2 川の中の妖魔
『御守庁準備室より入電。
多摩川河川敷にて妖魔の目撃情報。
推定座標は別途ナビゲーターに送信します。
一号車は現場へ急行してください』
「チッ」
社内に響く愛くるしい声に、助手席に座る俺の上司、課長補佐の久方菜三、通称、副長が舌打ちをする。
御守庁東京西支部第二分室に二台配備された小型電気自動車。
その一号車にて市内の循環パトロール。その最中の妖魔出現。
現場への急行を、しぃが伝えてきた。
「とらこー。現場に近くて車が止めれそうなところはどこだろう?」
『んー、市民プールの駐車場かにゃー』
一号車のナビは、ちょっとおっとりした猫耳娘。コタツが大好きな俺の妹『とらこ』。成長途中のBカップ。
「りょーかーい」
『ナビる?』
「いや、目と鼻の先だから大丈夫」
『ぶー』
こう言う反応もまた可愛い!
ま、実際、すぐ目の前だし、二年も市内を回っていれば殆どの道は覚えている。
なにより、地元だしな。
それに、助手席の上司が不機嫌だ。
「とら。座標は来た? 河川敷のどの辺?」
『二ヶ領上河原堰の辺りだにゃ。あれ? でも川の上だよ?』
水妖か?
ここ、調布では今迄目撃情報が無かったが水辺に出没する妖魔だ。
曰く、アイツがいると魚が全部逃げちまうと、全国の太公望から目の敵にされている。
「まさか水妖?」
『うーん、ちょっとこそまではわかんないにゃー』
オカシイ!
副長がとらこと普通にコミュニケーションを取っている!
しかも、『とら』って、ちょっと可愛く呼んだ!!
遂に妹の魅力に気付いたか!?
しかし、俺の妹を渡す訳には行かない!
「と言う事らしいけど、今日は速攻でケリを付ける。
私はどうしても外せない用事が有る。
絶対に残業はしない!」
あ、そう言う事ですか。
合コンですかね? これは、迅速に処理しないと向こう一週間は文句を言われるパターンだ。
市民プールの駐車場、と言っても季節外れでプールはやってない、に車を停め管理人に一言断りを入れてから、砂利道を抜け河川敷に出る。
見渡したところで、妖魔の姿は見えない。
「水妖って、泳ぐの?」
みこに問い掛ける。
『はい。あと、水上を歩く事も報告されています』
「行動予想、出来る?」
せめて、上流または下流に移動するのか、それともその場に留まる事が多いのか、その傾向だけでも知りたいが。
『残念ながら、そこまではデータがありません』
「そうか。ありがとう。
と、いう訳ですけど、どうしましょう?」
「まずは、聞き込み。川向こうに逃げてくれると嬉しいけど」
副長が対岸を眺める。
そこには、同じく通報で駆け付けたのであろう神奈川支部第一分室、通称川崎支部と思われる二人組が立っていた。
余談だが、 神奈川支部第一分室は川崎市全域を管轄としている。
同じ神奈川県内に於いて、横浜は横浜支部として神奈川支部とは別の指示系統であり、その事に彼らは大変憤っているらしい。
どこも、どうでも良い事で大変だな。
対岸の二人に軽く会釈をする。
それに気付き、向こうも会釈を返す。
多分、あちらも目の前の面倒事を押し付けたい気持ちで一杯だろうな。
そそくさと歩き出した副長に付いて行く。
日も傾き始め、そろそろ竿を畳もうかと言う太公望を次々と捕まえ、副長が声を掛ける。
「あの、すいません。御守庁の者ですが。
川の中に、変な生き物とかいませんでしたか?」
ハイトーンボイスに、男なら勘違いしかねない営業スマイルで聞き込みを始める。
「あいつら水の中にも入れんのか? じゃさっき向こうに居たのがそうだな。最初は鳥かと思ったけど、鳥にしてはデカイし動きもおかしかった」
そう言って、対岸を指差す。
何人目だろうか。初めての目撃証言。
「ありがとうございます!」
副長が天使の様なスマイルをサービスする。
厄介事が遠ざかりそうで本当に嬉しいんだろうな。
「そうかー、対岸かー。それじゃ斎藤じゃなきゃ無理だなー」
副長が芝居掛かった台詞を言う。
確かに我々の持つ拳銃では、川の向こうの敵を撃つのは難しい。
因みに、斎藤とは調布支部の同僚、長距離射撃を専門にする狙撃手だ。えっと次々回に紹介する。多分。
その対岸、川崎支部の二人の様子がおかしい。
拳銃を取り出し、川面に銃口を向けている様に見える。
……いや、既に撃っているのか?
その先で、川面が波立つ。
水面下に何かいる。
そして、困った事にそのうねりは、攻撃から逃げる為か対岸であるこちらに向かって来ている。
「流石副長。一級フラグ建築士」
「ううう……」
「見えてる内に仕留め無いと、多摩川大捜索とかになり兼ねないので、覚悟決めましょう。
下流と合同捜査なんて嫌でしょう?」
「それは絶対に嫌!」
俺も拳銃を構える。
しっかし、移動が早いな。
水中だと減衰でエーテル弾の威力が半分以下。
顔ぐらい出してくれない事にはどうしようも無い。
横で副長が、警棒を構える。
うねりが川岸近づくに連れ、減速をする。
距離、およそ四メートル。
水面下に、魚類には見えない影を確認。
俺が必死に照準を合わせようと四苦八苦する中、副長が川岸ギリギリまで歩みを進める。
そして、警棒を一閃。
五メートル長の刀身を出現させ、水中の影を水の上から両断して見せた。
試弐型依式警棒。
退魔防衛庁の前身組織、退魔防衛庁準備室時代に作られた、装備試作品。
開発者の遠慮やコスト意識、外野の声など、一切考慮の無いその代物は俺たちに一般配備された量産品と桁違いの性能を持つ。
少数の退魔防衛庁準備室時代の職員のみが携帯するその品は、桜の方面からの横槍が入ったら「別に、多数が持つんじゃ無いからこのままでも良いよね」と言う論法で押し通すつもりだと聞いているが、向こうも水掛論を繰り広げる程、暇では無いと見え、今の所取り上げるべしと言う声は聞かない。
ちょいちょい装備の説明が挟まってテンポが悪いな。スマン。
そんな規格外装備の一撃によって水中で活動核を破壊された水妖は、爆砕し高さ五メートルに届こうかという水柱を上げ消滅した。
「え? いやぁーーーー!」
少し生臭い川の水が、スコールの様に降り注ぐ……。
◆
詰所に一つしか無いシャワーは先に副長に譲り、詰所の外で課長に口頭で報告。
紫煙を燻らせながら、興味無さそうな相槌を返してくる。
「現行装備だと厳しくなりそうだな」
一通り報告を聞いた後、赤から藍に変わりかけの空を見上げながらそう呟いた。
「岸田、シャワー使って良いぞ」
タオルを頭に巻いた副長がプレハブのドアを開け顔を出した。
「へーい」
「それと、報告書は私がやっておく」
「え? もうそろそろ終業時間ですよ?」
「今日は、諦めた。キャピキャピする気分じゃ無い」
「へー。じゃ、俺と一杯行きますか?」
「……そうだね」
「マジか? 珍しい。この後、とらこのシート掃除するからちょい時間掛かるけど平気?」
「私も報告書と、川向こうにも顛末を伝えなきゃいけないから……。さっさとシャワー浴びて来い。病欠なんて許す余裕は無いんだぞ」
「はい。わかりました。副長殿」
敬礼をして、地下のシャワー室に向かう。
菜三さんは、幼い頃からの知り合い。幼馴染。
生まれは向こうが一年とちょっと早い。ただ三月生まれの菜三さんは俺より学年は二つ上。
外務省入省二年目、オフランスに語学研修に行った筈が妖魔騒動を切っ掛けに帰国。そのまま退魔防衛庁準備室へ志願して出向。退魔防衛庁設立と同時に転籍した。
その半年後、退魔防衛庁は御守庁準備室へ格下げとなる。
まぁ、なぜか行く先々で地味な不幸が付いて回る残念な人だ。
一応職場では上司なので、敬語で接する様にしている。
◆
「よし、こんなもんかな。明日、消臭剤を買って来てやるからな!」
川の水で汚れたシートを丹念に拭いてとらこに声を掛ける。
エンジンは切ってあるので、とらこからの返事は無いが。
「終わった?」
暫く前から待っていた菜三さんが声を掛ける。
「大体は」
「良し! じゃ行こう!」
「何にする?」
「肉! 焼肉!」
職場を離れれば只の幼馴染だ。