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10 スタジアムを守れ!③

「キャー」


 突然、悲鳴が上がる。

 コンコースから身を乗り出し声のした方を見る。

 赤と青の服に身を包んだ人々が行き交う外周通路の更に向こう。

 灰黒い大きな影。

 その存在に気づいた人々の間で混乱が起き始めている。

 慌てて、スタジアムへ入場する人の流れに逆らいながら階段を下る。

 人が多すぎだ。

 戦い方を間違えれば更なる混乱が生じる。

 どう戦う?


「岸田君、避難誘導は任せて」


 後ろから坂下が付いてきていた。


「助かる」


 まずは、妖魔を引きつけ、人から引き離す。

 外周通路から、植え込みを挟んだ向こう、臨時シャトルバスの走行路がある。

 そちらならば人が少ない。

 そこへ呼び込むべきだろう。

 そうなると、妖魔を挟んで人波と向かい合うため拳銃が使えないのだが、それは仕方ない。


「御守庁です。妖魔を駆除します! 落ち着いて離れてください!」


 人の間をすり抜けながら、大声で周囲に呼びかける。

 そのまま妖魔の前を走り抜け、注意を惹き付ける。

 警棒を構え、改めて妖魔と正対。

 体長、三メートル程。俺の身の丈より大きな犬を思わせる獣型の体躯。

 タイプ犬神ヘルハウンド

 ヘルハウンド自体は、何度か見たことがあるが、その時はせいぜい柴犬ぐらいの大きさだった……。

 こんな獣と、60センチ程度の棒きれで戦えとか、どうかしてるぜ!

 いや、マジで……。


 妖魔の向こうの人波は、坂下と駆けつけた警備員のお陰で少しずつ後ろに下がっているように見える。

 妖魔発見の報は、みこ、アリスを通じ全員に届いているはず。

 少し待てば、誰か応援が駆けつけてくる。


 しかし、それを待つほど妖魔は優しく無かった。

 牙を向いて巨体がこちらに飛びかかる。

 半身になり、辛うじてその突撃を躱す。

 躱しざまに、突き出した警棒が、微かに妖魔に掠る。

 着地と同時に身を低くした妖魔は、全身のバネを伸ばし、先ほどと比べ物にならない速度で俺目掛けて突進。

 警棒を縦にし、剥き出しの牙が身に突き刺さることだけは免れたが、巨体に弾かれ、地面に背中から投げ出された。

 巨体が、片足で俺の左肩を抑えつける。

 そのまま、俺の頭部に歯を立てようと大口を開けて迫る。

 必死に右手を動かし、その頭蓋に警棒を突き立てる。

 鈍い衝撃が、警棒越しに右手へ伝わって来る。

 エーテルの刃が深々と、妖魔の側頭部に突き刺さっていた。

 そして、頭部が弾け飛び、ぐらり、と、巨体が崩れ落ちる。

 かに、思えた。

 右手、肘の辺りに鋭い痛みが走る。

 弾け飛んだ筈の頭部、そのすぐ脇からもう一つの頭部が現れ、俺の肘に牙を食い込ませていた。

 牙を外そうと肘を押し込むが、妖魔は更に顎関節に力を入れる。


 骨ごと砕かれるんじゃないか?


 強力な力に、そんな想像が頭を過る。


 が、次の瞬間、巨体が短い叫び声を上げ、弾かれるように俺から離れた。

 坂下が、妖魔をその腹部から思いっきり蹴り上げていた。

 重さから開放された体を即座に起こし、立ち上がる。

 唸りを上げ、こちらに向き直る妖魔。


『ファイヤ』


 再び、こちらに飛びかからんとした瞬間、妖魔の頭部が弾け飛ぶ。

 正確無比に撃ち出された斎藤の弾丸。


 頭部を無くした妖魔の体。

 飛び込んで心臓部付近にすかさず警棒を突き立てる。

 血に濡れた持ち手が滑る。

 左手で柄頭を押し、体重を掛ける。


 そして、爆散。


 その衝撃に弾かれ尻餅を付く。


「岸田君!!」


 駆け寄ってくる坂下。


「大丈夫!?」


 首に巻いていた、赤と青のタオルマフラーを俺の肘にきつく巻きつける。

 右腕は、血で真っ赤になっていた。


「岸田から各位、スタジアム北にて妖魔駆除。負傷者、イチ」


 全員に通信を入れる。


『負傷者!?』


 返答は副長。


「オレっす」


 それだけ伝え、通信を切る。

 状況説明は、心配そうに上を飛ぶユウに任せよう。


「ありがとう。助かった」


 隣で心配そうな顔をしている坂下に礼を言う。

 そして、スタジアムの屋根の上に立つ人影に手を振る。


 ざわついている周囲の人々。


「みなさん御守庁です。只今、妖魔の駆除が完了しました。お騒がせしました」


 立ち上がり、大声を出すが、反応が鈍い。


「心置きなく、AC東京に声援を送ってください! 愛してる! 東京ー!!」


 それを切っ掛けに、辺りはチャントの大合唱となった。

 その集団から少し離れ、植え込みの街路樹に寄り掛かる。


「取り敢えず、医務室行きましょう。肩貸すわ」


 先程からずっと心配そうな顔をしている坂下。


「ダメだよ」

「何で?」

「ユニフォームが、赤になっちゃう」


 その返しに、少し表情が和らぐ。


「痛くないの?」

「あんまり」

「結構、血、出てるけど……」

「タオル、買って返すよ」

「それは良いわよ。それより痛かったら我慢しないで叫んだ方が良いわよ」

「いや、本当に平気だから」

「叫びなさい? ほら」


 は?


「それより、そろそろ、中に戻ったほうが良い。スタメンの発表、始まるぞ」

「何言ってんの。置いて行ける訳ないじゃない」

「いや、大丈夫。仲間が来たみたいだ」


 コンコースの上に課長の顔が見えた。


「だから、俺の分までしっかり応援してくれ」

「そんな場合じゃ無いじゃない」


 結局、課長が俺の元に来るまで坂下は俺の横に居た。

 意外にも岩蔵本部長代理を伴っていた。

 それに気づき、敬礼しようとするが、本部長代理は手でそれを制する。


「今、河南が車を回してくる。そのまま病院に行け」

「大丈夫ですよ」

「行くんだ。指は動くか」


 手をグーパーグーパーと繰り返して見せる。


「……大丈夫です」

「まったく、自分を犠牲にしろと言った覚えは無いぞ」


 と、岩蔵本部長代理。


「いや、別に犠牲にしたつもりは無いですよ。仕事ですから」

「まあ、そのお陰でこの後がやりやすそうだ」

「お役に立てて何より」

「あの……岩蔵本部長代理でいらっしゃいますよね?」

「ああ、そうだが」


 坂下が、敬礼をする。


「失礼しました。世田谷支部所属、坂下りょうです」

「あー、堅苦しい挨拶は良い。今日はお互いただのサポーターだ」


 でしょうね。

 いつの間に着替えたのか課長と二人、AC東京のユニフォームを身に着けている。

 まさか、来賓席で優雅に観戦予定とかじゃないだろうな?


「たまたま来ていた彼女に助けられました」

「そうか。優秀な部下に恵まれてるな。私は」


 嫌味とも、本心とも取れる台詞を言う。

 北門のバス入り口から、見覚えのある電気自動車が一台入ってきた。とらこだ。

 でも、このまま乗ったらシートに血が付いてしまうな……。

 そんな、逡巡を他所にとらこを俺達の横に止め、河南が運転席から下りる。


「先輩! 大丈夫ですか!?」

「ああ」

「河南、言った通り、病院に連れてけ。俺達は念のため引き続きこちらで警護に当たるが、治療が終わったら詰所に戻れ」


 警護? 観戦の間違いでは?


「了解です! 先輩、乗って下さい!」

「ああ。その前に、ハッチバック開けてくれるか?」

「え、あ、はい。何出すんですか? やりますよ」

「レインコートが積んであった筈」

「ありますけど? 着るんですか?」

「ああ。このままだとシートが血まみれだ」

「先輩、変なとこで冷静ですね」


 河南に手伝って貰い、レインコートを身にまとい助手席に身を埋める。

 張り詰めていた緊張の糸が切れた。


「では、行ってきます」


 河南が、課長達に挨拶してドアを閉める。

 その振動が、傷に響く。


「とらこちゃん、ナビよろしく。最速で」

『任せるにゃ!』


 河南が、盛大にアクセルを踏む。


「河南……すまん。ゆっくりで良い。静かに、走ってくれ」

「え、どうしたんですか?」

「急に、痛くなってきた……」

「え、ちょ、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃ……ない」

「先輩! 気を確かに! 死なないで下さい!」

「死にはしねぇけど……」


 痛ぇ……。


 ◆


 ゆっくり、しかし、急いで運び込まれた病院で治療を受ける。

 幸い、骨も筋も異常は無さそうで、後遺症が残ることは無いであろうとのこと。


 その旨、河南が課長に報告を入れた頃には既に20時を回っていた。


「このまま、詰所に戻って良いそうです」

「そうか。どっかで飯でも食ってくか」

「……遠慮しておきます」

「え、何で?」

「先輩、自分の格好見て下さい。血だらけですよ。そんなのでお店に入ったら迷惑です」

「あ、そうか。じゃ、勤務後だな」

「お酒は駄目ですよ」

「え、何で?」

「痛み止め飲んでるんですよ? 少しは大人しくしましょう。早く治して下さい」

「そうかぁ」

「そうです。明日も勤務ですよ」

「そうだよなぁ」

「途中でお弁当買って戻りましょう」

「そうだな」


 結局、詰所で大人しくコンビニの弁当を食べた。

 河南が今日見たサポーターの様子を、逐一報告するのを聞きながら。


 なお、試合は……。

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