
聖も駿を見つめた。
「それなら明花莉も、だね」
亮が娘を見つめていた。
「え?もしかして、僕らに、皆を守れって?」
「変なことに巻き込むな!」
駿は驚き、気後れした。気後れしたものの、ロボットを操れると思うと、後ろ髪引かれた。
明花莉の方は、押し付けられるのが気に食わない様子だった。
「君たちがやってくれないのなら、私がやる。ここを守らなければならない」
児島が宣言した。だが、周りの皆が聞き流していた。
先ほどよりも近い所から、振動音が響いてきた。施設内も揺れを伴った。
「時間がない!いいから用意をしろ」
児島が立ち上がった。
「用意はするけど、あんたじゃねぇ」
三島がそう言って食堂を出て行った。曽我部も後を追った。
「脱出経路の確保をしておきましょう」
野沢までそう言った。
「俺はお飾りか?」
児島が叫んでみても、誰も答えなかった。
「駿。フリーリーは楽しかったそうだね」
聖が駿に笑顔を向けているが、その目は笑っていなかった。
「え、う、うん」
「男の子だし、ロボット、興味あるよね」
亮まで駿に身を乗り出していた。
「そ、そりゃ、まあ」
「等身大の高性能ロボットを、君の手で操ってみたくないかい」
亮の誘いは、悪魔の誘いのようにも聞こえた。
フリーリーの大会で、駿は存分に楽しんだ。肝心の本戦では事件が起きてまともに遊べなかったものの、二十センチ足らずのロボットであれほど楽しめたのだ。軍事仕様の等身大ロボットを操れたら、いったいどれほどのことができるだろうか。
フリーリーは視覚を自身の目に頼ったことが僅かな違和感として残ったが、等身大のロボットへVRを使ってダイブするとなると、ロボットの目線で動けることになる。
想像するだけで、駿はときめいていた。
「ロボットを操れば、現実世界でVSGみたいに戦えるよ」
亮のおかしな理論が、駿にとっての殺し文句となった。
「やる」
駿は思わずそう言っていた。
「いいなぁ。俺もロボット操りたい」
雄太が呟いていた。
「それはぜひお願いしよう」
聖が即答していた。
「あ、でもごめんなさい。僕、肉弾戦はダメなの。VSGでもサイキック使いだし」
雄太が慌てて言い訳を並べ立てていた。
その横で、亮が駿の手を取っていた。
「良かった。もしも負けても平気だからね。さ、気が変わらないうちに、ロボットに変身しよう」
亮が立ち上がり、駿の手を引いた。聖まで立ち上がり、二人で駿を囲って食堂を立ち去った。
「おい、俺は無視か!」
廊下に出ると、明花莉が追いかけてきた。
「明花莉はやりたくないんでしょ?いいよ。無理しなくて。安全なところに隠れておいで」
亮はそう答えると、先に進んだ。
後ろでうめく声が聞こえたかと思うと、やらないとは言ってねぇと叫び声が聞こえた。
駿の隣で、亮が微笑み、片目をつむってみせた。天邪鬼な明花莉の性格をついた誘導だったのだ。
明花莉はそうとも知らず、足音を鳴り響かせて、三人を追い越して先にVRルームに向かうのだった。
駿は明花莉と仲たがいをしているものの、彼女が単純な誘導にかかり、意気揚々と進む様が面白くなった。ああいうところは明花莉の可愛い所だと、ふと思うと、駿は今までなぜ仲たがいしていたのか不思議になっていた。
ただ、明花莉とマガツヒの関係に対する疑問が、駿の中に暗い影を残していた。
そして、優希のことも気がかりだった。彼女がなぜあそこまで取り乱したのか、駿は知らない。彼女は過去のことを語ったことがなかった。その程度の仲だったのかと思うと、駿は悲しくなった。
過去の悲しみに囚われた優希と、過去の罪に囚われた明花莉が、図らずも、駿の心をとらえ、悩ませていた。




