表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
S・S・R  作者: 雪山ユウグレ
第38話 新学期のルール
76/102

2

 修威は立ち上がり、自分がぶつかったせいで位置のずれた教卓を元に戻す。そんな修威の様子を見てルトはよかったと言って笑った。

「びっくりしたよ、突然転ぶんだもの」

「はあ……えーと、どもっす。で、本庄先輩は俺らの教室で一体何をしているんすか」

「ぼくは真奈貴に用があって来たんだよ」

 そう言ってルトは修威の肩越しに真奈貴を見て大きく手を振る。心なしか教室の中が薄寒い。

「そっすか……。じゃ、俺はこの隙にずらかるんで」

「ずらか?」

「逃げるんで」

 どうやらルトはこの国の言葉の中でもあまり俗っぽいものには縁がないらしい。海外で育ったのならそういうこともあるか、と余計なことを考えながら修威はその場の妙な空気をルトに任せて廊下に出た。

 授業の合間の短い休み時間、廊下に出ている生徒の数はそう多くはない。ましてや朝から生徒達の進路を妨害していたであろう落書きのされた机も見当たらない。あれを片付けたのは教師だろうか。少しばかり気にはなったものの、修威は特にそれ以上こだわることもせずに水飲み場へと向かう。

 居眠りの後でやや粘ついた口の中をゆすぎ、さらに軽く顔を洗ってから蛇口を閉める。ぽたりぽたりと垂れる雫を学生服の袖で拭うと修威は一度大きく溜め息をついた。

 ルトの乱入によってわずかに緩んだとはいえ、教室にみなぎるあのおかしな緊張感は修威にとって決して居心地のいいものではない。とりあえず出てきたはいいもののそのまま戻る気にもなれずに修威はぼうっと水飲み場で佇む。もう一度溜め息が出た。

「面倒くせぇなあ……」

 ふらり、と歩き出せば足は自然と教室とは正反対の方角へと進み始める。ふらり、ふらり。まあいいかと修威は足の向くままに外へ出た。降り注ぐ陽射しはまだぎらぎらとした熱を孕んでいるが、空は随分と高くなったように感じる。匂いの薄い風が修威の頬を軽く撫でながら通り過ぎていった。

「よくねっすね、サボりは。でもまあ一度くらい大目に見てもらおう」

 実際のところ教室にいてもほとんど授業を聞いてはいないのだから、修威にとってはサボることもそうでないこともさして変わりがないのである。居心地のよくない教室でわざわざ寝直すよりも外で気晴らしをすることを選び、春以来よく訪れている校舎裏の大きな鈴懸の木の下へやってきてみれば案の定そこはいい具合の日陰になっていて、まるで修威を待っていたかのようにいかにも心地よさそうな芝生がやわらかく敷き詰められているのだった。

「おお……ここはまさしく特等席」

 よいしょ、と芝生に腰を下ろして木の幹に背中を預ける。そうしてからふと周りを見渡すと、今しがた通り過ぎてきた校舎入り口辺りの芝生が妙に気にかかった。修威は少し考えて、それから「ああ」と思い出して呟く。

「そうだ、夢見たんだ。……魔女っ子まなきたんに助けてもらう夢ー……垂れ耳うさぎの変な夢」

 始業式前夜のことだ。あのとき現れた真奈貴によって焼かれたはずの芝生は今何事もなかったかのようにやわらかな緑色を広げている。あれは夢だったのだから当然といえば当然だ。

「襲われるのは勘弁だけどー……魔女っ子まなきたんに助けてもらえんならもっかいくらいあの夢見たいーなー……ふひひひひ」

 修威はだらしなく口元を緩めながら笑い、穏やかな木漏れ日の下でゆるりと目を閉じる。その頭の上で木の葉が擦れるかさかさという音がした。そうかと思うと急にがさりと木が揺れて、何かが修威の上で軽やかな笑い声を立てた。

「うふふ、しゅーいくんの独り言は面白いわ」

「ふぃおわっ!?」

 ぬっ、とばかりに修威の目の前にさかさまの女子生徒の顔が現れる。長い髪がぞろりと地面に向かって垂れ下がり、修威はまたも「ふぉわあああ!」と情けない悲鳴を上げる羽目になった。

「あら、そんなに驚かなくていいのよ」

「驚かすような現れ方しないでくださいよ!」

「しゅーいくん、顔が真っ赤。珍しいわ」

「びびりすぎたんすよ……つうか何してんすかそんなとこで、雛摘(ひなづみ)先輩」

 何ということもないのだけど、と答えながらさかさまの女子生徒……寧子(ねいこ)の顔が木の上へと吸い込まれるように戻っていく。そして彼女は一度だけがさりと葉を揺らしたかと思うと何気ない動作で修威の真横へと飛び降りた。制服のスカートがふわりと舞い上がって彼女の白い太腿を少しだけ晒して、すぐにそれを覆い隠す。相変わらず素晴らしい身のこなしだ。

「今日はあまり授業を受ける気にならなかったの」

 寧子は修威の左隣に腰を下ろしながらなんでもないことのように言う。なんでもないことのように言っているが、どうやら彼女は修威より先に授業をサボってここに来ていたらしい。しかし修威の記憶が確かなら彼女は2年生の中でトップを争う成績優秀者だったはずだ。それがまさかこのように慣れた様子でサボっているとは意外だった。

「雛摘先輩はしょっちゅう木の上でサボるんですか」

「場所はその日によって違うわ」

「しょっちゅうサボるのは否定しないんすか」

「教室は面白いところではないもの、いなくちゃならない時間よりも長くいたくはないわ」

 授業時間は教室にいなければならない時間なのではないだろうか。もっとも寧子の成績であれば出席日数さえ足りていれば問題なく進級できるのだから、その最低限必要な時間数だけ授業を受ければいいということだろうか。だとすると彼女は授業を聞かなくても試験ではトップの成績を修めることができているということになる。

「頭のいい人ってすげえ……」

「ねえしゅーいくん」

 はい? と振り返る間もなかった。どういうわけか修威は寧子の手によってその場に組み伏せられ、挙句に頭の上に座られてしまう。地面と寧子に挟まれて極めて狭くなった視界に校舎裏の林を眺めながら、修威はやっとのことで「なんなんすか!」と不服たっぷりの声を振り絞った。対して寧子は修威の頭を椅子代わりに組んだ脚をぶらぶらさせながらつまらなそうに口を開く。

「あたし、その言い方嫌いなの」

「は? あー、頭いいって……?」

「そうよ。ええと、うまく言えないけれどあたしは頭がいいわけじゃないの」

 ぶらぶら。寧子は修威の頭に柔らかな振動を与えつつ言葉を紡いでいく。

「テストの点がいいのはいいの、本当のことだから。でもそれはあたしにとって頭がいいってことじゃないの」

「……そう、なんすか」

「前から、よく言われるの。頭のいい人はいいね、って」

 それがなんだかとても不思議だったのよ。そう言って寧子は修威の頭を解放する。足で踏まれたわけではないので痛みはないが、圧迫された側頭部が少しばかりじんじんと痺れていた。

「周りから妬まれたってことですか」

 木の下に座り直しながら修威が尋ねると、寧子はそうねと軽い調子で頷いた。その視線は修威ではなく林の奥へと向けられている。

「それは確かに面倒くさいっすね」

 修威が言って、寧子はまた「そうね」と答える。それから彼女はふと思いついたように修威の方を見た。

「ええと、しゅーいくんは試験の点はとても悪いわね?」

「いきなり何なんすか、悪いっすよ。追試前はお世話になりました!」

「いいえいいのよ、あたしも楽しかったから」

「でしょうね……」

 夏休み前の定期考査で赤点を取った修威は追試験を受ける前に寧子による特別講座を受けたのである。それは内容こそ普通の試験対策勉強だったが、問題の解き方で1箇所詰まる毎に小さな洗濯バサミで頬をつままれるという拷問付きの恐ろしい講座だった。

「しゅーいくん、試験で妬まれることはないと思うの」

 寧子は修威の苦い顔をまるで気にすることなく続ける。彼女の言う通りなので修威ははあと頷いた。修威の試験の成績は憐れまれることはあっても妬まれることは絶対にない。

「それなのに今、なんだかすごく同じだったわ」

「同じ?」

「面倒くさいって言ったでしょう。同じ気持ちで言っているように聞こえたの」

「……あー」

 どうやら寧子は修威の言葉から共感の気配を感じ取ったらしい。ちょうどいいかもしれない、と修威は今朝からの顛末をかいつまんで彼女に説明した。すると寧子はとても納得した様子で頷きを返す。

「あたしもあったわ、そういうこと」

 あったんすか。修威が聞き返すと寧子は不思議ととても楽しそうに、そして非常にすっきりとした表情で大きく頷く。

「中学生の頃よ。でもあたしはしゅーいくんみたいに受け流すことができなくって、犯人を見付け出して思い切り蹴ってやったの。それからは誰も何もしなくなったわ」

「そりゃあそうでしょうね!」

 寧子の潔すぎる実力行使は当時の彼女のクラスメイト達を震え上がらせたに違いない。なるほど、それは彼女にしかできないものの彼女なりに一番理に適った対処法だったのだろう。真奈貴の言うように全てを受け流すこともできず、寧子のしたように実力で黙らせることもできない修威は今のところこうして校舎の裏で寧子を相手に愚痴をこぼすくらいしかできることがない。

 大丈夫よ、と寧子が修威の頬を軽くつまみながら言う。

「まだ新学期が始まったばかりだもの。しゅーいくんが相手に目に物見せてやる時間はたっぷりあるわ」

 それは随分と物騒な励ましの言葉だったが、修威はその寧子らしさにたまらず朗らかな笑い声をあげたのだった。

執筆日2015/11/28

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ