復活―3
少女は走っていた。昼間だというのに暗い階段を、ただひたすらに下りる。時折抜け落ちそうになって慌てて壁に掴まった。しかし、驚いている暇もない。
「ふう……失敗しちゃいましたね……」
上からの足音に背中を叩かれるようにして走る。本来であればここまで苦労する必要もなかった。彼らを撒くことなど、彼女にとっては容易いことなのだ。何せ、今までずっとそうしてきたのだから。
しかし今は――その術がない。
「あいにく、中身はすっからかんですよ……」
体内からはごく僅かの魔力しか感じない。これでは弱い呪文が一度唱えられるかどうかといった具合だ。そして彼女の経験から見て、今追ってきているやつらを相手にするには、明らかに足りない。逃げ切れるかどうかも分からない。
「【炎の矢!】」
突然上から炎の塊が飛んできた。慌てて少女は前に転がる。階段を下って踊り場につき、後ろを振り返ると、先ほど通った階段が跡形もなく消えていた。
「……このままは厳しいですかね」
少女は横道にそれた。迷路のような道を辿り、一つの小部屋に到達する。壁に手を当て、目を閉じた。
「お願いしますよ、わたしの魔力……!」
ブウン、という体の揺れる感覚。次に目を開けた時には、景色が違っていた。地上まであと数百メートルはあったはずが、今では数歩先に草むらが広がっている。到達したのだ。
「よかった。まだ仕掛けは機能していたみたいですね……」
魔王城には数多の仕掛けがあった。その内の一つに、魔力を込めれば地上まで一瞬で戻れるというものがある。この廃れた魔王城で機能がまだ息をしているかは賭けであったが、上手く転んだらしい。
「今のうちにどこかへ隠れて……」
「どこに隠れると?」
少女は目を見開いた。そして勢い良く右を向く。そこには先ほどのローブを着た男が立っていた。
数メートル先にいるため、慌てて身構える。近距離な分、相手の顔がよく見えた。
年齢は二十代後半といったところだろうか。鋭い眼光に、口元の黒い髭が印象的だった。
「どうして……」
言ってから気づく。男の足元には魔方陣が描かれていた。空間転移ようの陣だ。
「セーブポイントを作っておくのは、我々の基本でね」
「苦労して駆け下りても、無駄だったというわけですか……」
「出来ればもう少し体力を削って欲しかったのだが……まあいいだろう」
男はニヤリと笑った。
「その様子では、魔法もまともに使えないようだしな」
「…………」
看破されている、と少女は奥歯を噛んだ。
「貴様を探すのには苦労した。どれだけ魔力を探知してもまるで引っかからない。にも関わらず、今朝方強い魔力の反応を感じた。よもや間に合わないと思ったが……そのまま居合わせてくれるとはな」
左右に目をやる。逃走ルートを考えたが、すぐに無理だと気づいた。相手は遠距離を得意とする魔法使い。しかも先ほどの空間転移の陣がここだけとは考えにくい。上手く逃げおおせても、再び顔を合わせてしまうのがオチだ。
「わたしを捕らえて、どうする気ですか?」
「決まっているだろう。処刑するのだよ。民衆の前でな」
「悪は朽ちたとでも発表するんですか」
「その通りだ。歴代の勇者は、みな魔王をひっ捕らえずにその場で殺した。しかしそれでは民の心は安心できない。目の前で死んだことを公表出来てこそ、真の平和が見えるわけだ」
「平和……」
少女の目が、すっと強くなる。そして諦めかけていた心に火がついた。
「偽りの平和に、価値なんかありませんよ」
即座に後ろを振り返り、勢い良く駆け出した。
「【炎の矢】!」
後ろから火の玉が飛んでくるのを感じる。慌てて角を曲がり、城の壁に隠れた。すぐ横を炎が通過する。
「【連なる炎】」
少女は上を向いた。そこには、まるでマグマが落ちるかのように高密度の炎が縦に連なっていた。
「っ」
すぐに前へ飛ぶ。しかし遅かった。右足がもろに炎に触れ、爆風で少女の体はゴムボールのように転がった。大きな木の根に引っかかり、ようやく勢いが止まる。
「ごっ……ふ」
右足が熱い。文字通り焼けるように痛かった。きっと大火傷を負っていることだろう。体だって吹っ飛んだ衝撃でボロボロだ。すぐには動けそうにない。
「無駄だと分かったか?」
嘲笑うかのように、すぐ前にあの男の姿が現れる。少女は目だけで男を捉えた。
「貴様に勝ち目はない。いや、逃げるつもりだったのか。どちらにせよ無駄だ」
「…………」
「貴様には、平和への礎となってもらう」
少女は、静かに口を開く。
「そんな平和……くそくらえですよ」
「なに?」
「平和っていうのは作るものじゃない……築きあげるものなんです」
男は右手を少女の足に向けた。その指先に魔力が集まっていくのを感じる。
「口答えをするな。私の命は貴様を捕縛すること。命さえあればどれだけ傷ついていても構わない」
「あなたたちは、平和という言葉を都合よく使っているだけじゃないですか……」
「その左足も動けなくしてやろうか!」
少女は危機に瀕していながらも、小さく笑った。
「……何がおかしい?」
「言っておきますけど、わたしは諦めていませんよ」
「その身で何を言う。次期に我らの兵も地上へ到達する。逃げ場はない」
「確かに。立派な兵士さんが到着したようですね」
男は後ろを振り向いた。直後、ごりっという鈍い音が男の頭部から聞こえた。
「お待たせしました……隊長さん」
男の向こう側に、肩で息をしながら、右手に石を持つ、一人の青年の姿があった。