燃ゆる魂
1
小型ノートPCのモニターに、険しい顔つきをした中年の男性が映し出されていた。白いシャツに黄色のチェック柄のネクタイを締めている。PCと接続した無線イヤホンマイクから、その男性の声が響いていた。
男性の目つきに、人を見下したような色が見え隠れしていた。低能な者たちに近代の歴史を教えてやっている、と物語っているようだ。
「近年、大きな事件と言えば、言わずもがな。十年前のサイバーテロだ」
男性の言うサイバーテロは、「IT崩壊事件」などとも呼ばれている。
男性が事細かに説明を始めていた。
その事件は突如と発生し、いつの間にか収束していた。ネットで起きた出来事が、リアル世界にとてつもない爪痕を残していた。
当時、あらゆるものがネットで情報管理されていた。その情報が、ある日、突然、全世界で同時に、利用ができなくなった。電子決済はもちろん、銀行の窓口での現金の引き落としもできなくなった。
企業の多くが、機能を停止し、修復不能に陥った。作業中の仕事がいきなり白紙にされたようなものだ。デスクワークの人は、理解するまで、反応のなくなったPCをつつきまわす羽目になった。工場で作業していた人々は、途中から仕事分が流れて来なくなり、早めの休憩時間が来たのかと一息ついた。だが、その後、事態の異常さに気付き、慌てふためくのだった。
公共機関も寸断された。電車は制御不能で、動くことのない置物となった。管制塔が機能せず、飛行機は飛び立つことができなくなった。飛べないのはまだいい。空にいた飛行機の多くがパイロットの手腕で緊急着陸を敢行し、生還した。だが、一部は惨事を免れなかった。目視で降り、滑走路や空中で別の飛行機とぶつかると言う不幸があったのだ。
自動車も、自動運転が機能しなくなり、高速道路、主要道路で立ち往生した。数年前に、手動運転の機能を禁止していたことが、事態を悪化させた一因だ。
あらゆる情報がネット上で管理されていた。人々の健康状態も然りだ。ネットが利用できなくなったために、病院で治療が受けられなくなったり、誤診を受けたり、中には誤った治療を受けて亡くなる人も現れた。
通信網も遮断され、スマホも固定電話も利用不能だった。情報社会にどっぷりとつかっていた人々は、反応のなくなったスマホを操作し続けていた。
電気、水道と言った人々の生活にかかわるものも、すべて止まった。発電所の制御もネットにつながっていたのだ。水道の送り出しは化石燃料でポンプを動かすこともできたが、輸送手段が断たれている。燃料が尽きると、供給も止まるのだった。
電気が止まると、あらゆる生活の基盤が一瞬にして停止した。時間が止まったかのように、人々は路頭に放り出された。
物流が止まっているので、次第に人々は生きるための努力を始める。スーパーなどで生活必需品を奪い合ったのだ。
強盗、殺人、暴動、火災。あらゆる災悪が人々の身に降り注いだが、警察も消防も出動しない。通報ができず、また、車が自動運転のため、動かなかったからだ。
自然が容赦なく、追い打ちをかけた。夏に差し掛かっていた。年々最高気温を更新しており、その年も例外ではなかった。強い日差しは地面を焼き、電気を使えない人々の肌を焦がした。
ソーラーパネルなどを装備した家庭は、かろうじて電気を使えた。昼間は太陽の熱を利用し、夜間は電気自動車をバッテリー代わりに利用した。だが、すべての家に、その装備があったわけではない。水道も止まると、熱中症の脅威は増すばかりとなった。
たった一瞬で始まった事態は一週間続き、突如として終わった。
電気、水道、公共機関が復旧するにつれ、惨状が次々と明らかになっていく。
治療器具につながれ、ネットを介して管理されていた病人たちが、遺体となって発見された。体の不自由な年寄りたちが、餓死したり、熱中症で倒れていたりした。力の弱い、女性、子供の遺体がいたるところで発見された。
飛行機の墜落、電車の脱線、旅客船の難破など、多数の死傷者が出た事故も明らかになっていった。
生き延びた人々も助かったわけではない。
猛暑、異常気象、異常潮位などなど、自然の驚異に追撃され、なすすべもなく、倒れていった。
復旧して間もなく、台風が猛威を振るった。IT崩壊事件の被害状況も確認しきれていないところへ、さらなる災害が襲い、被害を増した。
物資は滞り、電子マネーはただの数字でしかなかった。
ネットが復旧した後の一か月、餓死者が多かった。復旧に気付かなかった者、復旧しても物資が届かず、生活に窮した者、金融機関の障害は解消されず、物資を買えなかった者、熱中症で人知れず亡くなった…。そのような人々は、後日、調査に訪れた人々によって発見されるのだった。
男性の解説は続いた。ただ、ソーラーパネルと電気自動車と言う電気を得た者とそうではない者とについては、何も言及しなかった。SNS上で、貧富の差が招いた悲劇として、有名な話だと言うのに、男性は歯牙にもかけなかった。
ノート型PCのモニターを覗いていた少年はうんざりしていた。この教授は毎度、この話をする。そして教授の主張に関係ないもの、関心のないもの、政府への批判につながりそうな物事は一切語らない。教授の一方的な主張は、少年にとってつまらないものだった。聞き飽きていた。
モニターの端に小さな窓が開き、友人がうんざりした顔を見せていた。少年も小さく頷き返す。
少年はモニターから目線を外し、辺りを見渡した。
色鮮やかな建物が並び、そこかしこに植物が植えられている。芝生が広がる場所もある。大きな池もあった。
巨大な柱が目につく。柱は空の中に消えていた。柱がある場所が、ここの中央付近だ。
微かな風が流れている。暑くもなく、寒くもない。心地いい空間だ。空調が行き届いている。
青い空を白い雲が気持ちよさげに泳いでいる。青い空に見えるが、巨大モニターに映し出された人工的な景色に過ぎない。ドーム型の天井があり、その天井全てに空の映像が投影されているのだ。
少年が座っているところは、噴水の縁だ。と言っても、水はない。光の動きで水が流れているように見える、と言うものらしい。
中央の柱にある巨大なモニターが目に入った。CMが絶え間なく流れている。
何気なくCMを眺めていると、一瞬、画面が乱れた。最近、原因不明のそういった症状が、あちこちで発生していた。
大人たちは十年前のIT崩壊事件を連想し、慌てふためいた。だが、原因は突き止められていない。
少年は、こんなものか、程度にしか受け取っていなかった。映像が乱れるのは、もともとそういうものだったのだと、漠然と考えていた。
十年前は小学一年生だった。少年は当時のことをあまり覚えていないし、友人たちもそうだ。中にはトラウマを抱えている友人もいたが。
十年前の子供たちの関心事は、テレビとゲームだ。その二つが使えなくなったことに不満を持っていたが、今もその気持ちを覚えているかと言われれば、全く覚えていなかった。
中には、電気が使えなかった家庭の子供もおり、そう言った子供たちは暑さに対してトラウマを抱いた。食料の奪い合いに、恐怖した。だが、そういう学友はごくわずかだ。
巨大モニターが、新製品のガムを宣伝していた。
一瞬、格闘技のワンシーンのように見えるものが映り、元のガムの宣伝に戻った。
少年は何だったのだろうかと凝視していたが、二度と映像の乱れはなかった。
教授の高説はまだ続いていた。
今は政府の対応を褒め称えている。
事件後、政府はネット環境の強化と、自然災害の対処を一度に解決できる策を提示し、敢行した。
各地に地下都市を建設し、そこに人々を隔離すると言うものだ。都市ごとにネットワーク管理を行い、都市間の通信にセキュリティチェックを入れる。また、地下都市なので、自然災害の脅威におびえることもなくなる、と言う。
政府は五年という期間を区切り、日本各地に十もの都市を作り上げた。
この件に関しては、少年もわずかながら、興味があった。SNS上で実しやかにささやかれ続ける噂がある。
「地下都市なんて、五年やそこらでできるものか!もっと昔からひそかに建設していたに違いない!」
根拠となる証拠はないが、言われてみれば、確かにそうだ。
まず、日本には数多くの活断層がある。活断層を避けるために、地質調査が必要だ。そのデータは初めからあったと言うのかもしれない。では、この地下都市につぎ込まれた技術はどうだろう。
地下都市は地熱から半永久的なエネルギーを得ている。この技術をいつの間に確立したのか。原発に固執し続けた日本が、いつの間にそのような技術を開発したのか。
巨大な地下都市を、いつの間に掘ったのか。五年でできることなのか。予算はどこから出たのか。
疑問は尽きない。
予算に関しては、そのために消費税を上げたのだという説がある。また、IT崩壊事件の後、ネットが復旧しても金融機関が復旧しなかったのは、政府が地下都市建設にあてた国債を帳消しにするためだった、と言う説まで飛び交った。ために、サイバーテロの主犯は政府ではないかとの憶測が飛び交った。
SNS上の陰謀説は、どこかワクワクさせてくれる。
地下都市への移行は日本だけではなかった。世界各地で、同じ規模の地下都市がいくつも建設されたのだ。そのことから、地熱の利用に関しては、他国から技術供与を受けたのではないかとも言われていた。
地下都市にはネットで管理する広大な農園も付随した。作業はAIを搭載したロボットが行う。どうしても人手がいるときは、フルダイブ型のVRを使ってそのロボットを人が操作した。
中には地下ではなく、水中に都市を作ったものもある。海中都市とも呼ばれる。そこでは農場ではなく、水産物を取り扱った。
都市間は船やリニアでつながれ、物資をやり取りした。
都市に移り住んだ人々は、管理が主な仕事になった。農場、海中生け簀、食品加工工場、物資備蓄や移動、人の出入り、ネットワークの情報。そう言ったものの管理を人が行う。実質的な労働力は、AIを搭載したロボットに任せた。
全ての人が地下都市に移り住めたかと言えば、そうではない。一つの地下都市辺りの許容人数は、一千万人だと言う。入りきらなかった人、自ら入居を拒んだ人が、今も自然の中で暮らしている。
都市に入れたのは、政府関係者や富裕層だった、と言う説もSNSでよく見かけるものだ。
「厳選なる抽選で、君たちは地下都市に移り住んだ」
教授の声が響いた。
抽選の割には、IT崩壊事件の時、自宅で電気を使えなかった貧しい人々が、あまり見当たらないのはどういうことだろうか。
モニターの隅に友人たちの顔が次々に表示され、口元が「うそだ」と動いていた。
「ここのセキュリティは万全だ。もうあのような事件が起こることはあり得ない。そして、自然の驚異に悩まされることもない」
教授の声は、まるで自分の成果を誇示するかのようだ。
2
「大本!」
教授の声が怒気をはらんでいた。
少年は水のない噴水の縁で座りなおし、モニターを見た。
教授の演説はいつの間にか終わっており、モニター越しに少年を睨みつけていた。
「大本駿だったな。私の話を聞かなくても、よく理解しているようだ。ならば、サイバーテロの発生原因と終焉の要因は何か、答えよ」
駿は頭に血が上るのを感じた。IT崩壊事件は原因も、なぜ終わったのかも分かっていない。なのにその答えを述べよと言う。教授は講義で答えを述べていないにもかかわらず、自分の話を聞いていれば、それが分かると言いたげだ。その態度に腹が立つ。
とはいえ、授業をまともに聞いていなかったのは自分だ。駿は気持ちを落ち着けると、分からないと答えた。この後、難癖をつけられることは分かっていても、そう答えるしかない。適当な答えを言えば、もっと酷いことになると分かっているからだ。
「それはおかしい。私の話を聞いていなかったのかね?聞いていれば…」
案の定、教授は人を小ばかにし、難癖をつけきた。よくあることだった。目についた学生を徹底的にいたぶる。それがこの教授の趣味ではないかと、学生たちの間で噂になっているほどだ。
駿は覚悟していたが、やはり頭にきた。
「今でも有力説のひとつすら出ていない事件です」
駿は教授の小言をさえぎって切り返した。
「事件のあらましを、肝心の部分は謎のまま話しておいて、聞いていれば分かる、はないでしょう!」
見る間に、教授の顔が赤くなっていった。
モニターの端にいくつかの窓が開き、友人たちがエールを送ってきた。親指を立てたり、小声で「ナイス!」などと言ったり、あからさまに笑ってみせたりしている。
「そ、その態度は何だね!」
教授の目が血走っていた。
「そのような態度だから、物事の真相を見抜くことができないのだ!」
教授の顔から怒りが消え、意味ありげな微笑みに変わった。
「君は授業を受ける気持ちがないようだ。いいだろう。今すぐに通信を切りたまえ。いや、つないだままでもいい。現代社会学の単位は与えないので、そのつもりでいたまえ」
教授が目の前にいたら、殴りかかりたいところだ。駿は拳を握りしめ、歯を食いしばっていた。
「君が留年しようと、私の知ったことではない。それは自業自得のなせる業だからな」
教授はそう言って笑った。
駿は一時の感情に任せて、ノート型PCのモニターを殴りつけたくなった。だが、このPCは大事な父親とのつながりだ。壊すわけにはいかない。必死に、歯を食いしばって耐えた。
「教授。今の発言は、どうかと思われます」
モニターに新たな窓が開き、同じ授業を受けていた女生徒が映し出された。ポニーテールと黒ぶちのメガネが目を引く。
今は医学も発展し、視力の矯正ができるようになった。メガネなど必要ないのだ。なのに、彼女はメガネをかけている。それだけで風変わりな女性だと想像できた。
「今の教授の発言は脅迫と受け止められます。この授業は記録されています。もう少し、発言にはお気をつけられた方がよろしいかと」
「脅迫?馬鹿な!私は熱心に指導しているだけだ!脅迫など、断じてない!そもそもここは学びの間だ。勉強をする気のない者の面倒を見るつもりはない!そのような者はここから…」
「追い出して迫害なさる?」
教授が絶句していた。額に浮いた脂汗をハンカチでせかせかと拭った。
「は、迫害とは何だね!言いがかりもいいところだ!君は誰だ!」
教授は手元に目線を落とし、何かを確認していた。
「今は私ではなく、教授の発言について論じています」
メガネの少女は揺るがなかった。周りで視聴している同級生たちも、少女が正しいことを理解し、彼女の毅然とした態度に酔いしれていた。
「いいぞ!やれやれ!」
無責任なはやし立ても聞こえるほどだ。友人同士の回線を通しているので、教授には聞こえない。それでも小声になるのは、自分に教授の矛先を向けられたくないからだろう。
「生徒はみんな、授業を受ける権利があります。そして教授には、授業を受けさせる義務があるのではないですか?」
少女がそう言い放った時、授業終了のチャイムが鳴った。
教授はしばらく少女をにらみつけた後、うめくように言った。
「分かった。前言を撤回しよう」
そして背筋を正すと、いかめしい顔になる。
「全員に宿題を出す。IT崩壊事件の発端と終了の原因について、レポートを出すように。以上だ」
一番大きな窓が閉じられ、教授の姿が消えた。
友人同士の回線から、宿題を嘆く声が次々と上がっていた。
「よー。助かったな?駿」
友人の一人、雄太が声をかけてきた。友人と言っても、顔と名前を知っている程度だ。別の地下都市に暮らしているので、直接の面識はない。
授業はネットを通じて行われている。全国各地の生徒が同時に受けている。もちろん駿と同じ地下都市にも、同じ授業を受けている同級生はいる。いるが、特に面識のある相手もいなかった。
「どーだか」
駿はため息交じりに答えた。
「でも、さっきの子には、お礼を言った方がいいかもしれないな」
「ああ、あの勝気な子」
雄太が何やら思案していた。
「たしか、川原優希、だったと思う」
「知り合い?」
「え?いや、そういう訳じゃないんだけど」
雄太はなぜかしどろもどろに言った。
駿は不思議に思ったものの、追及はしなかった。それよりも今は、何かで憂さ晴らしをしたかった。
「なあ、雄太」
「ん?」
「なんか憂さ晴らしになるもの、ないか?あの教授に一発入れたい気分なんだ」
駿は拳を握りしめ、顔の前に掲げてみせた。
雄太はわずかに首をかしげ、
「憂さ晴らし、ねぇ…」
とつぶやいた。
「あ、あるある!俺さあ、今VSガーディアンズってゲームにハマッてんのよ」
「ぶいえすガーディアンズ?」
「そ。ゲーセン行ってみな。フルダイブ型のVRの格ゲーでさ、これがむっちゃ燃えるんだぜ!」
「格ゲー、ねぇ…」
駿はあまり乗り気がしなかった。今までゲームセンターに行ったことがない。
「あ、ああ、そういや、ゲーセン行かねぇんだったな。まあ、だまされたと思って、行ったみなって!絶対ハマるからさ!俺の保障付き!」
熱く語る雄太の目が、生き生きと輝いていた。
その目を見ただけでも、チョットやってみたいかも、と思うようになった。
「分かった。だまされたと思って、行ってみるわ」
駿はノート型PCを閉じると、ゲームセンターを探して街を歩き始めた。
行ったことがないのだから、どこにあるかも分かっていない。差し当たって繁華街のフロアに移動してみることにした。
駿が今いる場所より、一つ下の階だ。地下都市は上下に広い。中央の柱にある基幹エレベーターで各フロアを移動し、動く歩道に乗って横移動する。
人が多く行きかう場所につくと、動く歩道を降りて辺りを見渡した。が、見当もつかない。
駿はあてどなく、通りを歩いてみた。
大勢の人々が思い思いに歩いている。皆、何かしらの通信システムを身に着けていた。イヤリングとチョーカーを組み合わせた音声による通信機能だけの物、透明のゴーグルとイヤホンマイクが一体化した物、腕に付けるハンドヘルドコンピューターも見受けた。ゴーグルと特殊なグローブを利用する物もある。携帯に便利なカードタイプが一番多く見受けられた。変わった物は、日傘にその機能を埋め込んでいた。
カードタイプの超小型端末を手に持ち、そこに浮かび上がったホログラムに向かって会話している人もいた。
メガネをかけた人もいた。
そのメガネを見て、駿は一つのことを思い出した。ゴーグルの代わりにメガネで、代用するタイプがあったのだ。授業で助けてくれた少女も、そういう端末を使っていたのかもしれない。
駿が欲しいと思う端末は、やはり最軽量、最小のカードタイプだ。CMを見て欲しいとは思うものの、今使っているノート型PCにも愛着がある。
PC自体、もう旧世代の産物とされている。データはネット上のクラウドに保存されるので、通信端末で事足りた。疑似キーボードを利用する人も多くいる。AIと会話してAIに必要なファイルを作ってもらう人もいる。
そんな中、自前の処理能力のみで活用するPCは、必要とされていなかった。
駿のノート型PCは父親の自作だった。性能はかなり優れているようで、現代の通信規格に後れを取ることはなかった。
父曰く、文庫本サイズで超コンパクト、らしい。昔のPCを知らないので、小さいと主張されても理解に苦しむ。そもそも、文庫本すら存在しない。今は書籍もネット上に存在するのだから。
このPCを手放せない理由は、父親の手作りだからだ。そして、このPCを残して、父親が行方不明になっているからだ。このPCが、行方不明となった父親との僅かな接点のように思え、手放せなかった。
駿はノート型PCで地図検索してみようかとも思ったが、そこまでしてゲームセンターへ行きたいわけでもないので、気晴らしに街を散策することにした。
適当にうろついていると、駿と歳の近そうな少年たちや大学生くらいに見える青年の一団が、同じ方向を目指しているのに出くわした。
駿はその大学生の後をついて行くことにした。その選択は、大当たりだった。大学生たちはとあるビルにたどり着くと、そこへ嬉しそうに入っていった。そのビルの入り口に、ゲームランドとひねりのない名前が書かれていた。
駿はビルの前に立ち止まると、上を見上げてみた。十階建てくらいだろうか。その上は天井になっている。ここの天井も、青空が表示されていた。その天井のさらに上のフロアが、先ほどまでいたところだ。
立ち止まっている駿の脇を、小学生くらいの集団が追い越し、ビルに入っていった。
駿は何となく、気後れした。今まで入ったことのないゲームセンターを目の前にして、初めの一歩が踏み出せない。知らない空間に対して、気後れしていた。
駿はせっかくここまで来たのだからと自分に言い聞かせ、重くなった足を引きずって、入り口の自動ドアを通り抜けた。今まで踏み込んだことのない場所は、まるで異世界だ。こんな場違いなところに入っていいものだろうか。
中はやや薄暗い照明で、右手にはカウンターがあった。左手には先ほど入っていた小学生くらいの子供たちが集まり、互いの端末をつないで、カードバトルに興じていた。
正面には大きな機械が並んでいる。ぬいぐるみが入っていたり、お菓子が入っていたり、なぜかコインが入っているものもあった。それらが色々な音を出しているのだろう。音同士が入り混じり、何が何やら分からない。近くにいるはずの子供たちの会話も、内容が聞き取れないほどだ。
カウンターの横に上へ向かう階段があった。その奥に、エレベーターもあるようだ。
「急ごうぜ!VSG3の順番とらなきゃ!」
「あのゲーム、待ち時間なげーからなぁ」
駿とそれほど歳の変わらなそうな二人組が、脇を通り過ぎ、エレベーターの前に並んだ。
駿は入り口から進むことができなかった。場違いな気がして、気後れしていた。
「やっぱりやめとこう」
駿は小声でそう呟くと、自動ドアをくぐって外に出るのだった。
3
駿は居住フロアに降りると、大通りの動く歩道に乗った。目的の建物が見えるまで何気なく過ごす。
まだ日中の時間帯だ。居住区にひと気は少ない。今日はリニアフロアに、物資が届くはずだ。だから余計に人が少ないのだろう。
駿は目的の建物が見えると動く歩道の端に寄り、タイミングを合わせて降りた。一瞬、体を引っ張られるような感覚を味わい、つんのめる。体勢を立て直すと、自宅のある建物を目指した。
駿は、父親が行方不明となった後、アパートから追い出され、共同住宅に移された。風呂は大浴場が一つあるだけ。トイレは各階にあるものの、共同なので、時間帯によっては順番待ちが発生する。
各部屋は一部屋だけで、ベッドと机、収納が一つと言う簡素なものだ。部屋に窓はあるが、開かない。そして窓そのものがスクリーンになっている。奇麗な景色を映す人もいれば、幾何学模様にしている人もいた。
駿は普段、自然の景色を表示していた。
駿は自室に入ると、窓のスクリーンにノート型PCを接続し、光学ドライブもつないで、光学メディアを再生させた。
窓のスクリーンに、カンフー映画が映し出された。
かなり昔の映画で、ウォン・フェイフォンと言う主人公が自慢の武術で問題を解決していくものだ。ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナと言うタイトルだ。
駿のお気に入りだった。ウォン・フェイフォンの使う、無影脚がカッコいい。あんな武術が使えればいいのに、と思うのだった。
現代、ネットにすべてのデータがあるので、光学メディアも必要ない。なのに、駿の元にはそれがあった。
「駿。ネットを信用しすぎるな」
父親がそう言っていたのを思い出す。
カンフー映画を何本か、光学メディアで持っている。ブルーレイとか言うものだ。父親がどこからか手に入れてきてくれた。旧世代の代物である。
ネットで探せば、どこかに同じタイトルのデータがあるはずだ。そこにアクセスし、利用料を払えば、いくらでも見ることができる。手持ちの数本の映画どころか、数千本の映画を観ることができる。
それでも駿は、なんとはなく、父親の指示に従い、光学メディアの映画を観ていた。
カンフー映画は駿の気持ちを高ぶらせ、爽快感を与えてくれる。主人公になったつもりで、拳や足を振り上げてみる。思うように体が動かず、転んでしまうのだった。
それでも気分はいくらか晴れた。授業のうっ憤も晴れたようだ。
駿は頭の中で、駿自身がカンフーを使い、憎らしい教授を華麗に退治するのだ。
次は木人拳でも観ようかとも思ったが、駿のお腹が大きな音を立てて抗議した。
時計を見ると、六時を回っていた。
駿はノート型PCの接続を外し、PCを持って部屋を出た。
食堂は一階にある。駿の部屋は三階で、食堂までは大抵、階段を歩いて降りる。今日もいつものように階段を下りた。
体を動かすと、どういう訳か、気分が楽になる。うっ憤がたまると、歩く歩道を使わず、自分の足で歩くこともあるのだ。汗をかくほど歩くと、たまっていたうっ憤もどこかへ消えてなくなる。
駿は、今日も歩けばよかったかなと思いながらも、食堂に入り、ノート型PCを操作して券売機から食券を買った。食券もネット上に存在する、ただのデータだ。この食券データを奥のカウンターの端末に移すと、注文の食事を出してもらえる。
映画を観たせいもあり、今日は中華の気分だ。餃子とマーボー丼、それにサラダが付いている。
駿が餃子を頬張っていると、ノート型PCから着信を知らせる音が鳴った。箸を片手にモニターを開く。
「やってみたか?」
モニターに映っていたのは、友人の雄太だった。
「何を?」
駿の声はやや不鮮明だった。口に物が入っているのだから、当然だ。
「何って、VSGだよ!」
駿は相槌を打つと、水で口の中身を流し込んだ。
「ゲーセン行ってみたけど、入り口で引き返した」
「は?なんで?」
雄太は訳が分からないと言いたげに、色々とまくし立てていた。
「よし、そう来るなら、これでもくらえ!」
雄太が物騒なことを言うと、メールが届いた。
「そのアドレスの映像、見てみ!絶対ハマるって!駿、カンフー好きだって言ってたろ?間違いない!ハマる!」
駿は熱く語る雄太をあしらって、通信を終了させた。何よりも今は食事中なのだ。食べかけの餃子を楽しみたい。
ノート型PCも閉じかけて、止めた。雄太の送ってきたメールのアドレスをクリックし、表示された動画を再生した。見ながらでも食事はできる。友人の熱い意志を汲んで、これくらいはしてもいいだろう。
映像は、とても画質の綺麗なゲーム画面だった。背景は草むらだったり、街中だったり、どこかの火口だったりと、色々なシーンが出てきた。その各シーンで、格闘家が対峙し、拳や足を打ち合わせていた。手にした武器で打ち合っていた。
まず目につくのは、やはり舞台や背景だ。リアルとそん色ない。ものによっては見分けがつかないほどだ。風になびく草や立ち上る煙。とてもゲームとは思えない。映画のワンシーンのようだ。
格闘家たちの顔立ちは、しわがなく、やや人間離れしているものの、ぱっと見は現実の人々と差がない。現実にはここまで筋骨隆々な人がいないと言うだけだ。
格闘家は滑らかな動きで戦っている。カンフー映画のような迫力があるうえに、攻撃の度にヒット音が鳴るのが、なぜか心地いい。コンボがつながれば、数字がカウントされ、痛快に相手を吹き飛ばした。
武器を持った相手に、拳一つで戦うシーンが現れた。相手の武器を間一髪で避け、懐に飛び込んで連撃を打ち込む。派手な音とともに、VSG3とロゴが表示された。
「おー!VSGいいね!」
突然、後ろから声が上がった。駿が振り向くと、浅黒い肌をした細身の青年が、駿のモニターを覗き込んでいた。
「サワディーカップ」
浅黒い青年はそう言って手を合わせ、お辞儀した。むき出しの腕は、細い割に肉付きがいい。
「僕の名前はモモタロウ。よろしく!」
青年の名乗りを聞いて、駿は思わず、米粒やらひき肉やら唐辛子やらを吹き出していた。慌てて紙ナプキンで散ったものを拾い集め、拭いた。
「おい、共同の場所なんだ。汚すなよ」
離れた場所で食事をしていた男性から注意が飛んできた。いつの間にか、数人の男性が、各々食事をしていた。
駿は注意してきた男性に詫びると、モモタロウと名乗った青年に向き直った。
「初対面、この挨拶すると、みんな喜ぶ」
青年はそう言って屈託なく笑った。
「モモタロウはチューレン…あ、えっと、ニックネームだよ。サクチャイ・シングワンチャー」
青年は改めて名乗った。そして駿に名を尋ねた。
「大本駿」
「シュン。よろしくね。君もVSGやるの?」
サクチャイは遠慮なく隣の席に座った。駿のモニターに次の動画が流れている。ゲームプレイヤーの対戦らしいその映像を、サクチャイも見入っていた。
「やったことない」
「もったいない!これ見て!熱くならないかい?」
動画を見ていると、駿もなぜか、胸の内がそわそわとする。駿はカンフー映画が好きなのだ。こういう格闘技に興味を惹かれるのかもしれない。
「今度、一緒に行きましょう!」
サクチャイはそう言って、白い歯を輝かせていた。
4
「日本は素晴らしい!」
サクチャイは動く歩道に乗って辺りを指差しながら、どこが素晴らしいのか語った。
駿にとっては当たり前の景色で、どこが違うのか分からない。適当に相槌を打つだけだ。
空はやや曇り模様だ。実際の外の様子を映し出していると言うが、本当かどうかは分からない。空調の行き届いた都市の中なので、季節感もなかった。
サクチャイは先日の食堂での話を覚えており、駿を見かけては誘うようになった。格闘技に興味のある駿はほだされるようについてきたのだった。
駿は元々、友人からも勧められていた。ゲームセンターに入り込む勇気がないだけだった。その気後れする場所も、人と一緒ならば、気安く入れるかもしれない。
その道すがら、サクチャイはこの街のいいところをあげつらっていたのだ。
道中、彼がずっと喋っているので、駿の気分は明るかった。数日前に訪れたゲームランドの自動ドアをくぐっても、今度は特に気後れもなかった。
サクチャイは迷わずエレベーターの前に移動する。他にもゲームをしに来た若い男女と一緒になってエレベーターに乗ると、三階へ降り立った。乗り合わせた全員が同じ階で降りた。
エレベーターホールの傍にカウンターがあり、店員らしき大人が立っている。
正面にはボックスタイプの筐体がわずかな通路用の隙間を開けただけで幾つも並び、その筐体を隠すように大きな液晶モニターがあった。
モニターには誰かの対戦の様子を映し出しており、順番待ちの客がモニターを見てわいわい騒いでいた。
「やっぱヤマトタケルだって!」
「いや、あいつだろ!あの、騎士道の…」
「ランスロット!」
「そうそう!」
「その二人は傍観者で、めったに対戦しないじゃないか」
「俺戦ったことあるけど、瞬殺された!」
「鉄拳のオウガ!」
「ああ、あの拳は厄介だ…」
「ウィンディーやバイパーも…」
観客たちは何かの名前を言っているようだった。しかし、駿にはまるで分らない。分かったことは、対戦したくない相手らしいということだった。
「シュンは初めてだね。そこのカウンターでIDカードを作るんだ」
サクチャイに促されてカウンターへ行った。
サクチャイが駿の代わりに、初めての利用だと店員に伝えてくれ、登録手続きが始まった。サクチャイはそこまで見届けると、先にゲーム内に入って待っているからと言い残して去っていった。
駿のノート型PCと店の専用端末を接続し、ゲームの起動キーとなるカードを作った。カードには駿の個人情報やゲームのデータ、そしてゲームで使用するクレジットが記録される。クレジットはカウンターで入金するプリペイドタイプだった。
初回登録ということで、初回無料特典付きだと言う。専用の筐体に入り、キャラクター設定、そして一ゲームが、無料になる。お店の得点だと店員は誇らしげに語っていた。
カードが出来上がると、店員に連れられ、初期設定限定の筐体に案内された。初回はキャラクター設定で時間がかかるので、専用の筐体を用意しているのだとか。
「今は初めての人が少ないので、キャラ設定が終わったらそのまま一ゲームプレイされていいですよ」
店員はそう言って筐体の扉を開き、駿を中へ入らせると、ごゆっくりと告げて扉を閉めた。
内部は何かのコックピットのようだった。天井が低く、扉をくぐるとすぐに座席に座らなければならなかった。明かりは最小限で薄暗い。内部の空調は行き届いているようで、快適だった。
座席にしっかりと腰を落ち着け、扉が閉まると、正面のモニターに電源が入った。画面にIDカードを挿入するように指示が現れた。画面の右下辺りに矢印が向かっている。
矢印の下にカードの挿入口があったので、先ほど作ったカードを差し込んだ。
「いらっしゃいませ、大本様」
合成音の声がした。同時に正面のモニターにも同じ文言が表示されている。
「本日はVSガーディアンズ3のご利用、誠にありがとうございます」
音声と文字で、ゲームの説明が始まった。ゲームは、手首、足首にそれぞれ器具を取り付け、ヘルメット型の装置をかぶって行う。そのヘルメットの内部にモニターが付いており、大迫力の映像が眼前に広がる。
ヘルメット型の装置で脳波とリンクさせてキャラクターを操作すると言う。コントローラーなど存在せず、自分の思考でキャラクターを操るのだ。
脳波を操るので、いざという時の危険防止のため、作動中は外から開かない仕組みになる。なぜなら、脳波が遮断されているので、体に何かあっても気付かないからだ。たとえナイフで刺されても気付けないのだ。
また、筐体ごとにバッテリーが搭載されており、緊急時はこのバッテリーで稼働し、プレイヤーを現実に引き戻すシステムになっている。
駿は少し怖い話だな、と思いながら説明を聞いた。フルダイブ型のVRは、実験段階のころ、実際に体に危害を加えられ、死に至ったケースもあった。ニュースになっていたので、駿でも知っていることだ。
手足につける器具は、主に状態管理の物らしい。ゲーム中、体の異常がないか常にチェックし、異常が現れるとゲームを強制的に終了してプレイヤーを現実へ戻すのだ。
少々仰々しい気もする。が、ヘッドマウントディスプレイだけによるVRと比べ、格段に高い没入感を味わえるのだと言う。そしてセキュリティも万全だと謳った。
「このゲームはネット上で行う対戦格闘ゲームです」
基本的にはNPCと戦う。九人のNPCが用意されており、現在までに、九人目を倒したプレイヤーは存在していない。そのため、九人目の初勝利者には賞金が出るらしい。
他のプレイヤーと対戦することも可能だ。フィールド上を任意に移動して対戦相手を探し、戦えると言う。プレイヤー同士で会話もできる。対戦終了後もわずかな時間ながら、会話できる。
「お店からのお願いです。順番待ちのお客様が多くございますので、できるだけゲーム内で無為に過ごすことのないようにお願いいたします」
合成音声ではなく、誰か男性の声だった。
再び合成音声の説明に戻った。
実際の戦いに近づけるため、天候や気温の変化も再現され、体感できる。攻撃した感触、された痛みも感じる。もちろん、危険を下げるため、痛みは最小に抑えてあるとのこと。ただ、やはり刺激が強いので、心臓の弱い方は利用を遠慮してほしい。また気分が悪くなったら速やかに中断するようにと注意書きされていた。
さらに、微弱な電気を流して疑似体験するので、ペースメーカーなど、電流に影響を受ける器具を埋め込んだ方の利用はご遠慮くださいと告げていた。
「受けるダメージを体験してみますか?」
音声が告げた。
「はい」
駿は迷わず答えていた。
天井からヘルメット型の装置が下りてきて、駿の頭にかぶさった。目の前は真っ暗で何も表示されていない。
一瞬、左手に痛みが走った。手を打ち合わせたくらいの痛みだ。
これが脳波を操作する感覚かと感心していると、ヘルメットが上へあがり、薄明かりの狭い筐体に戻った。
「問題はございませんか?」
「はい」
「もう一度試されますか?」
「いいえ」
音声の指示に従い、器具を手足に付けた。するとどこからかセンサーが移動してきて、駿の体を調べ始めた。
「生体スキャンを行っています。ペースメーカーなどの有無、ゲームに支障がないか、お体の状態を確認します」
チェックはすぐに終わった。
「なお、体に異常が確認された場合、医療機関でこのデータを提出することが可能です」
などと音声が説明していた。
「オールクリア。では、あなた専用のキャラクター作成に移ります」
音声の指示に従い、性別や格好を選ぶ。身長や体重なども決めていった。髪の色、髪型、顔立ち、目の色、服装、武装。細かに決めていくと、駿のお気に入りの映画の主人公そっくりになっていた。
キャラクターの名前はウォン・フェイフォン。そのままだ。中国の英雄と言うだけあって、漢字やピンイン、アルファベット表記はすべて使用済みで使えなかった。駿は一通り確認した後、カタカナ名で登録した。
次にキャラクターの能力値の割り振りだ。腕力、脚力、耐久力、精神力、器用さ、機敏さと言う六項目ある。
合成音声とモニターの文字で各能力の説明が行われていた。ポイントを割り振って能力を決めるようだ。そのポイントは、必殺技の習得にも使える。
駿は耐久力、精神力を最低値まで下げ、腕力、脚力、機敏さを限界まで上げた。必殺技は必要ない。カンフーのみで戦うと決めていた。
出来上がったキャラクターを見て、駿は嬉しくなった。現実ではできないカンフーを、このキャラを通じて使えるかもしれないと、期待も増していた。
「登録を完了いたしますか?」
駿は即答で答えていた。
5
さらに、ゲームの基本的流れなどの長い説明が続いた後、やっとゲームを始めることができた。
ヘルメット型の装置を装着すると、目の前に、風にたなびく草原が広がっていた。
足元に、砂の感触がある。足を滑らせると、小石の動く感触が伝わった。草に触れた感触も、青臭いにおいもあった。今にも草むらからバッタが飛び出してきそうなほどだ。
音もしっかりとある。風で揺れる草同士がカサカサとなっていた。足を踏みしめると、ジャリと鳴る。
自分の足で草原に立っているのとまるで変わらない。地下都市を出れば、こういう感じなのだろう。駿は漠然と思った。
自分が立てた音とは別に、物音がした。振り向くと、空手着を着た体格のいい男が立っている。
視界の左隅に、ゲージがある。これが自分のHPのようだ。右隅にも同じようにゲージがあり、その上に「コウガ」とあった。どうやらこれが、目の前の空手家の名前のようだ。
このゲームは試合開始の合図がない。
駿と空手家は静かに見つめ合い、互いに身構えた。
駿の鼓動が早くなる。今まで喧嘩すらしたことがない。格闘技の経験もない。これでまともに戦えるのだろうか。鼓動が早くなるにつれ、足が棒のように固まっていた。
コウガが勢いよく走りこんでいた。
駿は驚き、慌てふためく。気付くと目の高さに草があり、手に砂の感触があった。目の前に自分のキャラクターの膝が見えた。
コウガは構わず接近してくると、太い足を振り回した。走りこんだ勢いのまま出された下段回し蹴りは、駿の体ごと振りぬかれた。
駿は吹き飛ばされ、草むらを転がった。ゲームの説明中に受けた痛みより、強い痛みが襲った。左上のゲージが三分の一ほど減っている。
駿は慌てて起き上がった。腰が引けている。誰かが見たら、笑われていたに違いない。
コウガは振りぬいた足を地面に下ろした。コウガの視線が駿をとらえて離さない。その目で、駿は射すくめられた。
駿は怖かった。逃げようかとも思った。同時に、妙に冷静な部分もあった。体が吹き飛ぶほどに蹴られて、この程度の痛みのはずがない。やはり仮想現実なのだ。だからと言って、すぐに対応できるものでもなかった。体が恐怖で震えている。足がおぼつかない。
コウガが近づいてくる。
このまま何もできずに終わるのだろうか。それはそれで悲しいと思っても、駿の体から恐怖は消えてくれない。まともに動くことができなかった。逃げ出すこともできなくなっていた。
目の前を何かがよぎった。
「ヘイ!シュン!平常心だ!」
横から声が聞こえた。
駿が振り向くと、上半身裸でパンツ一つと言う出で立ちの、浅黒い男がいた。どこかで見たことのある顔をしていた。
右端に、「モモタロウ」と表示されていた。
「モモタロウ?」
「どうだい?カッコいいだろ?」
モモタロウはそう答えると、華麗に連続蹴りをしてみせた。
「シュン。来たよ」
モモタロウに言われて向き直ると、駿の目の前にコウガが迫っていた。
駿は慌てて手を振り回した。コウガの腕に当たり、拳が逸れていく。二人の体が交差するさま、駿の手がコウガを押す形となり、すれ違った。
左上のHPゲージは減っていない。
コウガは体勢を崩し、よろめいていた。
駿は自分が今、何をしたのか、理解していなかった。自分の手を眺め、コウガを見て、不思議に思っていた。いつの間にか、足の震えが消えていた。
「今のいなし、良いね!」
モモタロウが小躍りしながら、こう攻めるか、追い打ちから連打に、などと色々想定していた。
モモタロウの存在が、ここがゲームの中だということを理解させてくれた。サクチャイと同じ顔をしたそのキャラクターは、現実よりたくましい体つきをしていた。よく喋るのは同じだ。彼の声で、駿は呪縛から解き放たれた。
コウガが向かってくる。
駿の足は再び竦んだ。それでも無様に尻餅をつくことはなくなった。
コウガの正拳突きを外側から押して軌道を逸らし、隙だらけの肩を導くように押した。
先ほどと同じことを、今度は意識して行うことができた。体はまだ固いものの、何とか対応できる。
体勢が崩れたコウガの背中が目の前にあった。駿はその背中に恐る恐る、蹴りを入れた。
軽快なヒット音とともに、コウガが仰け反った。
駿は自分の足と、仰け反るコウガを見比べ、驚いていた。同時に、もう一度足を振れば、追い打ちをかけられるのではと思った。
コウガが体勢を立て直し、駿に向き直った。コウガのHPゲージが少しだけ減っている。
駿の足から震えが消えていた。代わりに、胸の奥が熱い。今までに経験したことのない感情が沸き起こり、恐怖を打ち消していた。
三度、コウガの正拳突きを交わした。今度は背中に蹴りを入れる寸前で止めた。これを繰り返せば勝てる。でもそれでは面白くないと思えたのだ。
駿が憧れたカンフーを、ここでは、思い描いたとおりに体験できる。ならば、存分に試さなければならない。映画の主人公のように、唸る拳をかわし、華麗に立ち回りたい。主人公の必殺技を、試してみたい。
駿はコウガの正面へ回り込んだ。半身を引いた構えでコウガを迎え撃つ。
コウガの正拳突きの軌道を変えて逸らし、下からの突き上げを、上体を反らしてかわした。コウガはそのまま体を回転させ、回し蹴りを繰り出す。
駿はとっさに上体を反らした方向へ飛び上がると、コウガの体を蹴って空へ逃げた。
どこかで口笛が鳴っているのが聞こえた。モモタロウだろう。
空中にいる駿に向かって、コウガが地を走って迫った。着地に合わせて拳を打ち出してくる。
駿は足を小さく振ってコウガの顔を打ち付け、同時に肩を踏み台にして後ろに跳躍した。
「マジか!」
モモタロウとは別の声が聞こえた。
駿は着地しながら目だけで確認すると、モモタロウの隣に侍風の男がいた。ヤマトタケルと言う名前になっている。
モモタロウとヤマトタケルはやんやとはやし立てていた。その様に、駿は気恥ずかしく感じた。それとは別に、胸の中が熱くなり、じっとしていられなくなった。映画で見た動きを再現できる。そのことが嬉しかった。
未だに、コウガに睨まれると、足が震える。だが、胸にたぎる熱いものが、その震えを抑え込んだ。
幾つもの感情に戸惑いつつ、駿はコウガの動きを待った。
コウガは鋭く走りこむと、回し蹴りを放った。駿はコウガの蹴り足を下から蹴り上げ、彼の胸に拳を突き出した。
拳に痛みが伝わる。だが、その痛みがどういう訳か、心地いい。熱く燃えるような感触だ。その感触が全身に伝わり、駆け巡る。
コウガは後ろへ吹き飛んでいた。
駿は地面を蹴ると一瞬で追いついた。足を大きく振り上げ、コウガを踏みつけた。コウガが砂埃を立てて地面に落ちた。
視界に、2HITSと表示されていた。コウガのHPゲージが半分まで減っている。
「おいおい、あれを追いつくか!」
ヤマトタケルが驚きの声を上げていた。
駿はコウガから離れると、自分の拳を見つめていた。拳が熱い。体が軽い。もっともっと動いてみたい。
「さっきまで怖がっていたのに、もう笑っているよ。キャラを使いこなしているよ」
「こいつ、本当に初心者か?」
「初心者だよ。さっき連れてきたばかりだもの」
ギャラリーも興奮した面持ちで話し込んでいた。
駿は無造作にコウガへ向かった。ただ、攻撃する気はなかった。攻撃すれば、あっという間に終わる。そう思えたので、今はとにかく、相手の攻撃をどう捌くか、練習したかった。
コウガの連続突きを外側に向かっていなす。合間にコウガの下段蹴りが飛んでくる。駿はステップでかわしたり、コウガの軸足の前に割り込んで威力を殺したりしてみた。
駿が後ろに飛び退くと、コウガは鋭い突進とともに正拳突きを放った。その拳に、駿は拳で迎え撃った。拳に心地いい痛みが走る。熱い何かが拳から沸き起こり、全身を巡った。
コウガは突き飛ばされたように後ろへ仰け反っていた。隙だらけである。
駿は一歩踏み込んで、熱くたぎる拳を数発打ち込むふりをした。すべて寸止めだ。
「おいおい!オモチャにしてやがるよ!」
「この初心者怖い!」
モモタロウがおどけて笑っていた。
「シンクロ率ハンパネー!」
ヤマトタケルは何がおかしいのか、大笑いしていた。
駿が観客を見ていると、いつの間にかコウガが真横に迫っていた。コウガの足が下から鋭く突きあげてくる。駿は後ろへ倒れるように避けると、足を振り上げてコウガの側面を蹴りつけた。もう一方の足でコウガを蹴りつけて後ろへ飛んだ。
駿は空中で小さく回転すると、何事もなかったかのように着地していた。足が軽い。体が軽い。全身を巡る熱で、体が浮き上がりそうだった。
カンフー映画はワイヤーアクションで、体が羽のような動きをする。軽気功と言う技で、気の流れを制御して、体重を本当に羽のようにしてみせるのだとか。軽気功を使えれば、水面に浮く枝の上でも立てると言う。
映画では、ワイヤーを使ってそれを見せている。だが、駿はワイヤーを意識したことはない。あんな技ができたら、どれほどワクワクするだろうと、憧れただけだ。その憧れを、今、再現できた気がしていた。
コウガのHPゲージが赤く点滅していた。後一撃でも与えれば、倒せるだろう。
「おお!出るか?コウガの超必殺!」
「こいつ弱すぎて、超必殺出す前に倒れるもんねぇ」
ギャラリーがひときわ大きな歓声を上げていた。
コウガは腰を低く落とすと、右の拳を引き付けていた。
「ただの正拳突きだけど、威力は馬鹿でかいぞ」
ヤマトタケルのアドバイスが飛んできた。
「当たらなきゃ意味ないけどね」
モモタロウは楽観視しているようで、軽々しく言っていた。
コウガの拳が赤く光っていた。
次の瞬間、コウガが地面を爆発させたかのような勢いで突進してきた。そのまま赤い拳を繰り出す。
駿はぎりぎりまで引き付けると飛び上がり、横なぎに回し蹴りを放った。コウガの側頭部をとらえた。するとコウガは体勢を崩し、前のめりに飛んだ。草むらに砂埃を立てながら倒れ、動かなくなった。
駿の目の前にKOの文字が浮かび上がった。
6
「終わり?」
駿はぽつりとつぶやいていた。初めこそは怖がり、何もできなかったが、モモタロウが声をかけてくれたおかげで動けるようになった。すると、瞬く間に終わってしまった。
怖くて仕方なかったはずなのに、なぜか、物足りなさが残っていた。拳や足が熱い。鼓動が動けとせっついていた。
モモタロウとヤマトタケルが拍手をしながら近づいてきた。
「よー新人!なかなか面白いバトルだった!」
ヤマトタケルはそう言って、自分のキャラ名を名乗った。
「侍だ。よろしくな」
ヤマトタケルの名で、侍と言うもの、どうもしっくりしない。駿が首をかしげていても、ヤマトタケルは気にもかけていなかった。
「僕は分かるね」
モモタロウが白い歯を見せて言った。
「まんまだね」
駿はそう答えて笑った。
「モモタロウが来てくれたおかげで戦えたよ」
「そう?途中からの動きはメチャクチャすごかったよ」
「ああ、新人であの動きはないな。シンクロ率はすでに新人の数値じゃない」
ヤマトタケルがそう言って頷いた。
「シンクロ率?」
「このゲームの隠しパラメータだよ」
「そう。シンクロ率が高いほど、強くなる。現実ではありえないこともできるぞ」
「へー」
「シンクロ率が見えるようにしてやろうか?」
ヤマトタケルが気軽に言った。
「簡単にできるの?」
「僕も前に表示してもらったよ」
「ちょいとデータ改造するが、簡単さ。運営もこのくらいは見逃している」
「能力値をいじったりしたら、バンされるけどね」
モモタロウとヤマトタケルが交互に言う。
「バンってのは、アカウント停止のことだ」
「運営に打ち殺されるの!」
モモタロウがそう言って笑っていた。
「前にデータ改造して、俺つえーってやってた奴いてな。そいつが面白いのなんの。九人目に挑んで瞬殺されるわ、運営にバンされるわで、笑わせてくれた」
「あーいたいた。僕戦ったけど、シンクロ率は低かったよ。負けたけどね」
モモタロウはそう言ってまた笑った。
「ほい、もうできた」
ヤマトタケルがそう言うと、駿の視界にいつの間にか、数字が増えていた。左隅のHPゲージの下だ。
「42パーセント…」
駿は口に出して読んでいた。
「そう。ちなみに今までの初回プレイでの最高値は37だ。ダントツですげーぜ!」
「そう、なの?」
「前の記録保持者も伸び悩んで50パー超えてないのが現実さ」
駿はヤマトタケルの言葉を聞きながら、彼を見た。ヤマトタケルの名の下に89パーセントとある。モモタロウを見ると、こちらも80パーセントを超えていた。
「二人ともすごいシンクロ率…」
「でも、まだ90パーセントに達した者はいない」
「前回の大会優勝者でも、70パーセント台だったよ」
「モモタロウはもうあいつより強いだろ」
「どうかな?あの人も十分強いし、時の運だよ」
駿は横で話を聞いているだけだった。二人とも相当強いらしい。雲の上の存在だ。もっとゲームに慣れてから、一度対戦を申し込んでみるのもいいかもしれない。
駿は手足を見つめながら、動かしてみた。まるで自分の手足のように動く。指が、自分の指を動かしているのと同じように、動いた。これがゲームの中のキャラクターなのかと、感心してしまう。
飛び跳ねてみる。体が異常に軽い。この辺りが現実との違いだろう。軽く飛んだつもりで、モモタロウの頭上まで爪先が上がっていた。
着地も軽い。地面を蹴ると、素早く走れた。草が脛をかすめていく。足の裏に地面をとらえる感触があった。軽く走ってみても、息が切れることがない。ずっと走っていれば、息も切れるかもしれないが、軽く走った程度では何も変わらなかった。代わりに、再び胸の奥で何かが熱くなっていた。
(もう少し戦ってみたい)
駿はそう思っていた。初めのあの恐怖はどこへ消えたのだろう。今は足もしっかりと動く。
いつの間にかコウガの体が消えていた。代わりにコウガと同じ胴着を着た浅黒い男が現れていた。右端に「フェルナンド」と表示されている。
「外人?」
駿は思わずつぶやいていた。
「NPCの二人目。コウガよりちょっと手ごわいぞ」
ヤマトタケルが告げた。
「シュン…おっと。フェイフォンなら余裕だよ!」
モモタロウが駿の本名で呼びかけ、途中でキャラ名に言い換えた。ゲームの中なのだから、キャラ名で呼び合うのがマナーなのだと言う。
「僕はリアルでもモモタロウだけどね!」
モモタロウはそう言っておどけていた。
「マジか!」
ヤマトタケルが食いついていた。
「マジマジ!僕のニックネームがモモタロウ!本名はほとんど使わないんだよ」
「おーそれでムエタイか!」
「そう言うこと!」
二人の会話をいつまでも聞いているわけにもいかないだろう。駿がフェルナンドに向き直ると、いつの間にか別の男が立っていた。
「へへへ。見つけたぜぇ。新人ちゃんよぉ」
陰湿な顔をした男で、猫背だ。手には鉄の爪が付いていた。ダーククローと言う名前の通り、黒い衣装で身を包んでいた。
「お!出ました新人キラー!」
「新人いじめて遊んでいる卑劣漢!」
「やかましい!」
ダーククローが外野の二人を睨みつけた。だが、二人はお構いなしだ。
どうやら、プレイヤーキャラによる対戦のようだ。ダーククローは戦おうとも何とも言わないものの、戦う気満々と言った感じだ。
駿は対人戦ももちろん初めてだ。NPCのコウガですら、対峙するとあれほど怖かった。どこの誰とも分からないとはいえ、中身は人だ。人が目の前に立っていると思うと、怖気づいた。
「おいフェイフォン。そいつ、お前をいじめに来たんだ。返り討ちにしてやれ」
「卑怯者だから、存分にやっていいよ」
「すごい言われよう…」
駿は相手に同情する気になっていた。おかげで少し、怖気がどこかへ消えたようだ。
ダーククローは返事の代わりに、鉄の爪で駿を切り裂きに来ていた。駿は怖がる暇すらなかった。慌てて後ろに飛んでかわす。が、ダーククローも素早く間合いを詰め、次の攻撃を繰り出していた。
ダーククローは曲がった背を伸ばすとまるでバネのように飛んできた。そして背を丸めると、見た目以上に小さくなって、的を絞らせない。
駿は迎え撃つことも、逃げ切ることもできず、翻弄されていた。胸が熱いと思ったら、胸もとに四本の線が、下腹部に向かって付いていた。赤く染まり、焼けるように熱い。
これが現実世界での傷なら、駿は悲鳴を上げ、激しく痛む傷を押さえてのたうち回ったのだろう。駿はゲームだと理解していた。それが幸いしたのかもしれない。まだ、動いていられた。まだ、動いていたかった。
映画のウォン・フェイフォンならどうするだろう。駿はそう思い、考えを巡らせた。バックステップを続け、逃げ続けている。
映画の主人公ならば、あの鉄の爪を自分の指で抑え込むかもしれない。鉄の爪の内側は相手の生身の手だ。そこに自分の手を入れ、指で相手の指をそれぞれ抑え込む。それとも、ただの拳と同じように、可憐に受け流すかもしれない。
ダーククローの体がバネのように伸び、鉄の爪が鋭く迫っていた。駿が手で相手の腕の軌道を変えた。そこへダーククローのもう一方の鉄の爪が下から迫った。駿はその爪をさらに下から蹴り上げてかわした。
ダーククローが最初の爪を戻しざま、駿の振り上げた足を裂いた。
駿のHPゲージが残り少なくなり、赤く点滅していた。このままでは負けてしまう。駿は覚悟を決めなければならなかった。一発逆転を狙うには何をすべきか。映画のワンシーンを思い出していた。
ダーククローは勝ち誇って笑っていた。体をバネのように縮め、駿に向かってはじけ飛んできた。
駿は目の前に迫る鉄の爪を蹴り上げ、上体を浮かせて体を回転させた。先ほどまで駿の体があった空間に、ダーククローの爪が突き刺さった。
空中で回転しながら、駿は足を繰り出していた。ダーククローの側頭部に当たる。さらに、駿はダーククローの伸びきった腕をつかんで回転を止めると、引き付けるようにしてダーククローに、左右の足を交互に突き出した。足の影が消えるほどの連続蹴りだ。
無数のヒット音が鳴り響き、駿の勢いに押されるまま、ダーククローは後ろへ飛ばされた。
「32HITS!KO!」
どこからか、アナウンスが響いていた。
気付くと、ダーククローが草むらに倒れていた。駿も草むらに片膝をついて着地し、肩で息をしていた。一連の動作をする間、呼吸を忘れていたかのようだ。
「逆転しやがった!」
「すごい!なに今の技!」
「お前のスキルか?」
ヤマトタケルとモモタロウが駆け寄ってきて、口々に叫んでいた。
駿はやっとのことで呼吸を整えた。どっと疲れが襲ってきて、体がやたらと重かった。立ち上がれそうにない。駿は諦めて体を投げ出し、草むらに転がった。
疲労もさることながら、達成感が胸を押し開けそうな勢いだ。足に先ほどの名残が残っている。足が震えている。その感覚が、なぜか嬉しかった。
モモタロウとヤマトタケルが、先ほどの技は何かと、繰り返していた。
「無影脚」
駿はぽつりと答えていた。映画の中のフェイフォンが使っていた技だ。影も追いつかない連続蹴りを出す。キャラクターをウォン・フェイフォンの名前にした時から、この技はやってみたかった。あの切羽詰まった状態で、よくできたものだと、自分でも感心していた。
思い描いたカンフーを、今、自分が使っている。使うことができた。現実世界では不可能だ。映画の中の、憧れだ。それを、ゲームの中で、実現することができた。これほどの達成感を、今まで味わったことがない。
駿は自分の震える拳を見つめ、感激していた。