29 猫の餌代を求めて
「ここの設備だけじゃ結論は出ないわね」
これが、箱根からミーちゃんを観察に来た鍋嶌局長の言葉。
「そうですか。では、何処かに連れて行きますか?」
そう、遠藤課長が問いかける。
「連れて行こうにも、ここから出ようとしないんじゃ、どうしようも無いわね」
「そうですか。ではどうなさりますか?」
「今後、定期的に人を派遣し継続して観察を続けます」
「とは言え、ここの予算にも限りがありまして」
「良いです。検体に係る費用一切を技術開発局で負担します」
「それは助かります」
「今後は派遣する人員に領収書を渡して下さい。それ以降はこちらで処理します」
言質を取った課長は涼しい顔で笑う。
「なお、この件、一切の口外することは許されませんので」
そこまで言って、局長が白いカップに注がれたコーヒーをブラックのまま一口。
その縁に真っ赤なグロスの後がくっきりと残る。
うーん、全く嬉しくない。
「さて、茶番はその辺で良いですか?」
おっさん達の芝居がかったやり取りに飽きた俺が、そう切り出す。
詰所の会議室。
おっさん二人の悪巧みに付き合わされる純真無垢な俺の身にもなってくれ。
◆
餌代、予防接種、去勢手術、その他諸々。
子猫というやつは非常に金が掛かるらしい。
そして、我が調布支部にはその子猫一匹を満足に養うだけの予算すら満足にいただいていないのが実情である。
しかし、妖魔っぽい猫の存在はいつか露見する可能性がある。
であるならば、と課長が予算の潤沢な技術開発局に取引を持ちかけた訳である。
とは言え、相手は変態、鍋嶌局長。
一筋縄で行く筈もなく、喉から手が出る程手元に置いておきたいであろう、生きた妖魔の検体。
まあ、そのミーちゃんがこの詰所から動かないのではどうしようもないのだが。
動かないというか、気に入らない事があると、いつの間にかこの詰所に戻って来ている。
時空を駆ける猫である。不思議。
結局、鍋嶌局長は誰かを此処に寄越して継続して観察する事、そして、俺に一つ注文をつける事と引き換えに、幾らかの金額をこの調布支部に支払う事を落とし処としたようだ。
◆
鍋嶌局長が芝居がかった仕草で肩をすくめる。
「俺もそこまで暇で無いので、さっさと用件を言って下さい」
初日以来、警戒されっぱなしのミーちゃんと打ち解けたいのだ。
「アンタに言う事は一つ。あの猫、万が一の時は責任持って殺しなさい」
そう局長が言い放った。
「あの猫、結局何なのです?」
そう、課長が問いかける。
「さあ。猫と妖魔のハイブリット。雑種。そんな所でしょうね」
「で、なんで俺が?」
「アンタが一番冷静に処理しそうだからよ」
「そうすか」
「ま、普通にここで可愛がってればそんな事にはならないでしょう」
「なぜそう言い切れるのです?」
「妖魔は、敵意とか、悪意とか、恨みとか、そういった感情に反応して凶暴化するの。多分。まあ、あの子達がああやった甘やかせてるうちは大丈夫でしょう」
あの子達とは河南と斎藤だろう。
「ただし、甘やかせすぎてブクブク太らせないように。ちゃんと健やかに育てなさい」
「それは?」
「私の勘。何がきっかけで妖魔化するかわからないから用心するに越した事は無いでしょう」
猫の餌代の為とは言え、嫌な役を仰せつかったものだ……。
そうならないよう祈るしか無い。
「それにしても、あの猫、どこから来たのかしらね」
「どこ、とは?」
局長は再びコーヒーに口を付けてから、俺の問に答える。
「あの猫、妖魔が混じっているとは言え、多分その割合はとても小さいわ。
どうしてなのかはわからないけれど。
ここから先は、只の仮説。
あの子が胎児の時に偶然妖魔の発生が重なり、体内に妖魔を取り込んだ。
もしくは、あの子の親が既に妖魔混じりの猫だった」
そう言って、局長は親指と人差指を立てる。
「そんな物が自然発生しているならば、この先世界はますます混乱して行くわね」
妖魔と混じった生物。
局長の仮説を信じるならば、その対象は何も動物だけに限らない。
人間ですらそうなる可能性がある。
そういう事である。
◆
結局、変態の仮説を深く考えたところでどうしようもないわけで。
詰所の隅で楽しそうに遊ぶミーちゃんと河南を眺めながら、まあ、あの猫は大丈夫だろうなとなんとなくそう思う。
何ら根拠は無いのだが。
「どうした? 嬉しそうな顔して」
不意に副長から突っ込みが入る。
「いや、やっぱり可愛いすね」
俺の返答にニヤリとした後、河南とミーちゃんを交互に指差す副長。
「猫の方」
とんだ誤解である。
「ふーん。そうかそうか。最初は撃とうとしたたのになー。いやー変わるもんだね。人って」
「何が言いたいんですかね?」
「べっつにー」
何ですか? そのしたり顔は。




