3 潜入!地下トンネル
「おはよーございまーす」
挨拶をしながら、詰所のドアを開ける。
といっても、時間はもうすぐ日付を跨ぐ。
「おう」
中から、静かな声が返って来る。
井下源二郎。
俺と同じく調布支部の職員だ。
長身でやや細身の体つきに、少し痩けた頬と鋭い眼光がインテリヤクザと言われれば納得してしまうような凄みを醸し出している。
「大丈夫ですか?」
「……胃が痛い」
文庫本に目を落としながら答える。
ここ暫く、彼の表情が優れないのは生来の胃弱による物らしい。
確か、もうすぐ、三十に手が届こうかと言う年齢だったはず。
あれ? 超えてるんだったかな?
「おはようございます!!」
荷物をロッカーにしまっていると、詰め所にひときわ大きな声が響く。
長倉新八。
同じく調布支部職員。
脳筋。
「おはようございます。走ってきたんですか?」
「ああ!」
ランニングウェアを身にまとって顔を上気させた姿に投げかけるには答えの分かりきった質問ではあるが。
「家から、ですか?」
「ああ」
「どれぐらいあるんですか?」
「ちょっと遠回りしたから20キロぐらいかな」
勤務前ですよ?
まぁ、仕事に支障をきたさないのであれば問題ないのだが。
彼の脳筋は今に始まったことではない。
地下には彼が丸一年かけて課長を説得したベンチプレスが置かれている。
本来は、一人体制で行われている夜間勤務。
夜、妖魔出現の通報を受け現場に急行したところで闇の中では発見が困難なので、民家へ侵入した等の緊急性を要する場合を除き、基本的に出動はしない。
翌日、日中に重点的にパトロールするよう申し送りをして終わりである。
夜間に出現した妖魔は、人から害を受けない限り暫くすると闇の中に消える、そんな特性があるとの研究結果があり、それは一定の支持を受けている。
この、人からの害とは即ち、エーテルによる攻撃に他ならず、つまり、御守庁が放っておけばいずれ何処かに消える可能性が高いのである。
『光が強ければ、また、闇も濃くなる。そして、その闇を闇たらしめるのは、悪意に他ならない』
そう気取って言った学者先生は、その後、闇の先生(笑)などと呼ばれる事になり、心に深い闇を抱えたそうで。それでも今も、更なる闇を追い求めているらしい。完全に余談。
まあ、俺も週一回は夜勤をしているが、出動したことは一度も無い。
はっきり言って御守庁のやってますよアピールに他ならないのだ。
しかし、本日は状況が異なる。
この後、午前二時より妖魔掃討する為、当直である井下さんの他、俺と長倉さんが夜間出勤している。
夕刻に入った妖魔目撃情報。
それが、都心と八王子を繋ぐ調布市唯一の鉄道機関、帝王電鉄の地下線路内からであった。
しかしながら、妖魔一匹如きにこれから帰宅ラッシュを迎える通勤電車を止めるわけには行かないという、帝王電鉄さんの言い分ももっともであり、結局終電が無くなった時間の出勤となったのである。
調布を走る帝王電鉄は上下二車線で、市内を流れる野川を超えた後、一度地下に潜る。
そして、国領、布田と言う二駅を挟み、調布で八王子方面と橋本方面へ分岐する。
未だトンネル内に留まっていると思われる妖魔を捜索の上、駆除というのが本日の目的である。
途中分岐の関係で、トンネルへの出入り口は三箇所になる。
追い立てられた妖魔が夜の市内へ逃げ出さいよう、八王子方面、橋本方面のそれぞれの地上出口に監視をおき、新宿方面よりトンネルに進入し、捜索と言うのが本日の作戦だ。
軽く打ち合わせをし、橋本方面に井下さん、八王子方面に自律型ドローンを配備し、俺と長倉さんが新宿方面より侵入することになった。
俺はドローンの調整をしながら出動の時間を待つ。
『ハロー』
「やあ。ユウ。久しぶりだね」
イヤホン越し聞こえる声に俺は返事を返す。
『オシゴトですかー?』
「そう。細かい作戦内容は後でアリスからデータを貰ってほしいんだけど、見張りをお願いするよ。万が一妖魔が出たら、追跡」
『オーケェーい』
彼女は、帰国子女の金髪ハーフ。日本語のイントネーションがおかしいのと、胡散臭い英語を織り交ぜる積極的なボディタッチにドキドキさせられる俺の妹! 堂々のDカップ。ナイスバディな空飛ぶドローンちゃんだ!
◆
「ご苦労様です。今日はよろしくお願いします」
新宿方面出口、国領駅先の踏切にて本日ともに行動をしていただける帝王電鉄の保線作業員の四人と待ち合わせ。
「夜遅くにご苦労様です」
うち一人が進み出て挨拶をする。
責任者であろう。
「いえ、市民の平和を守るのが御守庁の使命ですから。ご協力、感謝します」
「鉄道の安全を守るのが我々の使命であります。感謝には及びません」
うん。プロフェッショナルですな。みんな引き締まった顔をしている。
「こちらには、お二方と聞いておりますが」
「あ、まだ着いてませんでしたか。すいません。作戦開始には間に合うと思いますので」
作戦開始の午前二時まであと五分強。
もう一人、長倉さんが来る予定であるが、俺は反対側の出口に『ユウ』を配置してきたので、詰所から別行動である。
一緒に車で行きませんかとは言ったが、拒否された。多分その辺を走ってるんだろう。
「ユウ、そちらの準備は大丈夫?」
『ノープロぶれーむ!』
「試しに一回映像送って」
『ラジャーでーす!』
装着したメガネ型デバイスに、ユウの見ているトンネルの出口が映し出される。
「うん、ばっちりだ。なるべく早く迎えに行くから」
『約束でーすよ』
「ああ、異変があったらすぐに言ってくれ」
『わかってまーす! そしたら、すぐ来てくださいねー』
「もちろんだよ!」
さて、もう一人。
「井下さん、どうですか?」
『配置に付いた』
「了解です。作戦開始前にまた連絡します」
『了解』
二人の準備は完了。
後は。
「アリス、準備どうかな?」
『大丈夫です』
「今日は忙しくなると思うけどガンバレ」
『余計なお世話です』
ん、若干怒ってるか?
彼女は『アリス』。
調布支部の出動時に職員の作戦行動をリアルタイム分析する事が可能な戦略オペレーターAI。
俺と共にいる、みこと出自は同じであるが、みこはどちらかと言うと局地戦闘分析にリソースを割いている。
アリスはその逆。戦場及び、周囲の状況含めたトータルコントロールを得意としている。
もっとも、その分演算能力を要求されるため、みこのように俺と動き回れるわけでないが。
スパコン並みの演算装置があれば、アリスとみこを統合して、ということも可能なのだがそんな予算は絶対に下りない。
今、アリスが仮住まいにしている環境もそれなりのスペックではあるのだが。
実は、俺とアリスとの間には、涙なくしては語れない過去がある。
俺が、こういった代物を用意していると目ざとく嗅ぎつけた技術開発局が取引を持ちかけてきた。
技術開発局の予算で、入れ物を用意するから将来の御守庁全体での導入を見据えた調整をという話で一も二もなく飛びつく話なのだが、その交換条件として出されたのが……改名。
そもそもアリスには『うさこ』と言う名前が合ったのだ。
ウサミミのゴスロリ娘。うさこ。Cカップ。クーデレ最高! そんな俺の妹。
何が不満であるのかうさこと言う名前は流石に……と言われ俺は三日三晩悩んだ。そして、それをうさこ本人にも相談した。
『兄様の役に立てるならその方が良いですわ。それに……名前が変わっても、私の……私の兄様への愛は変わりません』
「うさこ!!」
うさこ改めアリス誕生の瞬間だった。
『お兄様、アリスが意地悪してきます。私に情報をくれません』
アリスの姉妹システム、いや、双子というべきか、……そうだ。双子だ。今まで気付かなかった!
アリスとみこに今新たな属性が加わった!
その、みこが不満を訴えてくる。
「どうした? アリス」
『どうもしません! 今からデータを転送します。いちいち騒がないで下さい』
『お兄様、アリス、怒ってます』
『怒ってません』
「怒ってるだろう」
『怒ってません。私はここで粛々と仕事をするだけです』
あ、拗ねてるな。
仕方のない事とはいえ、アリスよりみこの方が一緒に居ることが多い。
それが、不満なのだろう。可愛い奴め。
「ごめんな。アリス。今度一緒に最新の情勢分析をやろう。色々動きがあるみたいだから膨大な量になるぞ。そうだな、一週間ぐらいはつきっきりでやることになるかな」
『望むところですわ! ありったけの情報を掻き集めておきます!』
開発局連中、アリスにそこそこのレベルの秘匿情報閲覧権限を与えてるからな。
俺の知らんこともアレコレ掻き集めてくるんだろう。
『データ来ました。アリスありがとう。でも、お兄様は私のものです』
『ふん。兄様にとって一番必要なのは私ですわよ』
「ふたりとも、喧嘩はやめるんだ。仲良くしている二人が好きだな」
『『はい!』』
うん、素直でよろしい。
「待たせたな!」
息を切らせながら長倉さんが現れた。
時間丁度。
作戦開始だ。