嫌人選挙法~キライナヒトヲエランデクダサイ~
キライナ ヒトヲ エランデ クダサイ
誰が言い出したかわからないが、最初の一言は、ツブヤイターという短文形式SNSにおける些細な一言から始まったと言われている。
この国で最も嫌われ、最も死んでもしかたのない人をひとり選ぼう。
そしてそいつを処刑しよう。
そうすれば、いまのこの国の状況はきっとよくなるはずだ。
――そういう主張だった。
折りしも、この国は衰退しているという認識が共有されつつあった時代だった。少子高齢化にブラック企業の蔓延。格差社会。階級社会。アンダークラスが呻き、上級国民があざ笑う。中層階級の破壊。消費税の増税に、介護、保育、医療の壊滅。多くの人は無低と呼ばれるわずか二畳程度の部屋に押しこめられ、日々早く死なないかと願っている。実際にすぐ死ぬ。ストゼロと呼ばれる合法麻薬に肝臓がやられるためだ。
こうなってしまった原因はなんだろうか。
要するにそれは黒幕の存在を求める世論の声だったといえる。
わたしが苦しいのは、誰のせいなんだ!
わたしが不幸なのは、誰のせいなんだ!
それは政治家のせいか。一部の金持ちのせいか。
いずれにしろ、国を恣意によって動かす輩は、その過程において多数の人間を弾圧しているに違いなく……。
――多数の人に嫌われているに違いない。
ゆえに、多数決によって最も嫌われている人間を選挙すれば、ひとりの悪を断罪することが可能になる。また、人に影響のある人物はおのずと自らの行動を律することになり、おのずと悪は消却されるであろう、と。
世論形成から立法までは、時間を要した。
嫌いな人を多数決で選び殺す。言ってしまえばいじめの構図と同じであり、野蛮な文化そのものである。このようなことが法治国家として許されていいはずがない。そういう反対勢力も多く、立法化されるまでに時間を要したのだ。また、憲法の改正もまた必要になる。この国には死刑制度はあるものの、それはあくまで構成要件に該当するような『悪いおこない』が前提となる。
しかし、今回制定しようとする嫌いな人を殺すというのは、人気投票の逆バージョンに過ぎず、なんら行為をおこなっていなくとも殺すというのだ。多数決だからといって人道上の観点から許されるはずがない。よって、憲法違反となりうるはずである。仮に立法するのであれば前提として改憲も必要である。
喧々諤々の理論は、しかし圧倒的多数の世論によって掻き消えた。
改憲もなされ、立法もなされ、民意は形成された。
名づけられたのは『嫌人選挙法』。
わが国は――、国民は嫌いな人を殺すことを選んだのである。
最初のひとりは、上級国民がテーブルいっぱいの鳥肉を食べるのであれば、あぶれた肉を三秒ルールで拾って下級国民も肉が食えるぞと主張した人物だった。鳥がくるくると舞えば、目がまわってダウンして、旨味ということで、鳥クルダウンと呼ばれた理論だったが、しかし、実態はただ上級国民を肥え太らせるための洗脳政策に過ぎなかった。
なので、国民から嫌われたのである。本来であればなんらかの主張をしたとしてもその最終責任者は首相にあるのではないかとも思われるのであるが、そういった理論とは関係なく、法は嫌いな人物を選ぶということのみを伝えている。
人が人を嫌いになるということは、その立場も重要であるが、その主張の仕方、行動様式などが直感的にどうであるかということが重要になるのだ。
その人物は、パンがなければ死ぬまで働けばいいのよとのたまい、それが決定打になった。もちろん、法は反論の時間も設けている。一年の期間において、最初の一ヶ月で人口の半数程度を選ぶ。3ヶ月でさらに半分。6ヶ月後にさらに半分。最後には2人の人物が選出され決戦投票となる。最初の決選投票は首相と鳥クルダウンのふたりだったが、首相はわたしは聞いてない記憶にございませんといい、鳥クルは首相にアドバイスしただけ選んだのは国民と反論する。そんなわけでどっちも相当に嫌われたのであるが、僅差で鳥クルが勝ったのである。
しかし、次の選挙ではその首相が選ばれ、結果としてはふたりともお亡くなりになったのであるが……。
これは要するに嫌いな人として選ばれた人物は自らの行いを強く反省しなければならず、たとえば不人気二位の人物は最後に処刑されないにしろ、次の選挙までに善行をつまなければ処刑される可能性が高いということである。
つまり、悪を排除する方向性を強めるために、一度の選挙ですべてを決するのではなく、小分けにしているのである。
それから、二年に一度のペースで、ひとりずつ選ばれている。
法の施行から五十年。
この国の政治家は、ほぼ美少女で埋められていた。
☆★☆
政治家や企業家が超人的な高校生で占められるようになったのは時代の流れである。要するに人気があるのは目尻にいやらしい小皺のある70代の黒幕っぽいジジイではなく、若くてかわいくて、できれば胸部たわわな乙女がいいに決まっているのである。
嫌われないということを主題にすると、どんな人物でも嫌われる可能性はあるので、過去五十年の投票結果を見てみると、認知度が高い人物から選ばれているというのは明らかである。それは当たり前の話で、人は知らない人間を嫌いになることはできないということだ。
有名になれば、選ばれる可能性がある。
よって、政治家や企業家になること――有名になることはリスクだった。しかし、金持ちが金持ちであることをやめることができるはずもなし、権力をもった人間が権力を手放すこともありえない。
なので、傀儡的に自分の孫娘などを若き政治家や若き企業家として立て、裏側から牛耳るという形ができあがっていた。もちろん法をそのように整備したのであるが、その過程でも何人かの首が物理的に飛んだ。
しかし、当然のことながら政治家や企業家になった高校生ぐらいの乙女たちは、自分が世の中に嫌われるかもしれないということを一等怯える人物であるし、まだ権力などに染まりきっていない清廉なこころも持ち合わせていることが多い。
生徒会のような様相を帯びてきたこの国の政治形態は自分本位な政策はあまり行われることがなくなり、一見すれば、良い政治がおこなわれるようになってきた。
最初の嫌人選挙から五十年目の今日。
最終決戦投票の前日。
候補者はふたり。
ひとりは聖譲寺花音(14)。
わが国の総理大臣であり、様々な政策を積極的におこなってきた人物である。
特に白眉といえるのが『嫌人選挙法』の廃止であろう。まだ素案段階であるが、与党の最大派閥である彼女が押し通せば通る見込みは高いといえた。
しかし、五十年も続けてきた施策に対して急にやめるということができないのが人間である。現在バイアスといい、現在でもそれなりに生きていけるのであれば、究極、住むところが3.3㎡であろうと、貧困になろうと、それでいいと思ってしまう心理的傾向が人間にはある。
五十年前の今日、政治の腐敗を防ぐために現実バイアスを食い破ったのは人間の輝けるメシア的な属性であったが、しかし、嫌われるのを恐れるあまり人は人の自由を殺してはいないかというのが花音氏の主張だった。
特に昨今の嫌人選挙法は、いやだと思うこと、不快だと思うこと、しかし、なされなければならないことをトップに押しつけ、いわば『聖女と化した乙女が生贄となることで政治をまわしている』と看破した。
だが、その廃止法案の奏上は花音氏が嫌われる要因となっている。
オマエ聖女にでもなったつもりかよと草を生やされること幾スレッド。
もうひとりは、戸方ゆちえ(12)。
堂々たる最年少国会議員である。
ゆちえ氏もまた周りの美少女議員から業を押しつけられた存在だった。
彼女の脳内にはおそらくお花畑の広がる天国のような場所なのだろう。12歳という年齢では無理からぬことであるが、パンがなければケーキがあるじゃない方式で、特別養護老人ホームがなければ無低があるじゃないといってみたり、ホームレスはくさいから避難所に入れるのはNGといった、若々しい柔軟な発想に普段から満ち満ちていた。
おそらく周りのものに推されたのであろう彼女の代表的な施策は『童貞救済法』であった。
この法律の骨子は、高齢者を安楽死させて数が減ったのはいいものの少子化のほうの回復は、ともかく子を産まなければならない、セックスしなければならないという至極当然な理を土台においた骨太の改革法案であった。
全国の25パーセントもいる童貞たちにアンケートをとった結果、彼らが求めるのはエロくてかわいくて従順な……要するに奴隷少女のような二次元的何かであった。
彼女の施策は単純である。
求めるものを与えれば彼らは勝手にセックスするであろうというものである。高度なAIで構成された二次元的な奴隷少女を作成し、彼らに与えた。彼らはAIに恋をし、AIとセックスをする。しかして、提供された精子はドナー登録され、見ず知らぬの誰かと結ばれるのである。また、男性に選ばれなかった女性もまた同様にイケメンAIと結婚するのである。
女性としては生まれてきた子どもがイケメンでないことに落胆する場合も多く、この法案は女性達から槍玉に挙げられた。少子化からの回復はもう少しのところまできているのであるが、そんな政策的な成功と、嫌いだという感情の間には因果関係などないのである。
また、ゆちえ氏はもうひとつ大きな政策をおこなった。
当時また増えつつあった後期高齢者を30人単位でバトルロワイアルをさせて、生き残った生産性の高い優勝者のみを生存させるというバトルロワイアル法の制定である。
この法律の制定は後期高齢者の猛反発にあっていたが、五十年前ならいざ知らず、今の人口構成比からすると、ようやく超高齢社会構造から抜け出したばかりであり、若年層がまた増えつつあるような構造であるため成立した。
高齢化という言葉にアレルギーがあったためであろう。それに既にまったく犯罪行為を犯していない人間を二年に一度のペースとはいえ処刑している国なのであるから、いまさらという感はあった。
ついでに言えばボケ老人は選挙にいけないから票がまとまらなかったのだ。
この法案も合理的であった。政治的に必要な痛みであった。そう支持する声も少なくない。
しかし、何度も言うように、合理性と感情とは別問題である。
花音氏とゆちえ氏は同じ政治家として同じ待機場所にいる。
カメラの前で最終討論をする前に同じ待機場所で待つのである。
殺し合いが始まるのではないかと危惧する声はない。
なぜなら、相手方を殺してしまえば必然的に死ぬのは自分であるから。
死にたくなければ相手が嫌われるように、自分が好かれるように仕向けるしかないからだ。
その日、カメラも何も設置されていない完全なる密室でふたりがどのような会話をしたかは知るよしはない。しかし、当時花音氏の秘書をしていた者から貴重な証言を得た。
「花音お姉さま。ゆちえは死にたくないです」
「そのように半べそかいてたらみなさんに嫌われますよ。あなた死にたいんですか」
「花音お姉さまは怖くないんですか?」
「人から嫌われるのは誰だって怖いことです」
「じゃあ、ゆちえが泣いたっていいじゃないですか。誰だってそうなんだったら。お姉さまだけずるいです。そんなとりすました顔をして。ゆちえなんか昨日からオムツはいてますよ」
オムツを見せるゆちえ氏。
とりあわない様子の花音氏。
「ゆちえが嫌われたのは何故だと思います?」
「わかりません。ゆちえはお姉さま方の希望どおりに話しただけで」
「だからですよ」
「え、だって、みんなが……国民のみんなが望んでるってお姉さま方はおっしゃってましたよ」
「国民の全員が望むなんてあるはずないでしょう。そんな施策があったら誰が何も言わずとも通ってるはずです」
「じゃあ、お姉さまはどうなんですか。ここまで選ばれてるってことは、みんなから嫌われてるってことじゃないですか」
「嫌われて結構。わたしはそれでもこの国をよくしたいと考えてます」
「嫌われて殺されるんですよ。それでもいいんですか?」
「よくない、とわたしは思います」
「お姉さまがしてきたことはみんなから否定されているんですよ。それでもいいんですか」
「みなさんがわたしのことを否定するのであればそれはしかたのないことだと思います。若輩の身、能力不足もあるでしょうし、弱い人たち、虐げられていた人たちを救済しきれなかった施策も多いでしょう。ですが、政治というのは究極のところ、誰かを助け誰かを助けないことです。パンを公平に分け与えることです。パンが足りなくて誰かが飢えることもあるでしょう」
「お姉さまはご自分のまちがいを認めるというのですか? だから死んでもよいと」
「そうではなく。テロや暗殺を合法化したところで――、やはりそれは間違ってると思うのです。この嫌人選挙法はテロや暗殺を合法化しているに等しい。たとえAIのように合理的であっても人間的にまちがってると思うのです」
「でも、嫌人選挙法がなかった時代は、権力を持った人が恣意的にその権力をふるっていたって。その呪いとか憎悪が浄化されるのを望んで、法律が生まれたんだって。つまり人間の望みが生んだのが嫌人選挙法ですよ」
「そういう側面があるのは否定しません。いまでは政治は清らかになりました。けれど、果断な決断もできなくなったように思うのです。大多数の大衆にとってはオンリィワンになることはないので、処刑されることはないでしょうが、それでも嫌人選挙によって何票入ったかはわかりますよね。だから嫌われないことに注力することになる。いまでは人は人に嫌われることをなによりも恐れている。神経症のようにこわがっているのです。それは自由ではない。それは人間の尊厳を踏みにじっているのです」
「横並びの何が悪いんです。誰かが儲けるためには誰かが損しないといけないじゃないですか。オーバーアチーブっていって、労働者から搾取しないと企業は儲けられないんだって経済学の本に書いてました! 企業が儲かるってことは誰かが虐げられているんです」
「ゆちえはよく勉強してますね」
花音氏、ゆちえ氏を撫でる。
ほんわかムードになる。
しかし、ゆちえ氏がハッとなり飛びぬく。
「騙されませんよ」
「なにがです」
「下馬評だと、わたしが選ばれる可能性が高いってことでした。いまになってわたしもそう思います。わたしは目立ちすぎました。議員になったとき10歳だから何も知らない小娘だったんです」
「どちらの法案もいろいろと果断だったと思うけど――、わたしとしてはそれなりに合理性があると思います。けれどひとつ聞きたいのはあなたの意思です」
「え、わたしですか」
「あなたはふたつの法案を本当に通したかったんですか? 熟慮のうえで、この国の行く末を案じて決めたのですか」
「正直なところ、わかりません……。お姉さま方にはいろいろ言われました。わたしもいいことだろうなって思って決めたんですけど、お姉さま方にとっては生贄がほしかっただけかもしれません」
「嫌人選挙法はこの世に地獄を作り出しました。あなたが作り出した法案が同じように誰かを殺しているという覚悟をお持ちなさい」
「ゆちえはそんなことまで考えられないです」
五十年前の今日。
70代のジジイはクソをもらして名実ともにクソジジイになったというから、12歳の女の子が泣き喚いても無理からぬところであった。
☆★☆
さて投票前の最終討論である。
ここでのゆちえ氏は放送禁止用語の連発だった。聞くに堪えぬ言葉の数々を12歳の小娘がわめく様は必死であり憐憫さえ誘うものだった。
しかし、途中で空気を読んだゆちえ氏は、蒼ざめた顔になり、しゃっくりのような短い嗚咽をもらすのみになった。いかに相手をこき下ろしたところで、それは感情的にはより嫌われるという結果を生みやすいからだ。
つまり、感情的多数決にとって、誰かの悪口を言うのは禁句なのである。
わりと賢しいものであれば、むしろ自分のやってきたことの正当性を訴えるほうが多い。
しかし、もともと賢しいものは選ばれないように工夫をするものだ。
この場所に立っているということは、そこまでの知恵がなかったということなのであるが――。
花音氏の場合は果たして知恵が足りなかったのであろうか。
花音氏の番になり、彼女は沈黙を保っていた。
持ち時間の20分のうち、15分を過ぎても何も言わない。もちろん、沈黙も許されていることであるが、慣例にはなく、ざわめきが広がった。
そして――その直後に起こったことは、みなさんよくご存知だろう。
「日本死ね。バカ野郎」
の一声である。国民の皆様に向けてバカ野郎の一言。
それから、今ではモザイクすらかかる中指を立てる仕草。
すがすがしいまでの愚行である。
投票結果は圧倒的に花音が占めていた。
☆★☆
「わざとですよね」
ゆちえ氏が最後に聞く。
花音氏はそれには答えず。
「死んでもいいんですか。ゆちえが死んだほうがよかったんじゃないですか」
「もう嫌人選挙法の廃止する法案は奏上されています。わたしが死ねば自動的にナンバーツーであるあなたが引き継ぐことになるでしょう。あなたがその法案を廃止すれば次回のあなたの死は免れるかもしれません」
「通ると思いますか」
「通るでしょう。人が自由を求めるこころはいつだって変わらないものですから」
「お姉さまは死ぬのが本当は怖いんでしょう。だってそんなに震えてる」
「それでも、何も言わないで死ぬよりはマシです。生贄はいけにぇ! と」
「お姉さまぁ!」
連行されていく花音氏。
花音氏の処刑は滞りなく行われた。
嫌人選挙法の廃止が決まったのはそれから一年後のことである。
ホラーコメディみたいな感じもするし、ジャンルがわからん。