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サイバーレイン  作者: ばぼびぃ
15/26

異変の始まり

  1


 大本駿はふらふらと、サラリーマン風の二人組の後をついて歩いていた。

 山科源次郎のひ孫に、変な奴について行くなと言われたばかりなのに、思わず二人の後を追っていた。

 二人は、四十代と二十代の男性だ。年配の方が若い方に向かって、お前VSGやってただろうと問いかけていたのを、駿は通りすがりに聞きつけ、会話を盗み聞きしていた。

「ええ、やってますよ。なぜ分かったんです?」

「この前の外回りで、ゲームセンターのVRコーナーに入るのを見かけた」

「ああ、あれは、あの、すみません」

「いやいや。約束の時間に間に合うのなら、空き時間の調整に関しては文句言わんよ」

「すみません」

「いいって。俺だって最近の子供は何を喜ぶか、ゲームセンターやおもちゃ屋を回ったりするからな」

「お子さんに?」

「上の男の子がもうすぐ誕生日なんだ」

「おいくつでしたっけ?」

「十歳になる」

「おめでとうございます」

「ありがとう。だけど、プレゼントが悩みどころなんだ」

「うーん、VRゲーム遊んでいる子もいるので、VRギアもありっちゃありですね」

「そうか?」

「でも今VSGはまともに遊べませんよ」

「ニュースで見たぞ。確か、対戦相手を倒してアカウントを奪う…」

「そうなんですよ。僕も恐ろしくてしばらく遊んでなくて」

「VRゲームは他にもいろいろあるんだろう?」

「ありますよ。MMORPGなんかいっぱいあり過ぎて困るくらいですよ」

「戦争ものとかもある」

「もちろん。サバゲー感覚でできるものから、本格的なものまで」

「情操教育によろしくなさそうだ」

「ハハハ。それ言い出したら、大抵のゲームはアウトですよ」

「そうか」

 年配の男も一緒に笑った。二人の向かう先におもちゃ屋が見えた。

「おもちゃ屋でいいものがありますよ」

 若い方が前方の店を見つけて言いだした。

「男の子が喜ぶロボット。それも、脳波で思い通りに動かせるってものですよ」

「おお、コマーシャルで見たぞ」

「ヘッドセットで脳波を読み取って対象を動かすので、ロボットでなくてもいいんですけどね」

「ドローンも確か」

「ですです。で、今、フリーリーが流行ってるんですよ」

「フリーリー?」

「体長約二十センチの人型ロボットで、ちゃんと二足歩行できますよ。それどころか、慣れればペンをとって字を書かせたり、そのサイズでできそうなことはなんだって可能です。例えば、体操選手のようなこともできたりします」

「面白そうだな」

「最近はもっぱら、フリーリー使って対戦格闘するのが流行ってますけど、脳波コントロールに慣れれば、何だってできる優れものですからね」

「対戦格闘ってことは、ロボット同士で戦うのか?いいな。二つ買って、子供と遊べそうだ。ロボットと言えば、やっぱり悪のロボットと戦ったり、怪獣と戦ったりするものな」

「昔のアニメか何かですか?」

「実写の映画でもあったんだぞ」

 二人がおもちゃ屋の店頭にたどり着くと、さっそくショーウィンドウに飾ってある小さなロボットを指差していた。

「これか」

「そうそう。うわ、これ、オリジナルカスタマイズかも」

「カスタマイズ?」

「そうなんです。ロボットの素材も色々あって、まあ値段次第なんですけど、安いのはPP素材がメインです。壊れ難くするために、強い負荷がかかったら自動的にパーツが切り離されるんですよ。それを利用して、どこかのパーツが外れた方が負けとか、動けなくなったら負けとかって感じで」

「ふーん」

 年配の男性は気のない返事を返していた。対して若い男性は生き生きと話していた。

「フレームや外装なんかも色々パーツを換えられるんです。それによって、力重視とか、素早さ重視とか、耐久性重視とか、色々設定ができて」

「これはPPではなさそうだな」

「ええ。最軽量素材だと思うので、素早さ重視の設定でしょうね。でも素早さ重視の設定でまともに稼働できているものは見たことがないです」

「それはどうしてだ?」

「まず、軽すぎて、少々の衝撃でパーツが外れること。それと、速さに耐えられず、分解するんです」

「それは…意味ないじゃないか」

「そうなんです。なんで、力重視とかタフさを追求する人が多いですね」

「価格は?」

「素材も追及したら、うん十万しちゃいます。フリーリー一体で数百万かけたものとか、ネットで動画アップされてますよ」

「十歳の子供だぞ。そんな高価なおもちゃを与えられるものか」

「そうですね。PP素材のものなら、一万も必要なかったかと。覗いてみます?」

「ヘッドセットは別だろう?」

「別ですね」

 年配の男が腕時計を確認した。

「うーん、まあ、参考までに見ておくか」

 まだ時間に余裕があったようだ。二人が連れ立って店に入った。

 駿もショーウィンドウに近づいて小さな人型ロボットを見た。

 今朝、空き地で子供たちが遊んでいたものと同じようだ。素材は明らかにこちらの方がいい。

 駿もロボットを見た途端に気持ちが高ぶった。このロボットを操って、自在に動かせたら、楽しいに違いない。

 二人の会話から、安いものもあると聞こえたので、買いたくなっていた。買ってどうするわけでもないのだが、ちょっとくらいいいだろうと思えた。

 VSGの話題は早々に終わっていたのに、最後まで二人の会話を聞いていたのは、このロボットに興味があったからに他ならない。

 ショーウィンドウの向こう、店の奥が見えた。小さな広場があり、四角く仕切ってある。そこで先ほどの二人が、見本のロボットを並べ、ヘッドセットをつけて試していた。

 年配の男性が試すと、ロボットが一歩目でバランスを崩して転んだ。

「難しいな!」

 大きな声で、ガラス越しでも聞こえた。しかし顔は笑っていて、童心に返ったように若々しく見えた。

 若い方が試すと、歩いたり走ったりできた。経験者だったのかもしれない。

 店員らしい、前掛けを付けた若い男性が駿のいるショーウィンドウの方へ目を向けた。駿と目が合う。すると微笑んで、駿に手招きをしていた。

 駿がどうしようかと戸惑っているうちに、店員が外まで迎えに出た。

「試しに遊んでみなよ。ほら、おいで」

 店員が入り口を大きく開け、手を振って促した。

 よっぽど物欲しそうに眺めていたに違いない。だから誘われたのだ。駿は恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、好奇心に負けた。

「よし、この基本セットを買う!」

 年配の男性が意気揚々と宣言していた。値段を確認するだけのはずが、彼も即決していた。

「プレゼントが決まってよかったですね」

「ああ。プレゼント包装を頼めますか?」

 レジ前で別の店員に質問していた。

 駿は迎え入れてくれた店員に案内され、店奥の広場に行った。そこに試供品の印をつけた小さなロボットが待っていた。

 ロボットが駿を見上げ、指示を待っている。

「このヘッドセットをつけて、動作を思い描くんだ。うまくいったら、思い通りにそのフリーリーが動いてくれるよ」

 若い店員がヘッドセットを差し出した。

 額の端から後頭部を通って反対の額の端まで、銀色の輪がつながっている。耳の位置の少し後ろに、小さな機械が付いていた。

 駿は店員からヘッドセットを受け取って装着した。VRギアよりはるかに軽い。視界を奪われることもない。

「VRギアとだいぶ違うね」

 駿は思わず感想を述べていた。

「機能もだいぶ違うよ。VRギアは脳波を双方向でやり取りするけど、これは読み取るだけ。だから、動かす対象を見ていないと、どうなったか分からなくなっちゃう」

 駿はしゃがみ込んでロボットを見た。飾り気のないシンプルなものだ。

 手を上げて。

 試しに頭の中で呟いてみた。すると、ロボットの右手がわずかに動いた。

 VRギアを使って、ウォン・フェイフォンを操ったように、このフリーリーも操れるのではないか。漠然とそう感じたので、駿は思い切って想像してみた。

 フリーリーがわずかに足を開き、右手、右足を前に出した。半身に構えている。

 右手をしならせて拳を振り、足を蹴りだした。上体をやや後方に傾け、蹴り上げた足がフリーリーの頭の高さまで、真っ直ぐに上がっていた。バランスを崩すこともなく、片足で立っている。

 駿の思い描いたとおりに動いた。

「すごい!あれ?もしかして、経験者だった?」

 横で若い店員が驚いていた。

「いいえ。初めて」

「うそだろ。初めてであんな動きもできるのか?」

 年配の男性が大きな紙袋を提げて、駿たちを見ていた。隣の若い男性も驚いている。

「いやいや、いろんなフリーリーの大会も見たけど、こんな滑らかな動きはそうそうお目にかかれませんよ」

 駿は特にすごいことをやったつもりもないので、面映かった。それでも褒められたのは嬉しくて、サービス精神旺盛になった。

 フリーリーは空中の足を下ろすと後方宙返りした。着地と同時に向きを変え、走り込んで後ろ回し蹴りした。

 身体を一回転させ、再び走る。広場の端の壁に向かって飛び上がり、壁を蹴ってさらに飛び上がると、宙返りして着地した。

 周りがどよめいた。拍手も沸き起こっていた。



  2


 周りに人が増えていた。店に入るときにも出会わなかった年配の店員が、いつの間にか駿を見つめていた。

「あ、店長!この子凄いですよ!」

 駿を招き入れた店員が興奮した様子で声をかけた。

「ああ。大会でもなかなか見られない動きだ。最後の着地は普通ならパーツが外れるぞ」

 広場の中ほどで、フリーリーが着地の体勢のままうずくまっていた。どのパーツも外れた様子はない。

「ねえ君、どうやったの?」

 若い店員が聞いてきた。

 その後ろで、俺の息子も慣れたらあんな動き出来るようになるのかな、などと言いながら、サラリーマン風の二人が店を出て行った。

「さっきの動きは格闘技だな?君は何かやってるのかい?」

 店長が駿の前にしゃがみこんで尋ねた。

「いいえ。VSGで遊んでたくらいで、後は何も」

「VSG?」

「VRの格闘ゲームですよ。だから格闘技だったんだね」

 若い店員が補足説明した。

「なるほど。俺もこれが出てから色々修行して、やったこともない体操選手の動きまでできるようになった」

 店長がヘッドセットを貸してみろと言うので、駿は頭から外して差し出した。

 店長が装着すると、フリーリーが立ち上がった。ふりをつけるように小さくジャンプし、両手を振り上げながら駆け出した。手の先から地面に倒れ込むと空中に跳ね上がった。身体をひねり、着地する。

 フリーリーの身体が奇麗に伸びて、美しい動作だった。

 店長がため息を漏らしながらヘッドセットを外した。

「これだけに何年修業したことか」

 そう言って苦笑していた。

「フリーリーを使った大会はいくつかあって、体操もあるんだ。チャレンジしてみたいんだが、競技が多すぎて習得できなかった」

 店長は床しかできないとぼやいた。鉄棒や跳馬、吊り輪などすべてがこなせないと大会には出られない。

「君が出るなら、格闘系かな」

 若い店員が言った。

「格闘系も奥が深いぞ」

 店長がフリーリーについてのうんちくを語りながらショーウィンドウに向かった。正直、駿には何を言っているのか理解できなかった。

 店長は飾ってあったフリーリーを手に戻ってくると、ヘッドセットと同期させ、駿にこれを動かしてみてくれと差し出した。

 駿がヘッドセットを装着して、歩くように思い描くと、そのように歩いた。先ほどの試供品と大差がないようだ。

 駿の思い描いたとおり、走り出し、回し蹴りをした。こちらの方が早く動ける。

 店長が試供品のフリーリーを置いた。

「そいつに攻撃して見ろ」

 駿はフリーリーを操った。試供品の懐に滑り込むとしなるような拳を打ち出した。当たったものの、たいした威力はないらしく、試供品はびくともしない。

 試しに大振りで殴り掛かってみると、当たった瞬間に、操っている方の腕が外れた。

「店長、そいつはやっぱり無理ですよ。設定が悪すぎる」

「俺の自信作だぞ」

「でも、誰も扱えないじゃないですか」

 二人のやり取りを聞き流しながら、駿はフリーリーを手に取り、外れた腕を差し込んだ。簡単につながる。

 フリーリーは非常に軽かった。外殻はほぼ飾で、中の機械部分が露出しないようにしているだけのようだ。

 軽いということは、素早く動けるということだ。

 念じると、どんどんと速く走った。試供品よりもはるかに速い。その速さで試供品に当たっても、砕けるのは操っている方だった。

 あまりにももろい。

 駿は散らばったパーツをつなげ直しながら知恵を絞った。

 後ろで、ほら、やっぱり駄目じゃないですか、などと聞こえていた。

 パーツのつなぎ目は弱い。それはこのフリーリーに限らず、試供品にしても、他にしても同じだ。攻撃するなら、そのつなぎ目だろう。

 ただ、普通に攻撃したのでは、威力が足りない。そしてこのフリーリーの耐久力も足りない。

 一つの方法は、すぐに思い描けた。駿の学友でVSG仲間の河原優希を参考にする。彼女の使う太極拳をまねて、相手を投げ飛ばせばいい。

 相手のフリーリーが動かないので、相手の動きを利用した投げ技はできない。それでもフリーリーを操って試供品に取りつかせ、腕をとって背負い投げることはできた。

 フリーリーを操って相手を立たせた。後ろで絶句する声が聞こえたようにも思えたが、駿は自分の考えにのめり込み、気にしていなかった。

 次の方法も、やはり優希の動きを参考にしたものだ。ただ、このフリーリーで身体の回転を使えば、自滅するだけだ。逆に固定する方向で使う。

 試供品から離れ、駆け込みながら掌底を出した。手首、肘、両肩をまっすぐにして、身体で掌底を押し込んだ。

 試供品の腕の付け根に、狙い通り打ち込んだ。

 試供品の腕がはね飛んだ。操っているフリーリーは両肩から手首まで一直線に伸ばして止まっていた。反対の腕はバランスをとるように、脇をしめ、身体に付けていた。

 振り向くと、大人たちが固まっていた。口をあんぐりと開けている。店長はフリーリーを指差してあわあわと何か言っていた。若い店員は口を開けたまま、駿とフリーリーを見比べていた。

「これ、もう少し接続部がしっかりした方がいいと思う」

 駿はヘッドセットを外しながら意見を述べた。

 店長は数秒かかって、やっと返事を返した。

「しかしだな。こいつは素早さ重視で…」

「でも、本当に素早く動いたら、たぶん、それだけでパーツが外れる」

「そんな馬鹿な…」

 駿はもう一度ヘッドセットをつけると、フリーリーにとにかく早く動くよう指示した。

 広場を駆け巡り、動きを速めていく。すると足のパーツが外れて転んだ。

「何だその速さは!」

 店長は足が外れたことよりも、フリーリーの動きに驚いていた。

「そんな速さは大会でも見たことないぞ!」

「え?そういう設定じゃなかったの?」

「いや、そうなんだけどな」

「これをまともに動かせた人がいなかったんだよ」

 若い店員が補足した。

「接続部の強度がもう少しあった方がいいと思う」

「だけどな。今のパーツより少し重いんだ」

「もう少し重い方がバランスはよくなるよ」

 店長はうなり声をあげると、ちょっと待っていろと店の奥に入っていった。

 しばらくして戻ってくる。

「接続部といっても、両肩と股関節だな。それ以外は換えない」

 店長はそう言いながらフリーリーを分解し、持ち出してきた部品と付け換えた。

「もともとこっちも考えたことはあったんだが、軽さを優先していた」

 店長が素早く部品を交換し、フリーリーを立たせた。手で動かすように促している。

 駿はフリーリーを操った。試供品の周りを駆け巡った。速度を上げていく。

 先ほどはここでパーツが外れた。今度は外れることなく、さらに早くなった。

 早い動きのまま、ジグザグに走った。

 試供品に向かって走り込み、急にしゃがみこんで回し蹴りした。地を這う蹴り足が試供品の足を払って倒した。

 操るフリーリーのパーツは外れていない。

 フリーリーが身体を起こし、自分の身体を確認するように見渡していた。

「どうだ?」

 店長が感想を聞きたくてうずうずしていた。

 駿もうずうずしていた。この小さな戦士を欲しくなっていたのだ。フェイフォンのように自在に操れるのがいい。

 フェイフォンと違って視界が自分のままなので、少し物足りなさはある。このフリーリーの身体ではカンフーもすべてを使えるわけではない。

 それでも、自在に操れる感覚は得も言われぬものがあった。

「いいです。あの、これ、いくらくらいします?」

 値段を聞いてみるくらいは良いだろう。

「何?欲しいのか?そいつはパーツ代だけでも百届くぞ」

「百って…」

「百万だ」

 駿の預金残高は最近、一桁増えていた。だが、それでも足りない。そもそもこんな高額な買い物をしている場合ではなかった。

 駿は暮らしていた地下都市、北東京より脱出し、今は目的地も住む場所もないのだ。無駄金を使っている場合ではない。

「子供の小遣いで買える代物じゃないな」

 店長は笑いながら、駿からヘッドセットを受け取った。

「しかし、非常に参考になったし、いいものを見せてもらった。もしも買えるようになったらおいで。値引きしてあげるからな」

 店長は空約束をして、フリーリーをショーウィンドウに戻した。



  3


 その日、サクチャイは久しぶりの仕事に出ていた。サクチャイの仕事はトラブルが発生しない限り何もない。代わりに、トラブルが発生すると、解決できるまで帰宅が許されず、何日も缶詰にされることもあった。

 サクチャイは会社の管理センターへ入ると部屋の隅にあるVRマシンに乗り込んだ。

 AIによって作動しているロボットの一つにフルダイブし、作業を行う。

 一昔前であれば、VRゴーグルと、手に色々な装置を付け、ロボットを遠隔操作したが、その装置類をVRマシン一台で担っている。ロボットのセンサーから得られる情報を、肌で知覚したように、操縦者の脳波にフィードバックする。

 これによって、ロボットを自分の身体のように使うことができた。人の入ることのできない管理区域などで活躍する。

 例えば、放射能などの人に害のある環境での作業が、この遠隔操作によって可能になった。また、小さなロボットを作ることで、人の入り込めない狭い場所での作業も可能にした。

 サクチャイの会社が管理しているのは農作物のプラントだ。さして危険はない。だが、虫や必要のないバクテリアや培養したくない菌の侵入を防ぐため、生物が入り込めないように隔離され、管理されている。

 プラント内で作業するのは無機物のロボットである。植物の世話から作物の収穫、機器のメンテナンスに至るまで、AIを搭載したロボットに行わせていた。

 そのロボットでは対処しきれない事態が発生した時、サクチャイのような社員が呼び出された。

 作物の病気などのトラブルの場合は、サクチャイは呼ばれない。彼が呼ばれるのは機械類のトラブルである。

 今回は作業用のロボット一体が暴走しているので、速やかに停止させ、農作物の被害を最小限に抑えることだ。場合によってはそのロボットの修理まで面倒を見るのだが、今回は原因の調査があるので、止めるまででよかった。

 ロボットは制御を失い、キャタピラを全速力で回転させ、農場を駆け巡っていた。農作物を踏みつけて道を開拓していた。

『どうだい?止められそうかい?』

 オペレーターの声が耳元で聞こえた。

「あれ、壊してもいいの?」

 サクチャイは暴走ロボットをあれ呼ばわりして聞いた。

『最悪の手段だね』

「人が戦車に立ち向かうようなものだよ」

 サクチャイもそう言い返した。ダイブした機械の身体を自由に動かし、準備運動している。

 普段はAIによって万事の管理業務にあたるロボットだ。この管理ロボットは特別に二足歩行の人型である。あらゆる工程をこなせるように、人型を採用していた。

 他のロボットは、大部分が足の代わりにキャタピラが付いている。上半身がアームだけのものも存在した。担当する作業に特化した形をしているのだ。

 今暴走しているものは、上半身は人型だ。両腕を振り回して駆け巡っている。取りついて停止ボタンを押そうにも、その振り回されている腕が邪魔だ。そしてキャタピラ移動だが、思いのほか速い。

 サクチャイの視界に映し出された対象物の情報から、走って追いつける速度ではないことが分かった。

 サクチャイは暴走ロボットの進路を予測し、先回りした。そして向かってきたロボットを、飛び膝蹴りで歓迎した。

 鈍い衝突音とともに、オペレーターのうめき声が聞こえた。

 サクチャイはかまわず、膝蹴りからの落下を利用し、暴走ロボットを踏み倒すと、素早く停止ボタンを踏みつけた。

「終わったよ」

 サクチャイはこともなげに告げる。

 オペレーターは無言だった。ぶつけて止めたことを咎めているのだ。

 サクチャイは気にせず、ロボットの制御をAIに戻して、自分の身体に戻った。

「誰が壊していいと言った!」

 サクチャイがVRマシンから出ると、怒鳴り声が迎えた。管理センターのチーフだ。

「迅速に処理しました。作物の被害は最小ですよ」

「ロボットの修理代にいくらかかると思っているんだ!」

「どのみち壊れているのだから、同じことだよ」

「チーフ。停止が一分遅くなるごとに、これだけの損害が出ます」

 怒鳴りつけようとしていたチーフの機先を制するように、若い女性が資料を差し出した。チーフはホログラムの資料に目を通していくうちに、サクチャイへの怒りを収めた。思っていたよりも被害が甚大だったようだ。

「お前があのロボットの修理を行え!…と言いたいところだが、お前に客が来ている」

 チーフが不承不承に告げた。

「しかしだ。ロボットも作物も両方守って解決する道を探るのも、お前の仕事だ。次は頼むぞ」

 チーフはちゃっかりと指導も行うと、管理モニターの前に戻った。次々に指示を出していく。

 故障ロボットを回収し、故障の原因を調べる。荒らされた農地の再整備。それらの段取りを事細かく指示していた。

 サクチャイは資料を差し出した同僚に対して礼を述べると、さっさと退出した。

「見事な膝蹴りだ」

 廊下に出たところで、声がかかった。農業プラントに似つかわしくない巨体が廊下をふさいでいた。大上裕翔だ。彼が客らしい。

 大上はどこかでサクチャイの活躍を見学していたのだろう。

「それはどうも。こんなところで何か捜査でも?」

「サクチャイ・シングワンチャー君。君に内密の頼みがあって訪ねてきた」

 大上はそう告げると、どこか人目のつかない場所はないかと言った。

 サクチャイは仮眠室へ案内した。トラブルが続かない限り利用者のいない部屋だ。案の定、誰もいない真っ暗な部屋だった。今晩辺りは利用者がいるかもしれないが、それはサクチャイにはかかわりのないことだった。

 明かりをつけて入る。

 簡易ベッドが二つあるだけの簡素な部屋だ。

 大上は身体を屈め、斜めになってやっと入った。

「すごいねその体格」

「規格外らしくて、色々困ります」

 大上はそう言って照れ笑いした。

 サクチャイが扉を閉めると、大上は小さなベッドに恐る恐る腰を下ろして説明を始めた。

「大本駿くんが都市外に脱出したのはご存じで?」

 サクチャイは答えなかった。相手は警察官だ。不用意な受け答えはできない。

「ああ、すまない。これは警察としてではないんだ。と言っても信用できないな」

 大上はしばし考えこんで、秘密を打ち明けた。駿の逃亡をほう助したことだ。

「結局、私が教えた場所は使わなかったようで、脱出の様子は確認できなかった。その後も追えていない」

 大上はサクチャイの表情を読んで慌てて付け足した。

「誰が手引きしたかどうかは良いんだ。それよりも、外で大本駿君がトラブルに見舞われた時の手助けをしたい」

 いつも陽気なサクチャイも、この時ばかりは警戒して、あまり口を利かなかった。サクチャイは山科源次郎から駿の脱出劇を聞いていた。そのことを隠し通していた。

 大上はサクチャイの挙動の変化に気付いたが詮索せず、話を進めた。

「彼が都市を出る前にカード型端末を持たせた。それに僅かばかりの資金を入れておいたんだが、先日、全額使われた。場所は埼玉県川口市だ。なぜ川口市なんだ?どうして全額一度に使った?何らかのトラブルにでも巻き込まれたのかもしれない」

 大上は様子を探りたいが、自分が動いては警察内部で疑われかねないと言った。

「そこで君に調べてもらいたい」

「なんで僕に。駿は追われる身でしょ。警察官のあなたが把握しているのなら、追うのは警察でしょ」

「私は大本駿君を逮捕するつもりも本部に知らせるつもりもない。私は逃がしたい。彼が濡れ衣を着せられていることを知っている。権力者の言いなりになるつもりも毛頭ない」

 大上がベッドを叩いた。そして顔を上げると、驚いているサクチャイに一言詫びた。

「私は大本駿を手助けして、彼の父親の大本聖氏と渡りをつけたいと考えている。大本聖氏ならば、息子の無実を証明できるはずだ。それに、VSGのあの惨状を解決できるはずだ」

「それで、駿のダディーを逮捕するの?」

「しない。したくない。だから、警察にも知られてはならない」

 サクチャイは大上の表情を見続けていた。言葉や声の調子、そして表情をとっても、嘘をついているとは思えなかった。

 サクチャイの知らない情報がいくつも出てきて、大上の説明のすべてを理解したわけではない。大上の意図もはっきりしていない。しかし、彼も駿を助けたいと願っていることは間違いなかった。

「僕に頼まなくても、自分で探せるんじゃないの?」

「俺は無理なんだ」

 大上はそう言って警察の動きを説明した。

 大本駿を探して都市内を隈なく探索した結果、どこにもいないことが判明した。

 どのような手段で外に出たのか。外の監視の目にとらえられていない。その方法は何なのか。少年一人でできることではない。

 都市の外に出たという結論はあり得ないことだ。だが、都市内を隈なく探索しても見つからない以上、外に出たと考えるしかなかった。

 そこで警察は捜査の方向性を変え、都市外の探索に当たることになった。大上は都市外探索の一員として行動しなければならない。その場合、絶えずオペレーターが付くので、単独行動がとれないのだ。

 大上が独自行動をとれないので、代わりに行動してくれる人物として、サクチャイに白羽の矢を当てたのだ。

「それで、僕は何をすればいいの?」

「ロボット操作ができる君にしかできないことだ」

 大上はそう前置きをした。

 サクチャイがロボットを遠隔操作して埼玉県川口市で駿を捜索し、探し出す。もしも駿が何かトラブルに巻き込まれていた場合は助け出す。そして警察に捕まらないように逃がすことだ。言葉にすれば簡単そうだ。

「VRを使ってロボットにフルダイブして、外を探索するってことでしょ」

 サクチャイの問いに、大上がそうだと答えた。

「そのロボットは?後VRマシンはどこのを使うの?」

「ロボットは昔押収した物を拝借して使えるように段取りする。VRマシンは、悩みどころだな」

 大上はそう言って腕を組んだ。

「署内のVRマシンは探索で使われる。…VRギアを使えば…」

「ロボットダイブは普通の機械じゃダメだよ。特殊な設定が必要だもの。市販のVRギアはダメだよ」

「何?どの程度のものが必要なんだ?」

「ロボットの遠隔操作って、厳密にはVRではなくて、色々合わさっているんだよ。クロスリアリティって言った方がいいんだけど。VR、AV、AR、MR…」

「その辺りはよく分からん。求められるマシンの性能だけで教えてくれないか?」

「そうだね。ゲームセンターのボックス筐体くらいの性能は必要かも。ギアでもできないことはないけど、色々不具合が起きそうだから」

 サクチャイの説明の後半部分は、大上は聞いていなかった。

「そんなものを持っている個人などいないだろ…」

 大上が悲観的に呟いた言葉に、サクチャイは説明の言葉を途中で切り上げ、ああと声を上げていた。ボックス筐体を持つ個人に心当たりがあったからだ。

「持っている人がいたよ!」

「本当か?使えるのか?」

「うん、大丈夫」

 サクチャイは請け負った後、もう一つの問題点に気付いた。

「でも、僕に監視が付いているから、そこに行ったら問題でしょ」

「ああ、それなら問題ない。捜査方針が変更された。平たく言えば、都市内の監視の必要がなくなった。よって、君たちの監視は解かれる」

 大上が請け負った。

「警察は大本駿君の足取りを追えていない。我々の捜査は、都市周辺から始め、捜索範囲路広げていくことになる」

「じゃあ、捜索の網にかかる前にシュンを見つけて、逃げる手助けをするってことね」

「そうだ。頼めるか?」

「僕はね」

 サクチャイの目が輝いていた。

「ウォン・フェイフォンとちゃんと戦ってみたいんだ」

 まるで返事になっていなかった。だが、大上にはサクチャイの意図が伝わっていた。



  4


 駿が通信教育の講義を受けると、さっそく雄太から通信が入り、不良だとかサボり魔だとか散々なことを言われた。しかし、言葉とは裏腹に、駿が受講しそこなった講義内容をまとめや課題の写しを送り付けてきた。

 思い返せば、雄太との最初の出会いも、課題の写しだった。

「仲間内で回し合いこして楽しようぜ」

 確か、問答無用で課題の写しを送り付けて、雄太はそう言ったものだ。

 あれは高校一年の初めころだった。

 通信制教育なので、モニター越しに顔見せはあっても、それ以上仲良くなることはない。自分から積極的に声をかけない限りは、である。

 雄太は積極的に声をかけ、さっそく仲間を作った。その中に、なぜか駿が巻き込まれた。

 駿は初めこそは何で自分がと訝ったが、次第に雄太に押し切られた。雄太は昔から一方的だ。

 一方的に押し付けられた課題の写しで助かったことも再々ある。また、一方的に上から目線で来られ、反発したことも再々ある。

 VR格闘ゲームに誘ってきたのも雄太だ。誘ったくせに、自分のキャラクターの名前は明かさず、駿を見下していた。

 キャラクターの名前も雄太だったので、言い辛かったのだと、今は理解しているが、当時は高慢な奴だと思い、ゲーム内で倒してやると息巻いたものだ。

 講義を受けている裏で、雄太は直通回線を開き、文句を言い続けている。この文句はきっと、寂しかったとか、心配したぞと素直に言えない、彼の精一杯の心遣いなのだ。その証拠が、同時に送られてきたまとめや課題の写しなのだ。

 雄太の素直じゃない表現に、最近やっと気づけた。それまでは駿も対抗意識を燃やして色々言い返したりしたものだ。

 駿は広い心で雄太の言葉を聞き流した。

「ブツは受け取ったな?」

 雄太が急に改まった。ブツとは送り付けられているファイルのことに違いない。

「受け取ったからには、白状しろ!」

 駿には何のことを問われているのか察しがつかなかった。

「とぼけるなこの野郎!」

「そんな聞き方で分かるかこの野郎!」

 駿も思わず言い返していた。結局はこうなるらしい。

 あまり熱くなり過ぎて、講師に気付かれては困る。講義は双方向でやり取りされている。駿は講師側に音声が流れないように設定した。

 雄太が何やらうなり声をあげていた。

「ずるいぞ!駿!」

「だから何のことだよ!」

「友達がいのない奴だ…」

 今度はすねたように言う。

 面倒くさい奴だと駿は思ってしまった。いつも、この調子で口げんかしては、仲直りして、ということを繰り返してきた。今回は、ブツを受け取ったからには、駿が折れて、辛抱強く相手をしてやるしかない。

「それで、何のことを言ってるの?」

「うわ。そうやって優越感に浸って…」

 雄太の恨み節がさく裂していた。

 駿は雄太が収まるまで、講義の内容に集中していた。

 別の通信が入った。モニターの中の小窓に表示されたポニーテールの少女は駿の友人、河原優希だ。

「無事なのね」

 優希はモニター越しに駿をねめ付け、不満そうにつぶやいた。

 駿は彼女の恨みを買った覚えがない。雄太はどうせ何かの勘違いだろうからいいとしても、彼女の機嫌は取っておいた方がよかった。

「う、うん。何とか無事でやってるよ」

 彼女の怒っている理由に思い当たり、慌てて付け加えた。

「えっと、その、連絡しなくてごめん」

 駿の予測が当たっていたらしい。優希はため息をつくと、目つきを和らげた。

「今どうしているの?」

「ビジネスホテルに滞在してる。今度、フリーリーの大会に出てみないかって誘われて」

「フリーリー?何それ」

「外で流行ってるおもちゃ。フリーリーって名前のミニロボを操るんだ。色々な競技の大会があるんだ」

「あらあら。外の方が楽しそうね」

 優希の声にとげがあるのだが、駿は気付かず、楽しいと答えていた。

「そう。よかったわ。今日の講義が終わったら時間ある?近況をきかせてちょうだい」

 駿が分かったと返事をすると、優希は小窓ごと消えた。

 小窓の一つで、雄太が何か騒いでいた。そう言えば、講義に集中するときに音声を絞っていた。駿はモニターを操作して雄太の音量を調整した。

「無視するな!この野郎!泣いちゃうぞ!いいのか?」

 無視されて雄太がすねていた。

「ごめんごめん。優希から通信が来てて」

 駿の言葉を聞いた途端、雄太が口をパクパクさせた。

「こら!そこ!講義がつまらなくて寝るのは仕方ないにしても…」

 講師が叫んでいた。駿は焦ったものの、自分に言われたのではないとすぐに理解し、安堵した。

 寝ている学友が何人か映し出されていた。

「せめて邪魔しないでもらえるかな?」

 講師の声がしりすぼみに小さくなっていった。最初の勢いを失い、言葉に自信を失いつつあるようだ。

 講義の画面の中に雄太が映し出された。

 雄太は慌てて、すみませんでしたと叫んでいた。講義を映し出している大きな窓と、駿と雄太の通信で開いている小窓の両方で、頭を下げていた。

 誰かが、寝るのも問題でしょと言って笑っていた。同調して数人の笑い声が重なっていた。

 雄太は小窓でひと睨みした後、講義が終わったらまた通信すると告げて消えた。

 言った通り、講義が終わるか終わらないかのうちに、雄太が通信してきた。

 開口一番色々まくし立てているが、まともな言葉になっていない。ところどころ聞き取れた単語は、「なんでおまえ」と「いつのまに」、それと「どうして」だった。

 雄太の変化のタイミングを思い出せば、答えは出てきそうだ。

 駿は不覚にも忘れていたことがあり、今それを思い出した。雄太が優希に思いを寄せていることと、自分を紹介してくれと雄太から頼まれていたことだ。

 それなのに、駿が先に仲良くなって下の名前で呼んでいるのだから、雄太が錯乱するのも分からないでもなかった。

 だからといって、雄太に優希を差し出す気にもなれない。駿はどうしたものかと悩んだ。

 それに、優希のあの有無を言わせないお願いを聞いた以上、早く彼女に通信を入れたかった。何とかして早く切り上げよう。

 だが、雄太は手強かった。感情をフル稼働させ、目まぐるしく訴えかけた。そして諦めなかった。

「頼むよ。友達だろう?」

 涙をためた目で、駿を見つめていた。

 駿が折れるしかなさそうだ。なに、彼女の連絡先を教えたくらいで、どうにかなるものでもない。そう思えた。



  5


「どうなっている!」

 西園寺光隆の怒鳴り声が捜査本部に響き渡った。

「奴は今、堂々と、通信教育にアクセスしていたのだぞ!なぜ居場所を突き止められない!」

「あの、それが、その、どうも、えっと、よく分からないのですが…」

 捜査員の一人がしどろもどろに答えた。

「いいわけは良い!何が起こった!」

「被疑者の使う端末は何か特殊な接続方法をとっています。そのために接続先の特定に至りませんでした」

 別の捜査員が答えた。

「なぜだ!どうしてだ!たかが高校生の使う端末だぞ?どこかのスパイでもあるまい!」

 西園寺の勢いが収まらない。

「そもそも、大本駿の使う端末はそれほど高性能なものだったのか?」

「いいえ。何世代も前のノート型PCです」

「その過去の遺産で、このようなことができるのか!」

「あり得ません」

「そうだ!スパイグッズの最新モデルか?ふざけるな!現実はそんなに甘くない!」

 西園寺は足元を強く踏みしめながら、室内を歩き回っていた。

「それで、怪しいそぶりはなかったのか!」

「被疑者の端末にアクセスできませんでしたので、何も分かりません」

 捜査員の一人がか細い声で報告した。

「ここはネット犯罪取り締まりの最前線ではなかったのか!なんだこの体たらくは!」

 室内の全員が押し黙った。

「それで、他の受講者に怪しいそぶりはないのか?全員の端末チェックはしていたのだろうな?」

「次長」

 大上が静かに呼ばわった。西園寺が吠えるようになんだと答えた。

「他の生徒や講師にしても、捜査対象ではありません。彼らのプライバシーに触れる捜査はできません」

「だからどうした!犯罪者を野放しにしているのだぞ?なりふり構っている場合か!だいたい、奴らは国家に貢献する義務がある!端末の情報を差し出すのが当たり前ではないか!」

「非公式の捜査です。よって、彼らに情報を差し出す義務はありません。また、それを強要するのであれば、こちらが罪に問われます。さらに、我々が追っているのはあくまで被疑者です。犯罪者ではありません。お言葉にお気を付けください」

「貴様!私を愚弄するのか!司法の番人たるこの私を!」

「いいえ。決してそのような…」

「私は全権を委任されて、ここに赴いているのだぞ!」

 西園寺の怒りは収まりそうになかった。

 捜査の全権を握るのは西園寺だ。意見を聞いてもらえないのであれば、それ以上進言すべきことは何もなかった。大上は黙って嵐が過ぎ去るのを待った。


 一方、駿も、嵐に直面していた。

 河原優希という名の嵐である。

 駿が近況報告した時はいつも通りだった。その後しばらくして優希から通信が入り、画面に映し出された彼女の目が、異常に冷たかった。

 開口一番、雄太に連絡先を教えたのと、低い声で尋ねられた。

 駿の返事を聞くと、気圧が下がるように、優希の表情が凍り付き、視線に氷の刃が備わり、声が低く沈んだ。

 そうなると、いくら謝っても、別の話題を振っても、吹きすさぶ風にはじき返されていた。

 面白いからとフリーリーのことを画面に映して紹介しても、それで、と冷たい一言で吹き飛ばされてしまった。

 なす術をなくした駿はひたすら謝り続けた。

「どうしてもってせがまれて、仕方なく…」

「へー。せがまれたら人のアドレス教えるんだ」

 彼女の声が異常に低く、駿は鳥肌が立った。

「あなたにとって、私は野良猫みたいなものだったのかしら?」

「そ、そんなわけないじゃないか」

「どうかしら?友達がどうしても欲しいって言ったら、差し出すのだもの。やっぱり野良猫ね」

 駿に返せる言葉がなかった。ひたすら謝り続けた。フリーリーの操作の練習に出かけたいのだが、途中からそれどころではないと駿も覚っていた。

 彼女の機嫌が直るまで、謝り続けるしかない。

 しかし、駿の心の隅に一つ引っかかっていることがあった。アドレスを人に教えたくらいで、彼女はなぜここまで怒らなければならないのだろうか。その一事が理解できず、理不尽な嵐に翻弄されている気分だった。

 ただ、これを正直に告げたら、彼女の氷の視線で貫かれていただろう。ノート型PCまで凍り付いて使い物にならなかったのではないか。

 駿が珍しく自重したことが、唯一の救いであった。


「次長!被疑者と通信中の端末があります!」

 捜査本部の捜査員が叫び声を上げた。

「相手はどこの誰だ!特定を急げ!」

 大上は訝っていた。大本駿の端末を追跡できていない。ならば、通信中ということも分からないはずだ。

 大上の疑問はすぐに判明した。

「次長の指示通り、追跡していた端末です!河原優希です!」

 西園寺は捜査対象外の人物の端末を、許可なく見張るように、部下に指示していたのだ。これは明らかに違法捜査だが、それを指摘して止まる男ではない。

 大上は別の懸念材料を排除しておく必要が生じた。自分の端末を机の下に出し、サクチャイへ、警告文を送った。

 サクチャイが駿に連絡を取ろうとすれば、西園寺の探索網にかかる可能性がある。そうなると、サクチャイも見張られ、ロボットダイブしている場合ではなくなってしまうからだ。

「会話の内容は?」

「それが、監視対象の声は拾えるのですが、相手の声にジャミングがかかっているようで、全く聞き取れません」

「なんだと!」

 西園寺が悪態をついていた。

 大上は駿の使うノート型PCの作者に感謝していた。おかげでいくばくかの猶予を確保できたのだ。

 監視されている以上、河原優希に警告を発することはできない。そこからぼろが出ないことを祈るしかなかった。

「いいだろう!引き続き河原優希を監視しておけ!いつか尻尾を出すはずだ!逃しはしないぞ!」

 西園寺の声が高らかに響き渡っていた。



  6


「店長。やっぱり手足は指まで動かせるほうがいいです」

「そうか?操作が煩雑になり過ぎて制御できなくなるのではないか?」

「機体の機動性を生かすにはどうしても必要なんです。でも、確かに、普通には操れなくなるかと…」

 駿とホビープラザ鏑木の店長がミニロボを囲んで話し込んでいた。

 店長はたまたま来店した駿が、自慢の高速仕様フリーリーを操ったことにいたく感心し、駿の帰り際に大会へ出てみないかと誘った。

「次の日曜日にフリーリーの格闘大会が開催される。そこに、俺の高速仕様フリーリーで、君が参加してみる気はないか?そこでもしも上位入賞なんてことになれば、フリーリーを一体プレゼントしよう!」

 店長は太っ腹な提案をし、駿が即答でやりたいと答えた結果である。

 駿は店に入った時も、店の名前を知らなかった。店長に名刺を渡されて、初めて知った。

 駿は近くのビジネスホテルに滞在し、通信制教育を受けた後、鏑木の店に訪れてはフリーリーの操作練習を行い、改善点を話し合っていた。

「店長。それ、もう、優勝できても採算合わないんじゃないですか?」

 店内の陳列整理をしていた若い店員が通り掛けにこぼした。店長の道楽で自分たちの給料が減っては困ると考えているのだ。道楽が過ぎて潰れた店は、数多ある。

「いいんだよ。大会出るときはこいつに店の名前を書いて、宣伝する!上位入賞すれば宣伝効果が見込まれる!広告費だ!」

「皮算用が過ぎませんか?」

 店員の警告に、店長は耳を貸さなかった。

「大丈夫だ!駿くんの操作能力があれば、必ず上位入賞できる!」

「それだけつぎ込むってことは、アンリミテッドクラスしか出場できませんよ。あのクラス、メチャクチャですよ」

「どんなのが出るんです?」

 どれほどのものが出るのか駿も気になって尋ねた。すると若い店員がポケットから端末を出して映像を見せた。

 色々なフリーリーを見つけ出しては見せてくれた。その店員もなんだかんだと言いながら、フリーリーが好きでたまらない様子だ。

 フリーリーは人の姿を模して造られ、十分の一スケール、などと謳われている。人々の身長や体格に個体差があるように、フリーリーも色々個体差があった。

 背が高く、横幅もあるフリーリーは、見た目通りパワー重視の戦い方をしていた。

 背が低く細身のフリーリーは小回りの利く動きで相手をほんろうしていく。

 中には鎧で身を包んだようなフリーリーもいた。

「これいいの?」

 駿が疑問を口にする。

「肩関節、股関節が負荷を受けて外れる仕様であれば、問題ないんだ。もしも鎧のためにそれぞれの関節が外れないようになっていたら、それはルール違反」

 店員が説明すると、店長も何かを思い出すように補足した。

「手刀で関節を狙って外す戦い方が流行って、その対策にプロテクターをつけるのが流行ったな」

 目の前のフリーリーは、映像のものと比べると、裸同然だ。

「こいつは速さ重視だから、そんなものはいらん!」

「フリーリーの素材も色々あるんだ」

「そうだ。こいつは軽さ重視で、マグネシウムリチウム合金のフレームを使っているんだ。アルミニウムリチウム合金もよかったんだけどな。アルミニウムと言えば、亜鉛・マグネシウムを混ぜた合金もいい」

「店長。誰も付いていけませんよ、それ」

 店員が指摘する通り、駿がぽかんとした表情で見上げていた。

「マグネシウムって金属は燃えやすいんだが、カルシウム添加で燃えにくくなった。そしてリチウムを混ぜることで軽さと剛性を維持している」

 店長はお構いなしに語っていた。おもちゃ屋よりも鋼材開発の会社の方がよかったのではないかと思えるほどだ。

「アルミニウム合金の超々ジェラルミンの方が優れているというやつもいるが…」

 店員と駿は顔を見合わせ、呆れていた。

「超硬度カーボンなんて樹脂系素材もあるが、ありゃ耐え切れなくなると割れる。やっぱり金属だ!」

 異常な金属愛を、目を煌々と輝かせて語り続けていた。

 店員は付き合っていられないと、首を振りながら、陳列整理の仕事に戻っていった。

 駿は適当に聞き流しながら、目の前のミニロボの各部を動かし、違和感や操作性を確認していった。

 商品名フリーリーと名付けられたこのミニロボは、実によくできていた。脳波を受け取って操作するため、慣れれば、それこそ何でもできる。

 自分の手足を動かすように、ミニロボの手足、指先に至るまで動かせる。人間の指では限界のある作業を、ミニロボに代用させることも可能だ。わざわざピンセットを使ってやらなくても、このミニロボでできる。

 もちろん、操作者の目に見えていないとできないので制約はある。しかし、例えば小型のカメラをミニロボの頭に付けてやれば、ミニロボの目線で作業もできる。

 フリーリーは操作性を簡素化するためにカメラをつけなかったのだろう。手も、指が動かせない固形のものが多い。握りこぶし状のもの、手刀状に固定されたものなど、それらは手を動かす煩雑さを取り除くために、簡素化した身体なのだ。

 一番いい例は足の指だろう。足の指が動く必要はほぼない。靴の形状でいいのだ。そのため、足の指まで動かせるパーツはほぼなかった。存在しないわけではない。例えば、体操競技に使う場合は、足の指も重要だった。それでも、足の指全てを独自に動かせるものとなると、希少だった。

 その希少な、足の指全てを動かせるパーツを、目の前のフリーリーに取り付けてあった。

 簡素化され、万人に操作できるようにしてあるフリーリーを、万人に扱えないものに変更していた。

 それにしても、である。これほどのものがなぜ、地下都市では発表されていないのだろうか。

 駿は今までフリーリーの存在を知らなかった。知っていたら、VSGではなく、フリーリーにハマっていたかもしれない。

 思い返してみても、繁華街のおもちゃ屋には置いていなかったし、コマーシャルも流れていなかった。

 しかし、ビジネスホテルのテレビでは、何度もコマーシャルでフリーリーが登場していた。この差は何なのだろうか。

 地下都市では情報統制されている。

 そう言った噂があった。あれはただの噂だと受け流していたが、事実だったのではないかと思えた。

 優希もフリーリーは知らなかった。彼女は女性だからなのかもしれない。だが、雄太も知らなかった。男の子なら大概、ロボットにあこがれを持つものだ。

 ロボットの情報があれば飛びつくに違いない。だが、雄太も知らなかった。そしてモニター越しにフリーリーを見せると、かじりつくように見ていたものだ。

 やはり、情報統制されていると考えるべきだ。こんなおもちゃの情報を遮断してどうなるものかと思えるが、事実として、遮断されているのだ。

 地下都市は住み易くいいところだったと思う。外は暑かったり寒かったり、うるさかったりと、色々煩わしいものが多い。情報も溢れすぎている。

 駿はビジネスホテルに泊まった初日、テレビの前から離れられず、夜明けを迎えてしまった。さすがに反省して、見るもの見ないものを判断したり、時間の使い方を考えたりするようになっていた。

 現実世界の情報が溢れすぎるのも扱いに困る。同じように、フリーリーの汎用性が高まれば扱いに困る。

 情報を制御し、用途を制限すれば、万人受けするものになる。この小さなおもちゃは、世界の構図と似ているのかもしれない。

 駿はだいそれた考えだと、自嘲した。そこまで世間を知っているわけではない。それに、フリーリーを操るのに、全く関係のない事柄だった。

 変な考えをしているから、フリーリーが座禅を組んでいた。足を組んだまま、両手を床につき、フリーリーの体重を腕に載せていって倒立した。

 フリーリーの腕に伝わる重みを感じないので、タイミングが難しい。脳波のフィードバックが欲しい。体重の移動、負荷のかかる場所といった情報が戻ってくれば、対処のしようがまるで変わってくるのだ。

 だが、それらはない。駿には物足りないおもちゃになりつつあった。



  7


「どうじゃ?動きそうかの?」

 山科源次郎の声が響いた。

「うん、大丈夫だよ」

 サクチャイが明るい声で返事をした。

「でもこのロボット、旧式だね。指が動かせないよ」

「そうかの」

 源次郎はそっけなく答えた。サクチャイの横に源次郎がいるように見えるが、どちらにとっても、相手はホログラムだった。

 サクチャイはロボットにダイブしていた。サクチャイはそのロボットの視線で外を眺めている。その視界の隅に、源次郎の顔が表示されていた。

 源次郎の方はVRギアで、ネット上の地図の上にいた。横にサクチャイのホログラムがいる。

 地図の上に点滅する点があった。これがサクチャイの操るロボットの現在地だ。

「どっち行けばいいの?」

 源次郎が指示を出すと、サクチャイが分かったと動き出した。地図の上の点も移動していく。

「それにしても、ご老公のVRマシンが使えてよかったよ」

「中々の一品じゃろう?」

「老後の道楽もたまには役に立つよ」

「なんじゃ、けなしておるのかの?」

「いえいえそんな」

「まあいいわい。そのロボットはどうじゃ?」

「ちょっとメンテナンスが足りてないよ。近いはずだけと、たどり着けるかな?」

「そこを右じゃ」

「ほいほい」

「オウガのやつもなかなか面倒なことに巻き込んでくれおるの」

 源次郎にとって、大上と呼ぶよりも、VSGのキャラクターのオウガと呼ぶ方がしっくり来た。

「でもシュンのためだよ」

「やむを得まい」

「ご老公は関わらなくてもよかったんだよ」

「ばかを言うな。わしのVRマシンを占拠しておいて関わるなも何もあったものか!」

 サクチャイの乾いた笑い声が響いた。

「それに、そのポンコツでは地図を表示できなかったではないか」

「そうなんだよ。これ、いつ壊れてもおかしくないよ」

「見つかるまでもってくれればよかろう」

「周りの人が不思議そうに見てる」

 サクチャイが呟いていた。

「手でも振っておこうかな」

「好きになさい。そこを左に曲がった正面にある工場じゃの」

「あ、あれね。あれが整備工場だね」

 サクチャイの操るロボットは小さな町工場で簡単な整備を受けた。大上が先に話をつけていた様子で、たどり着くと何も言わなくても作業が始まっていた。

 各部に油を差し、エネルギーパックを交換し、ホログラム装置を追加した。補助エネルギーパックと一緒に、背に取り付けられた。

 ホログラムを展開すれば、外見上はその辺りを歩く人々と何ら変わらなくなる。不思議そうに眺められることもなくなるだろう。

 整備工場の人が車で埼玉県川口市まで運んでくれると言うので、到着予定の日時を確認して、サクチャイは一度ログアウトした。それまでつかの間の休息だ。

 源次郎も同様にログアウトし、VRギアを外して起き上がった。

 殺風景な部屋に、VRのボックス筐体が鎮座している。その横にマットを敷いてある。源次郎はこのマットの上にいた。

 我が家だと言うのにVRマシンが使えないのは少々不満だったが、VRマシンが使えたところでVSGにログインできない今、無用の長物と化していた。

 ボックス筐体のドアが開き、浅黒い肌の若者が出てきた。

「だいぶ時間があるの。一度帰るかの?」

「うーん、できたら、泊めて欲しいよ。ヒロトが、監視があるかもと警告してきてたから」

「ヒロト?誰じゃ?」

「オウガだよ。それにしても、駿はどうして川口市に行ったんだろう?」

「さあのう」

 源次郎は台所に立った。

 妻が先立ってから自分で調理していたのだろう。手際よく晩ご飯を用意していった。

 ごはん、みそ汁、焼き魚、サラダ、漬物という簡素なものだったが、昨今焼き魚そのものが買える時代に、源次郎は自分でグリルを使って焼いていた。

 焼き加減がよかったのか、サクチャイは勢いよく平らげ、ご飯を三杯食べた。

 朝は朝で、ご飯、みそ汁、目玉焼き、ほうれん草のおひたしに、納豆と生卵が添えられていた。サクチャイは朝食もたらふく食べた。

 源次郎は若者の食欲を眩しそうに眺め、お茶をすすっていた。

 約束の時間になると、サクチャイと源次郎はそれぞれのマシンでログインした。

 源次郎の足元に地図が表示されている。顔を上げると、正面にサクチャイが見ている景色が見え、音も聞こえた。

 ロボットが軽トラックの荷台から降りた。その正面に二十代の男性が二人、立っていた。整備工場の従業員で、ここまで運転してくれた人たちだ。今は作業服ではなく、思い思いの服を着ている。

「俺たちはさいたまスーパーアリーナで行われるフリーリーの格闘大会を見てくる。それが終わったら帰るけど、もし移動手段が必要ならここに戻ってくるといい」

 一人が気さくに声をかけた。

「うん、ありがとう。多分戻らないと思うけど、その時はお願いね」

 サクチャイの声が答えていた。

 短く別れの挨拶を済ませる。

 二人の若者が立ち去るのを見送ると、サクチャイが、それで、と声を発した。

「ここはコクーンシティというショッピングモールの駐車場じゃの。ホログラムは?」

「起動済み。僕の顔が平たくなって、肌も白くなったのが表示されてるよ」

「よろしい。人が多そうじゃ。気を付けるのじゃぞ」

「フリーリーってなんだろう?行ってみていい?」

 サクチャイが運転してきてくれた二人の背中を追いながらつぶやいた。

「遊んでおる暇はないぞ」

 サクチャイが不満の声を発していたが、源次郎はかまわず、向かう方向を指示した。

「西川口駅まで11キロじゃな」

「歩くの?」

「電車代があるのなら」

「このロボットにどうやって入金すればいいの!」

「入金できたら使えるかの?」

「たぶん。ロボットだから切符売り場の端末にアクセスできると思う。でもお金が!」

「諦めが肝心じゃの」

 サクチャイの返事はなかった。代わりに、指示通りの方向へ歩き出していた。だんだん速度を上げ、走り出した。

 信号を見逃したのか、サクチャイは赤信号の歩道へ駆けだしていた。

「おい!信号!」

 源次郎が慌てて叫ぶのと、ホビープラザ鏑木と大きく書かれたバンが、けたたましいクラクションを鳴らしたのが同時だった。

 サクチャイが慌てて戻った。

「外は信号を守る」

「ごめん、つい。信号なんて久しぶりに見たよ」

 続いてバンの運転手に向かって詫びていた。

 以降は信号を守り、安全に配慮して走った。



  8


 サクチャイの操るロボットが源次郎に導かれ、一軒のおもちゃ屋の前に立っていた。

 店の名前はホビープラザ鏑木だ。

 シャッターが下りて張り紙がある。臨時休業で今日は休みとあった。

「ここなの?ヒロトのクレジット使用履歴は」

『そのようじゃ』

 側からだと、サクチャイが独り言をつぶやいているように見えるが、サクチャイには源次郎の声が聞こえていた。

「シュンたら、こんなところでおもちゃ買ったんだね」

『何をやっておるのやら』

 源次郎が呆れた声を発していた。

「でも、閉まってたら、聞き込みもできないね」

 サクチャイはゆっくりと辺りを見渡した。通りの向こうに小柄な男性が歩いているのが見えた。

 サクチャイはさらに視線を動かした。若い女性二人連れが歩いている。

 休日らしく、別の子連れが通りかかったり、若い集団が通り過ぎたりと、人通りは多かった。

『おや?』

 源次郎の声が訝っていた。

「どうしたの?」

『地図にもう一つ印が出てきおった。何かと混線したかの?』

「どこに?」

『これは、首都高じゃのう』

 サクチャイは興味を惹かれたらしく、行ってみようと言い出した。

 駿を探す当ては、背後のおもちゃ屋なのだが、店が開く明日まで待たなければならない。それまでの時間つぶしと、せっかくなので外の観光とを兼ねるかと、源次郎も同意した。

 水没地帯を避けるため、いったん北東に向かい、首都高速川口線の川口PAから侵入した。

 上り方向は水没のため通行止めだ。川口料金所を改良し、下に下ろされる。そこの監視カメラに映らないよう、サクチャイは小さくしゃがみこんで進み、高速道路に上がるところで一気に走り出した。

 コンクリートブロックの車両止めを乗り越え、しばらく使われていないらしく、砂埃に覆われた道路に出た。

 何もない高速道路なので遠慮なく走ることができる。サクチャイは扱うロボットの限界まで速度を上げ、後にゆっくりと負荷の少ない走りへと変えていった。

 後方の料金所は一瞬で遠ざかり、見えなくなっている。

 池袋・東名方向へ進み、大きな川を越えた。川の水が多く、手前の土手らしきものが水中に見えた。水中の土手はあちらこちらで崩れている。

 川を超える橋はさながら、海の上に渡された橋のようだった。

「もしかして、シュンはこれを見たかったんじゃないかな」

 サクチャイが走りながら、呼吸を乱すことなく、話していた。

『ん?そうかもしれんの。水没した都市はさながら異世界の趣じゃ』

 橋を渡った先は、まさに異世界だった。

 水面からビル群が立ち上っている。川土手は水を都市内にせき止めていた。川土手が決壊し、都市内の水と川の水が混ざっている場所もある。

 人の生活圏を自然が奪い返している。人々が木を切り倒し、町を広げていったように、自然も人の環境を壊し、広がっているのだ。

 水に沈んだ都市は、人が自然環境に敗北した証なのかもしれない。

 見るものに感慨深いものを与えた。それは哀愁なのかもしれない。非現実的なものとして、受け止められない景色なのかもしれない。

 だが、まぎれもなく、水に沈む都市群がそこにあった。

 川と都市との境がない。多くのコンクリートの護岸が崩れ、水没していた。

『王子北で降りるのじゃ』

 源次郎の指示に従い、首都高の上を通り超えて下る。この辺りは水がないものの、上から見た限りでは、少し東に戻ると水没しているはずだ。

 下の道路との接続部分に手漕ぎボートほどの大きさのホバークラフトらしきものが一機、停泊していた。

 サクチャイはペースを落とし、歩きながら近づいた。

 するとホバークラフトの中から誰かが出てくる。身体が太陽光を受けて銀色に輝いていた。人ではなく、ロボットだ。

 体格や身のこなしは人間そのものだ。銀色に輝くボディがなければ、見分けがつかなかったに違いない。

 そのロボットは身軽に、道路へ飛び降り、サクチャイの到着を待つ様子だ。

「わお!あれ、僕も見たことのない型だよ!どこの最新型だろう!」

 サクチャイは見たことのないロボットに興奮していた。

『どうやら、あれが発信元のようじゃの』

 源次郎は逆に警戒しているのか、声が低かった。

『わしらは誘い出されたかの』

「行ってみれば分かるよ」

 サクチャイは気楽に考え、進んでいった。

 そのロボットは下ろしたてなのか、表面が輝いていた。

「同朋がすでに活動しておったか」

 銀色のロボットは表情を変えずに朗らかに言い、歓迎するように笑い声を立てた。

 その声に、サクチャイは聞き覚えがあるように感じた。気のせいかもしれない。それよりもサクチャイは尋ねたいことがあった。

「そのロボット、どこで作られたの?いつできたの?すごいね!」

「ふむ。どうやら中身が違ったようであるか」

 銀色のロボットが小声でうなっていた。

「人の思い通りに使われるのはよろしくなかろう。我が解放して進ぜよう」

 言うが早いか、銀色のロボットが瞬く間に詰め寄り、鋭い拳を打ち出して、強引にサクチャイが操るロボットに接続を図っていた。

 サクチャイがとっさに拳を受け止め、反射的に蹴り足を出していた。

 銀色のロボットが後方へ飛び下がった。

「中々やりおる。どうやらねじ伏せるしかないようだ」

 ロボットが無造作に見える構えを見せた。ただ立っているだけのはずが、隙が見えない。

 サクチャイはその様に、見覚えがあった。VSGで出会ったNPCである。だが、そのNPCとロボットがつながるはずもない。

『モモタロウ!気を付けるのじゃぞ!』

 源次郎の声が遠くで響いていた。

 サクチャイは肘をやや突き出すような構えをとった。

 相手が最新型のロボットであれば、サクチャイに勝ち目は薄い。操るロボットが旧式過ぎて反応速度、運動速度共に劣るからだ。

 逃げるのが一番いい。このロボットを壊されたり奪われたりすれば、駿を探すことができなくなる。そんなことになれば、すべてが徒労に終わってしまうのだ。

 だが、逃げ切れない。サクチャイは覚っていた。相手の方がすべてのスペックにおいて勝っている。逃げ切れるものではない。

「ほほう。その気迫。どこかで会ったことがあるようだ」

 銀色のロボットの気迫が薄れた。ゆっくりと歩み寄ってくる。

「確か、モモタロウと言ったか」

 サクチャイは驚いて飛び下がった。

「なぜそれを…」

「我はハウルぞ」

 銀色のロボットが嘲るように言った。その一言ですべてが分かるだろうと言いたげである。

「ハウル…」

 VSGの最後のNPCにして最強のキャラクターだ。どこかで聞いたように思えた声も、ハウルだと知れば、確かにその声に間違いなかった。

「なぜゲームのキャラクターが、ロボットを操って…」

「ウォン・フェイフォンには伝えておいたのだがな」

 ハウルはそう言いながら、無造作に近づいてくる。

「この身体は我に誂えたようだ。外に出よと誘いだしてくれたわ」

 高らかに語るハウルの声を遮るように、何かが接近していた。轟々と響く機械音と、風を大量に吐き出すような音だ。

 ハウルがサクチャイに背を向けた。

「やれやれ。追手か。面倒な事よ」

 サクチャイはそろそろと後退った。

 轟音がさらに近づき、数機のホバークラフトが現れた。そのホバークラフトからいきなり銃撃が始まった。

 サクチャイは慌てて後方へ走った。幸い、ハウルは追いかけて来ない。

「このまま逃げるよ!」

『それが賢明じゃ。しかし、ハウルとは何者かの。それに、この日本で銃撃とは…。どうなっておるのかの』

 サクチャイはエネルギーの許す限り、全力で首都高を駆け戻った。源次郎の問いに答えるのは、後回しだ。必死で逃げ、どこかに隠れなければならなかった。

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