第5話 赤毛のサニ
次の日、レリアはアクセルにスケッチブックを見せていた。
場所は美術館の一室。関係者以外立ち入り禁止と書かれた奥で、カミルが開けてくれたのだ。今そこにはレリアとアクセルの二人っきりである。
「ああ、この絵は面白い。闇を抜けるごとに人が成長する様子が、上手く描かれている」
「あら、わかって頂けます? それはクララックの歴史を描いたものでもあるんです」
「成程。ではこちらが成長前の苦悩だな」
「すごい。本当によくおわかりですわね」
「なんとなく、伝わってくる。絵が教えてくれるんだ」
アクセルが一枚一枚スケッチブックを捲っていく。どれも興味深そうに、真剣に見てくれるアクセル。スケッチブックなどただの落書き帳だというのに、それでも楽しんでくれている。
そして最後のページに差し掛かり、レリアは頬を染める。
「これか」
アクセルは自身が描かれた絵を見て、目を細めた。
「あの、記憶を辿って描いたものなので全然似てないのですが……」
「そうか。俺はレリアの記憶では、こんな風に笑っているんだな」
そう言って、アクセルはスケッチブックの中の彼と同じように笑った。やっぱり可愛くて可愛くて、そんなアクセルを穴が空くほどに見つめる。彼は見つめられるのは慣れているためか、赤面はしていなかった。
「ひとつ、頼みがあるんだが」
「何です?」
「部屋にレリアの絵を飾りたいんだ。何か描いてもらえないか? もちろん、金は言い値で払おう」
言い値で払うとはなんと太っ腹な。しかし有難い提案だ。ロベナーについていた嘘が、誠になった。
「ありがとうございます。誠心誠意、心を込めて描かせて頂きますわね。どういう絵をご希望ですの?」
「イメージ的には、このスケッチブックでいうこれかこれ。まぁ、基本的にはレリアの感性にお任せしよう」
「わかりました。アクセル様のお気に召されるような絵を描ければいいんですが……」
「あなたの絵なら、気に入らないことなどないさ」
嬉しい言葉に、レリアは丁寧に頭を下げた。誰かに依頼されて絵を描くというのは初めてだ。依頼者が満足できるような絵を描けるか、正直不安ではある。でも、率直に嬉しかった。
「少し外に出よう」
促されて、美術館を出る。どこに行くのだろうと思いながら着いていくと、一軒の洋服店を目の前に、アクセルは振り返った。
「すまないが、少し着替えてもらっていいか? 馬で遠出したい。スカートでは、いささか不便だ」
「ええ、構いませんが……」
レリアが了承すると、アクセルは躊躇いなく中へと入っていった。やはり高級そうなお店にたじろぎながら、レリアも着いていく。
「どの服がいい?」
「どれがいいのかしら……ズボンなんて、履いたことなくて」
「任せてもらっても?」
「ええ、お願いします」
そう言うとアクセルは、迷うことなく服をさっさと手に取っていく。これだけの服を前に、よく迷わず決められるものだ。レリアなら、一時間あっても決めきれないだろう。
「こんなものか。一度これで試着をしてくれ」
その服を、アクセルは店員に渡す。店員はレリアを試着室に案内してくれ、服を置いて出ていった。試着室も立派な個室だ。着付けが必要な服のために、何人か入れるようにしてあるのだろう。
レリアは着ていた服を脱ぐと、乗馬用のキュロットに足を通した。さらっとした空色コットン生地に、尻革はこげ茶色のキュロットだ。その継ぎ目がお尻を強調しているようで恥ずかしいが、革が流れるように太ももを通り、ふくらはぎを通り、美しくライン取りしている。すごく脚が綺麗に、そして長く見えるデザインである。
上は長袖の白いブラウスに、黒いベスト。黒い浅めのブーツを履いて姿見を見ると、いっぱしの騎手に見える。普段の自分の姿からかけ離れ過ぎていて、誰だかわからないくらいだ。
ズボンなど履き慣れていないので、股の部分が窮屈だが、そんなことは気にならないくらいレリアは浮かれた。これから何か、凄く楽しいことが起こりそうな予感がして。
試着室を出ると、アクセルがすぐに気付いてくれた。ドキドキと胸が鳴り、アクセルを見る。彼はこちらを見たまま、口元が緩く開いてしまっている。
「あの、いかがでしょうか……」
恐る恐る尋ねると、アクセルはハッとして、こくりと首肯してくれた。
「似合ってる。レリアがいいなら、それにしよう」
「はい、すっごく気に入りました! でも、高いのでは……」
「気にしなくていい」
提示された金額を見て、少なくともレリアは驚いた。しかしアクセルは、何でもないことのように支払いを済ませる。
「乗馬の経験は?」
「馬車なら乗りますが、直接馬には……」
「そうか。今日はアルバンに行きたかったが、馬に乗るのが初めてなら、あまり飛ばせられないな。街道を進んだ先に小さな町がある。そこに散歩がてら行ってみよう」
センター地区にあるミハエル騎士団の厩舎から、アクセルは一頭の馬を連れ出した。
赤毛の美しい馬で、素人が見てもいい馬だということがわかる。
「俺の相棒のサニユリウスだ。気は強いがいい子だ。戦場では何度も活躍してくれた。サニ、レリアだ。今日は乗せてやってくれ」
前半はレリアに、後半はサニユリウスに紹介し、アクセルは相棒に飛び乗った。
「手を」
言われるがまま手を伸ばし、引き上げられる。が、アクセルのようにカッコよくは決まらず、もたもたばたばたしながら、なんとか足を回すことができた。
視界が高い。上手くバランスが取れず、フラフラしてしまう。
そんなレリアをアクセルは後ろから支えるように手綱を握っている。
「レリア、サニに挨拶をしてやってくれ」
「あ、はい。えーとサニちゃん、今日はよろしくお願いしますね」
そう言いながら首筋を撫でると、嬉しそうにブルルと答えてくれた。
「行こう」
パカッと蹄の音がして方向を変える。やっぱりグラグラとして安定しない。慣れるまで時間がかかりそうだ。
「大丈夫か?」
「ええ、少し不安定ですが、大丈夫」
「ゆっくりと行くから心配しなくていい。夕刻までには戻る予定だ」
「はい、ありがとうございます」
真後ろから掛けられる声は心地いい。耳に彼の息を感じてゾクゾクとした。
今、アクセルはどんな顔をしているのだろうか。それを想像すると、楽しくてクスクスと笑っていた。