34:不穏1
「はい。わかりました。その案件は、本社に戻り次第、すぐに取り掛かります」
重要な顧客からの通話に丁寧に対応し、スマホを切った。
ウォルターは、緊張から解放されレンタカーのシートにもたれかかった。
高級スーツを着て、キラリと光る革靴が印象的だ。
「まったく…… 面倒な客だ……」
ネクタイを緩めて、息を吐いた。
難攻不落の取引先だが、もう少しで篭絡できる。
彼は、BAEシステムズの花形部署である軍需部門の営業マンだ。
今回の案件を成功させれば、部署内での評価は、うなぎ登りになるはずだ。
上層部の覚えめでたくなり、部長クラスへの昇進も夢ではないだろう。
希望のある未来が、頭をよぎり、思わずほくそ笑んだ。
−−−まったく社会に出てから、良いほうに進んでいるな……
ウォルターは、今までの人生と現在を比べて、天と地の差がある事を感じた。
典型的な冷めた夫婦の間で生まれた彼は、日々を生きるのに必死だった。
幸い父親の勤めている会社が、一流だったため家計は裕福だった。
しかし、日常茶飯事に浮気をする父親に対する憎しみをぶつけてくる母親と、愛人を作って自由気ままに振る舞う父親の間で、板挟みでいるのは相当の苦痛だった。
そんな状況から脱して、大学へ行き卒業し、今の会社に勤める事が出来たのだ。それに伴い自分のやりたい事を誰にも文句を言われずに実行できているのだ。
これほど幸せなことはなかった。
−−−さて、さっさと本社に戻って、もう一度見積書を作るか……
この地方都市に寄ったのは、偶然だ。
客先から本社へ戻る際、運転中にスマホがやかましく鳴ったのだ。
通話に出るために寄っただけだ。それ以外に意味はなかった。
ウォルターは、始動キーに手をかけた。
ふと、目の前にあった寂れた公園が、視界に入った。
特段見るべき点は、なかった。
すぐに目線を戻そうとしたが、ベンチで膝枕をしている男女が、いるのがわかった。
ウォルターの直感が、女性を凝視しろと命じた。
命じられるままに確認した。
慈愛にあふれる表情、柔らかそうな物腰、目立つ胸元の隆起が印象的な女性だった。
ウォルターに電撃が走った。
−−−コレだ……
なんと素晴らしい女性だろう。
今までの三流の獲物ではない。最高の獲物だ。
−−−壊し甲斐がありそうだ……
仕事の事が、頭から全て吹っ飛んだ。
彼女の名前は?
職場は?
住所は?
行動パターンは?
女性を手込めにしようと、作戦を練るため、脳がフル回転した。
まずは、情報収集だ。後ろに置いたバッグにデジカメが入っていた。
すぐに引っ張り出し起動させて、レンズの中央に女性をおさめた。
連続してシャッターを切った。
一瞬たりともその顔を撮りそびれたくなかった。
ひとしきり撮り終えると、画面で撮影画像を確認した。
−−−イイねえ……
男性を思いやる気持ちが、滲み出ている良い表情だ。
この情報だけでは足りない。
か他に得られるものが、あるかもしれない。
本社へ戻るのは、少し遅れても大丈夫だ。
ウォルターは、女性の動きを観察するため、長期戦の構えをとった。