閑話2 鍋嶌直正
江田急電鉄。
都心と、江ノ島、小田原の各行楽地を繋ぐ私鉄。
通勤、通学の足として、平日は都心へ沢山の人を供給する傍ら、行楽列車として箱根へ観光客を送り出す。
我らが帝王電鉄が、都内の山へ行くのと比べ物にならない華やかさ。
いや、良いところですけどね。高尾山。
二日酔いでけだるい体を狛江から各駅停車に揺られながら、箱根を目指す。
そんな俺を急行が追い抜いて行く。
昔、あれの展望席に乗って家族旅行に行ったことを思い出す。
◆
「いらっしゃい」
彫刻の森駅の程近く、斜面に立つ、御守庁研修センター。
斜面を利用した、地上5階建て。天然温泉付き。
受付でチェックインを済ませカードキーを受け取った俺に、背後から声が掛かる。
「どうも。ご無沙汰してます」
振り返り、声の主を確認。
白衣に黒のストッキング。
黒のピンヒールで唯でさえ長身の体がより大きく見える。
以前は長髪だったが、今は両サイドを刈り上げたショートカット。
黄色のリップグロスは趣味が良いのか悪いのか判断に困る。
鍋嶌直正技術開発局局長。男性。
技術開発局の変態連中を一手に纏め上げる、変態中の変態。
「こっちよ」
俺の姿を認めるなり、勝手に進んでいってしまう。
せめて荷物くらい、部屋に置いてきたかったんだけどな。
エレベータに乗り込み、『閉』ボタンを押す鍋嶌局長。
行先階ボタンを押さないまま、扉が閉まり、籠が下降を始める。
「顔認証ですか?」
そう、当たりをつける。
「貴方も登録済みよ」
なるほど。
特定の人物が乗り、行先階ボタンを押さなければ、彼の秘密の園へ導いてもらえる仕組みなのだろう。
やがて、扉の上の現在地表示がすべて消灯し、そして、籠が停止。
扉の向こうに真っ白の小部屋が現れた。
◆
コーヒーを置き、俺の前に腰掛ける鍋嶌局長。
御御足を見せつける様に足を組む姿が全然嬉しくない。
「エーテル障害ですって?」
「ええ」
下げずんだ視線を寄越す局長。
「せっかく、私の元に来たと思ったらインポ野郎とは」
「いやいやいや」
「事実でしょ? それで私に直して貰いに来た訳ね」
「いや、只の休暇です」
「良いわよ。あの手この手で勃たせて上げる」
「そう言うの、良いんで」
「治る見込み無いんでしょ?」
「アテは無いですが」
「じゃ、私に弄らせなさいよ」
言っておくが、エーテル障害の話だ。
よね?
「何か、処方を知ってるんですか?」
「いえ。でも、目の前に有るんだから弄りたいわよね?」
「実験台は結構です」
コーヒーに口を付け、足を組みなおす局長。
全くそそられない。
「それで? インポになってどんな気持ち?」
「エーテル障害」
「役立たずなのは一緒でしょ」
「違う」
「何が違うの? 違いを見せてくれるのかしら?」
「違いませんでした」
鍋嶌直正42歳。
厄年などお構いなしの肉食系。
「気持ち、か。何ですかね。割と、どうでも良くなってます。妖魔とか。あ、これは休暇中だからかな」
「それがエーテル障害よ」
「え?」
「エーテルの使いすぎ、そう思ってるでしょ?」
「違うんですか?」
「違うわ」
「じゃ、何故?」
「欲望の枯渇」
「は?」
「私の仮説」
「どういうことですか?」
「エーテルは、ズバリ、人の欲望だと思うのよね。それをエーテル機関越しに顕在化させている
アンタの場合は、復讐でしょ?」
「復讐……」
「それが満たされた。もう、エーテルは要らない。そう言う仮説」
「じゃ、もうずっとこのままって事ですか?」
「さあね。今の仮説も穴だらけだし、多分一面でしか無いわ」
言われると、納得できる部分も有るが……。
「困ったな」
「前線に戻れない。そう思ってるでしょ。戻りたいの?」
「え?」
どうだろう。
戻りたいと言えば戻りたいし、戻れないとしたら、それはそれで仕方ない気もする。
「ほら。前のアンタなら絶対戻るって言ってたわよ」
黙り込んでしまった俺を見透かすように言う局長。
「うーん、出来ることなら戻りたいですけど」
「なら私に身も心も委ねなさい」
「お断りです」
◆
「ま、アンタが頑張ったお陰で東京は救われたんだけどね」
「はあ」
「あのまま壊滅しちゃえば良かったのに」
「いやいやいや」
「何の為に、ここで色々準備してると思ってるのよ」
「いやいやいや」
「余計な事して」
彼の場合、決して冗談で言ってるわけではない。
それが、怖い。
「大したことしてませんよ」
妖魔一匹、痛めつけただけ。
吉祥寺支部をはじめとした面々の活躍の方が大きい。
「私の手駒、勝手に使って」
「は?」
「とぼけるな」
「いやいや、何のことですか?」
「試作品、勝手に使ってるじゃない」
「針ですか? 室長に許可貰いましたけど?」
「そっちじゃないわよ。スタングレネード。ご丁寧に、警察車両まで使って」
「へ? 何の事です?」
俺の返答に、流石に話が噛み合わないことを悟った局長。
「まさか、アンタ知らないの?」
「だから、何のことです?」
「スタングレネードを要請したの、『アリス』よ?」
「え!?」
予想外の言葉に、思わず、立ち上がる俺。
「聞いてないの?」
「……全然」
色々起きたのを言い訳に、事件の詳細は追っていなかったし、そう言えば事件後に妹たちとコンタクトを取っていない……。
欲望の、枯渇?
「調布支部の戦術オペレータより試作品の使用要請。現場への急行は緊急車両の協力を本部の入電オペレータを通じ手配済み。至急対応されたし、とそう言う事だったんだけど、全部アンタの差し金だと思ってた」
アリスが……。
「オペの独自判断です。全部」
「優秀ね」
「優秀……ですね」
自慢の……妹……。
「その優秀な装備が正式配備されそうよ」
「え?」
「ドローン」
ユウが?
「有用性有り。そう言う判断ね」
「そうですか」
「でも、まぁ、一度に全部じゃなくて、徐々に、活用できそうな地域からになるはず。だから、プログラムの提供命令がそのうち出るわ」
「はあ。でも、多分、ユウ、ドローンの単独運用はそれほど効果的じゃないですよ」
「アリスと連動してこそ、でしょ」
「はい」
「それは無理ね。アリスは、正式採用されないわ」
「……何か不足が?」
「出処が悪い」
「は?」
「アレ、出処どこよ? 東でしょ?」
かつて、世界を二つに分けていた言い方。
一部の人間には未だに続いている、敵味方を分ける方角。
「……」
俺は、沈黙で肯定を返す。
「これでもね、この国は西の一員なのよ。今もね」
「それが関係有るんですか?」
「有るわ。大問題よ。一部の人間にはね」
下らない。
そもそも、妖魔の情報を握って、潰していたのは、その西側の連中じゃないか。
「そうですか。それは残念です。取り上げないで下さいよ?」
「今のところはそんなつもりは無いわ。アンタが手綱を握れるうちはね」
……大丈夫だろうか?
最近、俺の組み上げたプログラムに、驚かされてばかりだ……。
「自信が無いなら早めに捨てなさい」
見透かすような局長の一言。
そして。
「アンタ、本当にインポ野郎になったわね」
止めの一言。




