第二話
──ゴブリン。
剣と魔法のファンタジー物語によく出てくる、雑魚モンスターの一種だ。
人間の子供を醜くしたような外見をしていて、肌は不気味な緑色、服は申し訳程度に腰布を身につけているぐらい。
大きく裂けた口からはよだれを垂らし、目はぎょろりとしていて、耳や鼻は奇妙に尖っている。
それが──たくさん。
草むらの向こう側から、次々と姿を現わしてくる。
数は二十体……ううん、三十体ぐらいいるかも。
そいつらの手には、思い思いの武器がにぎられている。
粗末な木の棍棒や、木の棒に尖った石をくくりつけた石槍や小型の石斧、あるいは石のナイフなど。
でも──ちょっと待って。
ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って。
背筋がゾッとする。
だって──ボクたちは物語の英雄じゃない。
ただの女子中学生だ。
あんなのを目の前にして、どうしろっていうんだ。
テンションが、気持ちが追い付かない。
急にいろんなことが起きすぎて、何がなんだか──
「──真名! なんだか分からないけど、逃げるよ!」
「……あ……う、うん」
勇希がボクの手を取って、ゴブリンども(いやゴブリンとは限らないんだけど、それっぽいもの。仮称ゴブリンとする)が現れたのとは反対方向に向かって走り始める。
ボクは慌てて、それに従った。
ゴブリンどもは、逃げ出したボクたちの姿に気付いて、ギャアギャア叫びながら追いかけてきた。
追いかけっこ、と呼ぶと子供の遊びのようだけど、もちろんそんな生ぬるいものじゃない。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
ボクは木々をよけながら、必死に森の中を走る。
本当に必死だ。
だって、あんな死の匂いしかしない怪物に、追いすがられているんだ。
なんで。なんで。なんで。
なんでボクがこんな目に遭わないといけないんだ。
あっという間に息が切れてくる。
苦しい。
ボクは運動が大の苦手だっていうのに。
前を走る勇希や神琴との距離が、絶望的にどんどんと離れていく。
あの二人は体力と運動神経のバケモノだ。
ボクなんかが到底追いつけるわけがない。
「はぁっ……はぁっ……」
「ああもうっ、真名、早く! 追いつかれちゃうよ!」
勇希がボクの遅れに気付いて、焦れた様子でその場で足踏みをする。
でも、ボクのほうはそれどころじゃなくて、もう体力の限界だった。
「そんな、ことっ……言われ、たって……うぇぇっ、げほっ、げほっ……!」
ボクはついに走れなくなって、その場にへたりこんでしまった。
後ろを見ると、ゴブリンどもはまだだいぶ遠くだけど、確実にボクに向かって近付いてきている。
……こんなの無理だ。
ボクの脚と体力じゃ、逃げ切れるわけない。
勇希と神琴が、心配そうに駆け寄ってくる。
二人だけで逃げれば、逃げられるのに。
ボクが足手まといだから、二人まで……。
「ゆ、勇希……神琴……に、逃げて……。ボクを置いていけば、二人だけなら……」
自分でも、なんでこんなセリフを吐いているんだか分からない。
何この突然のシリアス。
意味がわからない。
何なの。
何なのこれ。
「何言ってんだよ真名! 真名を置いて逃げられるわけないでしょ!」
「勇希の言うとおりだ、真名。──やるしかないようだな、勇希」
「うん、そうみたいだね、神琴」
へたり込んだボクの周囲で、二人の親友が決然とした眼差しで立ち、駆け寄ってくるゴブリンどもを見すえた。
ゴブリンどもはもう、すぐ近くまで来ている。
勇希は荷物を下ろしつつ、竹刀袋をほどいて中から竹刀を取り出した。
神琴も同様に荷物を下ろすと、こっちは素手のままゴブリンどもの前に立ちふさがるように歩み出て、制服姿のまま空手の構えを取る。
「ん……大雑把に数えて三十体ほどか。ひとり二十体も倒せば釣りが来るな、勇希」
「そだねー。でも言うのは簡単だけど、達人の世界なんだよなぁそれ」
二人はそう、軽口を叩き合う。
でもそれってつまり、無理だっていうこと。
二人の実力をもってしても、あいつらには勝てなくて──
ボクの脳裏に、ゴブリンの石槍やナイフでぐさりとやられて、たくさんのゴブリンに群がられた二人の姿が思い浮かんでしまう。
ボクは二人に向かって叫ぶ。
「ダメだよ勇希、神琴! 早く逃げて! ボクのことなんかどうだっていい!」
「いいわけあるか! 真名は黙って息を整えて! そんでもって回復したらさっさと逃げる! そしたらあたしと神琴もあとで追いつくから!」
「そんな……そんなの……!」
勇希に叫び返されて、ボクは返す言葉を失ってしまう。
悔しいけど、勇希が正しい。
でも──
どうして。
どうしてボクだけこんなに無能なんだ。
息はまだ整わない。
喘息みたいにゲホゲホするばっかりで、早く逃げたいのに立ち上がれない、走り出せない。
ボクが、ボクさえいなければ──
でもボクがそんなことを考えている間にも、事態は刻々と進んでしまう。
「来るよ、神琴!」
「分かっている。左は任せるぞ、勇希」
「オーライ。──さあおいで、バケモノちゃん!」
勇希と神琴が互いに拳を合わせ、それから左右に散った。
そこにゴブリンどもが押し寄せてくる。
制服姿の二人の女子中学生が応戦する。
「やぁああああっ!」
「──はあっ! てりゃああっ!」
二人は強かった。
勇希は竹刀で、神琴は拳と蹴りで、ゴブリンどもを一体、また一体と撃ち倒していく。
勇希の竹刀による突きがゴブリンの喉を捉えれば、そのゴブリンはぐえっと悲鳴を上げて倒れ、悶絶する。
神琴の回し蹴りがゴブリンの胴にめり込めば、それで吹き飛んだゴブリンが隣のゴブリンを巻き込んで地面に転がる。
二人の美少女が戦う姿は、その汗すら輝いて、綺麗だった。
そんな場合じゃないというのに、見惚れてしまうぐらいに。
だけど──
だけどそれでも、圧倒的に、多勢に無勢だった。
二人は徐々に、その数に押されて、追い込まれていってしまう。
しかも──
「はぁっ……はぁっ……くそぉっ! 真名に近付くなよお前らっ!」
勇希がぶんと大振りで竹刀を振って、ボクに近寄ろうとしていたゴブリンを牽制する。
ボクという足手まといを守らないといけない、大きなハンデ。
そのせいで勇希には一瞬、大きな隙ができてしまった。
一体のゴブリンがその隙を突き、勇希の懐に駆け込んで──
──ずぶりっ。
決定的に嫌な音が、聞こえた。
「うぁああああああっ!」
勇希の悲鳴。
ゴブリンが勇希の左肩に刺さった石のナイフを引き抜くと、キキッと嗤ったように見えた。
勇希の制服の左肩の部分が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「勇希ぃっ!」
神琴が叫ぶけど、神琴だって自分の前のゴブリンたちだけで手一杯だ。
とても助けに行ける余裕はない。
「ぐぅうううう……こんのぉおおおおおっ!」
怒り猛った勇希が、自分を刺したゴブリンを唐竹割りで叩き伏せた。
脳天をかち割るぐらいの勢いでゴブリンの頭部にめり込んだ竹刀の一撃で、そいつはぐるりと白目になって地面に倒れた。
だけど、それも勇希らしくない、力任せの大振り。
まわりが見えていなくて──
「なっ、しまっ……! ──うあっ!」
横手から忍び寄ったゴブリンからタックルを仕掛けられ、勇希は地面に押し倒してしまった。
そうなってしまえば、剣道の名手といったってひとたまりもない。
地べたに押し倒された勇希と、のしかかるゴブリンとがもみ合いになる。
「くそっ……! 放せ……放せよっ……!」
必死に抵抗する勇希と、それを無理やりに抑え込もうとするゴブリン。
勇希がやや優勢だけど、その間にも別のゴブリンたちが近寄ってきて──
──でも、そうはさせない……!
「この、ゴブリン野郎っ!」
──ドカッ!
ボクが振り下ろした棍棒が、勇希に覆いかぶさっていたゴブリンを思いきり打ち付けた。
ぐげっという、ゴブリンの悲鳴。
どうにか動けるぐらいに体力が回復していたボクは、地面に落っこちていたゴブリンの棍棒を拾い上げて、それでぶん殴ってやったのだ。
「真名ぁ、ありがとぉっ! ──こんにゃろっ!」
勇希はダメージを受けたゴブリンを押しのけて立ち上がると、自分にのしかかっていたゴブリンを勢いよく蹴りつける。
それから、竹刀をぶんと振り回して、接近してきていた別のゴブリンたちの動きをけん制した。
勇希は一歩、二歩と下がって棍棒を持ったボクの隣に並ぶと、視線はゴブリンたちへと向けて警戒しつつ、声をかけてくる。
「ありがと真名。助かった」
「……よかった。……なんで逃げなかったのって、怒られるかと」
「あー……それは確かに。でも今ので逃げられたらさすがに恨むかも。にははっ」
「ふふっ……それより勇希……肩の怪我……」
「やー、痛いのなんのって。でもま、片手でもまだ戦えるから安心して。真名のことはあたしたちが守るから。これ切り抜けられたら、頑張った分だけ真名のことたくさん抱っこさせてね。ぎゅーって」
「……うん。……そんなの、いくらでもいいよ。……だから」
その先は、言わなかった。
言ったら勇希の明るい振る舞いが無駄になると思ったから。
勇希が強がっているだけだっていうのは、すぐに分かった。
額には脂汗が浮いていたし、声だって苦しそうだ。
と、そこに自分の前のゴブリンを回し蹴りで吹き飛ばした神琴が、やはりじりじりと下がってきて、ボクたちと肩を並べる。
「はぁっ……はぁっ……すまん勇希、私が不甲斐ないばかりに」
「何言ってんの神琴。素手でそれ以上やられたら、こっちの立つ瀬がないよ。剣道三倍段って知ってる?」
「聞いたことはある。信じてはいないがな」
「あはは。ま、多分いい加減な話ではあるよね」
そんな軽口も、場を明るくしようという勇希の気持ちだろう。
勇希はこういうとき、本当に強い。
それにしても……。
二人はボクのことを少しも責めない。
ボク一人が、完全に足手まといなのに。
切に思う。
何か……何か、ボクにできることはないのか。
でも、ボクが二人に勝っているところなんて、オタク知識ぐらいしか──
──待てよ。
ボクはふと思いついて、ワラにもすがる想いで手持ちの荷物を漁る。
自分でもバカバカしいと思いながら、でも何か、何かないのかと持ち物をひっくり返していく。
異世界転移モノの物語でよくあるのが、現代知識や現代の道具を使って異世界の脅威と戦うパターンだ。
例えば、百円ライターとスプレー缶を持っていれば即席の火炎放射器になる、とか。
でもそんなものは持ってないし、仮に持っていたとしてもあんなの実際に効果あるのかとかもすごくあやしい。
でも、だから、もっとほかに──
何か、何かないの……?
だけどカバンの中にはめぼしいものなんて何もなくて。
それどころか、スマホすらなぜか電源が切れたまま動かない始末。
それでも、それしかすがるものがないから、ボクはさらに、自分の体を触って漁っていく。
制服のポケットの中とかに、何かないのか。
何か──
「……あれ?」
何か、あった。
こんなところに、こんなもの入れておいたっけ? というものが。
ボクが制服のポケットから取り出したのは──
トレーディングカードゲームのそれに似た、一枚のカードだった。




