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終幕

 バタン。ペタペタペタ。ガチャン。バタバタバタバタ。


 俺の眠りを妨げる同居人の物音。


 バタバタバタバタ。

「……いって………ぁす」

 カチャン。


 行ったか。


 やがて、再び眠りに付きかけた俺を覚醒させる玄関の鍵を開ける音。


 ガチャン!

「……ータイ!ケータイ!」

 バタバタバタバタ、バタバタバタ。ガチャン。


 どうやら河南は出て行ったらしい。

 俺は三度みたび眠りにつく。


 ◆


 結局昼過ぎに起き、コンビニへ飯を買いに行く。

 何でも揃う店が近くにあるこの国の素晴らしさを実感。


 弁当を食いながら朝の事を思い出す。

 なんか、落ち着かない。自分の家なのに!

 これから暫く二人で暮らす事になるのか。所謂いわゆるルームシェアと言うやつか。

 ネットでルームシェアについて調べる。


 なるほど。ルールが必要、と。


 ……面倒だな。


 何で自分の家で暮らすのにルールが必要なんだ。

 ……河南が帰って来たら話し合いだな。


 取り敢えず、洗濯をしよう。

 洗濯機のフタを開ける。

 中には既に河南の洗濯物が放り込まれていた。

 取り出すか、と思い、その一番上に下着が乗っていたので大人しく蓋を閉める。

 ……河南が帰って来たら話し合いだな。


 ひとまず、問題を全て棚上げにして久方家へ。


 ◆


「あら、お帰りなさい」


 半年前の出発と変わらぬ笑顔で出迎えてくれる久方母。


「無事、戻って来ました。これ、お土産です」

「あらあら。まぁワイン?」

「ええ。他にめぼしい物が無くて」

「上がってお茶飲んで行きなさいよ。お昼食べた?」

「食べました。顔見せに来ただけなのでこれで」

「何言ってんの。さ、上がって」


 結局、久方母の勢いに負けお邪魔する事に。


 ◆


「ちょっと、痩せたかしら?」


 向かいに座った久方母の言葉。


「ですかね」

「向こうのご飯が合わなかったのかしら?」

「そんな事は無かったですが、まあ、忙しかったので」

「そう。じゃ、今夜は食べにいらっしゃい。渓ちゃんと」


 ん?


「え?」


 俺が聞き返すと、久方母も不思議そうな顔をする。


「誰、ですか?」

「え?」


 久方母が言った名前に心当たりが無い。

 そして、その事を久方母が理解出来ない様だ。

 誰だ? ケイちゃんって。


「いや、ケイちゃん」

「え?」


 久方母が、不思議そうな顔をする。


「総司君、自分の彼女の名前も忘れちゃったの?」

「え?」


 彼女?

 ………………あ!

 河南!

 河南渓!

 そこでようやく思い至る。


「河南か! いや、彼女じゃ無いです」

「あ、もう籍を入れたのかしら?」

「いやいやいやいや、そんな関係では無いですって」

「そうなの? 渓ちゃん、その辺ふにゃーんとしてちゃんと教えてくれないのよ」

「えーっと、仲良いんですか?」


 河南と。


「ええ。なんて言うの? メル友? よくご飯も食べに来てたわよ。菜三が居なくなってからも。

 あ、菜三がこの家出た事は聞いた?」

「それは、向こうで聞きました」


 結局、菜三さんは御守庁を辞め、そして、この家も出て行った。

 その話は、海外にいる間に聞いた。


「そう。ちゃんとやれてるか心配」

「菜三さんなら大丈夫ですよ」


 御守庁で、癖のある連中をまとめ上げていたのだ。どこへ行って何をしようともソツなくこなすだろう。


「そうそう、渓ちゃんの話だったわよね」

「はあ」


 あいつ、何で久方母と仲良くなってるんだ?

 ……河南が帰って来たら話し合いだな。


「良い子よね」

「そうすね」


 そこは否定すまい。


「大事になさい」

「いえ、そう言う関係では無いんですってば」

「あら、そう」


 何故かしたり顔の久方母。


「まあ良いわ。今夜は二人でいらっしゃい。渓ちゃんにも言っておくから」

「はあ」


 強引に話をまとめられてしまったが、この人には、逆らってはいけない。

 俺の今迄の経験がそう言っている。


 ◆


 玄関の鍵が開き、人が入って来る。

 一度部屋に入り、荷物を置いた様だ。

 そののち、リビングのドアを開け中に入って来る。


「ただいま」


 ダイニングテーブルに座る俺を見て、ニコッと嬉しそうに笑った後、一拍置いて河南が言った。


「お帰りなさい。河南さん。どうぞ、お座り下さい」


 俺は座ったまま向かいの席を指す。


「え、あ、はい。改まってどうしたんですか? その前に手洗いうがい」


 そう言って、洗面所に消えていく。

 水音が聞こえ、やがて、河南が出てきて向かいに座る。


「どうしたんですか?」

「お話があります」

「はい」


 俺の様子に、河南が真面目な顔をし、姿勢を正す。


「まずは、この半年、この家の留守を預かっていただきありがとうございました」

「はい」

「これからの話を、しようと思います」

「……はい」


 河南の目が、少し潤んだ様に見える。


「これからも、ここで暮らす気はありますか?」


 俺の問い掛けに、河南は、目を見開きそして口を真一文字にする。


 あるなら、改めて賃貸契約を。その為の条件作り。

 そう思っていたのだが、流石に男女二人でルームシェアは思うところがあるのか返事が無い。

 いや、考えているのか。


 その返事をしばし待つ。

 住むならいくばくかの家賃を徴収して、更に共同生活のルールを、と、そう思っていた。

 洗濯はどうするのか、飯はどうするのか、どこまでが個人負担でどこからが分担か。

 ざっと調べただけだが、まあ、その辺は決めておいた方が良いだろうと思い、そして、金銭の授受が発生するならば念のため契約書をしたためておいた方が互いに安心だろうと、わざわざ筆記用具と朱肉をテーブルの上に用意しておいたのだが。


 近々出て行くつもりなら当面のルールだけ互いの不自由の無い範囲で決めれば良いか。


「あの……」


 ややあって、河南が口を開く。

 そして、うつむきながら続ける。


「少し、考える時間をくれませんか?

 昨日は、その、勢いで色々言って、その、抱きついたりしましたけど、その、先輩、いえ、岸田さんの事、まだまだよく知らないですし。

 いえ、嫌って言う訳じゃ無いんです。

 でも、やっぱり、いきなり結婚って言うのは流石にハードルが高いと言うか……。

 なので、ちょっとだけ待って下さい……」


「は?」


 ◆


 俺の上げた声に、河南が顔を上げ怪訝そうな表情をする。


「けっ、こん?」

「……え?」


 どうしていきなりそう言う話になる?


「お前、何を……」


 言ってるんだ?


「……なに……って……」


 場を変な空気が支配する。

 て言うか、俺、今、フラれたのか?

 してもいないプロポーズを断られたのか?


 意味わかんね。

 もう一度言う。

 意味わかんね。


「いや、俺はただ、これからもここに住むなら改めて条件を確認した上で契約書を書いた方が良いだろうと思ってだな……」

「……契約、書?」

「ああ」

「だって、印鑑……」

「いや、正式な契約書なら印鑑必要だろ……?

 ……あ! お前、まさか俺が『婚姻届』用意して待ってたとか思ったのか!?」

「……」


 河南が、うつむく。

 何という事だろうか。


「そこまで常識無いわけじゃないからな?」


 まだ、付き合ってすらいない!


「……じゃ、話って何なんですか……?」

「ちゃんとした賃貸契約書の作成!

 共同生活のルール!

 まだここに居るなら必要だと思ったんだ」

「……何でそんな事……」

「そんな事じゃ無い。洗濯機にお前のパンツが入っていて、こっちは洗濯も出来ないんだ」


 河南が真っ赤な顔を上げる。


「パ……見たんですか!?」

「……」

「見たんですね!? 変態!」

「洗濯機の中に入れっぱなしなのが悪いんだろ!」

「触って無いですよね? あーー私の部屋入ってませんよね!? 変態!」

「触って無いし入って無い! そう言う事を決めようとしたんだ! それをお前が勝手に勘違いして」

「先輩が、変にかしこまってるからじゃないですか! 変態!」

「オイ、語尾に変態付けるの止めろ」

「止めません! 変態!」

「大体、パンツは不可抗力だろ! 自分の家の洗濯機開けて何が悪い!」

「開き直った! 変態!」

「もう良い! 話が進まない!」


 河南が静かに立ち上がる。


「……お茶入れますけど飲みますか? 変態」


 キッチンへ入って行く。


「要らん。それより洗濯物、どうにかしろ。俺の服が洗えない」

「一緒に洗えば良くないですか? 変態」

「その語尾、本当に止めないか?」

「じゃ、一回謝って下さい。何かもう、色々納得行かないんです。 変態」


 何を謝れば良いんだ。

 俺、何一つ悪く無いぞ。

 ……とは言えこのままでは話にならない。

 河南も感情の置き所に困っているのだ。多分。


「……勘違いさせて悪かった」

「勝手に勘違いしてすいませんでした。それと洗濯物も入れっぱなしでした。ごめんなさい」


 何とも釈然としない。


 ◆


 結局、何とも微妙な空気が支配するリビングで幾つかのルールを定めた。


 ・掃除は分担。

「自動の掃除機買いませんか? ついでにその上に乗る猫も」

「ペット禁止も追加、と」


 ・洗濯物は一緒に洗うが河南の下着は触らない。

「それだけは、まだ譲れません。乙女として!」

「はいはい。ちゃんと洗濯ネットに入れて下さい」


 ・飯は基本、別に調達する。

「私が作っても良いですけどね! 恵さんに色々教わってるんですよ?」

「だから、何で恵さんと仲良しになってんの?」

「色々教えてもらってます! 色々!」


 ・河南は光熱費折半プラスいくばくかの家賃という事で今まで通り月二万の支払い。

「変えないんですね。結局、私に居て欲しいって事ですか?」

「上げても良いけど?」

「調子に乗りました。すいません」


 ・誰かを連れてくる時は事前に言う。

「イチャイチャするなら外でやって下さいね。いや、やっぱそれもダメです」

「妹はノーカンな」

「自室でどうぞ。いや、それもなぁ……」


 など。


 その他は、必要に応じて都度都度決めて行こうと言う事になり。


 そんなこんなで、一通りの約束事が決まった後、二人で久方家へ赴く。


 ◆


「いらっしゃい」

「こんばんわ。お邪魔します」

「こんばんわー」


 久方家からは、既に懐かしい夕食の匂いが漂っており、そしてそれに思わず……。


「さ、上って頂戴。……総司君?」

「先輩……? 何で泣いてるんですか?」

「……泣いてねーよ」


 急に花粉症になったんだ。


「ふふ。張り切って用意したからたくさん食べてね」


 俺は帰って来た。

 そう、改めて実感した。


 ◆


 久方家の懐かしい夕食を満喫し、そして、そのまま夜の散歩に河南を連れ出す。

 ライトアップこそしていないが、野川の桜はまだ散りきってはいない。

 小さな橋の上からその様子を眺めながら、この先の話をする。


「実はさ、本部に配属になる」

「え、そうなんですか? 調布に戻ると思ってたのに」

「この先、妖魔の活動はますます活発になる。俺達は、それに対抗していかなければならない。その為に、準備室からの格上げ、そして組織の作り変え。

 そういう事が必要になる」

「先輩がやるんですか?」

「その手伝い。少しでも、良い組織に変えていかないとな。馬鹿な縄張り争いなんか無いような。

 そして、そんな職員たちの安全をサポートするシステムも作らなきゃいけない。ま、これは、アリスの事だけど。

 組織の組み立ては、俺以外でも出来るだろうけど、流石にアリスを他人に任せる訳には行かないからな」


 半年間、海外で相手にしてきた妖魔は、容易く人を壊す能力を持っていた。

 それに対応し、この国の人々の平和と安全を護っていくのは、今のままの組織ではきっと難しい。


 そして、その先。


『妖魔と言う脅威に対し、世界は水面下で一つになるべきだ』

 ロスアの特殊部隊の兵士から、そう、理想を語られた。

 西であるとか、東であるとか、そんな地理や過去の経緯など関係なく、そして、言語の壁など取り払い、来るべき妖魔の本当の脅威に対抗するネットワークが必要だと。


 俺は、彼女にそれ成すことを約束した。


 その鍵を握るのが、『アリス』。

 いつの間にか俺の妹は、その分身を世界中の主要な対妖魔部隊に潜り込ませ、妖魔から人類を守る思考体へと変貌を遂げつつある。

 『Alice』。

 妖魔から人を守る。

 俺が命じたその目的だけをただひたすらに遂行する『弱いAI』。

 彼女の前に、国や言語など無いに等しい。

 ただ、倒すべき妖魔が居て、守るべき人々が居る。


 しかし、もう暫くは彼女の様子を見守る必要が有ると、そう思っている。

 世界が彼女を受け入れるまで。


 兄として。


「だから、側にいて護ってやることは出来ないのだけど、その代わり、何か起きたら最優先で駆けつける」

「え?」

「何を差し置いてでも助けに行く。そう思ってるんだけど、迷惑かな?」

「えっと、話が、よくわからないですよ。先輩」

「えーっとだ、なんかさっきしてないプロポーズを断られた身として、こんな事を言うのもどうかと思うんだが……」

「あ、いえ……」

「その、付き合ってくれませんか?」

「ハイ!」


 ◆


 以前、菜三さんに言った事。

 『河南か一般人か、どちらかを優先しなきゃいけない場面が来たとする』

 その答えは両方だ。

 一般人を守るための組織、体制、そして、アリス。

 その上で、俺は俺の大事な人達を守っていこうと思う。


 ◆


『型・人狼ワーウルフ、警戒して下さい』

「はい! みこちゃん動作予測よろしく!」

『ハイ! 上空からユウも監視してます。お任せを』

『河南、取り込み中すまない』

「今、超絶取り込み中ですよ!?」

『本部連中が人型と聞いて飛び出して行った』

「はぁ?」

『現着までおよそ1時間』

「おっそ!」

『だよなぁ……。気にせず片付けてくれ』

「簡単に言うな!」

『大丈夫。お前らならやれるさ』

「総司さんは助けに来ないんですか?」

『ミーちゃんがご機嫌斜めだから無理だ』

「役立たず!」

『応援は任せろ!』

「じゃ、愛してるって言って下さい!」

『ごめん。それは無理』

『ファイヤ』

「百ちゃん、ナイス!」

『バカップル』

『駆除完了か。人的被害ゼロ。流石だな』


 地域の平和は、御守庁が守ります。

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