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ぴろりろ、ぴろりろ。緊張感の欠片もない音はPHLの着信を知らせるアラームである。それは正式名称を“ぽくじんホットライン”という、木人部の木人部による木人部のための専用連絡ツールであり、通常の通信回線とは切り離された独自のネットワークを利用しているために連絡内容が外部に漏れることもない。学生寮の自室でその音を聞いた修威は小刻みに震える携帯電話を手に取って届いたメールの内容を確認し、一度「ふん」と荒っぽく鼻息を吐き出してから部屋を出た。
そしてすぐに自分が手ぶらだったことに気付いて今閉めたばかりのドアを開け、ベッドの上に放り投げてあった鞄を肩に引っ掛けて今度こそそそくさと自室を後にしたのだった。開かれたカーテンの向こう、薄青い夜が訪れようとしている窓の外からちんまりとした視線が部屋を覗いて、すぐにぴょんと飛び跳ねてどこかへと消えた。
「ういっす」
夕食時を前にして、寮の裏口は薄暗くひっそりとしていた。昼間は出入りの業者が頻繁に利用するこの場所は普段からあまり生徒が立ち寄らず、中には裏口の存在を知らない生徒もいる。寮内では自室と食堂、そして共用ホールくらいにしか用のない修威も学生寮に裏口があることを知ったのはつい先程届いたPHLメールを読んだときである。しかしどうやら彼らはそうではないらしい。
「やあ、しゅいちゃん。……調子はもう大丈夫?」
素っ気ないクリーム色の壁にもたれながら梶野が気遣わしげな目で修威を見る。修威が「まあ大丈夫です」と曖昧に頷けば、梶野の隣で同じように壁に背を預ける雄也が小さく息を吐いた。
「……呼び出しておいて言うことじゃないかもしれないが。明園、無理はしないでくれ」
「無理なら来てないですからそこは問題ねっす」
そうか、と雄也は再び溜め息混じりに言う。今度の吐息には若干の笑みが含まれていた。修威は辺りを見回し、そこに梶野達2人の姿しかないことを確かめて首を傾げる。
「これだけっすか? 自治会長さんは?」
「ほまれんは先に行って待っているって。真奈貴ちゃんは来るって言っていたけどまだだね。寧子ちゃんは別行動。連絡が来ていないのはふなくんだけかな」
「ふうん」
梶野の言葉に修威はわずかに口先を尖らせ、しかし思ったことを口にはせずに裏口のドアを見やる。普段であれば生徒が利用することのないそこは当然、常に施錠されている。鍵を開けるには脇にある守衛室に詰めている警備担当の係員に頼むか、外からであればインターホンでやはり守衛室に声を掛けるしかない。そして普通、生徒が頼んでもここを開けてもらうことはできない。
「で、歳沖部長。なんでこんなこそこそ裏から出ないとならねんすか。別に正面玄関でもよかったんじゃ?」
集合場所としてここを指定してきたのはPHLメールである。ホットラインを管理しているのは木人部の部長である雄也なので、その内容もおそらくは雄也の考えによるものだろう。そう考えて問い掛けた修威に雄也は少しだけ険しい目つきをして答える。
「他の生徒に見られるのを避けるためだ」
「えー……見られるとまずいんですか。この招集って先生方も知ってんでしょ」
「関係のない生徒まで巻き込むわけにはいかない」
関係ないって。雄也の言葉に修威は呆れて苦笑いを浮かべる。レーネ大和瀬高等学校に在籍していて魔法を使うことができ、“Sur-Schule-Rule(超学校的規則)”通称S・S・Rという制度の中で学んでいる時点で寮生の誰もがこの件に無関係とはいえないはずだ。誉が語ったように修威や誉の体調不良があの読岡という教育実習生の仕業であるのなら他にも同じように調子を崩している生徒がいるのだろう。無関係だといえるはずがない。しかし雄也は小さく首を横に振る。
「たとえ同じ危険に晒されていても、そうと知らなければまだ無関係でいられる」
「そりゃ歳沖部長なりの優しさなんすか」
「……いいや」
雄也はまたも首を振り、しかし今度はそれ以上何かを言おうとはしなかった。そこへ真奈貴が「お待たせしました」とごく普通の口振りで言いながらやってくる。彼女は制服の上にいつも着ているカーディガンではなくフードのついた暖かそうな上着を羽織っていた。雄也が一度真奈貴を見て、小さく頷いてすぐに視線を逸らす。
「や、真奈貴ちゃん。大丈夫、まだ時間前だよ」
梶野が愛想よく言って、真奈貴はそうですねと淡々とした様子で答える。いっそ冷たく感じられるほど平坦なその態度は真奈貴としてはいつものことであるのだが、修威には彼女が何か別のことに気を取られているようにも見えた。しかし疑問を直接ぶつけることはしない。少しの間の後で梶野がスマートフォンの時計を見ながら口を開く。
「ふなくん、遅いね。きっと来ると思ったんだけどな」
「怖気づいたんじゃねっすか。それか昼寝しててメール気付いてねぇとか?」
「しゅいちゃんじゃないからそれはないと思うよ」
「誰が怖気づくか。あと、もう少し危機感持てねえのかよあんたは」
声がして振り向くとそこには学生服ではなく丈夫そうな布ジャケットを着て腰に何やらいくつもポケットのついた太いベルトを巻き付けた姿の舟雪が修威や梶野達を睨み付けるようにして立っていた。目立つ灰色の髪は黒のニット帽によって半分以上が隠され、それでいて両耳には鈍く光るピアスがいっそぎらぎらと輝くほどにその存在を主張している。左耳に4つつけられたピアスのうち、下から2つめのそれはいつかも見た銀の台座に船の錨があしらわれたものだ。そして右耳の一番下にあるのは夏休みに修威が選んで梶野が彼に贈った銀色のキューブが2つ溶け合うように交わるという一風変わったモチーフのピアスである。派手な格好だね、と梶野が苦笑混じりの感想を述べた。
「……あんなメール見たら、気合い入れないわけにいきませんから」
舟雪は強く眉根を寄せながらそんなことを言う。あんなメール、とはPHLを通じて木人部員全員に送られたメールのことだろう。修威も同じものを見てここに来たが、それにしては舟雪の気合いの入り方がやや大袈裟であるように感じられる。
“『緊急連絡』木人部員の皆へ告ぐ。学校内に危険人物が潜入した。被害拡大を防ぐため、木人部は自治会執行部と情報を共有し事態に対処する。本日午後6時30分、学生寮裏口に集合されたし。人員が集まり次第自治会室へ移動する。その後の行動は自治会執行部と協議の後に決定するが、本日昼頃に星が落ちたことにより街一帯が準魔法区域となっているため、魔法使用可能な準備をそれぞれしてくること。なお、このメールは部外秘とする”
「……」
修威は携帯電話に表示したメールの文面を改めて読み直し、いやこれも充分かなり大袈裟だなと結論付けてそれをポケットにしまう。それにしてもこのメールは本当に雄也が作成したものなのだろうか。それとももしかすると“ぽくじんホットライン”の名称に違わずあの木人のぽくじんが作ったのか。意外と後者かもしれないな、と考えながら修威は小さく溜め息をついた。
「じゃあ全員揃ったところで出発しようか。ね、雄也」
「ああ、行こう」
そう言うと梶野と雄也はするりと裏口へ向かう。すぐ脇にある守衛室を素通りして外へと出ていく2人の先輩を不審に思いながらも修威はすぐにその後を追った。続いて真奈貴と舟雪もそれぞれの面持ちで守衛室の前を通り抜ける。修威がちらりと目をやると、そこにいるはずの職員の姿はなかった。無用心、というわけではないのだろう。
「うーわ、なんか裏がありそう」
「今に始まったことじゃねえだろ」
いつの間にか修威のすぐ後ろを歩いていた舟雪が言って、それもそうだと修威は頷く。真奈貴が少しだけ表情を硬くしたが、それだけだった。
執筆日2016/06/24




