決着
「ハア、ハア……やっと追い詰めたぞ、魔王!」
そびえ立つ魔王城。その最上階で、男は自らの剣を振り上げた。
「ぐ、うう……」
向かいにいる体長三メートルの巨体は、壁に追いやられ、力なく呻いている。その体は傷だらけだ。とはいえ、当然追い詰めている男も無傷ではない。むしろ、魔王と呼ばれたモンスターよりひどい有様だった。どの骨が折れていないのか判別も出来ない。
その状態で何故彼が優位に立っているかといえば、それは単に、精神力の差である。
「俺は負けない。それだけのものを背負って、ここに来た。いいか魔王、俺の剣とアンタの剣は、その重みが違う。刃に詰まった、想いが違う!」
「ふざけるな……。この儂が、勇者なんぞに……」
勇者と呼ばれた男は、鋼の切っ先を魔王に向ける。
「安心しろよ魔王。アンタは俺に負けたんじゃない。俺を含めた、人々の思いに負けたんだ」
魔王はしかし、嘲るように笑った。
「……綺麗ごとをぬかすな。我々魔物を多く殺してきて、正義気取りか」
魔王は時折血反吐を吐きながら、しかしその見るをも全てを戦慄させるような鋭い目で、勇者を睨みつける。
「フン、そうなのだろうな。貴様は正義。儂は悪。貴様は人間たちから、神の様に崇められるのだろう」
「何を……」
「勇者、貴様は何故戦っていた?」
勇者は眉を顰めた。この魔王城に着いて、丸三日が経過している。その間は戦いっぱなしだった。数々の魔物を倒してこの最上階に着いた時も、会話なんてものはほとんどなかった。目を合わせた瞬間に火花が散り、剣と魔法の応酬だった。
それをこの局面で、何故魔王は問う? 時間稼ぎのつもりか。話している間に作戦でも考えているのか。
「……答える義理はないな」
「違うだろう。貴様は答えられないのだ」
「なに?」
この剣を魔王の胸に突き立てればそれで良い。それでこの長い戦いが終わる。そう頭では理解しているものの、勇者は腕を動かせなかった。魔法にかけられているわけではない。そんな余力は、もはや相手には残されていない。
ならどうして――それは、勇者にとって魔王が最大の敵であると共に、最大の理解者であると、直感的に悟っていたからかもしれない。
「お前は戦っている。何のためと聞けば人のための答えるだろう。だがそれはお前の答えではない」
「俺の答え……」
「お前が戦っているのは、それがお前の運命だからだ。勇者という血筋に生まれ、幼き頃から剣術を叩き込まれ、いつか魔王を滅ぼさなければいけない。そう教え込まれてきたからだ」
そこにお前の意思はない、と魔王は言い切る。
「違う!」
勇者は柄を握り直した。
「俺は今までの旅でたくさん悲しむ人を見てきた! お前ら魔物に虐げられ、苦しんできた人たちだ。還らぬ者もたくさんいた! 俺の仲間たちだってそうだ! その人たちのために俺は戦ってきたんだ!」
「違うな。それはお前の意思ではない。そうしなければいけないと、強迫観念に追われていたからだ」
「違う!」
「勇者という型に嵌められて、お前は何も出来なくなっていたんだよ」
違う、と勇者は繰り返す。しかしその声は、先ほどよりもやや覇気を失っていた。魔王はそんな勇者へ冷たい瞳を向け続ける。
「勇者は人を助けなければいけない。困っているものに手を差し伸べなければいけない。裏切ってはならない。期待に応えなくてはならない。悪さをしてはならない。正しくなくてはいけない。魔王を倒さなくてはならない」
「…………」
剣先が僅かに震えた。勇者はそれに気づきすぐさま身構えたが、魔王が何をしたわけではない。自分の手が、震えているのだ。
確かにそうだった。ずっとずっと、勇者という肩書きは彼を蝕んできた。許したくない者を笑って許し、目を背けたい物に進んで向き合ってきた。勇者であることを不幸と思ったことはない。ただ、その形に嵌められてきたことが、ただただ苦しかった。自分が道を外れていないか、常に不安だった。
「儂も同じだったよ」
突然聞こえてきた言葉に、勇者は手元に下ろしていた視線をあげる。魔王は光の見えない瞳で、こちらを見つめていた。
「生まれた時から魔王の息子。魔王らしく、を強制されてきた。初めて人を殺したのは三つの時だ。だが、道を逸れるのは正しくなることよりも楽だ。貴様ほどの苦しみではないだろうがな」
「……今更そんなことを言って、俺があんたを見逃すとでも思うのか?」
「思わない。何故なら儂とお前は似ているからだ。儂なら貴様を殺す。跡形も残らずな」
「なら何でそんな話をする!」
魔王は牙の生えた口を、静かに横に広げた。ニッ、という表現が似合った。
「気にするな。ただの賛美だ。お前は儂を殺せば自身の目的を失う。自分が何者かわからなくなるだろう。だからお前は勇者などではない。ただの人間だと教えてやりたかったのさ」
「ただの、人間?」
「そうだ。そして儂と何ら変わらない生物だ。自らの運命に従い、数多の命を奪い、間違っていないはずだと言い聞かせる。背負っているから、想いがあるからと綺麗ごとをぬかして。責任を他人に押し付けて」
勇者はもう一度、両手で柄を握り直した。迷いはない。魔王の言っていることが何だろうと、たとえ核心をついていようと、知ったことではなかった。魔王の言うとおり、自分はたくさんのものを背負っているのだ。魔王を倒す一歩手前にいきましたが倒せませんでした。そんなことは間違っても出来ないし、する気もない。
「ただ、これだけは言わせてもらう」
勇者は大きく剣を振り上げた。
「お前と同じように、儂にも背負わされているものくらいある」
剣が魔王の胸元を切り裂いたと同時に、その中から黒い霧が飛び出してきた。馬鹿な、と勇者は目を疑う。だって、魔王にはもう魔力など残されてないはずなのだ。それほどまでに追い詰めたし、だからこそ会話をしていた。そこで失敗を踏むほど、勇者は甘くない。そんな経験は腐るほどしてきた。
では何故、そう思っていると、魔王がかすれた声で言葉を紡いだ。
「これは過去に仕掛けられた魔法――いや、呪いだ。儂が生まれた時から、この術式は組まれていた。儂の生命を奪う者に降りかかる呪い。命を犠牲にして発動する魔法だ」
「馬鹿な……。ならアンタは、生まれた時から人を殺すよう定められていたのか……!」
「その通りだ。言っただろう、それが運命だと。背負わされた運命だ」
黒い霧が勇者の体に纏わりついてきた。とても嫌な感じがする。剣をより深く魔王に突き刺すが、そうすればするほど霧はその量を増した。すでに視界は黒く染められている。
「ここまで来て、負けられるかよ……ッ!」
勇者は残っている魔力を一気に開放した。全身から白い光が溢れ出し、黒い霧を振り払っていく。その様子を見てか、魔王は閉じかけた目を開いた。
「クク……さすが、というべきか。我が命を持ってしても、貴様の生命を奪うことは叶わない。だが、後にそうしたことを後悔するであろう」
「どういう意味だ……!」
「生命を奪うまではいかなくとも、前魔王の力が込められているのだ。呪いは貴様の身に降りかかる。次に目覚めた時には、百年の歴史とその力が奪われていることだろう」
「わけがわかんねえことを……」
ぬかすな、と勇者は全力の力を発揮した。魔力も肉体もとっくに限界を迎えている。あるのは精神力だけだ。魔王の言ったとおり、勇者であることが自分を苦しめていたのかもしれない。でも今こうして立てているのは、自分が勇者であるという誇りによってだ。勇者として歩いてきたからこそ、ここで倒れるわけにはいかない。
「……勇者、最後に問おう。貴様は勇者でなくなった時、何を求める」
「そんなもん、勇者でなくなった時の俺に聞いてくれ。生憎俺は、職務を全うするので精一杯だ」
「フン……まあ、せめて……自、分を……見」
より深く剣を突き刺した。大量の血の雨が降りかかる。その赤色も、黒い霧によってすぐさま染められた。なるほど、魔王の言っていたことは本当らしい。この呪いは、俺の力だけじゃどうしようもない。
しかし勇者は抗おうともせず、握り締めていた剣を静かに離した。すでに魔王の生気は感じなくなっていた。確実に倒した。だとすれば、それでいいんだ。自己犠牲なんて慣れている。俺が恐れているのは、魔王の最期を見ずに終わることだけ。
「このあとは、なにをしようか……」
城に帰ったら、たくさんの人が迎えてくれるだろう。祝福の嵐だ。俺の役目は終わって、それから、何をしよう。
ゆっくり考えればいいか。
ゆっくりと……。
また……。
視界はブラックアウトし、体から力が抜けていった。