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サイバーレイン  作者: ばぼびぃ
10/26

全国大会

  1


 河原優希の機嫌はなぜか悪かった。

 大本駿は優希の鋭い視線に気圧されし、荷物持ちよろしく機嫌を取った。彼女の太極拳が終わるとすかさずタオルを持って駆け寄り、手渡す。

 優希がひと睨みする。

 駿は気後れするものの、優希の切れ長の目が奇麗で、思わず見とれていた。

「何よ」

 優希が不機嫌そうに言うものの、どこか噴き出すのを我慢しているかのようだ。すぐにそっぽを向いて、タオルで顔を拭いた。その肩がわずかに揺れている。

 駿は優希の荷物持ちをして更衣室の手前まで行った。彼女に荷物を手渡し、近くの芝生の上に転がって空を眺めた。

 空はもう青く晴れ渡っている。白い雲が朝日を浴びて少し黄色く染まっていた。

 少し前はこの時間でもまだ暗かったのに、今はもう明るい。だんだん夜明けが早くなっているのだ。

 ここは地下都市なので、季節による気温の変化は感じられない。この時期の外は、まだ寒いはずだ。あるいはもう寒くないのだろうか。駿が外にいた記憶は、五年も前になる。小学生のころだ。そのころの気温について覚えているはずもなかった。

 駿がこの地下都市に入居したのは五年前で、以来この快適な地下都市で暮らしている。ここは、早朝だろうと昼間だろうと夜だろうと、夏だろうと冬だろうと、変わりなく快適な気温だ。快適な気温が当たり前になっていた。

 快適なので、駿は年中、ほぼ同じ服装で過ごしていた。

「たまには違う服も着たら?」

 以前、優希にそう言われたことがある。あるが、新しい服を買うくらいなら、ゲームにつぎ込んだ方がましだと思えた。

 駿もすっかりゲーマーと呼ばれる人種になっているらしい。

 優希は体操の太極拳をするときはいつも中華風の服だ。ゲーム内で優希が操るキャラクターが着ている服に似ていた。

 何着かあるようで、色が違っていたり、上下の組み合わせが変わっていたりする。

 体操が終わった後に着る服は地味で、駿にはいつも同じに見えた。彼女はいつも、ブレザーにズボンという格好だ。昔はそういう組み合わせの制服があったらしい。彼女は制服のつもりで着ているのではないか。

 しかし、女の子なのだから、ズボンではなく、スカートではないのだろうか。駿は優希のスカート姿を想像してみたが、うまくいかなかった。普段もゲームの中もズボンなのだから、それが当たり前になっていた。やっぱり彼女はズボン姿でいいと思えた。

 少しうとうとしかけたころに、優希が戻ってきた。ブレザーにズボンだ。今日も変わりない。凛々しくて見惚れてしまう。

 変わりないと言えば、彼女も変わったところがあったのを思い出した。優希は当初、黒ぶちのメガネを使用していた。その眼鏡はモニターや通信機能も付いた端末だ。しかし、駿とこうして合うようになってからは、眼鏡を使わず、カード型の端末を利用していた。

 駿はいつから眼鏡を見ていないのか思い出そうとしてみた。が、思い出せなかった。

「ほら。眠っちゃうわよ」

 優希はしょうがないわねと言いながら、駿の手を引いて起こした。駿の欠伸を見て苦笑している。いつの間にか、機嫌が直ったらしい。

 二人は連れ立って遊歩道を歩いた。

 明るくなったせいか、遊歩道を歩く人が増えた。つい先日まではこの時間に見かける人は僅かだった。それが今では、ランニングする人や散歩する人がちらほら見受けられた。

 二人は彼らの邪魔にならないよう、時々芝生の上を歩いた。通信教育の講義が始まるまでまだ時間がかなりあるので、ゆっくり歩いて時間をつぶしていた。

「もうすぐ全国大会だね」

 二人の共通の話題といえば、学業か、VSG3という格闘ゲームである。VSG3でもうじき、全国大会が開かれる。すでに地方大会は終わっている。

 駿は九位に終わったので、全国大会には出場できない。優希は七位で出場だった。駿も八位に入れていれば、出場できたのだが、勝てば七位か八位が確定する試合で、優希と当たってしまい、見事に負けた。

 全国大会はこの週末だ。

 駿は出場できないので緊張のかけらもない。気楽に観戦するつもりでいた。

「あまり言わないで。緊張しちゃうから」

 優希は日にちが迫ってくるにつれ、緊張が高まっているのだろう。

「応援してるよ」

「ありがとう」

 優希は素直に答えると、駿の顔を見つめた。

「でも、あの人と観戦するのはやめて」

「え?」

「あの人」

「誰?」

「………」

 優希は駿の表情を読もうとしていたが、諦めて言った。

「何時も腕に絡みついてくる人」

 素直に名前を言わない辺りが、彼女のこだわりのあるところらしい。

「ん?ああ、スーン」

 駿が思い出してにやけていると、優希がうなるように睨みつけていた。

 スーンは勝手にやってきて、勝手に腕に絡みつく。あれは不可抗力だ。突発事故だ。駿がそうさせているわけではないので、事故は大目に見てもらわないと困る。事故でも歓迎すべき事故ではあるのだが。

 素直にそんなことを言えば怒られるだけなので、駿は分かったとだけ答えた。

 並木道を歩く。落ち葉一つなく、手入れが行き届いている。元々葉が落ちない樹木を植えているので、管理は簡単なのだろう。

 ふと、ゲーム内の景色と重なった。

 目の前の樹木に薄いピンクの花が大量に咲き誇り、花びらを舞い散らせる。

 駿はウォン・フェイフォンとして、優希はユウとして歩いた。現実とVRが混ざる。

 あのゲーム内の出来事は、駿にとって、まぎれもなく、現実の出来事だ。VR内での出来事だが、今現実に優希とともに歩く感覚は、全く同じだ。

「花びらが舞うようだわ」

 優希も同じことを考えていたようで、手をかざして幻の花びらを受け取っていた。

 優希と一緒に歩けて僕は幸せ者だ。ローグなら、そう言うのではないか。だが、駿はさすがに恥ずかしくて、口には出せなかった。

「いいね。こういうの」

 駿は口にできる言葉で、精いっぱい言った。それで優希に伝わったかどうかは分からない。ただ、優希の笑顔がまぶしかった。



  2


 通信教育の講義が終わり、モニターを閉じようとしていると、誰かが映し出された。ネクタイを締めたいかめしい顔つきの中年だ。駿は、いけ好かない教授としか覚えておらず、名前が分からない。

「大本君。君は最近、近代史に素晴らしく造けいが深い。塾にでも通っているのかね?」

 教授は開口一番、そう尋ねた。

「いいえ」

 駿はモニターの上部に当てていた手を放して答えた。塾には通っていない。造けいが深いかどうかは別として、駿は山科源次郎の昔話をよく聞くようになったおかげで、近代史の知識は深まったように思えた。

 駿は素直にそのことを説明した。

「なるほど。地域のお年寄りは良き師である。大事にしなさい。そしてもし、大本君が近代史をより極めたいと思うのであれば、私がよい進路を紹介しよう。私の社会学とはやや異なるが、通ずる部分も多いのでね。それなりの人物を紹介できるぞ」

 なぜか教授の顔がいつもより柔らかく見えた。もしかしたら教授は、同じ学びの徒を発見し、喜んでいるのかもしれない。

「まだ将来のことは考えていませんが、その時はよろしくお願いします」

 駿がそう答えると、教授はうむと答えて通信を切った。

「はぁ。びっくりした」

 駿がため息交じりに漏らすと、隣で様子を見守っていた優希が声を立てて笑った。

「駿くん、すっかり気に入られたわね」

 駿はあの教授に気に入られたところで、嬉しくとも何ともなかった。ただ、偉い人に認められたと思うと、胸の奥が熱くなった。

 山科源次郎の昔話は駿の心をとらえた。その昔話を近代史として学ぶ。あるいはありかもしれないと駿は思えた。ただ、まだ一年と数か月先の話になる。その間にじっくりと考えればいいだろう。

 いけ好かない教授だが、彼のおかげで将来の道の一つが見えたように思えた。駿の将来を考えてくれたところを見ると、あの教授も案外いい人なのかもしれない。厳しいことを言うのは生徒の将来を考えていたのではないか。そう考えると、少し教授を見直す気になっていた。

「さあ。明日の支度をしなくちゃ」

 優希が息を吐きながら言った。明日はVSG3の全国大会がある。朝から繁華街にあるゲームセンターに缶詰めだ。

「緊張してるね」

 駿は笑い返した。参加できないので気楽なものだった。

 優希が頬を膨らませて睨んだ。目が、他人事だと思って、と訴えている。

 あまりの可愛らしさに、駿は思わず吹き出していた。まじめな優希とは思えない、おちゃめな顔だ。

 優希もつられて笑っていた。

「お手合わせしましょうか?」

 駿がかしこまって言うと、優希はここでならいいわよと身構えた。リアルファイトをお望みのようだ。

 駿は確実に負ける。

「痛くしないでね」

 わざと変な声を出すと、優希が目を見開き、続いて口を押えて大笑いした。

 笑いが治まると、優希は駿に礼を述べた。

「おかげで緊張が解けたわ。できれば、明日の朝もお願いね」

「僕で役に立つなら、喜んで」

 駿はローグの真似をして、片手を胸に当ててお辞儀した。

 優希は空想のスカートをつまむようにしてお辞儀を返した。

 もう一度二人して笑うと、連れ立ってフロアの中心部を目指した。

 地下都市の中心部は巨大な柱になっており、上下のフロア間を移動する基幹エレベーターが備え付けられていた。

 二人はエレベーターに乗ると、居住フロアへ降りた。

 居住フロアに着くと、動く歩道に乗って移動する。駿と優希が動く歩道に乗って雑談をかわしていると、横から声がかかった。

「大本くん。すまんがちょっといいかね」

 巨体を小さくすぼめて、大上裕翔が手を上げていた。

 駿は優希に、またねと断って歩道を降りた。

 優希が小さく手を振りながら、流れに乗って去っていった。

 駿が見送る間、大上は黙って待ってくれた。優希が見えなくなった所で、悪いねと言った。

「いえ。それで、何か?」

「いくつか尋ねたいことがあってね」

 大上の物言いは最近、砕けてきたように思われた。彼もVSGのプレイヤーで、仲間意識があるのかもしれない。

「最近、聖氏から連絡は?」

「さっぱり」

「そうか。実はな」

 大上は声を潜めて言った。

「ここ最近、おかしな動作をするウイルスを発見するようになったんだ。バグやエラーを飲み込んでどこかに運んでいるらしいんだが、我々の調査でも辿りきれなくてね」

 大上の言うウイルスとは、ネット上の悪意あるプログラムのことだ。

「大本くんの父上、聖氏はこっち関係のエンジニアなので、協力を願いたいのだよ」

「父さん、エンジニアだったんだ…」

「はは。仕事の話は聞いたことなかったかな?」

「どうかな?あまり関心を持ってなかったから、聞き流していたのかも」

「そうか。仕方ない」

 大上は頭をかいて、黒い手帳を片手でぺらぺらとめくった。

「たけうちひできに聞き覚え、見覚えは?字は、竹林のたけに、内側のうち、英雄のえい、輝くと書く」

「竹内英輝?いえ、覚えありません」

「では、さいおんじりょう。または杉本亮。西の園の寺で西園寺。亮は…」

 大上も説明に困り、端末を出して字を表示してみせた。

「いえ、見覚えは…」

 駿は言いかけて、何かに引っかかった。

 りょう。その響きに覚えがあるように思えた。最近ではない。父がいたころだ。小学生のころ。駿は頭の中で時間をさかのぼっていった。

「ああ!亮おじさん!」

 IT崩壊事件が起こる以前に、家に遊びに来ていたおじさんを思い出した。一時期、よく家に来て、父親と部屋にこもっていたものだ。

「杉本だか西園寺だかは知らないけど、昔家に来ていたおじさんの名前が確か、亮だったと思う」

 駿がそう答えると、大上は身を乗り出した。

「それはいつごろかね?最近その人と連絡は?」

「IT崩壊事件の前だから、十何年か前。それ以降は見た覚えないなぁ」

「そうか」

 大上はそっけなく言ったものの、顔は明らかに残念がっていた。

「その人たちが何かしたの?」

「いやいや。聖氏同様、ネットやプログラムに詳しい人だからね」

 大上が何かをごまかしているようにも見えた。

 父を含め、この人たちが何かをやったのではないか。そのために、警察である大上が行方を追っているのではないか。駿の中にそういう疑念が浮かんだ。

 大上はネット対策課だったはずだ。疑念の真実味が増してくる。

 だから大上は、大本聖の息子である駿にあたりをつけ、行方不明になっている父を探し出そうとしているのではないか。

 そう考えると、むやみやたらに答えるのも考え物だ。駿の答えで父が逮捕されるようなことになれば、駿は悔やんでも悔やみきれない。だが、警察相手に隠し通せるだろうか。

 幸いなことに、父は四年前から行方不明で、駿は手がかり一つ握っていない。答えを知らないので特に大上を恐れる必要もなさそうだった。

 大上は駿の表情に何を読み取ったのか、唐突に違う質問をした。

「大本くんは今のネットに、ウイルスやバグがあることは知っているかい?」

 地下都市はネット環境も万全に整備された。ウイルスやバグはないと教わっていた。IT崩壊事件以前にはそう言うものが横行し、しっかりとした対策を講じたのだというのだ。

 駿が受けている通信教育の講義でも、地下都市の通信網のセキュリティについて、習ったことがある。強固なセキュリティを何層にも構え、少しでもおかしなところのあるものは排除されると教わった。

 その内容と、大上の質問は真逆だといえた。

「この都市のネット環境に?」

 駿は驚きを隠せずに聞き返した。

「なるほど」

 大上はすぐには答えなかった。駿を見つめ、何かを納得するように頷いた。

「ウイルスは悪意のある人がいれば、どこででも発生する。バグに至っては、そうそう排除できるものではないんだ。極力バグが出ないようにデバッグするが、結局は運用してみないと見つからないものもあるのでね」

「じゃあ、僕らが授業で習ったあれは何だったの」

「授業?」

 大上が首を傾げたので、駿は授業の内容を簡単に説明した。

「ああ、それは政府の発表を受けたものだな。だが、いかんせん、人の手が関わるものはミスがつきものだ。完璧とは行かんな」

 大上は遠くを見るような目をすると、昔バイトでバグ取りをしたことがあってな、と言い出した。

「あれは大変な作業だった。今はAIにも手伝わせるが、限られた時間内ですべてをチェックするには、少々無理がある。特に想定外の動作は見つけ難いものでね」

 大上は何度も徹夜されたとぼやいた。

「おっと、すまん。つまらん話をしたな」

「いいえ」

 駿は大上の話に親近感がわいていた。この巨体で椅子に座り、キーボードと叩いていたかと思うと、おかしくなった。

 大上が真顔に戻ると、最後に一つと言った。

「サイバーレインという単語に聞き覚えは?」

 駿は言葉を頭の中で思い描き、考えた。サイバーレインということは、CRだろうか。CRなら、見覚えがある。駿の父親が作り、送ってくれたVR用ギアを起動すると表示される文字だ。

 CRシステム起動。

 起動するたびに見ているので、間違いはない。CRが何を意味するのかは知らないものの、父が作ったものには違いない。

 これがもしも、大上の言うサイバーレインだったとして、どうだというのだろうか。

 大上に知らせたら、ギアを没収されるのではないだろうか。そうなると、ゲームをするにはゲームセンターに通わざるを得なくなる。通うとなると、お金が必要だ。それは困る。

「記憶にない」

 駿はそう答えた。

「そうか。手間をとらせたね」

 大上は追及することなく、あっさりと去っていった。

 駿はウソがばれないだろうかとひやひやしていたが、大上の巨体が見えなくなるまで見送り、ため息を漏らした。



  3


 全国大会当日は朝早くから、サクチャイ・シングワンチャーが駿の部屋を訪れた。小柄で浅黒い肌をした彼は白い歯を輝かせて、駿にも一緒に行こうと誘った。

 大会のため、VRマシンを並べたゲームセンターの三階は貸し切りとなる。なので、参加しない駿が行ってもあまり意味がない。

 駿はVRギアを使ってゲームにログインし、中から観戦に行くつもりだったのだ。ところがサクチャイはゲームセンターまで同行させ、そこのモニターで見ればいいじゃないかと誘った。

 にこやかに言う彼も、案外緊張していて、連れがいないと心もとないのかもしれない。駿は彼の気持ちを推し量って、分かったよと受けた。

 サクチャイは文字通り飛び上がって喜んだ。朝食もサクチャイがおごってくれるというので、喜んでご馳走になった。

 駿は遠慮せずにおかわりまでいただいた。タダだと思うと限界まで食べたくなるというものだ。ただ、食べ過ぎて、歩くのも少々不自由したのだが。

 急ぐサクチャイに後れを取りながらも動く歩道に乗って基幹エレベーターを目指した。歩道は立っていればいいので、お腹が重くても何とかなった。しかし、エレベーターは困った。

 普段はなんとも感じないエレベーターなのに、今日に限ってやたらと押し付けられるような重力を感じた。油断するとお腹の中身が下まで落ちそうだ。

 駿は必死で下腹を抱えて耐えた。

 エレベーターが止まったら止まったで、胃の中のものが上へ放り出されるような感覚に襲われ、気持ち悪くなった。

 駿はもう暴食はすまいと後悔していた。涙目でサクチャイの後を追い、動く歩道に乗る。しばらくすると落ち着いて、少し楽になった。

 ゲームセンターに到着すると、三階は入場制限があり、駿は三階のエレベーターホールで足止めされた。

 サクチャイはすぐに奥に通され、参加者の列に加わっていた。

 列に、ポニーテールの女の子が見えた。彼女はサクチャイに気付くと軽く会釈し、後ろを振り向いた。河原優希だ。

 優希と目が合う。

 駿はお腹を片手で押さえたまま、空いた手を上げて挨拶した。

 優希は片眉を少し上げたものの、手を上げ返してほほ笑んだ。

 若い女の人が並んでいる。駿の記憶によれば、霧隠というキャラクターを使う人だ。彼女のキャラクターはいわゆる忍者である。駿は戦ったことはないが、前回の地方大会の時に対戦の様子は見た。まだまだ発展途上に見える戦い方だったので、今回はどこまで洗練されているのか、見ものだ。

 おとなしそうな青年がいた。小柄で筋肉も少ないので、サクチャイよりも小さく見える。彼の名前は知らないが、キャラクターはダーククローだ。おとなしそうな見た目とは違い、芯に義理、人情を通す力強さがある人だ。

 駿の対戦友達だったのだが、ここ数ヶ月、対戦していない。彼はどれほど腕を上げているのだろうか。今後の参考のためにも、チェックしておかなければならない。

 大学生くらいに見える男の人がいた。確か、カーバンクルというキャラクターのプレイヤーだ。宙に浮かせた数々の宝石に魔法を反射させて戦う。反射の軌道が読み切れず、トリッキーな戦い方に見えたが、案外、彼は計算づくでやっているのかもしれない。その辺りもしっかり観察すべきだろう。

 もう一人、三十代くらいの男の人がいた。634という侍を使うプレイヤーだ。彼は寡黙で、声を聞いたことがない。刀の使い方はまさに達人で、付け入るスキのない武人だった。

 彼らはゲーム内では達人だが、現実では普通の人々だ。おそらく武術の心得などないだろう。駿もそうだ。運動神経はからきしだった。

 武術の心得があるのはサクチャイくらいだ。そのサクチャイも、実際のムエタイの試合では一度も勝ったことがないという。

 そのサクチャイが、ゲーム内ではムエタイで無類の強さを発揮する。地方大会を一位で突破を果たした。それに、前回の世界大会で三位に入った実力者でもある。

 彼らプレイヤーの姿からは想像もつかない戦いが、これから行われようとしている。思いをはせると、駿も熱くたぎるものを感じるのだった。

 開始時刻が迫りつつある。だが、まだあと二人の参加者が現れていない。全員揃い、ボックス筐体の中に入ったら、モニターの前まで解放されるのだろう。駿はそれまで待たなければならない。

「大会が始まりましたら、そこのモニターまでは開放しますので、もうしばらくお待ちください」

 駿はいつの間にか、ホールから出る寸前まで来ていた。係の人が前に立ち、駿に頭を下げた。

 駿は詫びると壁際に移動した。お腹が重く、立っているのも辛かった。壁に寄りかかると、僅かだが、楽だ。

 食べ過ぎたなと後悔していると、エレベーターが到着し、母親と小学生くらいの子供が降りた。子供の方は参加者で、ソラというキャラクターを使う。魔法と剣を巧みに使い分ける様は玄人で、小学生の動きではない。

 母親の方は駿と同様に足止めされ、子供に向かって頑張ってなどと手を振っていた。子供はうるさそうに背を向けて、さっさと参加者の列に並んでいた。

 もう一人の参加者、オウガは大上のキャラクターだが、その大上が現れない。あの巨体では隠れるところもないので、いればすぐに分かる。見えないということは、まだ来ていないということだ。

 係の店員たちが顔を見合わせ、時計を確認していた。

「もう十分待ってみましょう」

「でも、それでは間に合わなくなりますよ。連絡は?」

「それがつながらなくて」

「やはり、あとの人に連絡すべきでは?」

 やや年上と思われる方はすぐに答えず、考え込んでいた。

「呼びだしたとしても、ここまで来るのに時間がかかると思いますよ。念のために呼ばれておいた方がいいのでは?」

 幾分若い方が言うと、もう一人がそうですねと答えた。

「では次位の方に連絡を。もしもオウガのプレイヤーが間に合えば、そちらを優先する旨を伝えておいてください」

「分りました」

 駿は何となく聞いていたので、会話の意味するところを理解していなかった。

 不意に、腰のホルダーに納めた小型ノート型PCから着信音が鳴った。駿が開いてみると、画面に、すぐそこにいる若い店員が映っていた。

 店員も気付いたらしく、端末と壁際に立つ駿を見比べた後、回線はつないだまま、そばに近づいてきた。

「あの、九位のウォン・フェイフォンのプレイヤーの方ですか?」

 店員はバツが悪そうに尋ねた。

「はい」

 駿もどこか気恥ずかしい思いだ。

 店員はそれで通信を切り、端末をしまった。

「実はですね」

 店員は照れ笑いを浮かべながら言った。

「大会出場選手のオウガがまだ到着されていませんで、もしもこのまま開始時間に間に合わなかった場合、九位の方に繰り上げ出場していただきたいのですが、その場合は参加できますか?」

「え?」

 駿は予期していない質問に、理解が追い付かず、聞き返していた。

 店員は言葉を変えてもう一度同じ説明をしてくれた。

「オウガが来なかったら、僕が出るってこと?」

 駿は、全国大会はもう関係のないものと、すっぱり諦めていたので、驚き、戸惑うしかなかった。

「そうなります。もしも辞退されるのであれば、十位の…ハヤトさんですね。彼に連絡を取りますが」

「出ます」

 思わず即答していた。まごまごしていたらハヤトに出場権をとられるかもしれないと思うと、口が先に動いていた。

 出場する覚悟などない。そもそも、お腹が重くてゲームどころではないのだが、にわかに出場できるとなると、断るわけにもいかない。学友の雄太との約束が、果たせるかもしれないのだ。是が非でも出なければならない。

 雄太は駿をVSGに誘った張本人だが、彼はキャラクターの名前を隠していた。そのキャラクターを知るためにも、全国大会で会い、対戦する約束をしていたのだ。だが、駿は全国大会出場を逃し、約束を守れなかった。

 雄太との約束はもう諦めていたが、果たせるなら、約束のためにも出場したかった。出場して、あの上級者ぶった態度を改めさせなければならない。

 もちろん、そのためにはオウガが間に合わなければ、との条件付きではある。ふと、オウガがもしもの時はよろしく頼むと言ったのを思い出した。

 あの時は何のことを言っているのか理解できなかったが、もしかしたら、オウガは参加できないかもしれないと考えていたのではないか。そして繰り上がって駿が出場することになると分かっていたではないだろうか。

 オウガのプレイヤーである大上とは先日出会った。その時は何も言っていなかった。しかし、何かの調べ事で忙しそうではあった。

 調べ事の手がかりとして、駿の父親などを探していた。その調べはまだ続いており、ゲームどころではないのかもしれない。

 このまま来ないことを祈った。

 駿は自分勝手だとは思いつつ、祈らずにはいられなかった。

 大上が忙しくて来られない。そうなって初めて出場の権利を得られるのだ。にわかに出場の可能性が出た途端に、気持ちが動き、出場したくてそわそわしていた。

 駿はこまめにPCのモニターを開いて時刻を確認したり、ゲームセンターの壁にかかった時計を見たりして過ごした。

 一分が、一時間のように感じる。

 鼓動が早くなるのを感じた。

 大会開始時刻五分前になった。

 大上は、オウガはあの時、こうなることが分かっていたのだ。だから、駿に、ウォン・フェイフォンにバトンを託した。そう思うと、駿は胸が熱くなった。誇らしくなった。胸を張ると、お腹が重く、辛い。

 不格好な前かがみでもいい。駿は参加する意欲を増して、身構えていた。

 近くの店員が時計を確認していた。

 しかし、九位の自分が本当に参加してもいいのだろうか。力不足ではないだろうか。参加すべきは上位のオウガである。そう思うと、駿は不安で胸が押しつぶされそうだった。

 なぜか床がすぐ近くに見えた。床の黒ずんだシミが目立つ。

「時間になりました」

 駿はもう時間なのかと驚いた。先ほどまでは一分経つのにもかなりの時間を要したというのに、五分があっという間だった。これは何かの間違いではないのか。幻聴を聞いたのかもしれない。

 駿が顔を上げると、店員が中に入るよう促した。

 駿は重い腰を引き上げた。重いお腹が邪魔をして、思うように動けない。足が重く、進んでいるのか下がっているのかよく分からなかった。

 本当にいいのだろうか。駿は後悔していた。参加すると答えたのは、早まったのではないか。少なくとも、心の準備はできていない。身体も万全とは言えない。今思い返せば、タダだからと朝ご飯をあんなに食べるのではなかった。今更ながら、後悔しか浮かばなかった。



  4


「時間になりましたので、規定により、オウガ選手を欠場とします。代わりに九位のウォン・フェイフォン選手が繰り上がり出場します」

 店員が説明していた。

 サクチャイが親指を立てて喜んでいた。優希も笑顔で見守ってくれている。他の人たちはあまり興味がないようで、駿を見向きもしなかった。

 駿はお辞儀すると、出場者の列に並んだ。

 サクチャイが駿の背中を叩き、迎え入れた。今は控えて欲しかった。刺激を受けるとお腹に響く。上へ下へとお腹の中身が動いて、居心地が悪い。

 店員が注意事項を説明していた。内容は次のとおりである。

 ゲーム内に控室を用意してあるので、基本的にはそこで過ごす。もしも所用でログアウトする場合は、自分の対戦に間に合わないと棄権を宣告されるので注意するように。

 控室は所属都市ごとに用意されている。なので、この八人で一ヵ所の控室を利用することになる。なお、他の控室を訪れることも可能で、そこで雑談なども許される。

 試合に影響されない程度であれば、対戦も可能だが、基本的には遠慮していただきたい。対戦して負け、ログアウトしている間に試合が始まると、棄権になる。

 ゲーム内の控室で各試合の中継を見ることができる。

 試合はトーナメント方式で、敗者復活戦はないので負けるとそこで終了となる。上位八名が世界大会への出場権を得る。

 各試合の舞台はランダムで決まる。平舞台、障害物が配置された舞台、街中、森の中、水の流れる浅瀬、砂丘、柱が乱立する柱の上、狭く高い塔の上。以上八つのステージがある。

 平舞台、障害物が配置された舞台、柱が乱立する柱の上、狭く高い塔の上の四ステージは場外負けがある。

 対戦は三分間の時間制限で行う。KOするか、三分経ったときのHPの残量で勝敗が決する。HPは最大値を百パーセントとする比率で判定するので、HPの最大値の多い少ないで勝負が決まることはない。仮にHPの割合が全く同じ状態で三分が経過した場合は、一分間の延長を行い、それでも勝敗がつかないときは両者負け扱いとなる。ただし、ベストエイトに選出される試合だけは再延長を行い、勝敗を決するまで続ける。

 各対戦は配信サイトでも中継される。対戦ごとにスポンサーが付く。なお、スポンサーを選ぶことはできない。また、スポンサーから金品の授受はない。

 ただし、上位八名は順位に応じて賞金が配られる。賞金の出資元はこのスポンサーである。

 対戦中に、スポンサーが不利益を被るような発言や行為が判明した場合は、編集される。

「ゲームに参加された時点で、これらの趣旨に承諾されたものと扱われます。改めてサインなどを求めることはありません。もしも趣旨に同意いただけない場合は、不参加を選択ください」

 店員がそう言って締めくくった。もちろん、誰も退席しない。

 八人は特に会話することもなく、ボックスタイプのVRマシンに入り込んだ。駿にとって、サクチャイや優希を除けば、現実世界で接点のない人たちだ。話をする必要がなくて助かったと、胸をなでおろしていた。

 VRマシンにVSGの専用カードを差し込むと、今回は通常とは違い、クレジットを消費することなく、ゲームが起動した。

 上からヘルメットが降りてくると目の前が真っ暗になった。

 暗い画面に文字が浮かび上がり、続いて駿の使用するキャラクターであるウォン・フェイフォンが表示された。キャラクターが回転して接近すると、視界がキャラクターのものに変わった。

 ウォン・フェイフォンが瞬きする間に景色が変わり、机や椅子、ソファーなどが並んだ広い部屋になっていた。

 正面と背後に扉がある。

 正面には試合会場と張り紙があった。その扉の横に係の人らしい女性がいた。ゲームセンターの店員が着ている制服と同じなので、店員自身のアバターなのかもしれなかった。

 左右に次々と人が現れた。

 筋肉質で浅黒い肌をさらしたモモタロウ。彼はサクチャイだ。モモタロウの顔は、サクチャイそのものである。現実よりも筋肉質だということ以外はほぼ同じだった。

 カンフー映画に出てきそうな服装のユウ。彼女は河原優希だ。ユウは格闘技の太極拳を使う。体操のそれとは違い、恐ろしい破壊力を秘めている。

 侍姿の634。彼はここでも無口だ。早々に手ごろな椅子に腰を下ろしていた。

 ソラは部屋中動き回って色々点検して回っていた。好奇心旺盛に動き回って、正面の扉に手を伸ばすと、さすがに店員に止められていた。

 カーバンクルは、ただのさえない青年にしか見えない。ソファーに腰を据えてくつろいでいる。その彼が宝石を飛ばし、魔法を放つと、色彩豊かに、そして多彩な攻撃で戦うのだから、不思議なものだ。

 霧隠は淡いグレーの忍者服を着ているが、顔は隠していない。控えめに椅子に座っていた。

 ダーククローは、ただ立っているだけなら、その長身でかなり目立つ。プレイヤーは小柄なのでギャップも付いてくる。その彼と対峙すると、不思議なことに、黒い服の中に全身が隠れ、どこから手が伸びてくるのか予想がつかないのだ。

 ダーククローはどこか落ち着きがなく、壁際を行ったり来たりしていた。

 女性が咳払いをした。

 全員が注目すると、女性が右手で横の壁を示した。すると、壁一面に映像が現れた。映像には司会らしい男性が映し出され、挨拶を述べた。

「これよりVSG、世界一強いのは誰だ選手権、日本大会を開催いたします」

「え、そんなタイトルだったの?」

 フェイフォンは思わずつぶやいていた。周りから一斉に視線が注がれた。

「あ、ごめん」

 フェイフォンは顔を赤らめ、詫びて縮こまった。

「対戦は次の通りです」

 男性がそう言うと画面が切り替わってトーナメント表を映し出した。

 扉横にいた女性が画面に触れると、そのトーナメント表が切り取られ、縮小して正面の扉脇に移動した。

 横の壁のトーナメント表はまだ表示されている。八人はこの大きなトーナメント表から自分の名前を探して首を振っていた。

 フェイフォンも例にもれず、目を走らせていた。

 表には名前がずらりと並んでいた。その名前の下に出場都市名が書かれている。フェイフォンなら北東京、玉吉なら東海という風である。

 フェイフォンは思わず二度見していた。玉吉が東海だったとは知らなかった。アグニは中国とあった。見知った人の住む都市が判明して、興味をそそられた。

 フェイフォンの名前は十三試合目にあった。相手はアマテラスとあった。ニュー東京の選手だ。ゲーム内でも見かけたことのない名前なので、どんな武器を使うのか、どのような戦い方をするのか見当もつかない。

 表をたどると、どうやら二回勝てばベストエイト進出のようだ。つまり、二回勝てば世界大会進出だ。

 フェイフォンはたった二回でいいのかと驚くと同時に、なんだか簡単そうに思えていた。

 そこで一つの疑問に行き当たった。都市が十あるのなら、八十人の出場者がいるはずだ。だが、表には三十二人しかいない。都市四つ分の人数だ。これは一体どういうことなのだろうか。

 考えながらトーナメント表を見ていると、第一試合にモモタロウの名前を見つけた。相手はわたやんとある。玉吉と同じ東海からの出場だ。

「扉横のトーナメント表は常時表示しておきますので、適時、ご確認ください」

 女性が説明していた。どうやらこの女性も店員のようだ。

 横の壁の映像が切り替わった。司会の男性が映し出されている。

「残念ながら、今回も四都市のみの参加と相成りました。他の都市のインフラ整備が間に合わず、少ない人数での大会となってしまい、大変申し訳ありません」

 男性が詫びたが、おかげで二回戦うだけで世界に行けるのだから、ありがたくもあった。

 世界大会に進めば、バイパーやラッシュたちとも試合ができるのだ。ローグやレスマもいるかもしれない。彼らはどんな戦い方をするのかと思うと、フェイフォンは胸がわくわくして治まらなくなった。

 食べ過ぎによる胸焼けではないと、信じよう。フェイフォンは嫌なことを思い出したと後悔していた。キャラクターのお腹は膨れていないので、きっと大丈夫だ。

「試合は三十分後から開始します。それまで各自準備を整え、待機ください。なお、各控室の背後にある扉から、他の控室を訪問することも可能です。交友を深めるためにご活用ください」

 男性が締めくくろうとすると、突然別の映像が割り込んだ。白く眩しい服に身を包んだ若い男が現れた。男は部屋の中にいる人々を見下し、唇の端をゆがめた。

「揃いも揃ってろくなものがいないようだな」

 男から、他の部屋の中が見えているようだ。

「まあ良い。我らは選ばれた民だ。真の日本人だ。その誇りのために戦おう。決して貴様らのような貧民と競うためではない。競う価値もない。そもそも競うだけの実力もない。実力差が歴然としていることを、貴様らは思い知ることになるであろう」

「なにあれ?」

 またもやフェイフォンが呟いていた。映像の男がフェイフォンを睨みつけているように見えた。こちらの声も聞こえるのだろうか。

「あー、ごめん?」

 念のために誤ってみると、どうやら反応がある。

「ふん。口の利き方も知らんようだな。これだから下賤のものは…」

 フェイフォンは男の物言いに対して、頭に血が上るのを感じた。だが、意外と冷静な言葉を返していた。

「御託は良いよ。ちゃんと戦ってくれるならね」

 これには相手の男も言葉に詰まった。

「き、貴様!名は何という!」

「ウォン・フェイフォン」

 名を聞いて、男が意味深な微笑を浮かべた。

「私はアマテラスだ。貴様は初戦で私と当たる。だが、貴様だけは時間をかけ、ゆっくりといたぶり倒してやろう。フフッ。今更後悔しても遅いぞ」

 アマテラスはそう言って笑った。

「どうぞご勝手に。あんたが卑怯な手を使おうとどうしようと、僕はかまわないよ」

 フェイフォンの返事に、男が顔を真っ赤にして絶句していた。さらに何かを言おうとしていたが、映像が司会者に戻った。

「大変失礼いたしました。どうしたことが、一時制御を…」

 司会の男性はそこまで言って、しまったと顔をゆがめ、咳払いでごまかした。

「どうか、時間まで、トラブルのないようにお願いします」

 司会は最後にそう釘を刺して締めくくった。

 店員の女性が心配そうにフェイフォンを見ていた。

「フェイフォンも言うね」

 モモタロウが嬉しそうに言いながら近づいてきた。

 ソラがまぶしそうにフェイフォンを見ている。

「かましてくれたな」

 カーバンクルが苦笑いしていた。

 634は腕を組んでうつむいているが、口角を上げている。

 霧隠は唇にチャックをするようなしぐさをしてみせたが、顔は笑っていた。

 ユウが呆れた顔でフェイフォンを見つめていた。

 後ろで扉が大きな音を立てて閉まった。ダーククローが部屋を出て行ったようだ。

 ダーククローはどうしたのだろうか。フェイフォンは気になったものの、追いかけることはしなかった。正確にはできなかった。モモタロウやカーバンクルに背中をつつきまわされていたからだ。



  5


 落ち着いてトーナメント表を再確認すると、気になる名前が見つかった。

 元々、雄太はどのキャラクターだろうかと見ていたのだが、見当もつかない。だが、とんでもない名前を見つけてしまった。

 フェイフォンが驚いて固まっていると、ユウがどうしたのと覗き込んできた。フェイフォンがその名前を指差すと、ユウもおかしな声を上げていた。

 二人で怪訝な顔をして、互いの顔を見合わせた。そして思わず笑ってしまった。

 初めはモモタロウの試合を見ようと思っていたが、どうやらそれどころではなくなっていた。この驚きの名前の人物に会わなければならない。

 フェイフォンとユウは頷き合うと、控室を出た。モモタロウも付いて来ようとしていたが、さすがに店員に呼び止められていた。モモタロウの不満そうな声が、扉に阻まれていた。

 控室を出ると、そこは左右にのびる廊下だった。何の飾り気もない廊下だ。右の廊下は右側に、左の廊下は左側に、それぞれ緩やかに曲がっていた。どちらに向かえばいいのかも見当がつかないので、フェイフォンとユウは右から回ることにした。

 緩やかに右へ曲がり続ける廊下が続いた。それ以外は何もない。

「駿て、ああいう上から目線に反応するわね」

 ユウが辺りに誰もいないことを確認して、あえて本名で呼んでいた。

「え?そうかな?」

「ほら。教授とも一度やり合ったじゃない」

「え、ああ」

「あの教授も上から目線だったものね」

「ん?あれ?僕、さっきの、かみついてた?」

「しっかりと」

「あちゃー。そのつもりはなかったんだけど」

「うそおっしゃい」

「ほんとほんと」

「呆れた…自覚ないのね」

 ユウはそう言いながらも、顔はほころんでいた。

 フェイフォンもユウと一緒にいることが嬉しくて微笑んでいた。何の変哲もない廊下を歩いていることは少々不満だった。せめて景色に変化のある所ならば、二人で感想を言い合えたのだ。世界の景勝地を巡った時もそうだし、桜並木を歩いた時もしかりだ。

 現実世界で、憩いのフロアを歩いた時ですら、景色に変化がある。変化があれば、心が軽くなるというものだ。

 ここのように何の変化もない廊下だと、妙な不安がよぎってしまう。同じ所を歩いているのではないかと、意味もなく考えてしまった。

 フェイフォンの考えを読んだかのように、廊下が終わり、広い空間に出た。ただ広いだけで、何もない。

 殺風景すぎて、ため息しか出なかった。何もなさ過ぎて気が滅入りそうだった。

 広い空間の先に、廊下の続きがあった。

 二人は広い空間では一歩も立ち止まらず、次の廊下へ向かった。

 再び、変化の乏しい廊下を歩き続けると、右側に扉が現れた。

 扉には東海控室とあった。

 目的地はここではない。それでも、来たからには興味があった。フェイフォンが扉を指し示すと、ユウも興味があるらしく、頷いていた。

 フェイフォンが恐る恐る扉を開け、こんにちはと呼びかけた。中の人々の目が一斉にフェイフォンをとらえた。フェイフォンが怖気づき、躊躇していると、何かが飛びついてきて、フェイフォンを押しのけていた。

「ユウさん!俺のために、激励に来てくれたんだね!」

 フェイフォンを押しのけたそれは、ユウの両手をヒシと握りしめていた。これほど大きな丸い頭をした人物は、玉吉しかいない。

 フェイフォンは立ち上がると、わざと玉吉にぶつかって押し返した。玉吉をそのまま部屋の中に押し返し、ユウとの間に立ちふさがった。

「よう玉吉」

 フェイフォンが低い声で呼びかけた。玉吉は気にも留めず、ようと手を上げ返しただけだった。

 部屋にいる人たちは玉吉以外見覚えがなかった。だが、相手はフェイフォンのことを知っているらしく、歓迎された。

「もうすぐ陰の試合始まるから一緒に見て行けよ」

 陽気に声をかけてきた男は十兵衛と名乗った。刀を腰に下げた侍姿だ。彼以外にも侍が三人いて、一人は敗者と書かれた札を下げて部屋の隅に座っていた。

「お前らのとこのモモタロウ、メチャクチャだな」

 侍の一人、小次郎と名乗った。彼は敗者の札を下げた侍を指差して言った。

「モモタロウのせいで、わたやんがあの通りさ」

「あっという間だったわ。参考になりゃしない」

 騎士姿の女性がわたやんに一瞥くれながら言った。彼女はジャンヌと名乗った。

 もう一人の侍は闇太郎と名乗った。彼は恥ずかしがり屋なのか、人の陰に隠れていた。

 もう一人は騎士姿の凛々しい男で、アイオンと名乗った。

 東海からの出場者は侍や騎士ばかりのようだ。

「もう一人は、ほら、そこに出てるぜ」

 小次郎が指差した先に映像があり、黒い忍者服を着た男と霧隠が映っていた。黒い忍者服の方も見覚えがあった。陰だ。

 陰も東海だったのかとフェイフォンは感心した。そして画面では、忍者対決という魅力ある試合が開始されようとしていた。

「陰はそう簡単にやられはせんぞ」

 十兵衛が自慢げに言っていた。

「霧隠もなかなかよ。見くびらないで」

 ユウが不敵に言い返した。

 試合の舞台は浅瀬だった。足元に絶えず水があるので、いざという時に足元をとられかねない、難しそうな舞台だ。

 画面の二人は同時に忍者刀を抜き放った。水柱を立ち昇らせながら、二人が接近し、刀を打ち合わせた。鋭く打ち合わせ、霧隠が後方に飛び下がった。

 二人が睨み合ったのもわずかな間だ。再び互いに走り寄ると刀を打ち合わせた。霧隠が撃ち負け、仰け反った。いや、仰け反ったように見せ、蹴りを放っていた。

 陰は読んでいたように片腕で受け止めると、返す刀で斬りつけた。霧隠は水辺を転がって避けていた。

 フェイフォンの見るところ、体術は陰の方が上だった。このままでは霧隠が押され、そのまま試合が決まるだろう。

 霧隠が水をまき上げた。その水がどういう訳か、ものすごい勢いで陰を狙う。陰は忍者刀で受け流すと火花が散っていた。霧隠が手裏剣を投げていたのだ。

 霧隠が移動したところへ、陰も狙いすませたように手裏剣を投げ返した。霧隠が刀を振るうと小気味よい音とともに火花が散る。

 陰が瞬く間に間合いを詰め、まだ屈んでいる霧隠を鋭く斬りつけた。その刀に霧隠の身体が真っ二つにされたように見えた。だが、それは水だった。

 霧隠はいつの間にか陰の背後に回っていた。背後から斬りつけた。陰は後ろに目でもあるのだろうか。振り向きもせず、刀を背に回し、背を傾けながら受けた。そして上半身の沈み込みを利用して後ろ蹴りを出していた。

 霧隠はとっさに刀の柄で蹴りを受け、後方へ押し返されていた。

 次第に戦いは激しさを増していった。刀、手裏剣、体術が入り乱れ、動き回った。水辺で動きが鈍くなるはずなのに、二人の忍者はまるで影響を受けていないようだった。

 合間、合間で、おかしな場面が何度も出てくるようになった。相手を斬りつけても、それが水だったり、木片だったりするのだ。

 誰かが感嘆したように口笛を吹いた。

「あれ、忍術よね」

「ああ、変わり身の術とか言ったかな」

 ユウが呟くように言ったことに対し、小次郎が答えていた。

「二人ともすごいわ」

 ユウは霧隠と戦ったことがあるのだが、それでも驚いている様子だ。二人の対戦から三ヶ月ほど経っている。その間に、霧隠は忍術を習得したのだ。だから、ユウも驚いているのに違いない。

 さらに異変が起こった。

 足元の水から霧が発生し、辺りを白く包んでいった。すると、霧隠の姿が名前の通り、霧の中に隠れてしまった。

 陰は刀を鞘に戻し、腰を低くして身構えた。柄に手を添えて、いつでも抜刀できる構えだ。陰は攻めてきたところを迎え撃つ算段だろう。

 霧が濃く、むやみに動いたところで、霧隠を見つけることはできそうにない。フェイフォンが戦っていたとしても、同じように迎え撃つ構えをとっただろう。

 最後はあっけないともいえるほどの、一瞬で終わった。

 唐突に陰が抜刀し、霧をかき分けた。そしてゆっくりと刀を鞘に納めた。

 ゆっくりと霧が晴れると、陰の足元に霧隠が横たわっていた。

「さすが陰!」

 東海メンバーが拍手喝采していた。

「でも、今の、どうやって霧隠の接近に気付けたのかしら?」

 ジャンヌが首をかしげていた。

「音だと思う」

「音じゃないかしら」

 答えたフェイフォンとユウが顔を見合わせた。

「音?」

「そう。水辺だから、僅かに足音が聞こえたのだと思う」

 フェイフォンが代表して答えた。

「うわー。なんか、怖い」

 わたやんが気の抜ける声を出していた。

「そんなどこかの達人のような芸当やらなきゃ勝てないのかよ」

「おうおう。気を落とすな。あんな化け物染みた戦いできるやつはそうそういないさ」

 十兵衛はそう言って慰めたものの、目はちらちらと、フェイフォンとユウを見やっていた。その数少ない化け物がここにも二人いると、その目が語っていた。

 フェイフォンが、そう言えば静かだと思って見渡すと、玉吉は一人静かに、ユウを見つめていた。試合などまるで眼中にない様子だ。

 フェイフォンは内心、玉吉の行動をさすがだと思いつつも、ユウを促して部屋を出た。ユウが玉吉の視線で汚されてしまう。救い出さなければならなかった。



  6


 右回りに廊下をたどると、再び広場を通過し、次の廊下の先で扉に行きついた。今度の扉には中国とある。ここが当初の目的地だ。

 東海の控室で予定外に時間をつぶしてしまったので、ここまで走ってきた。二人は呼吸が落ち着くまで待った。

 フェイフォンは呼吸を整えながらも、このキャラクターの身体能力の高さに驚いていた。

 北東京の控室から東海の控室までと、東海の控室からここまでの距離はほぼ同じだ。だが、走ると、それこそあっという間だった。北東京の控室から東海の控室まで三十分程度かかったというのに、である。

 ユウも同じ速さで走ってくることができた。つくづく、周りの人々のレベルが違うことを感じさせられた。

 呼吸は整ってきたが、ユウの表情に緊張の色がある。

「いよいよね」

 ユウが呟くように言った。

 フェイフォンももちろん、あるいはユウ以上に緊張していた。フェイフォンこそ、一番確認したい相手と、これから会うのである。

 フェイフォンはユウに対して頷くと、扉を開けた。

「こんにちは」

 恐る恐る声をかけた。

 壁の映像は第四試合が始まるところだった。先ほどの忍者対決が第三試合だ。準備の間で控室間を移動できた。時間の短縮ができたことに、フェイフォンは胸をなでおろした。

 映像の中に、クララという少女とスサノオという、こちらはニュー東京の選手が出場していた。

 映像の前に、クララそっくりの少女がいた。少女はちらりとフェイフォンたちを見た後、映像に視線を戻した。

 見知った男が代表してフェイフォンを迎えた。炎使いのアグニだ。

「よーお二人さん」

 アグニはフェイフォンの肩に手を置いた。

「ニュー東京勢に宣戦布告とは。見直したぜ!熱くたぎるよな!」

「え?宣戦布告?」

「あー。本人自覚なしです」

 ユウが処置なしと言わんばかりに告げた。

「なんと!やるねぇ」

 アグニはどちらにしろ、歓迎らしい。

「で?敵情視察かい?」

「いえ。実は人を訪ねて来たの」

「誰だ?その対戦を希望する相手は」

「いえいえ。対戦ではなくて」

「実は、トーナメント表で気になる名前を見つけたので訪ねてきたんだ」

 フェイフォンがアグニの腕を肩から外しながら答えた。表にあった名前を言うと、その人物をアグニが呼び出してくれた。

 映像を見ていた一人がアグニの呼びかけに答え、扉の前までやってきた。

 その人物は、フェイフォンを見ると緊張でもしたのか、震える声であいさつをした。

「ぼ、僕に何か御用でしょうか?」

 普段、僕などと言わないが、その顔つきから姿まで、モニターで見ていた少年そのものだった。

 フェイフォンはユウと顔を見合わせた。ユウの顔が笑っていいのか驚いたらいいのか分からないような、引きつった顔になっていた。フェイフォン自身の顔も似たような状態だ。顔の筋肉が引きつっていた。

 フェイフォンは確認するまでもないなと思ったが、それでもあえて尋ねた。

「君が雄太?」

「そ、そうですが、何か?」

「まさかと思うけど、リアルも雄太?」

 この問いにはさすがに雄太も怪訝な表情をした。

「何だよ!リアルとキャラ名いっしょで悪いかよ!」

 急にすねたように叫んだ。雄太は以前、ウォン・フェイフォンの対戦に注目していた。一目置いていた相手からからかわれたと思って、拗ねたのではないか。

「ああ。ごめん。僕は駿だ」

 誤解も含めて一度に解決することを言った。

 雄太の目が点になった。せわしなく視線を泳がせ、フェイフォンやユウを見ていた。

 部屋の奥で嘆く声が上がった。

 映像の中で、クララが倒されていた。映像の前にいたクララそっくりな少女が泣いていた。

 どうやら、第四試合はスサノオの勝ちで終わったようだ。

 ユウの対戦は十一、フェイフォンは十三試合目なので、まだ時間の余裕はある。

 唐突に、雄太が大声を上げていた。フェイフォンを指差して叫んでいるのだが、何を言っているのか見当もつかない。まるで言葉になっていなかった。

「キャラ名教えないわけだ…」

 フェイフォンは呆れたように呟き、雄太の姿を観察した。現実の雄太そのものの少年がそこにいる。モモタロウのようなもの好きが、ここにもいたらしい。

「あなたが…あんたが…お前が…」

「あれ?段々格が落ちてる?」

「なんでウォン・フェイフォンなんだ!」

「いや、なんでって言われても」

「くそ!憧れて損した!」

「おいおい。というか、憧れてたのかよ」

「俺の気持ちを返せ!」

「知るか!だいたい、なんでキャラ名も雄太なんだ!」

「うるせぇ!俺の勝手だろう!だいたい女連れで来やがって!なんだ?見せつけたいのか?嫌味か!」

 フェイフォンはその一言で、ユウの正体を雄太に教える気がなくなっていた。雄太の想い人がユウなのだ。そのことを知っているのはフェイフォンだけだ。わざわざ教えてやる義理はない。

「悔しかったら女の子の友達の一人や二人作ってみやがれ!」

「なにを!」

「なんだ!」

 勢いのついた雄太と、迎え撃つフェイフォンの舌戦、とまではいかない。だんだんと、幼稚な言い合いに発展していっただけだ。

 まるで小学生の男の子二人が口げんかしているようなものだ。

 傍にいたユウは呆れ顔でやり取りを見つめていた。アグニはおかしそうに眺めている。他の中国選出の選手たちは何事かと、遠巻きに見物していた。

「おうおう!ちょうどいいじゃないか!俺ら、二回戦で当たる!雌雄を決しようぜ!」

 雄太がフェイフォンを指差し、親指で首を横切り、その親指を下に向けた。

「こっちこそ望むところだ!一回戦で負けたりするなよ!」

 フェイフォンも言い返すと、扉を閉めた。

 振り向くとユウが呆れている。

 フェイフォンは両手を広げてみせた。

「どうしよう!あのウォン・フェイフォンに喧嘩売っちまった!」

 扉の向こうで嘆く声が響いた。

「俺、終わった!終わった!」

 アグニらしい笑い声が響いていた。

「男の子って、本当に、素直じゃないんだから」

 ユウが呆れ声で言った。フェイフォンが頷くと、ユウはフェイフォンも同類だと言いたげに一瞥をくれ、廊下を先に歩き出した。



  7


 フェイフォンはユウの後を追って走りながら、少し言い過ぎたかもと後悔していた。雄太に対してである。

 扉越しに聞こえたあの弱気な発言から、あれは雄太の精一杯の虚勢だったことが分かっている。VSGに誘ってくれたのは雄太だ。雄太はVSGの先輩として、威厳を保ちたかったのではないか。

 だが、名声はウォン・フェイフォンの方がはるかに高くなってしまっている。

 憧れた相手が見知った友人だったと知って、ショックを受けたのもあるのだろう。

 しかし、雄太は今までキャラクターの名前を隠し、駿を三下扱いで接してきた。その報いは、対戦で負わさなければならない。駿としてではなく、ウォン・フェイフォンとして、やらなければならない。

 フェイフォンにもプライドがある。曲がりなりにも名が知れるようになっているのだ。無様な戦いはできない。

 雄太には感謝もするし、同情も芽生えたが、それとこれとは別だ。二回戦で当たるならば、叩きのめすのみだ。

 右手に扉があった。ここはニュー東京の控室だ。ここだけは立ち寄る用事すらない。

 ユウもそのつもりだったようで、ペースを落とさず駆け抜けた。フェイフォンもそのすぐ後を追った。

 廊下と廊下の間に必ず広場がある。もうすぐその広場に差し掛かろうという時、ユウがペースを落とした。指を立て、唇を押さえた。そして耳を指示した。

 フェイフォンはユウの隣で立ち止まると、耳を澄ませた。

「北東京ごときが思い上がるな!」

「同じ東京の名がつくなどおこがましい」

 数人の声が聞こえ、鈍い音が響いた。

 数人の男女が口々に相手をこき下ろしている様子だ。鈍い音は、殴りつけてでもいるのかもしれない。

 内容から察して、北東京、つまりフェイフォンたちと同じ都市から選出された選手を、いたぶっているのではないかと思われた。

 誰がやられているのだろうか。

 フェイフォンとユウは顔を見合わせると、再び駆け出した。そのまま広場に飛び込む。

 広場に六人いた。一人は壁際に立ち、眺めているだけだ。一人は床に転がり、残りの四人に代わる代わる、殴られ、蹴られていた。

 床の人物はダーククローだ。そう分かった途端に、フェイフォンは頭に血が上った。

「何やってんだ!」

 間に割り込み、相手の蹴り足を下から蹴り上げた。相手は勢い余って背中から倒れ、床で後頭部を打っていた。

 ユウも割り込み、別の相手の蹴り足を受け流した。その相手はコマのように回転して、床に転がった。

「貴様ら!我らが誰か分かって邪魔だてしているのだろうな!」

 言ったのは、映像に出てきた男だ。名前はアマテラスと言ったはずだ。白い服が輝き、まるで後光が差しているかのようだ。

「誰かも何もあるか!試合前に寄ってたかるような輩が偉そうに!」

 アマテラスはすぐにフェイフォンだと気付き、顔を真っ赤にしていた。

「貴様!返す返す!」

 言葉がとぎれとぎれだ。拳を強く握りしめ、力み過ぎている。言葉も力み過ぎて、単発でしか発せられないのだろう。

「いいだろう!この場で実力の差を思い知らせてやる!かかって来い!我ら選ばれた民に楯突いたことを後悔させてやる!」

「それで?場外で数人がかりか?」

 フェイフォンが怒りに任せて嘲笑った。

「いいさ。全員でかかって来いよ!卑怯者ども!」

 壁際の男以外、四人が一斉にとびかかろうとしていた。

「おい!」

 廊下にもう一人現れた。先ほど映像に映っていたスサノオだ。

 四人は足を止め、振り向いた。スサノオと視線を交わし合うと、構えを解いた。

「まあいい。このケリは試合で付けさせてもらおう。ゆめゆめ易く終われるとは思うな」

 アマテラスはそう言い放つと、控室の方へ引き揚げていった。残りの三人も大人しく従った。

 一人、壁際の男だけが残る。

「あんたもやるのか?」

 フェイフォンが身構えたまま問うと、男が壁から背を離した。

「いいや」

 見た目とは違い、甲高い声だった。声変わり前の少年と思われる。男はそれ以上何も言わず、ゆっくりと歩き去った。

 ニュー東京勢が見えなくなってやっと、フェイフォンは足元を確認した。

 ダーククローが身体を重そうに引き起こしていた。

「大丈夫?」

 ユウが手を貸すものの、ダーククローがその手をはじいた。

「俺みたいな弱者が間違ってこんなところまで来るからだ」

 ダーククローは何気ないように言ったが、声が震えていた。

「何を言ってるんだよ。君は実力で勝ち取ったんじゃないか」

「実力?運がよかったの間違いだろ」

「そんなことない!君はあのオウガ相手にも善戦したじゃないか」

「負けたけどな」

「僕より順位…」

 順位が上と言おうとして、ユウに口を押さえられた。首を左右に振っている。

「この子、自覚なくてごめんなさいね」

 ユウが詫び、ダーククローの目の前に跪いた。

「ダーククロー。あなたは確かにオウガに負けたけれど、あと一歩の差だったのよ。先ほどの連中がオウガより強いと思う?いいえ。弱いわ。重課金しているようだから、倒すには苦労しそうだけど、技量はあなたの方が上なのよ」

「慰めはよしてくれ」

「そうね。あなたではあの重課金の装甲を破れないかもしれない。でも、いつものあなたの粘り強さがあれば、不可能という訳でもないのよ」

 ダーククローはスクエアコンボもキューブコンボも使えない。それなのに、手があるとユウは言うのだ。

 ダーククローも疑心暗鬼ながら、その方法は気になるようだ。

 ユウは方法を教えた。現実に有効かどうか、試す時間はない。不安が残る方法だが、確かに、ダーククローなら、可能と思える方法だった。

「実際に有効なのか?」

「正直、試してみないと分からないわ。でも、可能性があるとしたら、これね」

 ダーククローの目の奥に、微かに光が灯ったように見えた。だが、再び曇った。

「でもだめだ」

「どうして?」

「そんなの、あんたらみたいな度胸と技量のあるやつじゃないと無理だろ」

「技量は十分よ」

「度胸もあるじゃないか」

 フェイフォンも口をはさんでいた。

「俺に?あるわけない!お前に負けるのが怖くて、ずっと避けてたんだぞ!」

「え?そうなの?」

 ダーククローは苦悶の表情を浮かべ、諦めたように笑った。

「そうなんだ…。でも、現実の君は度胸あるよ。それは間違いない」

「君が何を知っているっていうんだ!俺は弱い!弱いから、少しでも強くなりたくて、このゲームやってたんだ!背が低いのもコンプレックスだったから、ここでは背を高くしたんだ!玄人に思われたいから、トリッキーな戦い方を選んだんだ!本当の僕は弱虫で、背が低くて、不器用で、情けない奴なんだ!強くなりたいから、俺なんて言ってみたりしてたんだ!似合いもしないのに!」

 広い空間にダーククローの声が響き渡っていた。膝の間に顔をうずめ、肩を震わせていた。

「僕は知ってるよ」

 フェイフォンは静かに言った。

「僕が不良にからまれた時、助けてくれたのは誰だったかな。僕が逆の立場だったら、声もかけられなかったと思う」

「それは…!」

 ダーククローが顔を上げたが、涙に声が埋もれた。

「それは。強い自分を想像したら、助けるに違いないと思ったから」

「そう?あれが虚勢だったとしても、事実として、僕は助けられた。声を上げてくれなければ、僕はこのゲームも続けていなかったんじゃないかな。君のおかげなんだ」

「よしてくれ」

「よさないよ。まだあるもの」

 ダーククローがフェイフォンを睨みつけていた。

「あれは初詣の時だったね」

 ダーククローもすぐに思い当たったらしく、顔をそむけた。

「何も言わないのに、モモタロウの横に並んで、彼が好奇の目にさらされるのを防いでくれたでしょ。君は優しく、行動力のある人なんだよ」

「それは…!そんなの!ここでは役に立たない!」

「そうかな。君は、これはと思ったことをやり遂げる信念と行動力を持っているんじゃないかな」

 フェイフォンはそこまで言って、言葉に詰まった。どう表現していいのか、その言葉が出て来ない。

 ユウが代わりに言った。

「あなたは理想の自分を思い描いて、行動しているのね。その体現のために、彼を助け、モモタロウをおもんばかったのでしょ」

 ユウの声がいつもより優しく聞こえた。これが女性のなせる業なのか、聞き手が男性だからそう感じるのか、優しい何かに抱かれたような気分を錯覚させた。

「理想を思う一念で、自分の殻を破っているのだと思うわ。きっと、あなたが思う以上に、周りはあなたのことを、あなたの理想に近いとみていると思うわよ。あなたが一念を胸に抱いて、長年過ごしてきた結果でもあるの」

 ダーククローがうつむいた。

「私みたいな若輩者に言われても言葉の重みがないけれど、あなたの、ここでの戦い方を見ていても、感じるの。一つの信念を抱いて戦っていると」

 その信念のわりには、初心者狩りもやっていたのだが、さすがにこの場にふさわしくないと思え、フェイフォンは口を閉ざした。

「私の知る限り、あなたはその戦い方を一度も変えることがなかったわ。それも信念を貫いている証拠よ」

 ダーククローが自分の手にある鉄の爪を眺めていた。それは今まで、彼の手足の一部となって共に戦った武器だ。何かしらの思い入れがあるに違いない。

「今度の対戦だって、その信念を貫いて、困難に立ち向かえたら、いつものように粘り強く戦えたら、まだ勝ち目が残っているのよ」

「僕にそんな偉業が成し遂げられるかな…」

 ダーククローがフェイフォンを見上げていた。

「この人は本能でやっちゃったから、参考にならないわよ」

「え?なんか、僕、バカにされてる?」

「知らないわよ」

 二人のやり取りに、ダーククローがクスリと笑った。

「これだからな。ひがみたくなる」

「分るわ。こんなの、規格外すぎるもの」

「え?あれ?いつの間にか僕が責められてる?」

「ええ。肝心な時に役に立たない人だもの」

 フェイフォンが抗議しようとすると、ユウは念を押すように、今も、と付け加えた。

 フェイフォンはぐうの音も出なかった。その顔がおかしかったのか、ダーククローが目に涙を浮かべたまま、笑っていた。

「訂正。少し役に立ったわ」

「ひ、酷い…」

 ダーククローは笑ったことで、何かが吹っ切れたようだった。ゆっくりと立ち上がる。その背が伸びたのかと思えるほど、頭の位置が高かった。

「それで、あの戦い方か」

「そう。一念岩をも通す、よ」

「一念岩をも通す、か」

「そう。あなたにピッタリでしょ?」

「かもしれないな」

「しつこくて粘り強いもの」

 フェイフォンが言うと、ユウに睨まれた。蛇に睨まれた蛙よろしく、フェイフォンは謝った。

 ダーククローが背を向けた。顔が見えないので何を思っているのか分からない。だが、肩はもう震えていないようだ。

「それともう一つ」

 ダーククローの背中へ、ユウが声をかけた。彼が振り向けた顔は、どこか明るい色が差していた。

「そのダーククローってキャラクターのことをもっと信じて。キャラクターと一体になればなるほど、強くなれるの。あなたにはまだその余地がだいぶ残されているのよ」

 ダーククローが自分の身体を見渡していた。

「このキャラクターと一体になる…」

「そう。自分を信じて。そしてダーククローを信じて」

「信じる…」

「あなたならできるわ。私が保証します」

 ダーククローは小さく頷くと、背を向けて歩き出した。右手とそこに装備された鉄の爪を掲げるように見つめていた。

「俺なりに、やってみるよ」

 声に力が戻っていた。

 友人の復帰に、フェイフォンは心躍った。ダーククローの背中が大きく見える。この次に、もし対戦したら、手間取らされるに違いない。そう思わせる背中だった。



  8


 映像に、ダーククローとツクヨミという女性が映し出されていた。

 ツクヨミもアマテラス同様、白い服が淡く輝いて見えた。アマテラスより少し優しい光に思えるが、彼女は先ほど、場外でダーククローをいたぶっていた一人だ。その光もどこか汚れて見えた。

 障害物が配置された舞台で、二人が対峙していた。

 障害物は、トリッキーな動きをするダーククローに有利かもしれない。

 ツクヨミの頭上に光る球が現れた。そこから鋭い光が飛び出し、ダーククローを突き刺したかに見えた。ダーククローは横ざまに飛んで、かろうじてかわしていた。

 ダーククローが物陰に隠れても、光の球体が追いかけ、光の矢を射かけた。どうやら障害物などお構いなしのようだ。

 ダーククローが反撃に出ようにも、その障害物が邪魔になってなかなか接近できなかった。

 心の折れていた彼なら、この状況で諦め、負けていたのではないだろうか。だが、今のダーククローは一味違った。粘り強くタイミングを待った。

 それは運がよかったのだろうか。光の矢を避けて飛んだ先に、ツクヨミの姿があった。いや、彼のことだ。敵の攻撃を避けながら、近づくタイミングを狙っていたに違いない。

 ダーククローは地面からバネが伸びあがるように、ツクヨミへ迫り、鉄の爪を突き出した。

 ツクヨミはあざ笑うかのように、身体で受け止めた。鉄の爪が当たっているにもかかわらず、ダメージがない。重課金で装甲を高めてあるのだ。ダメージを受けないと自信を持っているので、ツクヨミは避けもしなかった。

 ダーククローはバネを伸縮させるように身体を曲げ伸ばしし、かまわずに鉄の爪でツクヨミの身体を切り裂き続けた。

 背後からくる光の矢を避け、前後左右に動き回る。絶えず、ツクヨミの身体を鉄の爪で斬りつけた。

 フェイフォンとユウ以外は、だめかもしれないと予想して、観戦しているようだった。

 フェイフォンも不安がよぎるが、ユウの言った方法に可能性があるとも信じていた。

「実はこの方法、バイパーも使っていたと思うのよ」

 ユウがダーククローに説明した時の一言が、フェイフォンの頭に残っていた。そしてバイパーが重課金プレイヤーを相手にしたときに、一人だけ違うコンボを発生させていた事実を知っている。

 ダーククローの力量では、スクエアコンボもキューブコンボも出せない。出せるとしたら、それしかないと思えた。そして、彼らしい方法だと思えた。

 ダーククローは執拗に、一ヵ所を攻撃し続けていた。ユウの言葉通り、岩をも突き通すためにやっているのだ。

 ダーククローを包む黒い服が、あちこち破れていた。おそらくその下は血も出ているはずだ。ツクヨミの光の矢で、多数の傷を負いながらも、彼は諦めなかった。

 諦めず、スタイルを突き通すのが、彼である。

 だが、予想よりも手間取っている。一向に、望むものが発生しない。

 試合時間が二分を経過した。

 このままツクヨミのHPをわずかでも削ることができずに終わるのか。そう思われた時、異変が起こった。

 ダーククローの鉄の爪が寸分たがわず、同じ場所を切り裂いた。その瞬間、ツクヨミの腹部で何かが砕けるエフェクトが発生した。そして、ブレイクコンボの表示が現れていた。

 ダーククローはこの瞬間を逃さなかった。

 バネが弾けるように戻ってくると、ツクヨミの腹部を切り裂き続けた。切り裂いた鉄の爪がバネを縮めるように下がり、バネに押し戻されて再び襲い掛かる。

 両手が別々の生き物のように次々と襲い掛かった。

 ツクヨミは何が起こったのか理解できなかったに違いない。ダメージを受けるはずがない攻撃に、ダメージを受け、身動き取れなくなっていた。

 ダーククローが今までの憂さ晴らしをするかのように、執拗に切り裂き続けた。ある程度切り裂き続けると満足したのか、ツクヨミに背を向けた。

 ツクヨミが倒れ、KOの文字が躍る。

 ダーククローはKOの文字を背に、ガッツポーズを決めていた。


 平舞台の上に、フェイフォンが立っていた。目の前にはアマテラスがいる。

 アマテラスはフェイフォンに侮蔑の言葉を投げかけていたが、フェイフォンは聞いていなかった。そんな言葉を聞かなくても、ダーククローのあの涙を、あの小さくうずくまっていた姿を思い出すと、怒りが沸き起こった。

 フェイフォンは怒りに身を任せた。

 対戦開始と同時にアマテラスの背後へ回り、後頭部を鷲掴みにして飛び上がった。空高くから、アマテラスの顔面を下に向け、落下した。平舞台に鼻先から叩きつけた。アマテラスの顔が舞台にめり込み、大きなクレーターを作った。

 フェイフォンはゆっくりと立ち上がった。その横でアマテラスが、顔面を地中にめり込ませ、クレーターの斜面に身体を横たえている。

 フェイフォンはしまったと思った。怒りに任せてオウガ張りの強打を放ったが、アマテラスなど、いたぶり倒すべきだったのだ。ダーククローに対する仕打ちを、同じように返してやればよかった。

 フェイフォンが後悔しながらクレーターから出て、振り向いた。だが、そこにKOの文字がなく、アマテラスの身体も消えていない。

 まさか、まだ倒せていないのだろうか。フェイフォンは不安になり、アマテラスのHPを確認した。不安が的中して、まるでダメージを与えていなかった。

 あれだけの強打で、ダメージがないとはどういうことだ。どれだけ金に物を言わせているのだろうか。

 だが、それで強者のつもりでいるとは片腹痛い。それとも、金ですべてを解決できるからこその、選ばれた民なのだろうか。

 金ですべてが解決するなら、それほどつまらないことはない。いや、そのおかげで、まだアマテラスをいたぶれると考えれば、意味はあったのだ。

 フェイフォンは不気味な笑みを浮かべ、アマテラスが起き上がるのを待った。

 ところが、一向に動かない。

 フェイフォンはしびれを切らした。卑怯だとは思いつつも、倒れているアマテラスに追い打ちをかけていたぶることにした。

 一歩踏み出したところで、アマテラスが消えた。そしてアナウンスが流れた。

「アマテラスのプレイヤーが失神したため、ウォン・フェイフォンの勝利とします」

 フェイフォンは気持ちを挫かれ、アマテラスに向かうはずだった衝動のやり場に困った。

 このまま溜め込んでおけばいい。次にニュー東京勢と当たるときに、そのすべてをぶちまけてやればいいのだ。フェイフォンは物騒な感情を抱いたまま、控室へ引き揚げた。

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