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誉の語ったところによると、今朝2年7組に1人の大学生が教育実習の目的でやってきたらしい。7組というのは寧子や自治会副会長のえるむが所属しており、さらにいうならあのラファエル教諭が担任を務めるクラスなのだそうだ。誉は朝のショートホームルームの時間にえるむからその情報を伝えられた。勿論メールである。そしてその直後、つまり1時間目の授業時間が始まると同時に誉のクラスに件の教育実習生が現れた。
「読岡智。それが彼の名前だ。ひょっとしてキミは会ったことがあるのではないかね?」
「……読岡。それって髪が長くて背が高くてなんかにこにこしてて訛りのある人っすか」
「やはり会っていたんだね。そう、その人で間違いないだろう」
誉は色の薄い目を細めて片頬をわずかに持ち上げる。
「単刀直入に言おう。ボクの不調もキミの不調も、原因は彼だ」
「へっ……?」
「キミが彼と接触したのはいつだね? キミが欠席し始めた先週火曜日より前かね」
「えっ……えーと」
読岡、という名前には覚えがあった。確か先々週の初めに行われた課外授業の後、遅くまで木人部の活動に勤しんだ修威が乗ったバスに乗り込んできた男性がそう名乗ったのだ。彼は一目見て背が高く、淡い色の髪と口調の訛りからこの国の出身ではないのではないかと思われた。しかしそんなことより印象的だったのは、彼が始終にこにこしながら修威の隣の席に陣取っていたことだった。2人の他には誰も乗客のいないバスの中で何故か読岡はずっと修威の隣の席から離れようとしなかったのだ。
修威が彼のことを思い出して渋い顔をしていると、誉がわずかに溜め息を零しながら彼自身の身に起きたことを語り始める。
「今日の1時間目は数学でねぇ。読岡氏の担当も数学だということで彼の実習授業となったのだよ。彼はまず我々に向かって挨拶と自己紹介をし、それから全員の席を回って出席の確認をすると同時に握手を求めた」
「クラス全員と?」
「ああ、全員とだよ。妙だとは思ったが、なに、それくらいの突飛さはあっても問題ない。クラスメイトの中には苦笑している者もいたが、握手に応じない者はいなかった。このボクも」
迂闊だった、と誉は苦い顔をして首を振る。
「読岡氏の手に触れた瞬間に背中を虫が這うような怖気に襲われた。実はボクは元々身体があまり丈夫ではなくてね。課外授業を抜きにしても割合頻繁に保健室を利用しているくらいなのだが、今日に関してはその暇さえなかった」
修威は黙って誉の話を聞く。膝の上で組まれた彼の両手、その白い肌を透かして細く青い筋がいくつか走っている。
「目を覚ましたときにはいつもの保健室ではなく、職員室の隣にある応接間の革張りのソファの上に寝かされていた。大和瀬先生が向かいのソファに座っていて、いつになく神妙な顔でボクに早退を促した。それでついさっきそこまで送ってもらったというわけだよ」
「送ってもらったのに玄関で倒れたんすか。大和瀬先生、もうちょっと見ててくれりゃよかったのに」
「先生もお忙しいのだろう。おそらく、調子を崩す生徒はボク達だけに留まらないだろうから」
ふっ、と誉が皮肉っぽく顔を歪める。その目には紛れもない怒りの色があった。修威は彼のそんな眼差しを見ながらうーんと唸る。
「よく分かんねっす。なんで握手で具合が悪くなるんすか。全力で握りつぶされたってわけでもないんでしょ」
「物理的にどうこうという話じゃない。修威サン、魔法だよ」
言っただろう、と誉は少しだけ柔らかい目つきに戻って修威に告げる。
「ボクもキミも、魔法によって自分を守っている。意識したことはないかね」
「……」
修威は何も答えなかった。意識したことがあるかと問われれば返せる答えは否だ。しかしそれもつい先週までの話である。修威は思い出していた。自分が何故この学校に来たのか、何故女子制服を拒んだのか、そのきっかけとなった出来事や感情の記憶を自分にも見えないほどに小さくすることで忘れたふりをしていたということを。思い出せば何かが自分を苛むのだと分かっているから、今もそれを元通りの大きさにして思い出すということはしていない。
修威の沈黙をどう受け取ったのか、誉は柔らかい表情のままで言葉を続ける。
「ボクはさっきも言ったように生まれつき身体が弱い。6歳の頃には集中治療室で生死の境をさまよったことがあるくらいだ。だがそれでもこの年になるまで生きてこられたのは、ひとえにボク自身が自らの幸運を逃さず拾い集めてきたからに他ならない。ボクはボクの幸運を操作することで生命を永らえてきたのだよ」
「え、ちょっと待ってくださいよ。でも魔法っていつでも使えるってわけじゃ……」
修威が思わず反論しようとしたそのときだった。突然、共用ホールの大きな窓がぱあっと白に染まる。夏を過ぎて高く柔らかくなった空の色を掻き消す閃光に修威も誉も「ああ」と頷きながら立ち上がった。また星が落ちたようだねぇ。そう呟く誉の横顔を白く照らした光はすぐに消え、ホールの中を奇妙な静寂が支配した。ややしばらくして、遠くでどおんと大きな音が鳴る。
「隕石」
ぽつりと言って、修威はふと脳裏に浮かぶいくつかの光景に意識を向けた。それは夏休み前の定期試験中にこの街の外れにある山へと落ちた隕石のこと。それはお盆に訪れた七山家の縁側で見たとてつもなく大きな流れ星のこと。ここ10年、それ以前と比べてこの惑星に落下する隕石の数は目に見えて増えているのだという。修威達にしてみれば物心ついた頃からしょっちゅうそんな報道を見てきたのでたまに街の近くにそれが落ちたとしても驚きは薄い。しかし今はどういうわけか胸がざわざわとして落ち着かない。そういえば、と誉が横顔のままで口を開く。
「夏の中間考査の初日にも確か星が落ちた。そしてそれから少しの間、この街でわずかながら魔法を使うことができた」
「……あー」
「ボクが修威サンに声を掛けたのもそれが切っ掛けだったねぇ。あのときボクはキミに隕石と魔法の因果関係について木人部顧問の武野澤先生に尋ねてみてくれないかと頼んだように記憶しているのだが、さて、あれは一体どうなったのかね」
「今の今まですっかり忘れてました」
「うむ、そうだと思った」
修威の正直な告白に、誉は気を悪くした様子もなくむしろ楽しそうに笑う。
「しかし修威サン、今はどう思うかね。あれから3か月ほど過ぎたと思うが、キミの周りでも色々なことがあっただろう。課外授業、それに魔法区域での合宿。得られたものは決して小さくないはずだ」
誉の色の薄い瞳が修威を捉える。修威はそれを真正面から見つめ返した。
「分かってますよ……たまに、なんでか知らんけど課外授業の時間でも魔法区域の中でもないのに魔法が使えるときがある。流星雨の夜も、先週の調理実習も。それに」
修威は手元にあったおにぎりを手に取る。それは修威の手の上で見る間に元の倍近い大きさにまで膨らんだ。
「やっぱり、今も」
「キミの魔法は見た目に分かりやすい分、本質を見抜くのが難しいねぇ。そのおにぎり、果たして美味しいのかどうか」
「食う気になれないんで戻しますよ」
しゅるる、と風船がしぼむように元の大きさに戻ったおにぎりをテーブルに置き直し、修威は改めて窓の外を見やった。青い色を取り戻した空の下、街は静かで穏やかだ。
「星が落ちても、山が爆発しても魔法が使える」
「起きた事象からするとそういえる、というだけのことだがねぇ」
「隕石って元は星なんすか」
「さて。ものによって色々らしいが、中にはごく小さな天体の欠片とみられるものもあるようだねぇ」
「火山の中にあるものと、似てる?」
「さて」
誉は器用に肩を竦め、そこまでは分からないと告げる。
「ボク達が学んでいることだけが魔法の全てではないということだろう。だからこそボクもキミもこうしてここにいる。そしてそうであるとするならこの危機にどう対応すべきかを真剣に考えなくてはならない。違うかね、明園修威サン」
「……よく分かんねぇけど、あの読岡って教育実習生に何かあるのは間違いないんすね?」
修威が確認するように問い掛けると誉は「それは確かだ」と深く頷く。
「分かりました」
修威はそう言って一度目を閉じ、それから開いた瞳でぐいと誉をほとんど睨み付けるようにする。
「で、自治会長さんとしてはこれから何をどうしようってんですか」
「いい目だねぇ。じゃあまずは木人部の皆とも情報を共有しようか」
誉はとても上機嫌に笑いながらそう提案したのだった。
執筆日2016/05/26




