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 妖精の輪(フェアリーリング)が動き出そうとしている。

 ギチギチと音を立て、まるで巨大な生き物のように身を震わせる。

 その中でいつの間にかピンク色のウサギのような乗り物に腰掛けていたウカは、どこか虚ろな瞳を上に向け微笑む。

 まるでそれを合図にしたかのように、歪な音楽が鳴り響いた。

 元は軽快な曲であったろうそれは醜く歪み、血と汚泥を塗りたくったような音色だ。


 その音楽のようなモノに合わせ、ついに妖精の輪(フェアリーリング)はひどくゆっくりと廻り始めた。

 少しずつ、だが確実にウカが遠ざかっていく。




 ……だけど大丈夫、もう間に合った!


「——ッだぁあっ!! 行かせるかよッ!!!」


 その回転の中へ、オレは勢いを殺すことなく文字通り飛び込んだ。

 限界を越えた足はそこで縺れて、よろけた姿勢のまま中央の柱に派手に衝突し視界に星が飛ぶ。


「……痛ッてぇ……」


 しばらくしてぶつけた額を押さえながら起き上がると、喧しかった音楽は既に止んでいた。足元が動いている様子もない。

 そして少し離れた木馬モドキの上で、ウカがキョトンとした顔でこちらを見つめていた。

 その横顔を、地平線からの光線が弱く照らしている。


「……ぁれ? ヤマト?」


 ふらりと立ち上がろうとして、そのまま砂埃の積もる床にぺたんと座り込むウカ。

 オレはそんな彼女に駆け寄って、思いっきり抱き締める。

 そのまま帽子ごと乱暴にガシガシと頭を撫でながら、耳元で息が上がり掠れた声を絞り出した。


「……この馬鹿! 大馬鹿! 方向音痴が勝手に1人で行動すんじゃねーよ!! 死ぬほど心配したんだかんな?」


「えっとぉ……ごめんなさい。でも途中からなんか変な感じだったというか、いつの間に私妖精の輪(フェアリーリング)に? あ、私の欲望のなせる業かな?」


「はァ……まぁお前なら正気のままでも乗ってただろうな。それより降りるぞ。こんなトコにいつまでも居られるかよ……ッと!?」


 突如、地面が……いや、妖精の輪(フェアリーリング)が大きく振動し始めた。

 立ち上がることすら困難な揺れ。メリーゴーランドが壊れてしまいそうな程……いや、あちこちから破砕音が響き、頭上からはパラパラと破片が降り注ぐ。

 そして再び音楽が、最早断末魔の絶叫のような異音となった、元は音楽だったモノが響き渡る。


「おいまさかッ……二人まとめて飲み込もうと!?」


「えっ何!? どういう……きゃあっ!!」


 更なる振動とゴリゴリという何かを削るような音を立てて、メリーゴーランドは回転を始めた。

 いや、それはただの回転じゃなかった。

 足元が少しずつ沈むのを感じる。ゆっくりと螺旋を描いて、ここではない何処かへと繋がろうとしていた。

 辺りが昏い色の霧に包まれたように暗くなり、空気に肌を這い回るような不快さが混じり始める。


「何あれ……妖、精?」


 抱き締めたままのウカが呟く。

 足元を見ると、床が溶け出すように透けて真っ暗な奈落が広がっていた。


 その奥に蠢く、無数の影。


 それぞれ異なる色をしたカラフルな三角帽子に、背中には虫の翅。小さく細い体躯は、まるで子供のよう。

 …………いや、よく見ると違う。アレは愉快な妖精なんかじゃない。


 吐き気を催す派手な色の歪な円錐は、帽子ではなくて脈動する脳髄だ。

 薄い翅には無数の棘が付いていて、震える度に耳障りな音と毒々しい鱗粉を撒き散らしている。

 細い手足は関節が明らかに多く、鋭い鉤爪を備えていた。

 そいつらは濁った複眼で一様にこちらを見上げ、髪切虫を思わせる大顎をガチガチと鳴らし粘液を吐きながら、エサ(オレたち)が降りてくるのを今か今かと待ち構えている。



 全身が総毛立った。

 蛇に睨まれた蛙という表現が少し生温く感じてしまう程の、絶対的な恐怖。

 あそこに降りてしまえば、連中に生きたまま四肢を裂かれ骨の一片すら残さず喰らい尽くされてしまうだろう。

 腕の中のウカも同じ想像に至ったのか小さく息を呑み、激しい揺れの中でも分かるくらい身体を震わせる。


 その頼りないくらい小柄な存在を感じることで、オレは何とか正気を保つことが出来た。

 揺れに負けないよう両足を踏ん張って立ち上がり、辺りを見回す。

 すぐ近くのひび割れ溶けかかった床の上に、一筋の光が真っ直ぐ伸びているのに気付いた。

 それを辿って目で追うと、メリーゴーランドと外を隔てるように立てられた幾本もの細い支柱……いや手すりか……の一本が半ばから折れかかっていて、その横にまるで壁があるかのように空間に亀裂が走っていた。

 オレンジ色の細い光は、そのひび割れから伸びている。

 間違いない、それは沈みゆく夕陽の最後の一欠片だ。あの亀裂が外に繋がっているに違いない。


「ウカ! そこから脱出出来るかも知れない!」


 オレは彼女を引き起こして手を握り、その亀裂へと近付く。揺れで歩きづらい上に、溶けた床が糸を引くくらい靴底に粘つく。

 空間のひび割れに手を伸ばすと、そこだけがまともな空気なのを感じる。だが、その繋がりはか細くてとても通り抜けられそうにない。

 くそっ、どうすればいい!?

 すると横でオレにしがみ付いていたウカが、折れかけた支柱を指差す。


「そこの折れてるトコと、ヒビが同じ形……もしかして!」


 その言葉に、オレは迷うことなく片足を持ち上げて支柱に全力の蹴りを放った。

 みしり、と足に伝わる感触。だけどまだ足りない。オレはそこから更に体重を掛ける。まだ少し足りない。


「ウカ、オレを押せ!!」


「うんっ!」


激しい揺れの中、ふらつきそうになるのを堪えながら二人分の体重を足の一点に集中する。

 徐々に支柱が歪んでいくのを感じる。もう少し……あと少し……。


 足元の奈落の底で待ち構える奴らの顎の音と、翅から発せられている哄笑にも似た異音が段々と近付く。

 螺旋を描いて下っていくメリーゴーランドは悲鳴を上げるように回転と崩壊を続け……その時、その崩壊が限界に達したのか……ぐしゃりと軸が歪んでずれた(・・・・・・)

 メリーゴーランドの傘のような屋根が少しばかり傾き、同時に下から悲鳴にも似た鳴き声が上がる。

 屋根の傾きはそのまま支柱に伝わって、オレが足をかけていたそれが耐え切れずに真っ二つに折れた。

 瞬間、その横の空間の亀裂が大きく広がり、外の景色とその中で沈む夕陽の端が覗く。


 オレたちはくるぶしまで沈むようになっていた粘つく床を蹴って、互いの手を握り締めたままにその亀裂へと飛び込んだ。

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