第12話 恨めしい視線
気乗りがしないな。
心の中でボヤきながら、アクセルはセンター地区にある士官学校時代の教官カールの、家の前に来ていた。
彼の家の隣はクルーゼ家。同じ騎士隊長のリゼットの家がある。
彼女にカールへの説得を頼めばいいものを……と思ったが、イオスがそうすることはないだろう。彼らと良好な関係を築いているリゼットに、少しでも居心地の悪い思いをさせたくないと考えているに違いない。そしてそれは、アクセルも同様にそう思っている。
アクセルは教官の家の前に来ると、走り寄ってくるディランを撫でた。ディランとは、この家で飼われている柴犬だ。アクセルはこの犬に好かれている。
「どうしたの、ディラン……あら」
庭に通じるガラス戸から教官の奥方が顔を出し、アクセルの顔を確認した。
「アクセルじゃない。久しぶりね。どうぞ、中に入って」
それだけ言うと彼女は一度引っ込んで、今度は玄関の扉を開けてくれた。
「ディラン、また今度な」
全然遊び足らないと言わんばかりのディランを置いて、アクセルは玄関を跨いだ。
「アンナ殿、久しぶりだ。カールは帰っているか?」
「まだだけど、もうすぐ帰ってくるはずよ。晩御飯、食べて行くでしょう?」
「すまない、お願いする」
士官学校で武芸教諭をしているカールの家には、学生時分に何度も訪れた。彼の妻であるアンナと、手合わせをしてもらったことも何度かある。
アンナはかつて、カールの上司だったと言うだけあって、その剣さばきは常人とは思えぬほどだった。今ならばカールと対峙しても引けを取らない自信があるが、このアンナと言う人物には未だ勝てる気がしない。
「あ、アクセル!」
「アクセルだー!」
カールとアンナの子ども、ロイドとアイリスが二階から降りてきて纏わりつく。アクセルは動物だけではなく、子どもにも何故か好かれる。
「ロイド、アイリス。久しぶりだな」
「アクセル、剣の稽古をつけてほしいんだけど」
「えー! そんなことよりお話聞かせてよ! いいでしょう!?」
両手を引っ張られて困ったアクセルは、また今度なと苦く笑った。今日の目的を達成しないことには、気持ちを割く余裕はない。
「ただいまー。ん? アクセル、来てたのか。どうした?」
剣の実技があったのか、カールは汗だくで帰ってきていた。最近、聞き込みばかりしているアクセルよりも、遥かに運動量は多そうだ。あちー、と言いながらタオルで汗をガシガシと拭きまくっている。
「ご飯できたわよ。さあ、みんな座って」
言われるまま席に着き、皆で食事を取る。何用かと聞かれたが、食事中にする話ではないからと断って後にした。
やがて楽しい食事が終わると、子どもたちは二階に戻り、大人にはワインとチーズが出される。
「で、どうした?」
「アンナ殿もこちらに。一緒に聞いてもらいたい」
むしろ、用があるのはアンナの方なのだ。アンナは何事かと言いたげな表情で、カールの隣に座った。アクセルは二人と対峙する。上手く説得できるだろうか。
「イースト地区で起こっている、婦女暴行事件についてなんだが……」
アクセルはまずそこから説明した。その事件解決のために、先ずは堕胎できると言いふらし、詐欺を働いている雷の魔術師を捕まえると言うこと。そいつを捕まえるための囮捜査としてアンナに協力を仰ぎたい旨を伝えた。
「んーなの、駄目に決まってんじゃねーか!」
「私は構わないわよ」
二人が同時に言葉を発する。アクセルの予想通りの回答である。
「何言ってんだ! だめだ! だめに決まってんだろ!」
「どうして? このままじゃ何の罪もない女の子が、ずっと襲われ続けることになるわ」
「アンナを危険な目に遭わせられっかよ! 囮捜査は、剣も持てねーんだぞ!」
「大丈夫よ、短剣は仕込んで行くから。それならいいでしょう」
むぐ、とカールは言葉を詰まらせる。短剣でも彼女は十分に強いと言うことを、彼は誰よりもわかっているからだろう。
「……けどよ、万一ってことがあんじゃねーか」
「ないわよ」
「ちげーよ。ほら、その、あれだ」
カールは口を尖らせて少し顔を赤らめている。
「なぁに?」
「その……こ、子どもがいて、本当に堕胎されちまったらどうすんだ!」
アンナはキョトンとカールを見ていた。夫婦間のことだ。何も言わずに見守ろうと、アクセルはその姿を眺める。
「今、お腹の中にはいない……と思うわ」
「思うじゃーいるかもわかんねーだろーが!」
「そうだけど、雷の魔術師に、堕ろす力なんてないんでしょう?」
アンナがアクセルを横目に見る。アクセルは一応首肯するも、付け足した。
「そういう話だが、検証できることではないので、実際にはわからない」
「ほらな! ぜってー駄目だ!」
カールは鬼の首を取ったかのように、勝ち誇って言った。しかし、そこはかつての上司である。彼女はさも当たり前の様に、次の提案を示した。
「避妊すればいいじゃない」
「……へ?」
カールの顔が歪む。
「確実にお腹に子供がいないと判れば済むことでしょう。少し時間をもらうことになるけど、それでいいなら引き受けるわよ」
げっ、と顔を青くさせたのは、もちろんカールだ。彼は慌てて撤回させようとする。
「駄目だ駄目だ駄目だ! それって、一ヶ月近くなんもできねーってことじゃねーか!」
「そうだけど、これなら問題はないはずよ」
「問題あるね! 俺がイヤだ!」
「イヤだって……」
「イヤダイヤダイヤダイヤダ!」
まるで駄々っ子だ。あの鬼教官が、丸っきり子どもに見える。その時、ヒヤリと空気が凍った。
「いい加減にしろ、カール。お前らしくもない。犯罪者を、このままのさばらせるつもりか?」
ギラッとアンナの眼光が鋭く光る。その眼で見られたカールは、言葉を詰まらせた後で息を吐いた。
「……わぁったよ」
しゅん、と肩を落とすカール。見ていて可哀想になったが仕方あるまい。奴らを叩くには、アンナという女性がどうしても必要なのだ。
かくして、囮捜査は一ヶ月後に決まった。その間に、暴行事件の方の捜査もできるだけ進めておかなければ。そう思いながら彼らの家を後にする。カールの恨めしそうな視線が背中を刺して、痛かった。




