1
明園修威は悩んでいた。原因は修威にしてはとても珍しいことに他人である。正確には他人から言われた事柄である。
元来修威は他人というものにあまり関心がない。どうでもいい、と意識して考えているわけではなく初めから他人の言動があまり視野に入ってこないのだ。他人が修威をどう言おうが、何を思っていようが、ほとんどの場合修威はそれに気付かず通り過ぎていく。
しかし今回は少しばかり事情が異なる。発端は昨日のこと、本屋でアルバイト店員と客として出会い学生寮で同じ高校の生徒として再会した灰色の髪の少年であった。
「えーと、えーと、駄目だ名前思い出せねぇ、ワンコ……」
呟き、頭を抱えながら修威はまだ誰もいない早朝の校舎をそぞろ歩く。修威は元々登校時間が極端に早い。授業中はまともに起きていることなどないくせに、遅刻・欠席・早退は今のところゼロである。早起きが得意なわけでも体調管理に気を遣っているわけでもない。単に登校ラッシュアワーのすし詰めバスに乗りたくないというだけのことである。そしていつ課外授業が行われるか分からないS・S・Rのシステム上、授業時間中は校舎内にいなければならない。ついでに勿論普通の授業にも参加しなければ単位がもらえない。そう、たとえ早起きをしたせいで昼間に眠くなるからと授業中の居眠り時間がさらに延びたとしても、だ。
マイペースに高校生活を送る修威は、しかし今昨日の灰色の髪の少年の名前を思い出すことができずに悩んでいた。修威がつけたあだ名は彼本人から却下され、友人である真奈貴からも「失礼だ」と釘を刺されたのである。修威にはその辺りの感覚がいまひとつ理解できていない。
「いいじゃん別にハゲくらい。あれか? なんか悩みでもあるのか。それか元々皮膚が弱いとかか? いや俺ああいうのよく分からんけど、でもあいつ背でかいし普通見えないからそんな気にするもんでもねぇと思うんだけどなぁ」
ぶつぶつ、もやもや。つまるところ修威は彼のあだ名を呼ぶことを諦めるべくその本名を思い出そうとしているのだが思い出すことができずに悩んでいるのである。昨夜学生寮で再会した彼は半ば涙目になりながらあだ名で呼ぶなと吠えた。本屋で見たときには屈んでいたせいで気付かなかったが、彼は相当の長身で、加えて目つきも悪いものだから威嚇されるとそれなりに恐怖を感じる。それでもあだ名で呼ぶことを貫きたかった修威なのだが、しまいに彼は持っていた雑誌を修威に押し付けて懇願した。「それやるから頼むから普通に名前で呼んでくれ」と。
「ものをもらったら従わんというわけにもいくまいー」
はあ、と溜め息をつきながら歩いていた修威は校舎1階の奥へと突き当たる。おや、と顔を上げて見てみればそこは昨日の放課後に訪れた技術室だった。課外授業で使用する木人を製作することを目的とした裏の部活動、木人部の活動場所である。
始業まではあと1時間近くある。手元には灰色の彼から押し付けられた雑誌もある。修威は試しに技術室のドアに手をかける。鍵はかかっておらず、ドアはがらりと音を立てて開いた。
「おおラッキー」
こうして修威は誰もいない技術室に入り込み、木の香りの満ちたその部屋の椅子に腰を下ろして雑誌を読み始めたのだった。
灰色の彼が寄越したのはゲーム雑誌だった。これで修威がゲームに全く興味のない人間だったなら彼は一体どうしただろう。幸いにして、修威はそれなりにゲームを楽しむ方である。単独行動の多い修威はときどき独りの時間を持て余し、そんなときにゲームが重宝するのだ。
昨夜、灰色の彼が持っていたのはどれも同じようなゲーム雑誌ばかりで、彼が相当のゲーム好きであるということが窺えた。本屋でのアルバイトはもしや給料をゲーム代に充てるためなのだろうか。
新作ゲームについての記事を読みつつ、修威は灰色の彼の名前が何であったかをもう一度考えてみる。しかしどう頭をひねってみても修威の記憶からその名前は引き出されてこないのだった。
「思い出せないからワンコで」
『それはちょっとひどいですネ』
「そうかね?」
ん? と修威は雑誌から顔を上げることなく首だけをひねる。今、修威の独り言に対して返事がなかっただろうか。うっかり問い返してしまったが、この部屋に他に人の気配はない。
「……誰かいんの?」
『おっと、見付かってしまいましタ』
「いや、見付けてないけど。って誰だほんとに!」
がたん、と修威は椅子を鳴らして立ち上がる。背中に嫌な汗をかいている。雑誌のページを開いたまま、修威はぐるりと技術室の中を見回した。
「誰だ出てこい!」
『出ていくというのは難しいので、こちらへ来てもらえますカ』
「は……はあ!?」
『奥に準備室への入り口ドアがあるでしょウ。そちらに来てくださイ』
声は不気味な程に自然な調子で修威を奥の部屋へと招く。その声はどこか発音がたどたどしく、まるでこの国の言葉に不慣れな異国の人間が喋っているかのような印象を受ける。修威はむうと唸るとゆっくりとした足取りで技術室の奥にある技術準備室へと向かった。
やはり部屋のドアに鍵はかかっておらず、来訪者を無用心に迎え入れる。薄暗い部屋の中には木材や鉄板などの工作材料や機械油、作業用のエプロンやゴーグルを収めた棚、それから取り扱いの難しそうな工作機械の類が所狭しに置かれている。掃除はさほどまめにされてはいないようで、部屋の空気はわずかに木屑と埃の匂いがした。
そしてそんな部屋の中央に堂々と、まるで部屋の主であるかのような様子で1体の木人が居座っていた。間違いない。これは昨日の課外授業で修威が戦いを挑み、結局梶野によってばらばらにされた4階への階段を守る番人だ。魔法のない今の時間はじっと動かないそれは昨日のうちに雄也の手で修復されたものなのだろう。じっと座り、微動だにしない大きな木人の後ろで何かがコトリと音を立てる。
「誰っだああ!」
『あ、驚かせてしまいましたカ。申し訳ありませン』
かたかた、と大きな木人が揺れた。思わずひぎゃあと声を上げた修威の足がもつれ、よろめいた身体が近くの機械に触れてがたんと大きな音を立てる。修威は再び悲鳴を上げた。
「やべぇ! ここ何かいる!」
『はい、いまス』
「律儀に返事をする幽霊がいる!」
『律儀に返事をしていますが、幽霊ではありませン』
「幽霊じゃないって反論してくる幽霊だ!」
『面倒くさい人ですネ』
はあ、とわざとらしい溜め息のようなものが聞こえた。修威は位置のずれた機械を元の場所に戻し、ぽりぽりと頭を掻きながらその声の出所へと目をやる。
床に鎮座する大きな木人の背後、その胴体の陰からそっとこちらを窺うような姿勢で顔を覗かせている小さな木人と目が合った。木人である。普段の課外授業で相手にしているものは大体修威と同じくらいの人間大だが、今大きな木人の陰に隠れて修威を見ているものはもっと小さい。しかし紛れもなく木人である。丸太を加工したような顔と胴体に、意外とよく動く両腕と両脚を具えた木人である。
それは本来、課外授業という特別な時間にだけ動いたり喋ったりする魔法の産物だ。課外授業において仮想敵として生徒の魔法訓練の相手となる、そのためだけの人形だ。だから普段は動かず、喋らず、校舎のどこかにしまわれている。課外授業の時間になるとそれらは生命を吹き込まれ、自ら動き出す。定められた目的に従って、生徒の前に立ち塞がる。
そう、修威の知る限りの常識では始業前のこの時間に動く木人がいるはずもないし、ましてやそもそも木人が生徒を攻撃するでもなく逃げるでもなくこっそりと覗き見ているという状況はありえないのだ。修威はしばらくその小さな木人と見つめ合って、それから尋ねる。
「お前さん誰だ」
『木人でス』
ぴっ、と小さな木人は身体に見合った短い腕を伸ばして答える。挙手しているらしい。そしてなおも不審そうに木人を見つめる修威に向かってそれは改めてこう言った。
『木人の“ぽくじん”でス。以後お見知りおきくださイ』
執筆日2014/11/15




