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サイバーレイン  作者: ばぼびぃ
2/26

紅いコウガ

  1


「そらみろ、ハマっただろ」

 雄太が勝ち誇ったように言った。

 通信教育の講義が終わった後、雄太からいつものように通信が入り、VSGについて聞かれた。

 大本駿はここ最近、サクチャイと連れ立って、何度かゲームセンターを訪れていた。一人では行く勇気がなかった。駿がVSG3をやっていると言うと、雄太は誇った。その態度に少々苛立ったが、何も言い返さなかった。

「それで、雄太のキャラ名は?」

 駿はゲーム内で見かけたら襲い掛かってやろうと思いつつ、尋ねた。が、見透かされたのか、雄太は名乗らなかった。

「ま、お前がランキング入ったら、答えてやるよ」

 居丈高である。

「へー。ランキングなんてあるんだ。雄太は何位?」

「明確なランキングはないよ。だけど、大会がちょくちょくあって、全国中継される上位の対戦まで進めるのが、強者のステータスさ!」

 誇らしく言うところをみると、雄太も上位者の一人なのだろう。モモタロウやヤマトタケルと対等に戦えるのかもしれない。それならば、確かに今はまだ、足元にも及ばない。安易に襲い掛かっても返り討ちに遭うだけだ。

 だが、やはり名前は気になる。そこまで強いのなら、サクチャイも知っているに違いない。どういう評判なのか、聞いてみたかった。

 もう一度聞いてみたが、相手にされなかった。駿は悔しいので、自分のキャラクター名も教えなかった。これでお相子だ。

「近い大会はあるの?」

「一か月先にあるね」

「雄太も出る?」

「もちろん!」

「じゃあ、そこで対戦だ!」

「おうおう!かかってきたまえ!」

 雄太はそう応じて、笑っていた。

 駿は雄太との通信を終えると、いつもの噴水傍を離れた。水のない噴水で、光の加減で、まるで水が流れているように見えるらしい。

 この噴水の周りは、日中、あまり人がいない。なので、通信教育を受けるにはちょうど良かった。

 さわやかな風が吹き、適度な気温と湿度に保たれている。強い日差しなど存在しなかった。

 空は抜けるような青さを示している。だが、その空はモニターに映し出されたものに過ぎない。言われなければ気付かないほど、鮮明な映像だ。

 噴水の周りは公園になっている。芝生の広場や遊歩道がある。遊歩道はランニングにも使えるほど、かなり広い範囲に広がっていた。歩道の脇には人工的に作られた森や池もある。休憩所や公共のトイレと言った建物もいくつかあった。

 ここが快適な理由はもう一つある。虫がいないのだ。虫がいないので、鳥などの動物もいない。

 それも当然だ。ここは地下都市の一フロアに過ぎないのだ。

 中央に直径五十メートルとも言われる柱があった。柱が空に達するまで続いている。この柱の東西南北の四か所にエレベーターがあった。基幹エレベーターと呼ばれる、フロア間移動用のものだ。

 人々は方位の名前でエレベーターを呼んだ。つまり、北に面したエレベーターは文字通り北エレベーターだ。

 駿は芝生の上を横切り、まっすぐに東エレベーターを目指した。

 辺りには、ランニングやウォーキングの人がちらほら見える程度だ。朝や夕方になると、もう少し多い。

 駿は東エレベーターにたどり着くと、小型のノート型PCを操作してIDを表示し、操作パネルに読み込ませた。これでエレベーターがやってくる。

 この地下都市は上下に広い。駿のいる場所は憩いのフロアと呼ばれている。住人が体を動かし、リフレッシュするためのスペースだ。

 上はリニアフロアだ。正式にはリニアステーションフロアになる。地下都市と言うが、このリニアフロアは地上に顔を出している。リニアの電車が発着するためだ。主に都市間の物資の移動に使われていた。まれに人も移動するが、色々な手続きが必要で、めったに移動する人はいない。

 こっそり他の都市に移動しても、基幹エレベーターを利用するIDがないので入れないのだ。駿の持つIDも、この都市でしか利用できない。

 各都市で特産品が異なる。そこでこのリニアの電車を使って各都市間の物資を輸送し、互いの需要を補い合っていた。

 駿は四年前、中学生のころ、社会見学でリニアフロアを見学したことがある。中央のこの柱の中にはもう一つ別の、巨大なエレベーターがあり、物資を各フロアに運搬していたのを覚えていた。

 目の前の柱の奥に、その業務用エレベーターも存在している。都合五本のエレベーターが、上下の流れを作っている。この柱は、都市の大動脈と言えた。

 エレベーターが到着した。駿は乗り込むと、運行AIに行き先を告げた。

 行先は居住区だ。かなり下になる。どういう訳か、この地下都市は、居住区が下の方にある。地震や津波が来た時、どうするのかとも思うが、この都市に居れば安全だと、授業で教えていた。

 居住フロアの上には商業フロアがある。工業フロアもある。農業プラントと畜産プラントは都市の外に別にあるらしい。

 農業プラントと畜産プラントは見学したことがない。映像で学んだだけだ。AIを搭載したロボットが管理し、畜産物や収穫したものを都市に運び込む。何かトラブルが発生した時は、人がフルダイブ型のVRを使ってそのロボットを操作し、対処すると言う。駿は授業で習った程度のことしか知らなかった。

 工業フロアは、ロボットと人の手が入っていた。ここも中学生のころ、見学したことはある。あるが、たいして興味がなかったので、何があったかもう忘れていた。

 商業フロアは色々な物を売る店や娯楽施設があり、繁華街となっていた。

 高校生になると、見学はなくなり、ひたすら勉強だ。毎日宿題との格闘だ。とはいえ、高校も二年目となると、駿もそれなりに手を抜く方法を心得ていた。

 講義の度に憩いのフロアへ行き、気もそぞろに受けるのも、その心得の一つだ。

 それとは別に、気分転換の気晴らしも必要だ。駿のそれは、カンフー映画の観賞だ。それも旧世代の香港映画だ。一番のお気に入りはカンフーの達人、ウォン・フェイウォンの人生を描いた、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナだ。

 他にも、イップマンや、さらに古い木人拳、太極拳、少林寺三十六房なども観ている。木人拳、太極拳、酔拳など、拳法の名前を冠した映画は、かなり古いらしい。

 カンフー映画を観ると、胸の奥が熱くなり、自分もカンフーを使いたくなる。だが、運動神経が並程度の駿には難しそうだった。

 それでも映画を観れば、気分は晴れやかになり、ストレスもどこかへ消えてくれるのだった。

 駿は数日前、通信教育でいけ好かない教授に絡まれた。その憂さ晴らしをきっかけに、雄太に教えられたVSG3と言うゲームを始めることになった。

 駿はゲームセンターに入ったことがなかった。一度は気後れし、諦めもしたのだが、駿の住む共同宿舎の住人、サクチャイ・シングワンチャーと出会い、彼に連れて行ってもらった。

 今でも一人では足が向かない。が、サクチャイの方は気楽に駿を誘いだしてくれるので、すでに何度か通っている。

 今日も宿舎に戻り、サクチャイに出会えば、誘われるだろう。誘われれば、断らない。一人では行けなくても、行きたくないわけではなかった。むしろ、行きたい気持ちが日増しに強くなっていた。



  2


 地下都市の最下層に近い居住フロアに降り立つと、駿は動く歩道に乗った。

 空は相変わらず、抜けるような青さをしている。これで日差しがあれば、心地いいのかもしれない。あるいは、授業で習ったように、肌を焼かれ、生活に困るのかもしれない。

 授業では、都市の外は人の生活できる環境ではないと言う。空の青さを見ると、外は害があると言う授業の内容が、どうしても理解できなかった。

 住人が都市の外に出ることはできない。閉鎖された空間だ。この都市に入るときに通った入り口はあるものの、駿が持つIDでは開けることができない。つまりは出ることができないのだった。

 駿が漠然と外のことを考えていると、反対側の、中央の柱へ向かう歩道に、ポニーテールの少女が乗って近づいてきた。黒ぶちのメガネをかけ、脛まであるスカートを穿いている。ややうつむき加減に動く歩道に乗っていた。姿勢正しく立つ姿は、どこか生真面目さがにじみ出ているように見えた。

 少女が近づくにつれ、どこかで見覚えのある顔に思えた。

 歩道の速度に合わせ、二人がすれ違う。その横顔を見た瞬間、駿は一つの記憶に思い当たった。

 数日前、いけ好かない教授に絡まれた時、果敢にも教授に抗議してくれた少女だ。名前は雄太が言っていたように思うが、覚えていない。彼女のおかげで、駿は助かった。でなければ、単位を一つ落とすところだったのだ。

 お礼を言わなければと、振り向いた。が、離れて行く少女の背中に、かける言葉が思いつかない。そうこうしている間に遠く離れてしまい、機会を逸してしまう。

 焦ることはない。思いがけず、同じ都市に住むと分かったのだ。いつかまた出会うことがあるだろう。その時には必ずお礼を言おうと、駿は決意していた。

 駿の住む共同宿舎に入ると、サクチャイが待ち構えていた。

「お帰り!さあ、行くよ!」

 サクチャイは言うが早いか、駿の手を取って外に連れ出そうとしていた。細い腕なのに、力強い。

「え?行くってどこに?」

 駿は聞くまでもないと思ったが、思わずそう口走っていた。抵抗せず、後について行く。

 サクチャイは当然だと言わんばかりに、駿の予想通りの行き先を告げた。駿は来た道を戻ることになる。

「シュンは知っているかい?今度、新しいVR用ギアが出るって」

 道すがら、サクチャイはその話題を持ち出した。最近巷で多くのCMが流れているし、ニュースにもなっていたので、駿も知っていた。どういう機能があるのかなど、詳しいことは調べていないので知らない。

「そのギア、VSG3にも対応だよ!」

 対戦格闘ゲーム、VSG3は今のところ、ゲームセンターでしかできない。ボックスタイプのフルダイブ型VRマシンが必要で、そのような高価なものを自前で用意できる人は、ほぼいない。まして学生の駿たちには不可能と言ってよかった。

「買うの?」

「買いたいけれど、高いよ!」

 サクチャイが告げた値段は、とても手の出るものではなかった。

 駿には毎月、どこかから振り込みがある。そのお金で日々暮らしており、若干の小遣い程度の余裕もある。だが、そんなはした金を少々貯めたところで、買える代物ではなかった。

「僕らには高根の花だね」

「そうそう、高い花!」

 サクチャイは日本語が達者だが、時々おかしくなる。駿は指摘せず、聞き流すのだった。ただ、ゲーム内になると、なぜか断然言葉がうまくなる。

 そのことを以前に聞いたことがある。サクチャイはこともなげに答えた。

「あのゲーム、優秀。みんなが母国語で語り合って、聞くのは自分の言葉になる!すばらしい翻訳!」

 駿はそれを聞いて納得した。同時に、疑問に思うことがあった。

「じゃあ、ヤマトタケルって、何語を話しているんだろう?」

 ヤマトタケルのキャラクター名で、侍を名乗る、少々ずれた人だ。日本人であれば歴史で習って、ヤマトタケルは古代の人で、侍は江戸時代のものだと知っている。彼はそれを知らない人、だから外国の人ではないか。彼とはゲーム内で再々会ううちに、友人のようになっていた。

「タケルはアメリカ人ね」

 サクチャイはさらりと答えていた。なぜ知っているのかと尋ねると、ヤマトタケルは一度だけ大会に出場したことがあり、その時、アメリカの代表メンバーだったのだと言った。

 目的のゲームセンターが見えてきたところで、サクチャイがおもむろに言った。

「紅いコウガには気を付けて」

「紅いコウガ?」

「そう」

「あのNPCの一番弱い奴?」

「うん。たまに、紅い奴が出るんだよ」

「弱いんじゃないの?しょせんコウガだし」

「ところがどっこいしょ。シュンは今、何人目まで行ける?」

「うーん、ワルキューレに勝てないな」

「六人目ね。じゃあ、シュンは紅いコウガに勝てない」

「そんなに?」

「そう。それに、紅い奴に負けると能力値が下がるペナルティがあるから、戦わないことだね」

「何それ!能力値、上げられないよね?このゲーム」

「うん。だから、紅い奴に負けると最悪だよ。出会ったら、とにかく逃げて、誰かに対戦を申し込めば、どこかへ行ってくれるよ」

「分った」

 駿はそう答えて、一つ疑問が浮かんだ。

「その紅いの、次に誰かを襲うんじゃない?」

「そうだね。不運だね。その人」

 サクチャイの軽い答えに、駿は驚いた。

「でも、大抵は、ヤマトタケルやランスロットが退治してくれるよ」

 サクチャイのその言葉で、軽く言った意味が理解できた気がした。

「まあ、僕くらいになると、自分でも倒せるけどね!」

「自慢かい!」

 駿のツッコミに、サクチャイの明るい笑い声が返ってきた。



  3


 駿は自分が作ったキャラクターの、ウォン・フェイフォンの目を通して、その景色を見ていた。

 板が張り巡らされた桟橋の上だ。波がちゃぷちゃぷと打ち付けている。少し離れたに砂浜も見えた。桟橋には小さなボートが係留されている。

 足元が波で上下に動く。視界も同じように上下した。駿には初めての経験で、若干、胸の奥に違和感があった。

「酔ったのかい?」

 隣に立っているモモタロウが駿の顔を覗き込んで聞いていた。

「酔う?」

「船に乗ったりすると、小刻みに揺れて、気分が悪くなるんだ。それを酔うと言うよ。胃の中のものが…リバースするよ」

「そうなんだ…。そこまでではないかな」

「ならよかった」

 二人の前に、全身黒ずくめに鉄の爪をつけた男が倒れていた。ダーククローと言う名のプレイヤーキャラクターだ。

「次は勝つからな!」

 ダーククローはそう言い残して、消えた。

「君たち、すっかり友達だね」

 モモタロウが言う。

「だって、ログインしたら必ず戦うだろう?勝率もほぼ五分。いいライバルだね」

 モモタロウが言うとおり、ダーククローとはほぼ毎回対戦していた。今回は駿が勝ったもの、前回は負けている。勝っては負け、負けては勝つ、ということを繰り返していた。

 ダーククローは、最初こそは無言で襲ってきたものの、次からは対戦しようぜ、などと現れた。

「雌雄を決しよう!」

 そう言って戦ったこともあるが、勝敗は五分だ。

「今日は俺が勝つ!」

「今日も勝って差をつけてやる!」

 などとダーククローは言う。しっかりと勝敗を記憶しているようで、それに応じた文言を言っているようだ。

 最初こそは卑劣そうな顔に見えたダーククローも、馴染んでみると、切れ長の目をした色男だった。ゲームの中のキャラクターなのだから、わざと不細工にする必要もないだろう。大抵の人が、美男美女に設定していた。中には、モモタロウのように、本人そのものと言う顔もあったが、これは例外だ。

 ダーククローは見た目とは裏腹に、正々堂々と戦った。もちろん、フェイントなどの技術は多用する。さらに、長身をバネのように伸縮させるあの独特の間合いは読み難いうえに、黒い衣装に隠れて、鉄の爪の出所が分からない。とても厄介な使い手だ。黒い体の中から突如として鉄の爪が伸びてくると、頭の芯が凍り付くほどだ。その攻撃で、何度やられたことか。

 ダーククローは独特な戦闘スタイル、と言うだけで、不意をついたり、目つぶしをしたりと言った細工は一切しなかった。なので、彼と戦った後は、勝っても負けても、清々しい思いを、駿は味わう。

 ダーククローの欠点は、負けると、初心者狩りに出かけて憂さ晴らしをすることだ。駿も初めての時は、餌食に選ばれたのだった。

「あいつ、今頃初心者いじめに行ってるかな」

 駿はそう言って笑った。

 今では駿も良きライバルとの思いが強く、ダーククローの悪癖を笑って見過ごしていた。

 遠くの砂浜で、誰かが戦っているのが見えた。片方はスカート姿の女性のようだ。

「お!対戦やってる!行ってみよう」

 モモタロウはそう言うが早いか、板張りの桟橋を走って砂浜を目指した。

 二人が砂浜にたどり着くと、勝敗はすでに決していた。勝者はスカート姿の女性だ。名前はJKの桃子と表示された。

「JK…?」

 駿は疑問が口についていた。

「女子高生、だったかな?」

 モモタロウに言われてみれば、確かに、その女性の姿は、昔の資料で見たセーラー服そのものだ。

「桃子の勝利!」

 JKの桃子は可愛らしい声で言い、ガッツポーズを決めていた。

「ご老公!今日も調子がよさそうだね!」

 モモタロウはこともあろうに、少女を捕まえて、ご老公と呼ばわった。

「なんじゃ、モモタロウか」

 少女の声が一気に低くなっていた。が、隣に駿がいるのを見つけると、再び可愛らしい声に戻り、キャラクター名を名乗った。

 駿も名乗り返す。ゲームの中とはいえ、女の子と言葉を交わすのは、緊張を強いられた。駿はちゃんと答えられたのか、怖くなった。

「新人君?」

「だよ。期待の新人!」

 モモタロウが代わりに返事をした。

 桃子は駿を下から覗きこんだ。目が合うと、駿は心臓が跳ね上がるのを感じた。異性に覗き込まれるのが、どうしてこれほど緊張を強いられるのだろう。なのに、どうして、もっと見つめられたいと思うのだろう。

「ご老公。幼気な少年をもてあそんじゃいけないよ」

「もてあそんでなどおらん!ちょっと反応が面白いだけじゃ!」

 桃子が手を腰に当てて怒鳴った。その格好も可愛らしい。

「それをもてあそぶと言う」

「なんじゃと!貴様!わしの軍門に下してやろうか!」

「やってもいいけど、勝負は見えているよ?」

 桃子はモモタロウを睨みつけていたが、顔を反らした。

「かわいげのない奴じゃ!」

 駿は桃子の言葉尻がどうもおかしいと思いつつも、それはそれでかわいいと感じていた。

「後でモモタロウのところへ行くからな!」

「いいよ。いつものだね」

 桃子はモモタロウの返事も聞かず、去っていった。去り際に、駿にウィンクしてみせた。

「フェイフォン…。顔赤いよ」

 桃子の後姿を見送っていた駿に、モモタロウが言い放った。

「リアルを見たら、がっかりするよ」

「うそだ!がっかりするものか!」

 駿は反感を覚え、食い下がった。そして、ふと疑問もよぎる。

「リアルを知っているの?」

「うん。ご近所さんだし、時々来るよ」

「しょ、紹介して!」

「いいけど、ショック受けるよ」

 モモタロウは妙なことを言う。あんなかわいい声の持ち主に、がっかりするはずがない。駿はそう思った。が、言い返すのはやめた。と言うより、言い返す間がなかった。

 遠くから、誰かが声を上げていた。

 声の方に振り向くと、波を打ち砕く岩場の上に、丸い大きなものがいた。それが小さな手を振りながら近づいてくる。

「何あれ?」

 ゲーム歴の長いモモタロウですら、驚いている様子だ。それほど、異質なキャラクターなのだろう。

 丸いものは、そのキャラクターの大きな頭だった。頭頂部に毛が三本だけ立っている。胴体、手足は短い。まるで誰かのいたずら書きのようだ。

 駿はそのキャラクターを初めてみるが、中身は知っていた。学友の渡辺一志だ。少し前にVSG3の話になり、互いにプレイしていることが分かると、ゲーム内で会おうと言う話になった。

「俺のキャラクターは独特だから、すぐに分かるよ」

 一志はそう請け負った。確かに、独特だ。名前も教わっていた通り、玉吉だ。分かっていても、疑問を口に出さずにはいられない。

「何なのそれ」

 目の前まで来た玉吉を捕まえ、駿はそう言って笑った。

「俺も分からん。UMAだ。多分、外宇宙から来た」

「わけわからん」

「そして、騎士だ!」

 玉吉はどこからか、西洋風の剣を取り出し、盾と一緒に構えてみせた。盾の後ろに体は隠れるものの、大きな丸い頭は一切隠れていない。

「意味不明!」

 駿は笑い転げていた。モモタロウも一緒になって笑っている。

「フェイフォンの友人?面白い子だね!」

 モモタロウはひとしきり笑うとそう言ってキャラクター名を名乗った。

「おお!あの有名なモモタロウ氏!お会いできて光栄です」

 玉吉が大きな頭を傾けた。そのまま頭が砂浜に落ちた。小さな手足をばたつかせて転がる。

 モモタロウは笑いながらも、玉吉に手を貸して立たせた。

「ありがとう!」

「どういたしまして!」

「笑かしてくれる…」

 駿は相変わらず、笑い転げていた。

「いいだろう!」

「おう!」

 駿はお腹を押さえて、もう一度玉吉を見た。

「シンクロ率70パー?すげー」

 玉吉の名前の下に表示された数字は、思いのほか高かった。

「ん?シンクロ率?」

「あ、うん。隠しパラメータ。それが高いほど、強いんだって」

「え?それ、どうやって見るの?」

 駿は答えに困った。ヤマトタケルが見られるようにしてくれたが、一応、データ改造に当たるはずだ。運営が見逃しているとはいえ、あまり人に広めるわけにもいかないだろう。

「なぜか見えるんだ」

 説得力に欠ける言い訳をしていた。だが、玉吉は根が素直なのか、あっさりと信じた。

「とにかく、せっかくだし。対戦しようぜ!」

 玉吉の提案に乗り、駿は戦ってみたが、あっさりと負けた。



  4


 その日はサクチャイがいなかった。宿舎の部屋を訪ねても、返事がない。駿は迷ったものの、VSG3をプレイしたいばかりに、ついに、一人でゲームセンターを訪れた。

 駿としてはかなり勇気が必要だったものの、何とか中に入ることができた。ゲームセンターの三階にたどり着けば、そこは、ここ最近、ずいぶん馴染んでいる場所だ。ボックス型の筐体が並んでいる。

 ひとりで来た心細さはあったものの、プレイしたい気持ちの方が勝り、順番待ちでそわそわしていた。

 やっと順番が回ってきてログインすると、さっそくダーククローから呼び出しがかかった。呼び出しておいて、どこからともなくすぐ現れるダーククローだった。負け越しているときは、大体彼からやってくる。

 駿は、今日こそは勝ち星を増やす、と秘かに意気込んでいたものの、その意気込みが裏目に出たのか、僅差で負けてしまった。

 負けたので一度ボックスを出て、再び順番待ちの列に並ぶ。

 列の前方に三人ほどのグループがいた。なかなか前に進まなかったり、ガムの包みをそのあたりに投げたりと、マナーの悪い集団だ。そういう集団を見ると、ゲームセンターに対するイメージの悪さが、正しかったようにも思えた。

 一度、三人と目が合ったように思う。駿は目を反らし、できるだけ見ないようにした。

 再び順番が回ってきた。

 駿はログインして、コウガをいじめようと身構えていると、大男に対戦を求められた。

 大男はにやにやと意味ありげに笑っている。

 視界の隅に何かが動いたような気がした。すると、いきなり背中に強烈な痛みを感じ、砂地に突っ伏した。

 駿は草むらに転がり込むと急いで立ち上がった。そこへ大きな拳が迫っていた。草むらを転がって避けると、今度は先ほどよりも小さな拳が、反対側から迫っていた。

 避けられない。駿はとっさにそう思うと、その拳に自分の拳を鋭く打ち込んだ。相手が仰け反った瞬間に、その背後へ滑り込んだ。

 仰け反っているのは背の小さな男だった。駿が小男の背後に回り込みながら辺りを見渡すと、大男が小男を挟んだ間際に迫っていた。

 駿は考える前に体が動いていた。小男の背中に向かって鞭のようにしなる拳を数発打ち込み、小男を大男にぶつけた。そのまま小男を追って連打を浴びせ続けた。

 大男も巻き込まれ、後ろに飛ばされている。

 駿は軸足を起点に蹴りを数発打ち込み、さらに追いすがって空中に飛ぶと、小男めがけて両足から飛び込んだ。そのまま影の追い付かない蹴りの連打を浴びせた。

 突如として左腕に痛みを感じたかと思うと、草むらの上に転がっていた。

 三人目がいたのだ。三人目は細身の拳法家のようだ。空中に蹴りだした足が、鎌首を向ける蛇のように見えた。

 小男は倒れたまま動かない。大男はまだふらついていた。

 駿は跳ね起きると拳法家に向かった。拳法家の蹴り足をかいくぐって懐へ飛び込む。鞭のようにしなる拳の連打を、無防備な腹部へ打ち込み、相手の上体を空中へ弾き飛ばした。

 ふいに横から飛び込んできた大男の拳を下から払うようにいなし、こちらにも鞭がしなるような拳の連打を浴びせた。さすがに大男の体は浮き上がらない。

 駿は腰を据え、さらなる強打を打ち込んだ。連打にしたかったが、視界の隅に何かが動いたのを見たので、後ろに飛び下がった。

 拳法家が、先ほどまで駿がいた場所に蹴りこんだ。その向きが悪く、蹴り足が大男をとらえていた。大男はそれで倒れ、起き上がらない。

 拳法家はしまったと叫んで、棒立ちになった。駿はその瞬間を見逃さず、一気に詰め寄ると、鞭のようにしなる拳の連打を叩きこみ、連続蹴りにつなげ、はじけ飛んだところを追いすがって無影脚を浴びせた。

 三人とも倒れたまま動かない。

「ちきしょう!覚えてやがれ!」

 捨て台詞だけは聞こえた。

 三人の体が消えるまで、駿の緊張は解けなかった。まさか三対一の対戦ができるとは、思いもしていなかった。そして息をつく間も、考える暇すらもなく、戦った。

 駿は今になって恐怖を感じていた。手足が震え、立っていられない。草むらに、崩れるように座った。

 よくも勝てたものだと、駿は自分でも感心していた。とっさによく動けたものだ。日々、ダーククローと対戦していたおかげかもしれない。

 ダーククローとの戦いは、一瞬の隙に連打を入れた方が勝つ。瞬発力がものを言った。そのおかげで、一瞬の隙から連打を浴びせる勝ちパターンと言うものが出来上がっていた。

 ダーククローにお礼を言いたい気分だった。

 その後のNPCとの対戦は気が抜けたのか、散々な結果だった。いつもは楽勝のミーナに負けた。三人目で負けたのは初めてではないか。

 駿は手足の震えが治まらないので、今日はこれで切り上げることにした。

 ゲームセンターを出て大きなため息を一つ漏らした。やっと震えも治まってきて、歩くことはできる。さあ帰ろうと一歩踏み出したところで、三人の男に囲まれた。

「ちょっとツラかせや」

 比較的体格のいい男がそう言うと、残りの二人が問答無用で駿の両脇を抱え、あっという間に裏路地へ連れ込まれた。

「ウォン・フェイフォンはてめえだな」

 最初の男が断定的にそう言った。

「いい気になってんじゃねえぞ!」

 そういう叫び声を聞いたのと、左頬に強い痛みを感じたのが、同時だった。両脇を抱えられていて、駿に逃げ場はない。

 左右の男はどちらも気味の悪い薄ら笑いを浮かべていた。

 お腹に強烈な痛みを感じ、呼吸ができなくなる。駿はなすすべもなく、殴られ続けた。

 殴っていた男が、駿のポーチに入っていたノート型PCを手に取っていた。

「こんな旧式、大事そうに持ちやがって!ありがたく思いな!俺が新しいの買えるようにしてやるよ!」

 男はノート型PCを持ち上げ、地面に投げつけようとでもいうのか。

 そのPCは父親の手作りだ。父はPCを残し、姿を消した。このPCが唯一の、父親とのつながりだ。これを壊されたら、二度と会えないような気がしてならなかった。

「やめろ!」

 駿は息絶え絶えの声で、かろうじて言った。

「はいそうですかって止めるわけねぇだろうが!」

「止めた方がいいと思うよ」

 新たな声が路地に響いた。体格のいい男は駿のノート型PCを持ち上げたまま、動きを止め、声の主を見ていた。

「警察を呼んだからもうすぐ来る」

 声の主は路地の入口にいるのだろう。駿には背後になり、見えなかった。

 体格のいい男は構わずノート型PCを投げようとする。

「監視カメラはここにもあるよ。それを壊したら、君ら、追放処分は確定だ」

 声の主は、淡々と指摘していた。

 体格のいい男は、裏路地ならば監視はないと思っていたのだろう。だが、指摘され、不安になったようで、振り上げた手を動かしては止めた。

「そろそろ警察が到着する」

 声の主がそう言ったのが合図だった。駿の両脇を固めていた男たちがわれ先に逃げ出し、体格のいい男もノート型PCを、倒れた駿に投げつけると逃げていった。

 PCは駿のお腹の上でバウンドし、危なく地面に落ちるところだったが、かろうじて捕まえることができた。モニターを引き起こしてみても、ヒビなどの異常はなかった。

 駿が安堵できたのも束の間で、顔とお腹の痛みがぶり返していた。

 小柄な青年が駿の前に立っていた。大丈夫かと、手を差し伸べてくれた。駿は頷くと、その手を取って立ち上がった。

「警察は来ないよ」

 青年はそう言うと、さっさと逃げた方がいいと言った。

 先ほどの三人が戻ってきても面倒だ。駿はお礼を言うと、路地から出た。

 これだからゲームセンターは怖い。駿はそう思いながら、ふらつく足で帰っていった。



  5


 駿が襲われたことを聞きつけると、サクチャイが珍しく怒りをあらわにした。

「次に会ったら、僕が倒してやるよ!」

 サクチャイはそう言って、ムエタイの型を演じてみせた。試合には勝ったことがないと言うが、それでもサクチャイの動きは鋭かった。だから安心して、一緒にゲームセンターへ行こうと言う。

 駿はそれでもしばらくはゲームセンターへ足を向けることができなかった。

 一月ほどたって、駿はやっと、もう一度行ってみる気持ちになった。サクチャイの陰に隠れるようについて行く。

 ゲームセンターでは、例の三人組には出くわさなかった。駿の緊張がややほぐれたところで、順番待ちの中に小柄な青年が見えた。先日助けてくれた青年だ。

 駿は青年と目が合うと、会釈した。青年は軽く手を挙げて答えた。

「知り合い?」

 サクチャイが尋ねていた。

「この前、あの人が助けてくれた」

 駿が答えると、サクチャイは列を離れて青年の元へ駆け寄り、何やら声をかけていた。にこやかに戻ってくると、再び駿と並んだ。

「シュンを助けてくれてありがとうと伝えたよ。気にするなだって。後、対戦しようって」

 サクチャイはそう言って白い歯を見せた。駿は幸せなのかもしれない。サクチャイのようないい人は、そうそういないだろう。とてもいい人と巡り会えたものだ。サクチャイが隣にいるからこそ、気後れするゲームセンターにも来ることができたのだ。

 駿は思わず涙ぐんでしまった。それを隠すようにそっぽを向いて、何気ない風を装ってお礼を述べた。

 駿がログインすると、さっそく対戦の申し込みが来た。名前を見ると、ダーククローだ。どこかで見張ってでもいるかのように、駿がログインするとやってくる。

 駿がいつもの草原に立っていると、黒ずくめの男が現れた。モモタロウもやってくる。

「久しぶりだな!怖気づいたかと思ったぞ!」

 ダーククローがやや離れたところから言った。駿は返す言葉がなかった。ダーククローに怖気づいたわけではないが、ゲームセンターそのものには怖気づいていた。当たらずとも遠からずである。

 モモタロウは駿の傍にやってくると、ダーククローも目の前まで迫った。

「彼があの青年だよ」

 モモタロウがダーククローを指示して言った。

 駿は一瞬、誰のことを言っているのか分からなかった。ふと、先ほどの、行列での出来事を思い出した。

 駿は素っ頓狂な声を上げて、ダーククローを指差していた。小柄な青年とは、対照的に背が高いダーククロー。二人のイメージがうまく重ならなかった。

「何だよおい。背が違い過ぎるとでも言いたいのか?」

 ダーククローが不服そうな声を上げた。

「全然イメージが…」

 駿はそう言いかけて、止めた。代わりに先日助けてもらったお礼を、改めて言った。

「もう気にするな。あの手の残念な手合いがどうしてもいるが、ゲーム自体は嫌いにならないで欲しい」

 ダーククローはそう言って、貴重な対戦相手だからな、と呟いた。

「今度から僕がちゃんと守るよ!」

 モモタロウも請け負った。

 駿は嬉しかった。ゲームの中で、外で、この人たちに出会えてよかった。彼らがいるから、またこのゲームをやってみたくなる。

「ちゃんとけりをつけないとね!」

 駿はお礼の代わりに、そう答えた。

 この日の対戦は、久しぶりということもあって、駿が負けた。ダーククローは上機嫌で、また会おうなどと言って去っていった。

 駿が再びログインすると、今度はセーラー服姿の桃子が現れた。

「お久しぶり!」

 桃子は相変わらずの可愛らしい声でそう言った。やや腰を屈めて下から駿の顔を見上げている。その視線に駿の胸は熱くなった。空に飛んでいけそうなほどだ。

「ご老公!」

 モモタロウも挨拶していた。

「今日また行くからの」

 桃子はモモタロウへそう言うと、駿に対戦を申し込んできた。

 こんなかわいい子とまともに戦えるかなと思いながらも、駿は受けた。

 駿はいつものように、鞭のようにしなる拳を相手の胸にはなった。が、当てる寸前で止めた。その拳が、微かに柔らかいものに触れた。思わず後ろに飛び退いていた。

 駿が謝ると、桃子は微笑んだ。

 桃子が構えを崩し、無防備になる。隙だらけの桃子に向かって駿は飛び込むものの、どこを打っていいのか、どこに触ってはいけないのか、訳が分からなくなった。

 胸は明らかにまずい。二の腕も妙に柔らかく、打ち据える気にはなれなかった。拳が当たる寸前で弱め、触れただけだ。

 女の子の腹部を狙う訳にもいかないだろう。顔はなおのことだ。足は、と思い当たって駿が見ると、スカートの下に素足がのぞいていた。ほんのり赤みを帯びた素足を、駿は直視することができない。

 勝負どころではなかった。駿は打つ手なしで、目を泳がせつつ、間合いを取るしかなかった。

 桃子は意味ありげにほほ笑むと、自分のスカートをつまんで見せた。太腿があらわになっていく。

「ま、まずいって!」

 駿は何か色々口走ったような気がするのだが、自分でも何を言ったのか覚えがない。頭の中は真っ白だった。なのに、スカートの裾に目が向く。

 桃子はじらすようにスカートを引き上げていった。あと少し、そう思っていると、駿の目の前がブラックアウトした。

 何が起こったのか訳が分からずにいると、合成音が、身体の異常を検知したと告げていた。上唇の辺りに何かが触れている。触れてみると、鼻血だった。

 駿が鼻血の処理を終えて再びゲームに戻ると、桃子とモモタロウが待ち構えていた。そして二人とも、駿を指差して大笑いしている。

「初めて見たよ!悩殺KO!」

「わしの色香もなかなかのものじゃの!」

 桃子がしなを作ってみせた。そして片足を軽く上げている。

 駿は慌てて視線をそらした。再び強制終了になっては困る。ただでさえ恥ずかしい思いをしているのに、二度も同じことを繰り返せば、何を言われるか分かったものではない。

「うぶな少年じゃのう」

「それが若さでしょ。ご老公」

 外野の声がうるさいが、言い返す言葉もなかった。



  6


 サクチャイと連れ立って宿舎へ戻ると、桃子のプレイヤーが来ると言うので、駿は大いに期待して待ちわびた。あの可愛らしい声の持ち主の、本来の姿が拝めるのだ。この機を逃す手はない。

 ゲームキャラクターのように愛らしい顔をした少女に違いない。駿はそう思うと、顔が赤くなった。キャラクターの胸に触れただけなのに、プレイヤーの胸に触れたことがあるような気持ちになって、気恥ずかしい。

 あの愛くるしい目で下から覗きこまれると、頭がくらくらする。駿にはそれが心地よかった。またあの目で覗き込まれるかと思うと、胸がうずいた。

 駿が鼻を膨らませて待ちわびている。サクチャイはその隣で、口に手を当てて笑いをこらえている様子だった。

 その人物が桃子だと分かった瞬間、駿は開いた口がふさがらなくなった。足の力が抜け、崩れ落ちる。

 初めは関係のない人が来たと思っていた。サクチャイと気さくに話すので、彼の知り合いだろうと思っていただけだ。ところが、サクチャイがその人物のことをご老公と呼んだがために、大きな疑問が沸き起こった。

 駿が物問いたげに二人を見つめていると、その人物は意味ありげに笑ってみせた。

「わしの色香に気付いたかの?」

 その人物は山科源次郎と名乗った。九十歳を超えた、小柄な老人だ。源次郎が、桃子のプレイヤーだったのだ。

「詐欺だ!あの声は!」

 駿はやっとのことで抗議の声を上げていた。

「ああ、あの声は、素敵じゃろ?」

「この爺さん、自前でボックス筐体持っていて、声色を変えるソフトを入れてるよ。悪趣味だよ」

「ボイスチェンジャー?そんな、あんなに肉声っぽいのに…」

「いいソフトがあるものじゃろ?わしのお気に入りじゃ」

「詐欺だ!」

 駿のボキャブラリーは極端に少なくなった。同じ言葉を繰り返すだけだ。期待が大きかっただけに、ショックも計り知れようと言うものだ。

 老人と友人は、駿の様子を見て大笑いする。薄情な人たちだと、駿は思わずにいられない。

「まずは風呂じゃな」

 源次郎は勝手知ったる我が家のように、宿舎の共同風呂へ向かった。

「ここの風呂は大きくていい。この都市はどこも温泉をひいているとはいえ、温泉はやはり大浴場でなければいかん」

 源次郎は上機嫌にそう言いながら、入っていった。

 駿はふてくされていたものの、一緒にどうかと誘われ、ついて行った。どのみち、風呂には入らなければならない。

 時間が少し早いのか、風呂にはまだ誰もいなかった。

 源次郎は一番風呂につかると、大きなため息を漏らした。

「これじゃこれじゃ」

 上機嫌に鼻歌まで混じっている。

「隔離された都市で、唯一、これだけがいいところじゃの」

 サクチャイは浅黒い、思いのほか引き締まった体をゆっくりと湯船に付けた。

「地下深くから水をくみ上げてるから、温泉なんだね。さすが日本人」

「え?これって温泉なの?」

 駿も湯船につかりながら、お湯を手ですくった。

「そうじゃ。ちゃんと効能もどこかに貼ってあるぞ。何より、風呂につかると、肌がつやつやするじゃろう?」

 源次郎はそう言ってしわだらけの腕を上げ、みずみずしいなどと言って腕をさすった。

「においもあるよ」

 サクチャイに言われ、風呂の湯のにおいをかいでみる。確かに、ほのかに、何かのにおいがするようだ。

「おっと失礼」

「爺さんの屁のにおいか!」

 サクチャイは言うが早いか、腕を振り回してにおいを拡散させていた。

「温泉は日本人の魂じゃ」

 源次郎はそう言って、風呂の縁に体を預けた。

「お前さん方には、まだ分からんじゃろうな」

 源次郎の言葉尻が、さみしそうに聞こえた。

「お前さん方に分かる日本の魂と言えば、アニメやゲームじゃの」

「それなら分かるよ。憧れのきっかけも、アニメだもの」

「今もゲームにハマっておるからの」

「ご老公も昔からゲームを?」

 源次郎の姿を見た後であれば、駿もご老公と呼ぶことに抵抗はなかった。

 駿の質問に、源次郎は即答しなかった。どこか遠くを見る目をしてしばらく中空を眺めた後、ゆっくりと答えた。

「わしは定年後に始めたの。そのころ、フルダイブ型のVRマシンが初登場しての。世間で話題じゃった」

 源次郎は遠い目つきのまま語った。

「VR元年から十年ほどたったころじゃったな。瞬く間にVR技術が世に進出していったが、当時、わしは興味がなかった。ところがフルダイブ型が登場すると、リアルさが半端ないそうでな。死に別れた家内の映像にダイブするつもりで体験したのじゃよ」

 意外に重い話をさらりと言ってのけた。言われた方のサクチャイも駿も、かける言葉がない。

「若かりし頃の家内と、久しぶりにデートしたものじゃ。あれはいいの。わしもすっかり若返ったわ」

「それがどういう訳でゲームに?」

「家内の姿で、家内の声で、キャラクターが動いておると、家内が生きておるように見えるじゃろ」

「え、じゃあ、あの桃子って…」

「家内じゃ。美人じゃろう?あれの胸はわしを虜にした」

「爺さん、そっちネタは…少年の害!」

「おお、すまなんだ」

 駿は開いた口が塞がらない。が、詳しい内容を聞いてみたい気もしていた。口に出して尋ねる勇気はなかったが。

「わしはこれでもゲーム歴が長いぞ。VSGも初代からやっておる」

「フルダイブ型の初期は、色々事件もあったんじゃ?」

 駿は授業で習った話を持ち出した。スケベな話を聞きたかったが、聞く勇気はなかった。内心を悟られないように、何とか普通の質問をしたかった。

「そうじゃの。脳波を遮断して、体の自由が奪われた状態を、盗撮したり、いたずらしたり、チョメチョメしたり…」

 授業絡みのまじめな質問だったはずが、なぜか怪しげな答えになっていた。

「人のサガじゃの。まあ、しまいには殺人事件も起きて、フルダイブ型はしばらく立ち消えしたの」

「そう言えば、その頃って、世界中で行方不明が出たと言うよ。フルダイブ型のVRに入ってそのまま帰ってこないとか」

「そう言う噂もあったの。確かに行方不明が出ておる。VRプレイ後の足取りがないらしいの」

「SNSではフルダイブ型VRマシンが異世界の扉だったって…」

 駿がSNSの噂を言うと、サクチャイがおかしな反応を示していた。

「異世界召喚ネタ!」

「そう言うアニメのジャンルがあったのじゃ。もちろんわしは見ておらんぞ。ゲーム内でそういう話があった気がするだけじゃ。わし、ゲーム内ではモテモテじゃからの」

「シュンも悩殺されたものね!」

 サクチャイはそう言って笑った。源次郎も愉快そうに笑っている。

「じゃが、あれはわしの家内じゃ。やらんぞ」

「手出ししませんて」

「出せないものね」

 サクチャイは即座にそう言ってさらに笑った。

「サクチャイはその頃は?」

 駿は話を変えたくて、尋ねた。

「そのころ?まだ幼いころだね。ゲームも知らないよ。ムエタイにもまだ興味を持っていなかっただろうね」

「少年はまだ生まれておらんな」

「はい」

「フルダイブ型はそのまま消えてしまうかに思われたが、IT崩壊事件の一年前かの。VSGのベータ版と共に復活したのじゃ。これがとてつもない没入感を味わえるということで、瞬く間に流行ったのじゃ」

「噂では何でもできたとか聞くよ」

「そうじゃ。仮想世界でズッコンバッコンもできたようじゃ」

「ズッコンバッコン?」

 駿がオウム返しに尋ねると、なぜか老人が腰を振ってみせた。風呂の湯が波打つ。

「男女のそういうことね。シュンにはまだ早いよ。爺さん、出禁になるよ」

「すまんすまん」

 駿もなんとなく理解できた。顔が熱いのは、風呂のせいばかりではなさそうだ。

「さて、少年は上がった方がよさそうじゃ。のぼせる前に上がりなさい」

 駿の顔が赤い様子に、源次郎は心配したようだ。だが、駿もすぐには出ることができなかった。反応してしまった下半身が落ち着くのを所在なさげに待ち、恥ずかしさでさらに赤くなっていた。



  7


 源次郎はサクチャイの部屋で、サクチャイのマッサージを受けた。それがいつもの用事らしい。

 風呂の後のマッサージは格別だと、源次郎は気持ちよさげにうめいていた。

「アルバイトだよ」

 サクチャイはそう言って老人に奉仕した。

「それに、ご老公の部屋に行けば、ただでVSGやらせてもらえるもの!」

「いいなぁ」

「そのうち、遊びに来るといい」

 うらやむ駿に、源次郎はこともなげに招待していた。

「少年はどうしてVSGを始めようと思ったのかの?」

「友達に誘われたんです。でもそいつ、キャラ名教えない…。だから、大会で会って倒してやるって…」

「ああ、それで前に大会がどうのって言ってたのね」

 サクチャイが老人の体をほぐしながら言った。

「うん。でも、一ヶ月行かなかったから、もう大会すぎちゃったでしょ」

「あれは毎月あるのぉ。その友人は同じ都市にいるのかの?」

「いいえ」

「なら、逃しても問題なしじゃ。二ヶ月後にある大会が、全国大会への切符じゃからの」

「え?そうなの?」

「そだよ。都市内の大会は毎月あるけど、世界大会目指すものは、二ヶ月後だよ」

「世界大会?」

「強い奴がうようよおるぞ。このモモタロウも、そこに名を連ねる猛者じゃ」

「ご老公は全国大会常連だよ」

「そんなに強いんだ…。今度、ご指導願います」

「いいよ。でも、シュン、ご老公の指導は受けられそうもないね」

 駿はうめくしかない。桃子と言う可愛らしいキャラクターは、中身が目の前の老人だと分かっても、攻撃できる自信はなかった。

「女性キャラの参加者も多いぞ。それで勝ち進められるかの?」

「ご指南ください…」

 駿は頼むしかない。

「NPCのミーナには勝てるのにね」

「あれは…女の子と認識してなかったから…」

「次は負けるかもしれんの」

 源次郎はそう言って笑った。サクチャイも同意して笑う。

 駿は否定しようとしたが、できなかった。NPCでも女性と認識してしまったら、手が出せないかもしれない。女性の柔らかい体の、どこを攻撃できると言うのか。触るのも躊躇されると言うのに。

「でも、それ、いいことね」

 サクチャイは請け負った。

「シンクロ率上げるには、そういう反応も役立つよ」

「そうなんだ…」

「強くなるには、弱さを知らねばならん。弱さを知れば、自分が弱いと知る。再び強くなると、また別の弱さを知る。人はそうやって強くなっていくものじゃ」

 源次郎がもっともらしく言う。駿には理解しきれないことだった。

「ところで少年よ」

 源次郎がくぐもった声で聞いた。顔がマットに埋まっている。

「どこかで戦い方を習ったのかの?モモタロウは母国でムエタイを習った。それを使ってゲーム内で戦っておる」

「ご老公は長年かけて修行した喧嘩拳法ね」

 二人が互いの戦い方について、説明した。

「僕は運動神経も鈍いから…。昔のカンフー映画が好きで、その動きをやってみたくて」

「なるほど。ジャッキー・チェンか?」

 源次郎は自分が思い当たる人物を上げた。駿は思い当たらず、オウム返し聞いた。

「確か、成龍だったかの」

「ああ、それなら…えっと、酔拳とか、木人拳もだったかな?」

「そうそう、それじゃ。なかなか詳しそうじゃの。木人拳を上げるとは…」

「そうなの?」

「まだ無名のころの作品じゃからの。ジャッキー・チェンは日本でも人気で、色々テレビで放送されておった」

 源次郎の声に、どこか哀愁の色が漂っていた。

 もしかしたら、亡くなった奥さんとの思いでもあるのかもしれないと、駿は思った。

「しかし、ジャッキー・チェンの戦い方とは少々違うようじゃの」

「え、ああ、うん。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナって映画を参考にしてます」

「長い名前じゃ…。覚えがないのぉ。誰が出ておる?」

「えっと、リー・リンチェイだったかな?」

「リー?」

 源次郎はしばらく押し黙った後、大きな声を出した。何かに思い当たった様子だ。

「ジェット・リーじゃ。ジャッキー・チェンのようにハリウッド進出した俳優じゃな」

「ご老公、映画に詳しいの?」

 サクチャイも話に加わる。体全体を使って、老人の肩をもみほぐしていた。

「家内が好きだったものでな」

 源次郎が答えた。

「よく二人で映画館に通ったものじゃ。必ずパンフレットと、ポップコーンを買う。二人で同じポップコーンをつまみながら見ておったわ。時折、ポップコーンをつまむつもりが、妻の手をつまんでおってな。二人して顔を見合わせて、笑ったものじゃ」

 駿にはかける言葉がなかった。何気なく答える源次郎の言葉が、妙な重みをもっているように聞こえていた。

「いい奥さんだったんだね。いい旦那さんだったんだね」

 サクチャイの声も、どこかいつもと違う。そう思ったのも束の間で、次には元の明るい声に戻っていた。

「その奥さんの体を使って、エロイことやってるね」

「するか!大事な家内の体を、他所の男に触らせてなるものか!」

「えーでも、初期は色々で来たって言ってたよ」

「あれは、別キャラじゃ!桃子は誰にも渡さん!」

「やっぱりやってるね。エロ爺」

「やかまし…痛い痛い!もっと老体をいたわらんか!」

「何をおっしゃいますやら。ご老公はまだまだ健在でございまする」

 サクチャイが容赦なく、源次郎の腰を強めにもみほぐしていた。

 しばらく、源次郎のうめき声が響き渡った。



  8


 駿がゲームにログインすると、そこは普段と違う場所だった。普段ならば、草原か、街中か、桟橋付近に出る。

 ところが、目の前には殺風景な岩場が広がっていた。急斜面の中腹だ。下の方には広大な景色が広がり、それはそれでずっと眺めていたいほどきれいな場所だ。

 上は空が近い。この先は火口になっている。煙は見えなかった。

 背後で砂の鳴る音がした。

 振り向くと、NPCのコウガがいた。

 なんだ、普通に始まるじゃないか。駿がそう思ったのも束の間である。いつものコウガと違っている。

 体が赤黒く、胴着も紅い。

「紅いコウガには気を付けて」

 サクチャイの言葉が思い出された。彼は逃げてとも言っていた。しかし、逃げ場は、コウガがふさいでいる。

 駿は半身に身構えた。

 もうだいぶゲームに慣れてきた。もしかしたら、勝てるかもしれない。駿はそう考え、戦う決心をしていた。

 紅いコウガは見る間に間合いを詰めると、通常のコウガと同じように、正拳突きを出した。

 駿はいつものように前に出ている右腕で払うようにいなした。ところが、その腕がはじかれる。袖も散り散りに破けた。

 駿は慌てて後ろに飛び退き、正拳突きが当たるのを避けた。腕を見ると、触れた部分が赤くなっている。破れた袖が邪魔なので、肩口から引っ張ってちぎった。

 再び半身に構え、むき出しの右腕で迎え撃つ。今度ははじかれないように強めに行ったが、それでもわずかに軌道を反らせただけだった。

 駿のHPゲージが少しずつ削られている。

 三度迎え撃つ。今度は削られることも覚悟の上だ。そして紅いコウガの攻撃をいなすと同時に前へ踏み出し、右肘を打ち込んだ。さらに肘を回して裏拳を当て、逆手の拳を打ち込んだ。

 だが、紅いコウガは動じていなかった。ダメージを受けながらも、腰を回転させ、上段蹴りを放ってきた。

 駿はとっさに左腕でガードしたものの、弾き飛ばされてしまう。岩場をすべるように着地して振り向くと、紅いコウガが猛然と走りこんできた。

 駿が左腕で攻撃を受けると、袖がはじけるように破れた。紅いコウガの重たい攻撃を何とか避け、後ろに跳躍して間合いを取った。

 紅いコウガと一瞬、見つめ合う形になった。

 駿はゆっくりと、左の袖も引きちぎった。それを敵に向かって投げつけると、空に跳躍した。

 紅いコウガは駿の飛び蹴りを、両腕を交差して防ぐと、まだ空中にいる駿に向かって足を蹴り上げた。

 駿は紅いコウガを踏み台にして空中に逃れ、体をひねって着地しようとした。その瞬間に、視界の外から、紅い拳が迫った。無理に体をひねって避けようとしても、避けきれず、駿の額を割った。

 駿は片膝をついて着地すると、痛む額を押さえながら、紅いコウガを探した。

 後ろで砂が鳴る。

 駿は前に向かって転がった。ものすごい風切り音が、すぐ後ろで聞こえていた。

 岩場を転がりながら向きを変え、駿は紅いコウガを視界にとらえた。

 駿のHPゲージが、残り三分の一もない。いつの間にか、かなり削られていたようだ。

 駿は、迫りくる紅いコウガに向かって、地を這うような蹴りをお見舞いした。コウガは読んでいたかのようにジャンプし、空中から正拳突きを出した。

 駿は体を回転させて正拳突きを避けると、その勢いのまま回り、回し蹴りをお見舞いした。

 打たれ強い紅いコウガもさすがに横へ弾け飛んだ。だが、駿は意識していなかったために、追い打ちができなかった。

 紅いコウガが勢いよく立ち上がる。地面を爆発させるような突進で、瞬時に駿に迫った。気付いたら目の前に紅い拳があった。避けることも、ガードすることもできない。

 駿はその瞬間、負けを理解した。同時に、もう一度戦えば、勝てるのではないかとも考えていた。

 目の前が暗くなり、ボックス筐体の座席に戻った。このまま続けたいところだが、順番待ちの後ろに並ぶのがマナーだ。駿は転げるようにボックスから出ると、急いで最後尾に並んだ。

 巨大モニターに、紅いコウガが映し出されている。その足元に、まだウォン・フェイフォンが倒れ、KOの文字が浮いていた。

 列に並んだものの、一向に前に進まない。駿が前を見ると、皆が巨大モニターを凝視して、ひそひそと話し合っていた。

 紅いコウガを恐れ、誰もログインしたがらないのだ。

「もう一度やってもいい?」

 駿が恐る恐る声を上げると、誰かがどうぞと答えた。何人かは頷いていた。誰かが、あれとやりたいのか、などとも言っていたが、駿は気にせずに、空いているボックス筐体に駆け込んだ。

 駿が再びログインすると、先ほどと同じ、岩場に出た。倒れた場所、そのままだ。

 ただ、破れていた袖は元通りに直っている。どこか異常はないかと急いで確認したものの、分かる範囲では何も変化がなかった。

 紅いコウガが、背中越しにこちらを見ている。たくましい背中だ。気迫だけで駿を押し込もうとしていた。

「今度は勝つ!」

 相手はNPCだ。駿が宣言しても、反応はしない。ただ、ゆっくりと向き直り、身構えた。

 本当はモモタロウがやってくるのを待つべきなのかもしれない。何とか逃げ出すべきなのかもしれない。そもそもすぐにログインすべきではなかったのかもしれない。駿の頭の中に次々とよぎる。

 駿は頭を振って考えを払うと、いつものように半身に構えた。右の掌を上に向けて構え、指を動かして、来い、と伝える。相手はNPCなので、そんなことをしなくてもかかってくるのだが、自分の気持ちを高ぶらせるために、やりたかった。

 映画で見たワンシーンそのものだ。主人公もそうやって、悠然と待ち構えた。指導してやると言わんばかりのあの構えに、憧れた。

 紅いコウガが正拳突きを放った。少々の力でははじかれることが分かっている。駿は腰を据え、全力でいなすと、さらに体を沈めて肘打ちを放った。

 コウガの体がわずかに揺らぐ。

 駿は先の対戦と同じように、肘を伸ばして裏拳につなげた。

 コウガの腰が回転を始めていた。その回転を止めるように、腰へ鞭がしなるような拳を叩きこむ。

 コウガの肩が動いた。動いた肩を押し戻すように、的確に、そして全力の拳を打ち込んでいく。

 モグラ叩きのように、相手の僅かな動きに合わせて封じ込めていく。僅かなずれ、ミスも、命取りになるだろう。そこからコウガの強烈な攻撃を食らい、あっという間に形勢を逆転されてしまう。

 駿は全神経を集中させた。無心で、ひとつずつ、動きを封じていく。

 紅いコウガの上体が、僅かに仰け反った。駿の執拗な攻撃に、たまりかねたのかもしれない。

 駿はその瞬間を逃さなかった。さらに間合いを詰め、鞭がしなるような拳の連打を叩きこんだ。無数の連打を浴びせると、さすがのコウガも大きく仰け反った。

 駿は追いかけるように飛び込み、片足を軸にした蹴りの連打を浴びせた。宙にあげた足がものすごい勢いで回転し、連打を浴びせる。

 ついに、コウガの体が後ろへ弾け飛んだ。

 だが、駿はここで攻勢を緩めるわけにはいかない。一気にたたみかけるつもりで、追いすがると、影も追いつけない蹴りの連打を浴びせた。

 紅いコウガが地面に落ちるまで続けた。それでも、敵のHPを削り切れていない。

 なんて硬さだ。駿はそう思いながらも、さらなる追い打ちをかけた。空中に飛び上がると、地面に倒れたコウガへ向かって落下し、その勢いのまま、無影脚を放った。

 岩に挟まれ、逃げ場のない紅いコウガは、蹴りが入る度にけいれんするかのように動いた。

 駿はいつまで続ければ終わるのだろうと、思いながらも、懸命に足を動かした。少しでもコウガのHPが残れば、そこから逆転されかねない。ここでとどめを刺させなければ、勝敗は分からないのだ。

 不思議な感覚だった。そこはゲームの世界と割り切っていた。自分の体を動かしているわけではないと理解していた。なのに、息が切れたのだ。

 息が続かない。駿は戸惑いつつも、紅いコウガの傍に倒れこんだ。体が言うことを聞かず、別の何かのように重く、沈み込んでいた。

 駿は負けを覚悟した。紅いコウガが起き上がり、いまにも自分を蹴り飛ばすだろう。

 視界が暗く、辺りを見渡すこともできない。

 駿は覚悟を決め、その瞬間を待った。

 だが、待てども何も起きなかった。

 呼吸が整ってくると、視界に光が差した。殺風景な岩肌が見える。

 駿は慌てて紅いコウガを探した。最初はそれに気づかなかった。何かあると思い、見直しても、理解が追い付かない。しばらく見つめて、やっとその物体が、紅いコウガであると気付けた。

 紅いコウガは死んだように、岩場に倒れこんでいた。空を睨みつけ、岩に背中がめり込んでいる。

 それでもまだ、駿は理解しきれていなかった。

 紅いコウガの上の空中に、KOの二文字が踊っていた。その横に、カウントされたヒット数が輝いている。

 KOを見て、一時置いて、駿は理解した。

「勝ったんだ…」

 駿が呟くと、急に実感が押し寄せてきた。

 今までで一番の難敵だった。勝てたこと自体が不思議だ。あれに勝てると思って再ログインしたことを、後悔もしていた。

 しかし、勝てた。

 駿は片膝をついて、小さくガッツポーズを決めた。

 この手で、この足で、難敵を倒せた。その達成感が押し寄せて、駿を包み込んだ。

 体に力が入らない。まだしばらく動けそうになかったが、これだけの偉業を成し遂げたのだ。もう少し余韻に浸っていてもいいだろう。駿は戦いの軌跡をかみしめるように、空を仰いだ。


注記:

作中に登場する、玉吉は、渡辺氏による創作キャラクターです。著者である私が関わった、別のもので作っていただいたものを、無断でこちらに使わせていただきました。また、玉吉のプレイヤーとして、渡辺氏の名前を変えて登場させました。こちらもご本人の了承を得ていませんので、問題が発生した場合、キャラ名、設定を変更する場合があります。

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