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教師というものは生徒の質問に対して真摯に答える義務がある……とは修威も思っていない。しかし教師というものは生徒から的を射た質問をされたときにどこか嬉しそうな顔をするものだと経験上知ってもいるのだ。
「屋上、あったんすね」
修威が確認をするように問い掛けるとラファエル教諭は先程よりいくらか柔らかくなった眼差しで頷きながら口を開く。
「知らないで質問をしたのか。それで正解するとは、いい勘をしている」
「いやこれまで全部上に上にあがってきたんだからちょっと考えれば分かりそうなもんです」
「君の言う通り、私達が持っているのは屋上へ通じるドアを開けるための鍵だ」
「流された!」
「時間は限られている。1年4組明園修威、今は授業中だということを忘れるな」
ごもっともである。授業中に私語は慎むべきだと修威もこれまでの人生で何度となく聞かされてきた。そして私語はしないものの居眠りをするという姿勢を貫いてきた。しかしこの課外授業では得意の居眠りを決め込むわけにもいかない。そして何より修威としてもこの授業で寝ようというつもりはさらさらない。改めて教諭と対峙するべく、修威は鉛筆槍を構えた。
ところがそこに誉が横から口を挟む。
「先生、ボクからもひとつ質問をさせていただいてよろしいでしょうかね」
何を言うつもりだろうか、と修威は耳だけを誉の方へと向けた。誉は少しだけ顔を歪めて奇妙な笑みを浮かべながらゆるりとした調子で尋ねる。
「私達、とおっしゃいました。修威サンが言うにはどうやら前回の課外授業では別の鍵当番が彼女達の相手をしたようですねぇ。そこで確認をしておきたいのです、今回の相手は先生おひとりですか?」
随分と持って回った問い掛けだったが、つまり誉の質問内容はラファエル教諭以外にも敵がいるのかどうかということだ。それならそう聞けばいいのに、と内心で呆れた修威の前で当のラファエル教諭がじろりと誉を睨む。
「それは今すぐに確認しなければならないことか」
「ええ、今すぐにとても詳細な説明をしていただきたいと思いますね」
「2年1組金北誉、その質問が本当に意図するところは何か答えろ」
ああ、と誉は溜め息のような相槌のような声を出していくらかの間沈黙する。そしてふと思いついたようにラファエル教諭からの質問に答えるべく口を開く。
「時間稼ぎですよ」
誉が笑みを深くするとラファエル教諭はほんのわずかだけ顔をしかめた。彼も気付いたのだろう。いつの間にか彼の真後ろに小柄な影が迫っていたことに。ひよこ先輩、と修威は呟く。そんな修威に誉がそっと目配せする。
「修威サン、今回はボク達と一緒にやってみないかね? えるむが優秀なことはキミも知っているだろう」
口の端に鋭い犬歯を覗かせた獰猛な笑顔で誉が言う。真奈貴と舟雪はすでにラファエル教諭と戦うための用意を整えている。面白いっすね、と修威も笑った。
「でも俺どんくさいからそこんとこご理解よろしく!」
「問題ない、そこは諒が補おう!」
おいこら勝手に何言ってやがる、と諒太郎が申し訳程度の文句を言うがすでに動き始めた修威達にとってそれは取り合うべきものではない。ラファエル教諭の背後を取った小柄な女子生徒、自治会副会長を務める芝津えるむがその体躯に似合わない使い込まれた金属バットを手に教諭の足元を狙う。同時に彼女は叫ぶ。
「諒太郎くん、右前方に待機。電子結界展開。誉くん、階段際まで後退。明園さんは諒太郎くんの後ろに回って槍の用意を!」
夏休み前に一度だけえるむと共闘したことがあった。そのときの相手は校舎4階に置かれていた雄也のプラテュス・ドラゴンで、えるむは今回と同じようにプラテュスの動きを計算して修威達に指示を与えたのだ。彼女の魔法は“演算”。この魔法の時間、彼女は周辺で生じている科学的な現象とその元になる原子の運動や時間の経過などを捉え、その流れを計算することで相手の動きや位置の変化を予測する。
あのとき修威は彼女の指示通りに動くことができなかった。彼女の指示は的確だったのだろうが修威の身体能力がその指示をなぞるにはあまりにも低すぎたのだ。その点、彼女といつもチームを組んでいるだろう誉と諒太郎の動きは無駄なく素早い。
「おお、すっげえー」
修威はえるむの指示通りに諒太郎の後ろへと身を隠しながら状況を眺める。なるほど、自分達だけではこうはいかない。そこへえるむが息を切らせながら駆け込んできた。どうやらそちらも態勢を立て直そうというつもりらしい。そこで修威は先程から気になっていたことを彼女に尋ねてみる。
「ひよこ先輩、さっきどうやってあの先生の後ろ取ったんですか」
「あの、芝津です……。ええと、校舎の外の壁にちょっとだけ出っ張ったところがあるの、知ってますか。そこを通って窓から入ってきたんです」
「外の壁の出っ張り?」
修威は視線だけを廊下の窓へと向ける。校舎の外壁はつるりとした一枚板ではなく、装飾や他の構造物を設置するためにいくらかの凹凸が設けられている。しかしそれは当然のことながら人が足場にするために作られたものではないため、柵などは一切ない。えるむはそこを伝ってきたというのか。
「怖っ! よくそんな危ない場所通れるっすね」
「あ、あの、普段は無理……です。でも今は誉くんの魔法があるから」
「自治会長さんの?」
誉の魔法があるから、とは一体どういう意味だろうか。修威は首を傾げるがどうやらそれ以上の説明を聞いている暇はないらしい。行ったぞ、と諒太郎が叫ぶ声が聞こえる。ラファエル教諭は諒太郎が張り巡らせた見えない壁を突破してこちらへと向かってきていた。廊下を疾駆するその速度は人間とは思えないほどに速い。
「やっべ」
「間に合いません、明園さん防御を!」
えるむが数字を弾き出すまでもなく、回避が間に合わないことは分かりきっていた。一瞬のうちに目の前まで迫った大柄な体躯、さながら弾頭のようなそれを前に修威はほとんど反射的に鉛筆槍を向ける。ただし穂先は横に。両手で軸を持ってラファエル教諭の突進を受け止めるように構えた。衝突の瞬間、修威は思わず目をつぶる。
べきぃ! とまるで太い木の枝が折れるような音が鳴った。しかし実際に折れたのはもちろん木の枝ではなく、この場にあるもののうちで限りなくそれに近いもの……修威の構えていた鉛筆槍だった。ラファエル教諭の神速の拳が突きの一撃で鉛筆槍を叩き折ったのである。思わず動きを止めた修威を諒太郎が後ろから引き倒すようにして後退させる。
「ぼさっとしてんじゃねぇぞ!」
「ひ、ひゃい!?」
「おいあんた、あんまり乱暴なことするんじゃねえ!」
すかさず飛び出した舟雪が手元のコントローラを操作して修威の崩れた体勢を立て直す。腕力と魔法の両方によってぐいぐいと引っ張られた修威の身体はどこかふわふわとして落ち着かない。
「うっ……ちょっと酔いそう」
「余裕あるね、修威ちゃん」
真奈貴が呆れた口調で言いながら牽制のための一節を読み上げる。
「“こっちへ来るな、と叫ぶ声が聞こえる。同時に誰かがこっちへ来い、と呼んでいる。距離を取ることが肝要だと分かり、勇者は呼ぶ声の方へと身を滑らせた。炎の壁が勇者を守るように立ち上がる”」
真奈貴の言葉通り、修威とラファエル教諭との間に突然真っ赤な炎が現れて互いの視界を遮った。これはすごい、と誉の声がする。そうかと思うと彼はぐいと修威の腕を引いて階段の陰へと引き込んだ。
「距離を取ることが肝要、だそうだ。修威サン、せっかく黒髪の魔女サンが時間を作ってくれたのだからここいらで一度状況を確認するとしようじゃないか」
「うわあ、その呼び方真奈貴ちゃんにぴったり」
「我ながら実に彼女に相応しい形容だと思うね」
真奈貴が聞いたらおそらく今はそれどころではないと釘を刺すのだろう。しかし幸いなことに今彼女は5階に残ってラファエル教諭と戦う諒太郎やえるむ、そして舟雪のサポートをしている。誉はその様子を横目で確かめるとそっと修威の方へとその身を近付けた。
執筆日2016/02/22




