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「なんかこう、うまくいきすぎた気がする」
階段を見つめていた修威がぽつりと言い、「だよな」と舟雪が右手でテープを丸めつつ、左手でテープを剥がした後の頭の具合を確かめながら頷きを返す。何しろ夏休み前は攻略の糸口すらろくに掴めていなかったのだ。それがこうもあっさり解決してしまうと、いくらそのために作戦を立てたとはいえ戸惑ってしまうのが修威である。
そこへ背後から3人へと近付くジャージ姿の影があった。
「また派手にやってくれたねー。でもさすがエリート1年生だ。1年生でこの“庭”を突破した子が出たのは2年ぶりかな? おめでとう!」
黒い髪をばっさりとおかっぱにして少し吊り気味の茶色い瞳をくるりと動かし、学校指定のジャージを羽織った女子生徒が修威達に向かって笑顔でそう言い放つ。振り返った修威は彼女の姿を見て「ああ……」としばし考えてから「ジオラマ先生」と呟く。すかさず女子生徒は修威の額にでこぴんを見舞った。
「まーだ名前を覚えていないとは、明園ちゃん、さすがに私も怒るよ?」
「もう怒ってんじゃねっすか」
修威のことを“明園ちゃん”と一風変わった呼び名で呼ぶ彼女は技術科の教師にして修威と真奈貴が所属する1年4組の副担任を務める天口果恵である。普段はもちろん女子生徒の格好ではなく、黒髪を短く切った大人の女性の姿をしている。そしてどういうわけか課外授業の間はこのようにおかっぱ頭の女子生徒の姿でこのベースキャンプでこっそりと生徒達を見守っているのだった。それというのもこの荒野を模したジオラマを作ったのが天口教諭その人であるからで、つまるところ4階の課題における試験官は彼女であるということになる。
「というわけで君達は見事、4階の課題を突破した。私が見届けたからには誰にも文句は言わせないよ」
天口教諭がそう言ったため、修威と舟雪もやっと課題の突破を実感として理解する。一方2人よりも先にその事実を受け容れていた真奈貴は5階へ続く階段を見やりながら天口教諭に尋ねる。
「先生、じゃあもう私達は上に行ってもいいんですか?」
もちろん、と天口教諭は薄く笑みを浮かべた表情で頷いた。
「だけど気を付けるんだ。5階の課題は当然、ここのより手強いよ。心して行ってらっしゃいな」
「なんだかなあ」
修威はそうぼやきつつ肩をすくめ、隣に立つ舟雪は望むところだと眉を吊り上げる。
「行ってやろうじゃねえか。課題が手強けりゃその分、魔法の使い方だって鍛えていけるんだ」
階段の上を見据える舟雪の目は強い光を宿していて、それを横目で見た修威はわずかに冷めた思いで「ふーん」と呟く。それでも修威は誰より先に階段に足を向け、未だそこに横たわったままだった巨大鉛筆を元の大きさに戻して学生服の胸ポケットに差し込んだ。
「俺にはまだよく分からねえ」
天口教諭に対してそう言い残し、修威はすたすたと階段を昇っていく。一瞬訝しむように顔をしかめた舟雪がすぐにそれを追い掛け、真奈貴は顔色ひとつ変えずにゆったりとした足取りで後を追った。天口教諭は3人の後ろ姿を見送り、小さく肩をすくめるのだった。
階段を昇りきるとそこは何の変哲もない校舎の5階だった。てっきりまた校舎とは異なる景色が広がっているのかと身構えていた修威達はいささか拍子抜けする。
5階には普通の教室がなく、いくつかの特別教室や文化系部活動の部室、教員のための準備室や資料室などが並んでいる。普段の授業時間に生徒が立ち入ることは多くなく、修威もまだ数えるほどしか来たことがない。木人部の活動で使用している技術室はまた別の、特別教室のみを集めた校舎の中にある。
「さってとー、ここで何をどうしろっていうんだ? 木人もいねえみたいだし」
「ようこそ、第3の課題はこれだよ」
辺りを見回しながら呟いた修威に答える声。どこかで聞いた覚えのある、むしろ馴染みのあるその声に修威が顔を向けようとした瞬間、それは起こった。
ぱあん! という破裂音と共に天井に取り付けられた照明器具が破裂する。思わず立ちすくんだ修威の身体を真奈貴がえいと突き飛ばし、ゲーム機を手にした舟雪が手元で素早く何かの操作をする。
「モードセレクト、レトロシューティング。展開、頭上バリア!」
ばらばらと降り注ぐ照明器具の破片が修威達の頭の上で見えない傘のようなものに阻まれて周りへと飛び散る。舟雪はさらに続けてゲーム機を操る。
「バリアキャンセル。モードセレクト、ガンシューティング……索敵オン!」
「お前の魔法はいちいちやること口に出さないと発動しないのか」
「あんただって写真使ってただろ、似たようなもんだ!」
修威のツッコミに対して律儀に返事をする舟雪にはどうやらまだ余裕があるらしい。ふーむ、と頷いて修威は彼の言い分に納得する。魔法とはつまり認識と想像による現実の改変だ。ならばその想像を補完するために写真や言葉といったものを使うことは理に適っている。
「よし、じゃあいきますかー。なんだか知らねえけど不意打ちたぁ卑怯じゃねえか!」
修威がそう叫んで鉛筆槍を構えるとくすりという笑い声と共に今度は天井そのものが落下してきた。
「は!?」
「やべっ……さすがにこれは防げねえぞ!?」
声を上げた舟雪の向こう、廊下の陰で黒い人影が動く。舟雪の手元でゲーム機が“索敵完了”という文字を表示したがすでに遅い。真奈貴が黄緑色の表紙をもつ文庫本を開くが、それもほんのわずか間に合わない。修威の脳裏に“リタイア”という言葉がよぎったそのときだった。
「危ない、真奈貴!」
ぴんと張った高い声と共に現れた新たな人影が落ちてくる天井目掛けて何か長い棒状のものを突き出す。たったそれだけの仕草で天井は何事もなかったかのように元あった頭上へと戻っていった。まるで巻き戻しの映像を見ているかのような感覚に修威達は混乱する。廊下の奥の人影はその様子を見届けた後で姿を消した。あとに残されたのは修威達と、もう1人。
「真奈貴ーっ!」
さらり、と水のように透き通る色が修威の目の前を流れ横切った。それが人の髪の毛であると理解するまでに数秒、そしてその水のような髪の持ち主が真奈貴に飛びつき、彼女をぎゅうと抱き締めるまでさらに数秒。呆気に取られた修威だったがその後の動きは速かった。
「なんなんだお前、ま、真奈貴ちゃんに抱きつくなんていきなりうらやましい!!」
叫ぶなり修威は真奈貴を抱き締めている相手の腕をぐいと引いて彼女から引き離した。相手は「ええー?」と不満そうな声を上げる。
「きみは真奈貴の恋人なの?」
青みがかった目をくるりと動かしながら振り返った相手を見て修威は「は」と間抜けな声を出した。相手からの問い掛けは耳に入っていない。
その相手は一目見て修威の身の回りにいる生徒達とは全く異なる存在感を放っていた。顔の両脇でくくられた長い髪は流れ落ちる水のようで、銀とも青ともつかない不思議な色をしている。真奈貴よりも少し白い肌に青みがかった目の色が映えて、ワイシャツの首元にあしらわれたタンポポ色のリボンが鮮やかだ。学生服は着ておらず、代わりにいかにも私服らしい長めのカーディガンを羽織っている。
そんな不思議な存在感を持つ相手は修威が引いた手をやや乱暴に振りほどくとその青みがかった目を細めて修威を睨み付けた。修威も負けじと相手を睨みつつ、しかしどうにもその佇まいに圧倒されて腰が引けてくる。さて、どうしたものか。
「ルト」
真奈貴の呆れ声が水のような髪をした相手の名前らしき音を紡いだ。その声にぱっと振り向いた相手の額にこつんと拳をぶつけて真奈貴は。
「ルトは紳士を目指しているんだよね」
「勿論だよ!」
「“本当の紳士ならそんなことしないよ”」
え、と修威は怪訝そうに真奈貴の顔を見る。彼女の口から出たのは耳慣れない、いや割と耳慣れてはいるものの修威が聞き取ることのできない外国語だったのだ。それに対してルトと呼ばれた相手は「オウ……!」とやはり外国語らしい調子で衝撃を受けたようによろめく。
「真奈貴! ぼくは確かに紳士を目指している。けれどそのことは今関係がないだろう!?」
「紳士ならレディに手を上げたりはしないんじゃないの」
「ホワッ!?」
「修威ちゃん、女の子だからね」
「リアリィ!?」
果たしてルトは帰国子女か何かなのか。それともそもそも海外から来た留学生なのだろうか。よく分からないが、その発音の良さはどうやら本物であるらしい。そんなことを考えていた修威の前で突然、水のような色をした髪がふわりと翻る。
「レディ・修威。失礼しました、どうか慈悲を」
「……えー……何やってんの?」
「土下座ってこうやるんじゃないの? ぼくは何か間違っているの」
床に両膝と両手の指をつき、額さえもそこに擦り付けんばかりに頭を垂れたルトがその頭をひょいともたげて首を傾げる。合っている。ルトの示した土下座の姿勢は合っているのだが、そもそもこの状況でどうして土下座をするに至ったかという経緯が修威にはまるで分からない。
「なんなんだ一体!!」
混乱を極めた修威がとりあえず叫んだところで課外授業の終わりを知らせる校内放送が響き渡ったのだった。
執筆日2015/11/01




