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「修威サン、どうやら気を付けた方がいいようだ。相手はラファエル先生だけじゃあない」
誉は修威の耳元に口を寄せてそう告げる。修威は「え」と困惑の視線を誉へと返した。
「マジっすか。つうか、どこにまだいるっていうんすか」
「姿は見せていない、いや見られたくないのかもしれないねぇ。だけれども考えてもみたまえ、修威サン。キミのお得意のその鉛筆の槍が折れるというのはありえないことなんだよ」
目を細めながら言う誉だが、修威は意味が分からずにますます首を傾げる。鉛筆槍の強度は決して高いとはいえない。いくら魔法で大きくしているとはいっても所詮はただの木でできた鉛筆なのだ。ラファエル教諭の攻撃を受け止めれば当たり所によっては折れることも充分に考えられる。それでも誉はありえないことだという。
「何故って修威サン。この時間、ボクはキミを最高に幸運な少女にしているのだからね」
「……“幸運操作”!」
そうだった。誉の魔法は“幸運操作”と呼ばれ、対象の運を操ることができるというものなのだ。思い返してみれば修威は一度それを今とは逆の形で体感していた。
「アイスがすっぽ抜けたり、公園の水が出なかったり、犬の糞踏んだりさせられたあれですか!」
「公園の水はさすがに行政の責任だと思うがねぇ。とにかくそういうわけだから、キミの槍が不運にも折れてしまうだなんてことはボクの魔法が作用している限りありえないことなんだよ」
自信たっぷりに言う誉だが現実に鉛筆槍は折れてしまった。ということは誉の魔法がうまく作用しなかったのだろうか。それとも何か別の理由があるのだろうか。階段に隠れた修威達の前では諒太郎が中心となってラファエル教諭との戦闘を続けている。自治会の武闘派担当という触れ込みは伊達ではないようで、彼は人間業とは思えない動きをするラファエル教諭の攻撃を何とかいなしつつ反撃の機会を窺っているらしかった。彼の魔法である“電子操作”もその動きに何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。
それにしても誉の魔法の影響下にありながら修威の槍が折れたというのは結局のところ何を意味しているのだろうか。修威が答えを見付けられないでいるとやがて誉が再び修威の耳元に口を寄せた。
「ボクの“幸運操作”の実態はあらゆる可能性をもぎとるというものだ。たとえ確率1%の出来事でも“絶対”に起こしてみせる。キミの槍がラファエル先生の攻撃に耐える可能性がわずかでもあればボクはそれを現実にするのさ」
「可能性……確率?」
「そう。それはとてもよく似た概念であり、同時にまったくその性質を異にするものでもあるんだよ。可能性とは連続体であり、確率は無機質な数字に支配されている。アナログとデジタル、ボクは針の回る時計の方が好みだねぇ」
誉は修威に答えを出させようとしている。それはこの会話を楽しみたいからなのか、それとも修威に何かを教えようという先輩らしい心積もりなのか、どちらであるのかは分からない。しかし彼の言葉が修威の思考を核心へと導いていることは確かだ。
「確率、数字」
修威はそう呟いて思い出す。
“僕のはこれがないと始まらない”
そう言って色とりどりの宝石のようなサイコロの中から目が20もあるそれを摘み上げた彼はまるでその名前に沿ったかのように賭け事じみた道具を使って魔法を操る。勿論それは彼の名前に掛けた洒落というわけではなく本当の理由は。
“確率変動によるパラメータ操作だから”
「確率を、ゼロにされた?」
たとえ鉛筆槍の強度を薄い紙きれほどに弱くされたとしても、それが壊れないという可能性はなくならない。しかし槍の強度はそのままでそれが壊れない確率をゼロにしてしまえばもうそれは幸運も不運も作用しない。無慈悲なゼロ確率が鉛筆槍を破壊するしかなくなるのだ。
「あれ、でもサイコロにゼロってあったっけか」
「あるのさ。10面サイコロという正多面体でない不思議と歪なサイコロが。そして歪だからこそ魅力的で、歪だからこそゼロを生み出す力になる」
これだねぇ、と言いながら誉は自身の学生服のポケットから白地に黒で数字の書かれたサイコロを取り出してみせる。0から9までの数字が振られたそれぞれの面は確かに歪な四角形をしていた。そしてそれらが奇妙に綺麗に組み合わされて立体を形作っている。
初めて見た、と修威は呟く。だろうねぇ、と誉が応じる。
「どういうわけか彼はゼロのあるサイコロを好まないようだから、これまではボクも多少は余裕を持っていられたのだがねぇ」
もはや修威にも分かっていた。鉛筆槍を折ったのはラファエル教諭だが、それを可能にしたのは別のある人物の魔法だ。しかしそれでも疑問は残る。
「……なんで?」
「簡単なことだ、今彼はボク達にとって仮想とはいえ敵としてここにいるという事実それのみだよ」
「……そりゃあ面倒な話ですねっ……ていうか、マジすか梶野の兄貴!」
修威の声が廊下に響き、誉が一瞬呆気に取られた顔をしてそれからあははと大きな声を立てて笑う。彼の笑い声を背景にして近くの資料室から出てきたのは案の定梶野だった。ただし見慣れた学生服姿ではなくラファエル教諭と同じ白黒を基調としたジャージ上下に紺色の腕章を身につけた格好をしている。腕章の文字もまたラファエル教諭と同じく“鍵当番”と綺麗に縫い付けられているのだった。梶野は一度だけちらりと修威達を睨み、それからふにゃりと眉尻を下げていつものように微笑んでみせる。
「そう呼ばれたら弱いなあ」
「うわ、マジでいたんすね七山先輩」
「うん。できれば隠れたままでいたかったんだけどね。しゅいちゃんに呼ばれたら出ていかないわけにいかないよ」
「……七山先輩」
修威は口元に笑みを浮かべ、携帯していたペンケースから新しく鉛筆を取り出す。この武器のいいところはいくらでも替えが利くという点だ。元がただの鉛筆である分、極めてコストパフォーマンスがいい。
「いくら七山先輩だからって遠慮はしねぇっすよ!」
だっ、と修威は先手を取って駆け出した。ラファエル教諭がすぐに動こうとするもののその前には諒太郎と舟雪が立ち塞がる。
「ちっ……相手は教師だけじゃねぇのか。後の授業できっちり説明してもらうぞ」
「いい加減こっちからも仕掛けさせてもらいますよ。好先輩、用意はいいですか」
いつの間に示し合せたのか、2人はそれぞれの魔法と身体能力を存分に発揮する形でラファエル教諭に対して攻撃を開始する。まずは諒太郎が彼自身の周りに青白く発光する小さな金属片をばら撒いた。それから舟雪が構えた赤いコントローラを操縦桿のように動かしてそれらの金属片に複雑な動きを持たせる。電気を帯びた金属片は不規則に方向を変えながらラファエル教諭の動きを阻み、その身体に突き刺さらんばかりの勢いでぶつかっていく。
「下手に動くと痛い目を見ることになるぞ、先生」
諒太郎がそう言ってにやりと笑った。これはどうやらラファエル教諭が尋常でない速度で動くことを逆手に取った戦法らしい。速く動くほどに身体に当たる金属片の衝撃も大きくなる。舟雪が操作しているおかげでいくら避けようとしても金属片はしつこく教諭を追い続ける。それを止めるには適当な威力で身体に当てて落とすしかないというわけだ。
「案外いいコンビだね」
梶野が2人の様子を見ながら言って、修威はそんな彼をぐいと睨み付ける。
「よそ見たあ余裕っすね」
「修威ちゃん、君が僕に勝てると思っているのかい」
にっこりと笑う梶野に対して修威ははっはと声を立てて笑ってみせる。やってみなくては分からない。
「知らねっすよ、そんなこと。でもやってやれねえこともないんじゃねっすか!?」
黒々と光る鉛筆槍の先を梶野へと向け、修威は駆け出した。梶野は仕方なさそうにジャージのポケットから紙片らしきものを取り出す。ああ、トランプか。修威がその正体を認識したそのときだった。
『課外授業終了です。繰り返します。課外授業終了です』
「タイムアップか」
校内放送の音声とラファエル教諭の声が重なり、辺りから魔法の気配が消えた。修威の鉛筆槍はごく当たり前の大きさの鉛筆に戻り、えるむが構えていた金属バットを下ろす。
終わったね、と梶野が言って修威はふうと溜め息をついた。いいところだったのに、とぼやいてみても仕方がない。怪我なく授業時間を乗り切ることができただけよかったのかもしれない。
「今日の課外授業はこれで終了だ」
ラファエル教諭が教師らしい口調で皆に向けて告げる。あれだけ動いていたというのに息ひとつ乱していない辺り、本当に情報学の教諭なのかどうだか疑わしい。ジャージ姿であることもあって体育教師の方がしっくりくるな、と修威はどうでもいいことを考える。そんな修威達を見ながらラファエル教諭は「ひとつ、君達に課題を出そう」と意外なことを言い出した。そして彼は一度目を閉じてから開き、改まった様子でその言葉を口にする。
「魔法と生きる覚悟はあるか」
ラファエル教諭の声は低く静かにそう問い掛けた。は、と顔を上げる修威に彼は眼鏡越しの緑色で見据えてくる。
「次回までの宿題にしよう。それぞれの答えを待っている」
そう言い残して大柄な教諭は修威達に背を向けたのだった。
執筆日2016/02/22




