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ぽくじんはいつも技術準備室にいる。課外授業の時間でなくとも勝手に動いて自由にものを言うあの奇妙な木人があの部屋で独り何を考えて過ごしているのか修威は知らない。そもそも魔法で動く木人なのだから何も考えていないのかもしれない。
さすがにこの時間ともなると校舎は暗く、外から見て明かりのついている窓はひとつもなかった。正面の生徒玄関ではなく技術室のある特別教室棟のドアへと向かっていた修威はその暗い道行きに時折向かう先が合っているかどうかを確認しなければならない。真奈貴と寧子はとっくに見えなくなっていた。急ぎ足で校舎に向かっていた修威だが、とうとう息を切らせて立ち止まる。乱れた息を整えて顔を上げると目的の校舎がやけに遠くに見えた。
おかしい。
修威はいつの間にか校舎から遠ざかる方向へと歩いてきていたようだ。どこかで向きを間違えたのだろうか。いつも何かしらうっかりしている自分のことだからと無理やり納得して再び校舎を目指し始めた修威だったが、しばらく歩いてみてやはり何かがおかしいと気付く。
上げた足が目当ての方向を踏まない。修威の行きたい方向から少しずつ左にずれて進んでいってしまう。目を開けて前を向いているのに真っ直ぐ歩くことができないのだ。気味悪く感じて立ち止まろうとした修威は、しかしすでにそれすらもできなくなっていた。
足が勝手に歩いていってしまうのだ。校舎から遠ざかるように、それもだんだんと速く大股に。
「真奈貴ちゃ……」
焦った修威が真奈貴の名を口にしたとき、突然前の方から強い風が吹く。うわ、と身を縮こまらせた修威は両手で顔を庇い口を閉じた。だから声は真奈貴に届くことなく消える。
「ぐっ……もしかしてなんかやばい?」
『……ノ』
風に乗って微かに何かが聞こえた。焦る修威の耳にそれは何度も届き、やがてはっきりとした音が意味をなす。
『アケゾノ』
「ふい?」
反射的に返事をしてから今自分を呼んだのは誰の声だろうかと考える。どこか発音がたどたどしく、まるでこの国の言葉に不慣れな異国の人間が喋っているかのような印象を受ける声である。苗字ひとつを呼ぶのでさえその調子なのだから、長く話せばなおのこと異国訛りを強く感じるだろう。いつもはそうだ。
『アケゾノ、こっちでス』
片手を引かれるように感じた。聞こえてくる声がそうさせているのか、それとも別の何かなのか、とにかく修威が何か判断をするより先に身体が前へのめるようにして後から来る足を動かしていく。
「ぽくじん、なのか?」
声に導かれながらも修威は問いかけるように呟く。声は校舎の外、敷地の大半を占める研究林の方角から聞こえている。そもそもそれがおかしいのだ。ぽくじんはいつも技術準備室にいる。あの小さな身体と短い腕ではドアを開けることができないため、雄也が連れ出さない限りそこから出ることはない。
しかし聞こえる声は間違いなくぽくじんのものだった。不思議なほどに人間と同じような喋り方をする人工物の声。雄也の作った木人に共通するその声質はぽくじんだけのものではないが、異国訛りのような独特の抑揚をつけて話すのはぽくじんだけだ。
「分かんねぇ、お前はぽくじんなのか!?」
レーネ大和瀬高等学校の研究林が一体何の研究に使われているのかは一般の生徒からすれば謎でしかない。それは学校の敷地である盆地の中で校舎のある一角をぐるりと囲むように広がっていて、バスの通る道路が一筋、木立を切り裂いて盆地の外へと通じている以外に道らしき道はない。研究林への立ち入りには特に制限などもなく、迷子になるほど視界が悪いわけでもないので休み時間の散歩に利用している生徒もいるらしい。ただその奥へ踏み込むことはなんとなくためらわれるのか、下草が踏みしめられているのは木立の隙間から校舎が見える範囲までだった。
その研究林の奥で修威はそれを見付ける。手を引かれるように歩いてきた修威の足が自動的に止まり、上へと伸びて生える木々の下で同じ材質でありながら全く異なる姿をもったそれと向き合う形になる。丸太を加工したような顔に穿たれた2つの深い穴がじっと修威の方を見ていて、それは口もないのに言葉を発する。
『見付けてくれてありがとうございまス、アケゾノ』
木々の間に埋もれるようにして立ちながら、それは異国訛りのような独特の抑揚をもつ声で言った。修威は黙ってそれを見る。修威の方を見上げるようにわずかに首を傾けたそれはなおも言う。
『ユーヤからワタシを連れてくるように頼まれたのですネ』
それは意外なほどによく動く肩の関節を回して右腕を修威の方へと伸ばす。
『さあ、行きましょウ』
「……なめんな」
まるで握手でも求めるかのように伸ばされた腕を睨み、修威はぽつりと呟いた。いつもの修威であればこんなことを言うことはできなかったのだろう。今だから言える。魔法で小さくして見えなくしていた嫌なことが思い出されている今、魔法の力を弱められてしまっている今、皮肉なことに修威の記憶力や直感力はむしろ研ぎ澄まされているのだから。修威の前にいるのは見慣れた小さな木人だが、修威のよく知る木人ではない。
『アケゾノ、ワタシはここにいまス』
脳裏に蘇った声が修威の混乱していた頭の中身を整理していく。ぽくじんは技術準備室のドアを自力で開けられない小さな木人だ。だからこそ修威達が雄也に言われて迎えに来た。もしぽくじんが自分で勝手にどこへでも行けるのなら、作り主である雄也が呼べばそれだけで自治会室のあるアパートまでやってきたに違いない。以前ニュースの電波を受信していたり、例のぽくじんホットライン……通称PHLの送受信もしていたりするのだから雄也からの呼び出しを受ける機能くらい備わっているだろう。つまりぽくじんはやはり技術準備室から出られないのだ。誰かがドアを開けない限り。修威達が迎えに行かない限り。ならば今修威の目の前にいるこの小さな木人は。
「違う。違うな、お前はぽくじんじゃない」
修威はすっきりとした頭で確信しながらそう言い放った。目の前のぽくじんではないぽくじんが黒い穴の目でじっと修威を見つめ、『そうですカ』と何気ない調子で呟く。
『アナタは思っていたより鋭いようでス』
「どれだけ人を見くびっていたんだよ、お前は。……見くびられても仕方ねぇ体たらくを晒したのは確かだけどな。これでも一応、実地の授業だけは真面目に受けてんだ……よっ!」
修威は持ってきた鞄の中に素早く手を突っ込むと、中から銀色のキャップのついた長い鉛筆を1本取り出す。片手の指でキャップをぴんと弾き飛ばして振り下ろせばもう鉛筆は修威の身長程の長さまで巨大化していた。
「なるほど、別に魔法を完全に封じられたとかそういうわけじゃねえのか」
鉛筆槍を木人に向けて修威はふんと鼻を鳴らしながら言う。鋭い切っ先にひるむ様子を見せた木人がやれやれとでも言いたげに首を振った。
『物騒ですネ。……その程度の魔法なら封じる必要もありませン、たかが筆記用具ではありませんカ』
ぱしん、と音を立てて木人の手が鉛筆槍の穂先を払った。たったそれだけのことで槍は元の大きさの鉛筆となって修威の手を離れ、下草の間に転がって見えなくなる。修威はちっと大きく舌打ちをした。
「意味ねぇ、ってか」
『そういうことでス。そもそものこのことここまで来てしまった時点でアナタの負けですヨ』
フフ、と木人が顔を歪めて笑う。木で作られたものが本来見せるはずのない笑顔で修威を見てその手を伸ばし、そしてそれは指先からどんどんと色と形を変えていき。
「捕まえましタ、まずは1人」
色白の細長い指が綺麗に伸ばされた爪を立てながら修威の首を掴んだ。
詰んだ。修威はいっそ大きな溜め息でもつきたい気分で目の前に立つ人物を見上げる。それはとても背の高い若い男性で、ごく淡い色の髪を長く伸ばして顔の横にふわりと垂らし、残りを頭の後ろでひとつにまとめた可愛らしい髪型をしていた。元々細いらしい目をにこやかに細めているが、その笑顔は妙に冷たくいやらしい。草木の緑に紛れるような長いスカートを穿いて真っ白なシャツをきちんと着込んだ彼は遠目にはただの少し変わった若者にしか見えないのだろう。たとえばバスで隣の席に座られても大声で叫んで助けを求めようという発想が湧いてこない程度には。不審ではあるが不穏ではないその雰囲気に修威も、そしておそらく誉も騙されたのだ。
「読岡、智。だったっけか」
「おや、ワタシはアナタに下の名前まで名乗ってはいませんヨ」
「そうだっけな。どうでもいいし、そもそも俺はお前に名乗った覚えがねぇよ」
一体この男、読岡は何者なのだろうか。どうしてレーネ大和瀬高等学校にやってきて、何をしようとしているのだろうか。首を押さえられている危機的な状況にありながらも修威の興味はそちらに向かう。あるいは無意識のうちに助けを期待して時間を稼ごうとしたのかもしれない。そんな修威の思惑を見透かしたかのように、読岡は手に力を込めた。
「追い詰められた小動物にしては随分と生意気な口を利いてくれまス」
「ぐっ……るっせぇ、力で負けてりゃあとは言葉くらいしかねぇんだよ」
「どちらにしても無駄な抵抗だと思いますガ。それとも一息に逝かせてあげた方がいいでしょうカ」
読岡はそう言うなり修威の首を掴んでいる手を勢いよく上へ持ち上げた。自然と修威の足が宙に浮き、かかる重力がその首をさらに絞めつける。読岡の爪が修威の肌に食い込んで温い雫が首筋を伝う。押し潰された喉では満足に息を吸うこともままならず、修威は唇をわななかせて息苦しさに喘いだ。読岡が細い目を少しだけ開いて修威の目を見つめる。暗い林の中ではその色までは分からない。ただ修威はその目をまじまじと見つめ返し、睨む。2人の視線が交わる奇妙な一瞬が生まれ、修威は静かに細く息を吐き出した。
執筆日2016/08/31




