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ずんずんと、あるいはのっしのっしと、さらに言うならずかずかと、とにかくいつもよりも随分と大股で気合の入った足取りでもって修威は放課後の技術室へと向かっていた。課外授業の疲労はその後2時間分の昼寝ですっかり回復している。頭はいつもと比べて少し冴えている程度だが気力は普段の倍ほど充実していた。修威の目的はただひとつ。
「七山先輩いますかーっ!」
がらりとドアを開けて開口一番叫んだ修威が見たものは、いつぞやのように寧子に木材を押さえさせて鋸を構えている雄也の姿だった。あら、と寧子が修威に気付いて顔を上げる。いらっしゃい、しゅーいくん。その足が何故か木材を押さえるのをやめてそのすぐ横にあった雄也のぼさぼさの黒髪を踏む。雄也はまんざらでもなさそうな様子でちらりと修威を見た。
そういう特殊な性癖はせめて学校以外の場所でだけ晒していてもらいたい。そろそろ見慣れてきた感はあるものの感想に困ることには変わりないのである。そしてどうやら彼ら2人以外に今技術室を利用している生徒はいないらしい。
「……ちっ、いねぇのか」
「梶野なら今日は少し遅れると言っていた」
修威の舌打ちに特に反応を示すこともなく雄也はあくまで淡々と友人の動向を伝えてくる。ただしその寝癖が猫の耳のようにぴんと立ち上がった髪の上にはいまだに寧子の上靴が載っているのである。駄目だ分からん、と修威は自分の胸の内だけで結論を出す。この2人の関係については放っておくに限る、と。
「歳沖部長、俺の作業分こっちでいいすかー」
「ああ。まずはパーツの清掃から頼む」
「うぃっすー、いつもの流れっすね」
木人部に入部して4か月。課外授業があった日の放課後はいつもこのような調子だ。授業で使用されて汚れたり壊れたりした木人の整備、不足分の補充、さらにおまけのように雄也から木人の特徴や性能についての簡単な講義も行われたりする。しかし修威が見る限り、これらの木人を一から作ることができるのは雄也以外にはいないように思えるのだった。普段はどこかにしまってあるらしいプラテュス・ドラゴンも彼の作品だというのだから、まったく雄也の造形技術は並ではない。
修威が擦れて汚れた木人の脚を固く絞った布で拭いていると、今度は雄也の方から声を掛けられる。
「明園、大和瀬は来ないのか」
「あー。真奈貴ちゃん、なんか放課後になったらすぐいなくなっちゃって。なんだろ、そういや聞いてなかったなー……」
「……そうか」
「あ、あと苗田は本屋バイトの日っす」
「ああ、ありがとう。少し忙しくなるな」
「そっすね」
木人を拭く手を止めることなく修威はふん、と一度鼻から強く息を吐き出す。真奈貴と舟雪がいないとなるとこの辺りの作業は全て修威の担当になる。汚損した木人の数はいつもと比べて少ないくらいだが、作業量が増えることは間違いない。やってやろうじゃないか、と修威は気合を入れて布を持ち替えた。
そうしてしばらくの間修威は木肌を綺麗に磨き、雄也は木材の切り出しと加工に勤しむ。寧子は雄也を手伝いながらときどきその足や頭を踏んでは何やら楽しそうにしている。普通の視点で見れば邪魔をしているようにしか思えないがおそらく彼らの場合それはむしろ雄也のやる気を引き出す材料になっているのだろう。修威には分からない。
「ねえ」
不意に寧子が思いついたように声を出す。
「今日は少ないのね。ええと、直さなくちゃならない木人が」
雄也と修威のどちらに向けて発せられた言葉かは分からなかったが、それは修威も先程感じたことだった。今日はいつもより壊れた木人が少ない。雄也がああ、と返事をしながら顔を上げた。
「明園達が5階に進んだからな」
「ふへ? 俺ら?」
修威が首を傾げると雄也はふっと可笑しそうに笑みを漏らす。自覚がないのか、とどこか楽しそうに言う様子は普段あまり表情の変わらない彼にしては非常に珍しい。修威はますます妙だと感じるばかりである。
「3階と4階には人型、獣型合わせてたくさんの木人を仮想敵として配置している。だが5階にはそれがない。いるのは魔法を攻撃手段として用いる生身の人間だけだ」
そしてお前達程たくさんの木人を課外授業の時間内に討伐できる生徒は少ない。そう言って雄也はふと作業の手を止め、視線を宙へと持ち上げる。
「それを思うとあいつは初めから随分と特殊だったことになるな」
「……あいつ?」
何となく想像はついたものの聞き流すこともできず、修威は雄也に問い掛けていた。誰のことですか。言ってからわずかに後悔する。あまり他人に関して立ち入ったことを聞くべきではなかったかもしれない。しかし雄也は修威の後悔など気にも留めずにさらりと答えを口にする。
「梶野だ。あいつは入学して数回目の課外授業で当時の先生達が用意した木人を全て機能停止させた」
まだ木人部ができる前のことだったという。外部の業者に委託していた木製の汎用仮想敵“木人”はごく簡単な魔法で動かすことができるため、S・S・R指定校のほとんどがそれを課外授業に使用していた。それまではそれで充分仮想敵としての役割を果たしていたからこそその業者の製品が使われていたわけだが、まだ1年生だった梶野が全てを覆してしまった。
「あいつにしてみれば本当に簡単なことだったんだろう。同じシステムで制御された木人なら、その制御にひとつの綻びが生じるだけで容易く停止しかねない」
「……七山先輩ならそういうのもできるってことっすか」
「魔法の時間にはあらゆる確率があいつの手の上に委ねられる。ゼロも百も例外なくだ」
少しだけ遠くを見る目でそう語った雄也は思い出したように手元の作業を再開する。寧子は今の話を以前に聞いていたのかあるいは興味がないのか、窓の外に目をやりながらふわあと欠伸をしている。修威は雄也の話を頭の中で解釈しようと試みて、結局諦めた。分かったのは入学して間もない梶野が市販の木人全てを機能停止させる程の魔法を操っていたということだけだ。
梶野が特別優秀だということなのだろうか。それはあるかもしれない。確率を思いのままに操るということは、言ってしまえば随分とずるい魔法だ。しかし同時に修威は今日の課外授業で誉から聞いた言葉を思い出す。
“どういうわけか彼はゼロのあるサイコロを好まないようだから、これまではボクも多少は余裕を持っていられたのだがねぇ”
どうしてサイコロなのだろう。頭をよぎったのはとても根本的な疑問で、それをいってしまうとどうして修威が鉛筆を使うのか、舟雪がゲーム機を使うのかと似たような疑問がいくつも湧いて出てくる。修威の場合、その答えはごくごく単純に“一番使いやすかったから”に他ならないのだが。
そもそも普通サイコロといえば1から6までの目が描かれた立方体を思い浮かべるものだ。そしてその多くにゼロの目は存在しない。
「確率ゼロ、ってなんか意味あんのかな。七山先輩にとって」
呟いた修威の後ろでがらっ、と音を立てて技術室のドアが開かれた。
「みんな、お疲れ様ー……あ」
「おう、待ってましたぜ梶野の兄貴」
購買のものらしい小さな買い物袋と荷物を手に現れた梶野に向けて修威は挑戦的な視線を投げつける。梶野はそれをある程度予想していたのだろう。苦笑いしながら技術室に入ってきてドアを閉め、ひとまずは机の上に袋と荷物を置く。
「しゅいちゃん、それは違うよ」
「ふい?」
「梶野の兄貴じゃなくて、梶野お兄様って」
「呼ばねぇっすよ」
「そうだと思った。しゅいちゃんつれない」
いつものやりとりは会話を始めるための準備運動のようなもので、そのワンクッションがあるとないとでは修威にとっても話しやすさが全く違ってくる。するりと言葉を交わしてしまえば本題に入ることもそう難しくはない。
「七山先輩、今日の課外授業のあれはどういうことっすか。説明を寄越してください」
「うん、分かったけどしゅいちゃんまずその木人掃除用の布を置こうか。それこっちに向けないで」
「返答次第ではこれで七山先輩の顔を拭いてやろうかと」
「だと思ったから置いてって言っているんだよ!?」
ばれてしまったからには仕方がない。修威は布を作業用の机に置いて、改めて梶野へと向き直る。その様子を雄也と寧子が何やら面白がる様子で見物している。梶野は3人の奇妙な注目を浴びつつ、「僕は何も悪いことはしていないよ」と少しばかり言い訳する調子で口を開いた。
「課外授業のルールに従っているだけ。あのね、しゅいちゃん。課外授業の課程は5階の突破で一区切りなんだ。そして君が予想した通りに屋上が最終目的地。そこに辿り着いた生徒は、今度は挑戦者じゃなく仮想敵として課外授業に参加することになる」
生徒だけじゃ人数が全然足りないから先生達も結構駆り出されているけどね。彼はそう続けて一旦修威の反応を見る間を取った。修威はむうと唸る。
「……てこたぁ、七山先輩は屋上まで行ったんすね」
「うん」
「で、それでなんで七山先輩とかあのでっかい先生とかと戦わなくちゃならねんすか、俺らは」
「うん?」
修威の一番の疑問はそこだった。これまで相手にしてきたのは人型のものもあったとはいえあくまで木人で、人間ではなかった。魔法を使って自分達と同じ人間と戦うという状況に納得がいかない。それは修威の本音なのだった。それを聞いた梶野は一瞬小さく口を開けて何か言い掛けたが、結局少しだけ笑って何も答えなかった。
執筆日2016/03/25




