安易なプロポーズ
その店は、革製品のオーダーメイドを取り扱っていた。
規定内の型で、各種の素材、色、装飾が選べオリジナルの鞄や財布を作成している。
今、店内では若いアベックが、ペアの財布に刻印するイニシャルの話をしていた。
「僕のはイニシャルS・Tでお願いします」彼が言う。
隣の彼女が困った顔をする。
「どうしたの?」彼が訊く。
「あのね、女の子は結婚したら苗字が変わるのよ。だから、長く使えないじゃない」彼女が応える。
「へえ~ 結婚願望あるんだ」
「なによぉ~ いけない!」
「じゃあ、僕の苗字使ってよ」
彼女の表情が止まった。
彼が真剣な表情で見つめる。
「……それ、プロポーズのつもり……」顔が赤い。
彼が頷く。
「いや!」彼女が断る。
彼の顔が曇る。
「こんな所じゃ、いや!」
彼の顔が晴れる。
「それは、OKってこと?」
彼女が頷く。
突然、拍手が湧いた。
いつに間にか近くに居た、他の客と店員の見物客達。
彼女が担当の店員に言った。
「それでは、イニシャルはK・Tでお願いします。あ! それ、前と変わらない」
3年後、結婚した夫婦が新たに注文に来た。
「僕のはイニシャルS・Tでお願いします」夫が言う。
隣の妻が困った顔をする。
「どうしたの?」夫が訊く
「あのね、離婚したら苗字が変わるのよ。だから、長く使えないじゃない」彼女が応える。
「なんで離婚するんだよ。それより君は離婚しても、同じイニシャルだろう?」
「ううん、違うの、次のイニシャルはK・Sになる予定なの」
完