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S・S・R  作者: 雪山ユウグレ
第49話 進路選択のルール
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3

 ひと月ほど前の事件。

 あのあまりにも忙しい夜は夢のようで、現実だと分かっていても妙に遠い過去の出来事であったかのようにぼんやりとした記憶に変わってしまっていて何もかもがあやふやだ。修威が分かるのはただあの読岡智という教育実習生が本当は教育実習などではなく別の何かを目的としてこのレーネ大和瀬高等学校にやってきたのだということくらいで、他の何かを誰かから教えられるということもなかった。テレビの報道ですらその日の昼間に大きめの隕石がひとつ落下したということを他のニュースに紛れる程度の軽さで伝えただけだった。

 真実は闇から闇へ、ということらしい。いくら当事者であっても例外ではないようで、もしかすると修威が敢えて尋ねなかったために聞かされなかったという可能性は捨てきれないもののとにかく修威は何も知らないまま過ごしている。全てを知りたいとも今は思わない。それはきっと修威の手に余る事態だろうからだ。

「好奇心は猫を殺す、ってなぁ」

 放課後の技術室、今日の課外授業で傷んだ木人の手入れをするべくやってきた修威はひとまず紙やすりを用意しながらそんなことをぼんやりと呟く。秋の夕暮れは早い。すっかり青みを失った光が窓を透かして斜めに差し込む部屋の中は目に暖かく、しかし身体には少しだけ寒くもある。

「気にならないわけじゃねぇよ? 特に読岡とぽくじんの関係とか」

『気になってしまいますカ』

「そりゃそうだろ。読岡がお前さんの真似をしてみせたのはなんでだ? 同じ口調で喋るのはどうしてだ。都合のいい解釈ならできなくもない。たとえば事前に下調べした読岡がどういうわけか喋る木人のお前さんに目をつけてまねっこすることにしました、とかな。でもさすがにそれじゃ俺だって収まらない」

 雄也が来るまで本格的な作業はできない。だから皆より一足早く技術室にやってきた修威は自分にできる作業から手をつける。擦れて毛羽立った木人の表面を紙やすりで滑らかにして防腐剤を含んだ透明塗料を塗るのだ。換気のために窓を開けると涼しい風が舞い込む。

「聞いたら泥沼な気がしちゃってなぁ」

 少しだけ大きな声で、入ってくる風にかき消されない程度の声で修威は言う。返る応えは何もない。

「何となく見当がついててもそれが本当だって分かっちまったら、確信するより前の俺には戻れないだろ。そう簡単には、さ」

 たとえ魔法で記憶を小さく閉じ込めたとしても一度知ってしまったという事実からは逃れられない。そしてふとしたはずみで魔法が解かれたときに事実の重みに押し潰されるのだ。今の修威ではその圧力に耐えられない。

 まるで薄い氷の張った沼の上を歩いているようだ。一歩踏み間違えば事実の沼に足を取られる。修威にできることは身を守ること。氷を踏み抜いてしまわないように危険そうな場所を避けて通ることだけだ。

「あー……でもひとつ。ぽくじんが答えられるんなら聞いておこうかなー」

『……』

「読岡はここでいいだけ騒ぎを起こしやがったけど、邪魔をした俺らを殺そうって気は最初からなかった。最後には捕まる覚悟でここに来た。俺はそう思ったんだけども、合ってますかね?」


「魔法使いを育てる仕組み、面白いですネ」


 初めてバスの中で出会ったときに言っていた読岡の言葉を今更になって思い出す。わざわざ修威に接触してこっそりと絶縁糸を巻きつけて修威の魔法を封じにきた読岡は案外あのとき本当のことを言っていたのではないだろうか。


「S・S・R。私はそれにとても興味がありまス」


 探りに来た。そう考えるとどうして彼が修威達を殺さなかったのか、そしてどうしてたかが高校にすぎないここを標的にしたのかという疑問にある程度の説明をつけられる気がしていた。この国にS・S・R適用校はいくつかあるが、この国で最初にそうなったのはこのレーネ大和瀬高等学校だ。10年前に魔法が世界に現れてから、ここはずっと魔法教育の基礎を担ってきた。当然ながらここを卒業した者は魔法を必要とする職業に就いたり、さらに上の学校で魔法を学んだりと魔法と深く関わる道を選ぶことがほとんどで、それはつまるところ現代文明の最先端で活躍する可能性を持っているということになる。

 国内に限った話ではない。今や国際機関にも魔法を専門に扱う部署があり、そうはいうものの未だ人材の不足は否めない。この10年の間に育てられた魔法使いはまだまだ少ないのだ。

『ヨミオカトモはアナタが考えているほど善人ではありませン』

 風に紛れる程度の声が少しだけ感傷的な響きをもって修威の耳に届く。

『でも、そうですネ。もしワタシがトモだったら、ユーヤの友人を本気で傷付けるようなことはしないでしょウ』

「あー……そうか。それなら、つまり、やっぱり……」

 確信は中途半端なままだ。だから修威は何を言葉にしていいかも分からずただいたずらに接続語を連ねてやがてへにゃりと表情を崩す。もういいわ、と苦笑しながら呟いた。そこへちょうど計ったかのようなタイミングで舟雪が「お疲れ様です」と言いながら技術室のドアを開けて中に入ってくる。生憎その挨拶を受けるに相応しい先輩方はまだ来ていない。

「よぅワンコ」

「なんだあんただけか。先輩達遅いな」

「そうだな。あ、真奈貴ちゃんはちょっと遅れて来るって言ってた」

「おー。明園はやすりがけか。じゃあオレもそこからやるかな」

 技術室に響く声は2人分だ。廊下に繋がるドアとは別の閉ざされた扉の向こうで修威達の様子をじっと窺っているだろう小さな木人は黙って存在を隠している。それがそこにいることを一番よく知っているのは作り主の雄也で、二番目はきっと修威なのだろう。縁があったとするならきっとただそれだけのことだったのだ。

 技術室の大きな木製の机をひとつまるまる作業台にして、修威と舟雪は木人の修繕作業に勤しむ。元々木の色の多い技術室は晴れた日の夕方になると西日でオレンジ色に塗り替えられる。それは温かい色で、ときどき不思議と懐かしい感傷と郷愁とを掻き立てた。修威にとってはあまり面白くないことだが、舟雪はそうでないらしくふと顔を上げて窓の外を見る。

「夕焼け、オレの実家だと海の方に日が沈むから綺麗だったな」

「ほー」

 相槌を打ったものの、修威は海に沈む夕日の美しさなど写真や画像でしか知らない。しかし修威の気のない相槌に不服そうな顔を見せることなく舟雪は紙やすりを動かしながら同時に口も動かす。

「小さい頃はよく兄ちゃんと海に行ったよ。で、夕焼けを見てから帰った」

「ふーん。兄ちゃんか」

 ああ。頷いた舟雪の声が穏やかすぎて修威は思わず一旦手を止めた。舟雪のそんな声音は珍しい。明園、と舟雪は修威を呼んでそれから「少し話してもいいか」とわざわざ問い掛けてくる。修威は拒まず、好きに喋れと舟雪を促す。舟雪はじゃあ、と言ってから話を始めた。それは彼の家族に関する話だった。

「オレの兄ちゃんはGEAS(ギーズ)の宙軍にいたんだよ」

「ギーズって、本庄先輩が言ってたあれか。え、それってすっげぇエリートなんじゃねぇの」

「そうだよ、超エリート。兄ちゃんはなんでもできて格好良くて、子どもの頃は友達に兄ちゃんの自慢話ばっかりしてた」

「うおお、想像つかねぇ……お兄ちゃんっこだったのなー、ワンコ」

「本当にな。また兄ちゃんもそんな弟を鬱陶しがらずに面倒見てくれたもんだから、余計べったりになって。兄ちゃんが国際宙軍に入るために国を出るって聞いたときには『さすが兄ちゃんはすげえ』って言いながら馬鹿泣きした」

「褒めながら号泣とかすげぇなそれ」

「本当は引き留めたかった」

 今思えば、だけどな。そう言って舟雪は横顔を寂しくさせる。しゃっ、しゃっという乾いた紙やすりの音だけが聞こえて、オレンジ色に染め上げられた技術室の空気がどういうわけか目に沁みた。

「お前が引き留めたら、お前の兄ちゃんさんは今もお前の会える場所にいたのか」

 修威はすでに動かす気のなくなった手を無造作に木人の上に置いた姿勢で問い掛ける。舟雪の顔を見ることはしない。舟雪は木人の腕の表面を撫でるように磨きながら苦笑した。

「いや」

「だろーなぁ」

 そうじゃねぇから自慢なんだろ。修威が言った一言に舟雪の手が止まる。あんたに分かるのかよ。そう小さく告げられた言葉が修威を苦笑いさせる。

「分かんねぇよ。分かんねぇけど、そうじゃなかったらお前がそこまで絶賛する理由もねぇんだろうよ」

 舟雪は善い人間だ。そう長くない付き合いの中でもそう感じさせるくらいに善良で、たとえばまだ出会って間もない頃に謎の獣に襲われて逃げそびれた修威を彼は意地でも見捨てなかった。初対面の印象は決していいものではなかったはずなのに、だ。そうか、と修威は舟雪の灰色の髪を透かすオレンジ色を見るともなしに見ながら呟く。

「だからお前はいつも一生懸命なのか」

「……」

「魔法も。こないだの夜のあれだって。冗談でも遊びでも授業でもなくてお前にとっては本気の本気だったのか」

「魔法は生きるための技能だ」

 ぽつりと舟雪が言ったのは魔法理論の教科書が教える魔法の基本理念だった。生きるための、と舟雪はそこだけをもう一度繰り返す。

「オレは兄ちゃんみたいになりたい。でも兄ちゃんと違って生きて帰る。そのためにここで、レーネ大和瀬で、S・S・Rの仕組みのもとでオレの魔法を学びつくす」

 手を止め顔を上げて言った舟雪の目がオレンジ色を睨み付けて、修威もまた彼の睨む先を見据えながらやがて堪えきれずに吹き出した。

「ふっはっ。かっこいーなーワンコ」

「……馬鹿にしたけりゃいくらでもしろよ。いくら笑われたっていい」

「誰が馬鹿にできるんだよ、格好良すぎて直視できねぇっつの」

「……え?」

 修威は笑う。声を立てて笑う。そうでもしないととても今の舟雪と同じ空気を吸ってそこにいられそうになかった。舟雪はそんな修威に視線を向けながらぽかんと口を開けている。やがてその頬がかっと朱に染まって。

「えっ……明園、あんた何泣いてんだよ」

「うるせぇよ。苗田があんまりあれだからあれなんだよ」

「意味が分からねえ! 今の流れで泣くとこあったか!?」

「そんなの俺にも分かんねぇよ」

 そう、分からないのだ。強い思いを持って将来を見据えて入学してきた舟雪とただ魔法に執着してここにきた修威とではあまりに差がありすぎて、たとえば彼のように修威もいつか自分の道を見定められるかと問い掛けられても答えることさえ難しい。今はまだ、といつまで言っていられるのだろう。それもまた分からない。

「くはっ、ふはっはっ……ふあ?」

 目尻の涙を拭うことも忘れて笑っていた修威だったが、ふとズボンのポケットに違和感を覚えて中を探る。取り出した携帯電話を開いてみるとメールが1件届いていた。やや気を削がれた感に安堵しながら中身を見てみるとそこには丸い皿の上に載せられた串団子の画像がひとつ添付されていて。

「……差出人、本庄先輩」

「は?」

 舟雪も思わずこれまでの少しばかりしんみりした空気を忘れて修威の手元へと視線を落とす。修威は画像に続く文面を声に出して読み上げた。

「“おだんご美味しい! 小豆のジャムが載っているものを食べたのは初めてだよ”」

「……つぶあんだな」

 いきなり何だというのだろうか。そうしているうちに再びルトからの画像付きメールが届く。今度の画像に写っているのは甘いものではなく、赤い醤油色をしたイカの中に具入りのもっちりとしたご飯が詰め込まれたボリューム感のある郷土料理だった。

「“ごめん、修威。ぼくは真奈貴にメールを送ろうと思って間違えた。だけど修威にも楽しさのお裾分けをするから受け取ってね”」

「……で、なんでいかめし」

「分からん。なあワンコ、俺は未だに本庄先輩が国際宙軍の割と偉い人だってことが信じらんねぇ。ていうかこの人なんでちゃっかり修学旅行行ってんだよ! 普通ああやって正体ばらしたらそのまま風のようにいなくなったりするもんじゃねぇのかよ!」

「知らねえよオレに聞くな!」

 5階の鍵当番は倒せない。諸々の真実からは目を逸らして平穏に過ごしていたい。進路を決めるのもまだ早い。それでいいや、と修威は思う。逃げている自覚を持っていて、いずれは向き合うつもりがあるのだから。

 西日が明るさを失いつつある技術室の中、修威は大声で叫びながら小さな悔しさをそっと握り締めて誰の目にも見えないように胸の奥底へとしまいこんだ。

執筆日2016/10/29

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