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裏野ドリームランドのコンセプトは、どうやらかなりメルヘンな方向に偏っているらしい。
童話のような、と言えば良いのだろうか? 園内のあちこちにデフォルメされた小動物や、それと戯れる妖精などがデザインされている。
……いや訂正、童話以外のモチーフも紛れ込んでいるな、これは。
今目の前にあるのは幾らかの木々に囲まれた芝生の広場……だったのだろう、背の高い雑草で埋め尽くされたそこには、よく見れば丸太で組まれた遊具が埋もれているのが分かる……そんな場所だ。
こういった場所に自然を配置する心遣いは良いと思う。今は荒れているが、当時は維持も大変だったのだろう。
で、そんな広場を示す看板にある『ようせいさんのもり』という題字は良しとしても、その下のイラストが問題なんだよ。
豪華なドレスと綺麗なティアラを身に付けた、美しい女性の妖精……だけなら良かったんだが、その妖精と戯れているのがロバ頭の男って……コレ描いた奴狙ってやらかしやがったな。
元ネタ知らない奴はシェイクスピア読め。悲劇じゃない方。まぁ読まずともこんな場所でシェイクスピアを引用する奴の気が知れないってのは分かるよな?
閑話休題
あれからもう2時間余りが経過している。陽は傾き、なお蒸し暑い空気は駆けずり回って減ったオレの体力をじりじりと削る。
あの馬鹿の姿は一向に見つからない。痕跡ひとつ見つからない。あと連絡ももちろんない。
あいつのことだから、今もメリーゴーランドを探して彷徨ってるんだろうな、見当違いな場所で。
だが、今はそれよりも切実な問題があった。
————妖精に連れてかれるんだよ————
「くそっ! なんだっ! なんだよコレ!? 声が頭から離れねぇ。ずっと、ずっとだ!!」
オレは叫ぶ。
ウカを探し始めた頃からずっとこうだ。頭の奥がチリチリする。汗で首元が気持ち悪い。記憶の底から何かが、ナニカが這い出して来るような、そんな感覚が止まらない。
————妖精に連れてかれるんだよ————
————妖精に連れてかれるんだよ————
————妖精に連れてかれるんだよ————
————妖精に連れてかれるんだよ————
————妖精に———— ————妖精に————
————妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に妖精に————
————夕暮れに█████████るとね————
————妖精に連れてかれるんだよ————
いつの間にか頭を抱えて蹲っていたオレは、そこでようやく辺りの空気が変化していることに気付いた。
大気が水のように重い。
全身に纏わり付いて、少し息苦しい。
周りの景色も何故か暗くて、ぐねぐねと歪んで揺らめいている。
そして何より感じられる、得体の知れない無数の視線と気配。
————夕暮れが、来た————
なんだ、これ?
オレはゆっくりと泳ぐように身を起こし立ち上がる。目の前の景色も空気も気配も、最悪に気持ち悪い。
落ち着きなく周囲を見回して、オレはそれに気付いた。
揺らめく広場の向こう側、伸び放題の草の間に覗く、見覚えのある帽子。
それがゆらゆらと動いて、奥へと去って行くのを。
「ウカ! おい待て!!」
慌てて駆け出す。急がないと見失ってしまう。なのに、まるで水底にいるかのように体の自由が利かない。
それでも必死に身体を動かして草むらを抜けると、ウカの後姿が曲がりくねった道の奥に見えた。あれ程急いだのに、距離は全く縮んでいない。
「ウカ! 待てってば! そっちは駄目だ!!」
ふらふらと歩く彼女の背中を追い掛けながらもう一度叫ぶが、この水のような大気に阻まれているのか全く聞こえていない様子だ。
ウカの様子もどこかおかしい。何かに引き寄せられているかのような、そんな覚束無い足取りだ。ちゃんと意識があるのかすらも怪しい。
本来だとそんな歩き相手なら簡単に追いつく。だが、重い大気を押しのけて進むのはとても骨が折れた。
体感で10分はそんな追いかけっこをして結局追いつけないまま、ついにウカはそこに辿り着いた。
「……これが妖精の輪……綺麗……」
夢見るかのような、そんな呟きが微かに聞こえた。
そこにあるのは、大型と言って良いサイズのメリーゴーランドだ。ただしそれは、一般的な形状とは少々異なる。
巨大なキノコのようなシルエット……いや、間違いなくそれは、傘を広げたキノコの形を模して構成されていた。
キノコの軸に当たる中央の柱には、草木の間で戯れる動物と三角帽子を被った妖精たちの姿が半分埋め込まれたように描かれている。
普通なら木馬となっている乗り物部分も、デフォルメされた様々な生き物……中にはよく分からない生き物の形もある……になっている。
それら全てが、薄闇の中で淡い光を放って浮かび上がっていた。
『妖精の輪』と名付けられた、少々変わった形のメリーゴーランド。それが今回ウカの目的だった。
ようやく出会えたそれに、彼女は惹かれふらふらと近付いていく。辺りの異常に気付く様子もなく……まるで夢遊病のように。
そして、無人の出入り口を抜けて段差に足を掛け上っていく。
その背中が、幼い少女のものと重なって見えた。
————夕暮れに1人で妖精の輪に乗るとね、妖精に連れて行かれるんだよ————
「乗るなっ!! 連れて行かれるぞ! 駄目だユキ!!」
その瞬間、オレは全てを思い出した。
幼い頃にこの遊園地を訪れたことを。ここで出会った彼女のことを。そしてあの喪失を。
このままではウカが連れ去られてしまう。もう二度と会えなくなってしまう。
しかし、身体は思うように動かず、妖精の輪とのあと少しの距離が縮まらない。
周囲の気配に、耳障りな嗤い声が混ざった。
オレはこの気配も知っている。
あの時と同じ気配。この遊園地に巣食う、ナニモノかの気配。
こいつらは多分、1人づつしか連れて行けないんだ。だからこうやって邪魔をする。
なら急げ!
あのメリーゴーランドが動き出す前に、ウカが連れて行かれる前に!!
オレがあそこに飛び乗ってしまえば……きっと、奴らだって手を出せまい。
……せめて、もう少し動ければ……。
懸命に重い大気を押し退けようとした、そのとき……。
————今度は助けてあげて、やまと————
そんな幼い声と共に……背中に、何か暖かいモノを感じた。それが身体に染み込むと、フッと大気の重さが消え去る。
同時に視界が晴れて、沈みそうな西陽が眼に強く差し込んだ。
今のは……まさか。
いや、そんなことより身体が軽い! なら急げ! 間に合え!!
オレは今度こそ全力で走り出す。
自分の身体が優しい何かに包まれているような、そんな気配を感じながら。
その時、メリーゴーランドが軋むような音を立てた。